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2018-08

魔女の宅急便の人 - 2018.05.27 Sun

角野栄子さんの「魔女の宅急便シリーズ」とか、何とか・・・

 角野栄子さんは今年度の国際アンデルセン賞 作家賞を受賞しました。コレは『小さなノーベル賞』と呼ばれてるらしく、以前に「精霊の守り人」の上橋菜穂子さんが受賞して話題になった賞です。この賞は特定の作品に与えられるのではなく、作家の業績に対する賞です。「童話といえばアンデルセン」というようま賞なので「日本の児童文学といえば角野栄子」って認められた賞なんでしょう。
自分自身は「角野栄子」という名前にまったくピンと来ませんでした。先日、伊集院さんのラジオ(朝のほう)にゲスト出演していたのを聴いて、ジブリで宮崎駿さんがアニメ化した「魔女の宅急便」の原作者と知りました。アニメ公開当時、宅急便がヤマトホールディングスの登録商標だったことを知らなかった原作の人が角野栄子さんだったんですね。

 宮崎駿さんやジブリは原作のストーリーを大幅に意訳しちゃうことで有名ですね。「ゲド戦記」などは原作に傾倒してるようなことを言っといて、アニメ化権を取ったら好き勝手に作って原作者に絶交されるという前科があります。
自分の記憶では「魔女の宅急便」のアニメ化の当時、原作者が宮崎駿さんへクレームを入れているっていう裏話がありました。ラジオでは「宮崎さんに渡したら宮崎さんの作品になる。宮崎さんのキキは最初はえっ?ってなりましたが、最後(飛行船のシーン)は良かったと思いました」ってコメントでした。この部分は当人に聞きたかったことなのですが、ネットで調べると鈴木さんが間に入って角田栄子さんも納得(和解)していたとのこと・・・
伊集院さんは子供の頃に角野栄子さん作のネッシーが出てくる絵本を読んだという設定で対談してますが、ひらがなで書かれた本をちょっと大きくなった伊集院くんが読んでいたとは思えません。ゲストとの繋がりをちゃんと仕込んでくるあたりが、ラジオの帝王と言われる由縁でしょうか。

 以前に高校生のキキとトンボが題材のカップヌードルのアニメCM(アオハルかよシリーズ)が放映されてました。あの今風?なアニメのタッチのコレじゃない感がスゴかった印象でした。あのCMシリーズはサザエさんやハイジなどもありましたが賛否は微妙な感じでしたね。特にハイジ編は学習塾とネタ被りだったのもイマイチって感じだし。微妙とか言いながらも自分はキャラデザインの窪之内英策さんがまるごと1冊特集だった「イラストノート」を買っちゃったりしました。
CMでは『まさかの魔女の宅急便の成長したドラマ』っていう狙いだったのかもしれません。しかし実際の「魔女の宅急便」のストーリーは『トンボさんとの遠距離恋愛から結婚し双子を出産、35歳になったキキは娘が魔女の修行に旅経つ年頃に・・・』っていう壮大な人生ドラマです。
自分は宮崎アニメの中では「コナン」と「カリオストロ」と「豚」そして「魔女の宅急便」が素直に面白いって思えた作品です。中でも「魔女の宅急便」は万人向けの娯楽アニメとして完璧な作品だと思います。
娯楽作品の必数要素は老若男女、地位や名誉に関係なく観られること。あまり教訓じみてなく、しかも観終わっても無意味でないこと。誰もが観て良かったって思える作品ですね。「魔女の宅急便」はダークサイドがストーリーだと信じてる人や「ハリーポッター」などのような凝った魔法世界観を求める人には物足りないかもしれません。ネット情報ですが海外のファンには魔女が町の住人に受け入れられるという発想がそもそも無いらしいです。魔女=ネガティブ、ダークというイメージが定着してるようです。

 もし「魔女の宅急便」が魔法世界のしきたりや宿命に悩むような物語だったら、あんまり面白いとは思わなかったでしょう。似たジブリ作品に「借りぐらしのアリエッティ」というのがあります。比べると何が違うのかといえば監督の力量に差があります。しかし「魔女の宅急便」は宮崎駿さんが乗り気で作った作品ではないので、その差の部分は無しとします。この両作品は魔女と小人というファンタジーさでは同じようなものです。では、どこで人気に差が出たのでしょうか?
アリエッティは人間の家に寄生する小人世界を描いた作品です。前記の通りに「魔女の宅急便」は魔女の世界を描いている作品ではありません。主人公の女の子のキキが都会に出てひとりでやっていかなきゃいけないストーリーです。だから猫とお話したい子や、ほうきで空を飛んでみたい子も、男の子が気になる年頃の子も、送り出すお母さんの世代の人も、ユーミンの主題歌のCDを持っていた世代の人も楽しめる作品になったんでしょう。アリエッティの場合は小人世界に興味が持てなかったらその時点で作品に入れない感じでした。だから本気のファンタジーファンには受けたのかも知れませんが、それでは娯楽作品としての万人向けとはいえません。
原作を読んでいないけど角野栄子さんのお話を聴くと、キキの青春を書き上げてきたようです。魔女はそのベースになった設定です。ラジオの番組への投稿コメントで小学3年生の女の子が角野先生の大ファンですっていうファックスをお母さんへ託して送ってきました。小3の子だと初期設定の13歳のキキはお姉さんキャラです。しかも作中でのキキはどんどん大人になっていきます。小3の彼女にとってのキキは魔法で空を飛べる素敵なキャラよりも、この先の自身の人生を想像させるキャラなのかも知れません。そうすると「魔女の宅急便」の全体像が見えていきます。

 たまたま観たのですが、こどもの日の朝にNHKで「かいけつゾロリ」の特番をやっていました。「かいけつゾロリ」とは現在の小学校で図書室閲覧数NO1の児童書ベストセラーです。番組はゾロリストの小学生向けにゾロリの秘密を公開するという企画なんですが、原作者の原ゆたかさんの制作秘話ドキメンタリーとして面白い番組でした。このゾロリシリーズはゾロリがピンチになる~どうする?~以外な方法で解決するという基本におならをするという、小学生が夢中になる要素だけでお話を作っています。いわゆる子供騙しのストーリーですね。
角野栄子さんが幼少より読書に触れあってきたのに対して、原ゆたかさんは子供の頃に大人から読まされる本がつまんなくて読書が嫌いな子供だったそうです。読書が嫌いな理由がつまらないからというのは、自分もまさにそうだったのでとても理解できます。原ゆたかさんの創作の原動力は「子供が読んで面白いと思える本を作る」というシンプルながらその通りというコンセプトです。児童文学に必要なのはこの考え方であって、読書で教養を押しつけるのは子供にとっては迷惑な話です。
大人が読んでも心にしみる絵本や児童文学が評価されてる印象ですが、ソコに価値はあんまり無いと思ってました。読む大人が共感したり感動したりするのはそれぞれですが、大人ウケのために子供が理解できないロジックを使ったり着地点をうやむやにして「考えさせる内容」でごまかすのは何か違う競技のように思えます。
番組中に原ゆたかさんが駄菓子屋を訪れると、まさにゾロリ世代の子供に声をかけました。その子は大好きなゾロリの原作者が現れて大興奮。それは大人でいえば定食やで村上春樹さんに会う感じかな?興味深かったのはその子は現役で読んでいルのに、一緒にいたお姉さんは「自分も読んでいた」って過去形でした。原ゆたかさんはその子に「もう卒業しちゃった?」って訊いていました。児童向け作品は必ず卒業していくものという認識で作っているようです。だから卒業しないでしがみつく子に内容を合わせないんでしょう。ソコを曲げて大人も楽しめるギャグを入れるのいは本末転倒。児童文学の本質とはおならがブーで喜ぶような児童が主体の文学なんです。同じことをアニメの「プリキュアシリーズ」のプロデューサーも「おっきいお友達のためには作らない」という主旨のコメントでしてました。

 児童文学を対象の世代で分類するいと以下のようになります。

幼児期向け 
字が読めない~言葉に興味が出始める子 読み聞かせ絵本やギミックのある絵本 アンパンマンとか

低学年向け
本という形式に馴染み自主的に読む子 童話 ゾロリなどはここ

高学年向け
この時代に読書してる子は読書好きな子 推薦図書や名作童話など

児童文学には6歳まで、12歳までというタイムリミットがあると思います。成長期の中で小学校に上がるまでが家の中で自分が一番偉いと信じ切っていられる時期です。この時期までは世の中の道理や倫理を読んだってピンとくるわけがありません。生活習慣的な教えは伝わりますが社会性のあるストーリーを正しく消化してるかは疑問です。必要なのはメッセージではなくて読むことのトレーニングだから、桃太郎のようなテンプレが読めるようになるだけで十分です。
小学校へ入るとどんなボンクラでも社会に適応し始めなきゃいけません。泣けば許されるものでもないことや、友達全員が味方ではないことを思い知らされます。ここで因果応報など教訓めいた話も有効だと思います。でも原ゆたかさんの幼少期のように最初に本はつまんないと感じたら、一生の読書離れの原因になりかねません。
角田栄子さんの「魔女の宅急便」は24年の歳月で全6巻が完結しました。その後キキとトンボの子供世代の続編が2巻出ています。最初に読んだ読者の子が24年巻読み続けていたとも思えません。きっとラジオに投稿した小学3年生の子のように、現役の児童たちがバックナンバーごと愛読してるんでしょう。

 児童文学を子ども向けって決めつけることに異論がある童話好きな大人もいっぱいいることでしょう。そんな方たちには角野栄子さんの「ネネコさんの動物写真館」のいう短編集をお薦めします。文庫版も出てるようです。当然ながら自分は読んでいないんですが、主人公が29歳のネネコさんということでコレはちょっと読みたいって思いました。読みたくなったという理由はラジオで聴いた角野栄子さんがとても信用できる感じがしたからです。
読書家ではないので作者の人となりが読む稼働かの判断基準になったりします。ではどんな人となりだったかといえば、まさに現代のリアル魔女です。「角野栄子の毎日いろいろ」というエッセイがあるんですが、コレを検索すれば「あっ魔女だ」って思うことでしょう。どうして魔女っぽいのかといえば、現在、おんとし83歳で、その歳に見合わないほどかくしゃくというかエネルギッシュというか現実離れした存在というか・・・かくしゃくとしたご高齢だと曾野綾子さんなんかが思い浮かびますが、別のベクトルでかくしゃくとしてます。「魔女の宅急便」の物語がずーっと続いたとして、キキが80歳のおばあさま魔女になったとしたら、きっと角野栄子さんのような魔女になるっていう感じです。
今後は終戦を題材にした過去作の戦後編を書く予定だそうです。
あくまでも新しい子供たちに向けて、角野栄子さんはまだまだ創作する意気込みでした。


 児童文学の分類の中で大人の評価が高い作品はどこに分類されるのでしょう?わかりやすく言えば宮沢賢治や星の王子さま系の自分が最も苦手だった作品群です。これらの作品の亜流が「大人も考えさせられる絵本」とか、妙に評価されることが苦手でした。多くのヒオとが自分を変えた1冊にこのような作品を挙げたりします。これらの作品とエヴァ的な深夜アニメは、実は同じところに分類されます。それは逢魔が時のストーリーです。

 子供から大人になるまでの時期を分割してみます。

幼児から11歳  
第一次性徴から小学校卒業まで、いわゆる児童として庇護の中にいる時代

12歳から14歳
自我とかセカイとかが混乱している ココが逢魔が時  

15歳から成人まで
混乱が解けて正気に戻る時代 もう児童文学にも戻らなくなる

誰もが人生における精神的な混乱が起きる時期を逢魔が時と言います。深夜アニメ系なども大人が観たら支離滅裂なだけなのに、逢魔が時の子たちは「大人には理解できない」とまわりを切り捨てるようなマインドになっちゃいます。この時期に宮沢賢治を読んだりすると必要以上に深い感銘を受けたり、解らないコトを勝ち誇るようになります。
時期としては6年生というもう子供社会での最年長を自覚して、自分はもう子供の側にいるべきじゃないというヘンな自我に目覚めます。その中でそれぞれのオリジナルなセカイの構築の養分になるのがこの時代に読む意味深なストーリーです。その中で最高峰なのが宮沢賢治のようなツッコミどころ満載な小説です。ちゃんと答えが出る作品は共感せず、より意味不明な作品のほうを自己のセカイ構築に使うんでしょう。結果としてこの世代に読んだ作品は良かれ悪しかれ心に響くし、答えが書かれていないという格好良さから名作として心に残るんでしょう。
そんな逢魔が時は15歳を目処に終わりを迎えます。誰もが高校受験という世の中と自分のレベルの差を思い知らされて、セカイが現実のものになるからです。だれもが風の又三郎どいころではなくなっちゃうんでしょうね。青春は忙しいから・・


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