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2018-10

勝手に休刊すれば? - 2018.10.03 Wed

新潮45の休刊についてです。

 新潮社の雑誌「新潮45」が休刊(廃刊)になりました。そもそも購読してたわけでもないので、何の感慨もありません。しかし廃刊理由がLGBTに対する激しい差別記事ということで、過去にLGBTという言葉を扱ってきたこの日記でもふれておくのが筋だと思います。
事の顛末は『杉田水脈議員のLGBTへの持論と、それを擁護する寄稿に対する読者ではない人たちからの批判や抗議に答えるカタチで掲載誌を廃刊にした』っていう感じす。だいたいマスコミが騒いでるようなことで間違いないんです。唯一違うのは新潮45の読者からの批判というよりも、載せたこと自体が許されないと騒いでいることでしょう。
この騒動で多くの人たちの考えが「新潮45は許せない」という意見にまとまったので安心しました。新潮45の記事を読んで「オレもLGBTは生産性がないって思う」と同調する擁護派が出てきたら、かなり気味が悪い世の中です。でも読んでもいない雑誌に載っている文章が「社会正義に反するから」って糾弾されるのは、ちょっと気味が悪い世の中ですね。「新潮45ってこんな雑誌じゃなかったのに」という気分になって憤ってる人たちはネット記事や宮根さんのせいで、すっかり読者気分になってるだけなんでしょう。だって18,000部しか発行していない雑誌だから。日本国民1億2千万人の中で2万人しか読んでいない雑誌です。そんな誰も読んでいない新潮45という雑誌の「昔はこんな雑誌じゃなかったのに・・・」っていうお話です。

 吉野家が6年ぶりに赤字決算になる見通しとのことです。17億円の黒字を見込んでいたが最終利益が17億円の赤字と下方修正したとのことです。本業の吉野家の売り上げが伸びず、アメリカ産牛肉、人手不足による人件費の高騰、傘下のステーキ店の不振などが原因とのことです。
かつては吉野家ブームというモノがあり ♪牛丼一筋 80ね~ん・・・って歌われれいました。キン肉マンが食べていたころです。初めて吉野家を意識したのは担任の先生が授業中のフリートーク?で「オレ○○先生と吉野家行ったぜ」っていうダベ話でした。まだ子どもだけで外食なんか無理な時代でしたから、羨望のまなざしだったと記憶してます。吉野家の初体験は中学時代に同級生と初プロレス観戦の帰りに10人くらいで浅草の吉野家でした。中坊には全席カウンターなのもビビるし、あきらかに「ガキが入る店じゃねぇ」よって感じがプレッシャーでした。当然ながら店内では誰もしゃべりません。自分たちが招かれない客だと重々承知しているからです。当時の吉野家は親子で和気藹々と入る部類の店ではありませんでした。

 自分がもっとも吉野家を利用していたのは就職して2~3年のころ。外回りの営業での遅い昼飯や遅い晩飯でした。すでにビビりな中坊ではなく、堂々と吉野家の住人です。
当時の上司の教えで「温かいメシを食べなきゃイカンぞ」って言われてました。そう、吉野家は一番安い温かいメシだったんです。レースのピットクルーのように早く出して、早く喰わせ、早く店を出るシステムは、当時のサラリーマンや現場作業者のニーズにピッタリの形態でした。当然ですが家族団らんやデートの食事には不向きです。何しろメニューがデカさの違いしか無いんだから、女の子向きではありません。これを逆に利用することで会社の女の子を吉野家に連れて行くと「名前は知ってるけど入るのは無理だったの」っていう子にはウケるんですよね。チープさよりも好奇心がまさるようです。
その後、利益重視で仕入れや調理をサボり「味が落ちる」という根本的な過ちをおかし、吉野家は倒産。再建後も合併や分離をくり返し、低価格競争やメニュー拡大の末に再び赤字転落にいたったということです。最初の倒産は吉野家ブランドと実経済のズレに老舗の驕りが混ざった感じでした。しかし、今回の吉野家の赤字転落は熾烈な外食産業で生き残りを賭けた戦略の末の低迷です。
昨今の吉野家の印象はメニューの多さと明るく改装された座席メインの店舗でしょう。以前の並、大盛といった、量の違いだけのメニューやお新香や玉子の有無だけではありません。牛丼一筋とうたっていたメニューですが、アメリカ産牛肉が入ってこなくなったあたりで、同業他社の多メニュー戦略に乗っかった感じです。当時は苦肉の策で豚丼を出していたんですが、べつに豚が苦肉というわけじゃありません。

 今では吉野家に似合わなかったファミリー層やアベック?に向けて、メニューの選択肢を増やす作戦です。結果として気軽に立ち寄れる吉野家は熾烈なファミレス業界の下位グループになっちゃいました。ソレまで支えてきたピット作業のような回転率の吉野家ですが、煮込みや焼きなどメニューの多様化でファーストフードの業界のファースト(早い)でも下位になっちゃいました。
吉野家が切り捨てた顧客は「早い、うまい、安い」の時代の客です。うまいを忘れて倒産した吉野家は安いも280円時代に戻れるはずもなく、現在のコピーは「牛丼は、どこまでうまくなれるんのか」になっています。外食産業がうまさを追求することは正しいことですよね。でも、吉野家の存在価値って今半のすき焼き弁当よりも美味しい牛丼を、300円そこそこ出だすことだったのでしょうか?一番アドバンテージがあったのは注文したら15秒で牛丼が出てくる「早い」だったと思います。今は見かけなくなった気合いが空回り気味の兄ちゃん店長の「大盛いっちょ~」の復唱も懐かしいです。あーいうのが女子を遠ざけていたんですけどね・・・
現在の吉野家は誰のためのマーケティングなのか?誰のための改革なのか?裏目に出ちゃってるような印象です。

 すっかり牛丼な記事になっちゃっていますが、今回のテーマは新潮45の休刊です。休刊という言葉に「いずれ沈静化したころに復刊する気か?」と思う人もいるかもしれませんが、出版界の休刊は廃刊宣言に等しいのが慣例です。廃刊を武士の情けで休刊と優しく言い換えただけの言葉です。
休刊の追い込まれたのは杉田水脈議員と愉快な仲間たちのせいなのは疑いようがありません。しかし杉田水脈議員の論文がLGBT差別なのに掲載したことが原因というよりも、休刊するような雑誌だからそんな記事を掲載したというのが真実っぽいです。今回の休刊事件では過去に新潮45へ寄稿した作家やジャーナリストが休刊を惜しむ声はよく聞きました。何故か誰もが新潮45の仕事をしたことを得意になって語ってます。今回のような100%正論が吐ける案件では、より信憑性を高めるために「当事者ポジション」が重要なんでしょう。彼らが決まって言うセリフが「昔の新潮45はこんな雑誌じゃなかった」ということです。逆に現在連載中の作家やジャーナリストの方々は「こんな雑誌と承知で執筆してた」ってことなのかな?
惜しむ声は書き手の側からは聞こえてきますが、次号からは読むことができなくなった読者からは惜しむ声が聞こえてきません。何故聞こえてこないのかといえば、定期購読してる人は全国に20000人弱しかいないからです。日本の本屋さんの数が12500店くらいなので全ての書店に行き届いてるとも思えません。
そもそも新潮45という本を見たことがある人がどれ程いるでしょう?カタチとしてはA5サイズのゴツい感じの本です。新潮45のライバル誌「正論」や「Hanada」や「WiLL」といった右巻き御三家もA5サイズの本ですね。

 ちょっと牛丼の思い出が過ぎちゃったのでLGBT云々は視界の記事に持ち越しです。


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