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2019-11

見たい人にだけで・・・? - 2019.08.19 Mon

日向武史さんの「あひるの空 THE DAY Part 1」第1巻です。

 「あひるの空」は言わずと知れた少年マガジン連載のバスケマンガです。日本でもっとも有名なバスケマンガといえば六田登さんの「ダッシュ勝平」ですね。「ダッシュ勝平」は少年マンガ初の “パンティーとバスケの融合 ” により、多くの中学生をバスケ部に入部させたエポックな作品です。日向武史さん自身も「ボクは勝平ファンだったので「あひるの空」は勝平から影響を受けてます」とコメントしていました。
調べてみたんですが日向武史さんが影響を受けていた作品は「ダッシュ勝平」ではなくて「スラムダンク」らしいです。全国の中学生をバスケ部に入部させたのも「スラムダンク」です。赤江珠緒さんが好きだったアニメが「ダッシュ勝平」だったので記憶が混乱していたみたいです・・・
自分が現在単行本で購読しているスポーツマンガは「あひるの空」をはじめ、新川直司さんの「さよなら私のクラマー」小林まことさんの「女子柔道部物語」ツジトモさんの「GIANT KILLING 」あだち充さんの「MIX ミックス」だけです。いわゆる「ドカベン」のような試合を中継しているだけのスポーツマンガは、そんなに読みたいとは思いません。スポーツマンガや格闘マンガは勝敗が読者を引きつけるキモなんですが、試合の結果とドラマとしての結末は本来正反対のもので、野球は筋書きがないからドラマなんですがドラマは筋書きそのものです。「どっちが勝つのか?」というわくわく感は結局本物のスポーツ観戦にはかないません。

 スポーツを応援するというコトは、贔屓チームが自分の選手の関係者目線で応援することです。単に観戦するんだったら負けてるチームや有名人がいるほうに加勢する感じです。しかし贔屓チームがある人はそれどころじゃありません。スポーツマンガを読むということは主人公チームのファンというよりも、当事者というスタンスで感情移入して読んでいます。
感情移入というのは「映画館を出たらみんなが健さんになってる」とか「自分もアンパンマンだと思ってる」とかじゃありません。一番近い表現だと「その作品に親身になって読んでいる」っていう感じです。スポーツマンガを親身になって読むと主人公チームが勝てば嬉しいし負ければ悔しいです。ならばマンガのスポーツは負けちゃ行けないのか?といえば、そうではありません。むしろライバルチームに負けてドン底から這い上がってリベンジするのが王道のストーリーです。常勝明訓とか山田は通算7割打者というほうが珍しいんです。
スポーツマンガで試合の勝ち負けを決めるのは作者の専権事項ですが、現実のスポーツの勝ち負けを決めることは誰にもできません。勝つと信じていても負けたり、圧倒的な戦力でも足をすくわれたりします。それでも応援し続けるのはそのチームが “自分のチーム” になっているからです。

 そんなこんなで「あひるの空」は通算51巻目です。このあとの文章はネタバレになるんですが、51巻にもなってまだ読んだことない人が1巻から単行本を買い始めると2万5千円くらいかかります。そんなに頑張って読むほどの作品とも思えないので、既刊までの内容はネタバレ上等で進めていきます。リアルタイムに少年マガジンで連載を読んでる人たちが騒然となってるような気配もします。彼らは最新刊の内容の続きを読んじゃっているから、この作品への賛否の行方も知ってるのでしょう。少年マガジン購読派の方々にはピントの合わない文章になると思いますが、あくまでも最新刊時点で思ったことなのでご容赦ねがいます。
最新刊は51巻ではなくてタイトルに「THE DAY」というコトバが付き、ナンバリングは Part1となりました。単行本の袖の部分の作者コメントに『これは空達の“約束の日”であり、漫画としての最後に1日。・・・もしくは始まりの日。』と記載されています。念願のインターハイ地区予選準々決勝・横浜大栄戦からスタートなのでこのまま最終回になりそうです。それはネタバレでも何でもなくて作者自身が最後に一日と明記しているからです。それどころか、本編中に何度もこのストーリーが準々決勝敗退で終わることを示唆するシーンが何度も出てきました。
シナリオのパターンとしては「スラムダンク」がインターハイ2回戦で大会3連覇中の山王戦を、20点差から逆転勝利、この試合をクライマックスにそのまま連載終了という流れを踏襲しています。超ネタバレですが最新刊でイチピリ終了、スコアが4ー25です。「スラムダンク」の山王戦も24点差からの逆転劇だったと思います。日向武史さんが「スラムダンク」をリメイクしてるのか、それともリスペクトしすぎてるのかは疑問です。
しかし、この大栄戦は主人公チームが敗北することが決まっています。作者自身がそう描いちゃっているから・・・ 「スラムダンク」のほうはマンガへの全ての興味は湘北と山王のどっちが勝つのか?に集中して読んでいました。ましてや新キャラや決勝であたりそうな学校も唐突に出てきたんで、第二章はある?って思わせる伏線でした。実際に最終回のクレジットには「第一部 完」となっています。結果的には庵野システム?で投げ出しちゃったイメージですが、山王戦直後に最終回になるとは誰も思っていませんでした。その後、井上雄彦さんがチャンバラを描くとも思わなかったでしょう。

 最終回を示唆するコメントやスポーツマンガで試合結果をバラすというのは、出来レースやチート以上に興ざめしちゃいます。連載中の結末を作者が作中でバラしていいのか?というのはネットでも疑問視されていました。しかし、日向武史さんの中では『大栄戦敗北エンド』ということは決まっちゃっていることのようです。
39巻の表紙カバーの袖で『答えはもう何年も前にネームという形で出していたけど、それはあたかも読者をふるいにかけるような行為で、スポーツ漫画としてやっちゃいけないことのような気もしていた。』とコメントを書いていました。さらに『 でも、なんていうか・・・ ここまであひるの空を好きで追いかけてくれた人達は、すんなり受け入れてくれるんじゃないかという変な安心感もありつつ、迷いのようなものはなかったな。』と続けています。このコメントの中の “好きで追いかけてくれた人達” というのはスポーツ観戦でいうと親身に応援してくれるチームのファンにあたる人たちです。クズ高バスケ部に感情移入して読んでくれていた読者ですね。
それでも、「あひるの空」が好きで追いかけてくれた人(単行本を継続で購入している人)=日向武史さんの制作意図を汲み取ってくれるファンと判断するのはどうなんでしょう? 優勝確実と期待されながらも優勝争いどころか下位グループをうろちょろしてる贔屓チームを、温かく拍手するファンと本気で怒るファンとではどっちが親身になって応援しているのか? 
偶然ながら「はじめの一歩」という伝説のボクシングマンガも同じ少年マガジンの掲載です。一歩はボクシングマンガの歴史を変えるほどにちゃんとしたボクシングマンガだったんですが、現在はネタとしてウォッチしてる人以外は読んでいないんじゃないか?ってくらい落ちぶれちゃっています。何でそーいう展開にしたのかの理由はわかりませんが、読者の応援する気持ちを作者がわざと削ぐようなマンガにしたことが原因なのは間違いないです。

 日向武史さんの構成で特徴的なのは試合中などで選手以外の観客や他校チームなどのサイド・ストーリーがカットバックすることです。カットバックとは二つ以上の違うシーンを交互につなぐ編集技法です。新城戦編でいえば、11巻~12巻あたりの新城戦へお母さんが観戦に来る~体調悪化で病院へ~敗北~病室での最後の会話~鳥が羽ばたく・・・ っていう感じです。
カットバックで代表的なものはサスペンスなどの『犯人・クルマの中→美女・更衣室→犯人・玄関→美女・シャワー中→犯人・更衣室→美女・ギャー・・・』などに使われる演出です。テンポが上がることと複数の情報を同時進行で表現できるメリットがあります。これは映画的な手法なので映像がないと受け手に不要な混乱を与えかねません。映像ではシーンごとに画面が切り替わっても混乱しません。しかし小説などの文章媒体で目まぐるしくシーンが入れ替わると、読者は状況なのかを見失ってしまいます。マンガは映像と文章のハイブリットなので映画よりな作品と小説よりな作品が存在します。
日向武史さんの作品はとてもポエトリーなセリフやナレーションが特徴的なので小説よりにも見えますが、とても映画を意識した画面構成を良しとした作風だと思っています。日向武史さんはマンガ家を志す前に映画業界を目指していたらしいので、間違いなく映画のノウハウをマンガにつぎ込んでると思います。
個人的には新城戦の敗北と母親との死別を最終回のクライマックスにすれば、今日のネット批判なんかもなかったと思ってます。日向武史さんがこだわる敗者の美学と人情劇、少年の成長・・・全部入った納得のクライマックスのチャンスだったと思います。
ざーっと思い返すと1巻から12巻までの間でカットバックを使ったのは空のお母さんのシーンだけでした。回想シーンは映画的な手法ではなくて “マンガ的な回想シーン” の手法なら出てきます。多分ですがストーリーの中で回想するようなシーンもほとんど使っていなかった印象です。
連載当初のネームやコマ割は当時の少年マガジンの主流だったヤンキーマンガっぽかったと思います。編集方針と作者の経験値が合致した結果だったんだと想像できます。今の日向武史さん作品をイメージするような画面構成になったのも新城戦あたりからです。この時にカットバックでたたみ掛ける演出が完成したんでしょう。
11巻の最後は新城戦は最終ピリオドの残り3秒のところでクズ高が2点差でリードだが新城側のフリースロー。新城はそれをわざと外して3Pシュートで逆転を狙う。FTは外れリバウンド勝負になり・・・ というところで病院の集中治療室がカットバックし12巻に続く。12巻冒頭は会場から病院へ向かう車中の空クン~お母さん死去。そして試合結果は体育館に張り出されているトーナメント表に書き足された 104-90 のスコアのみ。
試合のクライマックスの最後のフリースローの顛末を一切描かずに新城が3Pを狙わずに2点入れて延長を選び、クズ高は延長を戦う自力が残っていなかったという試合の流れを 104-90 というスコアだけで読者に理解指せようというのが演出意図です。「あひるの空」を読んでいない人がこの記事を読んで「なるほど、この試合はそーいう決着だったんだ」って把握できる人はいないでしょう。バスケ経験者やバスケマンガに明るくない読者が、ソレで試合はどーなっちゃたんだよ?って思うのも同然です。11巻の最後では試合が続いてるシーンだったのに、12巻冒頭から試合終了後のシーンで始まるんだから。
たしかにこのシーンでは親が危篤ということで部活の大会の結果云々どころではないというストーリーの重さの違いを表現できていました。メインストーリーとサブエピソードがカットバックで入れ替わるという非常にレベルが高いワザが成功したんでしょう。

 この後「あひるの空」では空前のサブストーリーブームになります。日向武史さんは「あひるの空」を登場人物全員の物語だとコメントしてたんじゃないかな。バスケ部員以外の生徒や対戦相手の選手にもそれぞれの物語があるということです。それは名前のあるキャラ全員にサブストーリーを用意出来るってことです。
最初のサブストーリーは空のお母さんの闘病のストーリーです。これは当然ながら連載開始から狙っていた展開です。オープニングからばあちゃんと二人暮らしの空の家庭環境についての設定は “あえて” 言及しないで物語を進めていました。12巻目で落とすためですね。並行してトビ(夏目)の家庭事情もサブストーリーです。レギュラーでもマドカ、千秋や百春、その他のメンバーのストーリーはサブというよりも本編のストーリーです。
これ以降のストーリーでは試合中に相手キャラの内輪話や苦労話が頻繁に出てきます。三井とかメガネ君、丸ゴリなどサブキャラのエピソードを丁寧に描いて評価された「スラムダンク」の影響は第でしょう。主人公以外のキャラにもスポットを当てることで読みごたえのあるマンガになり、老若男女の読者に認められました。日向武史さんも「スラムダンク」のそーいうサブキャラも脇役も意味のないキャラなんかいないっていう感じがやりたかったんでしょうね。
空の成長をベースに全てのキャラにドラマがあるというのは、一見すると大河ドラマになってボリューミーな作品になります。マンガ家にはボリュームにはあふれ出すタイプとすっからかんなタイプがいます。すっからかんがダメなのではなく一つにネタだけを描いちゃうタイプです。この場合は読みごたえを考えて足し算でマンガを描いたほうがいいです。逆にアイデアがあふれちゃう人が素晴らしいとも限りません。こっちは引き算で描かないと読者との乖離が生まれる可能性が高いです。作者が必要だと思ってるボリュームと、読者が求めているボリュームがずれてくるんですよね。
個人的に思っている連載マンガのボリュームは完結したときに全巻をまとめ買いしても 5~6千円で収まるくらいの長さです。「あひるの空」も完結させて「モキチの空」とか「トビの空」とかを描けばいいのにって思ったりします。マンガ離れと読んでいるマンガが終わらない問題は密接に関係して「ウシジマ君」が完結したし話題だからって全巻買って読もうと思う人はいませんよね。マンガ喫茶に行く人やネットで読み放題っていう人はいるだろうが、それは作者の利益ではありません。
ネット配信系のアメリカドラマがブームになっていますが「面白いから観なよ」と言われても「現在は第7期で何百時間分いっきに観れるよ」って言われてみようって思えるほどドラマ好きばっかりじゃありませんよね・・・

 「あひるの空」で一番画期的なのは前期の通りに最新刊から始まった大栄戦でクズ高が負けることを作者自身が作中でバラしてることでしょう。当然ながら今やっている展開は最終回と公言してます。そこら辺でネットがざわざわしてるんじゃないのかな? 作品の中の合い言葉は「インターハイへ行く」というハズでした。そこには神奈川最強の横浜大栄を倒す必要があるというのがマンガの状況です。インターハイへ行くというのは読者が先走ってクズ高を過大評価していたのではなくて、日向武史さんが作品の中で読者にそう応援してもらうように仕向けたからです。それは演出上も作品の構成上も正しい方法です。
しかし、途中から作中にカットバックで大栄戦が終わった後のクズ高バスケ部員たちのシーンが入るようになってきます。(未来のシーンが入るから厳密にいえばカットバックと呼ばないのかも?)
ストーリーについて日向武史さんは「もう、大栄戦は負けるって何度もネームで描いてるじゃん」っていう意図をコメントしてますが、「大栄戦で負けて最終回」と明確な言質は発言していません。
インターハイ敗戦エンドでも勝利にまさる感動エンドを用意出来るという自信なのかもしれません。
27巻の袖のコメントで「最終回は27巻に掲載されてる原稿を描いてるときにネームを切った」とのことです。つまり2010年頃には最終回の内容が決まっていたんです。
それでも作者が連載中の作品の結末をバラす意図が見つかりませんよね。よく「最終回のシーンは初めから決まっています」と言うマンガ家がいます。「進撃の巨人」の人もテレビで言っていました。それは「成り行きではなくてストーリーはちゃんと構成してるんですよ」という宣言だったりします。「あひるの空」の場合は「編集部に永久連載を要求された」もしくは「アニメ化の企画で空がNBAに行くまで連載して欲しい」などで、だったら自分から結末を公表しちゃおうって居直ったのかもしれません。「神奈川大会で敗退する」そして「NBAなんかに行かない」と描いちゃえば展開の変更は不可能です。でもそれは読者には関係ないバックヤードのハナシですよね。

 それでも、自分は「あひるの空」の最終回を読むことを楽しみにしています。自分自身の日向武史さんの評価は現在の少年マンガを描いてるマンガ家の中でトップ5に入ると思っています。日向武史さんの「結末よりも大切なシーンがこの先に待っている」というコメントを信じているひとりです。
「あひるの空」はドラマチックな試合展開と登場人物のキャラ立ての良さ、成長と挫折の使い分け、心の機微、などなど・・・ 十分にマンガとして読み応えがある作品だと思っています。試合描写のスゴさというのはスポーツマンガだったら当然なんですね。自分もスポーツマンガに勝敗以外の部分を求めるタイプなので、試合から離れた時にどれだけ読ませてくれるのかは重視してます。逆に試合しかしないようなマンガは苦手でした。それだったらJリーグ観てたほうがドキドキします。
過去に別のブログでも「あひるの空」のことを取り上げました。9巻~12巻の新城戦と空クンのお母さんとの死別の回を当時全力で褒めてた記憶があります。当時の少年マンガの水準を超えていたと思います。
今回の記事は最新刊の後書きに書いてあった最後の一言が引っかかったから書きました。でも読んだのが4月ごろだったので5ヶ月くらい寝させてたから描いた記事だから支離滅裂です・・・
引っかかった言葉は「・・・あと少しだけゆっくり走って行こうと思ってます」の次のシメの文章の後に「見たい人だけ見てくれれば。」とありました。この一言に今の日向武史さんにたいする「あひるの空」の賛否の比率がわかった気がしました。しかしここまで連載して「見たい人以外は見てくれなくても結構」というニュアンスは送り手のコメントとしては最低なコメントです。
連載当初のヤンキーバスケマンガを辛抱強く見守ってくれていた人たちの半分が、日向武史さんが切り捨てた「見なくて結構」の側の読者です。むしろこの顛末を非と受け止めた人たちのほうが日向武史さんのマンガが好きで読んでくれていた読者なんでしょう。賛否はマンガの面白さよりも表現方法や演出意図による物だと思います。読者にマンガを伝えたいのか作品論(作品のあり方や制作方針)を伝えたいのかを取り違えてる感じはずーっとしていました。これは有名アニメ監督たちが「つまんない」というファンの声に作品論で論破したがる図式にも似ています。アニメ監督の作品論に共鳴するマニアの声は監督にとって心地いいけど、「イヤなら見るな」を言っちゃったらお終いです。
日向武史さんが以前に書いたあとがきのコメントで「単行本を集めてもらえるマンガ家になりたい」というようなことを書いてあったと思います。(記憶が曖昧・・・) 単行本を買い集めてきた人にも「見たくなければもう新刊を買わないで」って言えるんかいな?

 この日記の記事は自分が「あひるの空」が終了する事に反対のような感じになっちゃっていますが、自分はむしろ連載マンガはどんどん終わらせるべきという方針です。また、日向武史さんのマンガに対する意固地な感じはとても好感を持っています。連載当初のヤンキー部活コメディーだったらここまでのめり込んだ記事は書きません。面倒だし・・・
サブストーリーを含めてシナリオの良さや独特なポエトリーは自分の中でも数少ない“読みたい少年マンガ”です。ただ連載終了後のクズ高のメンバーの裏設定物語をそこまで読みたいか?っていうと、そこまで興味はありませんね。そのキャラ達に引っ張られるくらいならガールズバンド・マンがでも連載して欲しいです。
もしも連載終了後に「あひるの空」のスピンオフ作品を描くのだったらマドカと新のカップリングでお願いしたいですね。新はプロ選手で引退を考える時期、マドカは婦長に推薦されている。お互いに岐路に立っていて・・・ っていう感じで。仲の悪い女子ペアって大好物です。掲載誌もマガジンじゃなくモーニングで大人向けに描いて欲しいです。高校時代の思い出なんか抜きで・・・


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「あひるの空」のアニメ化についての追記です。


 「あひるの空」は10からアニメが放送開始になります。原作者の日向武史さんは過去にアニメ化のオファーを2回断っていました。だから原作ファンの方々は賛成や反対よりも「いまさら、何で?」っていう感じでしょう。それは日向武史さんが創作に対して拘っていた色々なモノの中で「アニメ化拒否」はかなり重要な拘り要素だったハズだからです。しかし講談社もアニメ会社も「進撃の巨人」に続くコンテンツが欲しいだろうから、まぁアノ手コノ手で日向武史さんを懐柔したんでしょうね。

 アニメ「あひるの空」公式サイトで第1弾 PV が観られます。賛成の人も反対の人もまず観てみればハッキリすると思います。
主人公の空役は、あの梶 裕喜さんが担当します。制作はディオメディアで総監督が草薙啓造さん、キャラデザインが本多美乃さん、という少年マガジンらしい「風花」スタッフです。「これは楽しみ」と思った方には朗報です。9月25日にTOHOシネマズ新宿にて第1話先行上映会が開かれるそうです。
PVを観てアニメか賛成側についた人への記事はここまでです。


 この PV を観て「おやおや~」って思った方や、アニメ化に否定的な方に向けての記事です。
明らかに違和感があるのは空クン役の梶 裕喜さんの声が「どこにでもいるアニメのさわやか少年の声にしか聞こえない」ということでしょう。読者ごとにそれぞれの空クンの声のイメージがあると思いますが、その誰の頭の中の空クンの声もコレじゃないって思ったことでしょう。それは梶 裕喜さんの声が予想外なのではなくて、本田美乃さんの描いたアニメ絵の空クンの絵に声優を当てるとしたらこの声を当てちゃうと想像できます。その誰もが想像する通りのさわやかアニメ少年声だったことに違和感があるんでしょう。
作画に関してもバスケシーンで、コマを省略することで“動きの速さ”を表現する手法も使ってる感じでした。「スラムダンク」の動画のようなスライドとくり返しは PV なのでさすがにないのですが・・・
キャラの顔はさすがに日向武史さんのタッチで動画を作るのはこんなんなんでしょう。

 アニメ化に向いているマンガと残念な結果しか待っていないマンガがあると思います。アニメ化に向いているのは以下の通りです。

:ストーリーが平板でシチュエーションをリフレインしているマンガ
:原作付き等マンガ家にストーリーの決定権がないマンガ
:ストーリーが編集会議で決まる、アドバイザー協力がついているマンガ
:マンガ家がアニメのコミカライズのような作風のマンガ
:初めからキャラやストーリーがアニメ作品っぽいマンガ
:理屈抜きで大ヒットマンガ

マンガをアニメ化する場合はマンガの全てをアニメで表現できるハズもありません。多かれ少なかれマンガの表層をさらっていく感じになってしまいます。逆にいえば表層だけでも伝わるマンガがアニメ化に向いているといえます。上の条件を全て満たしているのが「名探偵コナン」ですね。

反対にアニメ化に向いていないマンガは・・・

:読む人によって解釈が様々なマンガ(わかる人には激しく同意、わかんない人はぽかーん)
:作者に強い思い入れがあるマンガ(この作品で伝えたい何かがある作品)
:読者に強い思い入れがあるマンガ’(いわゆるマニアックな作品、アニメという公共性と相反する)
:理屈つきで大ヒットしているマンガ(表現媒体がマンガだからウケてる作品)

よく「この題材はアニメに向かない」とか「アニメ化不可能」というセリフを聞きますが、落語も水泳もヴィクトリア朝時代の英国貴族もアニメ化されています。題材の問題ではありませんね。
アニメは表層だけを伝えるという表現ですが、深い部分までつたえようと頑張っている作品も数多くあります。ソレを名作とよぶんでしょうが、一番の懸念はこの深い部分にあります。
「スラムダンク」の名台詞「諦めたら・・・」をアニメに知った人とマンガで読んだ人では同じ感動ではないでしょう。しかし、このセリフを名台詞だということにはかわりません。表層では同じものが伝わっているといえます。ここで「スラムダンク」のアニメ監督が三井のエピソードのより深胃部分まで伝えようとするとどうなるでしょう?三井が怪我して治ってまた怪我してグレて喧嘩して泣いて・・・っていうストーリーの流れはアニメにできます。そこで三井の深い部分までアニメで表現しようとすると井上雄彦さんの三井や原作ファンの中の三井とは別の第三の三井ができてしまいます。あの作品の中の三井は読んだ人の数だけの三井がいるんですが、その三井はアニメ監督の三井とも違ってしまいます。

 特に日向武史さんは自分の言葉でマンガを描きたい人です。原作付きマンガやましてや編集者会議でストーリーを決めていくなど受け入れられるワケがありません。逆にアニメというのは集団で作らなきゃいけないからみんなの意見で作られていきます。「作品は自分の言葉だ」とか「自分のメッセージ」という思いで描いてる人にとっては、アニメ監督の思いは自分の思いとは別物です。日向武史さんいとっては表層をなぞるだけのアニメも、深い部分を監督に改編されるアニメも納得出来るとは思えません。本編で書いた通りに今残っている「あひるの空」の読者もそーいう日向武史さんについて行こうとしているファンだから・・・
自分は10月からのアニメは観ないです。マンガの楽しみを守るためにアニメ化は基本的に観ない主義です。今、放送中のあだち充さんの作品も観ていません。そういえば、過去の作品だと「タッチ」も観ませんでしたね。

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