topimage

2019-12

居場所も出口も無し - 2019.09.24 Tue

押見修造さんの「惡の華」や、その他もろもろについて・・・

 「惡の華」が映画化され「進撃の巨人」の 諫山 創さんに継ぐ別冊少年マガジンの稼ぎ頭も押見修造さんです。別冊少年マガジンは週刊(本誌)ではムリめなテーマや怒られそうなヤツ(問題作)を載せていく方針の少年誌です。どの出版社でも月刊誌のほうがオッパイ率が高めな傾向があります。評判がよい作品は週刊のほうへ昇格することもあります。別冊マガジンのラインアップは新人作家&過去にヒットした都落ち作家という印象です。全体的に地味な作家が多いようですが、愛読している作品が少ないのでよくわかりません。アニメ化された「荒ぶる乙女・・・」もこの雑誌です。過去では二駅ずいさんの「彼女はろくろ首」なんかを読んでいました。

 「惡の華」は『クソムシが』のマンガです。既刊はかなり前ですし映画化されて話題になっているのであらすじを書くと『ポー土レールの詩集「惡の華」を愛読する文学少年が片思いのクラスメートの体操着を盗み、それを目撃していた同級生の女子に脅される(契約を結ばされる)』っていう感じです。
自分は「惡の華」の1巻をパラっと見ただけなので、それ以上のストーリーや顛末を知りません。そもそもヒロインが「クソムシ」と言うような中二っぽい作品には興味がありません。押見修造さんがどういう作風なのかは知っていましたが、自分とは根本の部分が合わないと思っていました。ジャンプが提唱するところの王道マンガと邪道マンガ、それ以外にヒロイズムの無い陰湿なマンガがあります。陰湿なマンガは陰湿な人が読むためのマンガかといえば、それだけではありません。幸せな人こそが悲劇を娯楽として楽しむもんです。
多重債務で苦しんでる人には「ウシジマ君」を読む心のゆとりはありません。債務者への追い込み方は学べても、生活を立て直す段取りは学べないからです。コレが「ウシジマ君が教える多重債務の返済法」というマンガだったら債務者たちの共感は得られるがエンターテイメントにはなりません。逆に金融業の方々が「ウシジマ君」を読んでも、何の参考にもならないでしょう。青年誌の何割かはヒドい状況でダークな暴力がはびこる作品ですが、「ウシジマ君」がベストセラーになったのは、物語に顛末があるからです。顛末さえあればストーリーマンガとして成立します。
よく「作者の伝えたかったメッセージ」や「この作品を作った真意」が物語の顛末以上に評価されたりします。評論家やマニアが難解と分類する作品ほどその傾向が強いです。持論ですがメッセージのあるマンガよりも顛末のしっかりしたマンガのほうが評価されるべきだと思っています。ストーリーで読ませてこそのテーマです。
押見修造さんの作品には明確なメッセージがありそうなんですが、それがどうにもイカ臭くて受け入れがたい感じでした。「主人公が体育着を盗んでニオイをかぐ」という生臭い中学生な展開を、笑って読めるくらいにオトナにはなったつもりです。でも「盗んだことを同級生の女子に目撃される」という絶望的なシナリオを、笑わしてるのか笑いごとじゃないのかがヤヤコシイところです。みうらじゅん さんのテイストで大変なこと(ヘンタイなこと)になっていくのか?それとも文学少年(中学生男子)の普遍的な心の葛藤がテーマなのか?
少年マンガに限らずマンガってコドモ向けなジャンルという側面がありますよね。オトナも読むからオトナ向けもあるんですが、マンガ=お子様という解釈は確かにあります。コドモ向けというのは児童マンガは「ウンコ」って言っとけば、少女マンガはキスシーンを描いとけば、少年マンガはオッパイを匂わせれば、青年マンガは猟奇に殺害シーンを描いとけば・・・ っていう感じです。
高学年~中学生男子にテキメンなのは第二次性徴をダイレクトに狙うことでしょう。いわゆる、みうらじゅん ネタです。
中二病ギャグにも中二病ドキュメンタリーにも興味がないので結局は読まなかったのですが、その後の押見修造さんの評価の高さは目を見張るモノがあります。マンガは評価されたから読むっていうものでもないので、今後も読むつもりはありませんでした。

 そんな押見修造さんを熱烈に評価してる人がいました。町山智浩さんと伊集院光さんです。町山さんはTBSラジオの「たまむすび」内の映画紹介コーナーで、公開される実写映画版「惡の華」の紹介で原作も取り上げていました。町山さんと押見修造さん、そしてもう1作品取り上げた「宮本から君へ」の作者の新井英樹さんとは親交があるとのことでした。
「宮本から・・・」は自分がっぺーぺーだった頃にモロ影響を受けたビジネスマンガでした。物語は失恋編、土下座編、決闘編に分けられます。最後の決闘がストーリーのすべてを持っていっちゃたんですが、それまでの丁寧な営業マンガのターンこそが新井英樹さんの非凡さだったと思っていました。マムシの真淵部長役のピエール瀧氏を見ることができる最後のチャンスかも知れません。
町山さんによると押見修造さんの作品は彼自身の実話ベースとのことです。自分が押見修造さんを認識したのは「悪の華」よりも後の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でした。今回、ウィキで調べたら押見修造さん自身が吃音だったとのこと。「志乃ちゃんは・・・」は障害を啓発するために描かれた作品だったのか、それとも障害へ対する好奇を煽る作品だったのかが掴みかねてました。よくあるパターンは「ハンデのある人を題材にしての差別などを訴える作品」という設定で、嬉々として差別シーンを描く作品、「虐待を問題視する」ためにサディスティックなポルノ作品などです。
現実の中の闇の部分を題材にする作品はリアルとファンタジー、作者が当事者か無関係かの兼ね合いが作品の信憑性やドラマ性に影響します。これはファンタジーがダメで作者が無関係だと認めないということではありません。むしろ自分はマンガで表現するのだったら無関係の作者がファンタジーで描かなきゃダメだと思っています。それでないとドラマになりません。

「志乃ちゃんは・・・」を読んでからかなり経っているので記憶が乏しいのですが、吃音という“ 普通の人が気にしないテーマ ”をネタにしたマンガを描く人の真意には関心がありました。クラスの中にみんなと違う子がいるという違和感は、人権とか友愛の心などという理屈では納得できないものです。コドモの中で“ 同じ ”と“ 違う ”はもっとも重要なファクターです。そしてオトナだったら吃音を笑っちゃいけないことくらいの常識は身に付きます。この作品でクラスの中のイジメ問題を解決したかったのか? それともイジメポルノというジャンルの作品だったのか?どっちでも構わないのですが、自分の感想は作品のテーマよりもドラマの部分があんまり面白くなかった印象でした。それは自分がそれほど吃音に関心がなかったからかもしれません。それが自分の問題意識の低さなのかイジメに対する性癖がなかったのかも定かではありませんでした。
その後「志乃ちゃんは・・・」の作者が「惡の華」の作者の押見修造さんだということを知りました。講談社も「惡の華」はかなりプッシュしていたので作品の存在は知っていました。「惡の華」の1巻は性癖を伴うイジメポルノです。それで押見修造さんというマンガ家はマイノリティーポルノマンガ家と納得しました。そんなジャンルはないんですけどね・・・
ポルノマンガがダメなのではなく、むしろポルノは必要なな要素なんです。でもヒドい目に合う人を嬉々と見る性癖のない人は読む必要がないということです。オッパイが必要な人はオッパイマンガを読めばいいし、性的なポルノ以外でも鬼嫁ポルノ、嫁姑ポルノ、DV男ポルノ、ナショナリズムポルノなど様々なポルノのジャンルがあります。大御所マンガ家の曽根富美子さんなどはこれらの不幸ポルノの第一人者です。
それまで無関係の人がファンタジーで描いていたんだと思っていた「惡の華」は町山さんの「全部彼の実話なんです」という言葉で崩れ去りました。押見修造さんは本当に体操着を盗んだのか?は不問にふしますが、無関係よりも当事者よりのマンガ家だったことは新事実でした。あれだけ売れてるマンガ家に対して今さらなんですが、それくらい押見修造さんに感心がなかったんです。
町山さんが『惡の華はヘンタイから入っていくストーリーが愛とは何か?のテーマになっていく作品』と解説していました。

 続いて翌日のTBSラジオの伊集院光さんの朝のほうの番組に押見修造さん本人がゲスコーナーに出演しました。マンガファンとしては朝のAMラジオというお日様の下にマンガ家が出るというだけで期待よりも不安でいっぱいです。伊集院さんは朝ラジオとは別に深夜ラジオがあります。深夜ラジオのゲストだったらそんな心配しないんですけどね。ほとんどのマンガ家が弘兼憲史さんのような社会性があるわけじゃありません。(弘兼さんはマンガ界でもっとも社会とつながっているマンガ家です)
怖いのはどう考えても社会に適合していないタイプの人が出てきちゃうことです。ヘンなマンガを描くためにヘンな人をムリに演じてる人も辛いのですが、往々にしてヘンだからマンガを描き続けられてるケースも多いです。普通のリスナーにドン引きされるようなタイプの人が来ると、出演しているマンガ家になりかわってスミマセンと言いたくなっちゃいます。江川達也くらい厚顔無恥な人が出てきてもスミマセンなんですけどね・・・ テレビのバラエティー番組にアニメやマンガの極端なファンが取り上げられてると「わー、やめろぉ」って感じになるのに近いです。
実際の押見修造さんは普通の社会人っていう印象でした。想像だとNHKに出ていた諫山 創さんくらいの明るさかな?って思っていたら、もう少し明るい人って感じでよかったです。
伊集院光さんはゲストに押見修造さんがブッキングされたことで、ゲストの作品を読んでおこうくらいの気持ちだったそうです。しかし全巻読破し連載中の「血の轍」の単行本、掲載誌のスペリオールにまで買い漁ってるとのこと。
押見修造さんのマンガのテーマは『 小中学生から引っかかっていたことを引きずっている 』とのこと。キーワードは当時の「居場所も出口もなしの辛さ」だそうです。伊集院光さんも登校拒否の経歴があるので、当事者と無関係で分ければ当事者側の読者です。

ラジオ番組の冒頭で伊集院さんは「この歳になると心の闇をえぐられる作品を欲さなくなる」と言っていました。中学生のころは「ハッピーエンドがとてもイヤで、こんな楽しいエンディングが起こるわけがない」と思ってたそうです。ダーク=格好いい、ホームドラマ=ウソだらけという中二病の典型的なロジックですね。
しかし、歳とってくると気持ちをざわつかせる作品を遠ざける自分がいるとのこと。「どんどん暗いモノを求めていた。今は明るいモノだけをの止めている」ということでした。伊集院さんはそれを越えて押見修造作品を全巻読みあさってるそうです。
自分は綺麗事のようですが中学時代から中二なテイストの作品が苦手でした。人類滅亡とか主人公が生きるの死ぬのっていうのが幼稚な作品だと思っていました。伊集院さんや押見修造さんのようなリアル中二病を経験した人は、あの頃に自分が財産になってるようです。サブカルとは「究極、いつまで中学生でいられるか」の勝負なんでしょう。
自分も小学生から中二病になったと言えなくもないのですが、発症の仕方が伊集院さんたちとは異なっています。5年生くらいの頃にラジオを手に入れたのは同じだったのですが、洗礼を受けた歌手が当時のラジオスターのさだまさしさんと中島みゆきさんでした。幸か不幸か音楽特性がなかったのでミュージシャンを目指すようなこじらせ方はしませんでした。とにかくちゃんとした論理を知りたいというのが当時の願望だったので、オトナは嘘つきではなくコドモじみた言い分(言い訳)がイヤでイヤで・・・ オトナになって「あのころはって中二病だったよな」って思い返す事例が大っ嫌いでした。それでいてサブカルにどっぷり傾倒してたんだから筋金入りの中二病だったんですけどね。

 「惡の華」や現行の「血の轍」その他の押見修造作品を読んでいないので、作品の内容や表現方法についての感想や意見はありません。伊集院さんは「こーいう作品をまだ読もうとする自分を発見した」ということなんですが、自分はやっぱり読みたいとは思えない作風でした。 
ヤマシタトモコさんの「違国日記」の記事を書いたときに「思い込みで作品を判断してると良作を見落としてしまう」ことを反省したばっかりです。伊集院さんは自身の良作をみつけたんでしょう。新たな作家との出会いくらい読者にとっての幸福はありません。それは新たな金脈の発見ですから。
ヤマシタトモコさんを読まなくなった理由は作者が「男なんて所詮こうでしょ。恋愛は、ゲイは、他人は・・・ 所詮こうだから・・・」という、一見するとクールなまなざしのようで、雑なキャラ分けをしていたことが原因でした。しかし今のヤマシタトモコさんはキャラを信用していて、否定ばかりではない未来を模索しているドラマになりました。
押見修造さんのインタビューを聴いて、最初に想像していたよりも真摯に創作してることがわかりました。それでもハッピーエンドを信じていない作家の作品には興味半減です。自分は作品の内容に作者の過去が反映されてるかどうかを考慮しません。そこは「この作品は作者自身のことなんですよ」というフレーズが大好きな町山さんとは意見が合わないところです。
「破滅に向かうドラマがリアル」というのはドラマ作りではもっとも簡単なシナリオです。そこからどう大団円へ戻せるるかが脚本の腕の見せ所なんですけどねぇ・・


「ほぉ」って思ったら押してね

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://likea777.blog33.fc2.com/tb.php/450-0ddf0dfc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

命を賭ける世代へ «  | BLOG TOP |  » ドラクエの映画

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ