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2020-05

同人百合と商業百合 - 2020.01.25 Sat

仲谷 鳰さんの「やがて君になる」です。

 作者自身が作品のあとがきの中で「よく、鳩(ハト)と間違われるけど、鳰(ニオ)です」って書いていました。鳰とはカイツブリという水鳥のことで仲谷さんの出身地である滋賀県の県鳥です。ウィキによれば名前の由来は「にお」という発音に漢字をあてただけらしいです。自分は鳰という漢字もカイツブリという名前の鳥も知らなかったんですが、ウチの近所にある埼玉県三郷市の市鳥もカイツブリなのでここら辺にも飛んでいた鳥らしいです。どちらかといえば埼玉はシラコバトのほうがメジャーですが、それは「コバトン」のおかげであってあっシラコバトが飛んでるシーンを目撃した記憶はありません。写真で見るとドバトのヤツらよりも品のあるハトって感じですね。
仲谷 鳰さんは同人誌のフィールドからKADOKAWAの「電撃大王」の編集者の目に止まりメジャーデビュー。コミケから一本釣り~看板作家~アニメ化という最近のトレンドなデビューの方法ですね。
自分が読んだ作品は今回取り上げる「それでも君になる」だけですが、表紙詐欺アンソロジー本などにサクラの表紙を描いています。

「やがて君になる」は原作マンガとアニメ版、小説、アンソロジー・・・ カドカワお得意のメディアミックス商法です。百合は最近のアニメの題材として流行っていますが、自分は百合を扱ったアニメが苦手です。性癖で百合作品を観たいわけではないので、百合作品を評価する一番のポイントは「女性が観ても共感できる内容か?」につきます。自分がアニメファンって言い切れないのはアニメに萌えとか声優キャッキャ・・・ とかを求めていないからです。偏見まじりでいうと今のアニメが好きというアニメファンに向けて置きにいったアニメが苦手です。百合ファン?の好みに合わせた作風になるのは理解しますが、全ての作品が安直で平板なイメージになっちゃいます。それは安直で平板を求めるファンが現在のアニメ業界では最大の購買層だからでしょう。
「やがて君になる」が安直で平板な百合マンガなのか?ということですが、最近の百合作品では一番ヒットした作品で、マンガファンにもアニメファンにも高い評価を受けています。何よりも作画の安定感は初の商業デビューとは思えないもので、さすがはカドカワの一本釣りといえるでしょう。
百合マンガ家を自負してる商業マンガ家の中でも、総合的なマンガの質で読ませられる作家は一握りだけだと思っています。絵は素敵だけどお話が安直とか、シナリオには共感できるけどキャラの作画が平板というのが過半数です。しかし百合ブームの主軸のファンたちが安直で平板な作品を好んで求めるから市場は潤っています。カドカワの狙いもバッチリなんでしょうね・・・

 不穏な書き出しからも薄々わかる通り、自分は「やがて君になる」が1巻目から違和感が気になってしょうがない作品でした。まだアニメ化までされるとは想像していませんでしたが、アニメ化できるマンガだとは思っていました。だってこのマンガは“アニメ作品のコミカライズ”みたいなマンガという印象だったからです。
多くのマンガ家はキャラ絵を自身の手癖で描いています。美大生は人体デッサンから人間が描けるんですが、多くのマンガ家は人体デッサンよりもマンガ絵が描きたいんです。極端なハナシでいえばマンガ家は人体が描けなくてもキャラさえ描ければOKなんです。だから人物画の練習よりも好きなマンガ家の絵を模写することに時間を費やします。中には誰の影響も受けない完全なるオリジナルを目指すサムライなマンガ家志望の人もいます。そんなマンガ家志望の人の絵で「これ?小学生が描いたの?」って感じたら、彼こそがサムライなマンガ志望者です。彼も小学生も何の影響も受けていないから自由な作風なんです。絵が下手というの誰にも影響されていないことでもあります。真似しても真似できていないのは影響が受けれていないと同義ですよね。
デッサン人形にも大御所マンガ家にも影響されないマンガ家さんの多くはアニメからの影響を受けています。そもそもアニメはアニメ絵という別ジャンルでした。マンガと違ってアニメの制作工程はみんなが同じ絵を同じに描けなければいけないから平板になりがちです。大前提で多くのアニメファンが平板なアニメを受け入れてるので、平板なアニメ絵が描けるというコトも評価されるポイントになります。
徳間書店とカドカワが作った萌え絵文化はすべてアニメ絵で成り立っています。そんなカドカワは常にアニメ絵の新人を捜しているんでしょう。アニメ絵のマンガはイメージのずれが少ないからアニメ化しやすいです。観ていないけど「あひるの空」なんかは原作がマンガ絵だからアニメ化での違和感がスゴいです。カドカワグループでも「ハルタ」や「Fellows」の作家陣だと、絵がごちゃごちゃしすぎて動画の作業が面倒だからアニメに向きません。
仲谷 鳰さんの作画はアニメ由来のタッチのマンガ家の中でも群を抜いて安定しています。褒め言葉になるのかは微妙ですが、ライトノベルの表紙で通用するタイプの作風です。ある意味最もカドカワっぽいマンガ家さんなんでしょう。自分はマンガにアクション映画のような迫力とか、ディズニーアニメのような滑らかな動きを求めていません。むしろジャンプ系のような見開きバーンっていう横着なマンガは苦手です。そーいういみでは仲谷 鳰さんのような些細な情景も描ける落ち着いた作風は好感がもてます。それじゃ何に違和感を感じていたんでしょう?



 ネットをリサーチした中でも「いつか君になる」に対する評価はおおむね好意的な印象でした。アニメ化されるくらい人気なんだから当然のことなんでしょう。しかしもっと根本的なところでジャッジしないといけない作品だと思っていました。1巻を読んだ段階でずーとモヤモヤしていたんですよね。最終巻になった8巻の巻末の「あとがき漫画」に仲谷 鳰さんのコメントを引用すると・・・

『同じくらい読まれている漫画でも感想の多い少ないというのはあるものだけど、やが君はめちゃめちゃ多いほうです。感想や批評も一種の創作だし私は物をつくる人が好きなので、自分が描く漫画が読んだら何か言いたくなるタイプの漫画でよかったなぁと思います。』

作者当人が自作の中で批評も受け止める旨のコメントを書いているのであえて書きますが「やがて君になる」って「マリみて」のパクリだと思います。
「やがて君になる」の1巻目を最初に読んだときは「この作品は経過観察・・・」という感じでした。作品自体の印象は「とやかく批判するほどのめりこんで読むタイプの作品じゃない」って感想です。スルーでもよかったんですが、最終巻のあとがきに『批評も一種の創作』という言質があるので今回は取り上げました。
「マリみて」とは今野緒雪さんの「マリア様がみてる」シリーズのことです。一概にパクリといっても完全に盗むパターンとちょっと拝借するパターンに分かれます。
完全に盗む場合は元ネタが同人誌やネット等の小規模媒体でバレにくいことが多いです。たとえバレても「そんな作品(元ネタ)は知らなかった」とか「偶然似た話になっただけ」などパクリの定型問答集があります。人気作の設定を借りるパターンやストーリーの展開やオチの部分を借りるなど、借り物のストーリーの場合は「リスペクト」とか「影響を受けた、元ネタの大ファン」っていう言い訳ですね。
最終的には配給元や読者が判断する問題なので、当事者(原作者)がいいのであればいい(親告罪)くらいのユルさもあります。
「マリみて」がどーいう作品かといえばかつて異例の大ヒットした青春学園少女小説です。リリアン女学園に通う少女たちなどの先輩後輩の友情やイチャイチャなストーリーです。内容は主人公は“生徒会長の祥子さま”に偶然見初められた“生徒会を手伝う一般生徒”が“生徒会の演劇”に参加する展開です。「やがて君になる」生徒会を手伝うとか生徒会が演劇をするという立て続けの類似性にクラクラしますよね。
鬼退治のストーリーは山ほどあるんですが、前提条件でおばあさんが川へ洗濯へ行ったらそれは明確にパクリです。たまたま生徒会が演劇をやっても文句はないんですが、百合マンガが殿堂入りしているメジャー百合作品とたまたまに似ていちゃマズイです。仲谷 鳰さんが「マリみては読んだことがない」とか「そんな作品走らない」とか言うんだったら、単なる勉強不足です。
仲谷 鳰さんがメジャーデビュー前にどーいう傾向の作品を描いていたのかは判りません。同人誌では「パロディ」とか「二次作品」がOKという文化でもあります。本当はOKでもないんですけどね・・・
そのノリで設定を拝借しちゃったんだったら、ありがちな同人マンガ家のメジャーデビューです。しかし「やがて君になる」はカドカワの一本釣りというのが気になります。初めからデビューの段階でこの作品はメディアミックス展開する計画が決定していた印象です。

 カドカワの一般釣りと書きましたが、仲谷 鳰さんのマンガを最初に読んだとき「スゴい新人マンガ家が出た」というようなイメージではありませんでした。どちらかといえばラノベのコミカライズに多いタイプのマンガ家さんって感想かな。
実は印象が薄いコミカライズの絵師っぽさはとてもカドカワ的な人材といえます。最初の編集者は有能な新人マンガ家の発掘よりも「やがて君になる(仮題)」の企画ありきで無名な作画のできる人(マンガ家ではない)を捜していたんじゃないのかな? コミケでスカウトしてるのはコストを掛けずに「マリみて」の二番煎じを描かせる作業者を捜していたんでしょう。
「マリみて」は集英社のコバルト文庫という老舗の少女小説レーベルの看板でした。だから集英社のマンガ誌でが「マリみて」をパクるということはありません。ジャンプの編集部は「ONE PIECE」の二匹目のドジョウは捜すだろうけど、「ONE PIECE」をパクれとは言いません。でもマガジンの編集部だったら言えちゃいます。カドカワの編集部が言ったかどーかは憶測ですが、最低限マンガ家がこの設定の百合作品のネームを提出した段階で「この展開は既出だからNG」っていうアドバイスは必要でしょう。設定が似ていてもストーリーは別物だから・・・ っていう考え方もありますけどね・・・
もっともモヤモヤしたのは生徒会長の「私を好きにならないで」とか「姉の代わりに演劇をやり通す」などの、ストーリーの骨格になっている心情のようなモノがモヤモヤの原因でした。「単純な恋愛成就のラブコメ」にしたくないという“編集方針”によって作られた物語のフックなんでしょうけど、最終巻まで読んでみると最後は肉体関係(女の子同士だけど)で恋愛成就完了という終わり方です。じゃあ最初の「こだわっていた設定」とは何だったの?っていう読後感です。百合作品の濡れ場表現の是非はまた別のテーマになっちゃうんで割愛しますが・・・
主人公の「好きがわからない」も大概なんですが、この設定はマンガ的というよりもアニメ的な印象がします。物語の中で「私を好きにならないで」とか「好きがわからない」って言わせることになっていくのがストーリーです。しかし「塀の外に巨人がいる」とか「使徒と戦う」というような「初めからそーいう設定だからよろしく」ってセリフは、極めてアニメっぽい手法です。読んでいて何度も出てくるこれらのセリフが、そのこだわりって重要なのかな?って思うとモヤモヤしちゃうんですよね。作品のキモになってるッぽく繰り返されてるんですが、そーいうことを言うキャラの顔がそーいう心情になっていないっというイメージです。それよりもマンガのキャラの表情のセル画っぽさがきになっちゃいます。それは極めてカドカワのマンガっぽいんです。
「やがて君になる」はキャラの心情を掘り下げた・・・っていう評価になってるようなんですが、乃梨子がいうところの「そんなこと・・・?」っていう感じでした。

「やがて君になる」はメディアメックスだから、アニメ化された作品の評価の高さもプラスされてると思われます。でも最終回までキャラは平板なままでした。
ペラペラなキャラの心情は主人公が自主的に変化(成長)したんじゃなくて「結局は百合作品ってこーいうことでしょ?」っていうペラペラなエンディングになりました。心情が変化したんじゃなく、シナリオの都合でこだわっていた部分があっさり終わっちゃったっていう印象です。
結果として誰かが描いた脚本を仲谷 鳰さんがなぞったようなストーリーは、最後まで登場人物が綺麗事を言ってるだけっていう読後感しか残りませんでした。あまりにも百合要素を集めたって感じが露骨に出ていたから、企業が本気を出せば意図的にヒットさせられるっていうのを見せつけられた感じです。せめてそのシナリオは企画会議で大人が考えたシナリオではなくて、仲谷 鳰さん自身が考えたシナリオであって欲しいです。
その答えは仲谷 鳰さんの次回作でわかると思います。


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