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2018-08

僕が映画を観ない理由 - 2015.09.21 Mon

シナリオから考えた映画についてのお話です。

 「趣味は何ですか?」という問いに、もっとも無難な回答のひとつが映画鑑賞ですよね。
「ほう、最近は何を観ましたか?」って追い打ちをかけられると「最近は忙しくてあんまり映画館へ行けてないんですよね」って王道の切り返しでかわします。 うっかり「やっぱ、黒澤明はイイよね」とか言っちゃうと「七人の侍の配役を言い合いっこしましょう」とか、途方もない勝負を挑まれかねないので気をつけましょう。
映画鑑賞が趣味っていっても映画館をハシゴするタイプやTSUTAYAでこれ借りようなタイプ、ネットで配信など様々でしょう。 横に観まくるタイプや縦に深く観るタイプなど映画の楽しみ方はそれぞれです。 それでは自分はどのタイプでしょう? 実は自分はほとんど映画を観ないタイプなんです。 忙しくて最近は・・・って言葉を濁すようなアレではなくて、どちらかといえば映画を観るのが嫌いなんですよね。 映画代やレンタルDVD代がもったいないワケではありません。 地上波初登場とかスカパーの無料放送の日でも映画を観ようとは思わないんですよね。 どの映画のジャンルというのでもなくて、映画を観るのが嫌いなんですよ。
過去に日記で「しったかぶりゴジラ」というのを書いたのですが、怪獣ファンから手痛いご指摘を頂いたことがあります。 今回のテーマは「なんで自分は映画を観ないのか?」っていうコトなので、映画ファンや映画のブログを立ててる方々にはイラっとする内容かもしれません。 しかし自分自身も「なんで映画を観たくないのか」を説明する方法が思いつかなくてモンモンとしていました。 その「僕が映画をみない理由(わけ)」を説明できる言質が取れたので日記で取り上げますが、映画ファンを否定するつもりではありません。 でもイラっとしたらゴメンナサイです。

 今でこそ映画から遠くなっちゃったのですが、子供のころは結構な映画好きを自負していました。 といっても小学生のころは淀川長治さんと水野晴郎さんの二択だったんですけどね。 初めて映画館で観た映画(アニメを除く)は親に連れて行ってもらった「遠すぎた橋」です。 完全に親の好みです。 自分が観たと認識できる映画は「未知との遭遇」なんですが、本当は「スターウォーズ」のほうが観たかったけど親の意向でこっちになった記憶があります。 それ以降もなんだかんだでスポンサーを見つけては映画館に連れて行ってもらっていました。 このころは「趣味は映画鑑賞」って言えるほど映画館に行っていました。 それと昔の日本人は水曜と日曜はテレビで映画を観る日って定着していたので、今の若者に比べて映画を観る人って普通に多かったと思います。 子供のころの目標(夢ではない)はマンガを描くこと(マンガ家ではない)だったので、ストーリー作りの勉強に映画を観るっていう考えもあったと思います。 映画嫌いって言っときながら結構影響を受けた作品があるので、ちょっと並べてみましょう。

自分がモロに影響を受けた作品ランキング
 
第1位 大陸横断超特急

第2位 マッドマックス 1

第3位 ストリートオブファイヤー

第4位 Uボート

第5位 マッドマックス 2

第6位 ディアハンター

第7位 未来世紀ブラジル

第8位 ポセイドンアドベンチャー

第9位 ポリスストーリー

第10位 レイダース

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年代はバラバラでテレビで観たのと映画館が半々くらいです。 作品の傾向は見事にストーリー展開が電車道ということですね。 ディアハンターはこの作品をもの凄く好きな人から奨められて観たんですが、後悔半分、感動半分って感じでした。 未来世紀ブラジルはもっとも「何だこりゃ?」っていう作品です。 10作品を並べましたがトップ3は別格で、こーいう風に映画を作れば面白い映画が撮れるんだって思いました。 10位のレイダースはルー・スピ・コンビの映画ですが、この人たちの映画の中で最も完成された映画だと思います。
映画館で観た映画は連れて行ってくれるスポンサーの人の好みなのか、夏休みやお正月のメジャーどころを避け10月や2月の地味目なラインナップをよく観ていた気がします。 80年代はロイ・シャイダーって印象でしたね。

 映画のファンには俳優をメインに楽しむタイプや監督で選ぶタイプ、作品のテーマ性を重視するタイプ、ひたすら量をこなすタイプなど様々です。 極端な話ではお気に入りの役者が出てれば、多少はないようが薄味でも「まぁいいか」っていうコトもあります。 観ていてストレスがたまるような演出でも、テーマの高尚さやメッセージの奥深さと理解して「難解だけど名作だから」っていうコトもあります。 すべての要素に非の打ち所がない映画だったら後生に残る名作なんでしょうが、なかなかそーいうクオリティーの作品に出会うのは難しいです。 映画というジャンルが好きと言う中でもそれぞれの人がそれぞれの基準で作品を評価しているのだから、評価基準の違う評論家の賛辞が自分の基準と合わないのも当たり前のことです。
自分は90年代ころからばったりと映画館に行かなくなっちゃいました。 その理由は自分がそもそも映画を観て学びたかったコトはストーリーなんですが、多くの映画ってストーリーがでたらめだったりするんですよね。 でたらめという言い方が適切な表現とも思いませんが、つまらないという意味ではなく筋が通っていないってことです。 でたらめで面白い作品も存在するんでややこしいんです。 それこそ子供のころにテレビで観ていた映画は「ストーリー作りの教科書」っていう感じでした。 昔の映画はストーリーがちゃんとしていたのか、観ている自分が子供で粗に気づかなかったのか? 映画館で金を出して(自分で出してないけど)映画を観ていながら「こーいうストーリーの流れはヘンだ」とか「こうした方が面白いのに」って思うようになりました。 そう思っちゃうと一緒にいった人とも映画を観たあとに盛り上がれませんし、自分がつまんなかったと思う作品を同伴者が絶賛だと、否定するのも失礼だし話を合わせるのも面倒です。 そもそも映画の楽しみ方は人それぞれなんだしね。
このストーリ-のでたらめ感とはつじつまが合わなかったり、途中で行ってるコトが変わっちゃったりすることです。 それと最初に配役したときの人物設定が後半で別人になっちゃう場合など。 最初は映画を観るたびにモンモンとしていたんですが、ある日「そもそも映画ってほとんどの作品のストーリーがでたらめなんじゃないかい?」って気づいたんですよね。 ストーリーの勉強のために映画を観るっていうことが、自分にとってはあんまり意味がないことになりました。

 そもそも映画におけるシナリオとは何なのでしょう? シナリオとは監督かプロモーターが考えたストーリーを文字に起こす作業で、 シナリオライター(脚本家)は監督のイメージする題材をストーリー化したりセリフを割ったりする人です。 監督自らが脚本というのもあります。 この映画でいうシナリオは原作とも意味が違います。 シナリオの目的は映画の筋の流れやそのシーンでのセリフなどを前もって決めておくことです。 前もって映画全編のストーリーを台本にして監督や役者、美術スタッフなどで共通認識することがスムーズな映画撮影に役立ちます。 必ずシナリオが必要かと言えば香港映画などでは盗作防止のため脚本を作らないという方法もあるそうです。
実写版の「進撃の巨人」では原作者がマンガ版のマンガ家、監督が樋口真嗣さん、脚本は実写版「ガッチャマン」の脚本でおなじみの渡辺雄介さんと映画評論家の町山智浩さんが担当しています。 町山さんは歴代のTBSラジオの昼番組で映画紹介コーナーを担当しているので、自分にとっては唯一の映画評論家です。 彼以外の映画評論や映画レビューはあんまり聞きません。 町山さんも映画の情報というよりもアメリカ文化やサブカルチャーの評論家としての町山さんのファンではあります。 そんな町山さんが9月15日のTBSラジオ「たまむすび」のアメリカ流れ者というコーナーにてシナリオについて語っていました。

「僕(町山さん)全然撮影現場に行ってなくて(撮影が)どうなってるのか解らないので試写を観たらビックリしましたよ 何でこうなってるんだって」
「映画は現場で監督と俳優さんが作るモノだから、これはこうやったらいいんだよねってていう結果が映画でいいんですよ」
「三池崇史監督曰く映画なんてモノは出来上がってみるまで全然解らないっていうのが一番面白い」
「アメリカン・ビューティーという映画はミステリーコメディーとしてシナリオを撮影終了後に、ミステリー部分を丸ごとカットして社会派ドラマに作り替えちゃったんですよ でも映画っていうのはそういうものなんですよ 編集でガラっと変わっちゃうんです」

 町山さんによると、一般に映画におけるシナリオの部分は監督が撮影場での判断でどうにでも変えちゃうモンだそうです。 極論、映画というモノは監督の作品なんだから、監督の判断でストーリーやセリフ、テーマに至るまで変更するのは自由ですよね。 でもそれで監督が最初にくみ上げたストーリーとアドリブで変えたストーリーの整合性をたもてるのか?っていう疑問が生じます。
例えば、キャラBは主人公Aの幼なじみで相棒という設定で考えてみます。 主人公Aと相棒Bはコンビで悪の組織と闘っていました。 撮影も大詰めになりクライマックス前にストーリーに変化をつけたくなりました。 「そうだ相棒Bは悪の組織の幹部で、主人公Aの仲間のフリをしていたことにしよう」って思いつきました。 そっちのほうがドラマチックな映画になるのなら、シナリオの変更も問題ないと思われるでしょう。 しかし相棒Bは主人公Aの幼なじみというシナリオですでに撮影しちゃっています。 町山さんの考えでは映画はそれでいいんだってことでしょう。 しかしこーいうシナリオのズレって映画の登場人物の服の色が瞬間に赤から黒に変わるようなズレと同じレベルのミステイクだと思うんです。 映画ファンもそーいう撮影のミスは細かく見つけてあげつらうのに、シナリオのつじつまが合わないコトに対しては意外と寛容なイメージがあります。
「変えた方が面白ければ変えるべき」という考え方もあります。 むしろ作っていてつまらないシナリオなら途中でも変えた方がマシていう感じでもあります。 映画は億単位の予算が動くメディアなので失敗が許されません。 なのに作ってる人たちの行き当たりばったり感は不思議でしょうがありませんよね。 この行き当たりばったりはジブリの宮崎アニメでも同じです。 宮さんもクライマックスのオチが決まっていないのに公開スケジュールの都合で制作を始めます。 自分が映画を観なくなった理由と同じ理由でジブリを観に行かなくなった原因になったのが「もののけ姫」です。 この作品は最初にアシタカが村で言っていたことと最後のつじつまがあっていません。 作っているうちにどんどん楽しく(苦しく?)なってシナリオを変えてっちゃったんでしょう。

 何で映画監督たちはつじつまが合わないことに平気なのか?というと、変える前も変えた後も監督の頭の中にあるイメージだから、どっちも自分のなかでは正解だからです。 しかし他人(視聴者)から見れば合っていないモンは合っていないんですけどね。
シナリオを変えることで必ずワケがわからなくなっちゃうのは少年ジャンプなどの週刊マンガです。 これはマンガ家の構想をまったく無視して編集者が戦いを入れろとかおっぱい出せとか言うから。
自分はこーいうつじつまの違和感や最初と最後で言ってるコトが違ってるシナリオとかが、けっこう気になっちゃうんですよね。 映画館で観ていてもストレスになるくらいなら「もう映画を観なくてもいいや」って結論になりました。
本来のストーリー作りというモノは始まりから終わりまで一貫して考えるべきだと思っています。 そうしないと最後のほうで必ずといえるほど破綻します。 なぜ一貫して考えると破綻しないのかといえば、破綻しないストーリーが出来上がってから製作にかかるからです。 脚本が完成して、監督やスタッフがそのストーリーに納得して製作を始めれば最悪でも話のつじつまは合います。 つじつまが合ってれば面白い映画か?っていうわけではありません。 「最低限つじつまくらい合わせろよ」ってことです。 映画とかアニメとか実際のライブ映像ではなくて架空の映像を実際のことのように観せるメディアは、ウソはついてもいいけど間違いを撮しちゃダメなんですよ。 空飛ぶ円盤というのは実在しないからウソなんですが、空飛ぶ円盤が登場するのはOKです。 だって映画だから。 でも円盤を吊るピアノ線が画面に映ってると興ざめでしょう。

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