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2021-05

誰向けのアニメ? - 2021.02.07 Sun

片渕須直監督アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」です。


 今回取り上げるのは、年末にBS12(トゥエルビ)の「日曜アニメ劇場」で放送された「マイマイ新子と千年の魔法」というアニメ映画です。BS12は単発作品の劇場アニメなどを硬軟おりまぜて放送するアニメ枠で、往年の名作や子ども向けなメジャー作品、マニアックな趣味性の強い作品、商業的な作品など様々なジャンルが観られるようです。
「マイマイ新子・・・って何だっけ?」という感じですが、同居人はわからない作品は取りあえず録画する方針です。「日曜アニメ劇場」は有名なアニメ作品よりも知らない作品をてきとーに観るのが目的だったりします。知らない作品と言いながらも「マイマイ新子・・・」というタイトルには、自分の記憶の何処かに引っかかっていました。
公開時に話題になった作品のかなって思いながらもオープニングのタイトル時にスタッフロールのようなものがなく、誰の作品なのかもわからないまま観ていました。知らない作品は先入観抜きで楽しむ主義なので、エンディング・ロールまでこの作品の監督が誰なのかわかりませんでした。
「マイマイ新子と千年の魔法」は、元ジブリの片渕須直監督でした。基本的にジブリファンというわけでもないので、ジブリ在籍中の片淵さんの印象はまったくありませんでした。片淵さんはジブリの「魔女の宅急便」のスタッフ等が独立して設立したSTUDIO4℃に参加。「アリーテ姫」で初の長編劇場アニメの監督になり、マッドハウスへ移り「マイマイ新子と千年の魔法」を発表しました。
「あ~、アリーテ姫の監督かぁ・・・」って思う人は本物のアニメマニアです。自分は「アリーテ姫」なる作品は知りませんでした。この記事を書くにあたり片淵さんの経歴をウィキで調べた知識の丸写しです。
ほとんどの人にとって、片渕須直っていえば劇場アニメ「この世界の片隅に」の監督の人ですね。自分も「マイマイ新子・・・」のエンドロールを観て「あっ、この世界の監督の人だったんだ・・・」って思い出しました。この作品にオープニングにはタイトルロールがありませんでしたので、90分くらい監督が誰なのかわからないまま観ていました。おかげで先入観なしで鑑賞できたんですけどね・・・


 「この世界の片隅に」は「マイマイ新子・・・」に共感した人たちの手で企画が進められた作品です。しかし、マイナーな企画ゆえに配給会社には響かず、クラウドファンディングでやっと公開にこぎ着けて最後は社会現象にまでなったヒットアニメです。
「この世界の片隅に」は正しいクラウドファンディングのお手本のような事例でした。一般のアニメファンが片渕須直監督の作品への姿勢を評価し、結果として出資したボトムアップな作品でした。
大手配給会社の営業に作品を見る目がないって結果なんですが、自分もどちらかといえば上映を拒否した配給会社の判断に近いです。こうの史代さんの原作マンガ版「この世界の片隅に」を途中で挫折した経験から、アニメ版にも何の期待もしていませんでした。
  「あのアニメの原作」 ← クリックすると当時に記事へ飛びます
「この世界・・・」が公開されていた頃は「自分はこのアニメを観ることはないでしょう」と言いきっていましたが、テレビで放送されたのをちゃっかり観ています。こうの史代さんの記事もアニメ化ありきだったのですが、アニメ版を観ても然したる追記があるわけでもありませんでした。ビックリするくらい事前に聞かされていた絶賛情報の通りだったからです。
基本的に淡々と描くこうの史代さんの原作にそって、大げさな感動ポルノにはしないアニメでした。だけど自分は原作マンガのほうで挫折し投げ出しちゃったからあまり響きませんでした。「ジョジョ」の原作が嫌いな人が「アニメ版は面白いから・・・」て言われても観る気がしませんよね・・・
「この世界の片隅に」は反戦アニメ?とか歴史の証言?とか、こうの史代さんのほんわかアニメ?とか、様々な解釈ができるのでピント(作品と向き合える要素)が合いやすい作品でした。それに対して「マイマイ新子・・・」はいかにもピントが合わない作品だなって感想でした。
ほぼ90分間観ていながら作者(片渕須直監督のほう)が何を見せたいのか?というのがよくわかりませんでした。この作品は高樹のぶ子さんという80年代の美人女流作家?の「マイマイ新子」という作品が原作になります。1946年生まれで戦争を知らない子どもたちの一期生ですね。この原作は昭和30年の山口県防府市に住んでいた高樹のぶ子さんが9歳だったころの自伝的ストーリーです。
マガジンハウスの「クロワッサン」に連載されていたのでエッセイ風ショートストーリーだったのでしょう。「クロワッサン」はヤングミセスよりもうちょっとお姉さん向けのイケてる生活&オシャレ雑誌です。高樹のぶ子さん自身が57歳のころに執筆した作品なので、ほぼクロワッサン世代?なんでしょうね。連載当時のクロワッサン世代がギリ戦後生まれって呼ばれた世代でした。
つまり原作は昭和30年代+10年前後生まれの女性向けに書かれた女性誌の箸休め的な小説です。初めから9歳の子どもが読むことなんか想定していないんですよね。しかもまだ「an an」を読んでるお子様や「日経WOMAN」を読んでるキャリア系も読者として想定していません。昭和をテーマにした10年のズレは、平安時代と江戸時代くらいのズレになります。
「マイマイ新子・・・」が全く話題にならなかった原因は、このアニメ映画が誰向けなのか明確ではなかったからでしょう。主人公が9歳の新子(幼少時代の高樹のぶ子さん)なのですが、小学生が観て集中力が続くような脚本には思えませんでした。
アニメには「お子様向け」や「マニア向け」そして「オトナ向け」など、漠然とターゲットというものが存在します。「サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」などは、夕飯を待ってる間にぼーっと観る人向けアニメです。だから部活や遊びで夕飯を家族と食べなくなると、「サザエさん」を卒業していきます。


 この作品は「マイマイ新子」という高樹のぶ子さんの原作小説のタイトルと「千年の魔法」という片渕須直さんのオリジナルアニメのタイトルをくっつけて「マイマイ新子と千年の魔法」というタイトルになったようです。ただし高樹のぶ子さんの書いた原作は“千年”(平安時代)や“魔法”とかに言及した作品ではないようです。
アニメのストーリーは原作のエピソードをつなぎ合わせたのでしょう。女性誌のコラム的小説に壮大なストーリー展開があるわけもありません。それだと戦後の地方で暮らす小学生アルアル(作画に力を込めたちびまる子ちゃん)になっちゃいます。それだと本当に高樹のぶ子作品の初のアニメ化っていう感じになっちゃうので、ジブリで「魔女の宅急便」など魔法ファンタジーの旨みを覚えた片渕須直さんが「千年の魔法」っていうジブリっぽいアイコン・イメージをくっつけたのかな?
主人公の新子の脳内平安時代(千年パート)が片渕須直さんオリジナルの部分ですが、魔法といえる部分はなかったように思います。(気がつかなかっただけかも?) この脳内奈良時代というのが主人公が千年前と時空が繋がっているのか? それともちょっと幼い小学生の空想遊びなのかが、わかりずらいシナリオでした。
単純に高樹のぶ子さんの作品で歴史文化をやりたいのでしたら伊勢物語のアニメ化をすれば?って思います。自分の中の伊勢物語は木原敏江先生の「伊勢物語」ですね。
この作品で千年前のシーンが出てくる理由は時空の歪みとか陰陽的な超常現象ではなくて、アニメの舞台が山口県防府市だからです。この地は高樹のぶ子さんの出身地で、周防国衙(すおうこくが)があった歴史ポイントらしいです。一緒に観ていた同居人が歴史く詳しく、防府市の場所や歴史的な背景もピンと来たようですが、自分は地理も歴史も疎く神戸より西は広島しかイメージできません。
企画の順番としては高樹のぶ子さんの小説をアニメ化したかったのではなくて、地方のマイナー歴史ポイントを舞台にしたアニメを作りたくて原作が(ネタ)をさがしたんでしょう。そこから防府市出身の小説家(高樹のぶ子)の自伝的小説の「マイマイ新子」を見つけたんだと推理します。
要するに聖地巡礼有りきのアニメ企画ですね。それを裏付ける記述がエンドロールにありました。

 後援 山口県 / 防府市 / 山口県教育委員会
 協力 山口県フイルムコミッション
 支援 文化庁

協力のフイルムコミッションとは映画やアニメ等のロケハンや撮影許諾の調整をする組織です。近年の聖地巡礼ブームにあやかって、地方のPRのためにアニメなどの作品へ積極的に関わる傾向があるようです。
この作品の凄いところは教育委員会と文化庁が、ダブルでバックについていることです。普通に9歳の子どもがアニメを観るとして、学校の先生が「この作品を観なさい」っていうようなアニメを面白いと思うわけがありません。国の官庁が「この作品は文化的に素晴らしい」っていうお墨付きを出してる作品のドコが文化的なんだか・・・
さらに「マイマイ新子と千年の魔法」はいろいろ授賞しています。

 カナダ  オワタ国際アニメーションフェステバル 長編部門入賞
     
      モントリール ファンタジア映画祭 ベストアニメ賞

 ベルギー アニメーション映画祭 アニマ オトナ向け最優秀観客賞 / BETV 作品賞

 フランス シネ・ジュニア映画祭 観客賞

 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門 優秀賞


フランスの賞は児童向け映画に与えられる子どもとその親たちが選ぶ観客賞です。ベルギーの賞はオトナ向けアニメに与えられる賞なので、海外ではオトナにも子どもにも評価されているようです。
そもそもこの作品が日本では全く観られなかった原因の一つが、配給した松竹が健全な子ども向けアニメとして宣伝したからのようです。本来ならアニメマニアに評価されるのを狙ったような凝った作りなんですが、片渕須直さんのネームがまだ浸透していないので、「教育委員会の後援」という肩書きで作品を選ぶような意識高い系のママに連れられた子どもしか観るチャンスがなかったようです。
文化庁の優秀賞を授賞理由は下記の通りです。

 第14回 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門 優秀賞  贈賞理由

『 連綿と培われてきた児童向けアニメーションの正統な後継者である。だが、伝統的な手法を探りながらも片渕須直監督の導入した視点は実にユニークだ。55年前の山口県防府市の田園風景と千年前そこに存在した都、さらにその来歴があたかも同時に存在するがごとく描かれている。子どもにとって過去は消えてなくなるものではない。彼らの想像力は現在と過去を行きかうのだ。そして現在にも過去にも「奇跡」をもたらす。
こういった子どもたちと同じように、この作品のスタッフは入念な取材のもとに、実際に存在した風景と子どもたちを想像力で再生しようとしている。こうした営みこそがつくりものの空疎さを埋めるのだ。「童心」の本質を独特の豊かな表現力で描き抜いたことで、アニメーションの持つ児童向けの役割を再生させた作品である。』

メディア芸術祭のサイトの書き写しなのですが、偉い人が上からジャッジした偉そうな文章ですね。ちなみにこの第14回の大賞を取ったのは「四畳半神話大系」というテレビアニメでした。こっちの贈賞理由も読みましたがやっぱり偉そうな人が書いたような文章でした・・・
児童アニメの正統な後継者を児童が選んでいるわけではないという部分も気になりますが、この作品を観た時の印象が贈賞理由の中の『 55年前の田園風景と千年前に存在した都、その来歴(由緒って感じ?)があたかも同時に存在するがごとく描かれている 』で表現されています。
文化庁が児童向けアニメーションと言い張るのなら、対象にするべきは文化的なオトナではなくて9歳前後の児童です。児童の父兄や教育委員会が共感できる作品のことではありません。
先生に推薦されようと児童が面白いって思えないような作品を強要するのは迷惑ですよね。「この世界の・・・」のような「反戦や平和の意識を学ぶために観なさい」というのもウンザリですけどね。
行政府が良しとする児童向けアニメを作ること自体は何の問題もありません。問題なのは児童がこの作品を映画館で90分間観続けられるかどーかです。
自分は高畑さんの「かぐや姫の物語」を映画館で観ていたときに、子どもがグズってお母さんが途中退席したシーンに遭遇しました。高畑さんもジブリもこの作品を小さい子に観てもらう気ははなっからありません。アニメファンへ自身のキャリアの集大成を伝えたかっただけです。自分も高畑さんへの惜別のつもりで映画館へ行きました。せめて「竹取の物語」ってタイトルだったら「まんが日本昔話」のつもりで観に来る親子を事前に防げたんでしょうね。
「アニメだから子ども向けに作るのが正しい」というわけではありません。オトナを対象にする作品を否定するつもりもありません。しかし、子ども向けの振りをして子どもへ向き合わない作品は正しい作品とはいえません。
よく言われる「原作ファンのためのアニメ」だとしたら、この作品の場合は現在50~60歳代で元クロワッサン世代の女性です。その方々が川をせき止めてダムを造る小学男子のようなシーンに共感するとも思えません。「ちびまる子ちゃん」的な思い出あるあるでもなく、郷土史マニア向けでも時空SFファン向けでもありませんでした。
初めから片渕須直さんが対象にしていたのは小学生でも元クロワッサン読者でもなく、文化庁や教育委員会、地元観光協会、海外映画賞関係者というアカデミックな専門家たちだったんでしょう。
「いいや、私はこのアニメに共感した」とか「感動した」っていう人もいることはいます。自分の数少ない映画の世間の評判を計るサイト「映画.com」の評価では「マイマイ新子・・・」は非常に高い評価をされています。これはけなしようがないほどの無関心だからって感じです。逆に批判の嵐っていうのはその作品に関心が集まっている証拠です。
結果として「この監督は誰に褒められたくてアニメを作っているの?」っていう感想しかありませんでした。


 前記にて「魔女の宅急便」の元スタッフとともにジブリから独立したと書きましたが、企画当初は片渕須直さんが監督をする予定でした。脚本の差し替えやらスポンサー(クロネコの会社)がごねて宮崎駿さんが監督になったようです。
ラストの飛行船のアクションシーンは片淵直さんのアイデアでした。宮崎駿さんは自立する魔女の通過儀礼?が描きたかっただけなので却下。結局は鈴木敏夫さんの進言で映画のクライマックスとして飛行船のエピソードが採用されたようです。しかし今度は原作者の角野栄子さんを「物語の改変がヒドすぎる」と怒らせちゃいます。(その後宮崎駿さんと角野栄子さんは和解したとのことでした)
自分個人の感想は、飛行船パニックでほうき(デッキブラシ)乗りヒーローになるエンディングよりもトンボ君とシッポリとしたイチャイチャエンドのほうが良かったと思います。あのクライマックスも劇場アニメっぽくって成功だったんでしょうけど、あのシーンこそ角野栄子さんが「これは私の魔女じゃない」って思わせちゃったシーンです。
アニメや映画などの「面白くするために原作を変える(無視する)のは当然」という考えの人は、オリジナルを作るべきだと思います。作品の善し悪しではなくて原作者を怒らせたらクリエーターとして失格でしょう。
そもそも原作は「和風 赤毛のアン」を目指していたんですが、なんか前前前世な作品っぽくなっちゃってます。高樹のぶ子さんも「千年の魔法って・・・何?」って思ったでしょうね。
途中から出てきた巨匠に手柄を取られた片渕須直さんは、ジブリと袂を分かち作家性の高いアニメ監督になりました。「魔女の宅急便」を大ヒットしジブリ・ブランドを確固たるモノにしたのが、片渕須直さんの準備した原案なのか宮崎駿さんの巨匠オーラだったのかはわかりません。
その結果を推理する手がかりとして片渕須直さんは「アリーテ姫」という王女や魔法使いが出てくる世界観のアニメがありました。この作品は片渕須直さんが宮崎駿さんとどう距離を置いているんのかが見える作品なんでしょう。自分は「アリーテ姫」を観ていないから想像なんですけどね・・・


 作品の評価というのは作者の経歴や知名度に影響されることなく、見たまんまをどう感じたかが重要だと思います。しかし「マイマイ新子…」を観て「この世界の片隅に」を観た人と「この片」を観てから「マイマイ新子・・・」を観た人では「マイマイ新子・・・」の印象が違うモノになるでしょう。
大ヒット作の「この片」のバイアスが初見の「マイマイ新子・・・」に“良い作品バイアス”がかかるからです。自分はこの作品が片渕須直さんの作品と知らずに観たのが幸運でした。以前の日記では「自分はこのアニメを観ることはないだろう・・・」って書きましたが、日テレ系であっさり観ました。
「この世界の片隅に」は原作のほうもリタイアしてるので、原作忠実だと「そんなに面白いストーリーじゃないよなぁ(失礼)」って思っていました。別に戦争軽視とか特定の主義ということではなくて、今さら太平洋戦争?っていう印象はありました。戦争とか昭和20年頃の原風景や風俗は、背景や演出であってストーリーではありません。本当に戦争当時の日本へ興味があるのならアニメよりも記録映像のほうが伝える力が強いです。それをアニメ(作画や脚本)で見せる場合は、そのシーンが正確なのか想像なのかの検証が必要になります。
片渕須直さんは時代考証やロケハンの段階で手を抜かず、アニメの基本中の基本の作画の安定性(凄い作画の意味ではない)がしっかりしています。例えば細田守さんの作品だと、シーンによってはアレ?っていうカットもあります。
アニメファンの片渕須直監督のい評価で多い意見は「普通の人々の営みを描くのが上手い監督」というコメントです。営みは夜のコトではなく日常の何気ないシーンを丁寧に作品にすることです。これはおそらく「この世界の片隅に」での評価だと思われます。この作品には“夜の営み”もちょっとありましたね・・・
本来なら「○○神社がホンモノそっくり」とか「戦時中の食器が当時の資料のまんま」というようなディテールは、アニメおいてはそんなに重要なことではありません。渋谷の街並みのデータをCGてトレースする努力は認めますが、凄いか?といえば現在では予算と人材がそろえば誰にだってできることです。アニメをファンタジーと考えるのならリアル方向は絶対条件ではありません。しかし架空の街では山口県や防府市が金を出してくれないです。だから「ご当地アニメ」では風景のディテールがもっとも重要です。アニメという架空の映像を駆使するメディアは基本が作り話だから、ホンモノを混ぜると評価が上がったりします。
食事シーンや何気ない会話とか挨拶を丁寧に描写することを「普通の営みを描写するのが上手」というんでしょう。それは「マイマイ新子・・・」でも遺憾なく発揮されていて昭和30年代の地方の農村や繁華街を綿密に描いています。それって現代の9歳の子どもにとって興味がわくのかな?って疑問がありました。
自分は「マイマイ新子・・・」を観ながら時空の歪み(平安時代と昭和時代のクロス部分)が気になってエピソードが頭に入ってきませんでした。この作品はソコが重要なのではなく戦後の小学生の普通の暮らしぶりを普通に描く目的のアニメです。主人公の新子に千年前と現代の時空を繋げるチカラがあるのか? それとも主人公の新子の空想癖にひたすら付き合うストーリーなのか・・・?
「昭和30年代の普通の人々の営み」を描くのが目的だったんだろうけど、全然面白くなかったです。


 「この世界の・・・」は戦争をテーマにするのなら「そーいうモノだから」と割り切って観るやり方もあります。自分はアニメで反戦メッセージを学ぶつもりはないし、こうの史代さんの原作マンガ版もそんなに面白い印象がなかったから「ふ~ん・・・」って感じでした。
とくに批判すべき問題もなく、ましてや史実違いや原作無視のシーンがあるわけでもありません。原作をあまり知らないから正誤性は取れていませんけどね。主人公のキャラやエピソードがあんまり面白くなかったのは、原作由来の部分だと思います。それでも終戦へ向けてストーリーが進むから、観やすい作品だなって思いました。
ところが「マイマイ新子・・・」のほうはマイマイ新子パート(高樹のぶ子さん原作の部分)と千年の魔法パート(片渕須直さんのオリジナルシナリオの部分)が、どこへ向かっているのかさっぱり判らない作品でした。
「マイマイ新子・・・」は、かなり早い段階で転校生の女の子の豪華な色鉛筆を知的障害っぽい男の子が勝手に借りてぐちゃぐちゃにしちゃうシーンがあります。障害者差別とか、昔の子どもには差別なんて概念がないとか「こーいうシーンが描ける俺ってスゲぇだろ・・・」なのか知りませんが、この段階でアニメを消すかどうか審議になりました。自分よりも同居人のほうが怒っちゃったから・・・
想像ですがこのシーンは原作にあったんだと思います。高樹のぶ子さんの体験としてそいうい同級生の男子がいたからできたエピソードでしょう。これは2003年頃に高樹のぶ子さんと同世代の読者が共有する記憶の中にありがちだったエピソードだったんでしょう。それを現在のアニメで切り取るのは別の印象を与えてしまいます。男子が悪意で金持ちの子へ意地悪してるのではなくて、知的障害だからしょうがないというほうの絶望感が強かったです。
「昭和の時代は知恵おくれって普通の子どもと一緒に教室で勉強してた」っということを「戦時中は防空壕に入って・・・」と同じ昭和アルアルで語られるのは違う気がします。現在の知的障害児童がどういう待遇なのかは勉強不足なのでわかりません。しかしストーリーの中でこの問題に向き合うこともなく、“昔は変なヤツっていたよな”というアルアルとして描くことがリアルなのかな・・・?
それ以降も主人公や登場人物がなんか好きになれないまま、時空の歪みは?って思っているウチに90分が終わっちゃいました。
面白いかつまんないは極めて主観ですから「私は感動しました」とか「新子はオレの嫁」っていう人がいるのは当然です。当たり前だけど自治体や官庁の役人は協賛するくらい感動したんだしね。


「面白い」を客観的に説明してみましょう。同じように昭和30年代の地方を舞台にした文化庁優秀映画製作奨励金交付作品(文化庁お墨付き)のアニメ映画に「となりのトトロ」があります。そもそも片渕須直さんが「魔女の宅急便」の監督候補になったのは、宮崎駿さんが「トトロ」を作っていて手が回らなかったからです。したがって「マイマイ新子・・・」と比較対象が「トトロ」なのは望むところでしょう。
「となりのトトロ」は昭和30年代の埼玉郊外(武蔵野の森)の12歳と4歳の姉妹が謎の生命体と接触するストーリーです。そもそもサツキは4年生という設定だったのですが、あまりにしっかりとしたお姉さんキャラなので6年生に変更されました。「トトロのアノシーンが・・・」っていえば、いろんなシーンが思い出します。「まっくろくろすけ」「メイの授業参観」「バス停の雨宿り」「ねこバス」など・・・ 誰もが思い出すシーンがありますよね。この「記憶に定着しているシーン」がその作品の面白かった部分です。(笑えるシーンというわけではありません)
これらのヒットシーンがどれだけあるかがその作品の決定力といえます。サッカーではフォワードがゴールを決めて得点を競うゲームですが、Jリーグでもフォワードが90分で撃てるシュートはせいぜい10回くらいです。チームで合計でも1~2回くらいしかチャンスがない試合もざらにあります。シュートが決まる決まらない以前にシュートシーンが無ければ観ていても盛り上がらないです。
「マイマイ新子・・・」では子どもたちが用水路?をせき止めて水たまりを作り金魚を飼うシーンがシュートチャンスだったようです。最後の田舎の繁華街の風俗店へ殴り込みをかけるシーンも枠を外しちゃった感じですね・・・
結局ノーゴールだった試合でもサポーターにとっては無意味な試合とは限りません。サッカーではゲームの質は最低でも価値のある引き分け試合もあります。でも、シュートシーンを見せられないアニメ監督は二流だと思います。観客を楽しませるということは創作者として最低限の基準です。


 「マイマイ新子と千年の魔法」を観ながら、わんぱく少女アニメが作りたいんだったら高樹のぶ子さんの原作なんか使わないで深谷かほるさんの「エデンの東北」なんかをアニメ化すれば面白いのにって思っちゃいました。
片渕須直さんは「わんぱく」とか「はっちゃけ」とかいったマンガ的アイデが得意ではないような気がします。自分は観ていないのですが観た人たちのレビューによると「アリーテ姫」のほうもそんなに楽しい作品ではないようです。作品のディテールの対するこだわりはもの凄いのですが、アニメを観ている人が楽しめるようなセリフ廻しやアクションの面白さは乏しい印象でした。そーいうアニメ的な盛り上げ方よりも、教育委員会の評価基準のほうを向いてる感じです。片渕須直さんのアニメ監督としての実力は「この世界の・・・」でも証明されています。
片淵素直さんが考える正しい作品の到達点がアニメファンの求める到達点とズレているんじゃないのかな? 自分の考える正しいアニメの到達点もアニメファンのそれとズレているんですけどね・・・


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