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2017-08

歴史認識を認識する - 2015.04.30 Thu

村上もとか さんの「フイチン再見!(ツァイチェン)」です。

 例大祭とか戦後70年談話とか、時節柄なのか歴史認識についての記事が多いですね。 近隣国との対立ではこの“歴史認識”が必ずセットで語られています。 この話題には「~ 国の歴史認識は間違っている」とか「~ 国は歴史をねつ造している」などのように、相手国の言い分を批難する論客たちで大騒ぎになっちゃいます。 「自虐史観」のように自国に不利な歴史認識を唱えると「非国民とか売国奴」と大騒ぎです。 しかも歴史認識の問題は「正義」を語る上で非常に解りやすいので、迂闊なことを書くと議論が過熱しちゃう傾向にあるようですよね。 そんなヤバそうなネタなんですが今回は歴史認識の疑問についてのお話です。

 そもそも歴史認識という言葉がヘンなの日本語ですよね。 歴史というのは時系列の記録だから、そもそも解釈の入る余地は無いハズです。 そもそもの歴史認識とは「大化の改新は紛れもなく史実だがなんで蘇我入鹿を暗殺したのか?」みたいな解釈の部分のことを言うんだと思います。 実際にはいつからいつまでが大化の改新なのかも、あまり解っていないようです。 飛鳥時代のお話なんだからしょうがないとも思いますし、たとえ史実がズレていたとしても現代社会には支障ないです。
自分の中学時代の歴史の先生は授業中に浪漫を語るタイプではなく、淡々と時系列を進めるタイプでした。 いわゆる「年号や人名を覚えることに何の意味があるの?」って言う子どもだったので歴史の授業は散々でした。 暗記が苦手だったんですよ。 歴史の授業も弥生時代あたりまでは考古学や地質学のような地味な感じで中盤は合戦モノのあらすじ、近代は政経って感じでした。
今話題の歴史認識ですが、歴史というのは過去におきた事象の積み重ねです。 したがって事実のみが歴史であって国によってとか政権が変わったからといって変化するモンじゃありません。 事実の積み重ねに対して認識という言葉はおかしいですよね。 先生が教科書を読み上げているとこが歴史で、その合間に語るフリートークの部分がその先生の歴史認識です。 では、この歴史認識とはどれくらいの正しさがあるのでしょうか?

 「壇ノ浦の戦い」は歴史にウトい人でもだいたいのストーリーは知ってると思います。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」のあれですよね。 壇ノ浦の戦いは源氏と平氏の決戦で、歴史上の事実です。 しかしその詳細については源氏側の軍勢が800艘とも3000艘とも言われています。 実際の合戦だったのに2200艘もの誤差があるのはヘンですよね。 実は800艘なのは「吾妻鏡」の記述で3000艘は「平家物語」の記述です。 吾妻鏡は鎌倉時代に変遷された歴史書で、源頼朝以下歴代の将軍の活躍を記した源氏の責任編集です。 平家物語は琵琶法師で有名ですが作者は琵琶奏者しゃないようです。 というか、作者がはっきりしていません。 平家物語のほうが船の数がい多いのは軍記モノ特有の「盛った演出」のためです。 吾妻鏡は戦勝国の都合で書かれた歴史書で、平家物語は庶民に広く伝わる娯楽活劇です。
考古学や地質学では科学的な解析などでかなりのことが解明されているようです。 恐竜も自分が子どものころはトカゲの大きいヤツという定説でしたが、今では羽毛が生えていてカラフルな色だったっていう説が有力です。 これは当時を見たことがある人が存在しないため、恐竜が茶色いのは「科学認識」だったんです。 その後の解析研究のレベルが向上したためです。 壇ノ浦で夕方に潮の流れが逆転したので形勢が変わったというのも、歴史上の事実というワケではなくて記述があっただけです。 もし平氏好きな歴史の先生と源氏好きな歴史の先生がいたら年表の時系列は同じでも歴史ストーリーの盛り上がり方は違う授業になったと思います。 これが歴史認識の原理です。

 「フイチン再見!」は村上もとか さんの連載マンガでマンガ家の上田としこさんの生涯を綴った伝記的な作品です。 上田としこさんは1917年(大正6年)生まれ、2008年に亡くなられた享年90歳の日本最古の女流マンガ家のひとりです。 日本初の女流マンガ家は「サザエさん」の長谷川町子さんですが上田としこさんよりも3歳年下です。 上田としこさんは少女画や少女マンガ家の松本かつぢさんに弟子入りし、長谷川町子さんは「のらくろ」の田河水泡さんの門下生でした。 上田としこさんがまだ絵の修行中に学生だった長谷川町子さんはプロデビューしていて悶々としている描写があります。 今後の展開で作中に長谷川町子さんが出てくるのかは、財団法人長谷川町子美術館との権利問題によるでしょう。 1話目のエピソードで手塚治虫さんにエールを送られるシーンがあります。 手塚治虫さんも上田としこさんより8歳年下です。 ここら辺の時代は自分も生まれていないので作中のエピソードが頼りです。 大まかなイメージで「マンガというジャンルは手塚治虫が発明した」とか「コママンガを考えたのは手塚治虫」っていう認識があります。 でもそんなわけはないです。 手塚治虫さんも過去の先人たちのマンガを読んでいてその技法でマンガを描いたに過ぎません。 演出方法に映画的なストーリー性や文学性を取り入れたので、マンガを子ども以外にも広く通用するジャンルへ確立したのは手塚治虫さんです。 でも手塚治虫さんがマンガを発明したわけじゃありません。

  

 「フイチン再見!」の本編は昭和30年代が舞台の“マンガ家上田としこ、幼少の頃に育った哈爾濱(ハルピン)の“としちゃん”のエピソードが交互に書かれています。 昭和9年に高輪の頌栄高等女学校へ入り東京編が始まります。 これ以降は時系列にそって物語が進みます。 当時の女学生の間では中原淳一派と松本かつぢ派に分かれていたようです。 これは少女誌の抒情画です。 彼らの絵はネットで検索すればいくらでも見られますが、それらの抒情画を楽しんでいた女学生たちの表情は検索しても見ることができません。 また、戦時下に入っていく日本の中でマンガ家になるために絵画サロンで絵の勉強をしてる間にも、満州事変が起きるだど歴史はどんどん進んでいきます。 この作品は戦争に入っていく日本の歴史を描いているのではなくて、上田としこさんが実際に見たり巻き込まれたりした人生経験がストーリーのマンガです。 戦時下の日本もいきなり「欲しがりません・・・」になったワケじゃなかったようです。 だんだんと息苦しい空気が広がっていく中、ギリギリ自由な生き方をしようとする上田としこさんの爽快な生き方がこの作品の魅力です。  
ハルピンで生まれた上田としこさんは父親が現地の銀行員だったために裕福な暮らしをしていました。 日本の学校を卒業後は南満州鉄道に就職、軍事統制下の日本を離れたので極貧生活や東京大空襲など一般的な戦争悲劇とは離れた生活をしていました。 本編でも主人公の上田としこさんは満州鉄道社内での女性雇用問題で会社側と交渉したり慰安隊に参加したりで、あんまり戦争の悲惨さが出てこないです。 戦争中でも充実した毎日だったからでしょう。 弟が召集されて南方へ出兵して病気にかかってハルピンへ戻ってきたシーンでも、戦地の悲惨さは描かれずに帰ってきた弟の変わりっぷりだけで表現しています。 つまりこのマンガは上田としこさんが直接見たことだけで大東亜戦争を表現しているんです。 原爆投下や東京大空襲も住む場所が違えば人づての情報に過ぎないってことですね。 ここにこのマンガが信用できる理由があります。

 歴史認識に話しを戻しますが、歴史とは普遍的な過去の事象のことです。 学者や政権、個人のナショナリズムを満足させるためのモノじゃありません。 歴史学とは過去の事象を研究、検証する学問です。 例えば壇ノ浦の戦いで考えると、源平の時代を目撃した人などいませんよね。 実際の戦いや当時の政治がどうなっていたのかは平家物語という誰が書いたのかもはっきりしない文献を元にしています。 大河ドラマなどの壇ノ浦は正しいのか?って話になりますが、自分の考えではどーでもイイです。 歴史学者の説よりもドラマのシナリオの魅力を優先させたって実害はないからね。 九州地方には「自称・平家の末裔」を名乗る人がたくさんいるそうです。 その人たち一人一人に歴史認識があるんでしょう。
では、大東亜戦争の歴史認識はどーでしょう? この問題はどう書こうが誰かの反感や怒りを買うセンシティブな問題です。 たかだか70年前の事象について国際的な真実が未だに決定されていないというのはヘンなことですよね。 平家物語と違って多くの人が見た話ですから。 歴史認識とは良い悪いを決める事や保障や賠償のを決めることではありません。 過去になにがあったのかを決定していく作業だと思います。 「某国の言い分は国家のねつ造で自国の言い分は正しい歴史雄認識だ」っていう歴史認識論者の方々も、実際にはもうほとんど全ての方々が戦争の事実を目撃も体験もしていないんですよね。 ほぼ誰も知らないことについてあーだこーだいってるに過ぎないんでしょう。 安倍総理も習近平主席も朴槿恵大統領も大東亜戦争の時代には生まれていませんからね。 経験していないことといえば壇ノ浦の戦いと同じです。

 自分は日本人だから日本サイドの歴史認識を支持するのが筋なんですが、そもそも歴史の授業が嫌いな子だったから論じるほどの認識もありません。 そんな中で「フイチン再見!」というマンガは上田としこさんについて非常に丁寧な取材をしているのと、上田としこさん自身が2008年まで存命されたどころか90歳でなお連載を持つほどかくしゃくとしておられたそうです。 彼女こそが「壇ノ浦を目撃した人」なんでしょう。 作者の村上もとかさんも徹底的な取材と準備をしてマンガを描くことで定評の方です。 (登山経験がないのに山岳マンガを描くとか) この作品を読むと少なくとも満州国という漠然とした知識が変わります。 作者側の「戦争の悲惨さ」や「戦争の意味」や「戦争の悪」などをメッセージされた作品は多いのですが、「フイチン再見!」はそういう“歴史認識”を伝えるたぐいの作品ではありません。 ハルピンには異文化交流とカラフルな街並みがあったそうです。 自分が授業で授業で教わった満州には関東軍しか出てきません。
上田としこさんは日本へ引揚げ後、少女クラブで表題になっている「フイチンさん」を連載します。 この作品は満州での終戦やソ連軍の進駐とかの混乱を伝える作品ではありません。 ハルピンのお屋敷のお坊ちゃまと子守り役の少女フイチンさんの幸せな日々のお話です。 その幸せな日々が上田としこさんにとっての歴史認識だったんでしょう。

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● COMMENT ●

「歴史認識」という言葉は変だと思っていました。
確かに歴史は積み重ね、時系列の記録ですよね。
自分に都合よく
人数をオーバーに増やしたり、
別の側面から解釈をこじつけたり…
もっと淡々と事実を見つめなおしたほうがいいですよね。
解釈は自分に都合よくしちゃうんでしょうけれど。
読んでみたくなりました。

kikilalacafe さん、いらっしゃいませ。

そもそも歴史という学問のイメージが文系なのか理系なのか?
文系ならば学者の数だけ解釈があるんでしょう。
理系ならば国際学会で共通の見解が必要でしょう。
しかし共通の見解とは国際社会や政治家ごときが決める問題ではなくて
あくまでもアカデミーの中で決めるべきモノでしょうね。
全ての過去は誰かの都合が悪くできているんだから・・・


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