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2018-12

情熱大陸の諫山創さん - 2018.12.04 Tue

情熱大陸の「進撃の巨人 作者 諫山 創」です。

 11月19日 TBS系のドキュメンタリー番組 情熱大陸にて「進撃の巨人」の作者の諫山 創さんが特集されていました。最終回の構想?、最後のひとコマ?というアオリに惹かれて、マンガを読んでもいないのに観ちゃいましたね。連載当初から「進撃の巨人」は結構早い段階で話題になっていました。自分はどうせ出オチマンガだと見くびってました。
連載開始は9年前の始まったころの画力は「大型新人マンガ家デビュー」ってアオリ文句の雑さと勢いだけって印象でした。別冊少年マガジンの創刊号から看板作家に押し出す戦略でした。集英社が門前払いした持ち込みマンガ家に新規マンガ誌の命運を賭けるんだから、講談社の懐のデカさなんでしょう。このときに持ち込んだ投稿作品も映っていました。「今、ソレを出すか?」ってくらいのレベルでしたが、諫山 創さんは誰にも相談(アドバイス)を受けずに自分の信念だけでマンガを描いてた人なんだと思いました。才能がある人ほど信念を曲げない(聴く耳をもたない)傾向にあります。集英社の編集者の方は突き返すんじゃなくて教えてあげればよかったんでしょう。
自分自身も当初「最近、進撃の巨人ってマンガがキテるらしいよ」ってマンガ業界?話題になったころに、アニメ化やハリウッド実写版とかになるワケないだろってナーメテーターでした。だって世間に通用するような絵には思えなかったし・・・
そういう印象ばっかりだった諫山 創さんですが、情熱大陸で現在の諫山 創さんのタッチの美しさにビックリしました。絵がウマい人がマンガ家になるんじゃなくて、描き続けた人だけが絵が上手なマンガ家になるんですね。どこら辺から作画が変わったのかは判りませんが、アニメ化で自分の絵が他人(アニメーター)によって清書されることで、原作者もタッチに影響されたのかも知れません。自身の作画をプロ・アニメーターが描くことによって、プロの描き方を再度自身でパクることでキャラの描き方が進化する感じでしょうか?作品を読んでないから調査不足ですけどね。
連載開始時から現在の画力だったら読んでいたかといえば、コテコテの少年マンガ絵は敬遠しちゃいます。仮に「鋼の錬金術師」の荒川 弘さんが作画だとしても、巨人と戦う少年マンガは読まないでしょう。「ハガレン」のほうも読んでいないんだし・・・

 そもそもこの作品が『意味なく現れる巨人と戦ってボス巨人を倒してハッピーエンド』っていう活劇だったら、もうちょっと興味が湧いたかも知れません。もし現在の画力で「進撃の巨人」が連載スタートだったら読みたいかといえば、そうでもないです。やっぱり巨人が人肉を貪るマンガにはあんまり興味が湧かないです。
日本中の人が「進撃の巨人」の内容はだいたい知ってると思いますが、城壁の中で暮らしてる人類が外の世界に住んでいる巨人と戦うお話です。巨人が人肉を貪って「スゲぇ」とか「エグぃ」とかで話題になりました。しかし、どう考えてもこの作品は出オチなんですよね。「巨人がガオー」で始めたマンガなのに「何故世界は巨人に制圧されてるのか?」とか「巨人は何故存在するのか?」なんてどーでもいいハズです。桃太郎の話で「何故桃から生まれるのか?」とか「鬼ヶ島に鬼が生息してる理由は?」なんていうのはナンセンスですよね。
ストーリーの大原則は時系列通りに物語が進むことです。難しく考え無くても、起承転結を順番に並べると普通に時系列通りになります。

 桃太郎の起承転結
 起=川から流れてきた桃を割ると桃太郎が誕生する(発端)
 承=鬼が島へ鬼退治を決意しイヌ、サル、キジを家来にする(展開)
 転=鬼ヶ島決戦(クライマックス)
 結=鬼から奪い取った財宝でジジババと幸せに暮らしました(エンディング)

 進撃の巨人の起承転結に置き換えると・・・
 起=壁の外に巨人がいる
 承=主人公が調査兵団に入って巨人に立ち向かう
 転=巨人討伐
 結=人類は巨人に勝利 もしくは敗北


桃太郎は起承転結の例として一般的なストーリーで、時系列にそったストーリー展開の基本です。起承転結とは漢詩の中の絶句の構成『起句 承句 転句 結句』が由来です。ストーリーの構成の仕方の人湯の方法ですが、ストーリーの基本ということではありません。長編ストーリーでは起承転結がグダグダになって当然です。日本人が起承転結にこだわる理由は学校の授業で習うからでしょう。さらにマンガ学校の先生がシナリオの書き方の授業で起承転結を教えるから、コレが基本だって思い込む人がでてきちゃったんでしょう。起承転結はあくまでも漢詩の絶句の基本に過ぎません。
しかし、アクション活劇は桃太郎の形式を取ったほうが判りやすく痛快になるのは事実です。それは桃太郎が勧善懲悪だからということっではありません。勧善懲悪はテーマのことであって、構成のことではないからです。

 普通の桃太郎のストーリーの時系列の流れ
 起(誕生)→ 承(吉備団子)→ 転(鬼ヶ島)→ 結(財宝)

※誕生から成長して鬼退治までの流れのベクトルが時系列と同じなのでストーリーを追いやすい。

 深いストーリーの桃太郎の時系列の流れ
 起(誕生)→ 承(吉備団子)→ 鬼とは何者か?→ 吉備団子の本当の意味→ 転(鬼ヶ島)→
  キジの裏切り→ 庵戸宮のナゾと卑弥呼編→ 鬼ヶ島の秘密→ キジの最後→ 新たな鬼の登場 →
  消された記憶→ 桃太郎が桃から生まれた理由(伏線回収)→ ついに明かされた財宝の正体・・・  

※ナゾや事実が追加され過ぎて読者が本編を見失いやすい。作者もエンディングを見失ってしまう。


活劇としては「巨人を倒せるの倒せないの?」とか「桃太郎は鬼をたおせるの?」とか「ジョーは力石にかてるの?」とか結局はそれがクライマックスでしょう。ジョーが泪橋に流れ着いたのも力石が少年院にいたことも時系列通りにストーリーは進んでいます。
実際の「進撃の巨人」のストーリーは人類が巨人に勝てるのかどうかが焦点ありません。連載当初の諫山 創さんの「ナゾが解明されたときが最終回」というニュアンスのコメントがあったと思います。この作品は「いかに巨人を倒すのか?」よりも「何故、塀の外に巨人がいるのか?」が主題のようですね。そうすると最終回は全てのナゾが明かされる回になるんでしょう。
ここでいうナゾとは登場人物たちが「自分たちはどういう設定でこのストーリーに参加しているのか?」というナゾです。大抵は自分たちの世界が本当はどういうものなのかが判らないとか、何かのチカラによって支配されてるとかです。エヴァでいえば使徒とかセカンドインパクトとか・・・ 
エヴァ型のストーリーでは使徒をいくら倒しても最終回が作れません。エヴァの主題が人類が使徒に勝つことではなくて「エヴァンゲリオンって作品は結局何だったのか?」になっちゃってました。原作者の庵野さんはとっくに飽きちゃったんですが「今さらエヴァとは○○なんだ・・・」っていったところで誰も納得しません。
「進撃に巨人」のテレビアニメ版の第1話だけフルで観たんですが、これはエヴァタイプの作品だと思いました。巨人についての細かい設定を解明していくアニメなんだろうけど、ソコに興味がない人にとっては、あんまり興味が湧くアニメではありませんでした。だって1話目にして人類が最終的に巨人を倒すシナリオじゃないことが決定してるんだから。もし「そりゃ違うって思って作品を読んでいる人や、巨人を撲滅するクライマックスに期待してる人には申し訳ないです。
マンガファンも最近は伏線回収とか(伏線)投げっぱなしジャーマンとかを作品の評価にしていますが、伏線とフラッグをごっちゃにしてるケースも多いです。伏線は伏せてなきゃ意味がないんです。後の展開で「なるほど・・・」って感じられるのが伏線で、ほのめかすくらいが正しい用法でしょう。
当然ながらナゾの答え合わせを用いたり過去編を使わなくても傑作は作れます。時系列をそのままでSFサスペンスを描いた有名な作品に「寄生獣」があります。ネタの出落ち感からいったらミギーも巨人も似たり寄ったりでした。作者の岩明 均さんは前作の「風子のいる店」を買っていたので、岩明さんの次回作くらいの気持ちで読み始めました。この作品は第1話から後藤と戦うまで時系列通りにストーリーが進行します。パラサイトのナゾに関してはパラサイト当人たちもよくわかってないままです。パラサイトがどーいうモノなのかといおう設定はたくさん出てきますが、そもそもパラサイトは何故 存在するのか?といったことを解明するタイプの作品ではありません。当然ながらヒット作なのでそういう考察がたくさん出たんですけどね。
諫山 創さんが評価されているのは緻密なストーリーと巧みな伏線回収です。緻密なストーリーは理解しにくい展開がそう思わせてるようです。読んでいる人が「何故?」って疑問に思うストーリーがよいストーリーというのが最近の傾向だと思います。でも、それはなぞなぞで答えを教えてもらう子どものような楽しみじゃないのかな?
注射で巨人になるという設定は「そうだったのかぁ!」って思える種明かしには思えないし・・・

 情熱大陸に戻ると、諫山 創さんの人となりを初めて知りました。どれくらい知らなかったのかといえば、創って名前がハジメって読むことを初めて知ったくらいです。年齢も25くらいだと思っていたら32歳になるんです。もっと岡田斗司夫さんを大学生に戻したようなSF論をぶちまけるようないけ好かないタイプかと思ってました。テレビで観た諫山 創さんの印象は、一言でいうと朴訥なオタク青年って感じでした。売れっ子マンガ家になって浮かれポンチキな江川達也氏とは大違いです。
テレビの怖いところは諫山 創さんが実家に帰省して両親に居酒屋でフグ刺しを振る舞われるシーン。自慢のベストセラー作家の息子に浮かれる親族と、心底 参ったなぁ・・・っていう諫山 創さんの表情が味わい深かったですね。そんな諫山 創さんに好感がもてました。いいやつじゃん・・・
情熱大陸を観た人は全員が思ったでしょうけど、帰省先の大分県日田市は周囲を山に囲まれた小さな町でした。俯瞰でこの景色を見ると「進撃の巨人」の舞台や発想の原点はこの景色なんだと納得できました。
この番組の最大の山場は「進撃の巨人」の最後のページが公開されるということでした。少年マンガに限らず、ヒットマンがはその出版社の油田であり資産です。ヒット作の連載終了というのは出版社の経営基盤を失うことです。多くのヒット作が作者の想定通りのエンディングになっていません。講談社では諫山 創さんへの連載引き延ばしの指示(圧力)はしていないとのことです。
自分はうっすらと「進撃の巨人」は講談社やアニメスタジオのプロジェクトチームがストーリーや設定を考えてるんじゃないかな?って勘ぐってました。その方がメディアミックスには都合がいいからです。実際は諫山 創さん自身が最終回に向けて「どう終わらすか」を深刻に悩んでたり、テレビゲームに逃避したりしてました。ある程度の編集の都合はあるでしょうが、最終回を作者のアイデアに任せてるのは本当のようです。
気になったのは最後のコマに思いを込めてる感じでしたが、マンガ的にはソコは重要じゃないんだと思います。最後の一コマで10年の連載を全て言い尽くすのは無理ですし、そこにへんな啓示を乗っけると“格好よくなる”けどナゾを並べるのが格好いいと思ってる中学生的なラストシーンになっちゃいます。20歳で考えたストーリーを32歳の10年経った現在はどういう落とし前をつけるのか興味があります。10年前に考えたというよりも20歳の自分が考えていたオチが、32歳の今ではもう使えないことは諫山 創さん自身が一番判ってるハズです。

 自分はストーリーマンガで10年の連載は長すぎるという考えです。単行本で10巻程度が読み応えとのバランスがいい長さです。作者の作家生命のためにも「進撃の巨人」もさっさと決戦にして終わらせたほうがよかったんじゃないかな? メディアミックスは権利ビジネスだからアニメ監督やハリウッドの実写監督に自由な解釈で作ってもらえばお金はいっぱい入ってきます。「攻殻機動隊」の原作者はそーいう感じですよね。せっかくの画力向上なんだから、「進撃の巨人」の設定やナゾを新連載に取っておけばよかったのに。
情熱大陸のインタビューアーが「次回作、描きたいモノがあるのか?」と聞いたら、ちょっと言いよどんで「・・・あります。でも描くかどうかは,まぁ描くんでしょうね・・・」って答えてました。諫山 創さんが最終回以上に恐れているのは次回作をどうするかなんだと思います。「あります」はウソではないんでしょうけど、ホントとも言い切れません。
ファンの間では最終回の憶測が飛び交ってるようです。ソレも含めてファンは作品を楽しんでいるんでしょう。でも、そーいう憶測はどれか一つが当たっちゃうと「やっぱり」とか「予想の範囲内」とか言いたい放題になっちゃいます。マンガを読むコツはなるべく展開を想像しないようにぼーっと読むと最後まで楽しめます。
どうせ、もうじき最終回になれば答え合わせができるようです。ここから最終章といい出し3~4年くらい連載が長びくことも考えられます。
自分の答え合わせは諫山 創さんがどんな次回作を描くか、もしくは描かないかです。「進撃の巨人」は20歳の時に描きたかった作品です。では、今描きたいモノがあると答えたその答え合わせはしてみたいです。ソレを読むかどうかは別として・・・


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