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2019-11

命を賭ける世代へ - 2019.10.05 Sat

百瀬義行さん監督作品 アニメ版「二ノ国」です。 

「ドラクエ ユア・ストーリー」の記事の続きですが、ダルビッシュ有さんがドラゴンボールを6個持ってるらしいです。まだ「サンデーモーニング」であのコーナーが続いていますが、落合氏や川藤氏が後任候補というアイデアや「サンデーモーニング」そのものの打ち切りもウワサされています。もしかしたらダルビッシュ有さんは7個目のドラゴンボールを手に入れてるかもしれません。
したがって次にドラゴンボールが復活するのは1年以上先になると思われます。山崎貴さんの映画を全部消すのは当分ムリですね・・・
今回は「ドラクエ ユア・ストーリー」と同様のRPGゲームをアニメ化した劇場公開作品「二ノ国」を取り上げます。「ドラクエ・・・」は劇場で観たのですがこっちは観ていません。観ていない作品に関しては原則スルーですが、前回に続き未見の作品についての記事になります。劇場アニメ版「二ノ国」も「ドラクエ・・・」に負けず劣らずの不評ようです。前回の記事で「ドラクエ・・・」の評価を調べていたんですが、むしろ「二ノ国」の評判のほうがどうしようもないみたいででした。「これは避けては通れまい・・・」ということで観てもいないアニメの批評なんですが、同然のようにオールネタバレです。まだ観ていない人で観るに値する作品だと信じてる人は、自己責任で以降を読むのを回避して下さい。


 それでは「二ノ国」はどういう作品なのか?早速のネタバレですが、映画.COM などで多くの人が駄作と認定した作品です。どうせ夏休みアニメなんだから、子供が満足したらそれが正義なのは理解してます。「アンパンマン」や「ONE PIECE」「ドラえもん」「名探偵コナン」「プリキュア」などの夏休み定番アニメに対して、内容やクオリティーについて意見するのも無意味です。これらの作品にはそれ相応のマーケティングや子供向けのツボがあるのでしょう。
「二ノ国」がどのポジションのアニメ作品なのかは難しいところですが、制作側のアオリが「青春×ファンタジー 新たな傑作誕生!」というモノなので、一般の方からの批評される覚悟のある作品だと認識しました。
それではみんなの評価は?ということで、映画.COM の鑑賞者の声を聞いてみましょう。
映画.COM への総レビュー書き込み数が100そこそこなので「ドラクエ・・・」の900件越えに比べたら関心の薄さは否めないようです。細かく上げて言っても見んなが大体同じことを指摘していました。大まかに分けると「シナリオがムリ」と「永野芽郁がムリ」と「動画がムリ」という3本立てです。これに「障害者の表現や配慮のひどさがムリ」を加えるとおおかたの人にとってはムリな作品のようです。


まずは「ネットでは色々言われてつけど楽しめたよ」という意見・・・

『 小3の息子も、すごく面白かったと!声優もよかった。最後、元サヤ収まりよかった、反面切なかったなー。私も守りたい人がいるので、共感。楽しめました 』

小3男子という冒険アニメのターゲット層にちゃんと響いてる作品だと裏付けています。しかも引率のお父さんまでも共感させて万々歳です。

『 かなり、自分としては楽しめました。ユウ・・・ハルの冒険ものかなと思いきや、最後はユウとハルは一の国と二ノ国の同一人物というドンデン返しには驚きました!』

作り手の仕組んだ大ドンデン返しのクライマックスを意図通りに受け止めてもらえた制作側の勝利ですね。ゲームに出てくる二ノ国という意味を知らない人が観に行ったんでしょう。


次に声優陣への意見・・・

『 なによりヒロインの声優、永野芽郁が酷すぎる!帰れっていいたくなった。最後の先頭はグダグダで、ヒロインはひたすら捕まりまくるという・・・ヒロイン邪魔だ、帰れ頼む帰れ 』

『 永野芽郁はまんま永野芽郁で、全く演技ができない』

『 申し訳ないけど永野芽郁は声優業はもうやらない方がいいかと思います。これからすると、ドラクエの有村架純や土屋太鳳が上手にみえるわww』

『 山崎賢人と新田真剣佑の声、どっちがどっちか分かりにくかったなぁ』

永野芽郁さんへの風当たりがとても強いです。当人だってやりたくて請けた仕事じゃないって言いたいでしょうね。
俳優やアイドルなどテレビに出れる人選のほうがテレビ等のキャンペーンで取り上げやすいから、本格声優が劇場公開の主役に抜擢されることはめっきりなくなりました。だって声優が朝ワイド番組に出ていても一般の視聴者にはピンとこないからね・・・


動画、作画に対する意見・・・

『 とにかく画に動きがありません。背景やモブキャラは勿論静止画だし、キャラクターの表情も乏しく、全く魅力がありません。アクションシーンも無駄にスローを入れたり、全く迫力がない。そもそも絵がとても下手。アニメに詳しくないですが、場面によってキャラの顔が違うように見えるくらい崩れてたんですが・・・普通のアニメって地上波でも、もっと綺麗ですよね。どうしたんだ・・・』

この方の意見の中に作画への不満は全部入ってると思います。アニメファンというか趣味でアニメを観ている人のほうが、アニメに詳しくない人よりもアニメの絵に寛容な気がします。それはアニメ業界に精通してる人のほうが、アニメの作画が崩れる事情を理解しているからでしょう。予算とかスケジュールとか作監が誰だとか・・・ 事情を飲み込まないシロウトは見たまんま「下手くそな絵」って口に出しちゃうんでしょうね・・・


最後はシナリオに対する意見・・・

『 なんかこう・・・ユウが車椅子でいる必然性もないし、二ノ国いったら脚がつかえるようになって、実は住人だからアーシャと結婚しました!っていう流れは現実世界(一ノ国)だと幸せになれないから逃避世界(二ノ国)に残りました。と捉えてしまします。雰囲気だけです 』

『 冒頭、短髪(健常者)とヒロインが長髪(車椅子)への当然の配慮を全く示さない時点で、何かい嫌な映画だなぁ・・・お前ら本当は友達じゃねぇだろ・・・と思いましたが、アレは差別でも何でもなくただ単に短髪と制作者の頭の悪さを観客に示すためだけのシーンでした 』

『 2つの世界の命が繋がっているのか、それともどちらか一方でしかいきられないのか、物語の中でも解釈が二転三転し、その度にくどくどとキャラクターのセリフで説明されるのでややこしい。頭でワンテンポ考えなければならない分、感情移入しづらかった。セリフだけではなくもう少し絵や動きで観客に伝える試みがあれば伝わりやすくなるのではと思った 』

障害者の表現方法や制作者の認識と見識に 対する疑問や不信が最も多いコメントでした。難解な作品が良い作品という思い込みが、観てる人へ無駄な労力とストレスを与えてる典型的なシナリオです。アニメに限らず難解な作品というのは明快な作品を作れない人の言い訳に過ぎません。難しいのは明快な作品で楽しませることで、制作者がバカに近づくにつれ作品は難解になっていきます。この場合のバカはいい意味でも悪い意味でもバカのことです。




 作品の評価はこれ以上でも以下でもありません。自分が観ていないので面白いかどーかは書けませんが、先日スタジオポノックの短編アニメ「小さな英雄ーカニとたまごと透明人間ー」を録画で観ました。この短編の中の「たまご」を担当した監督が「二ノ国」の監督の百瀬義行さんです。
「たまご」は、卵によるアナフィラキシーがある小学生が、いつものアイスを食べたらそこに何故か卵が使われていて発作が発生。エピペンは~エピペンは~っていうストーリーでした。何でアイスに卵が入っていたのかは家本編では一切語られず、製造上の仕様が変更されたからという“裏設定”だからという難解なアニメでした。
上映時間15分ほどの短編アニメにそんな“難解”をぶち込む意味も理解しがたいです。食品メーカーに表示義務の徹底を求めるでもなく、社会における食物アレルギーの児童への理解を広める目的にも見えませんでした。厚労省が食物アレルギーの広報アニメを作ったら子こんな感じかな?って思えるくらいのつまらなさでした。この「たまご」のアナフィラキシーと「二ノ国」の車椅子は百瀬義行監督にとっては同じモノなんでしょう。なんだかそーいうハンディキャップに対する見識が格好いいとでも思ってるのかなって感じです。格好いい悪いの問題じゃないんですけどねぇ・・・
今回注目したいのは車椅子問題ではなくてアニメにおける「命のテーマ」についてです。「二ノ国」は只の冒険RPGではなくてストーリーの本質が命の選択です。

公式サイトのストーリー

『 頭脳明晰で、心優しいユウ。バスケ部のエースのハル。そしてハルの恋人コトナ。同じ高校に通う幼なじみの3人は、かけがえのない親友だった。
ある日突如ユウとハルが迷い込んだ見知らぬ場所、そこは想像を超えた魔法の世界、二ノ国。現実(一の国)と隣り合わせにある二ノ国で2人はコトナにそっくりなアーシャ姫と出会う。どうやら二ノ国には、一の国と命が繋がっているもう1人の自分がいるらしい。
アーシャ姫に死の呪いがかかったことを知った時「二ノ国で尽きるはずの命を救えば、一の国の人間がその代償を払うことになる」という残酷なルールを告げられる2人。アーシャ姫とコトナ、死の呪いをかけられた彼女たち。しかし、救えるのは一つの命。
ー明るく健気なアーシャ姫を守りたいユウと、コトナを助けたいハルに突き付けられた残酷なルール、ふたりが下した〈 究極の選択 〉とはー 「愛する人を救うために〈命〉を選べ。』

この文章は「コレを読んで興味を持ったら映画館で観てね・・・」というストーリーのあらすじです。だから監督の本当に伝えたかったこととか何故この作品を作ったかの言い訳ではなくて、この映画はこういう内容であるという公式のプレゼンテーションです。一番アピールしている言葉は「命を選べ」というフレーズですね。

この「命を選べ」に対しても映画.COM にコメントがありました。

『 予告編の「命を選べ」ってなんですか。予告編だけ観て「家と方の世界で命を救えばもう片方の世界では死ぬ。どちらの命を選ぶか親友で争う。めっちゃ熱い展開じゃん」と喜び勇んで観に行ったけど、そんな展開一切なかったじゃないですか。これは詐欺ですよ 』

百歩譲って、この方が劇場でコーラをこぼしアワアワしてるタイミングの時に命を選んでたのかも知れません。観た人に「そんな展開は一切なかった」と言われえるのは問題だと思います。「たまご」の作品でアイスの製造変更を描かなかったように、そんな展開を描かない=難解な作品という狙いだったのかもしれません。
 もしくはそんな展開などの話ではないんだけど映画の宣伝部が予告で盛っちゃったケースが考えられます。一流のアニメ監督を相手に失礼な邪推かも知れませんが、百瀬義行監督がストーリーを進めていくうちにストーリーが収集つかなくなっちゃった可能性もあります。高畑さんの後継者とまで言われた人だから、それは考えにくいんですけどね・・・
どの原因でも構わないのですが、気になるのは『 どちらの命を選ぶか親友で争う。めっちゃ熱い展開じゃん』というコメントです。この方は宣伝部のめっちゃ盛ったコピーに騙されて劇場へ行っちゃった成功例です。興味深いのは「命を選ぶ」ということがアニメのキャッチとして成り立っているということです。命のやり取りをストーリーの軸にしてウケたアニメでは「まどか☆マギカ」なんかが有名ですね。こっちも自分は観ていないのですが、死をストーリーの前提条件にするシナリオがこの類いです。
死を扱うストーリーには主要キャラが病気や事故で亡くなるパターン、ミステリーなど殺人事件で亡くなるパターン、ストーリーの中の設定上の都合で死を選択するパターンなどがあります。病気や事故のパターンは、昔の少女マンガの不治の病や昔の少年マンガの野球部のエースが交通事故死するなどです。ミステリーは「コナン君」のような事件から始まる作品や戦闘での殺し合いなど。
ユーミンの曲でいえば「ひこうき雲」や「雨に消えたジョカー」は病気型 「ツバメのように」や「コンパートメント」はミステリー型です。いずれも名曲ですね・・・
不治の病や推理ドラマなどでキャラが死んでしまう展開はとくに問題はありません。このタイプのシナリオは社会通念から逸脱しない範囲の死の表現だからです。これが猟奇殺人とか悪の組織が作った殺人ウイルスとかになると、ちょっと微妙になってきます。強引な設定の死はキャラの片寄った死生観が含まれる場合が多いからです。
問題があるとすれば今回の「二ノ国」のような「命を賭ける」シナリオです。命がけというと本来は命懸けという漢字を書きます。でも命のやり取りをテーマにした作品の場合は賭けるという意味合いのほうがしっくりきます。命のやり取りがテーマの作品や自死を含めた死への逃避や誘惑、肯定や否定・・・ この手のテーマは全体的に幼稚な概念だということになります。概念という文字がすでに幼稚な感じがしますね・・・

 コドモは自分が死ぬなんて思っていないんですが、死に対して独特な畏敬の念を持っています。幼児はご飯とかおやつという生活に密着した単語は真っ先に覚えます。その後ちょっと知恵がついてくると死という恐ろしい単語を見つけます。「親が今日死んじゃったら」とか「お姉ちゃんが死んじゃったら」とか他の人を勝手に殺してシュミレーションしてみたりします。死という言葉は自然の摂理や自裁の現象ですが、哲学や道徳の意味合いもあり死を理解することはオトナになるための大事な概念でしょう。
その後、成長するにつれ生きる意味とか死の意味とか死後とか考えるようになります。全く考えないでオトナになる人もいますが、アニメやマンガ、映画、小説・・・とハマっていくようなサブカルっ子は死への誘惑を捨てきれません。
命の価値を考える上でみんなの記憶に残っているのは小学生時代に友達と言い争いになったとき「本当か?本当だったら命賭けるか?」っていうセリフがありました。返し文句で「命賭けてやるよ」と取引が成立するんですが、実際に命を取られた同級生もいませんでした。この賭けの対象になる自分の命のレートがイクラだったのかは定かではありませんが、長州力が藤波に勝つか負けるか程度の価値だったと思います。扶養家族な小学生には自分の命くらいしか張れるものがないんです。ゲーム機やトレーデングカードは、取られちゃうとリアルにキビシイから・・・
中学生くらいになれば命を賭けたりしなくなります。カツアゲだったら実際に財布を狙うし・・・ 自分の命の価値というモノがそーいうレートではない暗いの知性が育つから。とりあえず命を賭けなくなった頃からオトナになったと区切ってみましょう。
オトナになると普通は死を意識することはなくなります。健康診断の結果や動悸や息切れなど養命酒案件の時などに、健康と寿命をぼんやりイメージするくらいです。自分の死を具体的にイメージするのは面倒くさいし意味がないことをオトナは学習してるからでしょう。十分に人生を謳歌した世代は「そろそろ店じまいの計画を・・・」という人もいます。でも「老後の蓄えが足りない」とか思ってる人は死を意識していません。だって生きる気満々だからです。
追い詰められた人やいろいろ混乱してる人の中には死へのスイッチが入っちゃうオトナも一定数はいます。しかし、そーいう境遇の人にとっては、もはやアニメやマンガ、映画小説等は届かない状況なので除外します。
逆に中川翔子さんはコドモにはこれらの作品というモノが届くと確信しています。実際に中川翔子さん自身が学生時代の厳しい次期を作品で乗り越えられたそうです。自分も作品はコドモに届くと信じているひとりです。でも、今回の死はイジメや家庭環境で困窮したコドモに対する「死ぬんじゃねーぞ」に出てくる死の話についてじゃないので、やっぱり除外します。中川翔子さんが言っていることは幼稚でも何でもないからです。

 死という幼稚な概念が多くの作品のシナリオのテーマになってきました。古今東西の名作やら巨匠やらナンタラたちが死を扱っています。そーいう意味では幼稚な概念はないだろ?とか、お前は文学のナンタラを理解していないだけって思われる方もいるでしょう。しかし、自分にとっての死のナンタラは幼稚園のころに思っていたことで、死への漠然とした恐怖や畏敬の念は幼稚園時代にすでに消化しちゃっていました。
変身ヒーローやウルトラ怪獣たちも低学年で卒業していました。そもそも地球を救うというヒーローは、市民が殺されるというシナリオの上で成り立っています。コドモなりに「人類滅亡を目的とした団体ってなんだよ?」っと思ってました。折しもアニメないでの巨大ロボットが全盛期だったのですが、そーいう悪の出てくる作品を一切観てこなかったので、マジンガーZのストーリーとか未だによく知りません。歌は知ってるけど・・・ 旧作のヤマトや初代のガンダム、999 などには「敵=殺せ」という以外のモノが描かれていました。おりしもアニメが社会に作品として認知されたのは、そーいう内容だったからです。そこにお子様向けアニメとオトナも鑑賞可の違いがあったんでしょう。
じゃあ、コドモにコドモ向け作品を観せることが良くないことなのか?といえば、そんなことはありません。善悪のはっきりした作品のほうが「この怪獣は悪そうだけど本当に悪いのは怪獣という先入観だけで殺害する人間のほうなんだよ」という感じの作品よりもマシです。小さい子には直感で白黒ハッキリするようなコントラストが効いた作品がいいです。
成長してオトナの視野が形成されるにつれて、最初は12色だった内容も24色~50色・・・と中間色な内容を徐々に増えてきます。本来の世の中のストーリーはとてもカラフルなんですが、白か黒のどっちか?というような無彩色なストーリーも若者に人気があります。モノトーンに格好良さを感じちゃう世代なんでしょう。そこにあるのは「オトナっぽさ」なのかもしれません。24色なのに20色はグレーが入ってるようなストーリーです。
前回の記事で書いた伊集院さんが中学生のころ「ハッピーエンドが大っ嫌いだった」というのは、世の中や社会の真実を描くのは灰色と黒だけだと思っていたからでしょう。何で自分は中学時代にグレーな作品に惹かれなかったのかを思い返せば、あの頃は少年マンガに見切りをつけて「花とゆめ」や「LaLa」を読んでいたからでしょう。綺麗なカラー原稿のマンガばっかりでした。

 「二ノ国」に話を戻すと内容の稚拙さや作画の雑さは、観た人たちのレビューの通りなんだと思います。面白い作品を作るかどーかは、制作者がどれだけ真摯に作品に取り組んでいるかに尽きると思います。アニメファンや一般の観客観客は劇場へ行かなきゃ面白いかを判断できません。しかし、制作側は公開前から作品の是非がわかっているハズです。納期通りに面白いアニメが作れませんでしたというのも仕方がないことなんでしょう。制作側もお仕事でアニメ作ってるんだろうから・・・
安易に劇場公開するのもどうか?って思いますが、雑に死をテーマに置こうとする安易さは問題があると思います。レビューの人が言ってた「命を選べ、なんて展開はなかった」はともかく、そーいうキャッチコピーのやっつけ感がストーリーの可能性を閉ざしています。自分が宮崎駿監督から離れてしまった作品は名作「もののけ姫」なんですが、この時のキャッチコピーも「生きろ」でした。
コドモがどんなに死を見つめて死生観をテーマにしていようとも、現在のアニメ等ではオトナが「子供だまし」の手法として死を扱ってるだけです。この手法はコドモの中のセンチメンタルやヒロイズムを掻き立てるからチョロいストーリーが量産できますが、オトナになっちゃうともう二度とアニメやマンガに振り返らなくなっちゃいます。一般論としてはそれでもいいんですけど、日本のアニメの作品の内容が疲弊してる原因の一つだと思います。
「パラレルワールド」とか「本当のチカラ」や「終末」などはコドモの都合を具現化したストーリーです。それに「死」を絡めるといよいよコドモの大好きなストーリーになっちゃいます。「アニメはコドモ向けなんだからそれでいいじゃん」というなら、それでもいいですけどね・・・


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