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2017-08

ベル・エポックの憧れ - 2017.06.10 Sat

国立新美術館 開館10周年記念展 「ミュシャ展」

 今年の3月から東京 六本木の国立新美術館にアール・ヌーヴォーを代表するアルフォンス・ミュシャの「ミュシャ展」が開かれました。日本とチェコの国交回復60周年という半端な年ということで、それまでチェコ国外へ持ち出されたことがなかった《スラヴ叙事詩》全20点をまとめて公開というのが目玉企画でした。チェコから出たことのない絵ということは、ほとんどの人がチェコになんか行ったことがないんだから幻の名画でしょう。世にホンモノというものはマーライオンしかり眠り猫しかり「えっ思ってたよりも・・・」ってなるもんです。しかし《スラヴ叙事詩》の作品群は「デカいとは聞いていたが、ここまでデカいとは・・・」っていうくらいデカいです。「要・双眼鏡」と言われる美術展なんて聞いたことがありませんでした。

 そんな「ミュシャ展」も6月5日で終了しました。「どうせ混んでるんだろうから落ち着いたころに観に行けばいいや」って思っていたら、結局は観に行けませんでした。芸術だかなんだか判んないようなミュシャの展示が、ここまで盛況になるとは思っていませんでした。世間はミュシャを芸術家として認識をされていないんだと思っていましたから、てっきりマニアックなファンくらいしかいないだろうと思ってました。時期をずらして2月ごろには余裕で観れるって甘々な読みでした。
しかし実際には大盛況でしかも来場の8割がたが女性ということでした。男性来場者も奥方サマのお供という感じで、きっと「オレは何故ここに・・・」っていう思いでウロウロしてたんでしょう。そのうちに国立新美術館での「草間彌生 わが永遠の魂」という草間さんの顔のドアップのポスターが目につき出したので、てっきりミュシャ展は終わっちゃたんだと思っていました。しかし実際はミュシャもやってるし草間彌生さんもやってるということでした。要するに国立新美術館がデカいということなんですね。ミュシャ展は六本木という立地ながら日テレが主催でしたが、やっぱり意地なのか草間彌生展はテレ朝が主催になっています。

 ミュシャ展がまだやってるというのを知ったのは「もう終わっちゃうよ」っていうアナウンスをラジオで聴いたからです。「しまった!もう6月だぁ」って思った時は後の祭りでした。駆け込みで観に行く人たちで大行列らしいのと、一緒に観に行ってくれるようなカルチャーな女性がいる訳でもないので今回のミュシャ展は断念しました。アール・ヌーヴォーを一人で観に来てる男ってやっぱりアヤシいと思うし、カルチャーな女性の大群の中に紛れ込むのも居心地がわるそうです。そもそも国立新美術館も六本木も自分にはハードルが高いし「六本木なんて庭だよ」という知り合いもいません。上野でやってくれたら「オレの庭」って言えるんですけどね。

  ブログ画像 ミュシャ展 JPEG

 アルフォンス・ミュシャって誰?っていう人も多いと思います。日本でそんなに有名な画家ではないだろうし、美術の授業で取り上げられる類いの作風でもありません。何故ならばミュシャの作品は芸術ではなくて商業デザインだからでしょう。有名な作品で自身の出世作の《ジスモンダ》は芝居のポスターでした。その後パッケージイラストや本の挿し絵、各種意匠などで名を上げた最古のデザイナーで絵師です。同時期のシャガールなどとはリトグラフというところで共通点がありますが、シャガールはピカソなどと張り合うことで芸術家という扱いで後生になを残しました。こーいうタイプの作風の人は芸術家って呼びやすいし、美術の先生も評論しやすいんでしょう。シャガールやピカソが絵に能書きをしたためるのに対して、ミュシャのやったことはキャラクターを作るということです。チーム分けをすればピカソやシャガールは芸術家チーム。ミュシャやロックウェルはイラストレーターチームっていう感じですかね?マンガ界でたとえると江口寿史さんのような「この絵は江口だ」っていう意匠を作った人です。18世紀に作られたミュシャのキャラは21世紀でも愛されていますし、現代のアーティストにも影響を与えています。

 今回の目玉は門外不出だった《スラヴ叙事詩》全20点の展示でした。どうして門外不出だったのかといえば、一枚がおよそ6メートル×8メートルというような巨大な作品が20点もあるから。多くのミュシャのファンが「あのスラブ叙事詩が来るってよ」という反応だったんだろうけど、自分はそんな作品が存在していることすら知りませんでした。折角だから観たかった気もしますが、ホンネは女の人の絵が観たいだけです。自分は絵画に込められた思想や宗教、政治、民族などの意味にはあんまり興味がありません。その絵の背景に作者がそんな思いが描かれているのかは美術評論や歴史評論であって、その絵が描かれたバックボーンは絵の優劣をつけるファクターではありません。
自分は17世紀~18世紀が大好物なんですが、それはあの時代の貴族家たちの権力争いやデモクラシーに興味があるわけじゃありません。ナントカ革命とかいう歴史の授業のようなお話は特に苦手です。好きなのは産業革命前後の普通の庶民に文化が広まっていく感じです。ヨーロッパが歴史的にもっとも華やいでいたころの浮かれポンチな感じのお話が好きなんです。ミュシャの作品からはその時代の人々の風俗が見えるようです。ミュシャの生み出したキャラでどんなストーリーが組めるかとか妄想はつきません。こーいう気持ちで国立新美術館に入るのは8割をしめる女性入場者の皆さんには申し訳ありませんが、ミュシャの絵はキャラにしか思えないんですよね。しかも全て非処女というか経験多いぞって感じのお姉さんキャラです。現代の絵師さまたちが描くような処女信仰はありませんね。
ミュシャのもっちりとした女性の描写を「当時の美意識はふくよかな女性が・・・」なんて薄い解釈だと本質は見抜けません。ヴィクトリア朝の心の師である森 薫さんの記述で『教育上よろしいコルセット絵と教育上よろしくないコルセット絵の違い』というのがありました。これに当てはめるとミュシャの絵は完全に『教育上よろしくない絵』になります。

ミュシャの描いてきた女性はそのまま当時の女性たちなんでしょう。今でも愛されているミュシャの絵はアール・ヌーヴォーの時代と現代はそんなに違わないと教えてくれます。


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あえてねじ式を問う - 2017.06.03 Sat

第46回 日本漫画家協会賞コミック部門の大賞につげ義春さんの一連の作品が選ばれました。

 多くの人が日本漫画家協会って何?つげ義春って誰?って思うでしょう。日本漫画家協会とは公益社団法人でマンガ家が互助会的に入会できる団体で、創設者で名誉会長はかっぱっぱの小島功さんです。メインの活動はマンガ家などに対象の文芸美術国民健康保険に加入出来るということです。つまりマンガファンにはあんまり関係がないプロマンガ家のための団体です。
日本漫画家協会賞とは『我国マンガ界の向上発展を図る目的のもと優秀作品を顕彰するため1977年に創設しました。』という大仰なマンガ賞です。規約の第3条に『本賞は毎年1月から12月までに制作もしくは発表された作品を対象とし、次年度通常総会で贈賞する。』とあります。この規定だと今年の受賞作は去年発表された作品であるはずなのですが、つげ義春さん自身は30年前から作品を描いていません。そもそも歴代受賞作は「○○氏 全作品」というパターンが多く、この規定はほとんど形骸化しています。選考は日本漫画家協会の重鎮たちなので、一般のマンガファンのイメージとはかけ離れたマンガ賞なんでしょう。
一方、受賞者のつげ義春さんが誰なのか?ということですが、青年向けマンガ誌「月刊漫画 ガロ」で一世を風靡した前衛的カルトマンガ家です。さらに「ガロ」ってなんじゃろ?っていうと昔、白土三平さんが「カムイ伝」を描くために作られたマンガ誌です。白土三平さん、つげ義春さん以外に有名どころの執筆者は永島慎二さん、内田春菊さん、滝田ゆうさん、杉浦日向子さん、蛭子能収さんなど・・・自分が単行本を買ったのはやまだ紫さんや魚喃キリコさんです。ガロっぽいイメージの作家といえば奥平イラさんや丸尾末広さん、ひさうちみちおさん・・・

 「ガロ」はマイナーマンガ誌という側面とサブカル系の登竜門的な側面がありました。マンガ家というよりもイラストやサブカルな文化人になりたい人が多く集まってるイメージもありました。逆にマンガ家を目指す人たちは手塚先生に弟子入りしてトキワ荘で腕を磨くという時代から、少年マンガ誌や少女マンガ誌へ投稿する時代へ映り変わっていきました。貸本マンガの時代からの大ベテランとマガジン・サンデー・ジャンプを読んでマンガ家を目指す世代が入れ替わるころです。
自分が「ガロ」を知ったのは白土さんのためのマンガ誌という時代が終わって、インディーズ色が強かったころでした。自分ちの近所の本屋に「ガロ」なんか売ってるワケもなく、年に何度か神保町でバックナンバーを立ち読みする程度でした。ゴメンナサイ・・・
当時は子供ながらマンガ家を志す端くれとして「マンガが下手な人たちが集まってマンガを描いてる無意味なマンガ誌」っていう感想でした。まだコミケとか同人誌という言葉がメジャーな言葉になる前のころで、絵が下手でストーリーが無意味というのはマンガとしてダメだどと思ってました。それが何故か「シュール」というブームになっちゃったので、こーいうマンガを許容出来なきゃマンガファンとはいえないっぽい空気が生まれちゃいました。その頃のサブカルかぶれなお兄さんたちの『つまんないコトやどーでもいいコトを面白がれるオレたち』という風潮にマッチしてました。
マンガにサブカル的な憧れはあるがマンガを描くスキルを学ぶ努力はしない人たちが、ガロ的なヘタウマなら描けた気になれるというコトを叶えてしまったマンガ誌です。もともとの編集方針が白土三平さんのマンガを載せる目的だったので、そのクオリティーで描ける無名のマンガ家なんてそんなにいません。「何でも描いていい」という言葉を「デタラメでも未熟でも何でも描いて良いいいらしいよ」って解釈を変えちゃったのが原因でしょう。実際に「ガロ」の出版社の青林堂は赤字続きで原稿料を払わないというのに一般からの応募作が絶えなかったというのが、安直なヘタウマ・マンガでも通用するというミスリードのためだったと思います。

 日本漫画家協会賞に特別の思い入れはありませんが、つげ義春さんが選ばれたことには驚きよりも違和感がありました。そもそも50年も昔に発表された作品が受賞するのもヘンな話です。たとえば今年の芥川賞に三島由紀夫さんが受賞しちゃったらへんでしょう?
つげ義春さんの受賞理由は『漫画界の中でも異色の存在で、その作品世界は芸術性も高く追随を許さないものである』ということです。日本漫画協会という団体がマンガ家の集まりなので、内輪の表彰に異論をはさむのもなんですよね。功労賞的な意味合いだったとしてもつげ義春さんはちばてつやさんのようにマンガ界を牽引してきませんし、50年間も漫画を描き続けてきたわけでもありません。
自分が見てきたつげ義春さんの印象は何度も再評価される不思議なマンガ家って感じです。最初は80年頃のサブカルブームで『ガロに「ねじ式」のつげ義春というスゴいマンガ家がいた』っていう過去形での知識です。その頃はつげ義春さんも現役で漫画を描いていたんだと思います。
自分は子供の頃からマンガの評価は面白いかどうか?表現技術に長けてるか?作風が好みにあうか?だけで比べるべきだと思っていました。よくありがちなのは作者の訴えるテーマの評価が作品の評価になっちゃってる場合です。反戦の作品とナンパ師のインチキ人生の作品を比べて、反戦のテーマだから受賞するっていうのはヘンですよね。マンガ家に求められてるのは作品の持つ意味ではなくて作品の面白さです。以前にこの日記で取り上げた滝田一人さんの「いちえふ」は体験ルポという表現方法が評価されてましたが「このマンガを読んでいてもつまらない」っていうのが自分の評価でした。
逆にマンガの作品の中にテーマや意味が存在しないから面白いのでもありません。「意味がないから面白いんだ」というのはナンセンスを語るときの常套句です。意味がないから面白いんではなくて面白ければ意味がなくても構わないということです。
マンガが文学やジャーナリズムとは一線を画するのは面白さが必要っていうことでしょう。

 対する今回の受賞でつげ義春作品の何が評価されたのでしょうか?今回の受賞における「ねじ式」の評価は『空想と現実が入り交じった独特の世界観・・』っていうよくわからない説明です。『高い芸術性が・・・』っていうのはコラージュな背景などを指しているのかな?当のつげ義春さんは「自身の作品を芸術作品と呼ばれることに困惑している」というインタビューを読んだ記憶があります。
「ねじ式」は「しっかりしたテーマをつかんで描いたものではなく、見た夢をヒントに想像を混ぜたんですね」とコメントしてます。そんな作品が高い評価を得られたのは白塗りの劇団がぶら下がっていたり、電子音の羅列のような音楽が最先端だったりした時代のおかげでもあります。もし初見で現代の読者が「ねじ式」を読んだとして、変わらぬ芸術性が他の追従を許していないと思ってもらえるのなら受賞に何の異論も挟みません。ましてや50年前に受賞させていたのなら当時のい感覚にマッチした受賞なんでしょう。でも60年代につげ義春作品や「ガロ」を評価していた人たちってマンガが大好きなのにマンガが描けない人たちです。だから作家や映画監督、評論家、各種メディア関係者などに絶大な人気があったんです。彼らはつげ義春さんの素晴らしさを発表する媒体を持っていました。「○○氏もつげ義春を評価している」って感じですね。この頃にマンガが描けるマンガファン(マンガ家も)に圧倒的な影響をあたえたのが大友克洋さんです。大友さんは劇画をリアル描写するコトで同等にした立役者です。でも初期短編集の中には「ガロ」的に雑な印象の作風が多かったです。背景が無い、黒い、白いっていう感じで「絵が描けなくても面白いアイデアで通用するんじゃないか?」って思わせる影響力でした。でもすぐに大友さんは尋常なく絵が上手いことがマンガファンに知れ渡るんですけどね。

 つげ義春さんの代表作というか有名な作品の「紅い花」「ねじ式」「ゲンセンカン主人」などは1967~68年の作品です。精神科医の福島彰氏によるつげ作品を5期に分類しています。福島彰氏って誰?っていうことですが、マンガに対する造詣が深いアピールがヒドい大学教授の一人です。こーいうタイプの賢い系の評価が多かったというのも不幸だと思います。自分が昔に立ち読みしたつげ義春さんの自選集を思い出して分類してみました。

絵のタッチで分類するつげ作品の傾向

水木しげるさんの模倣
白土三平さんの模倣
横山光輝さんの模倣
ねじ式などのいわゆるつげ作品のシュールな作風

多くの人には50年経って「ねじ式」のイメージしか残っていないのでシュールマンガ家ということになっています。でもベースは貸本マンガ家なので色んなタイプのマンガを描いています。つげ義春さん自身が何を描きたいのかというテーマを持っていなかったようで、侍ものから現代劇まで一貫性無く描かれています。しかも出版社の要望に応えるほどの技量もないのでメジャーな作品が描けなかったようなことをインタビューで読んだ記憶があります。
つげ義春さんのキャリアは時代が貸本マンガから週刊誌マンガへ変わっていく過渡期に当たっちゃったんですよね。多くのマンガ家が週刊誌=商業ベースのマンガに移行していく時代です。原稿料を取っ払いで描いていた時代から、単行本の印税で稼ぐシステムに変わっていきました。したがって作品として残せるマンガが前提になるので、本にするために描きゃいいっていう需要は淘汰されていっちゃいました。貸本マンガと入れ替わりで出てきたマガジンやサンデーの商業マンガ家たちが、現在のマンガの基礎を作ったんでしょう。
時代モノのベースは白土さんの模倣で現代モノのベースは水木さん。それ以外に横山さんっていう感じでした。いずれも70年代には一線から退いた方々です。全ての作品がシュールで格好いいんだと思っていると、大半の作品は貸本マンガのクオリティーでがっかりすると思います。

 つげ義春作品で印象に残ってる作品は「古本と少女」です。お話は「古本屋でお目当ての本を買いが千円の値が高くて手が出ない。古本屋へ通っているとその本に挟んであった封筒から千円が出てきて・・・」っていう感じの短編です。つげ義春作品では一番オチがしっかりしてました。特別に面白かったわけではなかったんですけどね。


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デヴィ夫人の主張 - 2017.05.21 Sun

「ワイドナショー」のデヴィ夫人の持論について

 5月14日のフジテレビ系「ワイドナショー」にて、一ノ瀬文香さんが同性カップルの事実婚を解消したという報告のためゲスト出演していました。一ノ瀬さんは以前に同性どうし出結婚式を挙げたが、婚姻届けを提出するも受理されなかったというエピソードがありました。
前回のLGBT関連の記事で書いた小雪&裕子のケース同様に、芸能人レズビアンとしての発信者という立場でもある方です。破局は一ノ瀬さんとパートナーだった方の両ブログで公表したとのことで、理由は男女間でも同性間でも別れるときは別れるもんだっていうことらしいです。そもそも同性同士が婚姻届けを出すということだけで、一般の人から観ればパフォーマンスや売名行為と受け取られたりします。同性婚に批判的な見識の方々には「どーせお遊びの延長でしょ?」とか「ほーら言わんこっちゃない」っていう意地悪な声もありがちです。
気になったのは一部の報道で一ノ瀬さんが同性事実婚についての、自叙伝的な本を出したことが破局のきっかけのような記事も見ました。それだと当事者同士の中でもコンセンサスを得られなかったという可能性があるので、その状態でマジョリティの人たちに理解を求めるのは難しい印象です。

今回のテーマもLGBTの現状の厳しさについてです。放送で観た方やスポーツ紙発信のニュース等で知った人もいるでえしょうが、「ワイドナショー」にてデヴィ夫人の発言が物議をかもしました。自分は観ながら「これはネット炎上案件」だなって思ったくらいです。
簡単な経緯は一ノ瀬さんの同性カップルの破局についてのニュースで本人登場形式でゲスト出演。松本さんらコメンテーターが同性婚などの経緯を質問してる中、出美婦人が喰い気味に「私は同性の結婚なんか反対です」と持論?を発表。一ノ瀬さんは“いつも”裕子さんたちがテレビで呼ばれた時に質問されるような定型のLGBTの説明をしようとしていたのに、同性の結婚を認める・認めないという議論になっちゃって困惑していました。一ノ瀬さんも東野さんもまさか“そこから話さなきゃいけない”とは思っていなかったようでした。こーいうテレビの場でにLGBTの方が出演した場合に、マイノリティの側の代表者が絶対にやってはいけない“声を荒げる”シーンもちょっとだけありました。このデヴィ夫人と一ノ瀬さんの言い争いは、小雪&裕子さんやまきむぅさんたちがメディアでLGBTを説明する時に浴びせられてきた不毛な議論です。
「ワイドナショー」自体が個人の見解を述べるバラエティー番組としてるので、デヴィ婦人の個人の見解を述べる姿は番組的に正しいことです。出演者が6人いて本気で同性婚を認めない人が1人いるっていうのは、実社会でのLGBTへの認知度としてはバランスの取れた構成かも知れません。しかしこの番組はゲストに対立軸を作らせて喧々囂々させるよりも、まったりとした空気で言い捨てるのがウリだから今回の緊張感はさすがに想定外だったみたいです。
さすがに報道やネットの意見ではデヴィ夫人の発言に対する苦言が多く、逆張りな正義感で「デヴィ夫人よく言ってくれた」っていう応援は見かけませんでした。ネットだとこの「デヴィ夫人がLGBT差別?」のくだりだけが取り上げられています。その前にもフランスの新大統領マケロンの年の差略奪婚にフランス人にとってはゲームとか、アランドロンとヤっちゃった発言などデヴィ夫人節が炸裂してました。この状態でも明確に北朝鮮擁護の立場をとるあたりにブレないというか信念を曲げない人なんだという印象です。


 反LGBTな意見や同性婚を認めない人の意見には共通の特徴があります。デヴィ夫人の意見は『同性婚では子供が産めない。おしべとめしべも一対だし、同性婚は自然の摂理に反してる。そんな結婚を認めたら社会がメチャクチャになっちゃう』ということです。このご時世でこれだけのLGBT批判はなかなか観ることがありません。これは典型的なLGBTの嫌いな人の言い方です。
今回のデヴィ夫人の発言が正しいかどうかよりも、何でこの議論はいつもかみ合わないのか?を考えることで問題点が見えてくると思います。では議論になった時のLGBTが嫌いな人の主張にはどんな特徴があるのでしょう。

LGBTや同性婚に対して否定的な意見を叫ぶ人の特徴

1 原理主義(そもそも論)が好き

2 知人にLGBTの人がいないのに「私はLGBTの人を知っている」

3 当事者ではないのに他人事に対して妥協案を認めない

1の原理主義はファンダメンタリズムのことですが、砕けて言えば「そもそも論にこだわる考え方」っていう感じです。特定の宗教も方々には「そもそも、中絶なんてもってのほか、ましてや同性愛なんて神への冒とく」という時の「そもそも」です。何故そもそもなのかといえば「そう書いてあるから」というのが理由です。無宗教派であり真言宗の檀家である自分には「それは君達の信じる設定でのハナシでしょ?」って思うので、その設定でない人にとってはそもそもでも何でもありません。
宗教上の原理主義のそもそもに、生物は子供を産み育てるという生殖学のそもそもが加わります。そして二つのそもそもが「人は子供を産み育てるために生きている」ということになって、そうじゃない人は欠陥があるという彼らの設定になっちゃいます。こーいうイビツな考えがどうしてマジョリティになるのかといえば、ヨーロッパやアメリカ大陸では生活のベースにその宗教があるからです。日本人はあまり宗教を生活の規範にしていないので欧米の人とはイメージが違うようです。
真言宗にはこの生殖にたいするレギュレーションはありません。日本でLGBTを議論する場合は宗教上の理由での発言は少ないのですが、男女のセックスこそが正しい生殖というそもそも論は多いです。

2の「私はLGBTの人を知っている」というのは今回の番組を観ていて気がついたことです。デヴィ夫人が「私のまわりにも男性同士のカップルがいますけど・・・」って言ってました。知り合いに同性愛者がいるというアピールは「あなたはLGBTの人のことを知りもしないで批判してるだけでしょ」っていうツッコミに反論しちゃってるだけみたいです。本当に友人の中に同性愛者がいるのならあんなにキツい発言は出来ないでしょう。おすぎさんと共演したことがあるレベルで私のまわりって言ってるのかもしれせん。これに似た状況ではサッカーの戦術議論で「シロート意見が何になるんだよ」という売り言葉の返しに用いられる「オレは元サッカー部、経験者ですけど何か?」というもの。このサッカー経験とまわりにいる同性愛者は似てると思います。

3の当事者ではないというのはLGBTを批判している人は、LGBTとはまったく関係のない生活をしている人だということです。批判してる人たちが過去に同性愛者から嫌がらせを受けたとかは聞いたことがありません。この番組でも一ノ瀬さんはデヴィ夫人に喧嘩を売ったわけじゃないし、ましてや同性愛を迫ったわけでもないでもありません。LGBTの人たちの多くは人類をLGBTが支配する世の中を作るような野望はありません。むしろほっといてくれっていうスタンスです。その中でLGBTの存在自体を否定しないで欲しいというのが希望でしょう。
また「デヴィ夫人の言い分も判るけど、そうじゃない人だっているでしょ?」という例外も認めてくれません。その片寄った意見を追求されると「結婚は子供を産むためにするのが正しい行為」という極論を言い出しちゃいます。この部分に子供を産めない事情の夫婦からの抗議が殺到したようです。
結婚を公表した阿川佐和子さんはさすがに子供を作る目的で結婚したんじゃないでしょう。なんか老後の保障みたいなコメントでした。是非ともデヴィ夫人を「サワコの朝」に呼んで欲しいですね。


 何でこんなにも意見が合わないのかといえば、同性婚を否定する人の意見のベースは『本来の生物のあるべき摂理に反する、神様が許していない、司法が認めていない、同性愛がキモい』ということで、科学的、宗教的、法律的、心情的に否定していることになります。LGBT を否定するということは、相して思想的に反対ということです。
対するLGBT当事者なちの主張は『一般的に認められてる権利をLGBTにも認めて欲しい』ということだけです。実際はデヴィ夫人レベルの原理主義者に理解してもらおうとは思っていないでしょう。この『LGBTの権利』というのは行政サービスのことです。
要するにこの議論は思想VS行政サービスという図式になります。思想とはその人の考えのことで、行政サービスとは役所にお願いするようなこと全般です。たとえば生活保護の支給では「働かないヤツに金を出すのは不公平だ」とか「自己責任だろ」という厳しい考え方の人は結構います。でも事情はそれぞれだが困窮している現実をフォローするのが行政サービスの仕事です。水害などが起こった場合に「水害の原因が解明出来なければ援助は始められない」というのはマヌケな感じでしょう。原因の究明はコメンテーターたちの知識欲を満たしますが、被災者には関係無いことです。
現在、国会で紛糾している皇室典範や女系天皇問題も思想VS行政の議論です。今上天皇が自ら高齢で執務に滞りがあってはならないということでの退役を希望しているのに、歴史上、慣習上、法律上認められないのでどうしようか?って議論です。陛下の公務が辛そうなのは国民全員が共通して認識しています。でも話が進まないのは「自分の思想に合わない(納得できない)」人たちが抵抗するからです。彼らもデヴィ夫人同様に「こんなことを決めちゃったら皇室がメチャクチャになる」って思っているんでしょうね。
要するに国や自治体が同性婚を認めたとしてもデヴィ夫人の行政サービスにはなんの影響もないんだから口出ししないでくれってことです。そもそもデヴィ夫人はインドネシア人だから!


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勝手にアニメベスト20 - 2017.05.13 Sat

NHKの「ニッポンアニメ100」です。

 今年は日本のアニメーションが公開されてから100周年になるそうです。最古のアニメはお侍さんが刀を振り回す「なまくら刀」というのが有名です。しかし「なまくら刀」は1917年の6月30日公開で、それより先の5月20に「猿蟹合戦 猿と蟹」が公開されていました。「猿蟹合戦 猿と蟹」もアニメの特番などで映像を観たことがある人も多いでしょう。それより先の4月に「芋川椋三玄関番の巻」が公開されています。アニメ歴史学界?ではこの3作品を日本最古の劇場版アニメとしていました。しかし同2月に「凸坊新画帳 明暗の失敗の巻」が公開されているこのが確定しました。さらに1月(推定)には「凸坊新画帳 芋助猪狩の巻」が公開されていた証拠が発見されたとのことです。
1917年発行の「活動写真誌 3月号」によると『滑稽「凸坊新画帳 芋助猪狩の巻」一巻(天活東京派撮撮影)欧米の凸坊新画帳式のトリック応用滑稽路線画を研究して我邦で最初の試みとして成功させるものか』とあります。これを国産商業アニメの第一号に認定するみたいです。
:国産商業アニメーション映画第一号に関する調査  作成者 渡辺泰氏 大徳哲雄氏 木村智哉氏より:

 5月3日にNHKBS にて「ニッポンアニメ100」と題して日本で制作された約1万タイトルの作品群の中から、視聴者によるWEB投票で選出しました。ファン投票的な選出方法で人気の有無は計れますが、作品のクオリティとか歴史的重要性はまったく加味されません。普通選挙=民主主義みたいな雑な平等感と、投票が集まること=世間の評価が高いという雑なマーケティング論で集計されても飲み込めませんよね。企画の趣旨はアニメ100周年を記念して、アニメファンの投票にて100タイトルを選ぶというものです。今回の集計はNHKが恣意的な操作やバランスを取るような忖度はまったくないようです。まさに投票の結果をフェアに発表しちゃいました。その結果がこちらです。

 1位 TIGER&BUNNY
 2位 劇場版 TIGER&BUNNY The Rising
 3位 魔法少女まどか☆マギカ
 4位 ラブライブ!(TVアニメ1期)
 5位 ラブライブ!(TVアニメ2期)
 6位 劇場版 TIGER&BUNNY The Beginning
 7位 コードギアス 反逆のルルージュ
 8位 カードキャプチャーさくら
 9位 ラブライブ!The School Idol Movie
10位 おそ松さん

何じゃこりゃ?っていう結果にNHKのスタッフも「こんなハズじゃなかった」って思ったハズです。生放送でのアニメオタクを自負する芸能人たちの顔も引きつっていました。アドバイザーで出演していた氷川竜介さんも結果を知らされていなかったようで、気の利いたフォローも出来ぬまま番組は終了しました。同じタイトルがいっぱいあるのは1期ごとテレビオンエアと劇場版で別作品という扱いだからです。一人が何度でも投票してよいというルールなので、上位のファンは相当頑張ったんでしょう。アイドルのセンター選挙のようにそーいうファンの頑張りを競うランキングだと判っていたら、普通の人は投票もしませんし番組も観ません。この企画だけでNHKは3ヶ月もの投票期間を設けていましたが、そんなに長い間かけてコレかよっていうのが感想です。
組織票は熱狂的なファンの証みたいな意見もありますが、熱狂的なファンの有無と人気の有無は関係ありません。ジャニーズの誰かと高倉健さんのどっちが好きか投票させると、高倉健さんには1票も入らないです。せめて1位「ONE PIECE」2位「テニスの王子様」3位「アンパンマン」だったら納得できたでしょう。それはファンの期待とは違いますが、「そりゃ、そーだろう」って思えます。
そんなこんなで「だったら自分で順位をつけよう」っていうのが今回の企画です。




アニメ100周年記念、勝手にベスト20!

 極めて個人的なランキングであって、誰の意見も反映されていません。最低限、幼少期も含めて自分がタイムリーに観た作品のみを選んでいます。再放送やDVDなどで追いかけた作品は、作品の作られた時代の背景が判らないので除外です。「白蛇伝」とか「ホルスの大冒険」など評価されて当然な作品でも自分がタイムリーに観ていないのなら知ったかぶりになっちゃいますからね。あと、OVAやネット配信のみなど普通にテレビや映画館で観られない作品も除外しれいます。
景気よく1位からバーンと発表です。

ブログ画像 アニメ100 イデオン JPEG 
ブログ画像 アニメ100 カリオストロの城 JPEG 
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ブログ画像 アニメ100 とらドラ! JPEG 
ブログ画像 アニメ100 Serial experiments lain JPEG 
ブログ画像 アニメ100 灰羽連盟 JPEG 
ブログ画像 アニメ100 プラネテス JPEG
ブログ画像 アニメ100 紅の豚 JPEG 
ブログ画像 アニメ100 宇宙戦艦ヤマト JPEG 
ブログ画像 アニメ100 名探偵ホームズ JPEG 
ブログ画像 アニメ100 あずきちゃん JPEG 
ブログ画像 アニメ100 クラッシャージョウ JPEG 

総評すると宮崎アニメ4 富野アニメ2 NHKアニメ2 安倍アニメ2 松本アニメ2って感じです。それぞれ観た当時はコレはっていうところがあったと思います。それと制作サイドが前のめりに作ってる感が強い作品を選びました。
押井さんはビューティフルドリーマーが商業アニメとアニメ作家の分岐点だったと思います。アニメは作家になっちゃダメなんですが、作り手の方々は作家のいう肩書きに憧れるようです。アニメ作家っていう肩書きだとフランス人や北欧の偉い人達にしか褒めてもらえない作品を作っちゃうイメージしかありません。アニメはアニメーター、マンガはマンガ家、それ以上でも以下でもないでしょう。
これ以外にも上位相当な作品はあるでしょうけど、パッと思い出せなかった作品はその程度だということなんでしょうね。
クオリティ重視だったら安彦版ガンダムオリジンが入るんですがあれはBlu-ray商法なので除外です。福井版ガンダムUCは内容がへっぽこゆえに選外でした。


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原作は踊る - 2017.05.05 Fri

ジェーン スーさん原作 ナナトエリさん作画 「未中年」です。

 ジェーン スーさんの初のマンガ原作が発売されました。そもそもジェーン スーって誰?っていう人のほうが大半だと思います。ジェーンといえばジェーン フォンダ、スーといえばビビアン スーくらいしか思いつきませんよね。ラジオでの当人の自己紹介フレーズは『 作詞家でコラムニスト、アラフォーで生粋の日本人、人生の酸いも甘いもつまみ食いしてきたジェーン スー』です。
自分が具体的に知っているスーさんのお仕事は、TBSの昼オビラジオ番組「ジェーン・スーの生活は踊る」のメインパーソナリティーです。コラムニストとしても活躍していますが自分はほとんど読んだことがありませんし、作詞家とし楽曲提供された曲も聴いたことはありません。TBSラジオの「生活は踊る」の前は土曜の夜に「ジェーン・スーの相談は踊る」という番組を担当していました。
また本業?のコラムニストのお仕事では2015年に「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」という本で講談社エッセイ賞を受賞しています。タイトルからもどんな物言いの人かがうかがえますね。
スーさんってどんな人か?っていえば、ザックリ「40代 中年 独身女性のオピニオンリーダー」です。でも田嶋陽子さんのようなフェミニストや活動家ではありません。何故田嶋陽子さんと比べるか?っていう感じですね。スーさんはどちらかといえば男性社会に女性の権利を主張するのではなく、女性に向けて「私(スーさん)はこんな感じでも生きています。アラフォーの皆さんも一生に頑張りましょう」っていうスタンスです。
雑誌等のコラムを読んでスーさんを知ったっていう方もいるでしょうが、多くはラジオでの相談に辛辣だが親身に答えるスーさんに惹かれたんでしょう。スーさんはラジオ時代のゆき姐と同じニオイがするんですよね。なりゆきでラジオパーソナリティになったところなんかも。この二人に共通していたのはパーソナリティの信条や道義を押しつけるのではなくて、個々のケースに対して初見で向き合い考える姿勢です。初見で向き合うとは用意された言葉で答えるのではなく、それぞれのケースではそれぞれの事情があるということです。その中に自身の経験に基づく信条や道義を当てはめて、リスナーの悩みや不満を解消してくれるんです。回答者に深い信念がありすぎると「オトコなんてモノは・・・」とか「仕事っていうのはな・・・」っていう、聞いていてウンザリなコメントしか言えなくなっちゃいます。そーいう白黒はっきりなコメントは聞いていてスカッとするけど、そんなに面白くないんですよね。

 スーさんの初のマンガ原作「未中年 四十路から先、思い描いたことがなかったもので」の内容は雑誌編集の仕事で50代の香水がキツいバリキャリなバブル世代の女社長と、30代で不平不満を隠さないパワフル女の間で漂うような40代ノンポリな主人公のお話です。お仕事マンガなのですが「過去に仕事で泥水を飲んできた(タマフル的表現)」だろうスーさんの実体験がベースになってるのは想像できます。
このマンガは良くも悪くもスーさんが原作を書いたことがトピックスなマンガなので、そこまでのクオリティは求めずに買いました。作画のナナトエリさんは「コミックでわかるアドラー心理学」という本の作画を担当していますが、自分はまず読まない部類の本でしょう。ナナトエリさんの名前で「あーあの人」って思えるのは、相当のマンガ通か知り合いの人くらいだと思います。自分はまったく知らなかったんで調べてみたら、彼女はプロ漫画家への希望のアトリエ・トキワ荘プロジェクトの住人でした。トキワ荘プロジェクトについては言いたいこともあるんですが、ナナトエリさんは結構ちゃんとしたマンガになっていました。
この本をわざわざ手に取りそうなのはラジオリスナーだと思いますが、メインの購買層は本屋さんやアマゾンを利用するマンガファンです。彼らにとってはジェーン スーってアメリカ人なの?からのスタートで、原作者がラジオパーソナリティだなんてことはラジオを聴かない人には関係ないからね。
マンガのカラーはちょい昔に集英社の女性マンガ誌「オフィス・ユー」にありがちだったお仕事あるあるな自己啓発マンガって印象です。作品のテーマが「誰にでも思い当たる中年女の悩みや葛藤」という感じなので、普遍的な内容ゆえにストーリーの新鮮さはありません。
作画担当のナナトエリさんも誠実にマンガを描いているんですが、自身が描きたいマンガとはちがうんじゃないかな?っていう印象ですね。お絵描き投稿 SNS の pixiv でナナトエリさんの非商業作品を読むことが出来ます。この原作付き商業マンガとはまったく違うテイストの作品でした。この作品はスーさんがマンガ原作に進出という企画ありきの作品です。取材協力でクレジットされているしちみさんも含めて相当な周囲のアシストの上で完成してるんだろうけど、もう少しマンガ家サイドからのアイデアの提案があったほうが良かったかな?って思います。

 例えばお仕事の不平不満の第一人者のおかざき真里さんが作画担当だったら、もっとイメージにピッタリな「未中年」になったかもしれません。最近の著作では「ずっと独身でいるつもり?」という攻撃的なタイトルがあります。スーさんのデビュー作「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」に似たテイストをかんじます。とくに本編に出てくる50代バブル女社長を描くのはおかざき真里さんの得意分野だと思います。少なくとも見栄えのいいファッショナブルなキャラで統一されて、背景はお魚だらけっていう感じで。でもおかざき真里さんが描くと主人公が最終的にいい方向へ流れていかないような気もします。
「オマエ等(未中年)はとっくに死んでいる」って言うおかざき真里さんと「それでも大丈夫」って言うスーさんとは意見が合わないでしょうね。


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