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2018-08

特撮ルネサンス - 2015.09.30 Wed

NHK BSプレミアム「特撮ルネサンス」です。

 前回の日記で町山智浩さんを取り上げましたので「進撃の巨人」つながりで今回のテーマは特撮についてです。 「日本特撮ルネサンス 映画「進撃の巨人」の舞台裏」という樋口真嗣監督自らが特撮への思いを語るドキュメンタリー番組です。 前回のテーマは映画のシナリオについてだったのですが、「進撃の巨人」のシナリオへの世間の評価は散々たるようです。 映画監督の何百倍も映画を観てきた評論家がシナリオを書いたんでしょうが「言うは易く、行うは難し」ってことなんでしょう。 多くの映画ファンにとってこの映画は「進撃の巨人」というマンガの映画化だと思っていたんですが、映画スタッフにとっては新しい特撮映画を作るという意気込みだったようですね。
NHKはマンガやアニメ的なサブカルに対して理解があるっていうスタンスを取りたがってるのか、こーいう特番にはチカラが入っています。 自分はジブリ系アニメってちょっと苦手だったんですが、ジブリ新作アニメの製作現場に密着取材した一連の密着シリーズは大好きな番組でした。 むしろ作品本編よりも伝わることが多いと思っていました。 この「特撮ルネサンス」はそんな密着シリーズの特撮版っていう感じでした。 あんまり密着していないんだけどね。

 一概に特撮といっても様々な撮影技法があります。 広い意味ならば銃撃戦の血のりや中国映画のワイヤーアクションも特撮に入るような気がします。 魚眼レンズやセピアカラーの演出、特殊メイクなんかも特殊な撮影って言えなくもないです。 マッドマックスの新作などは全てがホンモノとうたいながらも全ての撮影が特撮っていう感じがします。 前回で紹介した「ストリートオブファイヤー」は夜間のシーンが多いのですが、夜間の撮影は残業代がかかるから屋根付きのオープンセットの街を作って日中に撮影したそうです。 これは特撮なのかな? 「大陸横断超特急」ではラストの機関車が駅に突っ込むシーンで原寸大の終着駅のセットを組んでいました。
特撮というと「通常の撮影では表現(再現)出来ないようなシーンを撮影すること」ですが、大きく二つに分けられると思います。 一つは特撮であることを観客に悟られないようにすること。 もう一つは特撮であることを観客にアピールすること。 特撮を悟られないように特撮していた作品では「フォレスト・ガンプ」なんかが解りやすいでしょう。 特撮映画を観るつもりではない観客に向けて特撮を駆使した映像で人生ドラマを観せる映画です。 特撮をふんだんに観せるのが目的の作品では「スターウォーズ」や「アベンジャーズ」など。 はなから実在しないモノたちを映画に登場させるのだから実写かどうかという疑問は存在しません。 「ハリーポッター」の主人公たちが空を飛ぶシーンで「本当に空をとべるんだ」って思いながら観る人は少ないでしょう。 ハリーポッターシリーズの本来の対象年齢の子たちは「空を飛べてスゴい」って思うのかも知れませんけど。 特撮なのは重々承知なのに観ていてスゴい作品もあります。 「2001年宇宙の旅」は宇宙船が舞台のもっとも有名なSF映画です。 全編が特撮シーンなんですがもっとも話題になったのは、宇宙船の中でペンを手からは離すと空中でくるくる回り続けるシーンです。 無重力で撮影してるわけがないのですが、自分の中で「どーやって撮ったんだこれ?」の1位です。 その撮影方法も聞けば納得なんですけどね。 撮影方法なんかどーでもイイけどひたすら怖いのが「エクソシスト」 階段から逆向きに降りてくるシーンなどは撮影方法を考えるよりも観てるだけで怖えぇって感じです。

 では、特撮ルネサンスとは何なのでしょう? 樋口監督が言うところの特撮映画とは、いわゆる怪獣映画のアレです。 ルネサンスとは復興っていう意味合いなので、どう考えても特撮ルネサンスとは「円谷英二さんの特撮を復興する」ということのようです。 ポイントはミニチュアと火薬。 そこに存在しないCGではなくて空間に存在するミニチュアのほうが質感があるってイメージです。 これは自分も同意見でCGのアクションのCG感にはうんざり気味です。 しかし「進撃の巨人」の中で大巨人が壁からにょぉ~って出てくるCMでもお馴染みのシーンは特撮+CGだったような。
個人的に怪獣とか怪獣映画にはまったく思い入れがないので樋口監督やその他(名前を忘れたというか知らない)の若い監督たちの怪獣へのこだわりは割愛いたします。 特撮ルネサンスとは円谷さんの撮影手法を継承することで怪獣映画を守りたいようでした。 番組では特撮は伝統芸能のように語られていますが、この件に関しては賛否が分かれているようです。 自分としては「怪獣なんか本当はいないんだし、どうせ噓んこなんだからリアルでもちチャチくてもどーでもいい」というスタンスです。 これは幼稚園時代から一貫してこう思っていました。 当時の幼稚園児すらだませないような特撮を継承しても・・・って思いますが、また怪獣ファンから抗議の意地わるコメントが来ちゃいそうなので止めときますね。 でも、この特撮がチープって思われてることと伝統芸能化しているって思われてることに問題の本質が隠されてるような気まします。

番組は「進撃の巨人」の宣伝番組という要素なのですが、園子温監督の「ラブ&ピース」の特撮シーンも「リアルなセットに巨大カメというミスマッチの面白さ」とか言って取り上げていました。 園子温監督と樋口監督を特撮ファンが同一に評価しているのかは解りませんが、園子温さんの特撮に対する扱い方こそが世間の特撮へのイメージそのものっていう感じでした。 「ラブ&ピース」は園子温さんの映画ワールドなので、いい意味でチープでくだらない映画らしいです。 自分がこの番組で観た部分だけでの感想は悪い意味で低予算で頭が悪い映画でした。 もちろん全編を観ていないから本当は芸術作品なのかもしれませんけどね。
しかし有名な監督だけではなくて特撮に魅了された若い世代の方々も、心のどこかに「特撮はチープでくだらないからいいんだ」って思っていないのかな? 自主映画というか映画ごっこでジャージを着た変身ヒーローとかぬいぐるみと闘うだけの怪獣映画を楽しそうに撮ってる大学生(ほぼ大学生か映像の専門学生)たちも。 特撮ファンですらそう思ってるのに一般の映画ファンに樋口監督の熱い特撮愛を作品で伝えるのはかなり困難だと思われます。 こーいう番組でインタビューにこたえるのは簡単ですが、それは創作者の手法ではないですしね。
特撮の伝統芸能化というのは樋口監督の本望にも思えます。 怪獣映画を歌舞伎のような様式美で作れば、リアルとか考える必要もありません。 今のアニメはかなり前から様式美で製作されていますので、リアルとか独創という言葉とは無縁なジャンルになっています。 円谷英二さんは日本の特撮の神様なのだとしたら、マンガの神様は手塚治虫さんです。 多くのマンガ家が手塚先生に憧れて目標にしてきました。 やがて全てのマンガ家の憧れだった手塚先生は打倒手塚治虫にかわり、自分がマンガを読み始めたころは手塚治虫はもう時代遅れっていうほどになりました。 特撮映画ではまだ円谷英二さんは時代遅れにならないのかな? 自分が見た印象ではとても現代的とは言いがたいのに。 一番特撮映画にチカラをふるえるだろう樋口監督や庵野さんがルネサンスでいいんでしょうか? 
もし円谷英二さんがまだ生きていて現役の映画監督だったら、ゴジラのような特撮をまだ撮っていたとは思えません。 ましてや特撮を伝統芸能にしようとするかなぁ?

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● COMMENT ●

伝統芸能という茨の道

> もし円谷英二さんがまだ生きていて現役の映画監督だったら、ゴジラのような特撮をまだ撮っていたとは思えません。 ましてや特撮を伝統芸能にしようとするかなぁ?

 たぶん、円谷さんはCGでもなんでも使っちゃう派です。当時、そういうものがなかっただけで。

 円谷さんの最初の『ゴジラ』は、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本がアメリカの占領から脱したすぐあとに製作されたものでした。当時は あれが(技術と物資と予算の)限界であっただけで、円谷さんは「特撮はチープでくだらないからいいんだ」となどとは毛ほども思っていませんでした。

 円谷さんは、それ以前に時代劇をやってらっしゃった頃に「スモークの円谷」「台車の円谷」と呼ばれていたそうです。円谷さんが現役の特技監督であれば、CGだろうがロボティクスだろうが「これを使えばこんな効果が出せる」「それをこういう表現に使ったらどうだろう?」というのを端から試していただろうと思います。

 ただ、最初は「目新しいもの」だったのが、(映像の作り手にとって)「伝統技法」として定着し、「様式」として認知されたりすることで「伝統芸能」に近いものになることは、あると思います。
 「台車(と、ズームレンズの組合せ)」は、ヒチコックの『めまい』やスピルバーグの『ジョーズ』などで効果的に使われていますし、スモークは「霧」という形で『エイリアン』や『ブレードランナー』に活かされています。

 スピルバーグは確信犯的に「伝統芸能としての特撮」をぶっ壊しにかかっているという意味で、円谷さんの正統的な後継者という気がします。そもそも『ジョーズ』が『ゴジラ』のリメイクともいうべき作品ですし。
 たとえば、『スター・ウォーズ』に出てくる双眼鏡。ふつう、映画に出てくる双眼鏡って、雪ダルマを横にしたような形に視野があるでしょう? だけど、実際の双眼鏡では、視野は一つの円になります。これを『スター・ウォーズ』では、ディジタル双眼鏡という設定にして視野いっぱいに表示する、という形にしています。
 もう一つは、『ジュラシック・パーク』でのCGとロボティクスの使い分け。恐竜の鼻息でガラスが曇る場面で、「あれ? これってCGじゃないの?」と驚かせてくれます。

 歌舞伎には『東海道四谷怪談』のカラクリ(初演のときは怪我人が続出して、「あれは祟る」という伝説ができたそうです)があり、能には『道成寺』の鐘入りの演出(当初は鐘の中で面を掛けかえるだけでしたが、演者がジャンプすると同時に鐘が落ちてくる演出に変わっています。マンガ『ギャラリー・フェイク』では、これで頸を骨折して死亡する話が出てきます)があるように、伝統芸能というのは「伝統に安住して停滞しちゃったらそこで終わり」という意識があってこそ、です。でないと飽きられて伝統自体が絶えてしまいますので、命懸けで創造と解体を続けています。

 そういう意志といっしょに「伝統芸能」を目ざしているのなら、それはそれでよろしいんじゃないでしょうか?

Mbさん、いらっしゃいませ。

スピルバーグやハリウッドが興行成績を上げる目的で特撮を目指すのはショウビス的でいいんですが、「本当に特撮を愛する真も特撮ファン」というニッチな人々のためだけの伝統芸能だと寂しいです。


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