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2021-05

日常系の最高傑作 - 2021.02.14 Sun

夢路 行さんの「あの山越えて」が全36巻で完結しました。

 「あの山越えて」は秋田書店の「フォアミセス」で2002年から2020年まで連載されました。夢路 行さんって誰という方はウィキペディアで検索すると、本文がたったの2行、作品リストが5作品のみで作品の個別情報はひとつもありません。ウィキはオフィシャルが作る辞典ではなくて、その項目に詳しい人が自主的に書き込むメディアです。夢路 行さんはキャリアのわりにウィキに書き込みたいと思うようなマンガファンやマニアが少ないからでしょう。しかし、熱心なマンガファン以外に夢路 行さんの作品を買う人がいるのかな?って思います。
「熱く語らない夢路 行さんのことを、マンガを熱く語らない読者が静かに応援している」という図式が見えてきます。熱心なマンガファンでも夢路 行さんの作品論を語るような人は少ないんじゃないのかな?
そもそも夢路 行さんの作品のジャンルは「ファンタジーをベースにした日常を逸脱しないくらいの寓話」とか「薄~い味付けのSF」や「肉感ゼロなポヤっとした恋愛もの」っていう感じのやわっこいマンガの印象でした。ジャンルでいえば少女マンガ家なんでしょうが、夢路 行さんの読者は少女マンガを読んでいるつもりはないんでしょう。
70~80年代にニューウェーブ・マンガが台頭したころの少女マンガ系ファンタジー型ニューウェーブの一派っていうイメージでした。ニューウェーブ・マンガというのはそれまでの少年マンガ誌、少女マンガ誌、劇画マンガ誌の枠に入らないマンガのジャンルでした。
「ニューウェーブ」とは、描き手よりもマンガの読み手の側が「自分たちの読んでいるのはサブカルチャーなマンガ」と言いたかっただけです。主に「エロマンガではないサブカルなエロ」という分野と「SFやファンタジーを全面的に認める」という分野です。
サブカルなエロがエロマンガとどう違うのか?というのフワっとした感じだったんですが、当時はファンタジーというのも一般誌では嫌われるジャンルでした。夢路 行さんは「ブーケ」という集英社では尖った少女マンガ誌の出身ですが世間を騒がすようなヒット作を描くこともなくマイナーマンガ家としてベテランのキャリアを気づき上げていました。
ファンタジー系マンガの作者は長続きしない傾向ですが、夢路 行さんは1983年のデビューから未だにファンタジーを描き続けています。「ファンタジー=子ども向け」っていうのに対して、夢路 行さんは初めから対象年齢を高く見積もってマンガを描いていたんだと思います。主戦場が少女誌から女性誌へ移ったことでヒューマン・ファンタジー?の効果が作風にマッチしてきた感じです。もともと描きたかったのが童話ではなくて寓話なのかもしれません。
 夢路 行さんの得意なのは、月刊や編月刊の単発や読み切り連載です。ファンタジーゆえに構想10年っていうイメージよりも、思いつきでストーリーを考えてるっぽい作品が多かった印象でした。
「あの山越えて」は秋田書店の主要女性マンガ誌の「フォアミセス」で連載されていました。このマンガ誌は戸部けいこさんの「光とともに」や上原きみ子さんの「いのちの器」などレディースコミックの中でも“ちゃんとしたマンガ”が掲載されているのが特徴です。秋田書店は後発マンガ誌故に青年誌も女性誌もムチャ(エロ的な意味で)しがちなんですが「フォアミセス」は良心回路が作動しているのが特徴です。


 「あの山越えて」という作品には、それまでの夢路 行さんの非現実的な展開(ファンタジー要素や甘々な展開)が一切ありません。
ストーリーは・・・『主人公の君子さんが脱サラで農業を始める夫とUターンして、彼の家族と同居することになる。君子さんは田舎の小学校の教師になるが突然の田舎暮らしで・・・」っていう感じのストーリーです。大石家(旦那の実家)での田舎の大家族暮らしになった主人公の日々のあれこれが物語の中心になります。
連載当初は環境が激変した君子さんに降りかかる“田舎暮らしの苦労”がマンガの主題だった感じです。嫁姑問題や勝手が違う村社会のしきたりなどですね。この作品は農業マンガジャンルというジャンルに分けられがちですが、実家が農業なだけで君子さんは農業に関与していません。出版社の考えた作品の公式カテゴリーは『カントリーライフ物語』です。ましてや小学校の先生だけど学園マンガでも地方の教育のドラマでもありません。
多くの評論家は作品のテーマを検証したがるのですが、この作品はあくまでもカントリーライフのストーリーです。君子さんは土着文化の理不尽や深刻な家督制度の犠牲になるわけではありません。成り行きで始まった田舎暮らしですが、問題提起が目的ではなくてあくまでも「カントリーライフあるある物語」にこだわった感じでした。
最近のマンガでいえば、あいざわ遙さんの「まんまるポタジェ」が都会から田舎へIターンという同じ構造の作品です。こっちは主人公の塔子さんがバリキャリOLだったんですが、バリキャリ過ぎて刈ろうだダウンしてしまいます。見かねた旦那が田舎暮らしを提案し地方へ移住するお話です。こっちは主人公(塔子さん)が原因のトラブルを苦悩(混乱)しながら親子で成長していくストーリーです。
マンガの始まりは同じようなきっかけなんですが、エピソードに対する主人公の取り組み方が全然違います。環境が変わった生活の中で地元の人たちと上手く交流していくには、OL時代のスキルは通用しません。新たなコミュニケーションが必要になり、それが主人公の成長譚になっていきます。
対して君子さんは田舎暮らしに順応できたので、全編通して成長はほとんどありません。田舎の分校でも先生をそつなくこなし、教育問題を語るような熱いシーンもありません。問題が起こる(エピソード)のは君子さんではなくて児童のほうで、それすらストーリーが転換するほどの一大事ではありません。どれも日々のあるあるなストーリーに過ぎません。
そもそも成長しないといえば旦那も、旦那の両親も、旦那の兄も、親戚のイヤなおじさんも、姪も、姪の元カノも・・・誰も成長しません。少年マンガの場合は主人公の成長が求められますが、オトナが主人公だと10年そこらで成長するほうが不自然だったりします。自分の親や親戚に向かって「最近成長したね・・・」って思うことはないでしょう。でも、普通のオトナは成長しないんです。
しかし子どもたち(姪のまりなと双子の子どもや飼い犬そして君子さんの生徒たち)はリアルに成長していきます。「まんまるポタジェⅡ」ではハナちゃんも小学生に進学して、すっかりお姉さんっぽくなってきました。
子どもたちが成長がストーリーの中の時間の経過を表現しています。成長する時間のリアルさが成長しない大人たちと対比になっていて面白いですね。


 「あの山越えて」は「オトナは環境を改善するのではなくて、環境に馴染んでいくという」ことを原則にしています。君子さんは都会かぶれで嫌みなオシャレ感を田舎の住民へ押しつけるような“アホな女キャラ”ではありません。
君子さんがおかざき真里さんのキャラのような理屈っぽい女性だったり、稚野鳥子さんのキャラのような浪費癖のあるキャラだったら大石家の家族に受け入れられることもなかったでしょう。そーいう価値観の対立や、都会VS田舎という構造をテーマにしているストーリーではありません。
大石家の住人も地域や学校関係者も、その地域で住み着いている近隣の方々も都会から来た君子さんのことを「大石さんの次男の嫁」としか認識していません。マンガの内容も初期は君子さんに降りかかる問題がストーリーだったんだろうけど、大石家の家族や姪、小学校のほかの先生や生徒、農業の組合や移住してきた人など・・・ あっちこっちにエピソードが振り分けられます。
主人公の君子さんは嫁としても教師としても過不足なく、ほどよい社会性(先生ゆえに)もあるのでストーリー(事件)を起こしにくいキャラ設定なんですね。なにしろ夢路 行さんが「戦わない、争わない、不幸にならない」という平和主義者なマンガ家ですから・・・
「日常マンガ」というジャンルは何も事件が起こらないマンガではありません。あえて何も起こらないことを特徴にした日常マンガも多いのですが、何か起こることがストーリーの基本です。日常マンガの本質は日常を逸脱しない程度の事件が起きるということです。
同じようなホームコメディで無駄に深見じゅんさんの「ぽっかぽか」という無駄に長期連載だった作品がありました。こっちは社会問題や育児問題、深刻に悩む夫婦を、主人公のあっけらかんとした性格で解決する作品でした。
同じ「日常マンガ」の括りだとしても「ひとりで夕飯を食べました」と「社会問題を斬る」の、どちらも日常生活をメインに「日常マンガ」です。君子さんに社会へ発信するようなメッセージは一切ないけど、「フォアミセス」はマンガで社会的な意義を考えるような意識の高い人をターゲットにしているわけではありません。


 作品に対して読者の立ち位置は「一人称で主人公に感情移入する」と「三人称で客観的にドラマ全体の成り行きを見守る」というパターンに分けられます。マンガでははフキダシ以外にト書きでキャラの心情を吐露できるので主人公へ感情移入させるのが得意なジャンルです。これがアニメやテレビドラマ、映画になるにつれて、実写での登場人物の心の声(ナレーション)がテンポの悪さや画面的な不自然さにつながります。当然ながら小説がもっとも一人称な視点に合ったジャンルです・・・
それでは「あの山越えて」はどこの視点で読む作品なんでしょうか? このマンガを18年も読み続けてきた読者は「大石家の近所に住んでいる人」くらいの距離感です。知り合いだけど赤の他人というポジションで「未婚で双子を産んだまりなちゃんも大変ねぇ・・・」とか「あの義母さんは長男夫婦に甘いんだから・・・」っていうウワサ話を18年間も読んできたんです。
ストーリーの中の「それでどうなるの?」というドキドキは、主人公へ感情移入してのドキドキではなくて、よその家の出来事を「大石さんちは大変ね・・・」くらいのドキドキ感です。
「あの山越えて」はみのりの子どもが小学生になるまでの、おおよそ6~7年間くらいの物語です。何度も盆や正月が来て、何度も卒業式や新任の同僚先生が来て、分かれや出会いがあって・・・っていう感じの人生の日常を描いた作品です。単行本でラスト3巻くらいから誰もが「最終回はみのりエンドだろう」と予想できる終わり方でした。
自分にとって「あの山越えて」はとくに楽しみにしているワケでもなく、だからといって読むのを辞める踏ん切りがつくワケでもなくって感じでした。同じように「Papa told me」や「黄昏流星群」も定期購読化しています。新作への期待値よりも習慣で読んでいるようなもんです。
個人的にはマンガの連載は続けりゃいいってもんじゃないと思っています。惰性で連載を続けるくらいなら、スパっと終わらせて新作を読ませて欲しいんですけどねぇ・・・
しかし18年もの長期連載が終了した「あの山越えて」はその舌の根の乾かぬうちに続編がスタートしていました。「日・日・天のたより」というタイトルで前作「あの山越えて」の最終回から数年後の大石家を描く新シリーズで、すでに第1巻は出版されています。
物語は「あの山越えて」の最終回から数年後から始まります。前作は7年くらいのストーリーを18年かけて連載していたので、本編も時間の流れが現実とズレてしまっています。時間軸を調整するためにも完結からの新連載というのは合理的なアイデアだと思います。
正直な話、そもそも「夢路 行さんの作品がとても面白かった」とか「夢路 行さんのマンガはオススメ」って思ったことがありません。同じことが花田祐実さんのマンガにもいえます。両者ともどちらかといえば面白いマンガを描くタイプではありません。(どーいうタイプだよ・・・)
まだ「日・日・天のたより」を買っていないのは、単純に買いお忘れていたのですが、いい機会だから買うのを止めようかなって思案中です。最近は読むマンガの断捨離を進めています。2~3年くらい新刊が出ないマンガを処分しちゃう(続巻も買わない)方向です。目安はギリギリ「よつばと!」の出版ペースが合格ラインっていう感じですね。
だいたい読んだマンガは処分しているんですが、連載中のマンガの置き場所が悩みの種になっていました。「この山越えて」なんかは1冊買ったら1冊捨てるっていうサイクルなので、君子さんが最初に引っ越してきた頃や、まりなと勝が出会ったエピソードなんかはすっかり忘れちゃっています。それでも平気なのが日常系マンガの良いところですね。

でも、そのうち新刊も買っちゃうのかな? マンガを読むのは理屈じゃないから・・・


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