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2018-10

団体の虹と個々の虹 - 2018.10.10 Wed

新潮45の休刊についての続きです。

 築地市場が豊洲へ移転が実行されたのに伴い、吉野家1号店も10月6日に惜しまれつつも閉店になりました。吉野家は日本橋の魚市場で創業、魚市場の築地移転に伴い築地に移転したそうです。1号店は最後まで「早い、やすい、うまい」を貫いた店舗でした。メニューは牛丼のみで、常連(築地労働者)向けの裏メニューや「いつもの」というオーダーもあったそうです。「いつもの」は早く出すための究極なオーダー方法です。そんな1号店のラストを惜しむために集まった常連客は、昔ながらの吉野家というシステムに・・・ いやいや、今回こそは新潮45のお話です。

 本題の新潮45の杉田水脈氏のLGBT論問題ですが、LGBTに対する意見を擁護するつもりも批判するつもりもありません。そーいうのはネットやワイドショーでいっぱいやっていますから、そっちを見てください。
まず、あんまり取り上げられていない新潮社、新潮45の編集部が廃刊になった10月号を出すにあたっての、言い分がコチラです。

 【特別企画】そんなにおかしいか「杉田水脈」論文

『 8月号の特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」の中の一本、杉田水脈氏の「『LGBT』支援の度が過ぎる」が、見当外れの大バッシングに見舞われた。主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのカケラもなかった。
あの記事をどう読むべきなのか。LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考をお届けする』

これは10月号が廃刊決定前に新潮社の公式サイトに載っていたアオリの文章です。新潮社は「十分な原稿チェックがおろそかになっていた」と認め「その結果、常軌を逸した偏見と認識不足に満ちた表現」という謝罪的なコメントとともに新潮45を廃刊にしました。10月号が出るまでは明白に「真っ当な議論のきっかけをお届けする」と書いています。しかし謝罪の中では、あたか「真っ当な議論をさせたかったのに、集まった原稿が常軌を逸していたことが見抜けなかった事を反省してます」という表現ですね。「議論のきっかけ=炎上商法」で何度も特集を組みたかったのがミエミエです。
自分は新潮45の10月号も杉田水脈氏の論文や応援寄稿のトンデモ記事も一切読んでいません。読んでなくてブログに書くのもどうなの?って感じですけどね。正直、今回の新潮45廃刊騒動の中で唯一読んだ新潮45の文章が上記のアオリ文です。
この文章の中で目を引くのは「見当外れの大バッシング」とか「戦時下さながらに・・・」といった強い言葉の部分です。公的な立場を取る出版社が他社メディアをここまで言い捨てるのなら、それ相応の見識や覚悟が必要です。もし、新潮社が「個人の言論の自由は保障された権利」と言うのなら、新潮社は公的な意味合いを何も持たない私的な出版社レベルということを認めることになります。
新潮社の社則や思想の信念が「LGBTに対して生産性がない」というスタンスだとします。今回の10月号の記事も「読者はちゃんと読み解いて、LGBTに対して冷静な判断と議論をしましょう」と宣言して11月号を出せば、それは出版社としてひとつの見識だと思います。記事のチェックができなかったという言い訳よりもマシです。
言論という言葉には弾圧という言葉がついてきます。弾圧というのは支配階級が強権で反対勢力に圧力をかけることです。どんな意見でも個人の意見は守られるべきで、どんな片寄った考え方を持っていても思想の自由です。しかし、公的な存在の出版社が「何を書こうと言論の自由だ」って言っちゃったらダメでしょう。芸能人の不倫を春本の如き掲載することは、国民の知る権利の行使とはいえませんよね。

 アオリ文章の中の「戦時下さながらに」という表現は言葉狩り的なことを指してるんでしょう。戦時下で最も国民が被害を被ったのは言論弾圧ではなくてデタラメな大本営発表です。国民が聞いたのは軍部の発表ではなくて新聞やメディアの報道です。出版社が軍部に騙されていたのかどうかは、歴史感の立場の違いはあるでしょう。でも、日本が大勝してるって書けば新聞が売れるのは間違いないです。当時、一番活躍した新聞社は旭日旗がマークのアレです。( 築地市場と話がつながった!)
共産圏だったら国家が無理矢理に記事を書かせるんでしょうけど資本主義の国民統制が社会主義のそれと違うところです。
新潮社の主張の言い訳会見も要約すれば「部数が減少していた新潮45の編集長が、売り上げに目がくらんでトンデモ記事を載せちゃった」ということでした。掲載した記事をトンデモ記事と認めちゃった以上、新潮社は戦時下さながらに国民を扇動しようとしてたことを認めたようです。

 前回の記事でも書きましたが廃刊騒動に寄せた文化人のコメントで多いのは「昔の新潮45はこんな雑誌じゃなかった」です。クドいですが昔から読んでる読者は20,000人もいません。今年は16,000部しか刷っていないようです。愛読者にコメントを求めるにしてもドコを捜せばいいのか?
新潮45はそもそも新潮文芸部からスタートした雑誌です。だから新潮45の新潮は週刊新潮の新潮ではなく、小説新潮のほうの新潮です。当初は45歳の生きがいと健康がテーマののんびりした雑誌だったので、すぐに廃刊の危機になりました。文芸チームで始まった雑誌ですが、売り上げ低迷で週刊新潮チームに編集が乗っ取った形です。当初から文化人のコラムが充実していたのは文芸誌系の人脈のおかげだったのかもしれませんね。
廃刊が決定した週にラジオでレギュラー出演していた新潮社の出版部部長の中瀬ゆかりさんがコメントしていました。ラジオの要約なので記憶の抜粋ですが・・・

 編集長時代にLGBTの寄稿を寄せてもらっていた
 何を言ってもいいのかというコトではない
 編集の過程で十分なチェックができていなかった この言い分はおかしい
 これをきっかけに差別について考えようよとなればイイ

中瀬ゆかりさんは元新潮45の編集長で完全に身内の不祥事に対する出版側のコメントですが、端々に忸怩たる思いがにじんでました。忸怩はジクジと読み、恥じ入るという意味です。
中瀬ゆかりさんにしても「昔はこんな雑誌じゃなかった」的な要素がコメントに含まれてました。中瀬ゆかりさんが編集長に登用さてたのは、硬派なおっさん雑誌だった新潮45の部数低迷が止まらず新しい基軸を求めたからです。その新しい基軸はおっさん以外の読者取り込む事でした。雑誌のタイトルが45歳のおっさん雑誌なのに、女性にも読んでもらうことで部数倍増計画です。これはそもそも「婦人画報」をおっさんにも読ませることに近いムチャ振りです。
中瀬ゆかりさんが始めたのはゴシップ事件やエロ記事で、コレがなぜだか30から40代の女性読者を取り込む事に成功したらしいです。ラジオ出演でゴシップ記事や下ネタを嬉々と語る中瀬ゆかりさんはノリノリで編集してたことでしょう。中瀬ゆかりさんにとっての「昔はこんな雑誌じゃなかった」はゴシップとエロの新潮45です。ナゾ理由で女性読者の需要をつかんだのですが部数はさらに減少しました。読者総数が減少してるのに読者の男女比が半々近くまでいったということは、本来の読者である45歳オーバーのおっさんの半分以上が愛想を尽かせたことになります。



 10月8日、新宿にて約500人のLGBTの方々が新潮45の記事に対してデモを行いました。7月にも杉田水脈議員への5,000人規模の抗議デモを、自民党本部前で行っています。このときはアジやプラカードでデモっぽかったんです。しかし、今回の新宿のデモはお馴染み?レインボープライドのパレードのようでした。デモの主催者側が「目くじら立てて抗議するよりも、この騒動をでLGBTを世間に認知してもらう」というソフト路線が狙いだった感じです。
世間が「差別、ヘイト、自民党・・・」って騒いじゃってるから、あえてクールなスタンスを狙ったように思われます。しかし、レインボーの旗を振りながら踊り歩くフレンドリー路線のパレードは、一般の人たちには奇怪に見えたり「ふざけてるの?」って思われたりしたようです。
レインボープライドとは性と生の多様性をアピールことが目的ですが、そのアピールは「ボクたち陽気なパリピだよ」っていうアピールが多分に含まれている感じです。LGBTのイベント等に参加してる方々はLGBT当事者や支援者も含めて「世間へ自分たちの世界がノンケの人たちと変わらないんだよ」と強くアピールしています。そこに「LGBTは陰気な人たちじゃなく、みんなと同じ明るい人たちだよ」っていうふるまいがいきすぎてパリピな集団と化してしまうようですね。
彼らがいうノンケ=普通の人だとしたら、普通の人には彼らの集まったときの圧の強さはちょっと引いちゃいます。今回のパレードでも近づいていって「頑張ってね」と声をかけるよりも、遠巻きに見ながら薄ら笑いで通り過ぎるのが“普通の人たち”の反応でしょう。
自民党本部へ押しかけたデモは政権与党への抗議デモなので目的と手段が一致していたと思います。しかし、今回の新潮45の記事に抗議するデモというのは、チャンスとばかりに何かに便乗したデモだったという印象でした。「真っ当な議論のきっかけ」とか言ってる出版社も論外ですが、言い出しっぺの議員もまともな議論の能力が無いのは最初からあきらかです。相手の言い分が「お前の母ちゃんデベソ・・・」レベルなのに、反論もデモも意味が薄いです。逆にLGBTが世間に無理解なまま、お騒がせな話題提供の片棒を担がされちゃってる感じです。自分は今回の杉田水脈問題はある程度の意思表示をしたら、スルーでよかったくらいの内容だったと思っていました。

 自分は「生産性がない」というセリフよりも「LGBTに税金を使うな」というほうが、はぁ?って感じでした。自分が知る限りLGBTのために税金が使われている事例がまったく浮かびません。LGBTのために新たな道路や建物を作る必要もありません。例えば同性婚を認めるという問題は役所が婚姻届けを受け取るだけで解決します。突きつめればLGBTの方々は「LGBT を理由に生活や精度の制限をしないでくれ」とお願いしてるだけです。
侮辱されたことに対する怒りは理解できますが、ただ言い返すという段階はLGBTではとっくに終わってると思っています。「この騒動を機にLGBTを考える議論のきっかけに・・・」なんてことが起きないことは、LGBTの当事者の方々は重々承知です。政治家きっかけの問題提起だったんですが、政治家は与党批判のネタくらいにしか思っていません。
そもそも、LGBTといっても活動をしている有名マイノリティーの人と、家族や親友にもカミングアウトできないサイレント・マイノリティーの人がいます。最近の統計では教室に2~3人はLGBTであるとのことです。単純にデモやレインボープライドに参加している5,000人を活動してる人だとしても、表舞台に出てこないLGBTの人の方が圧倒的に多いんです。

 新潮45の記事は差別的発言というレッテルでバッシングされました。それを耳にした世間が差別主義の雑誌を糾弾するカタチでした。基本はネットとマスコミが頑張ったバッシングです。
以前からLGBTの人たちが戦っていたのは 差別と無理解です。しかし、昨今では面と向かっての差別というのはかな減ってるんじゃないかと思っています。逆に無理解のほうはまだまだ道半ばって感じでしょう。活動家のLGBTの差別されてる意識が高いのは、活動という矢面に立っているからこその実感でしょう。
日本は宗教的なタブーがないので欧米とは求められている活動内容が違うと思います。宗教的な禁忌は、それこそ議論にすらならないので大変です。何でLGBTの問題が広く語られたり理解が深まらないのでしょうか? 日本でLGBTが語られない理由は、LGBTがセックスを含む言葉だからです。よく聞く学校や職場でカミングアウトして人間関係が壊れた・・・的なアルアル話ですが、自分が誰とセックスしたいのかなんて本来はノンケの人だって言いません。
言わなきゃいけない人に向けては言える社会、言わなくていい人に対しては言わなくていい社会が理想だと思います。役所や公共サービスには言える社会、言いたくなければたとえ親にでも隠せる社会です。
活動家の方々は最終的にLGBTもノンケも関係なく笑い合える世の中を目標にしています。でも、それは相当なコミュ力とパリピな資質が必要です。大半のLGBTはきっと世の中を変えたいんじゃなく、生活を変えたいんだと思います。パリピ会場の人たちは誇らしげに自分の指向やパートナーをオープンにしますが、求められているのは個人をオープンにしなくても生活できる世の中ですね。


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