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2021-05

今年の鬼滅は今年の内に - 2020.12.16 Wed

「鬼滅の刃」はどうして流行ったのか?をちょっとだけ考えてみる・・・


「鬼滅の刃」のマンガ版も読まず、劇場公開の「無限列車編」も観ていないのに、またまた「鬼滅の刃」についての記事です。知っている知識はテレビアニメ蛮の22話~26話の全5話分と、テレビやラジオなどのマスコミの情報だけです。「知ったかぶりで語るなよ」という指摘もあるでしょうが、まさに知ったかぶりで語っているだけです。例えば「スターウォーズ」なんかは熱狂的なファンだけでなくて、アンチもたくさんいます。(自分もアンチです)しかし「鬼滅の刃」の特徴はアンチファンや否定するコメントがほぼ無いということです。
自分レベルのひねくれたアニメやマンガ好きにはネガティブな意見の人もいるんでしょうが、マスコミ側や評論家的なコメンティーターやタレント、著名人の人がメディア媒体で「俺はつまんないと思うよ」くらいの意見すら見かけません。自分自身が観て面白くなかったんだったら、な人の感想は置いといて「つまらない」って言ってもいいんじゃないかな?って思います。だって日本中が面白いって声を揃えるには不気味しゃないですか・・・?
同じ時期に公開されている「STAND BY MEドラ泣き2」を観たメディア関係者の意見は、自分調べでは100%駄作認定です。国民的人気の「ドラえもん」の新作が誰も褒めていないのはおかしいと思っていたら、俳優のナガハマ シンという方がYouTubeで「大号泣」と言っていました。彼は11月20日の段階で最速レビューを自負していますが、明らかにフライングだったという感じでしたね。
1週間待てば著名・無名の映画ファンが酷評してることに気がついたことでしょう。去年公開された「CG映画版ドラクエ何たら」の監督なので「何度騙されてるんだよ!」っていう感じです。監督が山崎貴さんなんだから判りそうなモンだからね・・・ (ナガハマ シンって誰?)
誰でもいいからひとりくらい「鬼滅の刃」を上手いこと批評している人がいないのかな?って思っていたら、アニメ監督の押井守氏さんが「鬼滅の刃」の劇場版に対してコメントがネットニュースになっていました。押井さんはアニメーターの中では数少ない作家性で勝負しています。こーいうブームになっている時にこそ嫌われ者キャラとして逆張りコメントが出せるタイプって感じですよね。
自分としては「うる星やつら」や「パトレイバー」が高橋留美子先生やゆうきまさみさんのマンガ版のほうが正しい(面白い)ということに気づいちゃったので、押井信者とは一線を引いています。なにより押井さんのテロリスト崇拝が性に合わないんですよね。
そんな押井さんなんですが「100万人は作品の力、それ以上は社会現象」と説明しています。これはジブリの鈴木敏夫さんの言葉とのこと。当然ながら押井さんは「鬼滅の刃」の映画も原作も未見ということを強調しています。ヒットした原因はコントロール不能な「バズる」状態になったからで、バズるのは現象であって説明できないから「バズる」のだそうです。「バズる」ための臨界点はどこなのか?は謎であり、納得できる答えは出ていないのだそうです。
よくわかんない部分もあるけど、自分と押井さんの意見が一致したのは初めてかもしれません。「この先も映画の続編が作られるだろうが、1作目ほどヒットするかは怪しい」とのことです。押井さんなら「幼稚とか、価値がない」くらいの憎まれ口を叩くかときたいしたんですが、さすがの押井さんでも鬼滅ブーム(社会現象)には抗えないんですね・・・


 「何故、鬼滅ブームになったのか?」を作品が面白いからで片付けるのは簡単ですが、それでは批評とは言えないのでウケる要因を考えてみましょう。この作品は「子どもにウケた作品がオトナにも伝染していったのか?」それとも「先にオトナが面白さに気づいて話題になったことで子どもに普及したのか?」の判断が難しいです。自分がこの作品を認識したときにはすでにバズっていたのでどっちが火をつけたのか判りません。小学生の知り合いがいないので・・・
先程、引き合いに出した山崎貴版の「映画 ドラえもん」の場合は、子どものドラファンを無視してでも「CGアーティストの俺様が作ったドラえもんを観てくれ」っていう勘違いや的外れな興行が鼻につく感じです。オトナになったドラえもんキャラのストーリーは子どもの求める展開ではなく、オトナ太刀の自己満足なだけの発想です。恐竜や海底などは子どものニーズを考えれるんだろうなぁって思うから、子どもではない自分はスルーしてきました。のび太がしずかちゃんと婚前交渉でラブホに行き、先に風呂に入っているしづかちゃんに風呂場へ押し入り「イヤ~ン、のび太さんのエッチ」って言われたり「いざ本番っていう時にのび太がビビって勃たなくなるエピソード」の何処が子ども向け映画といえるのか?(そんなシーンはないんですけど・・・)
こっちのほうの失敗はプロデューサーや配給会社が「山崎貴で良いのか?」を真剣に考えなかったことです。能力が無い人が悪いんじゃなくて、能力のない監督を起用した人が責任を取るべきです。山崎貴さんは子どものニーズが理解できていないか、もしくは子ども向け作品を根底でバカにしてるんだと思います。
子どもを切ってオトナ向けに特化したとしても、100万人の大台は難しいです。「アンパンマン」や「機関車トーマス」のように子どもに特化する作戦は、子どもの人口比の分までMAX狙えます。しかしバズるにはマスメディアやネットの評価が重要なので100万オーバーを狙いにくいです。
「鬼滅の刃」が興行成績で戦っている上位の映画は1位(現段階で)の「千と千尋・・・」から10位の「ハリーポッター」まで名作映画というよりも大流行作品っていう感じの作品が多いです。ジブリ作品やディズニー作品、細田作品、「タイタニック」や「踊るフジテレビ」などなど・・・
映画興行ランキングのベスト50位までを見ていると、作品のクオリティーや評価の高さでは100万人の壁を越えるのは内容よりもミーハーな社会現象をどれだけ盛り上げられるのか?という傾向が見えてきます。制作費よりも宣伝費が重要というのも、往年の角川映画の手法のまんまじゃんっていう感じです。上位に同じ企画の作品が入っているのもシリーズや監督がブランド化する必要があるんでしょう。90年代の「タイタニック」がレオ様人気だけで今だに歴代3位なのはスゴいですね・・・


 作品がバズる要因は「メインターゲット世代に大ヒット」は最低条件で、「オトナや小さい子にも理解(共感)できる」と「メディアが大騒ぎするメリットがある」が必要です。今回の「考察は名作について」ではなくて「どういう作品がバズる作品なのか?」なので、作品のメッセージや社会的意義はまったく考慮しません。子どもへの影響や現代社会を映し出すという評価ですら、作品がバズることと全く関係ありません。
「鬼滅の刃」の掲載誌の「少年ジャンプ」のベース・コンセプトは『友情・努力・勝利』です。サブカルの評論家たちによると「鬼滅の刃」はジャンプの王道の三原則がウケている要因だと語っていました。そんなのが最近のクールな小学生にウケるわけないじゃんって思います。
「ボクたちは友情や努力する作品で勝利の瞬間に共感するんだ」って小学生がコメントしているんだったら正しい分析といえるのでしょう。オトナが小学生に「鬼滅の刃は何がスゴいの?」って聞いたら「友情」とか「努力」とか答えるのは、オトナがそーいう答えを聞きたがっていることを子どもたちはちゃんと把握してるからです。
じゃあ、何が子どもの心に刺さったのかといえば、まずは「キャラクターの名前の難しさ」ですね。キャラの名前でコレを読むのは無理だろっていう難解漢字(難解読み漢字)を上げてみましょう。
 
・竈門炭治郎  主人公なので露出が多い2020年で一番有名な名前
・竈門禰豆子  この人(鬼?)もネズコという音で覚えた。 変換のコツは「ネギ」と入力
・嘴平伊之助  猪の人ですが猪という漢字ではなく「くちばしがたいら」と入力
・不死川玄弥  「ふしかわ」だけど「シナズガワ」と読むトリッキーです
・栗花落カナヲ 変換は簡単ですがどうしてこう読むのかはさっぱり判りません
・伊黒小芭内  逆に素直に読むことで正解するパターン 
  
(1億冊以上売れている国民的な作品なので、あえて正解は書きません)

小学生がこんな難しい漢字を読めるのか?というか、むしろ常用漢字ですらありません。オトナはネット情報やテレビの情報で「誰が誰やら・・・」って感じなんでしょうが、マンガ版(ジャンプコミックス)では、全てのセリフの漢字にはフリガナが振ってあります。だから読めて当たり前なんですが子どもにとっても難解漢字のオンパレードだという認識があり、「竈門っていう字、お母さんは読めないんだ・・・」という優越感を満足させる要素になります。
オトナは読めない以前に「読めた名前を覚えていられない」という問題もあります。これも子どもの自尊心を満たすことになります。あいつらはポケモンのモンスターを暗唱できる位の記憶力です。「そんなモノを覚えるくらいだったら、九九を覚えろ!」って心の声を押し隠したお母さんも多かったと思います。それくらいヤツらは無駄な情報を覚えるのが得意なんですよね・・・
難解漢字をアニメで使うメリットは海外ウケがいいのかもしれません。ゴチャゴチャした漢字は欧米ではクールに感じるので、作中の漢字もあえて旧字体にこだわって和テイスト風です。


 次に子どもにウケた要素はストーリーの明白化です。多くの方が言っているようにヤヤコシイ設定や難解漢字のキャラのわりに、観ていればわかるストーリーようです。観ていて判りにくい作品というのは、碇司令がシンジ君に何をさせたいのか?とか月に刺さっている槍は何なのか?などです。
「鬼滅の刃」の場合は「鬼はこういうヤツ」「鬼殺隊はこういうヤツ」「目的は鬼化した妹を人間に戻す」「ラスボスは無惨」など、ストーリーは色々と明確です。ネットニュースでも「ラストでまさかのドンデン返しが・・・」というコメントがないようなので、鬼ヶ島で決着するんでしょう。
「使徒って?」とか「リリスが・・・」っていうデタラメな用語で引っ張れば、アニメファンを自称する人たちの支持は得られますが、それではジブリを越せないのは歴史が証明しています。「エヴァンゲリオン」や「まどか☆マギカ」などがオタクカルチャーに評価されればされるほど、一般の子どもたちや普通のオトナからは敬遠されてしまいます。
普通に演出を考える人なら「一捻り入れる」とか「まさかの展開へ」という欲求に勝てません。そこは「少年ジャンプ」の編集部のヒット作に対する自信の表れだと思います。彼らは小学生はどれくらいの引きで釣れるのかを熟知しています。同規模にバズった「進撃の巨人」のほうは講談社がマニアック路線から抜けられなかったので「謎オチ」に終始しちゃっています。それは明快なストーリーとはいえず、最近は尻すぼみな印象です。もうじきクライマックスなのにね・・・
ストーリーは単純明快ですが、覚えなきゃいけないアイテムは尋常じゃないほど多いです。鬼殺チームや鬼チームのキャラの多さは「ONE PIECE」を彷彿させますし、サポートメンバーや必殺技の名称も大量に覚えなきゃいけないです。しかしコレなの名前はコントローラーのLボタンを押しながら一覧を呼び出し、○ボタンで選択できるような情報量です。
丹治朗の修行シーンも番場蛮が大回転魔球を習得する時のような創意工夫がありません。スライムを倒しているうちに、経験値が上がってキラーマシーンも倒せるようになるっていう感じでした。なんか主人公が必殺技を考えるんじゃなくて、言われたカリキュラムをコツコツこなすよい子っていう印象です。そーいう受動なキャラがヒーローマンガの主人公でいいのかな?って思いますが、経験値が上がれば強くなるというのに疑いのないRPGゲーム世代には違和感がないんでしょう。


 親御さんの中には「残虐シーンを子どもに観せていいのか?」っていう不安があるそうです。「鬼滅の刃」はキャラ絵の可愛らしさに対して鬼との戦いはかなりロい描写が気になります。昔だったら教育ママゴン(死語)が「すぐに放送を中止しろ」って大騒ぎする案件なんでしょう。
残酷な描写があまり問題視されない要因として「残酷なシーンを描写できるアニメは子ども騙しではない作品」という思い込みがあるような気がします。これは永年思っていることなんですが「暴力を隠す=子ども騙し」「残虐を描写する=オトナ向け(ホンモノ)の演出」という風潮はおかしいと思っていました。残酷なシーンを描かなくても意味が伝わるのが本当のオトナ向けの演出です。
シモのハナシですが誰でも毎日うんこをしますよね。これで幼稚な演出とオトナ向けの演出の違いを説明します。「人間は誰でもうんこするんだよ」って意味があるようなセリフで「俺は肛門のヒダまで作画する」というのはリアル指向でしょうか? トイレのドア越しに水を流す音だけで排泄を理解させるのが正しいオトナの配慮ですよね。
「時代劇(チャンバラ)で、刀で斬っても血が出ないのは“ごまかし”」ということですが、殺陣の様式美とリアリティーの兼ね合いだと思います。うんこは極端な例ですが、女性が飲み過ぎたシーンでゲロを吐くシーンをどう描くかだとその監督の様式美とリアルの見識が問われます。客が観たくないシーンと観たいシーンの比率をどう解釈するか?ですね。
有名女優が嘔吐するシーンを観たい人と、そんなシーンは観たくない人はどちらの意見もありです。昭和の名言で「芸術のためなら脱ぎます」というのがありますが、今よりもオッパイに価値があった時代に落ち目な女優さんが一発逆転を狙ったセリフです。「芸術作品にセックスシーンがあってもポルノじゃないわよ」って自分に言い聞かせているセリフですが、観客にとってはオッパイの芸術性なんかどーでもいいハナシですよね。
「首を斬り落とすシーンでオトナ向け演出」というのは、宮崎駿さんも過去にやっていました。「もののけ姫」の冒頭のチャンバラシーンで主人公がもモブの兵隊の首をばっさりするシーンを、予告編でもアピールしていました。これは宮崎駿さんの「トトロとは違うんだよ、トトロとは・・・」というメッセージであって、ちょっと大人げない(幼稚)な演出だなぁって思っちゃいました。
残虐なシーンは観たい人と観たくない人の比率であって、その作品の視聴者はどっちが多いのかを見極められれば有効な要素になります。観客の希望の合えば、残虐でも嘔吐でもうんこでもOKなんですよね。「寅さん」でヒロインのヒモの男がヤクザにドスで滅多刺しにされるシーンは、お正月に初笑いのために劇場に来たお客さんを絶望に追い込んじゃいます。逆に血も叫び声もないジェイソンってなんじゃそりゃ?って感じです。
「鬼滅の刃」の場合は子ども向け作品で残虐シーンを観せるかどうかの選択で、集英社やアニメ会社は「子どもへ残虐シーンを観せるのはアリ」と判断しました。ここで「子どもは嫌がるだろうけど本気の作品作りに残虐シーンは必要」という昭和の女優のような発想だったらここまでヒットする作品にはならなかったと思います。


 子どもにとって「鬼滅の刃」の何処がそれまでにアニメと違ったのか?といえば、子どもが求めていた残虐シーンがあったからです。男子小学生(中学生も含む)が見たいモノの1位は疑う余地なくオッパイで決まりでしょう。友情も努力も勝利もすべてはヒロインのオッパイで台無しになります。しかし女子にはオッパイは無意味なのでオッパイ押し、パンチラ押しでは小学生の半分にしかヒットしません。実は女子のほうが男子よりも性的指向回路は発達しているんですが、それは作画でどうこうできる部分ではありません。そっちのエロ要素を上げると男子はぽか~んになっちゃいます。
そもそもメディアのエロ攻撃に引っかかっちゃうのは第二次性徴(懐かしい響き・・・)以降のことであって、小学生男子の持つエロスペックなんか「見ちゃダメ」ってオトナがいうから見たい位のスペシャル感でしかありません。この原理を利用したのが小学生に絶大な人気の「うんこ」です。何でうんこがスペシャルだったのか?は、小学生に戻れないオトナたちにはさっぱり理解できません。
子どもが感心を持つ順番は最初が主人公(ヒーローやお姫様)なんですが、やがて死の世界に取り付かれます。その後、異性に目覚めたりエロに目覚めたりして、死への憧れなんか忘れちゃうのが一般的な流れです。
死への興味は子どもが虫を無意味に殺したりすることとは関係ありません。あれはどちらかといえば知らないモノへの興味なので、犬は死んだら可哀相だけど虫は可哀相だという判断が付いていないだけです。虫も犬も同一線上の生き物なんだと判ればむやみな殺生をしなくなります。
危険なのは死への興味がエロへの興味に移行しない子どもの場合です。危ないのは死への興味は哲学的っぽさがあって、エロへの興味は俗物っぽさがあるということです。ちゃんとエロへ成長できない子どもは、死へ取り付かれていってしまいます。エロは対称がアイドルでも同級生や先輩、後輩、先生でもAV女優やエロサイトであったとしても関心が他者に向かっています。
逆に死への関心は自身の内側にこもっていくので、思考がアンダーグランドに行きがちです。生きていく上で必要なのは性への関心のほうで、死への関心は未熟な思考ということになります。オッパイへの憧れは健全な成長の証だけど、死への興味は死への執着や歪んだ思考になりがちです。親が心配するべきは、エロ息子よりもエロに走らない息子のほうでしょう。


 従来のジャンプ編集部だったらうんこかオッパイで子どもの機嫌を取るていう印象でしたが、「鬼滅の刃」では露骨に残虐シーンをわざと全面に押しています。背景に「進撃の巨人」が世の中に受け入れられたことが大きかったと思います。
子どもにとって残虐に殺されるシーン(鬼でも人でも)は禁忌であり、死について語ることすら親たち(オトナ)はいい顔しません。親としても我が子が暴力は当然として残虐なシーンを観たがるのはビビりますよね。「加虐的な性格なのか?」とか「心の闇があるのか?」って考えると不安になるのはもっともだと思います。
しかし実際の子ども時代は単純に死という非日常に興味があるだけで、性という非日常?の前に誰もが通過儀礼として死を意識します。そのシーンが首をはねるとか刀で斬り刻まれるなどのシーンだと興奮がマックスです。エロエロでいえば、ただパンツが見えるとかオッパイがポロリするシーンだけでもラッキー・エッチなんですが、本番シーンや更に集団暴行や自慰などが観れたら大興奮です。
そーいうシンがあるアニメも深夜アニメだったら無くはありません。しかしそれらの作品を親に目を気にしながら観るのは至難のワザだから、バズるほどのヒットは難しいです。
業界的にバズったほうの「まどか☆マギカ」は死に向き合った作品だったのかもしれませんが、ロリコンアニメという親がもっとも嫌がるジャンルなので、ヒットのアニメマニア止まりっていう印象でした。重要なのは「まどか☆マギカ」がどーいうテーマの作品かではなくて、オトナがどういう作品と認識するかです。観るのは子どもだからオトナのイメージは関係なさそうですが、子どもの中でもオタク嫌い子にはマニアックな作品は敬遠されたりします。
何故か本来は15禁でも不思議でない(むしろ18禁?)な残虐アニメが、「鬼滅の刃」に限って幼稚園児でも観られるようになりました。人が残虐に殺されるシーンは誰だって観たいじゃないですか。そのために殺害以外の部分を徹底的に「良いアニメ」に作り上げました。作画もシナリオもテーマもくすぐりのギャグも観少女キャラも格好いいお兄さんキャラも・・・ 老若男女すべての人に満足できる作品を用意して「鬼のシーンで怖いシーンはあるけどそこを我慢してみれば凄く良い作品だから」という免罪符を手に入れました。
我慢するどころか子どもにとっては願ったりのことです。普通だったら怒られるようなマンガを親世代も夢中になっているんだから・・・ この構図は「クレヨンしんちゃん」の劇場版アニメでも観られる方法です。しんのすけを観たがる子どもと子どもアニメに付き合わされる親の両方を楽しませる作戦ですね。


 「鬼滅の刃」のアニメに関するニュースやバラエティーでの取り上げ方で今までとは違う部分に気がついたでしょうか? 例えば「ONE PIECE」や「ドラえもん」の新作アニメ映画などは、日本テレビしか観ていないとそんな映画公開してることすら伝えません。逆に「名探偵コナン」の場合はTBSでは存在すらしていない風なんでしょう。日テレ系以外のテレビ番組で「名探偵コナン」を話題にすることも皆無なんでしょう。フジテレビ以外の番組で「事件は会議室で起きているんじゃない・・・」ってギャグは御法度でしょう。
これは最近のアニメや映画が放送局と紐付きな関係にあるからです。これは“製作委員会方式”という製作システムのためです。クレジットの表記は様々だけど○○製作委員会って書いてあるのや○○チームっていう感じの表記はザンブ製作委員会方式です。
製作委員会とは作品を製作する前にあらかじめ出資会社を募り、公開時の利益の配当と損益のリスクの分散を目的にしたシステムです。現在公開中の京アニアニメ映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では製作がヴァイオレト・エヴァーガーデン製作委員会とクレジットされています。この製作委員会は「ヴァイオレット・・・」というアニメを作りたくて集まった有志のメンバーのことではありません。この作品の売れ上げを分配する出資会社ということです。
謎の声優に人気俳優の抜擢や誰コイツ?っていう主題歌の歌手などは、それぞれ出資会社の紐が付いていると想像できます。どんなに世間で「コナン」がウケていようが日テレの商品を他局で宣伝する意味はありません。出資のイメージだと株式会社が社長や社員のものではなくて出資者の利益のためのもとという感じで、アニメが監督や原作者、アニメファンのものではなく、出資やの配当のためのものです。
「鬼滅の刃」はアニプレックス(ソニー系配給会社)集英社(原作の出版社)ユーフォーテーブル(アニメ製作会社)の3社の持ち出しで製作された作品です。分配比は知りませんが、映画館やテレビ局、謎の大手代理店、謎の大手缶コーヒーメーカーなどが入った製作委員会とは違う形態です。製作に携わった会社で利益を分配するシステムのようです。
自分が想像するに今回のテーマの「鬼滅は何故バズったのか?」の答えは、この製作委員会方式をとらなかったことが勝因だったんだと思います。極端なハナシ、映画会社が製作に入っていないから東宝以外の映画館でも上映できるから、日本中の映画館が鬼滅だらけという珍現象になりました。
テレビやラジオ、新聞や雑誌(紙媒体)などでも利害がないので好き勝手に報道や話題として取り上げてくれます。これは宣伝費0円で広告を打ってるようなモンです。現代社会ではステマが疑われると大バッシング祭になりますが、自然発生っぽい場合は核分裂のように無限に広がっていきます。
香水の歌や謎のリレー動画のように「作為的な企業の何か」ではなくて、「自分が良いと判断した者が広がっていくモノに対して拡散させた当事者意識」は自分がバズらせたという満足感(謎の自己肯定感)が得られます。香水の歌も「鬼滅の刃」も企業媒体の誰かの利益のためなんですけどね・・・
つまり、製作委員会方式でないことが最大の成功要因です。身内だけが儲かる私的なコラボではなく「市松模様」とか「壱ノ型って言いたいだけ」くらいのレベルのコラボも容認してました。鬼滅って言えばウケるんなら鬼滅というアイコンを自由に使って構わないくらいの印象です。結果としてNHKも含めたすべての放送局が勝手に鬼滅キャンペーンをやっていたんでしょうね。


 もう一つマンガファンからすれば、集英社が原作者の吾峠呼世晴さんを隠したことが興味深いことでした。隠したという表現が正しいのか真相はわかりませんが「田舎に帰った」とか「もう引退した」とか、一線から離れたような報道を見かけました。
そもそも吾峠呼世晴さんに関しては画力を疑問視する声が聞こえていました。自分はネットで吾峠呼世晴さんのデビュー作(投稿作?)を見ましたが、お世辞が言えるほどの内容ではなかったです。ジャンプの編集部には「進撃の巨人」の作者の諫山創さんを取り逃がした苦い過去があります。それでだとは思えませんが、編集部の総力でバックアップしたのが「鬼滅の刃」だったんじゃないのかな?
過去にもジャンプには「ドラゴンボール」や「リングにかけろ」など、始まりと全然違うストーリーになった作品は多いです。興味深いのは「鬼滅の刃」の評価されるポイントがすべてジャンプ的な少年マンガの特徴やマーケティングと符合することです。
吾峠呼世晴さんが考えたストーリーというよりも、みんなで会議して練られたすストーリーっていう印象が強いです。マンガのストーリーは作者が独りよがりで考えるのだから偏りや固執する部分が必ずあって、それが作品の味(個性)になったり欠点になったりします。アニメの場合は製作に大人数が携わるので、企画会議からみんなの意見を出し合って作品の方向性を決めます。
ジャンプ等マンガ編集部にも当然ですが編集会議があります。マンガ家が考えた作品を会議で議論するのと、会議で議論した作品をマンガ家に描かせるのは微妙に意味が違います。吾峠呼世晴さんがそーいう色々を上手にマスコミ対応できないタイプの人ならば、編集会議で吾峠呼世晴さんをマスコミから隠す(引退させる)決定があったのかもしれません。(100%憶測ですが・・・)
謎のベストセラー作家で似たタイプだったのが「鋼の錬金術師」の作者の荒川弘さんですが、荒川弘さん自身の正体は不明でも作品のクオリティーに対する知名度は抜群でした。これだけの社会現象になった作品を考えた張本人であるはずの原作者が、ここまでノーコメントというのは不自然というか作為的なチカラが影響しているって勘ぐっちゃいます。今までのエンタメ界での通例では作品論とかテーマとか何らかの政策に関する作者への取材があって然るべきです。アノ諫山創さんでさえNHKの密着取材を受けていました。
自分としては画期的なアニメ公開前に最終回が決定していたことです。全23巻というジャンプにしては比較的あっさりと完結したことと、アニメ化によって原作マンガが再評価されたのも考慮すると、かなり早い段階からアニメ化チームのユーフォーテーブルのスタッフとジャンプ編集部で綿密なストーリーのコンセンサスができていたと想像できます。アニメ化の構想がマンガがヒットするタイミングより前から準備されていたとしたら、そこにうだつが上がらなかった新人マンガ家のアイデアなんか口の挟む余地などありません。
そうなると原作者の吾峠呼世晴さんのクレジットだけを残して、マンガ家としての吾峠呼世晴さんは故郷に帰ってもらうことまでがプロジェクトとして決定していたのか?って陰謀論も想像できます。
むしろ「吾峠呼世晴さんの次回作にご期待下さい」っていうほうがいろんな人が不幸になるような気がします。
集英社のマンガ誌の中でも少女マンガのほうは、ベストセラーを出した作家の次回作は同レベル以上の新作をだすのが当たり前っていうイメージです。しかし少年マンガは2本目を当てるのが至難のワザっていう印象ですよね。作家に才能があったからヒットしたのでは?って思うんですが・・・


 「鬼滅の刃」は完結している作品なのでアニメの「無限列車編」の続きをどういう形式で公開するかの作戦は三社で協議されていると思います。集英社としても柳の下には「呪術廻戦」というダークヒーローものや「約束のネバーランド」の後半戦のアニメが控えています。
何だか共通しているのは残虐さや悪意がテーマの作品ばっかりなんですよね。「ごくせん」や「ちはやふる」のような作品は少年マンガではできないのかな?っていうのが感想ですね。


「ほぉ」って思ったら押してね

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