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2019-07

めがねを変えました - 2019.07.18 Thu

ヤマシタトモコさんの「違国日記」です。

 マンガファンには知られている話なのですが、ヤマシタトモコさんは過去にアレをしちゃってコアなマンガファンから総スカンになりました。元々が同人誌作家ですが某大手出版社のマンガ賞で入賞してメジャーデビューって時に、その入選作が某大御所マンガ家の作品をアレしちゃった疑惑がネットで拡散。ヤマシタトモコさん自身が謝罪したため入選は取り消し、消えたマンガ家になるパターンでした。
しかし、その後もBL方面で名を上げて一般誌へ復帰し、アレのあった某出版社でも作品を発表するほど復活したマンガ家さんです。したがってマンガファンの中でも完全否定(拒絶)の人と作品を支持する人で、作品の評価が両極端なマンガ家さんです。
自分の見解ではマンガそのものの技術向上には模倣と研究がつきものだから、ある程度のズルをしちゃう気持ちは理解出来ます。しかしズルしてプロになっても商業レベルでは法律上ヤバいって誰でも知ってます。ヤマシタトモコさんのケースでは同人作家を商業デビューさせる編集部が、出版リテラシーを教育していなかったことが重大なミスでしょう。読者は軽いリスペクト(模倣)くらいなら大目に見てあげて欲しいんですけどね・・・
過去に某メジャー少女誌で活躍していながら大手を振ってアレをやったことが大々的にバレて、単行本回収&絶版になった少女マンガ家もいます。しかし、カルタのマンガ家さんなど、今では最も売れてるマンガ家になってアニメ化、実写映画化と某出版社の稼ぎ頭になっています。
自分の基準では実力があって面白いマンガが描けるのなら過去の経歴は気にしません。カルタのマンガも愛読しています。(メディア化は観ていないけど)

 やらかした系のマンガ家が再評価されるのは歓迎なんですが、ヤマシタトモコさんの場合は「このマンガがすごい2011」のオンナ部門1位の「HER」2位に「ドントクライガール」のワンツーフィニッシュでした。「ドント・・・」は同年度の「マンガ大賞」の11位にもランクしています。
自分がヤマシタトモコさんの作品を最後に読んだのが「HER」あたりでしたが『作者の中で完結してる女性の辛辣さやホンネ』にあんまり共感できませんでした。まさかなんとか大賞を受賞するほど持ち上げられることに違和感がありました。
ヤマシタトモコさんの作風は『他人と共感できないタイプを自負してる主人公のワタシ語り』です。世間と共感できない立ち位置で頑張ってる読者には共感できるんでしょうけど、ヤマシタトモコさんがいう「ワタシが共感できない他人という名の普通のヤツら」である他人たちには共感されることはないでしょう。
マンガを読む時に「感情移入」と「共感」の二種類の読み方があります。感情移入は読者が主人公に成りきって読むスタイルで、共感は読者が客観的に理解できるスタイルです。オトナは自分が主人公に同期しにくいので、大体が共感を求めてマンガを読んでいます。読者の期待を裏切ることにだけ情熱を注いでいるマンガ家や、裏切られることを深いマンガと誤解してるマンガファンもいます。それはそれで別の話になっちゃいますので省略します。
絵がヘタとかコマ割が稚拙というのはキャリアを重ねれば、ほとんどのマンガ家はなんとかなっちゃうモンです。上手にならなくても「その作家の味」となれば、味なりに読みやすくなります。マンガ家におけるマンガが上手さとは「読みやすいマンガが描けるか?」ということです。読みやすさの基準は絵の精度とストーリーへの共感度になります。絵が嫌いでもストーリーが好きならば読めますが、絵が絵師クラスでもストーリーがヘンテコだったら読んでもらえません。画集のつもりだったらいいのかも知れませんが・・・ 
「解ってくれる人に向けて描いてるんだから、解らない人にまで読んでもらう気はない」というのがヤマシタトモコさんのファンの意見だったんでしょう。作者当人も自身の理解者に向けて描いてるから、「設定や前提条件がヘン?」とか「キャラがヒステリック?」という一般読者には飲み込みにくいマンガをわざと描いてた印象でした。このマンガがすごいとみんなが言ったんだから、一定数の人々がヤマシタトモコさんの作品に共感したんでしょう。でも、自分はヤマシタトモコさんのその後の作品は読まなくなっちゃいました・・・

 表題の「違国日記」ですが、最初は違国ではなくて建国だと勘違いしてました。あんまり違国というコトバと日記の熟語をイメージできなかったからでしょう。建国日記でもイメージできないんですけどね。タイトルの“違国”という文字で見聞録やファンタジーの世界の国々の冒険というイメージが思いつくかもしれません。表紙のイラストは主人公らしき女性と女に子のたちポーズで、異国感も冒険感もゼロの現代劇仕様です。タイトル名では買わないだろうけど帯のキャッチが『女の子を引き取って云々・・・』って感じだったので、現代劇だろうと想像してジャケ買いした記憶です。この時にヤマシタトモコという名前はまったく覚えていませんでした。自分にとっては「もう読まないマンガ家さん」のフォルダーに入れちゃったマンガ家だったんです。この作者があのヤマシタトモコさんだと気がついたのは1巻を読み終えたあとに後付にある作者の既刊本の宣伝を見て「あっ、ヤマシタトモコだったんだ」って感じです。
ストーリーをかいつまむと『中3の少女 田汲 朝は突然、両親を事故で亡くし親類にたらい回しにされる。少女小説家で叔母(朝の母親の妹)にあたる高代槙生が、勢いで引き取ることになり共同生活が始まる・・・』という感じです。
「孤児・引き取りモノ」といえば前回紹介した吉田秋生さんの「海街diary」や宇仁田ゆみさんの「うさぎドロップ」が有名です。親が死んだ未成年を親類が“うっかり”引き取っちゃって・・・っていうストーリーですね。「海街diary」はホームドラマ、「うさぎドロップ」は育メン男子の奮闘ものです。同シチュエーションの作品ではくずしろさんの「兄の嫁と暮らしています。」が先にありました。こっちは叔母ではなくて義姉です。くずしろさんは恋愛抜きの百合コメディーが得意なので、そーいうドタバタを狙ってるのかな?って感じの読み始めだったのですが、百合よりも死んだ兄を挟んで身内と他人の距離感の難しさがテーマです。

「違国日記」も最近ハヤりの「百合シチュエーション・マンガ」だと思って買ったんですが、むしろ他者へ愛情をかけるのが苦手なコミュ障が主人公のマンガでした。それはそれで、ヤマシタトモコさんの過去作のイメージとも合致して「独りよがり的な主人公の孤独」マンガっぽかったです。主人公が「日記はほんとうのことを書く必要もない」っていう感じの決めゼリフも“らしい”って感じでした。4話目から登場する「槙生の古くからの理解者」的な旧友の奈々、5話目から登場する槙生の元恋人という「都合のよく正論を言う役目」的なキャラも安易な印象でした。
それでも以前に読んだイメージとは比べものにならないくらい“読みやすかった”ので2巻以降も継続で読んでいます。作品おのテーマとしては『違国の住人として設定された主人公の槙生ちゃんを「へんな人」という括りでキャラ化』したかったようです。しかし回を重ねるごとに「この主人公はそんなにへんな人じゃない」ってわかってくると、作者の意図とは関係なく作品に共感できるようになってきます。作者の最初の方針は『世間からはみ出したヘンな主人公が子育てのまね事をする』っていうマンガっぽいハナシだったんでしょう。愛せなかった実姉のコドモと向き合う生活・・・という捻った’(捻くれた?)ストーリーで、1巻目はまだどっちに転ぶかわかんない状態でした。
転機になったのは朝(孤児になった女の子)の友達のえみりとその母親、槙生の旧来の友達たち、3巻目からは後継監督人の塔野弁護士など・・・ 彼らは主人公の理解者でも敵対者でもありません。ヤマシタトモコさん系のマンガのキャラは主人公を理解するキャラと理解してくれないキャラしか出てこないイメージでした。この作品中では理解者役として旧友の醍醐奈々、元カノの笠町信吾、理解しない役として実姉の実里が出てきます。彼らだけだと主人公に都合よくストーリーが進むんですが、実際の世の中は自分の理解者と敵対者ばかりではありません。
この作品のような孤児を引き取るという民事や生活、教育、死別による心的ダメージ・・・など、主人公のキャラ作りだけでは解決しない諸問題をテーマにしています。過去のヤマシタトモコさんの作品のイメージでは、諸問題と向き合う覚悟が感じられませんでした。結局は主人公の気分を読むタイプのマンガなので、キャラに感情移入出来ない以上は読んでいて面白いと思えないから読まなくなっちゃったんですね。

 過去に「このシナリオの考え方は飲み込めない」と思ったマンガ家さんの作品が、その後見違えるように面白くなったというケースはあんまりありませんでした。新人時代に作風が定まらず、後にヒット作を発表したっていうケースではありません。ある程度の評価(人気)もあるけど自分にとっては面白くない作品を描くマンガ家さんの場合です。マンガを読むことは仕事でも義務でもないんだから、つまんないと思った作品は結構バッサリ切ります。そのマンガ家の次回作が面白いってことはめったにありません。例えで出すのもどーかという感じですが、このブログでもよく取り上げた佐原ミズさんはマンガのスキルがすべてパーフェクトなんだけどシナリオが飲み込めません。佐原ミズさんはすでにキャリアを重ねてるんですが、シナリオの根本的な部分が一向に納得いきません。「絵は絵師レベルなのに・・・」の典型的なマンガ家さんです。
面白くないどころか作者のことも忘れちゃうほど期待してなかったと思っていたマンガ家が、次巻を楽しみにするほどのマンガを描くようになるとは思ってもみませんでした。それは、明らかに自分のメガネ違いだし、固定観念に縛られていたことも大いに反省ですね。
自分がヤマシタトモコさんの作品を読んでいた頃の作品は、主人公の考えていることや感情の起伏を全てト書き(ナレーションみたいなアレ)で書いていました。その上“心のフキダシ”でも心情を書き込んでいるから、主人公の怒りや悲しみ、不平や不満、驕り、ダークサイドが溢れてるマンガって印象でした。これらは自分語りマンガに見られる手法ですが、一時期日本中がホンネブームでホンネが書かれてる作品が流行っていました。「主人公のホンネはわかったけど、それでストーリーは・・・?」っていう作品が多いです。
マンガ限らず、創作はフィクションなので作者のホンネは重要ではありません。特に道徳観と恋愛観は作者の考えがキャラの考えに反映されやすいです。雑な恋愛を描く作者の恋愛感には期待できないから、そーいう感じのいマンガ家の次回作には期待しないでいました。たとえ雑な行動のキャラでもその作品のストーリーがしっかりしていれば、そのキャラも「作為的に雑な恋愛感のキャラ」なので作者を否定するものではありません。これらは少女マンガ以上に雑に人(モンスターやゾンビ)を殺す少年マンガのほうに顕著なイメージです。
こーいう雑さがクールだと思う読者も一定数いますし、その人たち向けにわざと雑な心理描写を描かせてる編集者もいます。作画もストーリーも上手い下手はどっちでもいいのですが、雑か丁寧かで比べたら丁寧のほうがいいに決まっています。未熟な作家でも熟成すれば言い作品を作れますが、雑な人が丁寧になるのは難しいです。誰か(編集者)に「絵を丁寧に描け」と言われてもストーリーは作者の心の中の問題だから、同人誌などで“一定の評価を受けてきちゃったアマチュア”な人ほど変われない印象です。
じゃあヤマシタトモコさんはなんで変わったのかを考えてみます。キャリアの途中を読んでいないくせにって感じですが、「違国日記」の1巻ではそんなに変わっていないので、たぶん連載中に変わってきたんだと思います。
この作品は作者自身が「本気で描きたいテーマ」なんでしょう。だから雑に描き流したくないし、自身のファン以外の人にも評価されたい。ならばストーリー対して真摯に向き合わなきゃいけない。「違国日記」を絵空事の作り話にしたくないっていう思いから、ストーリーもキャラクターも丁寧に描くしかなかったんでしょう。結果としてマンガ大賞に祭り上げられた頃よりも正答な評価を読者にされているんだと思います。それは本屋の平積み率の高さでもわかります。

 結局、自分のメガネ違いだったと言えばそれまでです。ストーリーも変われるというのも発見でした。反省して久しぶりに新しいメガネを作りに行ったんですが、メガネのフレームがバネになっていて掛けやすくてキツキツ感もないのを買いました。とても気に入っています・・・


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