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2021-05

ベルリンの俳優賞 - 2020.08.29 Sat

ベルリン国際映画祭の最優秀主演俳優賞の設立について。


 ベルリン国際映画祭の事務局は8月26日 「最優秀男優賞」と「最優秀女優賞」を廃止し新に「最優秀主演俳優賞」と「最優秀助演俳優賞」を設けると発表しました。
カンヌ国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭、アカデミー賞だって男優賞や女優賞があります。ベルリン国際映画祭では男優・女優という言葉が引っかかったようです。映画界では  Me Too 運動など性被害や人種やマイノリティーへの差別を改める動きが始まっている印象です。
ベルリン国際映画祭の事務局は「映画業界でジェンダーにより敏感なるきっかけになると信じている」と声明しています。
自分は声明の中にある「ジェンダーにより敏感になる・・・」という部分に違和感があるんですが、本来は世の中がジェンダーに鈍感になるべきなんだと思うんですよね。鈍感というのは無関心に似ているんですが、「女性が男性と同等の仕事をしていることに敏感になる」というのは「あっ女性なのにこんな仕事をしている」って気がつくことです。社会に求められてるのは「こんな仕事を」という感覚がなくんなって、当たり前のように男女が同等の仕事をしている世の中です。隣にLGBTの人が座っていても違和感がない人は差別を起こしません。それはLGBTに気がつかないくらい普通の景色になるっていうことです。
こーいうケースで差別がなくなったのは東京での「田舎者」への差別です。東京で田舎者に会っても「うわっ田舎者がいる」なんて思う人はいません。今では当たり前ですが、昔は田舎者という差別がありました。昔の都会の人は田舎者に敏感だったのです。都会に住む人の多くは自身が田舎の出身だから・・・
今回のベルリン俳優賞における男優や女優という区分けを廃止するというのは、トランスジェンダーの俳優が自己のセクシャルと違う性で受賞することに対する配慮です。町山智浩さんの情報だと、カリフォルニアの学校では男子トイレ・女子トイレというのが廃止されています。トランスジェンダーの人のために男用、女用という区別を無くした例ですね。そーいう方向の一環として男優や女優という区分けを廃止づるんでしょう。映画賞という派手なイベントは発信力があるので「・・・敏感になるきっかけ」の効果は期待できるかもしれません。

 そもそも俳優というのは男性のことで女優という言葉が性差別用語(スチュワーデスや看護婦)というのなら理解できます。映画の主役とは男優のことで、女優賞というのが男優に対する相手役のことを意味するのなら女優は性差別用語です。ムズカシイ言葉だとポリティカルコネクトネス(性差別などの偏見を含まないこと)として役者を俳優という言葉で統一しようということです。
しかしそれではベルリン映画祭の声明にある「ジェンダーにより敏感になる・・・」という意味よりも女性差別への配慮というニュアンスになっちゃいます。女性はジェンダーではないからですね。
男性俳優が男優賞を取り、女性俳優が女優賞を取るのいうのなら従来のカテゴリーで十分だったのでしょう。問題になるのはトランスジェンダーの俳優が生まれた時の性と違う性で俳優をしている場合です。
男性から女性になって女性を演じるのは女優賞でいいのか? もしくは男性のまま女装して女性を演じきるのは女優賞なのか? その逆で女性が男性になって・・・ さらに、男性が女性になったけど男性を演じた場合は・・・? 何よりもトランスジェンダーが主人公の映画だった場合はこの現象が必ず起こるハズです。たしかにいろいろと不都合なことが起こりますね。
ジェンダーへの配慮とはマイノリティーの側が生きにくい社会を改善していくものです。しかし、映画賞というのが受賞する俳優のための賞なのか?それとも映画ファンのための賞なのか?ということも考慮する必要があります。
映画ファンの気持ちとしては作品と演技が受賞理由なので、それ以外のこと(国籍やルーツ、性別、性自認など)はどうでもいいのです。だから男優賞・女優賞の廃止なんだろうけど、男優か女優かを決めるのは役者のセクシャルではなくて役柄のセクシャルだと思います。

 映画などの創作というアートの世界では社会性や倫理が強くなると、面白さや多様性が制限されちゃうと思うんですよね。極端にいえば差別的なキャラには差別的な発言は不可欠だが、それを差別的表現だと言及される「そりゃ、そーなんだけど・・・」ってなっちゃいます。旧ナチス関連のマークなどは掲げただけで違法ですが、第二次大戦の映画では出てこないほうが意味不明になります。
女性差別やLGBT差別な映画は批難されますが、女性問題やLGBT問題と言い換えるとテーマ性が評価されたりします。
男優が男臭さを全面に出したり女優が美貌で魅了するといった俳優のフェロモンを評価するのはアリだと思います。そもそもベルリンやカンヌの選者の爺さんたちにフェロモンを評価しろっていうのはお門違いですけどね。アカデミー賞なんかは年間で一番フェロモンの多かった役者が授賞してもいいんじゃないかな?
昨今では腹筋が割れてる女優が評価される傾向っぽいのですが、自分の意思がある人=鍛えてる人というのも偏見に過ぎません。女性が女性的というワードで勝負するというコトを否定する社会では、人権やモラルは手に入れられてもアートを手放すような気がしています。
男優賞が肉料理の賞で女優賞がスィーツの賞だたとしたら、豆腐ハンバーグが最優秀肉料理賞になったり、糖質フリーが最優秀スィーツ賞ってどうなんでしょう? そのほうがカラダに良いのは解りますが、そこを競ってるの?っていう感じですよね。「最優優秀料理賞はシーザーサラダです」とか・・・
新しい主演賞と助演賞は男性も女性もジェンダーフリーの方も平等に授賞する可能性があります。しかし、実際に授賞する資格があるのは性別や人種ではなく、賞に値する作品(演技)かどうかです。
何となくですが性的な魅力はますます低評価になっていくように思えます。病的な演技や哲学的な演技には受賞理由を説明しやすいんですが、格好いいとか美しいという映画スターのスターな部分を評価するには男優賞や女優賞が必要だという気がします。
映画ファンの方々が心配されているのは授賞者が男優に片寄ったり、バランスを取るために女優を授賞させたりすることがフェアな選考の妨げになることです。ましてやジェンダーフリーの俳優が授賞することに通常以上の意味が発生しちゃいます。

 自分の考えでは年度ごとに作品や俳優に1位とか2位とか序列をつけるというのは、作品を創ることも演じる才能も無い人たちがプレーヤーにマウントが取りたいだけってイメージです。全員が「ライオン・キング」を演じて、最高のシンバを演じた役者に金獅子賞をあげればいいのにね。(ベルリンは熊でした・・・)
視聴者には観た映画が面白かったとかつまらなかったとかのジャッジをする権利があります。しかし違う作品を並べてどの主演が1番でどの主演が2番とか何様だよって思います。それも含めての映画業界なんだったら、知ったこっちゃないんですけどね・・・


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