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2018-12

1巻と22巻と18巻と - 2017.07.08 Sat

花沢健吾さんの「アイアムアヒーロー」の1巻と22巻(最終巻)です。


 この作品が伊藤潤二さんの作品だったら誰も批判しなかっただろうしマンガ界、ホラー界での最高傑作として語り継がれていったと思います。


 ビックコミックスピリッツの看板マンガで2009年から連載されていた花沢健吾さんの「アイアムアヒーロー」が完結しました。大泉洋さんの主演で映画化もされて、近年ではもっとも売れたコミックスの一つだと思います。そんな作品が完結したとあってマンガファンの間でも話題騒然になりました。あまりにも不評過ぎて・・・連載当初からの花沢健吾さんのファンや映画化から読み始めたファンはもう最終巻を読んでいるだろうし、途中で挫折した人やこの手のマンガに興味のない人は今さら読むこともないでしょう。今回の日記は軽いネタバレ有りですのでご了承下さい。
さっそくネタバレですが「アイアムアヒーロー」の最終回は『ガッカリ、ヒドすぎる、ぶん投げ、意味不明・・・』と散々なコメントが寄せられていました。8年間、全22巻もつき合わされてきた読者の怒りも相当なモンです。『ラストが「ガンツ」よりヒドい』など「ガンツ」を基準にしている人が多数なのも面白かったです。ネタバレ終わり。

 自分は花沢健吾さんの新作という予備知識だけで1巻目を読んだんですが、最後のほうのゾンビが出てきたあたりで「もう次巻からはいいや」ってなっちゃっていました。ゾンビって出オチだから最初に出た所が作品のピークだったりします。実際に「アイアムアヒーロー」は1巻が最高だったという意見も多数ありました。1巻と最終巻でこんなに評価が変わった作品も珍しいでしょう。
オープニングはさえないマンガ家崩れの英雄が日常でぐだついてる始まりです。ぐだった日常のダメ青春マンガでもいいかなって思いながら読んでいたら、1巻のラストで会いに行った彼女がゾンビ化して突然ゾンビマンガが始まるっていう展開です。オープニングから『20XX年人類はゾンビに支配されていて生き残った人々が・・・』っていう感じの雑なドラマではありません。相当周到に練られたオープニングで映画などの尺が限られている作品ではやりにくい連載マンガの優位性を活かした始まり方でした。
しかしゾンビという題材から今回のような解決できないエンディングは判りきっていました。ゾンビに限らず怪獣が出てくる作品や、巨人が塀の外にいる作品や、魔法使いが出てくる作品は初めから出てきます。ヴァンパイアとフランケンシュタインで言えばドラキュラ型です。ヴァンパイアはいるもんだという設定ですね。反対にフランケンシュタイン型は原因があって怪物が存在しています。怪物の正体はフランケンシュタインさんが作っちゃったものです。
多くのファンがこの作品を最終巻まで読んで「ZQN(ゾンビ)は結局何だったんだよ?」という疑問に答えないまま終わったことに怒ってます。自分は「ゴジラなんて現実にはいる訳ないでしょ」とか「幽霊なんて本当は存在しないんだよ」って、怪獣ファンやオカルトファンに言ってきて怒られてきました。でも誰もがゾンビなんか本当は存在できないことを知ってるハズなのにゾンビ作品等にゾンビが存在した理由を求めるのは不思議な現象です。ゾンビという普遍的な設定に謎とか解決とかを求めるほうが無意味なんでしょう。誰も何でゾンビが出現するのかを科学的に説明できないんだから・・・

 そもそもゾンビとはB級予算の映画でもお約束さえ押さえればゾンビ映画ファンに受け入れられる作品のことでした。B級作品にガッカリも意味不明もないでしょう。CGではなくエキストラのゾンビ役をぶっ放すシーンを観てヒャッホーするのが目的の作品です。そこが最大の見せ場なんだから正体とか黒幕とか精神とか宇宙人陰謀論とか、ヒャッホーに関係ないシーンの理屈はどーでもいいんじゃないんですかね?
ここで詰んじゃったのが「エヴァンゲリオン」の庵野さんです。そもそもロリコンとミリタリーオタクとロボットアニメファンがヒャッホーするためだけに作ったアニメでした。しかしアニメマニア達を煽りすぎて「・・・の意味は?」って膨らませちゃったから、もうどうにもできない状態です。どうにかする旨を庵野さんは発表したようですが、きっとどうにもならないでしょう。
「アイアムアヒーロー」の感想の中で興味深いのはZQN(ゾンビ)の全体像が具体的に見えてきたころからよむのを辞めたファンが結構いることです。ゾンビ自体が出オチなんだから後半は飽きてくるのも判ります。そーやってヒャッホーなファンが脱落していく中、最後まで読み続けてきた「結末を見届けるつもり」のコアなファンを裏切るようなラストだったようです。ラストは離島で新たなコミュニティーができましたエンドと、一人で「銀の匙」始めましたエンドの2ルートです。

 花沢健吾さんは「アイアムアヒーロー」でマンガの誌面で映画を作りたかっただと思います。過去にも大友克洋さんがマンガの誌面で映画を作ることにチャレンジしていました。これはさいとうたかおさん達がマンガから劇画へ変わった時の劇画タッチ以来の変化です。写真からの起こしによるマンガ背景の実写化、デテールにこだわった描写など。これらの表現方法はリアルなストーリーにはあんまり向きません。小説吉田学校をリアルな描写でマンガ化したところで重たくて読んでられません。より真実を伝えるのにはちょっとマンガ絵のほうが向いています。リアルがいいのならそれこそ映画で役者が演じればいいんだから。逆に荒唐無稽な作品には「アキラ」や「アイアムアヒーロー」のような写実性がリアリティをアップさせます。しかしそのリアリティのある作画には結末をちゃんと提示する義務が発生します。比較するのもアレなんですが松本光司さんの「彼岸島」を読んでいる人でガッカリとか意味不明とかネガってる人がいないのは、このマンガには説明責任がないからです。賢明な読者はとっくに読んでいないからです。

 ファンタジーなサバイバル物語の常套手段として「組織ができてリーダー(首謀者、教祖など)が現れる、敵が巨大化する、塔(高いところ)に昇る」が出てきます。ゾンビの代名詞のショッピングセンターもしっかり出てきます。今までにないゾンビ作品というよりも、今までのゾンビ作品をより高画質にした作品っていう感じです。きっと作者がゾンビ大好きなんでしょうね。当たり前ですが。この作品には「ここで終われば半分の人は納得出来たかもしれない」という最終回のチャンスが1度だけありました。それは18巻でヒロインの比呂美とエッチしちゃうシーンです。ここで英雄も「エッチしたことだしZQNなんかもういいや」っていうエンディングだったら傑作になっていたのかもしれません。今でも傑作マンガという称号なんでしょうけどね。
ある意味、英雄らしさを逸脱しない責任感のない投げっぱなしですが、別に35歳の主人公が人間的に成長する話が読みたい読者なんかいません。鹿を喰って終わるよりはよっぽど最終回っぽいです。どーせゾンビがどーなろうと関係ないシナリオだったんだから・・・
花沢健吾さんの次回作に対しては「もうなにも期待しない」とか「2度と読まない」といった怨み節なコメントもあるようです。せっかくの画力を普通の人々の世の中のマンガに使うと前作の轍を踏むことになっちゃうし、ファンタジーを描くと「アイアムアヒーロー」の読者は読まないでしょう。メッセージ色の強い社会派なマンガを描くと佐藤秀峰さんと被っちゃいます。そういえば花沢健吾さんと浅野いにおさんと佐藤秀峰さんは、3人が合体して一つの集合体になってもいいんじゃないかな?
背景の資料も共有できるだろうし・・・


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