topimage

2018-10

恋愛は砂糖のごとし - 2018.04.22 Sun

白浜 鴎さんの「とんがり帽子のアトリエ」です。

 白浜 鴎さんの「とんがり帽子のアトリエ」は前作「エニデヴィ」に継ぐキャリア2作目です。それ以前はフリーでイラストやアメコミの表紙を描いていたようです。マンガ家はスキルで分けると美大出身とラクガキ出身になります。マンガなんていうものは絵の勉強や美術の基礎が必要なほど難しいモンではないけど、作画という作業がある以上は美大に有利なのは確かです。白浜鴎さんは東京芸術大学の出身で、美大も音大も芸術の大学なんですが芸大と名乗れるのは東京芸大だけです。
プロフィール非公開なので調べたけれどもあんまり情報はありませんでした。名前から推察するにヨコハマ生まれなんかな?くらいのイメージですね。性別も非公開ですが、以前に「モーニング」のサイトで白浜鴎さんがペン入れをしている画像が公開されてました。その時に観た印象では男の人の手なんじゃないかな?って思いました。違っていたら大変失礼なんですけど…
ファンタジーを描くにあたって「指輪」とか「ナルニア」とか「魔女の」などの単語はちょっと使いにくいですよね。「とんがり帽子」という単語で「メモル」が浮かばない世代だったら、白浜 鴎さんは若い人なんだと思います。

 自分の中での「エニデヴィ」の評価は、あんまり高くありませんでした。ビームコミックスで全3巻出ていますが自分は1巻しか読んでいません。当時から画力の高さは定評があったんでしょうけど、同誌で森薫さんと競合してるから絵が上手な人って印象も残りませんでした。コミックビーム(Fellows!やハルタなど)の編集部は掲載するマンガ家に森薫さん風の描き込みと入江亜希さん風のファンタジーを強要してるイメージです。結果としてどの作品も一定の作画とセリフの書き込みはスゴいけど、読み続けるにはどうかなぁ?っていう感じのマンガが多いです。描き込みが多いマンガが絵の上手な漫画ではなくて、セリフが多いマンガが内容の濃いマンガでもありません。
コミックビームは良くも悪くも、マンガ家の思い入れがそのまま作品になっている感じがします。結果として絵が上手な作家は描き込み過ぎで画面がゴチャゴチャしている印象で、ストーリーが得意な作家はセリフが過剰すぎて言いたいことが伝わらないって感じです。
たとえば『クルマのノブに手をかける、ドアが開き、シートに座る、エンジンをスタート、クルマがガレージから出る』こーいうシーンで全ての行動をコマ割するのがコミックビーム的なんですよね。他所の編集者だったら「この5コマ、1コマにならない?」って言われると思います。むしろ全部のシーンを省いて、いきなり目的地に着いちゃっても構わないんです。逆にセリフのほうは、ひな壇のウンチク芸人のごとく、よくしゃべります。クルマのシーンなど映像は克明に描写しますが、ストーリー展開はセリフ任せっていう印象です。
マンガはいかに情報量を絞って最適化させるかが勝負になります。マンガの絵が上手であることと緻密、正確に描くことはイコールではありません。福本伸行さんの絵は「カイジ」を描くのに最適化した作画です。「エニデヴィ」を読んだ印象は「芸大出身がマンガを描くとよくあるパターンだ」っていう感じでした。芸大出身って最近知ったんですけどね。
前作の「エニデヴィ」を読まなくなったのも単純に読むのが面倒くさいからでした。作品の内容が好みのジャンルではないという部分もあります。1ページの中に思いついたアイデアを全部描き込んじゃうような感じが読みにくくしてるんですね。その読みにくさを個性的と捉えるのはマンガファンの優しさですが、読者の心遣いに頼ってるのもどうなんでしょうね…

 今回、取り上げる「とんがり帽子のアトリエ」は前作「エニデヴィ」にあったネガな印象がほぼ全て解消されてっていう感じです。もう芸大出身マンガという揶揄が出来ないほど「絵が上手なマンガ家だと思ったら芸大出身なんだ、ナルホド・・・」っていう感じです。描き込むというコトや絵を動かすというコトがマンガの目的ではなくて、ストーリーをより豊かに表現するための手段になったっていう感じです。描き込み大王の森 薫さんの「エマ」も初回は殺風景なタッチでしたがより英国貴族階級を表現するためにあんなになっちゃったんです。
個人的なイメージですがファンタジーマンガを描く人の中で本気で絵がスゴいって思えるのは少ないです。最近では「ハクメイとミコチ」の樫木祐人さんが1位かな?現実社会を描写する事を避けて空想描写に逃げる人と、空想描写が描きたいだけだからイラストになっちゃってる人のどっちかばっかりです。一番多いのはファンタジーのネタをパロディのように扱って“あえて崩したタッチ”でごまかしてる人です。そーいう画力重視のコミックビームの中でも森 薫さん入江亜希さんに続く3枚目の先発に十分なる資格があります。しかし「とんがり帽子・・・」はコミックビームじゃなくて講談社の月刊モーニングtwoで連載されています。マンガに必要な画力やシナリオの技巧などを講談社の編集部がレクチャーしたっていうのが想像できますよね。「エニデヴィ」からのファンで続けて購読してる方には解りにくいでしょうが、「とんがり帽子・・・」を読んだ後に「エニデヴィ」を読み直す順番で画面を見比べると、どこら辺が改善されているのかがよく解ると思います。コミックビームはその部分は作者のオリジナリティ(個性)というか、ある意味独創性重視っていう感じにこだわっています。しかし白浜 鴎さんはあきらかに流出しちゃってるのは問題じゃないのかな?

   JPEGブログ画像 とんがり帽子のアトリエ 

 それでは本編についてです。ファンタジー作品はネタバレにうるさくないイメージなのである程度内容を説明します。他の魔法ものとどう違うのかの差異を説明する必要もありますので、どーしてもフレッシュに読んでみたい人はこれよりNGです。
この作品はファンタジーファンから三つの要素で評価されています。その要素は以下の通りです。

1 繊細で美しい画力
2 緻密に考証されたファンタジー設定
3 魅力あるキャラとストイーリー

自分が「とんがり帽子の・・・」を買ったのは完全に本屋でのジャケ買い(表紙買い?)です。そもそも「エニデヴィ」のことなんかまったく記憶にありませんでした。買った本の作者プロフィールに書いてあって「あぁ・・・」って思ったくらいです。まず素晴らしいのはファンタジーの世界観を作画で表現できていることです。ト書きに頼らずに異世界のストーリーだという事を納得させられるのは読む価値がある作品だと思います。
ファンタジーというのは非日常のお話なので設定がすべてのキモになります。この作品の評価されている部分は魔法の概念の設定の新しさにあるという事のようです。魔法が存在する世界で魔法使いをどう考証するのかですが、この作品っでは「魔法はかけるのではなくて描く」という設定です。描くというのは魔法を描くグッズを使って魔法の図案を描く事によって誰でも魔法を発動させられる。ということです。
このストーリーは『魔法に憧れていた主人公のココが幼少時に祭で魔法のグッズを買わされて、ホンモノの魔法使いに出会い魔法を描くという概念を知ってしまい無資格ながら魔法を使ってしまう。その結果魔法が暴走してしまい自分の母親が石になってしまう。本来なら費持つを知った“知らざる者”は記憶を消されるのだが、ココは母親を助けるために魔法使いになる道を選ぶ・・・』ってお話。
魔法世界の設定がよく練られているという評価ですが、魔方陣を切るっていうのは新しいのか?っていうのがファンタジーに詳しくないのでよく判りません。魔法の修行というのも「上手に図案を描くための知識と経験を積む」というのが目的でその修行の場が表題のアトリエです。別に設定の新しさはあんまり感じませんでしたが魔法が敵と戦うための技ではなくて人々の暮らしの役に立つ公共の行政的なモノというのは新しいのかも知れません。作中のルールでは「魔法を靱帯に向けて使ってはならない」という大原則を唱えています。したがって今後も魔法戦はないんでしょう。魔法使いモノは「まどか☆マギカ」のような選ばれた者同士の殺し合いになりがちですが、そーいう方向にストーリーが向かうんだったら読まないです。
この作品への作画に対するマンガファンの評価は概ね高いのですが、ストーリーも従来の魔法使いファンタジーに比べて絶賛されているようです。各種マンガ人気投票モノにランキングされてる評論を読むと「今までにない本格ファンタジー」とか「登場人物が魅力的で丁寧に描かれたストーリー」という意見が多かったようです。「ハリーポッター」を重ねる読者が多いのも作者の児童文学のセンを狙うという思惑が上手くいっているようです。
しかし自分はファンタジーファンではないので「これぞ王道ファンタジー」という評価を読んでも自分の中にファンタジーの基準がないので何が本格でどこが王道なのかはさっぱりです。評価のコメントの中で「ありふれたストーリー」というのは王道の裏返しなんでしょう。

 現在3巻まで出ていますが自分はちょっとくじけそうです。「エニデヴィ」に比べたら余裕で読めるんですけど、正直なところストーリーにそんなに興味側かないです。ジャンルとすれば魔法使いものですが、ベースになるのはエコールものです。中心になるのは魔法学校(アトリエ)に学ぶ4人の姉妹弟子と師匠のキーフリーの話です。要は彼女らに魅力があるかがキモなんですが、ちょっと幼すぎて読み続けるのが辛いです。そもそも母親が石になっちゃったことがお話の発端なのに、天真爛漫な設定の主人公は無邪気に魔法使いになる修行を始める。作品のテイストが「幼い少女が無邪気に魔法使いの修行をする」ことなので多くのファンタジーファンにとっても満足なんでしょう。やっぱり「母親が石に変えられてしまった主人公」というのが当たり前な展開過ぎて、主人公が冒険の旅に出てエンディングに呪文が解けて人間に戻ればいいんでしょうか?主人公は新しい環境で念願の魔法の修行ができて日々がワクワクなんですが、3巻で思い出したように母親のことでうなされますけど、本当に忘れてたのかな?世の中の魔法に対する冷めた印象と魔法使いのセリフで語られる魔法の必死さにもギャップがあります。全編通して魔法の説明や禁止魔法についてや魔警団という新設定の話ばっかりです。あんまり魔法使いの日常やアトリエ内での暮らしぶりをのんびり描くタイプの作品じゃなかったみたいです。魔法の練習(修行)は来たるべき試合(敵の魔法バトル)のためなのか?
実際にもう『禁止魔法の絵本の謎もつばあり帽の謎も解けて、母親が人間に戻りました』ってなったとして、それで石になっていた母親と主人公のココが再会して、今さらどんなセリフを言うのか?いっそ母親を殺しておいたほうがストーリーの展開がラクになるのに。この作品は『魔法使いになることを頑なに反対していた母親が魔法のために死んでしまい・・・』でも始められるストーリーです。この場合のメリットは母親を助けるイベントが省けるのでストーリー展開が自由になります。もうすでに今さら感が強くなっている母親の石化問題ですが、ストーリーはキーフリー師匠の闇と本当の敵に向かっちゃっています。落としどころが判りませんが連載が長びくといつの間にか主人公が世界を救う事を強要されて伝説のヒロインになっちゃいそうです。それは王道だからいいのか・・・

 読むのがくじけそうな理由は魔法使いの行く末に関心がわかないことよりも、登場人物に共感が出来ないからだと思います。この作品はキャラの魅力が売りなんでしょうけど、なんだかアニメっぽいキャラ設定が物語を幼くしてる印象です。アトリエの弟子たちは少女なので幼いのは狙い通りなんでしょうが、この幼さは児童文学由来の幼さです。児童文学とは何ぞや?ってところからになるんですが、児童文学とは児童のために作られたお話です。これに児童に読ませたい既存の子供っぽい物語などを合わせたものが児童文学という枠組みです。原則お子様向けに書いたストーリーを指すとすれば、「ハリーポッター」や「少年探偵団」は児童文学です。逆に「不思議の国のアリス」はルイス・キャロルがただのヘンタイ野郎だったので児童文学とは言いがたいです。「かぐや姫」も平安ブルジョア・ラブロマンスなのでとても児童文学ではありません。
作者が意図的に児童文学にしたのか、それともアニメ的な世界観や慣習に引っ張られたのかは判断が難しいですが、結果は同じように幼稚な印象がする作品になってしまいました。アニメの美少女ものに多く観られる傾向はキャラに恋愛感情も持たせないというのが流行りです。コレは作中のキャラをアイドル化しているためでAKBで恋愛禁止と同じ発想です。「大好きなキャラに彼氏設定があったら萎える」というのが行きすぎてしまって、キャラの人間味が薄れてしまっています。最近流行りの百合キャラもLGBTに配慮してるんでもいなんでもなくて「女の子同士だったらセーフ」という暗黙のルールによるものです。
昔のアニメでは明確に恋愛感情を表すのが当たり前でした。どのキャラにも好きな相手がいるもんで、高橋留美子さんのキャラはみんな好きな相手がいるから読みやすいんでしょう。主人公に好きな人がいるほうがどーでもいい内容のストーリーでも観続ける動機になります。ヘンテコな設定の作品が多い印象の森本梢子さんなんかは強引過ぎる設定も主人公の強引な恋愛感情で「取りあえず読んでみるか」って思わせるチカラがあります。
ここで言う恋愛感情とは一寸した好きっていう思い出会っても十分に効果があります。例えば「パトレイバー」の場合、押井守さんには恋愛感情がありませんがゆうきまさみさんにはあります。惜しいさんはそーいうのが根本的に無理な人なので遊馬と野明の関係は信頼関係ですが、ゆうきまさみさんは野明のことを大事にしすぎちゃう傾向にあります。じゃあゆうきまさみさんのパトレイバーが恋愛マンガかといえばそんなことありません。しかし惜しいさんの演出よりも人間関係が豊かなのは比べればわかりますよね。

 魔女つながりだと「魔女の宅急便」はキキがトンボにほのかな恋愛感情があることを見せているから成り立っているんです。もしキキが男の子にまったく関心が無くて、トンボなんか知り合いの一人だったとしたらどうでしょう? クライマックスはただの災害救助アニメになっちゃいます。魔女の正義感や社会奉仕の部分がメインのストーリーだったら、むしろわけへだてなく魔法を使う(飛んでいただけだけど)ほうがアリでしょう。このパターンは世界を救うタイプのファンタジーやロボットアニメに観られる傾向です。「魔女の宅急便」の作品が魔女の社会貢献ではなくて、キキという主人公の人間関係や環境の変化による成長のストーリーだとしたら、キキとトンボの関係性が重要になってきます。「魔女の宅急便」は宮崎駿さんにしてはそーいう所が上手くいった作品だと思います。過去の作品でも「未来少年コナン」のコナンとラナが好きすぎて世界を救ってしまう話とか、ダイスとモンスリーのツン・デレも「みんなで団結して戦おう」みたいな幼いストーリーを観れるモノにする重要な要素でした。
「とんがり帽子の・・・」ではキーフリー師匠に人気が集中しているようです。ファンタジーファンのツボを押さえたキャラデザインなようです。しかし本編の中でキーフリーに憧れるキャラや惚れるキャラは一人も出てきません。このキャラにはストーリーの骨格になる“裏の顔”がアルので、そこを示唆するように弟子の少女たちに見せる“優しいお兄さん”とは違う魔法界の問題児的な言われ方ばっかりされます。実は3巻通しても誰からも好かれていないんです。格好いいとすら言われていません。弟子たちから慕われているようなんですが、本当に山の分校に生徒が4人担任がひとりっていう感じしかしません。キーフリーが主人公のココのことを好きになるのは論外ですが、ココがキーフリーのことを好きにならないのでは、キーフリーが好かれるキャラという担保がとれません。ココは新キャラのタータ君と知り合いますが100%恋心はありません。キャラの相関関係の中で誰と誰が両思いとか片思いとかいう線がまったく無い作品です。例えば初期のエピソードで成績優秀な弟子のアガットがシロウトのココに無謀な課題を与えて殺しにかかるという展開ですが、このアガットの行為は「魔法の知識のない部外者のココをアトリエから追い出す」のが目的でした。課題が失敗したら生きて帰れないくらいのことをさせるアガットに、今後読者の信用を取り戻すのは大変です。これを『アガットはアトリエ内での成績優秀でキーフリーの寵愛を独り占めしていたと思っていた。しかし突然ココが現れてキーフリーが特別扱いするから“嫉妬”してココを追い出すために危険な課題を与える』っていうストーリーなら、キーフリーは弟子なんか全員子供扱いだから不毛な戦いだったで終われる展開でしょう。ココもキーフリーに惹かれるけどそれは幼い恋心という場合、幼い恋心は文字通り幼いストーリーですが、恋心もまだ芽生えないほどの子供が主人公のほうがナンボも幼いストーリーです。たとえば今は女児と先生の関係でも数年もたてばココも適齢期になります。数年もたてば本編の魔法の技術も一人前になるし「もう師匠と弟子の関係じゃないんだからね♡」ってココが迫れば不自然でも犯罪っぽくもありません。そーいう目があるならば、つばあり帽のヤツらや魔警団の方々に興味がなくてもキーフリーとココはどーなるのかな?ってだけで読み続けるモチベーションにはなります。白浜 鴎さんは興味がないなら読むなって思うかも知れませんが・・・これは恋愛ドラマが観たいわけではなくて、そーいう関係性を作るとキーフリーはココを裏切らないという担保になるということです。
このままだとキーフリーはいざといなったらココを殺しにかかるような闇を抱えています。そーいう超展開は手早く反響を求めるアニメでは使いがちな悪手です。それは王道ファンタジーとはいいません。そーいう読者への裏切りは話題作りには向いてますが、読者を裏切るのは作品の致命傷になりかねません。普通の読者が思ってるどんでん返しってそーいうモノじゃないってことをもっと考えるべきです。

 作品における恋愛の要素は砂糖に置き換えると判りやすいです。砂糖は料理には欠かせない調味料ですが思想的に砂糖を使っちゃダメっていってる人も多くいます。砂糖が入っているから食べないとか、料理にさとうを使わないといったノンジュガー論者たちです。それはそれで思想的な部分でどう考えるかは自由です。
単純な例だと肉じゃがが作れない人ってあんまりいないと思います。まぁベーシックに料理の基本だけで当たり前の食材ですしね。小学生でもカレーはなんとか作れますが、肉じゃがは中高生ならまぁ作れて当然でしょう。何故ならばカレーや肉じゃがは日本人が美味しいと設定してるメニューだからです。肉じゃがの味が決まらないの悩んで人は、砂糖を入れないからでは?っと疑ったほうがいいです。しょっぱいおかずに砂糖を入れたがらない人って知り合いの中でもけっこういました。砂糖は危険物質というヘンテコなキャンペーンのせいなのか?もこみちさんだって肉じゃがにオリーブオイルは入れませんが砂糖は入れています。肉じゃがは一度冷ましてからが美味しくなるよ・・・
ストーリーにおける恋愛要素というのはそれ自体がストーリーではなくてキャラの人間関係の構築に影響するものです。恋愛要素=砂糖だから多く入れすぎると甘ったるいストーリーになります。恋愛マンガとはこの恋愛砂糖菓子のような作品です。これはこれで甘党の人にしか向きませんが、すごく甘党な読者もいます。逆に糖質ゼロという作品もあって、辛口な成り上がりバトルや苦い社会派の問題提起ものなんかがすきな人も多いでしょう。そーいうのは甘いケーキやカレー、ゴーヤチャンプルなんですが、肉じゃがのようなストーリーの作品には砂糖が必要なんです。砂糖には甘くするというよりもうまみを増すという効果があります。当然ながらストーリーには塩味も必要ですがこっちも塩分控えめっていう先生が多いですね。この作品でいえばアガットは塩分なので他のキャラが糖分を補えば良かったんですが、いかんせんキャラ設定がアニメ的なため役割しか設定されていません。

 主人公が「ぼくが世界を救う」と叫んで感情移入出来るのは小学5年の男子までです。女子はたぶん「プリキュア」を観なくなる歳になるともう通用しません。きっと女子はもうちょっとエッチなモノを読んでるハズです。そこら辺は男子のほうがスケベという社会通念がありますが、女子のほうが全然先に行ってるもんです。そこの世代が対象なのが児童文学なので児童文学が面白いハズはありません。自分は小学生の学校の図書館の中にある児童文学がつまらなくて一切拒否してました。読むように強要する先生に「こーいうことじゃないんだよ」って文句をいっていたが聞き入れられなかった思い出です。そのころ氷室冴子さんや新井素子さんを読んで「こーいうこと」だと納得しました。
「とんがり帽子のアトリエ」が今後ダークファンタジーを目指すのか、ふわふわファンタジーを目指すのか、児童文学なのかは判りません。しかしふわふわなエコールものはないようで、姉妹弟子たちがじゃれ合うようなストーリーは期待薄です。なんか意地悪のことを言うキャラばっかり増えてきてもっとも人間味のある道具屋のノルノアさんもキーフリーに記憶を消されちゃいました。記憶を消すというのがこの作品のキラーワードになっていますが、このセリフがこの作品の魔法が好きななれない原因だと思います。なんだか作品全体に砂糖が足りないんだよなぁ・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://likea777.blog33.fc2.com/tb.php/385-10e4fca9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

GWの推薦図書 «  | BLOG TOP |  » 高畑さんの代表作は?

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ