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2018-04

前前前世の続き - 2018.01.20 Sat

新海誠監督 長編アニメ「君の名は。」の続きです。

 前回の記事は『自分にとって「君の名は。」は予想外のヒットだったんですが、作品をテレビで観たらヒットした理由も納得できました・・・』という内容でした。それまでの新海誠さんの過去作にはあんまりな印象しかありませんでした。「期待値ゼロ、むしろ何で世間は絶賛してるんだ?」くらいのスタンスで観ました。そーいう先入観はダメなんだと自己反省ですね・・・

 過去にこの作品と同じような世間の評価を受けた日本アニメ作品は「サマーウォーズ」だったと思います。両作品ともそれまでのアニメファンにのみ評価されようとする作品とは違う、一般向けも意識した感じがしました。でも「サマーウォーズ」はそんなに面白いかな?っていう感想でした。リアルな日常表現や設定は従来のアニメとは一線を画すっていう監督の意図が鼻につく印象でした。結局はアニメファンだから許されるようなドタバタやアニメ的なお約束に基づいて作られたクライマックスっていう感じだったです。「サマーウォーズ」の細田守さんはアニメファンへ日和った反省からか、次回作の「おおかみこども・・・」や「バケモノの子」などアニメファンのアニメ的な期待をことごとく裏切る作品を発表してきました。しかしアニメファンに迎合しない姿勢は、新作発表ごとにアニメファンの期待値を下げていくという結果になっちゃってる印象です。もう次世代を担うアニメ監督は細田守さんじゃないでしょう。

 新海誠さんはアニメファン向けっていうよりも、新海誠ファン向けに作品を作ってきました。特定のマニア向けの作品は観ないけど、新海誠作品だけは評価する人も多いようです。新海誠作品はアニメのクオリティーには疑問があろうと、新海誠らしさという謎のブランド力のおかげで成り立っていたと思います。
「君の名は。」が成功した要因のトップはストーリーや演出の根幹の部分を製作委員会という“みんなでアイデアを出し合う方式”にしたことです。シナリオや作画背景、音楽、俳優(声優レス)とその筋のプロフェッショナルにお任せしたことが作品の見栄えをよくしました。新海誠さんが一人で考えていたら、こんなに上手くいかなかったような気がします。逆に言えばこの企画、スタッフがそろっているのなら、細田守さんや米林宏昌さんが監督になっても同じような作品になったでしょう。もしかしたらジブリの老監督たちが10年前に全員引退してたら、ジブリで米林宏昌さんが撮っていたかもしれませんね。それくらい新海誠さんが作る必然性を感じさせない作品って感じです。多かれ少なかれ新海誠節が押さえられる結果、ヒットにつながったのは事実です。その代償なのか一番のよりどころだった新海誠らしさが一番薄い作品になっちゃったようです。

 この作品がよく考えられて作られていると思えるのは「やり込み要素」が多いところです。やりこみ要素とはゲームソフトでクリアした後も遊べることですが、コレは同時期に公開された「シン・ゴジラ」にもいえることでした。初見で観て終わりではなくて、くり返し観ることで気がつかなかった伏線とかセリフの裏読みを探す楽しみです。「まどか☆マギカ」や「進撃の巨人」など話題になった作品は、わざと理解できない情報量で「作品の内容が濃い」と思われたがる傾向にあります。1度観ただけでは全ての意味が判りきらない作品はアタマがいい人向けっていう、映画やアニメファン特有の思い込みがあるみたいですね。本当は1度で全部理解できるように演出することが、監督の求められる力量なんですけどね。

  ブログ画像 君の名は。2 jpeg

 興行的にも成功し多くの観客が満足したんだから今作は言うことないんですけど、なんか腑に落ちない感じですよね。前回の記事では「よくも悪くも良く出来た作品」であって、「よくも・・・」の部分が製作委員会システムによる大資本アニメによるモノっていう結論です。ちなみに製作委員会システムと似て異なモノなのが「この世界の片隅に」のクラウドファンディングです。「この世界・・」は監督が撮りたい作品に企業が金を出さないから、この監督の作品が観たいという一般のファンが出資を買って出るシステムです。だから監督が撮りたい内容は“決して変えてはいけない”ことになります。今回の作品でも新海誠さんのポリシーだった「主人公はクライマックスでヒロインと出会えない」というのが、出資企業の圧力?で再会するエンディングに成り下がっちゃいましたね。
腑に落ちないのは「よくも悪くも・・・」の「悪くも・・・」の部分がのどに引っかかってるからで、実際に公開時にも大絶賛の陰で飲み込めずに口の中でもぐもぐしてた人も多かったようです。
大絶賛組でも否定的な意見の人の指摘にはぐうの音も出ないところがあります。否定的な人の言い分は『物理的、考証的、作画的、演出的におかしい』というモノばっかりだからです。そーいう不具合でも今までのアニメになれてる人には「神作画、神シナリオ」ってなるんだろうけど、やっぱり「ヘンなモノはヘン」という人もいます。有名な「何故その場所の事件を忘れる?」も、大絶賛に人たちだって「そんな事実はありません」って言っているわけじゃないんでしょう。作品の価できるポイントを数える加点法と、ヘンな部分を数える減点法があります。どんな作品にもよい部分と悪い部分があるんだから加点でも減点でもいいんですが、いいところがあるんだから悪いところを気にする必要はなしとはなりませんよね。今回はプラ・マイでマイナスになった人に向けた記事になります。大絶賛した人にはオススメ出来ない内容です。まだ観てないけど観る気はある人も、今回は本気のネタバレなのでオススメいたしません。

 
 あくまでも大ヒット作なので「つまらない」と言うほうがマイノリティーなんでしょう。でも面白さは多数決じゃないんだから個人的に腑に落ちない部分は譲れません。楽しめた人にとっては気にならなかった重箱のスミのようなことばっかりだけど、あえてヘンなところを上げるとしたら・・・という感じで羅列してみます。

「君の名は。」の腑に落ちなかった部分

対象年齢が低め。
ストーリーの中のウソの設定の数が多すぎる。
組紐がよく判らない。
日常シーンのチープさ。アニメ的なお約束シーンばっかり。
前前前世の使い方が思っていたのと違う。
可愛いと思えるキャラが出てこない。
モミモミするシーンがクソ。

ネットなどで上がっているアンチ派の意見と被るところも多いですが、主人公が災害の地を覚えていないのはおかしいとか、彗星の軌道など作画の間違い探しなど有名どころの指摘は省きます。個人的に演出上のハテナ?だったりガッカリだったりした部分だけクローズアップしてみました。

 ※ 対象年齢が低め…

コレは一番強く感じたことです。公開時の雰囲気では子供から大人まで全年齢を対象にした作品って印象がありました。アニメだけど大人が観ても楽しめるっていう評判だったと思います。前回の記事でも書いた通り新海誠さんの中学生っぽさは、制作委員会のおかげでかなり薄まってました。
ピクサーのように子供向けに作られた作品と言い切ってくれれば、その中に大人にも飲み込める食材が入っていたりすると「なるほど、思ってたよりいいな」って感じます。逆に子供の大好きなメニューを並べて「さぁ、大人気メニューですよ」って言われても、甘いハンバーグや甘いナポリタンばかりだと喉を通らないでしょう。
「君の名は。」では高校生の視点から見た「政治をなりわいにする大人」や「きれいなお姉さん」や「習わしを教えてくれるおばあちゃん」しか出てきません。主人公たちが成長して社会人になった姿は、やっぱり高校生の視点で描かれた「大人になった高校生たち」って感じです。一人称だけでシナリオを作るのは若い世代の作家にありがちなことだと思います。傲慢な展開が自己主張だと思ってる世代では、自己中心的な話にどうしてもなりがちです。この作品でもいろんなエピソードが詰め込まれていますが、気になるのは主人公の自己中心的なセカイに物語が終始するところです。
日本のスタンダード・ストーリーの「桃太郎」は、主人公の一人称(都合)だけで物語が進みます。これは子供に読み聞かせるストーリーのボリュームだからこれで正解です。でもこのお話を大人の視聴に耐えられるようにするには「鬼を退治する理由」を明確にしなきゃいけません。そこには鬼に苦しむ村人や行政側の視点も必要になります。この視点を取り入れて怪獣映画を大人の視聴にも耐えられる作品にしたのが円谷英二さんの「ゴジラ」と庵野さんの「シン・ゴジラ」です。

 ※ ストーリーの中のウソの設定の数が多すぎる。

物語とは「創作という作り話」のことをさしているので、ウソのストーリーは問題ありません。でも一つのストーリーでついていいウソは一つまでだと思います。例えば『何らかの理由でゴジラが出現する』というのは「そんなことあるわけないじゃん」とはなりません。でも『謎の組織が密かに怪獣を作って破壊活動をする』というウソも一つのウソです。たまたま同じタイミングで偶然ゴジラも出たし秘密結社の怪獣も出たっていうのはうそが多すぎますよね。近年の「クライマックスで真実が明かされる」という感じのシナリオも。ウソ(作り話)を増やしてるだけのことです。でも、こーいうウソ(設定)の上重ねは、物語を盛り上げたい一心なので否定ばっかりではありません。
「君の名は。」の中のウソ設定は『男女が入れ替わる』『1000年に一度の彗星と隕石落下』『宮水神社の神事』等々…そこに『入れ替わりは3年のタイムラグがある』とか『突然入れ替わらなくなったり、口噛み酒で再び入れ替わったり』などストーリーを正当化するためのウソの上重ねなどですね。
偶然こっちには怪獣、あっちにも怪獣というストーリーはお子様向けですよね。結果として入れ替わりも隕石も1000年も口噛み酒も一つの物語の中に集約されるんですけど、普通に観てる人にとってはこれらの設定を関連づける演出の工夫がほとんどありません。理解できない人はもう一度観るか監督のインタビューや関連本を読んで設定を調べて下さいっていう感じですよね。
そもそも男女入れ替わり(とりかえばや)がやりたいのか、隕石パニックサスペンスがやりたいのかも定まっていません。大きく分けると「入れ替わりパート」と「三葉を探すパート」と「隕石パート」になります。隕石パートはコレがないとストーリーが終わらないって思ってる人の定石です。それゆえにもっとも陳腐なクライマックスだと夏井いつき先生も言ってました。(ウソ)

 ※ 組紐がよくわからない…

演出意図とか云々ではなくて、組紐というものがよくわかんなかったということです。宮水神社の名物とかお土産として娘たちが作らされてるのか、神具として奉納されるのか?ウィキによると仏具とあるから神社はどーなの?って感じがするし… 間々田紐は下駄の鼻緒に使われる工芸品です。
瀧クンの手首に巻いてある組紐はミサンガにしか見えませんでした。原画の人が組紐のイメージがなかったのかな?ばーさまの「より集まって…」というセリフが撚り紐(ロープ)と混同しそうです。写真で見るイメージしやすい組紐は帯留めですけど、アニメの中の組紐と違う感じなんですよね。

 ※ 日常シーンのチープさ。アニメ的なお約束シーンばっかり…

王道の青春アニメとしたら学生生活やバイトの日々を謳歌してるシーンが不可決です。そーいう主人公と友達のやり取りが盛り上がんないのが致命的だと思います。とくに三葉の側の土建屋の息子とか瀧クン側の屋上組たちは笑わせるくらいのシナリオが必要でしょう。彼らとのやり取りで盛り上げられないのは面白いアニメとは言いにくいです。ドラマ冒頭の糸守町でカフェを探すネタは『この作品は特別笑える作品ではないので、ストーリーの深刻さを楽しんでください』っていう宣言のようなつまらなさです。監督や脚本が「面白いことを言い合ってる主人公たち」っていう設定でコンテを引いてるようじゃ面白くなるはずもありません。
ほとんどのアニメ演出家やアニメファンが勘違いしているのは、日常のシーンを日々の行動の切り取りで表現しようとすることです。だらだらと付き合うクラスメイトとシーンで、文字通りだらだらと実のない会話で関係性を表現しちゃうんですよね。アニメファンもそれに慣れちゃってるからだらだらとした会話を『日常をリアルに表現してる』って評価しちゃうところがあるみたいです。
押井さんや宮崎さんは作品に合点がいかないことも多いですが、彼らの若いころの作品の凄さはアニメで笑わすシーンは全力で笑わせにいきます。最近のアニメーターのような面白いという設定のシーンを置きにいくようじゃダメなんでしょう。

 ※ 前前前世の使い方が思っていたのと違う…

これはもう単純にそう思っていただけですが、CMでかかっていた「前前前世」はクライマックスの一番アガるシーンで流れると思っていました。実際はとりかえばやのシーンがはっきりしたところから入れ替わりのダイジェストのシーンに流れます。曲が流れてる間にバスケで活躍する三葉や先輩とデートする瀧クンなど… 先ほど書いたアニメで全力で笑わせに行くシーンです。
この作品で観客が観たいモノは何でしょう?隕石から村人たちは救えるのか?瀧クンが先輩と付き合いるのか?宮水神社の謎と伝承について?市長選の結果…?全部違います。観客が観たいのは男女が入れ替わるストーリーでしょう。だってそーいう宣伝してたから。男女が入れ替わるラブストーリーだと思ったから観るんであって、自己都合で考えた原理や入れ替わりの法則やタイムラグなんかはどーでもいい設定なんです。何で?という疑問よりも男の子になった女の子や女の子になった男の子のお話が観たいんです。それがまさかのダイジェスト。しかも宣伝のまんまって感じです。それこそ隕石なんかは曲中の3分でサクッと解決してもいいくらいありふれた話です。隕石が…とか、最終兵器が作動する…とか、そんなありふれた展開に時間を割いて何でとりかえばやを描かない!ここは素直に男女入れ替えに時間を割きましょうよって夏井いつき先生も言ってます。(2度目の登場)

 ※ 可愛いと思えるキャラが出てこない…

これは三葉を可愛いと思うかどうかによりますが、アニメっぽいキャラにしか見えないです。妹は典型的なしっかり者の小学生というアニメワールドのレギュラーです。瀧クンは過去の新海誠作品の主人公のような同じコミュニティにいても絶対に友達にならないタイプほどではありません。でも自らが面白いタイプの主人公ではありません。
脚本の基本設計に女性がいない感じです。男目線でぼんやりイメージした女子キャラ。古典の先生とか先輩女性は最たるモンでしょう。新海誠さんは女性キャラに魅力が無いから作品に魅力を感じないんでしょう。ストーリーが大ざっぱなんだからせめてキャラで頑張るべきなんだけどね…
奥寺先輩は唯一可愛いと思えそうな位置づけだったんですが、バイト仲間と一緒に瀧クンと糸守町へ行くシーンで、深刻な瀧クンとの対比で観光気分ではしゃぐ奥寺先輩に幻滅でした。キャラがぶれてるようにしか見えないです。何でそこで全力で笑いを取りに行くんだ?そこは違うだろ!

 ※ モミモミするシーンがクソ…

このシーンがこの作品のすべての評価を決めるところです。三葉に入れ替わった瀧クンが朝起きてモミモミするシーンですね。現実にあーなった時のリアクションだとウソ臭いし、観に来た男子が期待したシーンはあんなモンじゃないハズ。小さいお子さんも観にくることへの配慮だったらR指定にすべきです。むしろ小さいお子さんだっていろんなことをしますよ… 
それがあるからこそのとりかえばやでしょ?シーンはオブラートやモザイクに包んだとしても、そっちな展開は必要でしょう。何でできもしないとりかえばやを題材に選んだのか?ここらが対象年齢の低さなんでしょうね。

 この作品は変電所を爆破した段階で自分の評価はゼロでした。防災無線をオモチャにするアイデアも不快でした。1000年前に隕石が落ちたことと、地震や津波が歴史上繰り返されていることがごっちゃになってるみたいです。
いろんな設定が組紐のように絡まってるイメージの作品を作ったんでしょう。ややこしい設定は制作側の都合でややこしくなってるだけです。「2度観たくなる」というのは当時の映画評で多く聞きました。何度も観ればややこしさも解読できるのかもしれませんが、2度も観るのは面倒っていう人には通用しない言い分です。観客が鑑賞中に「アレ?」とか「どうして?」とか思った瞬間にその人の頭の中は作中の世界から現実に戻っちゃってます。興ざめという現象ですね。本当に引き込まれるストーリーとは、疑問に思う瞬間だどないくらいにストーリーがカラダに入ってきて、違和感なく観終わったあとに「考えてみるとあのシーンって…」と味わえるもののことでしょう。


「ほぉ」って思ったら押してね

君の名は。と叫ぶ - 2018.01.13 Sat

新海誠監督 長編アニメ「 君の名は。」です。

 『知らない者同士がお互いに知らない場所で生きていて、もしかしたら二人は出会うかも知れない存在。現実には会えない、でも何らかのカタチで触れあう・・・単純だけれどそんな物語を作りたい』

これは新海誠さんがオフィシャルサイトでインタビューに答えている「君の名は。」を制作する動機です。実際に作者が「何故、その作品を構想したのか?」は、作品のテーマやメッセージは何か?と同じくらいにどーでもいいハナシです。自分は「君の名は」という日本のクラッシックなフレーズを膨らませたんだと思っていました。
 この作品は2016年の夏に公開された劇場オリジナルアニメで、日本での興行成績は250億で歴代4位とのことです。同時期に庵野ゴジラも公開されていましたが、こっちは53億円ちょいでした。同居人が買った「シン・ゴジラ」のBlu-rayが家にあります。でも観てもけなすだけだろうから観ていませんし、今後も観るつもりはありません。「君の名は。」はお正月の地上波初オンエアを、おとそ気分で観ましたけど、やっぱり地上波初の「シン・ゴジラ」は観ませんでした。Blu-rayが家にあるしね・・・
「君の名は。」は初見だったんですが、普通の初見とはまったく状況が違っていました。この作品は大ヒット作なので、事前情報をたっぷり聞かされていたんで、どんな内容でどんな展開かイメージトレーニング済みって感じです。この日記で取り上げるのも「何周遅れだよ」って感じですし、今さら観てないけど楽しみにしてる人もいないでしょう。マンガのネタだったらストーリーを踏まえずに書くことも可能ですが、アニメはどうしても観た前提の話になっちゃいます。あらすじ的なモノを載せますが、NGの方は飛ばすなりして下さいませ。

「君の名は」のあらすじ
『昭和25年5月24日の大空襲の夜、銀座 数寄屋橋の上でお互いを助け合った春樹と真知子は半年後の24日の夜にこの橋の上で再会を約束する。しかし真知子は現れず縁談のため佐渡ヶ島滞在していた。1年後の24日に再会をはたすが、時すでに遅く真知子が結婚する前日だった・・・』映画.comより参照

  ブログ画像 君の名は。JPEG

 アニメの「君の名は。」は、いにしえの「君の名は」とはまったく関係ない作品です。宣伝費をつぎ込んで話題先行っていう感じでしたが、興行成績も庵野ゴジラを押さえて大成功した作品です。久々のメジャー成功アニメだったので、ストーリーと共に作品の批評も耳に入っていました。否応なしにネタバレって感じです。
自分は過去の新海誠アニメには共感したことがありません。新海誠の名を世に知らしめた「秒速・・・」の、山崎まさよしさんのミュージックビデオ部分だけは評価する人も多いです。新海誠さんを「繊細な表現」と評するファンも多いですが、繊細なのは雲のシーンだけっていう感じですよね。シナリオやキャラの表情、演技、人物の動画などはからり大ざっぱっていう印象です。アノ山崎さんの曲はアニメの踏切のシーンが無くったって名曲だと思っています。
「君の名は。」の公開年度の評価は観客数に比例して好評価でしたが、人気作だから傑作という短絡的な言い分も飲み込めませんでした。「ヒットした作品を批判するのは・・・」っていうフレーズを目にしますが、作品の評価を他人の多数決に委ねちゃう人の言い分ですね。
散々言っといて何ですが、今回の「君の名は。」を観た感想は『とてもよく出来ている!』です。
ネタバレも含めて想像(覚悟?)していたのとは違っていました。むしろ公開時に劇場で金を出して観た方々の絶賛が正しかったんですね。近年はアメリカのポリゴンアニメに押されっぱなしだったけど、やっと日本でもディズニー、ピクサーに対抗できる品質の作品が出たっていう感じです。アニメや映画が斜陽と言われる時代に、現状の商業アニメでこれ以上の結果を求めるのは難しいくらいに価値のある作品でしたね。

 アニメは商業アニメと芸術アニメに2極化しています。これはプロ・アマとか大手かインディーズかではなくて、観てもらうことを前提にしているかどうかで決まります。芸術アニメは観てもらうことよりも作者の芸術性を満足させることが重視された作品です。彼らにとっては「意味不明」とか「つまらない」は褒め言葉です。芸術を理解できない一般のアニメファンに作品が理解されることは、アニメ作家自身の芸術が大衆迎合の証になっちゃいます。国際アニメとかフランスアニメがコレになります。
商業アニメの中にも芸術アニメ的な考えさせる要素の多いアニメもあります。アニメに慣れていない人には「一見さんお断り」っていう感じの作品です。極端に性的指向(キャラの年齢など)が片寄っていたり、アニメファンの内輪ウケが前提な作品など。これらの作品は「芸術的な何か」が一般のアニメファンにウケないんじゃなくて、アニメのマニアックな部分が一般の感覚に認められないからマイナーなんですね。実際に無名な深夜アニメでも一定数のアニメファンは観ています。

 新海誠さんはゲーム制作会社からの脱サラして、自主制作アニメの一般公開からのし上がったアニメ監督です。前記の通り新海アニメを面白いと思ったことはありまんでした。でもそのつまらなさというのは新海誠さんの芸術性が凡人な自分には理解出来ないというタイプではなくて、アニメファンをよくリサーチした感じがしていました。「雲でしょ?美少女でしょ?内気名少年でしょ?SFでしょ?大人の女性でしょ?雲でしょ?」って言う感じです。子供に「ハンバーグとナポリタンとクリームシチューと・・・」って感じです。「あんたらコレが好きなんでしょ」っていうアニメ作りを舐めきった雑なアニメ作品がイヤだったんです。ややこしいのは新海誠作品が普通の商業作品よりも何倍も丁寧に作られてるように見えるんです。丁寧かどうかでいえばテレビアニメなどがやっつけ仕事すぎるのも原因じゃないのかな?
それでは今回がどうして良くなったのでしょう?それは今回の作品を考えたのが新海誠さんじゃないからです。原案や企画段階で考えたのは新海誠さんに違わないんですが、最初の「ほしのこえ」から一貫して原作・脚本・演出・・・とクレジットされてきました。コレこそ新海アニメと言われる由縁でしょう。普通はこの「全部、自分出考えました」っていうタイプは、アニメに詳しいファンに向けて作品を作っちゃうモンです。処女作の「ほしのこえ」なんかは典型的なアニメファン向け作品です。作品は常に主要なアニメーションの賞を取っていて、アニメ賞=一般に伝わらないという図式ながら着実にメジャーアニメ監督の道を進んできました。しかし知名度といってもアニメファンが知る所の知名度に過ぎません。まだまだ宮崎駿さんや庵野さんほどのモンじゃありません。新海誠さんはどっぷり商業アニメ指向なのに端から見れば芸術アニメ作家にうつっていたんでしょう。
転機になったのは「君の名は。」が製作委員会になったことです。それまでは新海誠さん」自身のリスクで作品を作ってきたんですが、製作委員会はファンドを募ってリスクを回避するほうほうです。リスクを回避するというコトは出資者が全員平等に潤う事を目的にしています。したがって金を出した人たちには基本的に口も出す権利が発生します。近年の映画屋アニメはほとんどがこーいう大人の事情が発動して監督やファンが不本意な作品になっちゃう事が多々ありました。新たな資金調達の方法で注目されているのが「この世界の片隅で」のクラウドファンディングです。こっちは「作品を作りたいから、観たい人は金を出して」っていう感じです。リターンを期待するのが本来のカタチなのかも知れませんが映画やアニメではその作品を劇場で観せてもらう事が最大のリターンっていうイメージですね。

 製作委員会というのは作品の個性を奪うシステムだと思っていました。しかし「君の名は。」はこのシステムのおかげでヒットした新しいケースになったと思います。最大の功績はストーリー作りに新海誠さん以外のスタッフが入ったことです。特にプロデューサーの川村元気さんなど東宝スタッフが利いていたんだと思います。そのせいで作品全体がかつての新海誠作品ではありえないほどアップテンポになりました。シーンにはすべてベクトルが加わり、主人公など主要キャストもハキハキと喋るようになりました。中学生が想像で書いたようなハズカシイセリフもかなり自粛された感じです。
作画もジブリの人を引っ張ってきたので、それまでの作品の「空のシーンはスゴいけど歩いてるシーンがヘン」というようなことは無くなりました。
この作品を観た新海誠ファンの中で「普通っぽい」とか「新海誠っぽくなくてガッカリ」っていうのは多くの大人たちが集まって考えた作品だからでしょう。ストーリーを合議制で作ろうとすると一番当たり前のアイデアに落ち着いちゃうモンです。
自分が新海誠作品が苦手な理由は観ていてハズカシイからです。誰もが破り捨てたハズの中学時代に書いた「俺ノート」を、今さら見せられるような恥ずかしさです。中学生が語る愛とか人生とか真実や裏切りや諸々ってハズカシイじゃありませんか。それを語る作品を観るのもハズカシイんですよね。大人が語るシーンでも酒を飲んだりタバコを吸ったりしながら語るんですよ。アニメだからそういうのがないと大人にならないけど、そーいうのを語ってる思考パターンが中学生っぽいからハズカシイんです。誰もが中学生の頃、自分のノートに書きつづったようなハズカシイ心の叫びを劇場で一般公開するなよって感じです。多くのアンチ新海誠な人々はこの羞恥プレーに絶えられないんでしょう。「新海誠アニメの作品のテーマが素晴らしい」っていうファンもいますが、それは未だに中学生な思考なのかな?って思ったりします。現役の中高生はいいんですよ。現在進行形で俺ノートを書いてるんだから・・・


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ブログ復活によせて - 2018.01.06 Sat

「ソロモンよ…わたしは帰ってきたぁぁぁ…」By ガトー

 新年おめでとうございます。ご無沙汰いたして申し訳ありません。ご機嫌いかがでしょうか?松も取れた頃になって、何を今さらって思われるでしょうが「らいかの日記」は復活しました。

 2017年の11月3日が最終更新日で、それ以降の沈黙でしたが、ブログが止まった原因はブログ用に使っていたパソコン“SONY VAIO”が不調だったからです。パソコンは2台体制なんですが、エプソンの“超高性能パソコン”は主にお絵描き専用モデルのため、ネットでの使用は原則NGにしています。ネットでの検索やブログのUPなどはVAIOを使っていたんですが、2011年に買ったのかれこれ8年弱は使っていました。
本来の使用目的は当時ちょっとだけ流行ったテレビパソコン(死語?)だったんですが、肝心のテレビパソコンのソフトが壊れちゃいました。けっこうイージーな気持ちで「伝家の宝刀 リカバリーディスク」を抜いたんですが、パソコンが8年前に戻ったとたんにインターネットが出来なくなってしまいました。元々はテレビが観えなくなったという理由でリカバリーしなんですが、ネットが出来なくなるというのは本末転倒です。
そもそもブログを書くことと「ブラタモリ」を録画することとサッカー情報をググるくらいしか使っていなかったんです。サッカー情報はスマホでこと足りますし、録画もBLデッキで問題ないです。ただブログを書くのだけが「どうしようか?」状態でした。試しにスマホで記事を書いてみましたが、自分にはとても無理でした… ケータイ小説って言葉が流行ってましたが、スマホで小説のような文章が書ける人がいることにビックリですよね。

 思うところもあって、しばらくブログの更新も閲覧もお休みしていたんですが、何かを書き続けるということは自分にとっていい習慣だったんだと気づかされました。こんなブログでも書くことで思慮が深まるし、テーマを真剣に調べる癖がつきました。何よりもせっかく続けてきたブログだから投げ出すのもどーかな?って思っています。
正月休みの2日3日を箱根駅伝を観ながら再リカバリーに挑戦し、あっちこっちのサービスセンターへ電話して本日やっと復旧しました。SONYよりもマカフィーのお姉さんのほうが助かりました。最後はマカフィーのお姉さんに「control you have」で遠隔操作で設定してもらいました。パソコン内のデータは何もかも失って、ちょー軽くなりました。

 拙いブログながら再開したいと思いますので、またご愛顧?よろしくお願いします…です。


「ほぉ」って思ったら押してね

お蔵入りしていました - 2017.11.03 Fri

谷川史子さんの「はじめてのひと」について書く予定でしたが予定を変更しております…

 ブログの更新間隔が空いちゃいまして、広告が出る恐怖からあわてて更新いたします。この「らいかの日記」はダラダラと続けていましたが、月平均で3~4回くらいの更新を目処に書いてきました。基本は時事ネタよりも表題のマンガブログになるべくそった話題で書くことと、よそ様の意見のまとめ記事にはならないよう心がけて参りました。なるべく新刊を取り上げてネタバレで迷惑がかからないように数ヶ月のタイムラグを儲けるようにしていました。したがって書きたいテーマがあっても寝かせてる間にうやむやになっちゃうことも多いです。
このブログの前身はマンガを描こうという志しの人たちの交流の場に向けた「マンガの技術論」に特化した内容でした。訪問してくれる人たちもオリジナルでマンガを描こうという人たちが多かったです。実が伴っていませんが「マンガを読んだり描いたり」というのは一応そういう意味です。マンガレビューなどの新刊紹介や感想を書く目的でもありません。むしろ「読んで感動した」とか「この作品は読むべき」などはどーでもいいんです。マンガの演出におけるテクニカルな部分に注目していくことを目的にしていますから。ブログの傾向上、批判的な内容が多いので一部を除いてマンガは必ず購入した作品を取り上げるようにしています。読んでいないのに否定するのは言いがかりだからです。だからアニメの「進撃の巨人」を批判しても、マンガ版の「進撃の巨人」にはこのブログで扱ったことはありません。だって読んだことがないんだから。

 前回、谷川史子さんの「はじめてのひと」を取り上げたんですが字数が多すぎたので前後編に分けなした。今回は後編というかやっと「はじめてのひと」のハズでした。実際には月初めにほぼ書き上げていました。でも今回はなかなか更新に踏み切れなくなっちゃったんです。この作品は谷川さんの得意な短編の連作マンガシリーズです。博物館で働く女性たちを中心に作者曰く「いろんなひとの、いろんな初めてをかいていく」とのことです。
この「いろんな初めて…」の中に不倫を題材にしたエピソードがあります。この不倫のストーリーが今回のブログのテーマだったんですが、書いていたら読むのが鬱陶しいくらい長くなっちゃいました。しかも不倫を扱う正しい方法とか、難解(ややこしい)テーマになってしまいました。気がつくと谷川さんの作品を相当に批判しちゃっていました。もちろん谷川さん自身には実績があるベテランマンガ家なんですけどね。
今回作中で扱っっている不倫というテーマがとても現代的で興味深いです。でも「この描き方でいいのか?」という違和感がありました。この違和感の正体をブログに書いていくうちに、少女マンガにお必要な“てにをは”が上手く説明できるかもしれませんでした。しかし、その説明の中で「なんで谷川史子さんのマンガは面白くないのか?」ということを証明するような記事になっちゃいました。前記の通りにここは面白いかどうかの、個人の感想や嗜好を語るブログではありません。一般の読者がどう受け止めるのかを考えるブログです。マンガに必要なスキルは読者がどう読むかではなくて、作者がどう読ませるかだからです。マンガというジャンルは読者は勉強しなくていいんです。そこらへんが映画批評とちがうところなんでしょうね。
結果としてブログの内容が「~だからつまらない」ということが答えになりがちです。それは多くの面白くない作品が、気づかないうちにつまんなくしているからです。その原因を説明するのにちょうどいい題材ではありました。

しかし「はじめてのひと」の今回題材にした不倫のエピソードは次巻に繰り越ししているので、面白いのかどうかは3巻が出るまではわかりません。完結したときに主人公がどうふるまうのかによって作品の意味がかわるからです。もしかしたら自分が書いた批判が全て空回りという結末かもしれません。むしろ自分が的外れだったというほうが読者としての自分も嬉しいですしね。
したがって「はじめてのひと」の記事は3巻が出てからアップすることにしました。こーいう風に塩漬けにしたままお蔵入りした記事が月に一回くらいのペースで発生しています。大体が調べてみたら思っていたことと違っていたりとか、書きているうちに題材への気持ちが冷めちゃった場合です。
「はじめてのひと」の3巻が出る頃にこの記事への気持ちが冷めていないかが心配ですね…


「ほぉ」って思ったら押してね

軽く一線を越えてみる - 2017.10.08 Sun

谷川史子さんの「はじめてのひと」です。

 「ペンは剣よりも強し」というありふれた格言があります。この言葉は19世紀にイギリスの作家が劇のために書いた名台詞です。国王が日付なしの許可書を持っていて「自分のペンによる署名がどんな武器にもまさる」という流れです。「まことに偉大な人間の統治のもとではペンは剣よりも強し…」つまり、ペンは剣にまさる魔法の杖だから剣を捨てよということです。最初に“強いペン”を手にしたのは報道記者ではなくて国王だったんですね。
現代では「報道(マスコミ、言論活動家、評論家…)は暴力よりも強い力がある」って解釈です。オリジナルの劇では令状にサインするための追えんでしたが、格言になったペンとは活版印刷のことです。報道記者は国家権力や武装勢力、圧力団体とペンで戦っているという自負があるんでしょう。そして週刊誌はペンという魔法に杖を手にしてあたかも自分たちの魔法で政治も芸能界も思うがママに操れると思い上がっちゃった感じがします。自らを「文春砲」と言い出しちゃうあたりに魔法の杖を手にした悪い魔法使いの顔しか浮かびません。
誰も知らない不正や誰も知らなかった芸能人の不義を暴くことがペンのチカラなんでしょう。でも誰も知らない善行やイイ話を暴いて、世間に知らしめるようなペンの使い方はできないかな?人知れない花壇のプレートに、花の名前を書くのも立派なペンのチカラだと思うんですけどね。
今回取り上げるのは暴言政治家やズブズブな学校法人ではなくて、ズバリ渦中の斉藤由貴さんです。このスクープは文春砲じゃないんですけど。逆に文春に倉本聰さんが斉藤由貴さんを擁護記事が載っているらしいです。

 斉藤由貴さんは報道の通りに不倫が発覚し、女優業が出来なくなっちゃいました。当初、斉藤由貴さんは否定したけど週刊誌が物証を叩きつけて、最後は芸能界から追放に近い決着を向かえました。結論は日本では不倫騒動は重罪で謝罪しても許されるモノではないということですね。ゲスの兄貴もベッキーも当分は許されないんでしょう。ここで言う“許す、許さない”はファンや国民がそう思っているのではなくて、マスコミやネットの中の“意見”というバーチャルなものです。マスコミの意見とは記者の頭の中で作り上げた意見であって、書き手の意見に過ぎません。当然ながら読んだ読者の意見ではなくて、あえて言えば読んだ感想はあると思います。ネットの意見もネットは架空現実なんだからそこの書き込みも架空現実の人々の意見と思ったほうがいいと思います。「ネットでこんなに怒ってる」という記事を読んでも、自分はネットで怒ったことなんて無いのにってみんな思ってるはずです。何で不倫した当事者は謝罪しなきゃ行けないのか?といえば「国民が怒っているから」という理屈のようです。でも国民の大半が斉藤由貴さんに怒ってるような国はダメです。
下手すれば不倫疑惑が出るまで斉藤由貴さんを知らなかった人も多いと思います。当然ながらゲス不倫のブームになるまでは「ゲスの極み乙女」というバンドのことを知らなかった人が多数です。自分はどの子がベッキーだか知りませんでした。今でも写真を見てもどの子がベッキーなんだかピンときません。あーいうバタ臭い顔立ちのタレントは区別できないんですよね。

 不貞を働いたことよりも「一線を越えていません」と記者会見した後に「越えてました」って謝っちゃったのがマズかったようです。斉藤由貴はウソをついたということで、マスコミは全面的につるし上げました。一線というのは何の線なのか?駆け落ちが一線だったら「セックスはしてましたけど駆け落ちの一線は越えませんでした」と文脈はあってると言えなくもありません。注目したいのは「セックスをしましたか?」という質問に対して「セックスはしていません」と答えるのは偽証でもなんでもありません。逆に公の場で「あなたはセックスしたんでしょう?」と聞くことは、限りなくセクシャルハラスメントで、マスコミという圧力団体の威を借りて詰め寄る姿はパワーハラスメントです。例の証拠写真が公表されて斉藤由貴さんは完落ちしたんですが、あれは完全にリベンジポルノでした。この写真に対してだけは斉藤由貴さん側が警察を通して追求する姿勢でした。マスコミ側はその部分に対しては取材も追加報道もしないようです。リベンジポルノが知る権利に負けてしまったんでしょうね。

 このウソ証言が結果的に斉藤由貴さんを窮地に追い込みました。「女優ならウソをついてもいいのか?」という意見でしたら、その答えは女優にはウソをついてもいいという特権があります。そもそも斉藤由貴さんは過去最大の栄光だった「初代、スケバン刑事」を無かったことにしています。女優が年齢や出生、過去のヤバい経歴などを詐称するコトくらい昔なら常識の範疇でした。そーいうことは吉田豪さんの著作にいっぱい出ています。政治家がウソをつくことと芸能人がウソをつくことをマスコミはごっちゃにしようとしています。ウソはすべて暴くことが正義だと言わんばかりです…
読者や視聴者の支持を得るために、不倫騒動が下ネタじゃなくてスポンサーや制作に迷惑をかける重罪のように煽ります。一般の人にとっては「他人のセックスしかどうか」は下らない話ですが「スポンサーに違約金1億」とか聞くと大事件のように感じます。でもこんなことこそは業界内の話であって一般が怒ったり罵ったりする筋合いじゃありません。今回の不倫騒動で迷惑を受けたのは、降板を余儀なくされたNHK の大河ドラマの制作や公開映画の配給会社でしょう。まさに関係各社は不倫よりも、マスコミの斉藤由貴撲滅lキャンペーンのアオリを喰らった感じです。
当たり前なんですが、斉藤由貴さんが不倫をしたことに対して「オレの由貴ちゃんはそんなオンナじゃなかったのに」とか「ファンだったけど裏切られた」って怒り狂う人は一人もいません。それこそスケバン刑事だった頃に医者と不倫していたらファンへの謝罪じゃすまない事態になったでしょう。むしろ、50歳を越えて未だ現役バリバリっていうことのほうが賞賛に値するように思います。女優として一番重要なのは現役感ですし、年齢相応に枯れていくにはまだ早いでしょう。

自分が最初に斉藤由貴さんを認識したのはドラマの「はいすくーる落書」のいづみちゃん役です。このドラマはブルーハーツの主題歌がヒットしたので記憶にある人も多いと思います。このドラマはツッパリ生徒VSお嬢様先生という図式でしたが、何といっても斉藤由貴さんの演技にスピード感がありました。独特の舌っ足らずでまくし立てる感じが唯一無二の可愛さだったんですね。大女優になるとか演技が上手いというよりも、素の斉藤由貴は可愛いという印象です。当時、アイドル歌手的な存在でもありましたが、アイドルのドラマ出演に比べたら役者としての存在感は別格だったと思います。
歌手活動でいえば松本隆さんのキャリアを語るときに、太田裕美さんの「木綿の…」と松田聖子さんのプロジェクトと並んで出てくるのが斉藤由貴さんの「卒業」です。当時は卒業というタイトルで曲がいっぱい出ましたが、今に残ったのは斉藤由貴さんと尾崎豊さんの卒業だけです。それがきっかけで尾崎豊さんと逢瀬につながったのかは定かではありませんけどね。
歌手としての斉藤由貴さんはアイドルヒット後もコンスタントに活動していて、浩子さんの楽曲との親和性がたかいので、猫森集会の方々には支持されてたんだと思います。メジャーナンバーは少ないんですが自身の作詞も多く、斉藤由貴さんの作詞では浩子さんがアレンジした「今だけの真実」が一番好きな曲ですね。斉藤由貴さんが歌いたいのはこういう世界なんだって判る一曲です。

 歌手としての斉藤由貴さんはイメージできるんですが、女優としての斉藤由貴さんはいづみちゃんで止まっていました。最後に観た記憶があるのは映画館でクリスマス映画を観に行ったことです。これは作品が印象的だったんじゃなくて、自分史上初の女子にデートで誘われて観に行った作品だったからです。つき合ってもいなかった子だったんですが、この映画を観た話をしていたんで「いいな、オレも観たいな」って心にもないことを言ったら、「一緒に観に行って上げようか?」っていうお誘いがありました。彼女は共演の千里クンのファンで、その布教活動の一環だったようでした。しかしお誘い自体もまんざらではない感じでしたので、斉藤由貴さんには良い思い出しかありません。
実質、自分はいづみちゃんとこの映画の2作品しか斉藤由貴作品を観たことがありません。実際にテレビでの露出も少なくなって歌手のイメージも薄くなりました。そんな中級に斉藤由貴さんが目立つようになったのが、不倫報道ではなくてNHKの大河ドラマでの評判です。
「真田丸」での阿茶局の怪演が話題になりました。観ていないのでなんともいえませんし、アチャって何だよって感じです。聞くところによると阿茶が全部持って行っちゃったくらいの存在感だったようです。いづみちゃんしか覚えていない自分にはピンとこないんですが、阿茶の部分のだけ映像で観ましたが怖ぇっていう存在感が半端なかったです。寧々の鈴木京香さんや茶々の竹内結子さんと対峙しても圧倒的な阿茶のアチャ感です。知らないけど…

 来年の大河ドラマのオファーも阿茶局があったからこそでしょう。女優が正当な理由で出世したんだと思います。そのキャリアが不倫報道で抹消しちゃったんです。それって斉藤由貴さんにとってマイナスだっただけでなく、ドラマや演劇のファンにとってもマイナスだったんじゃないのかな?
単純に野球のエースやサッカーの日本代表の選手が、不倫していたことがバレてメンバーから外されたといしたらどうでしょう?自分は演劇ファンではありませんがサッカーファンなので「そんなことはサッカーと何の関係もないだろう」って思います。そんな理由のスタメン落ちはあり得ません。ファンが握手のためにCDを買ってるようなタレントだったら判りますが、斉藤由貴さんを仮想恋人に思ってる人なんかいませんよね。そーいう子供相手の仕事をしてるんじゃないんだから。最近のテレビ界はイメージに過剰反応していますが、スポンサー企業のしがらみがないNHKこそが、使うべきじゃないのかな?
過去に不倫騒動のさなかに「不倫は文化だ」と居直ってボコボコにされた俳優がいました。文化かどうかは別にしても不倫が文学なのは間違いありません。熟年不倫のシナリオがあれば最も適役になるでしょう。だって一線を越えた実績が多数なんだから。そんなシナリオはダメなのか?そんな役者がダメなのか?決めるのは観客であって週刊誌やワイドショーの司会者ではありません。

 谷川さんの「はじめてのひと」について書くハズでしたが、勢い余って斉藤由貴スペシャルになっちゃいました。谷川さんのハナシは次回持ち越しになります。たぶん早急に…


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