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2018-06

ジャズ的なハプニング - 2017.09.05 Tue

日野皓正さんの中学生ドラマービンタ事件についてです。

 音楽の世界の人たちには音楽の世界の人たちにしか判らない領域があるんだと思います。古典芸能にしても、その世界の中に生きる人にしか判らないことがあるんでしょう。

 話の概略は世田谷教育委員会主催の「ドリームジャズバンド」という日野皓正さんらプロのミュージシャンの指導を受けていた中学生のビッグバンドのコンサートで、行きすぎたソロ演奏のドラム奏者の中学生に対して日野皓正さんが往復ビンタをしたということです。その映像を週刊文春がすっぱ抜き体罰問題の是非にまで発展してるようです。コンサート自体が有料で4500円というシロウトの発表会にしてはどうなの?っていうくらいします。「有料でそんなゴタゴタを見せるな」とか「教育委員会のお膝元で体罰ってどうなの」などのもっともな意見が多数です。
争点は「いかなる理由でも体罰は許されない」という爆笑問題の太田的な意見と「まぁ状況によるんちゃうか」というダウンタウンの松本的な意見に二分されている感じです。面白いのは日野皓正で検索すると体罰の是非のコメントに溢れてるんですが、ヒノテルで検索すると「まぁいいんじゃないの」っていう感じの緩めなコメントが多く見られます。

 自分も出回っている現場の映像を観ましたが、どちらかといえば「まぁいいんじゃないの」っていう感想でした。世界のヒノテルに対してジャズの中で暴挙に出た中坊を張り倒したっていうのは、ジャズの人にしか判らない領域なんでしょう。教育上の問題を挙げて日野皓正さんは指導者の資格が無いとかナントカいう意見も飲み込めますが、張り倒しにいったのは指導者ではなくてミュージシャンとしてだったんじゃないかな? ベテランのトランペット奏者が見習いのドラマーのプレーに怒ったっていう感じです。普通の人たちにはジャズ・プレイヤーは陽気で温厚な人たちっていうイメージがあるのかな? 自分は「ジャズの仁義に反する者は、ジャズの輪から排除される」っていうのは当然って思います。ジャズって共演する奏者から認めて貰うことがもっとも重要なジャンルって感じでしょう。村上ぽんた秀一さんなら間違いなくゲンコツだったでしょう…
カルチャー教室の生徒と講師なら太田派の「何があっても殴っちゃいけない」という正論です。この場合はドラマーが中学生でも成人でも同じです。師匠と弟子という関係性なら松本派の意見にもうなずけます。ナメた態度の中学生は映像を観ただけでも殴られるに値するように見えます。今回の映像は殴られた中学生には明確に非があるんだけど、殴った大人にも明確な非があります。批判する人たちもどっちに付くかでコメントが変わります。印象としては文章で知った人は体罰問題と捉えていていますが、映像で知った人は日野皓正さんに同情的って感じです。普通のケースでは太田さんのほうが正論なんでしょう。でも状況や当事者の中学生親子のコメントなどが明らかになってくると、松本さんの意見への共感も多くなりました。もともと日野皓正さんは中学生ドラマーのドラムの才能を高く評価しており、特別に目をかけていたとのこと。それは事件後の被害者?親子の声明で「悪いのは息子のほう」という部分にも現れています。
太田さんも松本さんもショッキングな映像を観たときの脊髄反射でコメントしてるけど、ワイドショーを作るマスコミ側の人間なら事実背景を“取材”してからコメントするくらいの配慮がが必要なんじゃないのかな?この事件は教育者と生徒という関係性よりも、親方と見習いという関係性で捉えたほうがしっくりきます。だって日野皓正さんは学校の先生ではないし、現場はコンサートのステージという本番の場だったんだから。

 世間の反応や意見が太田派と松本派に二分しているんですが、もう一つの見解が抜けていると思います。それは「この事件はジャズとしてどうだったのか?」という見解です。音楽にはまったくのシロウトなのでジャズの世界観はよく判らないところがあります。ヒノテルが事件の起きたコンサートの終演後『いろんなハプニングが起きる、これがジャズです。ジャズにふさわしいハプニングがいろいろ起こって楽しいですね…』と挨拶しています。騒動後の中学生ドラマーの父親の『ジャズを理解している人からすればうちの子が悪い…』と文春に語っています。当事者同士ではビンタ事件は解決済みなのを取材してるはずの文春は、どの立ち位置で蒸し返してるんでしょうかねえ。
「これはジャズにふさわしいハプニング」と「ジャズを理解している人からすれば…」はどちらもこの件はもういいでしょうという事なんですが、言ってるコトはジャズてきには真逆の意味に捉えられています。ヒノテルのコメントではジャズっていうのはこーいう感じにぶつかり合うもんだよっていうニュアンスです。ジャズではこーいうちょっとした音楽的な行き違いは結構あるってこと。つまり中学生ドラマーのような演奏の暴走も“ジャズあるある”ってことです。この事件では、よくジャズ映画の「セッション」が引用されています。ジャズファンからすると「ドラムの彼こそがジャズの精神を持ってる」っていうことのようです。逆にあーいうソロ回しの状況で調和を乱す行為はジャズとしてありえないというジャズファンは、父親の言う「ジャズを理解してる人」なんでしょうね。
世間の目が教育者目線でこの事件を体罰と言うのは自由ですが、芸能というジャンルは教育というジャンルから一番遠い所にあります。教育至上主義の人たちは教育の世界ではない人たちにも教育の理念の正しさを押しつけたがります。それは欧米がやっている民主主義の押し売りに似ていますね。
日野皓正さんもこのドリームジャズバンドというプロジェクトで「ジャズだけでなく、ちゃんとした大人になるよう指導している」みたいな綺麗事を言ってましたが、ちゃんとした大人なんかにいいジャズが演奏できるもんかよっていう気もします。いいジャズマンを目指すにはいい不良になることが第一歩なんじゃないのかな?そのための授業は教育現場の管轄外にあるんだと思います。

 自分は正直にいえばジャズにはまったく理解がありません。好きか嫌いかでいえば明確に嫌いなジャンルの音楽です。創作は音楽でもマンガでも映画やアニメでも、キッチリと構想をねって推敲したうえで完成形という作品が良しとしています。だからアドリブを笑うコントよりも台本をブラッシュアップしたコントのほうが好きです。マンガもアドリブでストーリーを展開させると、後半にろくな事がありません。
ジャズのスタンダードをジャズの奏者がジャズにアドリブして演奏するのはジャズの自由です。でも音楽には作曲者や編曲者がコレだっていう到達点というか完成形があるように思えます。考え抜いてのコード進行や楽器パートを決めたんだから、その時点で考えられる最高傑作が決定稿になったんでしょう。それをグルーブとかノリとかでダラダラ演奏しても、そんなになぁ…って感じです。ライブで観客と一体になってコール&レスポンスになるのは観んなが楽しいからいいんです。でもその部分は音楽性とはまったく関係ないお祭りの部分だと思います。
演奏してる方が楽しんでるからいいのなら、ジャズを理解してるも何もないでしょう。「理解してなくても楽しめばそれもジャズだよ」っていって欲しいです。そんなことタモリさんは許さないでしょうけどね。サンバは「気持ちが南米になったら、それはもう誰でもサンバ」っていう感じがします。
自分は音楽を聴くことによってゴキゲンになろうっていうつもりはありません。ノリノリな曲で気分を上げたいとか考えた事もないですし、そんなに日々機嫌が悪いこともありません。タモリさんが昔さだまさしさんを攻撃していたのは、タモリさんの音楽の聴き方とまっさんのファンの音楽の聴き方が全然違うからです。
しかし、自分がこのアドリブはスゴいと思うミュージシャンが二人います。一人はピアノの矢野顕子さんで、もう一人はギターの押尾コータローさんです。言ってるコトが違うだろってことですが、スゴいモンはスゴいってことですね。
 
 去年だったかサッカーの新潟遠征の時に地元の中学生のビッグバンドの演奏を観ました。今回の事件のコンサートもあんなかんじだったのかな?ってイメージします。それを考えると音楽性とかジャズ論とかを語るよりも、観客は発表会的な印象で観ていたんだと思います。
もし指導ミュージシャンがヒノテルではなくて谷啓さんだったらどんな対応だったのかなって想像してみます。そいれはもう「ガチョ~ン」でしょうね。


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