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2017-06

原作は踊る - 2017.05.05 Fri

ジェーン スーさん原作 ナナトエリさん作画 「未中年」です。

 ジェーン スーさんの初のマンガ原作が発売されました。そもそもジェーン スーって誰?っていう人のほうが大半だと思います。ジェーンといえばジェーン フォンダ、スーといえばビビアン スーくらいしか思いつきませんよね。ラジオでの当人の自己紹介フレーズは『 作詞家でコラムニスト、アラフォーで生粋の日本人、人生の酸いも甘いもつまみ食いしてきたジェーン スー』です。
自分が具体的に知っているスーさんのお仕事は、TBSの昼オビラジオ番組「ジェーン・スーの生活は踊る」のメインパーソナリティーです。コラムニストとしても活躍していますが自分はほとんど読んだことがありませんし、作詞家とし楽曲提供された曲も聴いたことはありません。TBSラジオの「生活は踊る」の前は土曜の夜に「ジェーン・スーの相談は踊る」という番組を担当していました。
また本業?のコラムニストのお仕事では2015年に「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」という本で講談社エッセイ賞を受賞しています。タイトルからもどんな物言いの人かがうかがえますね。
スーさんってどんな人か?っていえば、ザックリ「40代 中年 独身女性のオピニオンリーダー」です。でも田嶋陽子さんのようなフェミニストや活動家ではありません。何故田嶋陽子さんと比べるか?っていう感じですね。スーさんはどちらかといえば男性社会に女性の権利を主張するのではなく、女性に向けて「私(スーさん)はこんな感じでも生きています。アラフォーの皆さんも一生に頑張りましょう」っていうスタンスです。
雑誌等のコラムを読んでスーさんを知ったっていう方もいるでしょうが、多くはラジオでの相談に辛辣だが親身に答えるスーさんに惹かれたんでしょう。スーさんはラジオ時代のゆき姐と同じニオイがするんですよね。なりゆきでラジオパーソナリティになったところなんかも。この二人に共通していたのはパーソナリティの信条や道義を押しつけるのではなくて、個々のケースに対して初見で向き合い考える姿勢です。初見で向き合うとは用意された言葉で答えるのではなく、それぞれのケースではそれぞれの事情があるということです。その中に自身の経験に基づく信条や道義を当てはめて、リスナーの悩みや不満を解消してくれるんです。回答者に深い信念がありすぎると「オトコなんてモノは・・・」とか「仕事っていうのはな・・・」っていう、聞いていてウンザリなコメントしか言えなくなっちゃいます。そーいう白黒はっきりなコメントは聞いていてスカッとするけど、そんなに面白くないんですよね。

 スーさんの初のマンガ原作「未中年 四十路から先、思い描いたことがなかったもので」の内容は雑誌編集の仕事で50代の香水がキツいバリキャリなバブル世代の女社長と、30代で不平不満を隠さないパワフル女の間で漂うような40代ノンポリな主人公のお話です。お仕事マンガなのですが「過去に仕事で泥水を飲んできた(タマフル的表現)」だろうスーさんの実体験がベースになってるのは想像できます。
このマンガは良くも悪くもスーさんが原作を書いたことがトピックスなマンガなので、そこまでのクオリティは求めずに買いました。作画のナナトエリさんは「コミックでわかるアドラー心理学」という本の作画を担当していますが、自分はまず読まない部類の本でしょう。ナナトエリさんの名前で「あーあの人」って思えるのは、相当のマンガ通か知り合いの人くらいだと思います。自分はまったく知らなかったんで調べてみたら、彼女はプロ漫画家への希望のアトリエ・トキワ荘プロジェクトの住人でした。トキワ荘プロジェクトについては言いたいこともあるんですが、ナナトエリさんは結構ちゃんとしたマンガになっていました。
この本をわざわざ手に取りそうなのはラジオリスナーだと思いますが、メインの購買層は本屋さんやアマゾンを利用するマンガファンです。彼らにとってはジェーン スーってアメリカ人なの?からのスタートで、原作者がラジオパーソナリティだなんてことはラジオを聴かない人には関係ないからね。
マンガのカラーはちょい昔に集英社の女性マンガ誌「オフィス・ユー」にありがちだったお仕事あるあるな自己啓発マンガって印象です。作品のテーマが「誰にでも思い当たる中年女の悩みや葛藤」という感じなので、普遍的な内容ゆえにストーリーの新鮮さはありません。
作画担当のナナトエリさんも誠実にマンガを描いているんですが、自身が描きたいマンガとはちがうんじゃないかな?っていう印象ですね。お絵描き投稿 SNS の pixiv でナナトエリさんの非商業作品を読むことが出来ます。この原作付き商業マンガとはまったく違うテイストの作品でした。この作品はスーさんがマンガ原作に進出という企画ありきの作品です。取材協力でクレジットされているしちみさんも含めて相当な周囲のアシストの上で完成してるんだろうけど、もう少しマンガ家サイドからのアイデアの提案があったほうが良かったかな?って思います。

 例えばお仕事の不平不満の第一人者のおかざき真里さんが作画担当だったら、もっとイメージにピッタリな「未中年」になったかもしれません。最近の著作では「ずっと独身でいるつもり?」という攻撃的なタイトルがあります。スーさんのデビュー作「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」に似たテイストをかんじます。とくに本編に出てくる50代バブル女社長を描くのはおかざき真里さんの得意分野だと思います。少なくとも見栄えのいいファッショナブルなキャラで統一されて、背景はお魚だらけっていう感じで。でもおかざき真里さんが描くと主人公が最終的にいい方向へ流れていかないような気もします。
「オマエ等(未中年)はとっくに死んでいる」って言うおかざき真里さんと「それでも大丈夫」って言うスーさんとは意見が合わないでしょうね。


「ほぉ」って思ったら押してね

構成を計算して詰める - 2017.04.29 Sat

吉野朔実さんの作品集「いつか緑の花束に」です。

 吉野朔実さんは2016年4月20日に病気のため亡くなりました。吉野さんの訃報記事は去年の5月4日の記事にて取り上げています。


 あれから1年が経ち一周忌も終えたころなのですが、去年の年末に遺作となる作品集「いつか緑の花束に」が出版されています。前回の日記の最後で「月刊フラワーズに掲載されたばっかりの同作品を読んでみたいですね」って書きました。この作品集には表題作を含む未発表作品と、2016年の3月に月刊フラワーズ誌上でインタビューされた内容が掲載されています。
インタビュー記事は2016年の3月のもので亡くなる一ヶ月前になります。これから描いてみたい作品があるか?を聞かれて『ストーリーは長短含めて心の中にいつもネタはあります。編集部のリクエストやページ数に合わせて選んで出してる感じです』って答えています。まさに志し半ばですが、常にストーリーのストックがあるというのが吉野さんらしいっていう感じですね。世間一般のマンガ家のイメージはアイデアが出なくて唸ってるイメージでしょう。
実際は何を描けばいいのか判らないマンガ家と、描きたい作品が多くて発表が追いつかないマンガ家に分かれるみたいです。お絵描きが上手でマンガ家になった人はストーリーのストックで苦しみますが、マンガ家は本来お話を作ることが好きだから始める商売です。マンガ家のエピソードで編集者と何を描くか悩んだり言いなりになったりするシーンがありますが、お話が思いつかないんだったらマンガを描くのを止めればいいのにって思っちゃいます。
前回の記事で十分?に追悼したので、今回は吉野さんのストックされてるストーリーのアイデアの傾向について考えてみましょう。

 吉野朔実さんのマンガの全盛期は80年代から90年代でしょう。一般のニュースでの訃報記事で代表作と書かれた「少年は荒野をめざす」や「ジュリエットの卵」は、1985年~1989年に今は無き少女マンガ誌の「ぶ~け」で連載されていました。当時の吉野さんは異端な少女マンガ家っていうイメージで、異端な少女マンガ誌の「ぶ~け」のエース格というポジションでした。異端なマンガを描きたい後輩マンガ家のいくえみ彩さんなどの目標になっていたとのことです。
最後の連載になった「Period」は吉野さん自身のキャリアハイなんでしょう。読んでいないから判らないのですが、父親の暴力と人間関係の変化といった重厚なストーリーらしいです。並みの作家さんなら邦画にありがちなリアル・バイオレンスや問題提起になりがちなんですが、吉野作品だったら『暴力の意味』とか『吉野朔実だったらどういう解釈のストーリーを創るだろう?』っていう期待がかかります。初期作品から他の少女マンガを圧倒する意味深いストーリーと心理描写が魅力のマンガ家だったからね。
2000年以降の吉野さんは少女マンガ家をきっぱり辞めて、活動を一般向けマンガ家として活動していきます。小学館の女性マンガ誌「月刊flowers」に河岸を変えたんですが、「ぶ~け」時代に残っていた“あくまでも読者は少女なんだ”という枷を取っ払っちゃいました。前回取り上げた「瞳子」から始まった非少女マンガ路線は、吉野作品中期の代表作「Eccentrics」のタイトル通りに主人公の奇人ぶりや奇妙さがウリのショートストーリーを発表していました。やがて吉野さんの活動のメインは本の雑誌社から出ている書評エッセイになります。文学と映画の造詣が深いことで有名ですが、後期の活動内容を見るとマンガ家というよりも文化人っていう扱いだったようです。マンガ家で文化人の方もいますが、文化人でマンガが描ける人はいませんね。そして文化人をやっている11年間に描いた最後の連載が「Period」でした。
「Period」は全5巻ですが1~4巻までと最終巻では作品のピッチが変わってしまった印象を指摘する読者が多いようです。曰く「無理矢理終わらせた感が否めない」って感じです。掲載誌の「IKKE」が休刊しちゃったのでやっつけで終わらせたのか、休刊のおかげで完結出来たのかは賛否が分かれるようです。描くほうもエネルギーが必要ですが、この作品を全5巻読み切るのも相当のエネルギーが必要みたいです。自分は吉野さんがテーマにしている暴力や支配の意味について、興味がまったくないから読むつもりもありませんけどね。

  ブログ画像 吉野朔実 いつか緑の花束を JPEG

 この作品集にはSF作品の「MOTHER」とその続編の未公開ネームと表題作の「いつか緑の花束に」ほかにショートが3編、ツートンコミック(2色刷り)が4編、そしてインタビューが収録されています。「MOTHER」と「いつか緑の花束に」は、初回から11年を経て完結し自身の最後の連載作品だった「Period」の後に描かれた作品です。インタビューで『心の中にいつもネタはあります』と答えている通りに、長短様々なテイストの作品を集めています。
「MOTHER」は『その国の歴史は大戦が終わった時から始まる。大陸は毒に侵され、人々は死に絶え、小さな島たちだけが生き残り、それぞれが国になったと伝えられる・・・』というナレーションから始まる“本格SF短編マンガ”です。なんだかナウシカや進撃の巨人のような「実はこの世界は文明は滅んでしまった地球」パターンです。このパターンの元祖は「猿の惑星」かな?吾妻ひでおさんの奇想天外時代の作品を思い返すと、SF作品を作るにはいかにたくさんのSFを読むかにかかってる感じでした。SF作品への知識量がSF作家のキモだと思います。SFを読まないシロウトがSFに手を出してもSFファンの方々にはエセSFなんか簡単に見破っちゃいます。この「MOTHER」には吉野さんの死後に見つかった続編のネームと別の作品で劇団モノのネームがあり、劇団モノの中に出てくる劇中劇のシナリオを作品化したのが「MOTHER」という作品です。
表題作の「いつか緑の花束に」はライトな幽霊奇譚モノです。往々にして殺人事件の物語では登場人物は人が殺されることに過剰な反応をしません。同じく幽霊が出てくる作品ではあんまり幽霊に驚くこともありません。同じく人類が滅亡した後の地球という事態にビックリするヒーローもいません。

 物語のパターンを大ざっぱに分けるとしたら「主人公の暮らしや人生を描く作品」と「起こりうる事件を描く作品」があります。これには作品のボリュームは関係無くて、16ページで一生を描く作品もあれば10年かけて一試合(事件)を描く作品もあります。主人公の暮らしを物語にするとしても成長や達成感がなきゃ読んでられませんよね。それにはエピソード(事件)がやっぱり必要です。日常をダラダラ描くマンガがブームになった次期もありましたが、フリートークにしたってある程度の話題がなきゃいけないんだから。
またストーリーの進行に関しては「エンディングへ向けて正解を導き出す作品」と「行き当たりばったりに流れて何処かのエンディングにたどり着く作品」に分かれます。物語を考える時にオープニングから考える方法とエンディング(オチ)から考える方法です。ダラダラと連載を続けたいのならば断然行き当たりばったりの作り方が向いています。こっちは常に新しい展開を用意できるから。オア値が決まってるのに引き延ばすと本当にダラダラしてるだけって感じだから。この両方で作られた作品は高橋留美子さんの「犬夜叉」です。
自分の考えですがマンガは「誰が・どうして・どうなった」を決めてから描き始めるほうがいいと思っています。よくマンガのアイデアっていうフレーズを聞きますがオープニングのアイデアっていうのはいわゆる“初期設定”というやつです。設定が面白いとか興味深いというのは作品を読む動機付けに必要ですが、本当に必要なのは「この物語はどうなるのか?」でしょう。

 収録されているインタビューの中で過去作についてのコメントが載っています。「記憶の技法」についてのコメントで『キャラクターが動いてストーリーができていった話というよりは、構成を計算で詰めていったタイプの話ですね・・・』と答えています。この作品に限らず吉野さんは少女マンガ時代からキャラの愛らしさでマンガを描こうなんて思っちゃいませんでした。同時代の松苗あけみさんや稚野鳥子さんの絵柄に比べても圧倒的に写実的で、男性マンガ家のようなキッチリしたコマ割も特徴でした。吉野さんは「Period」のような単一なテーマを長期連載するよりも、思いつくままに短編を量産するほうが作風に向いてるようです。エピソードによっては「何なのこのオチは?」とか「結局何が言いたいの?」っていう印象もありますが、あえて解決を描かないという技法も含めて吉野さんは構成を計算して詰めているんでしょう。そこが「意味ありげな展開だけで結末を投げ出す作家」との大きな違いですね。
数学が苦手な人は数式や類似問題を覚えずに、解き方を自分出考えちゃうタイプですね。初めて見た問題をその場で解読できるのならその人は数学の天才でしょう。一般に数学が出来る人はその問題を知ってる人のことです。謎(答え)が解けるということはトリック(数式)を知ってるから。
ストーリーの作り方にもルールやパターンがあり、法則に従えば誰でも自動的に作品は作れます。それはパクリではなくて、ストーリーの定石のようなものを見つける作業です。多くの人がストーリーが出てこないって言いますが、それは数式が思いつかないっていう悩みに近いモノかもしれません。数式を見つけるなんてピタゴラスやアルキメデスじゃあるまいし。ストーリー作りにはそれ相応の数式を知っていれば作業が楽です。しかも吉野さんが『構成を計算して詰める・・・』って表現しているのが言い得てますね。

 前回の日記で吉野さんのマンガのファン層は読書家の人たちなんじゃないかな?って書きました。吉野さん自身が書評家なくらいなので無数の本を読んでいます。実は吉野さんのアドバンテージはこの圧倒的な読書量だと推理しています。前記のインタビューのコメントの『ストーリーは長短含めて心の中にいつもネタはあります・・・』は、膨大な読書量に裏付けされた「こーいう話はこーいう結論」という計算されたストーリー作りを意味してます。
様々な小説などを読むことによってストーリーの定石をストックしていたんでしょう。学校の先生も読書は身に付くって言ってたし、マンガのアイデアを考えるには雑食に読書するのがいいって感じがしますよね。膨大な読書量の蓄積がストーリーの構成を計算する原資になってるんでしょう。
自分は吉野さんの作品を集英社と小学館に分けていて、どちらかといえば集英社時代のファンです。小学館時代の「瞳子」を最後に自分の中の吉野作品への期待値が下がっていき、「Period」の冒頭でとうとう読まなくなっちゃいました。それまでは集英社の契約に縛られた創作だったんでしょうが、小学館へ移籍して自由にマンガが描けるようになったんでしょう。でも小学館時代の作品を読んでいると「ああ、このお話はこーいうテイストを狙ったんだ」っていう風にしか読めなくなっちゃったんです。それは簡単な原理です。ストーリーを考えてる吉野さんが「物語の構成を計算して詰める」ということは、読者のほうも読みながら構成を計算することが出来るってことです。それの何がいけないのか?っていうと「ストーリーの構成に関心はするけど、そのストーリーに感動はしない」っていう感じです。

 吉野さんが小説のネタをパクってるとかではありません。パクる以前に世界中の全てのストーリーテラーを吸収しちゃってるから、マンガを作業のようにこなせちゃうんでしょう。マンガの描き方を最適化するコトによって、集英社時代に入れなきゃいけなかった何かを省いちゃった感じです。このイメージは秋元 康さんの作る曲に感動出来ないっていうのに似ています。春にはグッとくる卒業ソングを当ててきたりと、ニーズに合わせて最適化したビジネスソングを作る天才ですね。ファンの心をキャッチするのは上手ですが、ファンじゃない人たちにとってはぼんやりした曲にしか聞こえないんですよね。秋元さんは美空ひばりさんの代表曲とかも作ってるんですが、ビジネスソングに最適化した結果が昨今の売り上げなんでしょう。
この読書家特有の作風は吉野さん以外にも読書量を自慢するさっかに共通する傾向がありますね。ギャグマンガ家としては5本の指に入るだろう石黒正数さんの「それ町」も、こーいう傾向が強くて得意ではありませんでした。紺先輩だけを目当てに買っていたんですけどね。後半になるとかなり違和感がなくなっていましたが、どこが分岐点だったかは単行本がもう無いので調べられません。
そもそもマンガ家は知識がモノを言う商売なんだから、たいていは読書家なんだと思います。でも読書量をひけらかすタイプのマンガ家には「読書=賢い」という公式が見え隠れしちゃってます。映画に詳しいマンガ家にも言いたいことがあるんですが、またの機会にですね。

 吉野朔実さんの葵の御紋は、心理学とドッペルゲンガーです。作中では恋愛至上主義者よりも心理学者のほうが偉いっていう世界観です。恋愛には正解がないというのは当たり前の真理ですから、キャラがどんな恋愛論をセリフで唱えても、納得出来るか出来ないかは読者にゆだねられます。でも心理学って全てが本の受け売りなんですよね。たとえ作者が大学で心理学を専攻したとしても、その知識は大学で読んだ本に書いてあったことなんですよね。そのセリフが主人公の思考なのか?それとも作者が読んだ本の思考なのか?
自分が巧妙なシナリオよりもありきたりな恋愛ドラマに感情移入しやすいのは、そんな原因なのかもしれませんね。


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僕が私に・・・ - 2017.04.15 Sat

平沢ゆうなさんの体験ルポマンガ「僕が私になるために」です。

 このマンガは実際に性同一性障害(GID)の性別違和だった平沢ゆうなさんが、“男性から女性になる顛末の実体験”をマンガにした作品です。平沢さんはLGBTでいうところのT(トランスジェンダー)にあたります。タイトルの僕が私に・・・は比喩的な表現ではなく、タイで性別適合手術(SRS)を受けることを意味しています。性別適合手術とは昔でいう性転換手術のことです。どうして呼び名が変わったのかは他のLGBT用語と同じで、当事者たちが言葉の意味をどう捉えるのかによるみたいです。
平沢さんのマンガにはマイノリティーレポートにありがちなメッセージ性や問題提起がありません。当人が性別適合手術をした時の怖かった体験や痛かった体験をそのままマンガにした作品です。小雪&裕子さんのエッセイマンガでも「社会に判ってもらえない私たち」という立ち位置なので、LGBT 対 無理解なマジョリティという図式になりがちです。
平沢さんはこの作品のあとがきで『自分からは何も伝えないようにしよう』と書いています。LGBTに限らず世間から風当たりの強い立場の人たちは「私たちを認めて」と主張するほど「認めてくれない人を認めない」という自己矛盾を回避できません。だから「差別をやめよう」とか「社会的にこうして欲しい」という要求部分は終始、排除するようにしたとのこと。小雪&裕子さんたちのエッセイには「社会に認められないもどかしさ」や「誤った知識や思い込みで語る世間に訴える」という語気があります。LGBT報道の第一人者である北丸雄二さんも最新の海外LGBTトレンドを伝えていますが、その立ち位置は社会運動とか哲学論のような報道ベースになっちゃいます。LGBTの正しい?解釈は北丸さんの受け売りも多いのですが、本質は『オッパイがいらない人やオッパイが欲しい人』の話なのであって、正しいとか間違ってるというたぐいのことではないんでしょうけどね。北丸さんは最も賢いタイプのマイノリティなので、論破することが解決策になる信じています。しかし普通の人々は論破した相手のことを絶対に受け入れません。このジレンマの無意味さを訴えていたのが、前回書いた牧村さんの脱LGBT宣言なんでしょう。

 平沢さんの体験した“僕が私に・・・”とは具体的にいうと、僕(オトコ)が私(オンナ)に変わる手術をしたということです。トランスジェンダーとは「身体はオトコでも心の中はオンナ」っていう漠然としたイメージですが、身体はそのまま気持ち(生き方)だけはオンナでいようとする人から、オトコの身体でいることが我慢できない人、オンナの身体を手に入れたいとする人まで千差万別です。LGBTを考えるときの注意すべきは『そーいう人もいるが、そうでない人もいるので、一緒くたに分類してはいけない』ということです。社会的な役割だけ男性から女性に変わればいい人も、身体も戸籍も女性になる人も個人の事情や自由によります。北丸さんのようなジャーナリストの発言には個人の都合を許さないようなところがあるので、平沢さんのようなマンガ媒体のほうがマイノリティのテーマを扱うのに向いているのかもしれません。「最先端のアメリカのレズビアンの活動は・・・」って言われても、日本人のレズビアンはアメリカのレズビアンになる必要はないですよね。
タイで性転換手術というのはけっこう昔から言われていたハナシです。だから空港でブローカーにスクーターで連れられて、ジャングルの奥にある無免許医が無謀な手術代を請求するけど、タイの物価が安いので大丈夫だったっていうイメージでした。平沢さんが実際に経験したタイは送迎は日本車でホテルのスイートルームに待機、病院も大きくて性別適合手術の先進国らしくてサクサクと進みます。日本でも性同一性障害の治療や性別適合手術を受けられますが、サクサクとはほど遠いみたいです。なんだか人目を忍んでタイでこっそり性転換してくるっていうイメージではないようです。タイではトランスジェンダーの方も普通に職場で働いていて、日本なんかよりもマイノリティの市民権は保障されてるようです。

 それでは平沢さんがタイで受けた性別適合手術とはどんなもんでしょう?シロウト考えでもオンナになるためにジャマなものといえばチンチンでしょう。そこまでは想像できますね。じゃあ切っちゃえばオンナっていえるのか?といえば、それじゃ満足いかないでしょう。本編ではソーセージと揚げ巾着袋、厚揚げ、ちくわを使って施術を再現しています。ザックリソーセージはチンチン、揚げ巾着袋は陰嚢、中のうずらの煮卵はタマタマ、厚揚げは恥丘、ちくわは腸の一部を表しています。
だいたいイメージ通りなんですが“ちくわ=腸の一部”というのがひっかかりますよね。腸の一部は膣を作るための部品です。これを造膣というそうで、腸を使うのはS字結腸法といいます。日本語の便利なところは漢字で書くと内容が想像できるところです。S字結腸って、うわっって感じですね・・・
腸を使うのは施術的にも予算的にも負担が大きいので造膣なしでもOKだそうです。その場合は揚げ巾着とソーセージの中身をくり抜いた皮で、大陰唇と小陰唇を作って外見がそれっぽく見えればいいそうです。外見の形状が女性器のソレっぽくないと戸籍変更ができないレギュレーションなので、切りっぱなしというワケではないようです。当然、膣がないんだから性交渉は出来ないので、オンナになってオトコに抱かれたいという目的には向きません。しかし社会的身分や行政サービスを手に入れることが目的ならば必ず造膣しなきゃイケないってことではないです。これはマジョリティな女性にもいえることで、すべての女性がオトコとセックスしたいと望んで生きてるんじゃないでしょう。しかし平沢さんは男性との性交渉を前提として女性になりたかったんですね。
自分は性転換手術というモノはもっとフェイクな整形手術だという認識しかありませんでした。女性器を作るといっても、卵巣が作れるわけではないので生殖機能までは無理です。でもアッチのほうの機能に関してはかなり実用的に作られてるようで、手術前にナースから『How long ? you want ? 』って聞かれるとのこと。コレは膣の深さの希望を聞いているんです。ソーセージを使う膣は当人のソーセージの長さが膣の深さになるが、腸を使う場合は限度までは希望が叶うとのこと。お相手の感触もホンモノにかなり近いらしいので、膣も内臓なんだなぁと思い返す日々ですね。

 マンガのハナシなんですが、平沢さんはマンガ家としての活動をベースにしていくとのことです。したがって性同一障害の人がマンガを描いたのではなくてマンガ家を目指していた人が性同一障害だったっていう感じです。ちょっと気になるのは本当のことをマンガで描いて出てきたマンガ家は、その後の作品で評価される可能性が低いっていう印象です。フィクションがマンガなのにノンフィクションを先に出しちゃうのは、次回作以降に何を描くかが大変になっちゃいます。作者の作品が評価されたんじゃなくて体験の面白さ(興味深さ)が評価されたっていうことになっちゃうから。
平沢さんの描く「僕が私になるために」はとてもテンポ良く読めて、絵柄も好感がもてるマンガらしいマンガです。全編通して手術の痛さや痛さや痛さがとても伝わってくる作品です。切り取ってもう存在しないハズのソーセージの幻肢痛(失ったはずの部位の痛み)とかダレーション(どう説明すればよいのやら)などなど・・・
興味深いのはコマの割り方やナレーションの入れ方が、完全に少年マンガの定石なんですよね。平沢さん自身が自分のことを男性よりも女性なんだって決めたんですが、マンガの描き方は少年マンガの技法なんです。今後はせっかく性別を変えたマンガ家がストーリーを考えるんだから、男女の機微をテーマにしたマンガを描いて欲しいですね。


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BLの新しい可能性 - 2017.04.08 Sat

男性カップルの里親認定のニュースがありました。

 前回の日記の記事でその他もろもろのマイノリティーを表すためにLGBTsと表記すると書きましたが、現代の主流はLGBTQと表すことが主流になっているみたいでした。sはトランスジェンダーの多様なケースを複数形にしているんだと思っていました。QはQuestioning(クエスチョニング)でクエスチョンの ~ing 形ですね。クエスチョニングとは性自認や性的指向が定まっていないことを意味しています。またQueer(クィア)の Qも語源とされていてクィアはヘンなとか妙な、いかがわしい、怪しいといった意味です。また俗語や隠語としてホモとかヘンタイっていう意味で使われるそうです。レズ=ポルノ用語、ビアン=生き方の自由という前回に説明した通り、なるべくはクエスチョンの Q で認識したほうがいいみたいです。

 新たなニュースとしては大阪市が男性カップルを養育里親として全国で初めて認定したというのがありました。ちょっと意外だったのは全国初が大阪だっていうことでした。偏見やイメージだけなんですが大阪って差別や逆差別がはっきりしていてジェンダーに厳しい地域なんじゃないかな?って思っていました。東京モンとかジャイアンツとか他者文化を否定するコトでモチベーションを維持するような。今回の英断には「大阪やりまんな」って思いました。おまえ何様だよって感じですね・・・
同性カップルの里親ということの対して一般の意見も「とても良いニュース」や「LGBTへの偏見がなくなる」など好意的なものと「子供がイジメにあったりグレそう」や「お父さんが二人ってどうなの」といった否定的な意見がありました。現在 4万5千人以上の子供が虐待や保護者がいない理由で社会的養護のもとで生活しています。男性カップルの里親で子供が可哀相って思ってる人もいるようですが、彼らは現状がすでに可哀相なのを理解するべきでしょう。
個人情報なので里子の年齢が10代というくらいしか発表されていません。里子が乳幼児ではないのなら彼らに必要なものは、ホンモノの両親の愛情とかではなくて社会的、経済的な安全と保障です。男性カップルの里親にやいする是非はおのおのに意見があるのでしょうが、当事者同士の都合を最優先にするのがベストな解決になるんだと思います。むしろ何も判らない乳幼児ではなくて分別のつく年齢の子供に、その当事者の子供が「男性カップルでもいい」といったら里親になればよくて「やだ」っていうなら別の里親に振り分ければいいだけのことです。ただ「君の新しい両親はゲイカップル」だからって行政処理で勝手に決定する時代にならないようになって欲しいです。
里親になる認定には最終的に知事の承認が必要なので、このケースではいろいろ話題の松井大阪府知事が承認したことになります。もし知事にLGBTへの偏見があったら絶対に事が運ばない案件です。その意味で松井さんっていう人物像にも意外な感じでしたね。

 このニュースはLGBTの新たな権利を獲得したことになるんでしょが、この日記のテーマはLGBTの権利を主張する目的ではありません。自分でも忘れがちなんですがマンガなどの作品としてのLGBTについて考える日記です。今回の同性事実婚の方々が里親になれたっていうことはボーイズラブやガールズラブのお話を作る時に新しい鉱脈が出来たことになります。そもそも同性婚の最大のネックになっていたのは生物学的に子供を産めないということでした。養子扱いで戸籍を作れても実際にどーなってるのかっていう法律や行政の問題に詳しい作家がどれだけいるのかは疑問です。レズビアンカップルの場合は前回までのレギュラー登場の小雪&裕子さんの著作マンガ「女どうしで子どもを産むことにしました」とかで詳しく書かれています。でもゲイカップルはそーいう発信リーダーがいるのかな?BLが同人誌などのアマチュアレーベルから進化したジャンルなので正誤を問わずに自由というか野放しで成長しちゃったジャンルです。ちゃんとLGBTの現状を調べてマンガを描こうとすると、あまりにも現実が厳しく迂闊なポルノを描いてる場合ではないことを知ります。SFが物理や工学に詳しくないからこそ適当な設定が作れるのと同じです。
せっかく大阪市でBLカップルの養子縁組が認められたんだから、これを機に同性愛と家族に向き合ったBLが流行るといいですね。それまではよくわからないのでファンタジーとして描かれた「オレたちの子供」が具体的なストーリーで描けるようになったんでしょう。しかし「BLにショタを加えて3Pだ」などとゲスなジャンルにならないようにね。里親になる条件のなかに『子供の養育に関し虐待(性虐待)等の問題がないこと。児童福祉法及び児童買春、児童ポルノなどの罰則がなく、児童保護等で定める欠格事由に該当しない』という項目があります。ゲスなポルノBL作品の主人公には、そもそも里親認定などされないですからね。


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LGBTの T - 2017.03.25 Sat

LGBTの中の T(トランスジェンダー) について

 自分のブログの中では春のLGBT祭なんですが、百合に片寄った内容が続き L ばっかじゃないかって感じでしたね。それでは G ゲイは? B バイは?ってことですが、とくにそっち方面に明るくないのでいい加減なことは書けません。女性マンガの中のキャスティングでは L は主人公が親友だと思っていた女性が実は相手は自分に対して恋愛感情を持っていた。しかし友情がまさって親友は自分の気持ちを隠してる。G は主人公が恋屋仕事の悩みを辛辣な口調でアドバイスしてくれる保護者的な存在。主人公が暴力などのピンチなときは豪腕を発揮するオカマちゃんなど。B はゲイ(男が好き)という設定で主人公を油断させて突然「オンナも抱けるんだぜっ」って手のひらを返す危険なタイプ。
今は市場規模で百合の何倍にもなっているボーイズ・ラブですが、コレはお姉サマたちの理想やファンタジーを全部のせしたジャンルです。そもそも論でいえば「風と木の詩」や「トーマの心臓」あたりがルーツなんでしょう。でも現代のBLは同人誌から発祥した単発作品や完全なネタ作品と“描いてるヒトも読んでるヒトも割り切ってる”っていう印象です。BLという言葉ができる前はアニメ・マンガの同人誌オタク界ではショタというブームからやおいが派生し、やおいから広義でBLという言葉が定着した感じです。ちなみにやおいは漢字では夜追いと書きます。BLの中でも長いストーリーを読ませるメジャー志向の作品もあるし、メジャーマンガ家が描くBLで世間一般に評価されてる作品もあります。でも大半は竹宮恵子師匠や萩尾望都師匠たち先人の心意気を継承してる感じはしません。
BLを描いてる女性マンガ家のコメントで「こーいうBL作品は本当のゲイの方々に対して差別というか失礼なんじゃないか?っていう気持ちはある」って言ってました。どう考えても中高生の女子がホンモノのゲイのセックスを知ってるとは思えません。彼女らが持つ幻想のBLと現実のゲイとのギャップを知ったとき、ゲイに一番嫌悪感を持つのは腐女子の方々だったらイヤですよね。また幻想ではないセックスを描写しているBLもかなりありますが、それはまったくのポルノ作品です。ポルノというジャンルが悪いとか下劣ということではありませんが、ゲイをポルノの対象にしてるってことはそれはそれで失礼なことですよね。

 今回のテーマはBLGT の T です。T はTransgender(トランスジェンダー)の頭文字で、ラテン語のトランス=乗り越える、反対側と英語のジェンダー=社会的性別の造語です。トランスフォーマーのトランスと同じ意味で、意識がフワっとする意味のTrance(トランス)とは字が違います。
LGBT の中でもLGB とT では指してる意味が違います。LGB は「どういう相手が恋愛対象なのか?」ということについての言葉です。前回までの記事で『同性でも異性でも誰を好きになるのもその人の自由』っていう意見でした。それは恋愛感情であって気持ちの持ちようのハナシです。同性が好きということはおかしいことでも病気でもないっていう主張でしたが、トランスジェンダーは性自認が生物学的な性別と異なるケースについてのハナシです。
トランスジェンダーの話題の時によく聞く「性同一性障害」という言葉があります。障害と書かれているように、恋愛感情での「同性が好き」とか「オトコもオンナもイケる」とかとはニュアンスが違います。性同一性障害は病院で診断書も出るくらいのものです。それまでの性的マイノリティーの活動家たちは「レズビアンって病気なんだろ?」っていう偏見に対して「病気や障害ではなくて異性愛と変わらないわ」と反論してきました。しかしトランスジェンダーの方々は「オトコになりたいってそんなのお前の趣味だろ?」っていう偏見に対して「趣味や性癖じゃなくて病気や障害なの」って反論になります。もともとLGBTという言葉はみんなで集会やデモをするときに協調しようという趣旨でできた言葉です。でもトランスジェンダーはちょっと別枠になると思います。性同一性障害は病気として認定されていますが、トランスジェンダーと同じ意味ではありません。『性同一性障害などの人で“心の性別と身体の性別を一致させたい”と思ってる人』がトランスジェンダーになります。従って性同一性障害などの“など”に含まれる医師の診断を受けていない人や診断が出なかった人もトランスジェンダーですし、本来は性同一性障害なのに気にしないで違う性別のまま暮らしてる人はトランスジェンダーではありません。また性同一性障害は染色体や性器に異常がなく、心の性別だけが違う人のことです。性器が両方ついていたり染色体異常の場合は性分化疾病です。
オトコからオンナへ変わったけどオンナが好きなのはレズビアンなのか?オトコが好きなオトコだからオンナに変わるのか?オンナになりたいけど恋愛がしたいワケではないのか?性のあり方には様々なケースがあるので、性のグラデーションと言われています。

 ヘンタイの代表選手である女装趣味にもクロスドレッサー(異性装者)という格好いい名前があります。女装の大家はミッツ・マングローブさんは彼女は女装であり同性愛者でもありますが、どちらかといえばドラァグクイーンに分類されるそうです。何の分類だか・・・(自分はドラァグクイーンのことをドラッククイーン(薬物依存の女王)だと思っていました。ファッション関連で売り出した小椋ケンイチさん(おぐねー)はどう見てもビジネス・オネェって感じで、声優やアイドルでウワサのビジネス百合と同じですね。
近年の傾向でLGBT はLGBTsと書き直されているケースがあります。sはその他もろもろという意味です。性的マイノリティーの種類も多様化してるのでアレもコレもっていう感じです。じゃあサド・マゾは?ロリコンは?二次元は?フェチは?デブ専や熟女好きは?・・・性的マイノリティーといってもいろいろあるんですが、こーいう嗜好性の高いモノや犯罪っぽいモノは仲間に入れてもらえないうようです。今でこそ青少年保護育成条例がありますが、童謡の「赤とんぼ」では15歳でねえやは嫁にいってます。同性愛者がSM愛好家を蔑視するのは、サドマゾヒズムの方が同性愛愛好家を蔑視するのと同じ構図です。
次回は具体的なトランスジェンダーのハナシになります。(たぶん)


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