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2018-05

妹がキョンシー? - 2016.09.10 Sat

山本崇一朗さんの「ふだつきのキョーコちゃん」 全7巻です。

 小学館のマンガ誌「ゲッサン」の看板マンガだった「ふだつきのキョーコちゃん」が完結しました。 山本崇一朗さんは小学館系の新人マンガ賞などに入選しています。「花もて語れ」の片山ユキヲさんのアシスタントを経て、読み切りでキャリアを積んだのちに「からかい上手の高木さん」でメジャーになったマンガ家さんです。 初めてからかい上手の1巻目を読んだときは萌え系4コママンガにありがちな中学生アルアルって印象でした。しかし山本崇一朗さんは多くの萌え系マンガのようにアニメ的なシチュエーションをそのまま描くタイプではありません。 
厳密な境界線はないんですがアニメの“カワイイ”とマンガの“可愛い”は狙いや手法が違います。 アニメファンがアニメに求めるようなカワイイをマンガで再現しようとしても、そんなにマンガファンの心は掴めなかったりします。 マンガファンの絶大な人気のマンガ作品をアニメ化したときの微妙な感じも求めるモノが違ってるからだったりします。アニメではカワイイという記号的なモノを並べるんですが、マンガでは記号としてのキャラではほとんどの人が読んでくれません。 いくらキャラ絵のデザインがカワイイとしても文章として可愛いと思わせられなければマンガはダメなんですよね。 
絵師様たちが描いたラノベの表紙絵のようなタッチの画力のあるマンガ家がヒットしにくいのは、マンガの面白さの中には文章的に可愛さを説明しなきゃ伝わらないからです。 でも山本崇一朗さんの作風はキャラ絵の可愛さよりもキャラの行動を読ませることで伝わる可愛さなのでしょう。 絵柄も可愛らしいんですけどね。

 ふだつきのキョーコちゃんはからかい上手の高木さんと並行してゲッサンに連載されていました。ザックリとしたあらすじは『主人公の札月キョーコは兄の札月ケンジと二人暮らし。実はキョーコはキョンシーで力は人間の数十倍あり、血を定期的に飲まなきゃ動けなくなってしまう・・・』
まず大前提として主人公がキョンシーというのが珍しいですね。 そもそもキョンシーって最近の若者たちの間でイメージできるのかな? キョンシーといえば「霊幻道士」と「幽幻道士」です。 これらは香港カンフー映画ブームに乗っかってカンフーと妖怪コメディーをくっつけた映画です。 映画がヒットしたほうが霊幻道士で、テンテンちゃんが出ていたほうが幽幻道士です。 ほとんどの人がテンテンちゃんのことしか記憶に残っていないと思いますが、ヘンなチャイナ服でぴょんぴょんしてたのがキョンシーです。 
キョンシーは妖怪のカテゴリーでいえば吸血ゾンビというジャンルです。 キョンシーは額にお札を貼られると動けなくなります。幽幻道士 以降でキョンシーが出てくるヒット作って思いつかないんですが、ふだつきのキョーコちゃんでは唐突なほど普通な感じで「妹はキョンシーでというやつで・・・」ってナレーションでの説明があります。作者の山本崇一朗さんが幽幻道士を観ている世代なのか?っていう疑問もあります。
この作品はもともと読み切り用に描かれた短編を編集部の判断で連載マンガに焼き直したモノです。 バクマンなどでお馴染みのシステムですね。作者自身のキョンシーのイメージが吸血鬼とごっちゃになってるのと、キョンシー=テンテンちゃん(美少女)というぼんやりとした知識だけで作っちゃったマンガなのかもしれません。そもそもテンテンちゃんはキョンシーではないです。
 
 ブログ画像 ふだつきのキョーコちゃん JPEG

 このマンガのストーリーは『主人公の兄妹が抱えている秘密を隠しながら学園生活を送るコメディー』です。メインの登場人物は主人公でキョンシーの妹のキョーコと兄でヤンキー風情のケンジ。 ケンジの憧れで委員長の日比野さんとキョーコの親友のヒカリ。 後半に登場するヒカリの馬鹿値の先輩だけです。 それぞれのキャラは性格と行動を完全にパターン化しているので、読者が読んでいて「何で?」って引っかかる所がなくスラスラ読むことができます。
サリーちゃんは魔法使いだけれどもその事実を知らないのはヨッチャンとすみれちゃんだけで、テレビを観ている子たちには秘密がバレちゃうっていう構図を楽しむってパターンです。この作品もサリーちゃん同様に登場人物にとっては謎なんだけど、読者に何故キョンシーなのか?っていう疑問で引っ張る進撃の巨人タイプではありません。マンガや映画などの物語を作るときに読者や視聴者に謎を提示して、その謎が明かされるコトをストーリーのメインにしてる作品ってちょっと幼稚だと思うんですよね。 このストーリーの作り方って小さい子が喜ぶような演出でしょう。 低学年のころってなぞなぞやクイズっぽいモンが大好きだし。 物語に謎がないとストーリーにならないって思っている人は結構います。 マンガ家入門みたいな本でもストーリーに必要なのは謎ですって書いてあります。 コナン君もその原理で描かれている作品だから、日テレにコナン君のファンですって言わされてる芸能人を見ると悲しい気持ちになります。
面白いのは山本崇一朗さんが連載中にインタビューでキョーコちゃんの過去について聞かれたコトに対して「過去のことは気にしないで読んで欲しい」と答えています。 これは何でキョンシーになったのか?がメインのストーリーではないってコトを言ってるんですが、前記の通りにキョンシーという設定に対して、作者当人があんまり深く考えていなかったんだということでしょう。

 このマンガは全7巻を通してヒミツがバレないように奮闘するドタバタコメディーです。 しかし作中でキョーコちゃんがキョンシーであるということが最大のヒミツのハズだったのですが、キョンシーであることがバレそうになってドタバタっていうエピソードはほとんどありません。 校則違反では?っていうほど不自然な大きさのリボン(キョンシーの能力を封じるお札)を、誰かに引っ張られてしまわないようにケンジはヤンキーのふりをしてまで周囲を威嚇してます。でもストーリー上でわざわざリボンを狙うような登場人物は存在しません。 キョーコちゃんがキョンシーか?って疑うキャラやヒミツに興味を示すキャラも出てきません。作中の中でキョンシーという疑惑がかかるシーンがほとんどないからです。  では何のヒミツを一生懸命に隠していたんでしょう?

作品中でのヒミツとは?

  • ケンジは不良のふりをしていて本当は学力が高い
  • ケンジはヒカリの初恋の相手と同一人物
  • ケンジは日比野さんが好き

何だかケンジのことばっかりですね。 この3項目だけでストーリーを考える場合にケンジの妹が実はキョンシーだったっていう設定が必要でしょうか? 連載のきっかけはキョンシーな女の子というキャラを掴みにして、ストーリーを膨らませていくっていう感じだったんでしょう。 山本崇一郎さんのインタビューで『妹にしたのは男女が一緒にいる理由としてが欲しかった』と答えています。だったら必要だったのはケンジの妹であってキョンシーではないのでは?同じくインタビューで「うる星やつら」のラムちゃんに影響を受けてるようですが、高橋留美子さんはヘンな設定のキャラを生み出すプロです。 特異なキャラを出すのにはそのキャラでストーリーを組み立てる必然がなければいけません。 ありがちなのは宇宙人が同居してるっていう設定だが、そのことは普通な世の中っていう設定の作品とか。

 かなり前には少年マンガと少女マンガの違いはキャラ設定へのこだわりだといわれてました。 少年マンガではキャラの性格や人間関係、必殺技が設定されています。対して少女マンガではキャラの星座や好きな食べ物、好きな色、苦手な動物など・・・その設定って必要?って思うくらい細かく設定されてます。 でも顔は同じ感じだったりしますけどね。 これは作品におけるキャラの考え方の違いを表しています。 少年マンガではストーリーに必要な部分から設定を考えていきますが、少女マンガは設定が固まったキャラがどーいうストーリー展開をさせるかって考えます。少年マンガでは使い切れない師弟関係や必殺技が設定されていたり、少女マンガでは一度も登場しない趣味の編み物が設定されていたりします。 
アマチュアになればなるほど本編を考えるよりも設定を考えてるほうが楽しかったりします。 作品にボリュームをつけるのなら過剰にキャラを増やしたり細部にまで設定を凝らすのもアリでしょう。 でもマンガで必要なのは省略の発想ですから使いこなせない設定はないほうがスッキリします。この作品でいえばキョーコちゃんがケンジを噛む(血を吸う)シーンを全部カットしても同じようなテイストのマンガになったと思います。
後半はケンジと日比野さんのラブラブ展開が忙しくて、思い出したように噛むキョーコちゃんがストーリーに絡めていません。 そーいうストーリーの本筋から外れちゃうキャラを描くのは、キャラクターマンガを描く上でキャラを大切にしてないって印象になります。 キョンシーの出てくるマンガを描くつもりなら最後までキョンシーにこだわれって感じです。それができないのに何故わざわざキョンシーなのか?って思いますよね。

 全7巻というのは連載マンガでいえば十分に続いたほうだと思うんですが、ファンの間では唐突に完結しちゃったっていう印象があるようです。 ゲッサンの中でも看板マンガっていう印象でしたから。 真相はわかりませんが「からかい上手の高木さん」のほうに注力して欲しいっていうファンの声が多かったのかもしれません。
自分もキョーコちゃんは他の少年マンガ家さんでも描けるような作品ですが、高木さんは山本崇一朗さんならではの作品だと思います。 どっちかを注力するのならば高木さんのほうを選んで欲しいかなって意見です。高木さんにはキョーコちゃんのキョンシー的な設定がありません。 隣の席の西方君をかまう高木さんという図式だけでそれ以上の展開がなさそうなんですが、高木さんのマンガ的な可愛さが存分に出ているマンガです。 この可愛さはアニメ的なカワイイではないからアニメ化すると失敗するパターンになりがちです。シチュエーションでも間が持つのがマンガで、シチュエーションだけじゃ観せられないのがアニメです。 多くのアニメファンは逆だと思ってるようですけどね。


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