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2021-05

封建と専制君主 - 2020.12.12 Sat

アニメ版「鬼滅の刃」の22話と26話を比べて思ったことについてです。


 鬼滅の単行本の最終刊が発売され、新聞に集英社が得意の全面広告が出ていました。ウチは読売新聞なので炭治郎バージョンもありました。せっかくの全面広告なんだから「鬼殺隊報」の新作描き起こしでも載せればよかったのにね。
発行部数が累計で1億2千万部以上とのこと。今回の鬼滅ブームではネットのマンガ読み放題サイトでダウンロードするよりも、紙の本を購入する方が多い印象があります。(検証していませんが・・・)
「本屋さんがてんてこ舞い」という報道を聞くと「出版界よかったね」って心から思います。売れない名著はベストセラーのおかげで出版できるシステムなんだから・・・


 前回の記事では「鬼滅の刃」のテレビ版の第22話~第26話のうち、23~25話の部分だけについて書きました。この3話は治療回と修行回なのでブルボン小林さんの言うところの「鬼滅の刃の魅力は修行や治療シーンを丁寧に描く」という部分だったと思います。治療といっても「ドラゴンボールの仙頭のようなアイテム」ではなくて、療養所で治療に専念するという“リアリティー?”が見所だそうです。修行パートの表現も“指示されたトレーニングを信じて続けていれば習得できる”という感じでしたね。
第22話は「お白州回」で第26話は「リストラ回」でしたが、この2回は「鬼滅の刃」のベースになる鬼殺隊と鬼チームのカラーの違いや、本質的なテーマが浮かび上がる重要な回でした。
ブルボン小林さんの解説によると鬼殺隊=ホワイト企業、鬼チーム=ブラック企業というカラー分けされていました。このテレビ版の録画を観た段階では自分の鬼滅情報の8割以上がブルボン小林さんの発信でした。漠然と鬼殺隊=正義、鬼=悪という図式だと思っていましたが、22話の鬼殺隊がお白州で勢揃いのシーンは、初見ながら「おやおや・・・」っていう感じでした。
第22話の展開は『主人公らが鬼との戦いで手負いになったが、それよりも炭治朗の妹が鬼化している事が鬼殺隊にバレてしまい追求されているシーン』でした。本当に初見だったので丹治朗が背負っている箱(背負子?)の中に妹が入ってるのも初めて観ました。鬼だから直射日光がダメなので箱に入れて歩くという設定なんですね。
“イイモン・チーム”のハズの鬼殺隊ですが、いきなり不穏な空気です。どうやら21話あたりで丹治朗の背負子の中に入っていた妹が鬼だという事がバレて、そのことが問題になっているようです。
鬼殺隊のひとり(視聴時、誰なのかは識別できませんでした)が罪人状態で押さえつけれれている丹治朗の目の前で、こともあろうに箱ごと太刀で突き刺します。「鬼殺隊だから鬼は切り捨てる」というストーリーだから、第1話から観てきた人には違和感のないシーンでしょう。しかし初見で観た自分は「なんで無抵抗の女の子を太刀で刺せるんだろう?」っていう感想でした。
妹が鬼化しているというのは情報で知っていましたが、鬼が首を断たなければ死なないという情報は入っていませんでした。(後に聞いた情報では日輪刀じゃなければダメらしいとのこと)


 「鬼滅の刃」久々の国民的な大ヒットマンガで、コロナ禍による景気低迷の中で数少ないヒット商品なんですが、唯一の懸念されていたのがこの「残虐な描写」が多いという問題でした。血しぶきや肉を斬つシーンや首を切るシーンを、小さい子が観るアニメやマンガの表現として大丈夫なの?っていう疑問ですね。
作品自体が国民的な正義っていう扱いなので、表立って批判するのは「はいはい逆張りですか?」っていう空気が怖いです。「鬼滅の刃は面白いんだけど自分の子供に見せてもいいんですか?」というような疑問形のカタチで、遠回しに問題提起しているお母さんも多いようです。
この場合のお母さんたちの「子どもの情緒への影響」を、作品論や演出論で切り返すアニメファンやマンガマニアたちは空しいほど咬み合っていません。「人の死をうやむやな表現にしないことのほうが問題」とか「人を斬れば血が出るのが当たり前で、それを隠す方が問題ある」とか・・・ 椿鬼奴さんの「残酷なところを辛抱強く乗り越えた時に本当の良さがわかる」とワイドナショーでのコメントは、本当の良さには何で残酷なシーンを乗り越えなきゃいけないのか?という疑問の説明にはなっていません。
長くアニメを観ていると残虐なシーンや性的なシーンの「残虐シーンや性的暴力のシーンでオトナなアニメを作ってる」という中学生マインドが透けて見えます。「オトナの・・・」ではなくて「オトナな・・・」というところが重要なんです。「残虐なシーンを辛抱つよく乗り越える」ことがオトナへの成長のわけないですよね。
彼らの意見の特徴は「子ども向けだから」とか「オトナ向けだから」と作品を区別することを嫌います。そのホンネは「自分はコドモ向けマンガを読んでいるんじゃない」というプライドなのかもしれません。しかし少年ジャンプは子ども向けのマンガ誌です。
自分は小学生ではないしどちらかといえばオトナだから、残虐シーンを観てもトラウマになったり問題行動に走ることもありません。むしろ知らない小学生がアニメでトラウマになったとしても、自分はなんの不都合もありません。それでも子ども向け作品に過剰な残虐性が必要なのか?という疑問は無視できませんよね。
この作品を支持するオトナたちの意見の「家族や兄妹愛の絆」とか「支え合う人間関係」とか「生と死に向き合う」とか・・・ これらのテーマ性が残虐シーンの先に用意されているのが「良い作品」という風潮なんでしょうか? なんか釈然としませんね・・・
小さい子が観ることを前提にした場合、血みどろな描写の問題点は観ていて子どもが怖がるではありません。むしろ子どもが怖がる反応は正しいです。皆さんのような「アニメなんて作り話だから・・・」って分別がつくオトナになれば、残虐シーンも娯楽として観ることができるようになります。
心配なのは全然怖がらないような子どもたちなんだと思います。怖がる子のほうが意味をちゃんと理解しているから怖いのであって、人(鬼)の首を切り落とす事の意味がピンとこないと「カッケー」っていう感想になります。自分の子どもが友情や努力することを学ぶよりも猟奇的になることのほうが怖いのは母親としては心配なのはとうぜんです。往々にして父親は子どもといっしょになって楽しんでるから問題外です。


 自分が第22話で「コレはやだなぁ」って思ったのは、お白州で炭治郎が柱の人たちに頭を押さえつけられて弁明すら許されないシーンでした。21話以前のストーリーを知らないのでいきなり主人公が捕らわれてるシーンを理解するのに時間がかかりました。
このシーンで思い出したのがかつてのイスラム国にとらわれた外国人が、イスラム国の活動家に斬首される映像のシーンでした。他教徒の外国人は殺してもいいという彼らの自己設定のために無理矢理ひざまずかせ目の前で仲間から殺すというやり方に、下衆(ゲス)な集団の恐怖がありました。
箱に入っている女の子を太刀でぶっ刺すのもどうかなって感じですが、自分が一番怖いのは話しを聞いてくれないことです。イスラム国の恐怖も彼らは自分都合の設定以外に会話が成立しないところでしょう。あの男(銀髪だったか?)が妹の首をはねたら、次は鬼の仲間の丹治朗も殺すつもりだったのか?柱?がいっぱいいるのに、この中から止める人がいないという集団心理。構図は日本赤軍の総括のようでした。
「だって鬼だから殺してもいいんだよ」とか「鬼は刺しても死なないんだよ」っていうストーリー上の設定があるんでしょうが、女の子が刀で刺され血を流しながら苦悶の表情でうめいているのが必要なストーリーってなんだよ?っていう率直な感想です。このシーンのために猿ぐつわという性嗜好アイテムが必要だったのかと勘ぐっちゃいます。
もし炭治朗がお館様をで合口で首を押さえて妹を解放させお白州から脱出する展開だったら、いくらかスカッとする展開になるだろうと思いました。それで炭治郎が鬼殺隊から距離お置くことになっても鬼を統括する十二鬼月よ鬼を抹殺する鬼殺隊、そして妹を人間に戻すためにフリーで動く炭治郎一派という三すくみが作れます。
しかし本編では炭治郎は組織に従順な好青年という役どころなのでそんなキリコ・キューィビーな行動はしません。この気持ち悪い総括シーンもメロン男の「大岡裁き」のおかげで妹も炭治郎も命拾いをします。しかし助けた動機は人道に反するからではなくて、妹の存在は利用価値があると判断したからでした。
炭治郎をひざまつかせていた柱のやつらがお館様(メロン男)にひれ伏し、お館様は独断で解決してしまう。これは武家社会の封建制度そのものです。彼らは太古から鬼と戦っている設定なので、22話から観始めると大正時代だっていうことがピンときませんでした。23話から看護婦っぽいキャラが出てきますが、彼女らの洋装も「アニメってこーいうデタラメが多いから」の枠でみれば違和感なかったし。
大正時代といえば大正デモクラシーのイメージですが、一緒に観ていた同居人は「コレって新撰組が元ネタなんじゃないの?」って思ったみたいです。ファンの方々からは「そんなんじゃねぇよ」っていう声が聞こえてきそうです。 勤王の志士を鬼チームとすれば、鬼殺隊は倒幕を企てる輩を討つ新撰組っていう立ち位置ですね。
自分は封建的な設定でが忠義だ義憤だってワケのわからん理由で戦うストーリーが大っ嫌いです。とくに大河ドラマにありがちな殿様や家臣の関係性を楽しむだけのストーリーは体が受け付けません。
封建的ストーリーが好きな人は部下を駒のように動かすことや、駒になって働く自分が好きな人なんだと思っていました。このタイプのストーリーでは殿様(お館様)のために命を捨てられる家来(鬼殺隊)なんでしょう。
みんなで鬼退治を果たすのが目的だったら、お館さまにメンバー全員がかしこまる必要はないです。そこはチャンバラ時代劇の様式美ということなんでしょうね。この封建社会の様式美で大ヒットしたのが「半沢直樹」です。このドラマに歌舞伎役者がキャスティングされてることも、出演者が決めセリフの時、歌舞伎のような見得を切る(顔芸)のも、時代劇の様式美が日本人の心に刺さるからなんでしょう。大河ドラマが人気なのも
無抵抗の妹を刀でぐりぐりしたり、同僚の社員に土下座を強要したり、そーいう弱い者虐めみたいな小学生向けストーリーが人気なのって、日本人のエンタメが幼稚になっているのかな?って思ったりします。
同じ銀行ストーリーでも、元都市銀行のエリートが訳あってカマ信でおばちゃんの財産整理に奔走する物語のほうがよっぽど心に刺さると思うんですけどね・・・


 テレビアニメ版の第26話はそれまでと打って変わって鬼チームのリストラがテーマになります。鬼チームは1軍にあたる上弦と2軍で構成されている下弦に分かれているようです。レギュラークラスの上弦メンバーに対して下弦の成績が不甲斐ないために全員がクビになるというシーンです。
鬼殺隊はお館様を領主とした封建社会でしたが、鬼チームは鬼舞辻無惨(鬼の親分)が専制君主として独裁政治をしている感じでした。第26話を観て鬼族は無惨とその部下しかいないのか? それとも無惨の部下以外にもたくさんの鬼が日本中に暗躍してるのかがわかりにくい感じでした。
例えば仮面ライダーの宿敵のはショッカーですが、日本にショッカー族がいるのか? それとも反社会勢力の人が非合法団体としてショッカーのコスチュームを着ていたのか? 勧善懲悪のストーリーでは
「悪者チームだから倒しても正義」というのが過ぎてしまい、怪獣だから、宇宙人だから、悪の結社や非合法団体だから、そして人間を喰らう鬼だから・・・ っていう大ざっぱな設定と戦い続けます。
リストラシーンは「半沢直樹」以上に保さんなシーンで「成績を上げられない下弦部門は廃止、下弦メンバーは全員を殺します」というもの。これは子どもに見せられないシーンではなくてサラリーマンをやっている親世代が観てられない生々しいシーンです。「いきなり解雇かよ」っていうのはまさにホラーです。
ジャンプの編集部やアニメスタッフは「鬼の世界の非常さをお館様への忠誠心との対比」って思ってこーいう悪役像を考えたのでしょう。(もう作者の考えは意識しません・・・)
鬼の皆さんは鬼殺隊にクビを斬られ、助かっても自分の親分に殺されたらやってられないです。無惨の問いにYESでもNOでも殺されえるシーンは「理由も説明も事情も聞き入れられない恐怖」を表現しています。これはもっとも恐ろしいことです。人格を全て否定さることは尊厳の破壊であり、人間が鬼に喰われることよりも恐ろしいストーリーです。
この人格や尊厳を破壊していたのが第22話で妹をぶっ刺して殺そうとしていた銀髪のヤツです。そのお白州に集まっていた柱衆のメンバーの誰ひとり銀髪を止めない集団心理は公開処刑を何とも思わないイスラム国系のテロリストを連想する絵でした。
「妹が鬼(資本主義者や他教徒)だから殺してもいいんだ」というロジックは「俺の役に立たないヤツは抹消する」というロジックよりも気持ち悪いです。無惨の行為は「俺が気に入らないから」というジャイアンキャラにありがちな横暴さは理解はできます。(共感はしませんけどね・・・)
しかし立場の違う相手を害獣駆除のように扱う作品は、個人的に許容できません。黒人を射殺したことを咎められて「何怒ってるんだよ、コイツは黒人だよ・・・」っていう世界が現在の先進国でも行われている世の中です。
マンガにイデオロギーを挟むのは批評としては最低なのは自覚していますが、どっちが気持ち悪かったかといえば第22話のお白州回のほうでした。しかし「無限列車編」を観る意欲がゼロになったのは第26話で何故か生き残ったエンム(変換のしかたがワカラン)が、アニメに必ず出てくる気持ち悪いタイプの悪役だからです。「人を殺すことや死への恍惚感」を出すキャラですね。
人を殺す事に理由がないキャラはとても怖いキャラなんですが、その怖さは集団心理で「異議なし」ってアジってるキャラ同様に言葉が通じないという怖さです。悪には悪のい理屈があるんだったらまだしも、「殺したいから死んでくれ」っていうんだったらそんな戦いは無意味(ストーリー的に)だという気がします。
エンムにも悲しい事情で殺人鬼に成り下がってしまった「鬼美談」があるのかもしれないし、映画を観た全ての人がエンムの悲しい結末に涙したのかもしれません。元々は優しい人間だったとか言いそうな感じがします。でも快楽殺人鬼と戦う話のどこにいい話感を持ってくるのかは興味があります。



 第26話で衝撃のシーンがありました。劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」へ続く駅でのシーンで、刀を差しているイノシシ小僧たちに、警察から銃刀法違反で追っかけられていました。鬼殺隊の存在は非合法で社会に認知もされていないという衝撃的な事実です。
オトナの方々が「ジャンプマンガだけど子ども騙しじゃない本格ストーリーだよ」って聞いて観に行くと、こーいう部分に「お子様アニメ」って思っちゃったりします。日常のリアリティーと非日常のファンタジーのあんばいは「Fate(フェイト)」なんかのイメージに近いです。
鬼殺隊と十二鬼月の抗争は大日本帝国も国民も関与しない(求めていない)争いだったのかな? 当時の日本の工業技術だったら疑似太陽光投光器とか新兵器を三菱なんかの財閥が作って、鬼を追い詰める展開だってありそうです。鬼の存在が国民に対して有害だとしたら、鬼退治をお館様の既得権益にしてるのも違和感がありますが、ファンタジーの概念では「日輪刀じゃなきゃ倒せない」という設定に違和感をかんじません。あっちのほうのファンタジーゲーム系の「オリハルコンの剣」など、いまさら誰も「オリハルコンって何?」って思わないんでしょうね・・・


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