topimage

2017-10

共感のポイント - 2017.08.11 Fri

きらたかしさんの「ハイポジ」の続きです。

 前回の記事にて、マンガ「ハイポジ」についてはもう語ることがありません。今回は若者は音楽の何に共感するのか?についてです。
先日 NHK のSONGSにSEKAI NO OWARI が出演していました。メンバーが30代になり高校時代の経験や当時の思いが楽曲の基盤になってるので、現役の高校生が何を感じているのかに強い興味があるとのこと。次代を担う高校生だけをスタジオに集めたライブなので、今回の日記の趣旨にピッタリな感じでした。
スペシャル対談での欅坂46の平手友梨奈嬢との対談もイイ味をだしていました。対談部分は8月13日の夜にNHK-FMで完全版がオンエアされるそうです。自分はバンドの名前を“SEKAI NO OWARI” はではなくて“世界の終わりに”だと思っていました。以後セカオワの表記します。
平手嬢は何度かPV的なモンを観てましたが、グループよりもソロで活動すればいいのにっていう印象がありました。この人の個性のせいで後ろに従えてる人たちが無価値になってる感じがします。賛否はあるようですが平手嬢の自己設定を強く打ち出す演出は個人的には面白いと思いますけどね。
こんなセカオワや欅坂に造詣が浅いヤツが語るのもどーかと思いますよね。でもスタジオに集まった現役高校生は、こんなブログ読んでいないだろうから気にせずに書いちゃいます。

 最初にセカオワを知ったのは Dragon Night という曲でした。♪ドラゲな~ドラゲな~のところの耳当たりが良く、楽曲も凝っているなぁって思いました。かぶり物の人もいるんで「上手なネタバンド」くらいの印象でした。当人たちにいろいろな思いもあるだろうけど、ゲーム的アニメ的な楽曲がウケたので厨二なバンドってイメージですね。メンバーの過去のウワサやゴシップなどから考えると、本当の音楽的な指向はもうちょっと尖っていたんじゃないのかな?
それではセカオワの曲の何に高校生は共感してるのでしょうか?正直言って Dragon Night にはゲームかアニメのテーマソング以外の感想はありません。ドラゴンや戦いに共感しないタイプにはふーんって感じですね。YouTubeで観られる英語版の野営地のサーカスっぽいPVのほうが♪ドラゲな~がしっくりきます。高校生の多くがゲーム好きでゲームのの世界観に共感するのでしょうか?ざっと歌詞をさらっても正義とか休戦しか入ってきません。
RPG という曲は人生の歩みを RPG になぞられた歌詞ですね。♪怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない~ が共感ポイントでしょう。共感ポイントとはリスナーの切実さが何なのかによって決まります。NHKの収録に集まった高校生たちの切実さとは『自分たちの世界を守ることと、他人たちの世界への恐れ』なんじゃないかな? そう考えると高校生の彼らは歌詞に「大丈夫」って言って欲しいんでしょう。「世の中は怖くないよ」って・・・
ゲストで出ていた欅坂46の平手嬢のほうはもっと深刻な感じがします。「大人は信じていない」的な発言を大人(秋元氏)が作ったショウビス界で言う子供臭さ。今井議員のSPEEDは小学生が小学生相手に大人びた顔でショウビスしていたから成り立っていたんですよね。大人にとっては小さい子が頑張ってるなぁって感じでしたが、子供にとっては同学年(小学生)なのに大人な世界を歌ってる子っていう感じです。平手嬢のように「大人はみんな汚い」(そうは言っていないけど)と言っていいのは中学生までです。会場に集まった高校生たちが平手嬢の“拗らせ”を観て、共感できるのかは興味があるところです。欅坂46のファンの大きいお兄さんたちは、共感で応援してるんじゃないからどーでもいいんでしょうけどね。

 マンガ「ハイポジ」に戻って前回の続きの1986年にヒットした中村あゆみさんの話です。作中にも登場する「翼の折れたエンジェル」は大ヒットというほどではありませんが、当時の中高生のハートは確実に掴みました。では、その共感ポイントはどんな歌詞だったんでしょう?
もっともキャッチなフレーズは ♪ もし 俺がヒーローだったら悲しみを近づけやしないのに・・・
しかし中高生が共感したのは、そのサビのAメロ?の歌詞の中の恋人たちの歴史を歌った部分です。

♪ Thirteenth でふたりは出会い、Fourteenで幼い心かたむけ、あいつにあずけたFifteen~
13歳から15歳までは西野カナさんばりのラブラブエピソードですね。

♪ Sixteen で初めての Kiss、Seventeenで初めての朝、少しずつため息おぼえたEighteen~
高校生になるとキスからエッチそしてため息のティーンエイジです。

ヒット曲というかカップヌードルの CM曲なのに♪ 初めての朝~という歌詞もスゴいんですが、共感ポイントは16歳でキス、17歳で初エッチと順調に愛をはぐくむのですが、やっぱり18歳になるとため息が多くなり始めるんだなというリアルな歌詞です。十代の頃の恋愛の目的は永遠の愛でも真実の愛でもありません。いかにエッチをするかが恋愛の最終目標です。しかしほとんどの中高生はイメトレほど最終目標までは届きません。世の中そんなに上手くいきません。それじゃこの歌のように17歳でエッチができた目標達成カップルは「幸せに暮らしましたとさ」ってなるのでしょうか?エッチしたあとは急速に下っていくのが世の常です。そして男の子はヒーローじゃなかったことに気づき、女の子は男の子のささやきにうなずけないでいる… 
告白して、キスして、エッチして…その先があるんだよっていうのは高校生の中でもぼんやりとは判っていることです。そのぼんやりとした恋愛のリアルを明確に歌ったのが「翼の折れたエンジェル」でした。そりゃ共感しますよね。恋愛が最大の関心事だったんだから。この歌に出てくるヒーローは彼女を守るようなセカオワの世界観でいうヒーローではなくて、当たり前の恋愛を続ける器量を指してるんだと思います。コレが70年代だと貧しさが障害になるんですけどね。

 その頃の自分は新しいアーティストが出るといち早く青田買いするのが趣味で、中村あゆみさんはファーストアルバムからダビングしてました。その中に「翼の折れたエンジェル」のリリースを予感させる楽曲がありました。中村あゆみさんは元気っ子のガールズロックという、この時代にブームになる新人って感じでした。そのアルバムの中の「悲しみのセンセーション」というスローバラードが、自分の中で中村あゆみという名前を刻んだ曲でした。この歌も17歳の女の子と20歳の大学生という設定の別れの歌です。

♪ サイドミラー越しに追い越したクラスメート 幼く見えたけど
♪ ベッドルームの片すみ 子供のように泣くじゃくる私がいる~

年上の彼氏に有頂天だったはずなのに、いざという時にはこんなモンということに激しく共感です。
同時期の大ヒット曲、レベッカの「フレンズ」では♪ 口づけをかわした日はママの顔さえも見れなかった~というのが共感できるフレーズです。聴いてる中高生の大半はキスなんかしたこともないんですけど、だからこそ共感できるんですよね。

 セカオワや欅坂46とはテーマが違うといえばそうなんですけど、昔と今では曲に共感する部分がかなり違うようです。最近の曲というほどのリサーチがないんですが、歌詞に使ってる言葉は複雑で凝ったフレーズが多いんですが、言ってるコトがぼんやりしてるような感じがします。早口で歌えば聴いてる人が気づかないっていうのも気になります。
  
 まったく「ハイポジ」について書いていませんでしたので、最後にマンガのタイトルのハイポジってどういう意味なのか書いておきます。ハイポジはカセットテープのグレードの一つです。ノーマルテープは磁性体に酸化鉄を使ってるの出テープが赤茶色です。ノーマルよりも高かったのがクロームテープでした。磁性体に二酸化クロームを使っていて黒いテープです。もっと高いのがメタルテープでした。これは磁性体に鉄合金を使った最強のテープでした。最強(鉄そのもの)ゆえにヘットを痛めるとかいわれてました。
どれがハイポジかといえばクロームテープのことを“ハイポジションテープ(通称ハイポジ)”と呼ぶらしいです。しかし自分は当時ハイポジという言葉を使ったことがありません。たしかカセットデッキにはクロームテープ CrO₂と表記されていました。二酸化クロームが使えなくなって磁性体が変わったからハイポジって言葉ができたようです。
たしかCrO₂のモードがあるテープで録音したら再生機側にもCrO₂のモードがなきゃ高音質にはならないって聞いたような…
46分のカセットがレコード1枚を録音するのにちょうどいいんですが、A面とB面の曲の長さが微妙な場合はやりくりが難しいんですよね。音楽をコンテンツとかデータとか言わなかった時代の話です。


「ほぉ」って思ったら押してね

飛べないエンジェル - 2017.08.05 Sat

きらたかしさんの「ハイポジ」です。

 きらたかしさんは主にヤングマガジンで「赤灯えれじい」や「ケッチン」など不良っぽいマンガやバイクネタなマンガを得意にしているマンガ家さんです。最近ではイブニングで「凸凹 DEKOBOKO」という中学生のオフロードバイクのレースを題材にしたマンガを連載。ちょっと青年誌にしてはキャラの設定が幼い感じでしたが結構面白かったです。でも全2巻であっさり打ち切り終了してしまいました。スポーツマンガの場合は「俺たちの戦いはこれからだ」の次の展開まで連載を継続させるのが難しいんですよね。バイクネタはきらたかしさんの大得意ジャンルだっただけにもったいなかったですね。
きらたかしさんはバイクと共に得意なのが底辺な弱者層を主人公にした貧乏くさいマンガです。出世作の「赤灯えれじい」は道路工事の誘導員のバイトの男の子がヤンキー姐ちゃんとつき合うハナシです。誘導員とか実家の旋盤工場とかトラックも運ちゃんなど、少女マンガでは見かけないような、当時のヤンジャン読者層にマッチした職業設定がリアルなマンガでした。

 「ハイポジ」は長年執筆していた講談社から河岸を変えて、双葉社の漫画アクションでの連載になりました。「凸凹 DEKOBOKO」では中学生の女の子を主人公にしたけれども、きらたかしさんの固定ファン層にはそーいう世代のマンガが求められていないっていうことがはっきりしました。昔の講談社だったら不良、ギャル、暴力、ギャンブル・・・アンダーな世界観が鉄板のテーマでしたが、近年ではアニメ的な美少女やファンシーな作り話のほうが重視されています。きらたかしさんの得意なバイクや生活感のある底辺キャラは編集方針と合わないようです。
そこで救済の手が漫画アクションなんでしょう。このマンガ誌には昭和のマンガテイストがいっぱい現存しています。ストーリーは現実主義でエスパーのようなト書きによる心理描写や、荒唐無稽なシーンはあまりありません。雑誌の対象読者を大人に設定しているからです。大人というのは昭和を経験した世代のことです。きらたかしさんの全ての作品にいえる古くさいマンガのテイストは、昭和からマンガを読み続けているアクションの読者にピッタリなんでしょう。作者が得意な昭和的演出はこの雑誌の読者がもっとも馴染んだテーマだったんですね。

 「ハイポジ」のストーリーは『リストラされ嫁に離婚を切り出された46歳のうだつが上がらない主人公が、フーゾクで火事に合いハダカで焼死したと思ったら1986年の高校生にタイムループ。高校時代から人生をやり直すのだがそこには未来の嫁になる子と憧れていた子がいて・・・』って感じです。
タイムループとか最近の流行りで、うーん・・・っていう感じがします。人生やり直しネタでは「代紋TAKE2」が名作なんですが、「ネガポジ」では現代→過去という出ラマではなくて、単純に1986年をドラマにしたかっただけっていう感じです。毒にSF的なこだわりのある設定でもないみたいです。
だったら展開が窮屈になるようなファンタジー設定よりも3丁目の夕日的な昔話にすればいいのでは?って思います。タイムループにすると最終回では必ず現代へ戻れる、戻れないていうストーリーになっちゃいます。そこが描きたいのならSF大作としてタイムループをテーマでもいいんです。たんに過去に戻ってしまった主人公の日常が描きたいのなら、最後に書かなきゃいけない何故タイムループしたのか?とか、主人公は現代に戻れるのか?とか、過去を改ざんしてしまったが故に現在が変わってしまったなどを描かなきゃいけなくなっちゃいます。多くの作者がそーいうややこしい部分が描きたいワケじゃないんですが、読者は結論を求めるから最終回で読者に怒られちゃうんですよね。
1話目の前半は上記の通りに陳腐な展開ですが、1986年の高校生活になれば安定のきらたかしマンガになります。きらたかしさんの作風は奇をてらわず淡々としたコママンガっていう感じで、個人的には読みやすくて好きなタイプのマンガです。

 「ハイポジ」というマンガの感想とか特筆する部分というのはそんなにありません。今後ストーリーが激しく展開するとか、アニメ化されるとかの目立ったマンガになるともおもえません。なにしろ奇をてらわないマンガだから。タイトルのハイポジという言葉からも判るように、第1話のオープニングからヒロインがウオークマンのカセットを入れる“永井 博のイラスト”のような絵で始まります。永井 博さんって誰だ?っていうことですが、わたせせいぞうさんを上手にした感じの人です。そんな永井 博のようなイラストで連載漫画が描けるワケでもないので、次のページからはきらたかし節に戻っちゃうんですけどね。この時にテープに入っていた曲が劇中でのテーマソングのような中村あゆみさんの「翼の折れたエンジェル」だったんです。
「翼の折れたエンジェル」は85年のリリース。作中の86年では渡辺美里さんの「My Revolution」とレベッカの「フレンズ」がガールズポップスの3強になります。未だに芸能界でゴシップに騒がれてる斉藤由貴さんの「めぞん一刻」の主題歌や小林旭さんの「熱き心に」もこの年です。
ガールズポップス3強の中村あゆみさん、渡辺美里さん、レベッカは女の子のホンネを歌詞にしたことで同性の支持を得ました。中でも渡辺美里さんは売り出すプロデュースのスゴさ、レベッカは本格ロックバンドっていう感じでした。中村あゆみさんはちょっと手売りっぽい印象でしたね。楽曲のイメージ戦略も渡辺美里さんは生き方を主張する女子代表、オピニオンリーダーって感じです。ノッコは女の子の自由の象徴、お行儀悪さも夜遊びも自由っていう感じです。両者とも当時の女子の共感や憧れの的でした。自分の周囲は圧倒的にノッコ贔屓で、渡辺美里さんは女子のウケがあんまり良くなかったと思います。

 中高生など若者が音楽に接する取っかかりは、そのアーティストへ共感だと思います。音楽が好きという人は音楽性とか演奏の技巧などでしょうけど、普通のボンクラ学生たちの心をとらえるのはその歌手や歌を信用できるかどうかでしょう。
中村あゆみさんの印象はどのクラスにも一人入る勉強は全然ダメだけどにぎやかでクラスの中心た子って感じです。共感はするけど憧れはしない、楽しいけどつき合いたいタイプじゃないっていう感じです。渡辺美里さんは生徒会長なイメージ、ノッコは不良や学校からドロップアウトした人たちの代弁者ってイメージ。中村あゆみさんはクラスで一番早く牛乳が飲める子っていうイメージです。
粋がっていても外泊はできないし、クラスの勝ち組にもなれない。そんな一番ごろごろいるタイプの中高生が共感できるのが中村あゆみさんでした。このごろごろいるタイプっていうのが「ハイポジ」の作中の人物像にピッタリで、主人公やヒロインが中村あゆみを聴いてるのも納得なんでしょう。
中村あゆみさんのイメージっていうのは高橋 研さんの創り出した世界観です。
それでは作中にも出てくる「翼の折れたエンジェル」は当時、どの部分が共感されたのでしょう?
なんと次回に続きます・・・ええっ?


「ほぉ」って思ったら押してね

夏休み推薦マンガ - 2017.07.17 Mon

村上もとかさんの「フイチン再見!」全10巻です。

 今までにこの日記で取り上げてきたマンガは全てが面白い作品というわけではありません。どちらかといえば読んだけど腑に落ちない部分があるとか、はすに構えた意見が多かったと思います。ずーっとマンガブログを書いてきましたが、マンガを宣伝するつもりはありませんでした。
そもそもマンガは誰かが面白いといえば、自分そう思わなくてもその人にとっては名作なんです。作品の技術的なことや作者の信条については批判できますが、面白いかどーかに対しては他人の意見ほどくだらないモノはありません。人が食べてる寿司を横から「君の食べてる寿司は2流だな」って言われるくらい余計なお世話はないですからね。
実は「らいかの日記」にお越し下さる方々の中でマンガマニアかな?って思える人たちは、どちらかといえば少数派だと感じています。多くは普通に日々を暮らしている“そんなにマンガやアニメに関心がない”人だと思います。マンガファンの中でも趣味的な作品を追うタイプや、特殊な指向や性癖に特化したタイプなど様々です。もちろん王道な有名マンガのみを読むタイプもいます。例えば前回取り上げた「アイアムアヒーロー」はメジャー作品だけど、マンガ作品としてはかなり特殊な嗜好の作品です。この作品は残虐とかアクションとか熱狂的なファンの心を掴んだ作品と言えますが、万人に勧められるほど普遍性があるとは言えません。近年でもっとも売り上げ的に成功した作品「進撃の巨人」ですが、もっとも面白いマンガか?って問われればどうでしょう?
また「名探偵コナン」がNO1マンガという人も「ONE PIECE」が一番というマンガファンもいます。マンガには密かに対象年齢があるんですが、長期連載だとそこら辺がうやむやになってしまいます。子供の頃から読んでいた作品がまだ続いているという現象ですね。大人が新たにコナン君を読み始めるには鴨居が低すぎますね。

 すでに事実上の梅雨明けで連日30度越えの日々です。夏休みを前に涼しい部屋でマンガ三昧というのはいかがでしょう?インドアでグダグダするのがまた津の醍醐味でしょう。なにより外の暑さは危険過ぎます。そんな夏休みで一気の読めるマンガの推薦図書が今回取り上げる作品が村上もとかさんの「フイチン再見!」です。小学館のビッグコミックスで全10巻出ています。ビッグコミックスなので大人向けマンガといえますが、対象年齢は中学生以上からだと思います。主人公の上田としこさんという実在したマンガ家の一生を描いた大河ドラマですが、読者は上田としこという人物を知らないという前提で描かれていますので予備知識は必要ありません。

  ブログ画像 フイチン再見 JPEG 2

 この作品については2年前に「歴史認識を認識する」という記事で取り上げました。その時はまだ5巻まででしたが全10巻で完結しました。連載マンガの長さは連載帰還で2~3年程度、全10巻くらいが丁度いいと思います。2~3巻だと物足りなさがあり、10年以上終わらない大作は読者の意識が薄れちゃいます。読み応えを考えるとストーリーマンガは10巻という基準でもいいように思います。
前回の記事では歴史認識になぞらえて、主に戦前の日本の風俗や満州国ハルピンのリアルな表現について取り上げました。この作品は上田としこさんの生涯をテーマにしていますので、享年90歳までストーリーは続きます。
後半の魅力は作品自体がマンガ現代史になっているというところです。以前につげ義春さんを扱った記事を書いた中で漫画家協会賞なるモノがありましたが、その漫画家協会ができた経緯なんかも出てきます。特に上田としこさんは少女マンガ界の重鎮なので、歴代の少女マンガの大御所が後輩マンガ家として登場します。手塚治虫さんに一目置かれ、赤塚不二夫さんやちばてつやさんが弟扱いです。
多くのマンガ家や文化人に好かれて、現役のマンガ家として90歳まで生きた生涯のドラマは痛快そのものです。

 村上もとかさんの作風は極めてスタンダードなマンガの手法です。この作品を読むと前回の日記で取り上げた花沢健吾さんの作画がいかに描き込みすぎなのかが判ります。人物のデッサンと背景の描き込みのバランスがいいのは村上もとかさんのほうです。花沢さんのほうは描き込みマンガというジャンルのファンには評価されていますが、一般の読者のイメージするマンガの読みやすさからすれば画面がうるさいようです。
久々にマンガを読むにしてもくだらない内容はイヤだとか、説教くさい話はつまらないとか退屈な話はどうもっていう人に奨められるマンガです。1冊あたり552円なので10巻で5520円+税でたっぷり読めます。夏休みの読書感想文にも持ってこいです。自分は読書感想文の宿題を吉田秋生さんのマンガとかをとぼけて書いていました。
昭和史でもありマンガ史でもあり、女性の社会活躍のい第一人者でもあった上田としこさんの、活劇のような人生をマンガで楽しんでください。何よりこのマンガを読むと上田としこという人が好きになることは、間違いありませんからね。


「ほぉ」って思ったら押してね

1巻と22巻と18巻と - 2017.07.08 Sat

花沢健吾さんの「アイアムアヒーロー」の1巻と22巻(最終巻)です。


 この作品が伊藤潤二さんの作品だったら誰も批判しなかっただろうしマンガ界、ホラー界での最高傑作として語り継がれていったと思います。


 ビックコミックスピリッツの看板マンガで2009年から連載されていた花沢健吾さんの「アイアムアヒーロー」が完結しました。大泉洋さんの主演で映画化もされて、近年ではもっとも売れたコミックスの一つだと思います。そんな作品が完結したとあってマンガファンの間でも話題騒然になりました。あまりにも不評過ぎて・・・連載当初からの花沢健吾さんのファンや映画化から読み始めたファンはもう最終巻を読んでいるだろうし、途中で挫折した人やこの手のマンガに興味のない人は今さら読むこともないでしょう。今回の日記は軽いネタバレ有りですのでご了承下さい。
さっそくネタバレですが「アイアムアヒーロー」の最終回は『ガッカリ、ヒドすぎる、ぶん投げ、意味不明・・・』と散々なコメントが寄せられていました。8年間、全22巻もつき合わされてきた読者の怒りも相当なモンです。『ラストが「ガンツ」よりヒドい』など「ガンツ」を基準にしている人が多数なのも面白かったです。ネタバレ終わり。

 自分は花沢健吾さんの新作という予備知識だけで1巻目を読んだんですが、最後のほうのゾンビが出てきたあたりで「もう次巻からはいいや」ってなっちゃっていました。ゾンビって出オチだから最初に出た所が作品のピークだったりします。実際に「アイアムアヒーロー」は1巻が最高だったという意見も多数ありました。1巻と最終巻でこんなに評価が変わった作品も珍しいでしょう。
オープニングはさえないマンガ家崩れの英雄が日常でぐだついてる始まりです。ぐだった日常のダメ青春マンガでもいいかなって思いながら読んでいたら、1巻のラストで会いに行った彼女がゾンビ化して突然ゾンビマンガが始まるっていう展開です。オープニングから『20XX年人類はゾンビに支配されていて生き残った人々が・・・』っていう感じの雑なドラマではありません。相当周到に練られたオープニングで映画などの尺が限られている作品ではやりにくい連載マンガの優位性を活かした始まり方でした。
しかしゾンビという題材から今回のような解決できないエンディングは判りきっていました。ゾンビに限らず怪獣が出てくる作品や、巨人が塀の外にいる作品や、魔法使いが出てくる作品は初めから出てきます。ヴァンパイアとフランケンシュタインで言えばドラキュラ型です。ヴァンパイアはいるもんだという設定ですね。反対にフランケンシュタイン型は原因があって怪物が存在しています。怪物の正体はフランケンシュタインさんが作っちゃったものです。
多くのファンがこの作品を最終巻まで読んで「ZQN(ゾンビ)は結局何だったんだよ?」という疑問に答えないまま終わったことに怒ってます。自分は「ゴジラなんて現実にはいる訳ないでしょ」とか「幽霊なんて本当は存在しないんだよ」って、怪獣ファンやオカルトファンに言ってきて怒られてきました。でも誰もがゾンビなんか本当は存在できないことを知ってるハズなのにゾンビ作品等にゾンビが存在した理由を求めるのは不思議な現象です。ゾンビという普遍的な設定に謎とか解決とかを求めるほうが無意味なんでしょう。誰も何でゾンビが出現するのかを科学的に説明できないんだから・・・

 そもそもゾンビとはB級予算の映画でもお約束さえ押さえればゾンビ映画ファンに受け入れられる作品のことでした。B級作品にガッカリも意味不明もないでしょう。CGではなくエキストラのゾンビ役をぶっ放すシーンを観てヒャッホーするのが目的の作品です。そこが最大の見せ場なんだから正体とか黒幕とか精神とか宇宙人陰謀論とか、ヒャッホーに関係ないシーンの理屈はどーでもいいんじゃないんですかね?
ここで詰んじゃったのが「エヴァンゲリオン」の庵野さんです。そもそもロリコンとミリタリーオタクとロボットアニメファンがヒャッホーするためだけに作ったアニメでした。しかしアニメマニア達を煽りすぎて「・・・の意味は?」って膨らませちゃったから、もうどうにもできない状態です。どうにかする旨を庵野さんは発表したようですが、きっとどうにもならないでしょう。
「アイアムアヒーロー」の感想の中で興味深いのはZQN(ゾンビ)の全体像が具体的に見えてきたころからよむのを辞めたファンが結構いることです。ゾンビ自体が出オチなんだから後半は飽きてくるのも判ります。そーやってヒャッホーなファンが脱落していく中、最後まで読み続けてきた「結末を見届けるつもり」のコアなファンを裏切るようなラストだったようです。ラストは離島で新たなコミュニティーができましたエンドと、一人で「銀の匙」始めましたエンドの2ルートです。

 花沢健吾さんは「アイアムアヒーロー」でマンガの誌面で映画を作りたかっただと思います。過去にも大友克洋さんがマンガの誌面で映画を作ることにチャレンジしていました。これはさいとうたかおさん達がマンガから劇画へ変わった時の劇画タッチ以来の変化です。写真からの起こしによるマンガ背景の実写化、デテールにこだわった描写など。これらの表現方法はリアルなストーリーにはあんまり向きません。小説吉田学校をリアルな描写でマンガ化したところで重たくて読んでられません。より真実を伝えるのにはちょっとマンガ絵のほうが向いています。リアルがいいのならそれこそ映画で役者が演じればいいんだから。逆に荒唐無稽な作品には「アキラ」や「アイアムアヒーロー」のような写実性がリアリティをアップさせます。しかしそのリアリティのある作画には結末をちゃんと提示する義務が発生します。比較するのもアレなんですが松本光司さんの「彼岸島」を読んでいる人でガッカリとか意味不明とかネガってる人がいないのは、このマンガには説明責任がないからです。賢明な読者はとっくに読んでいないからです。

 ファンタジーなサバイバル物語の常套手段として「組織ができてリーダー(首謀者、教祖など)が現れる、敵が巨大化する、塔(高いところ)に昇る」が出てきます。ゾンビの代名詞のショッピングセンターもしっかり出てきます。今までにないゾンビ作品というよりも、今までのゾンビ作品をより高画質にした作品っていう感じです。きっと作者がゾンビ大好きなんでしょうね。当たり前ですが。この作品には「ここで終われば半分の人は納得出来たかもしれない」という最終回のチャンスが1度だけありました。それは18巻でヒロインの比呂美とエッチしちゃうシーンです。ここで英雄も「エッチしたことだしZQNなんかもういいや」っていうエンディングだったら傑作になっていたのかもしれません。今でも傑作マンガという称号なんでしょうけどね。
ある意味、英雄らしさを逸脱しない責任感のない投げっぱなしですが、別に35歳の主人公が人間的に成長する話が読みたい読者なんかいません。鹿を喰って終わるよりはよっぽど最終回っぽいです。どーせゾンビがどーなろうと関係ないシナリオだったんだから・・・
花沢健吾さんの次回作に対しては「もうなにも期待しない」とか「2度と読まない」といった怨み節なコメントもあるようです。せっかくの画力を普通の人々の世の中のマンガに使うと前作の轍を踏むことになっちゃうし、ファンタジーを描くと「アイアムアヒーロー」の読者は読まないでしょう。メッセージ色の強い社会派なマンガを描くと佐藤秀峰さんと被っちゃいます。そういえば花沢健吾さんと浅野いにおさんと佐藤秀峰さんは、3人が合体して一つの集合体になってもいいんじゃないかな?
背景の資料も共有できるだろうし・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

耐久レースの耐久力? - 2017.06.24 Sat

ル・マン24時間レースです。

 世界の3大ローカルレースはインディ500、ダカールラリー、そしてル・マン24時間レースです。インディ500はアメリカのインディアナポリスにあるオーバルコースをインディ・カーでグルグル廻る単純明快なアメリカン・レースです。佐藤琢磨さんが日本人で初優勝して話題になりました。インディカー・シリーズの1戦なんですが、アメリカ人にとってはこのインディ500のみスーパーボール級に別格の扱いです。
ダカール・ラリーは以前はパリ・ダカの愛称で日本でも馴染みのラリーでした。現在はアフリカが治安上危険過ぎるので南米ルートで行われています。もうダカール関係ないんですよね。世界3大レースといえばダカールラリーではなくてモナコ・グランプリを指すのですが、モナコ・グランプリはF1のスケジュールに過ぎないのでローカルレースではないでしょう。
そして何よりもヘンなレースがル・マン24時間レースです。世界耐久選手権WECの3戦目にあたる大会なんですが、WECの1~2戦はル・マンのための予行練習っていう感じです。

 ル・マンの歴史では過去にフェラーリ対フォード、ポルシェの黄金期などがあり、現在はハイブリット車の時代になっています。Cカー時代には打倒ポルシェ962Cとしてトヨタも日産も本格参戦しましたが、ポルシェを破ったのはジャガーやメルセデスで、日本勢で唯一マツダが1991年に総合優勝しています。バブル崩壊と共に日本車メーカーはル・マンから撤退しましたが、トヨタの社長にモリゾウが就任したおかげで2012年からトヨタが復帰するようになりました。
トヨタとしては2016年に中嶋一貴選手の「NO POWER ! 」が伝説のセリフになるゴール3分前で優勝から転がり落ちた経験があります。最終ラップ直前でトップだったトヨタと2位のポルシェが1分14秒差しかなく「栄光のルマン」を彷彿するような記憶に残る大会でした。リザルトは1位ポルシェ、2位トヨタ、3位4位アウディというとてもコンペティティブなレースだったと思います。
今年はそのリベンジということでトヨタはかつてないほど本気でル・マンに乗り込んできました。モリゾウさんのご厚意でスカパー24時間以上完全生中継、ネットでも無料で視聴可という大盤振る舞いです。24時間レースを24時間観ることができる時代が来るとは思っていませんでした。
そんなモリゾウさんも現地入りした御前試合だったんですが、結果はポルシェの3連覇という幕切れでした。トヨタは通算22回出場して今だ優勝なしという結果です。しかも今年は絶対に勝つという体制で臨んでいたハズでした。

 去年が「栄光のルマン」級の名勝負だったとしたら、今年のル・マンは希にみるしょっぱいレースでした。トップカテゴリーのLMP1クラスの出場が6台で、最初から1台はオマメ扱いでした。内訳はトヨタ3台、ポルシェ2台、その他1台です。2015年の14台、2016年の9台とエントリーが減り続け、近年のル・マンを引っ張ってきたアウディチームが完全撤退という寂しい大会になっちゃいました。何台出てもどうせ勝つチカラがあるのはポルシェとトヨタだけなんですが、レース大会というのはそーいうモンじゃありません。陸上で例えればスーパー陸上の100メートル男子にエントリーしている国がジャマイカとアメリカだけっていう感じです。陸上トラックは10レーンあるのに選手が5人しか並んでいなければ、観客はシラけちゃうと思われます。このエントリーしないというコトがこのレースの結果に影響しちゃいました。少数先鋭なエントリーだった今年のル・マンでしたが6台全部が壊れるという前代未聞のマヌケな結果に終わりました。

 トヨタは7号車の小林可夢偉さんのポールポジション奪取で始まりました。そうそうに8号車がモーターとバッテリーの交換で2時間のピット作業で脱落。7号車が偽マーシャル事件でクラッチ損傷でリタイア。直後に9号車が車線変更時後方確認不足で接触、首都高レベルの交通事故でリタイア。
ポルシェも序盤から2号車がギアトラブルで1時間のピット作業で55位まで後退。1号車はトラブルフリーでトヨタ勢を僅差で追走し、トヨタの自滅によってトップになりました。レースは翌日の朝を迎えて「さすがポルシェは壊れない」安心させといてのまさかの油圧低下でリタイア。この段階でカテゴリーが下のLMP2クラスのトップだったジャッキーチェンチームが1位というジャイキリ状態。ポルシェの2号車が性能差でまくり、わずか1ラップ差で総合優勝に滑り込みました。
総合2位はジャッキーチェンの唐草模様の38号車。3位も繰り上げで唐草の37号車でした。このチームは元アウディのドライバーだったオリバージャービスとジャッキーチェンの共同オーナーです。

 結果論ですが今回のレースで勝敗を分けたのはクルマの速さやドライバーの腕ではなくてピットクルーの仕事の早さでしょう。モーター交換に2時間かかったトヨタと、ミッション修理に1時間かかったポルシェのピット時間が明暗をわけました。そもそも耐久レースというのは壊れるような過酷なレースで壊れないクルマを作ってくる競技です。早くクルマを直すことが目的ではありませんよね。トヨタチームの驕りは3台体制だったからハイブリットシステムが壊れた8号車を、「ゆっくり直してコースに戻ればいいや」っていう気持ちでレースから除外しちゃったことでしょう。それだけ7号車が勝てると信じていたんでしょうけど。
トヨタは今回の結果を公式に「悪夢だった」と振り返っています。自分たちのクルマには勝てるチカラはあったが運を味方にできなかったということでしょう。モリゾウもへこたれていないようです。でもトヨタは運に左右されすぎっていう印象です。「運良く勝った」というのはアリですが「運悪く負けた」っていうのは勝負事ではダメでしょう。
もしLMP1クラスにアウディなり他メーカーなりがエントリーしていたら、そのクルマは遅かろうが
 
 繰り上げで優勝できたでしょう。ちゃんとレースができていたLMP2クラスは総合優勝のチャンスでしたが、LMP1クラスは性能に下駄を履かせてるので叶いませんでした。いっそLMP2クラスをトップカテゴリーにしたほうが偉大なるローカルレースという感じでいいと思うんですけどね。
今年のル・マンでもっともコンペティティブだったのはLM-GTE Pro クラスのアストンマーチン対コルベットの米英対決でした。最終ラップまで闘って最後に勝負に出たコルベットが玉砕して3位になっちゃったのですが、2位のフォードGTも含めて24時間レースをしていた「栄光のルマン」大賞に値する感動でした。コルベットこそグッドルーザーでした。
24時間レースの完全中継ってそんなモン観ていて飽きないのか?って思っていましたが、由良さんや二郎さんの耐久レースアルアルなどのダベ話は結構楽しいもんでした。貝島さんの話もなんか偉そうで面白いです。エイミーの間の悪さも臨場感というか・・・
全てのアクシデントは何だかんだで中継で観ていましたが最後にポルシェの1号車が独走してからはJリーグを観に出かけちゃいました。サッカーはチンチンに負けちゃったんですが、帰ったら2号車がトップになっていてありゃ?って感じでした。


「ほぉ」って思ったら押してね

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ