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2018-10

あえてねじ式を問う - 2017.06.03 Sat

第46回 日本漫画家協会賞コミック部門の大賞につげ義春さんの一連の作品が選ばれました。

 多くの人が日本漫画家協会って何?つげ義春って誰?って思うでしょう。日本漫画家協会とは公益社団法人でマンガ家が互助会的に入会できる団体で、創設者で名誉会長はかっぱっぱの小島功さんです。メインの活動はマンガ家などに対象の文芸美術国民健康保険に加入出来るということです。つまりマンガファンにはあんまり関係がないプロマンガ家のための団体です。
日本漫画家協会賞とは『我国マンガ界の向上発展を図る目的のもと優秀作品を顕彰するため1977年に創設しました。』という大仰なマンガ賞です。規約の第3条に『本賞は毎年1月から12月までに制作もしくは発表された作品を対象とし、次年度通常総会で贈賞する。』とあります。この規定だと今年の受賞作は去年発表された作品であるはずなのですが、つげ義春さん自身は30年前から作品を描いていません。そもそも歴代受賞作は「○○氏 全作品」というパターンが多く、この規定はほとんど形骸化しています。選考は日本漫画家協会の重鎮たちなので、一般のマンガファンのイメージとはかけ離れたマンガ賞なんでしょう。
一方、受賞者のつげ義春さんが誰なのか?ということですが、青年向けマンガ誌「月刊漫画 ガロ」で一世を風靡した前衛的カルトマンガ家です。さらに「ガロ」ってなんじゃろ?っていうと昔、白土三平さんが「カムイ伝」を描くために作られたマンガ誌です。白土三平さん、つげ義春さん以外に有名どころの執筆者は永島慎二さん、内田春菊さん、滝田ゆうさん、杉浦日向子さん、蛭子能収さんなど・・・自分が単行本を買ったのはやまだ紫さんや魚喃キリコさんです。ガロっぽいイメージの作家といえば奥平イラさんや丸尾末広さん、ひさうちみちおさん・・・

 「ガロ」はマイナーマンガ誌という側面とサブカル系の登竜門的な側面がありました。マンガ家というよりもイラストやサブカルな文化人になりたい人が多く集まってるイメージもありました。逆にマンガ家を目指す人たちは手塚先生に弟子入りしてトキワ荘で腕を磨くという時代から、少年マンガ誌や少女マンガ誌へ投稿する時代へ映り変わっていきました。貸本マンガの時代からの大ベテランとマガジン・サンデー・ジャンプを読んでマンガ家を目指す世代が入れ替わるころです。
自分が「ガロ」を知ったのは白土さんのためのマンガ誌という時代が終わって、インディーズ色が強かったころでした。自分ちの近所の本屋に「ガロ」なんか売ってるワケもなく、年に何度か神保町でバックナンバーを立ち読みする程度でした。ゴメンナサイ・・・
当時は子供ながらマンガ家を志す端くれとして「マンガが下手な人たちが集まってマンガを描いてる無意味なマンガ誌」っていう感想でした。まだコミケとか同人誌という言葉がメジャーな言葉になる前のころで、絵が下手でストーリーが無意味というのはマンガとしてダメだどと思ってました。それが何故か「シュール」というブームになっちゃったので、こーいうマンガを許容出来なきゃマンガファンとはいえないっぽい空気が生まれちゃいました。その頃のサブカルかぶれなお兄さんたちの『つまんないコトやどーでもいいコトを面白がれるオレたち』という風潮にマッチしてました。
マンガにサブカル的な憧れはあるがマンガを描くスキルを学ぶ努力はしない人たちが、ガロ的なヘタウマなら描けた気になれるというコトを叶えてしまったマンガ誌です。もともとの編集方針が白土三平さんのマンガを載せる目的だったので、そのクオリティーで描ける無名のマンガ家なんてそんなにいません。「何でも描いていい」という言葉を「デタラメでも未熟でも何でも描いて良いいいらしいよ」って解釈を変えちゃったのが原因でしょう。実際に「ガロ」の出版社の青林堂は赤字続きで原稿料を払わないというのに一般からの応募作が絶えなかったというのが、安直なヘタウマ・マンガでも通用するというミスリードのためだったと思います。

 日本漫画家協会賞に特別の思い入れはありませんが、つげ義春さんが選ばれたことには驚きよりも違和感がありました。そもそも50年も昔に発表された作品が受賞するのもヘンな話です。たとえば今年の芥川賞に三島由紀夫さんが受賞しちゃったらへんでしょう?
つげ義春さんの受賞理由は『漫画界の中でも異色の存在で、その作品世界は芸術性も高く追随を許さないものである』ということです。日本漫画協会という団体がマンガ家の集まりなので、内輪の表彰に異論をはさむのもなんですよね。功労賞的な意味合いだったとしてもつげ義春さんはちばてつやさんのようにマンガ界を牽引してきませんし、50年間も漫画を描き続けてきたわけでもありません。
自分が見てきたつげ義春さんの印象は何度も再評価される不思議なマンガ家って感じです。最初は80年頃のサブカルブームで『ガロに「ねじ式」のつげ義春というスゴいマンガ家がいた』っていう過去形での知識です。その頃はつげ義春さんも現役で漫画を描いていたんだと思います。
自分は子供の頃からマンガの評価は面白いかどうか?表現技術に長けてるか?作風が好みにあうか?だけで比べるべきだと思っていました。よくありがちなのは作者の訴えるテーマの評価が作品の評価になっちゃってる場合です。反戦の作品とナンパ師のインチキ人生の作品を比べて、反戦のテーマだから受賞するっていうのはヘンですよね。マンガ家に求められてるのは作品の持つ意味ではなくて作品の面白さです。以前にこの日記で取り上げた滝田一人さんの「いちえふ」は体験ルポという表現方法が評価されてましたが「このマンガを読んでいてもつまらない」っていうのが自分の評価でした。
逆にマンガの作品の中にテーマや意味が存在しないから面白いのでもありません。「意味がないから面白いんだ」というのはナンセンスを語るときの常套句です。意味がないから面白いんではなくて面白ければ意味がなくても構わないということです。
マンガが文学やジャーナリズムとは一線を画するのは面白さが必要っていうことでしょう。

 対する今回の受賞でつげ義春作品の何が評価されたのでしょうか?今回の受賞における「ねじ式」の評価は『空想と現実が入り交じった独特の世界観・・』っていうよくわからない説明です。『高い芸術性が・・・』っていうのはコラージュな背景などを指しているのかな?当のつげ義春さんは「自身の作品を芸術作品と呼ばれることに困惑している」というインタビューを読んだ記憶があります。
「ねじ式」は「しっかりしたテーマをつかんで描いたものではなく、見た夢をヒントに想像を混ぜたんですね」とコメントしてます。そんな作品が高い評価を得られたのは白塗りの劇団がぶら下がっていたり、電子音の羅列のような音楽が最先端だったりした時代のおかげでもあります。もし初見で現代の読者が「ねじ式」を読んだとして、変わらぬ芸術性が他の追従を許していないと思ってもらえるのなら受賞に何の異論も挟みません。ましてや50年前に受賞させていたのなら当時のい感覚にマッチした受賞なんでしょう。でも60年代につげ義春作品や「ガロ」を評価していた人たちってマンガが大好きなのにマンガが描けない人たちです。だから作家や映画監督、評論家、各種メディア関係者などに絶大な人気があったんです。彼らはつげ義春さんの素晴らしさを発表する媒体を持っていました。「○○氏もつげ義春を評価している」って感じですね。この頃にマンガが描けるマンガファン(マンガ家も)に圧倒的な影響をあたえたのが大友克洋さんです。大友さんは劇画をリアル描写するコトで同等にした立役者です。でも初期短編集の中には「ガロ」的に雑な印象の作風が多かったです。背景が無い、黒い、白いっていう感じで「絵が描けなくても面白いアイデアで通用するんじゃないか?」って思わせる影響力でした。でもすぐに大友さんは尋常なく絵が上手いことがマンガファンに知れ渡るんですけどね。

 つげ義春さんの代表作というか有名な作品の「紅い花」「ねじ式」「ゲンセンカン主人」などは1967~68年の作品です。精神科医の福島彰氏によるつげ作品を5期に分類しています。福島彰氏って誰?っていうことですが、マンガに対する造詣が深いアピールがヒドい大学教授の一人です。こーいうタイプの賢い系の評価が多かったというのも不幸だと思います。自分が昔に立ち読みしたつげ義春さんの自選集を思い出して分類してみました。

絵のタッチで分類するつげ作品の傾向

水木しげるさんの模倣
白土三平さんの模倣
横山光輝さんの模倣
ねじ式などのいわゆるつげ作品のシュールな作風

多くの人には50年経って「ねじ式」のイメージしか残っていないのでシュールマンガ家ということになっています。でもベースは貸本マンガ家なので色んなタイプのマンガを描いています。つげ義春さん自身が何を描きたいのかというテーマを持っていなかったようで、侍ものから現代劇まで一貫性無く描かれています。しかも出版社の要望に応えるほどの技量もないのでメジャーな作品が描けなかったようなことをインタビューで読んだ記憶があります。
つげ義春さんのキャリアは時代が貸本マンガから週刊誌マンガへ変わっていく過渡期に当たっちゃったんですよね。多くのマンガ家が週刊誌=商業ベースのマンガに移行していく時代です。原稿料を取っ払いで描いていた時代から、単行本の印税で稼ぐシステムに変わっていきました。したがって作品として残せるマンガが前提になるので、本にするために描きゃいいっていう需要は淘汰されていっちゃいました。貸本マンガと入れ替わりで出てきたマガジンやサンデーの商業マンガ家たちが、現在のマンガの基礎を作ったんでしょう。
時代モノのベースは白土さんの模倣で現代モノのベースは水木さん。それ以外に横山さんっていう感じでした。いずれも70年代には一線から退いた方々です。全ての作品がシュールで格好いいんだと思っていると、大半の作品は貸本マンガのクオリティーでがっかりすると思います。

 つげ義春作品で印象に残ってる作品は「古本と少女」です。お話は「古本屋でお目当ての本を買いが千円の値が高くて手が出ない。古本屋へ通っているとその本に挟んであった封筒から千円が出てきて・・・」っていう感じの短編です。つげ義春作品では一番オチがしっかりしてました。特別に面白かったわけではなかったんですけどね。


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