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2018-06

パラリンピックの障壁 - 2018.03.30 Fri

障害者スポーツにおける障壁について

 平壌オリンピックでの日本人メダルラッシュの感動が覚めやらぬまま、時差開催だった平昌パラリンピックも連日のメダル獲得のニュースに沸きました。特筆は総メダル数10個のうち、村岡桃佳さんの金銀銅コンプで5個という快挙でした。現地の平昌でもいろいろ疑念が吹き上がっていたわりには大盛況で、目標の1.5倍の売り上げで入場者数も前回ソチ大会より6割も増えたようです。
今回のオリンピックは開催地がにほんと時差なしだったのと、アメリカの都合で面白い競技が日本のプライムタイムに行われたのでメダル獲得シーンをテレビ観戦できました。この平昌での成功?は雪が足りないとか風が強いとか海上が寒いとか宿が、渋滞が、ノロウイルスが・・・とかいう心配は終わってみれば「何とかなったじゃん」っていう印象です。サッカーのリオW杯でも何とかなったし。東京オリンピックも暑いとか会場アクセスや渋滞とかバリアフリーとかボランテアとかテロ対策とか・・・いろいろ心配はつきません。でも始まっちゃえば何とかなるというのは歴史が証明しています。何とかならない事態のほうが好きな人たちはネガな事ばっかり騒ぎ立てます。東京大会をもっとも過酷な大会として、オリンピックの歴史に刻むのだって面白いですよね。

 本題のパラリンピックですが、あえて大会日程が終了後に記事にします。正直いうと開会式なども含めて1度もテレビ中継を観ませんでした。たまたま観るタイミングがなかったとか忙しかったという言い訳ではありません。観ようと思わなかったからです。社会弱者にキビシイ印象?の韓国の方々でさえ6割も観客が増えたのに・・・
日本のマスコミも「パラリンピックまでがオリンピックだから・・・」とか「パラにも目を向けて」っていうアピールをしていました。でも当のマスコミの時間の割き方にしても関心の低さは否めません。それこそ、村岡桃佳さんや成田緑夢さんのおかげでマスコミも世間も盛り上がれた感じです。「今さら何いってんだよ。パラリンピックだって同じオリンピックだよ」っていうファンだっています。関係者以外でも純粋にスポーツとして観戦して熱く応援した人だってたくさんいます。でもそんなに関心が高くならないっていうのがホンネです。
自分はパラリンピックやパラリンピックを応援している人を否定するわけではありません。むしろ人として取るべきスタンスは「障害者スポーツを理解し普及を応援するべき」なんですが、なんだかしっくりこないんですよね。パラリンピックも普通にスポーツ競技として成立してますから「健常者の競技も障害者の競技も同じように声援を送ろう」とか「オリンピックには興奮してパラリンピックは冷めてるのはけしからん」という意見も理解できます。理屈はそうだけど、けしからんって言われるほどダメなのかな?って感じです。

 スポーツ観戦には「自らもするし観戦も好き」という人と「自らはしないが観戦も好き」という人がいます。これと「自らはするが観戦は興味無し」と「自らはしないし観戦もしない」の4パターンになります。自分の知り合い関係でしたら、元サッカー部にJリーグファンが少ないような印象です。
自分はややスポーツもしてきたし、観戦もしてきなっていうレベルです。「テニスをやろう」って思ったら4大タイトルを観るようになったり、Jリーグが始まったら会社で草サッカー部を作ろうってなったり。スポーツ観戦のベースは浦和レッズとベイスターズです。それに浦和レディースやアルティージャあたりまでが生観戦です。それ以外にも旬の話題のスポーツ選手は応援をかねて気にしたりしています。最近の注目はテニスの大阪さんとかね。まぁスポーツでミーハー観戦はアリですよね。
スポーツ観戦と運動会の観戦の大きな違いは何でしょう?それは勝ち負けにこだわるかどうかだと思います。自分の親族の子が運動会にでているのを観戦するのは、その子が必死に走ってる姿を観るだけで完結しています。普通のお父さんは「ウチの息子の紅組は白組に25ポイント離されてるが、リレーの結果次第ではまだまだ追いつく可能性が・・・」みたいなガチで展開を読んでいません。ましては転んでしまった息子に「お前のせいで紅組は最下位だぞ」なんて言葉はもっての外です。
反対にプロスポーツの場合はどうでしょう。浦和レッズの今季はちょっと上手くいっていません。本当はかなりヤバいチーム状況です。サポーターと呼ばれるファンの人たちのマインド険悪になっちゃっています。「お前のせいで・・・」っていう罵声が許されるのがプロスポーツ観戦です。NGワードは「だったらお前は出来るのか?」です。これは自らするが観戦しない人の多くに見られる言葉です。
スポーツ観戦の醍醐味は「よっしゃー!」と「あー、もう・・・」が同居しているところです。例えはこれから映画マニアになろうって決めた人が、ネットの映画サイトを駆使して面白いと評判の映画ばっか観ていてもマニアにはなれません。傑作と駄作の両方を知らないとね。

 日本人の多くが4年に1度だけ羽生結弦ファンになります。彼らは毎シーズン滑っているんだけど、この年だけは日本中が父兄参観のようにテレビに釘付けになります。自分の息子ではないのにね。しかしこの中継には「よっしゃー!」と「あー、もう・・・」が両立しています。日本中の誰ひとりとして「転んでもいいんだよなんて思っていません。その中で勝ち負けが着くからスポーツ観戦は面白いんです。フィギュアスケートは競技後に入賞者たちのエキシビションが行われて、エキシビションの方が好きなファンも多いと思います。こっちのほうがフィギュアの本質があるし、競技はエキシビションの出場するための予選って感じでもあります。
もぐもぐでカーリング旋風をおこしたLS北見ですが、彼女らを取り巻く環境は完全に父兄参観って感じです。しかし彼女たちをニュースで知ってる人と、2時間オーバーの試合を観戦した人では印象が違ってます。大多数の日本人はみんな彼女たちが「自分の姪っ子や同僚のOLにいたらいいな」って感じでした。あんまり彼女って想定してない感じがいいんですよね。
しかしメガネ先輩との死闘や、ギリギリの攻防だったイギリス戦は「失敗しても、いいよ、いいよ」なんて雰囲気ではありませんでした。本質はあくまでも準決での敗戦後の号泣のほうでしょう。当の彼女たちの試合中の「失敗しちゃった、てへぺろ」は前向きな思考を維持するために編み出された戦術だったんです。結果としてそーいう戦術ができる選手が、国内大会を勝ち上がってきたんです。
カーリングの観戦中にこの競技が何をやってるのかが判ってくると、誰もが投げる前に“詰めカーリング”をしてたことでしょう。「ココに置いて・・・コレをはじいて・・・」って感じで。自分がカーリングでイメージしたのは40メートル離れた将棋盤へ20㎏の桂馬をそーっと置くような競技です。ドコにどの駒を置くか決めても、ソコに置かないと意味がないです。観戦中は当然ながら「あー、違う・・・」とか「決めてくれ・・・」ってなります。
女子アイスホッケーのスマイルジャパンも以前ならオリンピックに出場してるだけで満足でしたが、今回は可愛いよりも勝つことを期待したファンが多かったです。もう運動会や父兄参観ではなくなってます。勝ち負けの話をするためにオリンピックへ行ったんだから、負けてもガッカリして貰えないのはその競技者が未熟だかだからです。ルーキー選手の経験値稼ぎという意味合いもあります。次期オリンピックを狙うために大会を経験するのはアリです。
逆にスキー女子ハーフパイプのエリザベス姉さんのような、ハーフパイプのトリックを一つも出来ないのにちゃっかり出場しちゃう猛者もいます。エリザベス姉さんは多分滑れないんでしょうが、横倉の壁でビビったことのあるスキーヤーならばハーフパイプのスタートがいかに怖いか想像できます。この事件?は世界中で賛否が割れていました。ルール上のインチキなしでオリンピック代表になったんだから、彼女のセコさも含めて賞賛(失笑)に値するという意見。それからスポーツ競技を舐めるなっていう意見です。エリザベス姉さんはハンガリー代表だから面白バナシなんですが、彼女が日本代表選手だったら笑えない話かもしれません。

    ブログ画像 カーリング娘 JPEG

 話を障害者スポーツに戻しますと、スポーツは福祉なのか競技なのかの線引きをハッキリ聞いたことがありません。すでにパラリンピックの選手がスゴいことは周知の事実で、とくに絶対王者の西岡桃佳さんや新井佳浩さん、緑夢クンなどスゴいです。彼らが健常者と対等にスゴいのか?健常者以上にスゴいのか?障害者だからスゴいのか?障害者の割りにスゴいのか・・・?
平昌オリンピック・パラリンピックの始まる前は「実際に競技を観ればそんな理屈は関係ない」っていうマスコミの表現が多かったです。しかし多くのマスコミも健常者の競技と障害者の競技は同等なのか対極なのか説明できていません。「そういう区別なく応援するのがバリア・フリー」みたいな流れではありますが、開幕してからは結果の報道ばっかりで「昨日の西岡桃佳観た?」っていうような世の中の盛り上がりがあった分けでもないようです。それでも肯定的に取り上げないとダメっていう風潮はあります。
健常者競技も障害者競技も区別ないという言い方に釈然としないのは、もしかしたらどう応援していいのかが判断できないからだと気づきました。簡単な例でいえば『競技中に失敗して入賞を逃しちゃった選手に「あー、もう・・・」って言ってもいいのか?』ていう問題です。
アスリートが頑張ってきたことに対しては全ての選手が共通ですから、頑張ったこと自体で優劣をつけるのは無意味です。だから高木美帆さんでも高梨沙羅さんでも「あー、もう・・・」って言っちゃうんですよね。とくにノルディックの渡部暁斗さんへの「あー、もう・・・」という落胆は、今大会一番のがっかりシーンでした。(アノ黒い三連星に抜かれたシーン)つまり、障害者スポーツの観ている時にもガッカリしていいのか?っていうのが問題のすべてのような気がします。

 すべてにおいて競技で失敗した選手を罵倒していいわけはありません。そんなことは長年スポーツを観戦してきて実感してます。しかし上記の通りに観戦が父兄参観になっちゃうと、それはもう選手と観客が対等な立場じゃ無くなっちゃいます。この場合、対等じゃなくなるというのは健常者の観客が障害者の選手を見下してしまうとういうことです。運動会の構図は父兄(有能者)が児童(未熟者)を見下ろすという図式だからです。逆に羽生結弦さんの演技は見上げていました。
障害者スポーツの選手が転倒した時に「いーよいーよ、気にするな」っていうのは正しい反応じゃないように思います。それは4年間の努力のすべてを気にしていないって言ってるようなものだから。でも、その4年間の努力の中に競技者としての努力と障害者としての努力が含まれてる場合に、どっちの努力と転倒を結び付ければいいのかが判断しづらいんです。
過去に「24時間テレビ」を感動ポルノとデスったNHKの「ハートネットTV」でも放送で然したる見解を出していません。以前に成田緑夢さんが障害者のスノーボードの楽しみ方や観戦のポイントを話していました。この番組自体が福祉関係者(障害者、家族、支援団体など)に向けた番組なので、ノンポリの健常者の目頭が熱くなるような内容は極力排除されています。そーいう苦労話はNHK の言う感動ポルノだしね。だから「カーリングの石って20㎏もあるんだよ」と同じノリで、障害者のスノーボードも普通にウインタースポーツの一つっていう感じでした。障害者が健常者中心の社会に壁を感じているように、健常者側にもどう扱えばいいのか判らないという壁を感じています。ましてや「スポーツに健常者も障害者も区別はない」という前提を出されたって、結局それって「福祉なの?」と「スポーツ競技なの?」っていう問いは「考えること自体が差別」っていう言葉で闇に葬っちゃうのかな? 障害者スポーツの中には欠損部位を機械で補うことが普通にレギュレーションになっている種目が多いです。しかしそれは従来のスポーツを観てきた人にとっては、フェアな競技なのか?っていう印象もあります。そこまで頑張ることが他の障害者の希望になるという目的なら、やっぱり福祉なのかって思います。

 成田緑夢さんはもともと競技者だったが練習中の大けがでオリンピックは絶望になりました。しかし彼はあきらめることなくパラリンピックで競技者としても復活しメダリストになりました。それ自体が賞賛なんですが、彼の『障害者スポーツのレギュレーションの中で、同じ条件の他の選手よりもより高く、より華麗に演技できたこと』を賞賛するのか?『障害を克服して世界の舞台に戻ってきたこと』を賞賛するのか? または『戻ってきたけど活躍はできなかった選手』も賞賛でいいのか? 出場する全てのアスリートをリスペクトして、健常者も障害者も隔てなく賞賛に値するのならば、出場だけを目的だったちゃっかりエリザベス姉さんも賞賛しちゃっていいのか?
障害者スポーツという言葉が腑に落ちるのは、成田緑夢さんのケースのような本来アスリートの人が競技を続けるというカタチです。逆に両ヒザを手術しているゴン中山雅史さんのような、リアルに障害があるのに現役サッカー選手を続けている人は十分に障害者スポーツだと思います。ヒジをこわしたピッチャーや靱帯をやっちゃったバレーボール選手など、健常者スポーツの世界には障害者スポーツをやってる人がたくさんいます。彼らの頑張りに勝者よりも声援を受けることは多々あります。それは彼らコンディションに恵まれた選手と同じルール下で戦っているからです。当然ながら現在出場もままならないゴン中山には賞賛はありません。現在所属しているアスルクラロ沼津のサポーターにもきっとゴン中山は愛されてることでしょう。でもゴン中山が試合に出場したら「中山使ってる場合かよ、真面目にスタメン組めよ」ってなるように思います。それはスポーツの判断基準が努力の度合いではないからです。そしてこの部分がシナリオのないスポーツの醍醐味でしょう。このシナリオに特化して楽しい世界を作っているのがプロレスの世界です。遺恨とか怪我からの復帰をファンと温かく共有して楽しんでいます。

 結論をいえば「お前みたいな卑屈な人間が障害者スポーツの発展の障壁なんだよ」ってことなんでしょう。自覚してますが、東京パラリンピックを楽しみだなって思ったこともありません。これだけ書いても自分が何に納得できないのかが上手く説明できているといも思えません。しかしマスコミの中にも言葉狩りを恐れて『オリンピックと発音したらパラリンピックも言わなきゃいけない』という空気が喋らせているって感じもかなりしてました。もしかしたらみんながパラリンピックっていう言葉をどう発音したらよいのか決めかねてるんじゃないでしょうか。
日本は2020年にはホスト国としてパラリンピックを向かえます。日本人の本質は世界中でも類を見ないほといい人たちの集まりだと思っています。しかしキリスト教系の国の人たちはこーいうイベント化された福祉がとても上手です。世界の目を意識すれば「日本人はパラには関心がなかった」っていうのもマズいでしょう。とにかく観る側の意識を変えなきゃいけません。しかし障害者というフレーズにアンタッチャブルなニュアンスがある間は浸透しない気がします。それとコメンテーターも「パラリンピックは認識していて当然」というスタンスをやめるべきです。当然を装うのなら障害者スポーツとどう接すればいいのかを説明してくれって感じです。

 東京のバリアフリーのインフラ整備の話ですが、鉄道のホームドアの設置は2020年までに全駅で設置の義務化を法律で作っちゃえばよかったと思います。東京近郊が全て設置されれば他の地域も順次広がっていくでしょう。設置出来ない理由は各社いろいろ言ってるんでしょうが、こーいうのは法律と期限を設けないと進まないんでしょう。設置費用は都心の鉄道会社はみんな不動産屋なんだから土地を売ったり買ったりすればなんとかなるでしょう。特にJRは山手線で出来たことがなんで総武線や京浜東北線で出来ないんだ?
あとオリンピックのボランテア・スタッフには日当を払ってあげて欲しいです。日本人だけがボランテア=無償提供と誤った訳をしています。ちゃんと金を払えば夏休みにヒマにしてる若いのがいっぱい集まります。彼らの世代がオリンピックに関われるチャンスが増えることが日本開催の最大のメリットだと思います。ヒマにしてるおじいちゃんやおばあちゃんもいっぱい集まってくれそうですが、何しろ日差しがたいへんだから救護室の仕事を増やしそうです・・・


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