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2015-11

めぞん一刻の近くに - 2015.11.28 Sat

冬目 景さんの「イエスタデイをうたって」です。

 最近になって冬目景さんのマンガが立て続けに完結して長年のファンとしては嬉しい限りです。 マンガファンの心理として「この作品を永遠に読み続けていたい」っていう気持ちもあるけど、終わらない物語なんて評価できないし完結までが作品だと思っていますから。 終われないで消えてった作品や終われなくなっちゃった作品の末路は悲しいです。 才能がある作家さんはどんどん終わらせてさっさと新作を描いて欲しいのですが、出版社が保守に固まっちゃってることが問題なんでしょうね。
その「イエスタデイをうたって」ですが1998年から16年間で全11巻という「長期連載なのかそうでもないのか?」っていう微妙な感じのロング連載でした。 掲載されたビジネスジャンプが月2回の発行で4話か5話をワンエピソードの隔月連載みたいな冬目さんならではの優遇措置?だったのと、だんだん隔月すら守れなくたってしまう“いつものパターン”だったからです。 新刊を止めて読者が諦めかけた頃に完結巻を出してつじつまを合わせるか、連載そのものを無かったことにしちゃうかのどっちかって思っていました。
この「イエスタデイをうたって」という作品は全11巻なんですが自分にしては珍しく全巻持っています。 大抵は保管スペースの都合で新刊が出ると2巻前くらいは処分していくんですが、冬目さんの作品は次に出るタイミングがわからないので捨てるとお話が思い出せなくなっちゃうんですよね。 取っておいたおかげで今回の日記も書けるんですから、むやみに捨てちゃダメですよね。
タイトルはまんまRCサクセションの曲名から持ってきてますが、作中では誰も歌っていません。 RCや清志郎のファンのキャラすら出てきません。 むしろRCになぞられるよりもビートルズというメジャータイトルを使って掴みにする巧妙なタイトルですね。 原曲の「イエスタデイをうたって」は『♪~いえすたでいをうたってぇ・・・』って念仏を唱えるような歌でした。 名曲なのかはわかりませんが代表曲ではありません。

 この作品は冬目さんが同人誌系マイナーマンガ家からメジャーなビジネスジャンプ(すでに廃刊)にステップアップした出世作です。 それまでは各出版社の別冊扱いクラスで「黒鉄」や「羊のうた」などを描いていましたが、個人的な趣味と合わないので「あーフユメケイってマンガ家いるなぁ」くらいしか思っていませんでした。 マジな話、冬目さんの読み方ってイエスタデイで初めて知ったくらいです。 当時、マイナーに逃げるマンガ家をあんまり評価していなかったので冬目さんにはかなり辛い採点だったと思います。 マイナーでも面白いマンガを描く人は多かったし従来のバクマン的な雑誌投稿新人マンガ家と、趣味マンガ家の延長でプロデビューするマンガ家が入れ替わる時期でした。 マイナーなテンションでも面白いマンガは多かったですが、つまんない理由を「マイナーだから」って逃げに使うマンガも多かったです。
冬目さんの描き込みのすごい荒唐無稽さが共感できず「黒鉄」は読んでいません。 「羊のうた」は読みましたがやっぱり描き込みのうすい世界観にモヤモヤする感じでした。 しかし「日本で一番マンガの世界観にうるさいジャンプ系」のビジネスジャンプで連載が始まったのが「イエスタデイをうたって」でした。 冬目さんの得意技は日常を大切にしたファンタジー(不思議)なのですが、出版社の依頼は「日常を大切に描くけどファンタジー(不思議)のパートはいらない」ってことだったんでしょう。 冬目さんの魅力は淡々と日常を描く平常心と独特なストーリーを書くオリジナリティーです。 オリジナルが強いことはマンガ家としての魅力なんでしょうが、いかんせん万人向けにはなりません。 当時のビジネスジャンプはコンビニにも並ぶメジャーマンガ誌だったんだからコミックバーガーとは目的が違います。 ビジネスジャンプの編集部も冬目さんは不思議がなくっても日常パートだけで十分に通用する作家だと判断したんでしょう。 自分もそう思っていましたから「イエスタデイをうたって」から冬目景という名前もちゃんと覚えました。

  

 「イエスタデイをうたって」は巨匠、高橋留美子さんの描いた昭和のラブコメマンガの金字塔「めぞん一刻」を平成にリメイクしたような作品です。 しかし連載当初のエピソードでは、まだストーリーやキャラの骨格がまったく定まっていませんでした。 大筋では主人公のリクオと大学の同期生で高校の教師の榀子(しなこ)、榀子の元教え子で高校中退のハルの三角関係がメインです。 これに美大受験生で榀子の幼なじみの浪(ろう)やその他大勢の群像劇っぽいキャラ展開です。 超能力者や魔界の関係者という冬目さんの得意分野なキャラは出てきませんし、各キャラの登場シーンがよく整理されてるので群像劇のわりにはわかりやすい印象です。
1巻でマンガの骨格が定まっていなかったのはリクオはコンビニのレジ横の募金箱から小銭をくすねるガキっぽい店員で、ハルは万引き常習?で未成年ながら公園で酒、タバコはへっちゃらな年下なのに大人びた美少女。 榀子は生き方を選んでリクオを振ってさっさと就職しちゃうアクティブなタイプです。 長年この作品を読んできた人なら「ええっ?そうだっけ?」って思うかもしれません。 初期の設定やストーリーでは当然ながらこのマンガから「めぞん一刻」を連想できる部分など何処にもありません。 とくに榀子は当時のトレンディドラマの女優のキャラに引っ張られていたし、ハルの不思議少女もわかりやすくビジネスジャンプの編集部のリクエストだったと思われます。 この雑誌にはおかざき真里さんも「とにかくセックスシーンを描かせられて頭にきた」って怒っていました。
1巻のころの印象は用意したキャラで用意した日常っていう16年も連載が続くとは思えないマンガでした。 「不思議少女のハルが何者なのか?」がマンガのストーリーになっちゃっていて、なんだか「羊のうた」を事件抜きにしただけじゃんって感じです。 冬目さんが描ける日常ってこーいうんじゃないって思っていました。 冬目さん自身が完結後のインタビューで「ドラマの進行にしたがってキャラが変化している」って答えていますが、1巻から読み返すとキャラが成長したんではなくて修正したことがよくわかります。 不定期連載だから掲載するまで間隔が空くので修正するチャンスは何度でもあります。 まず榀子の設定から変えました。

 ザンバラロングヘアだった榀子の髪をばっさりショートにしちゃいました。 コレもインタビューで「ロングは描きにくかったので描きやすくした」って答えています。 外観とともに地元金沢で隣に住んでいた浪という幼なじみがいるという新しい設定が誕生しました。 この設定により「榀子の心の中にすでに亡くなっていて忘れられないオトコ(浪の兄)がいる」というストーリーが生まれました。 この設定は「めぞん一刻」の惣一郎さんの設定にあたるんですが、まだめぞんっぽさは感じません。 最初に榀子がリクオを就職を理由に振ったのは掲載誌がビジネスジャンプだからです。 就職やプー太郎(現代のフリーター)を話の中心にしたかったのでしょう。
新キャラや新設定はマンガの中に新たな謎を作ります。 それまでは「ハルというカラス少女はどこの誰でなんで一人暮らしなのか?」がストーリーの中心でした。 そして新たに「浪という学生は 榀子とどういう関係で金沢での榀子の秘密とは?」という謎が加わりました。 そもそも「ハルはどうしてリクオにつきまとうのか?」とか「ハルの本音はなんなのか?」とか謎がいっぱいなマンガです。 冬目さんに限らず多くのマンガ家やマンガファン、脚本に携わってる人たちの中に「謎があればストーリーは大丈夫」とか「ストーリーとは謎のことです」って思い込んでる人がけっこういます。 それは作り手やファンの勘違いというか普通の読者はみんなが思ってるほど謎を重視していません。 一番勘違いしてると思うのは「クライマックスで今までの秘密がついに明かされる」ってタイプのストーリーです。 設定がストーリーではないって何度も書いてきましたが、謎解きがクライマックスではないっというのも基本中の基本です。 とくに冬目さんの作品には常に謎がちりばめられてる印象ですよね。 謎解きをストーリーのクライマックスにしたから大変なことになってるのが「進撃の巨人」と「エヴァンゲリオン」です。 謎や種明かしで喜ぶのは小学生くらいまでです。 小さい子ってなぞなぞとか大人に出すのが好きですよね。 よつばとか・・・

 このあとは美術の専門学生たちが才能について悩んだり、映画少年やリクオがカメラで生計を立てようとして写真とは何ぞやっていうエピソードが続きます。 まだ「めぞん一刻」っぽくはありません。 マンガ家は美大などで絵画を勉強した人と、まったくのラクガキから独学で描けるようになった人(アシスタント修行も含め)の二通りがあります。 美大出身のマンガ家は美大ネタや芸術ネタを描きたがる傾向があるような気がします。 創作に行き詰まったり自分とな人の才能の違いを比べたりって感じのストーリーを読むと「うわっ」ってなっちゃいます。 どーいう「うわっ」なのかといえば「美大生はこーいう悩みと向き合ってるんだよ」って美大生を代表して美大卒のマンガ家さんに聞かされてる「うわっ」です。
そーいう芸術系のストーリーをこなしているうちにいつの間にか全ての謎が無くなっちゃっていました。 ヘンに連載が長引くから主要キャラの本心やハルの家族構成や金沢の謎、全部オープンになっちゃってました。 不思議少女をきどっていたハズのハルは行動や感情が丸わかりで、作中の演出ではハルの気持ちはすべて読者へはオープンにするようになりました。 もう何考えているのかわからない少女ではありません。 榀子も生ぬるい三角関係を自覚しリクオは優柔不断ないい人キャラを定着させました。 この段階で「めぞん一刻」が完成しました。 ようするに「めぞん一刻」という物語にはストーリーの中に一切の謎が存在しないんです。 「イエスタデイをうたって」も連載を長引かせているうちに、謎がどんどんバレて(バラして)いきます。 3巻では最愛のオトコが亡くなって心の未亡人になった榀子と榀子を思い通づけるリクオと浪、リクオを追いかけるけどお邪魔虫を自覚するハルというシンプルな構図だけになり、読者も連載が中断したってもう大丈夫です。 このあとはもう平成のめぞん一刻って感じです。

 「めぞん一刻」についてはどんだけ長文を書いてもキリが無いのですが、一言でいうならば「マンガ界でもっとも影響を与えた作品のひとつ」です。 一定以上の年齢の方々は当然のごとく読んでいますけど、若いマンガファンの中には高橋留美子さんには最近作のイメージしかないかも知れません。 昔のマンガなのでムリに読む必要もありませんが、マンガファンだったら課題図書のつもりで読んだほうがいいでしょう。 すでに作品論は80年代に散々語られていますけど、あまり語られていないめぞん一刻論は「この作品は少年マンガに大人が出てきた最初の少年マンガ」なんです。 それまでの少年マンガでは大人は大人として主人公と対峙するモンでした。 つまり「大人というキャラ」です。 それに対し「めぞん一刻」では五代クンという浪人生と同じ視線なのは坂本クンぐらいです。 あとは全て大人(一部小学生)ばっかりです。 大人のマンガでは子供が「子供というキャラ」なんですよね。 ヒロインが未亡人ということ以上に大人ばっかり出てくる少年マンガっていうのが新鮮でした。 青年マンガなんですけどね。
「イエスタデイをうたって」は「めぞん一刻」だっていうのは冬目さん自身は絶対に不本意だろうし、冬目さんのファンも承服しかねることでしょう。 しかし自分は「なんで誰もめぞん一刻みたいなマンガを描かないんだろう」ってずーっと思っていました。 せっかくの名作なんだから素直にパクればいいのにって感じです。 本気でパクっているのに気づかない作品もあるかもしれませんが。 せっかくスゴいノウハウが詰まった作品なんだから、寄ってたかって研究すればいいのにね。 あだち充さんは同じようなストーリーをくり返し発表することで「あだち充というジャンル」を作りました。 しかし高橋留美子さんは少年サンデーに戻っちゃったので「めぞん一刻というジャンル」はできませんでした。 そんな中で「イエスタデイをうたって」はこのジャンルというに値するかもしれません。 誰もそうは思わないかも知れませんけどね。

 「冬目 景の最高傑作は何か?」って聞かれたら間違いなく「ももんち」でしょう。 冬目さんは見たまんまなキャラを描く能力に長けているんだから、明るいテイストの可愛いらしいマンガを作風にすればいいのにって思います。「イエスタデイをうたって」のハルも「ももんち」に通じる部分が魅力なんですよね。 

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