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2015-02

愛情がどこにもない - 2015.02.07 Sat

NHK BS のアニメ 「 山賊の娘 ローニャ 」の15話と16話 「 はてしない争い 前後編 」です。

 『 難しいテーマを扱った原作を、無理やり映像化しようと試みるよりも、子どもたちに向けた作品をきちんとやるべきではないかと思ったのです。  僕もテレビで育った人間で、その自分が子どもだった時に観たようなものを、今度は大人になった自分が今の子どもたちに向かって作るべきだと思ったのです。』
宮崎吾朗監督のコメント (NHK オフィシャルサイトより)
今回取り上げる「 山賊の娘 ローニャ 」は14年の11月に「 木を描いて森を描けず 」という記事として日記に書きました。 作品のクオリティーについてはこっちの記事で散々書きました。 話数も半分を超えたようですが、何も改善されていませんのでそっちの記事を参照して下さいさせ。
この作品を毎週観てる方が多いとは思えないので、NHKのHPからあらすじを抜粋してみます。
( 無理に読まなくても構いません )

 森に囲まれた山の頂にある廃墟と化した城を根城にしているのがマッティス山賊
 彼らは谷間を通りかかる商人たちを襲っては生計を立てていた
 鳥女が叫ぶ嵐の夜、激しい雷が落ちて城が真っ二つになってしまう
 そんな大変な夜マッティスに一人娘ローニャが生まれた
 ローニャは自分の力で、また父や母の助けを借りながら、徐々に森で生きるすべを学んでいく
 そしてある日、ローニャは、ビルクという名の少年と出会う
 ビルクはマッティスが対立するボルカ山賊の息子で、裂けた城の反対側へ引っ越してきたのだった
 ローニャとビルクはいつしかお互いを「きょうだい」と呼ぶほどに仲良くなっていく・・・

アニメの大半はローニャが無意味に森を駆けずり廻るという“退屈な展開”なんですが、ストーリーのベースはマッティス山賊とボルカ山賊のいがみ合いです。 いがみ合いといってもお互いの頭(かしら)同士が犬猿の仲で「 仲良く喧嘩しな 」のトムとジェリーものかと思っていました。 しかしこの作品の山賊たちは心の底からお互いを憎み合っているようです。 その本気で闘っているのを表してるのが、今回取り上げる15話、16話のストーリーです。

 

 この作品がオンエアされる直前に「 宮崎吾朗監督に密着取材 山賊の娘ローニャのすべて 」みたいな番宣番組を観ました。 新番組アニメのメイキングなんですが、そこで吾朗クンが一番熱く語り物語りのキモに上げていたのが15話、16話の「 はてしない争い 前後編 」でした。 この回のエピソードがこの作品の見せ場というか一番苦心してコンテを切ったところと語っていました。 
前回の日記の通り「 山賊の娘ローニャ 」というアニメはまったく面白いと感じられず、しかも今後面白くなるような技術的な改善もまったく期待できない作品です。 多くの方々が1話で切ったように自分も観る必然が見出せないのですが、唯一の意味はこの番宣での吾朗クンのくせに不敵な自信の根拠を確認したかったのでしょう。 

「 はてしない争い 前後編 」のあらすじです。 
15話
ボルカ山賊との争いで矢をくらったストゥルカス(マッティスの子分)がひどい怪我をしてしまう。 日に日にボルカとマッティスの対立は激しさを増し、ローニャとビルクは不安を隠せずにいた。 
そんなある日、森で過ごしたローニャが城に帰るとそこには…
ボルカの子供のビルクがマッティスに捕まり、大人全員によって顔が変わるほどボコ殴りにされる。
顔面を腫らしたビルクを人質にしてボルカ山賊との交渉に・・・
16話
城の大きな裂け目「地獄の口」でにらみ合うマッティス山賊とボルカ山賊たち。 
マッティスの側にはひもで縛られたビルクの姿があった。 
子供を人質にとりボルカ山賊が城から退去するように脅迫するマッティス。 
退去するまで人質のビルクへの虐待を止めないと宣言。

息子をいますぐ返すように求めるボルカに、マッティスはなかなか首を縦にふろうとしない。
その時ローニャが相手陣地へ飛び移り、自らボルカ側の人質になりマッティスは捕虜交換に応じる。
しかしマッティスは自分に逆らったローニャへ「 オレには子供はいない 」と叫ぶ・・・

なんだかアニメを観ていない人にはあらすじばっかりで申し訳ないです。 ざっくり説明すると『 宿敵のボルカ山賊一家の一人息子ビルク(10歳)をマッティス山賊が拉致って、大人たちがリンチにして縛り上げ、人質交渉したがローニャが裏切って敵側の捕虜になり交渉決裂、裏切り者のローニャを父親(マッティス)は勘当する・・・ 』って感じです。
人質交渉っていうとテロ組織「 自称イスラム国 」の邦人人質殺害事件を連想しちゃいますが、16話のオンエアが1月17日 で安倍首相がエジプトで2億ドル支援を表明した日です。 そして1月20日から悪夢のような人質事件が始まります。 このオンエアが20日より後だったとしたらNHKはこの回を放送できただろういか?っていう気がします。 別に放送が不謹慎だとかクレームをつけるつもりもありません。 ただ、タイミングがあまりにも微妙だったとは思いました。

 自分がここまでこの作品を観続けてきた理由は吾朗クンのアニメにかける本気度が観たかったからです。 彼は宿命的な親子問題を抱えています。 アニメ界の巨匠、宮崎駿の息子という宿命です。 彼はアニメファンや周りが思う以上に父親の存在がコンプレックスになっているようです。 1作目の ゲド も2作目 ココリコ もヘンに父親が登場します。 ゲド ではいきなり父親を殺しちゃって一般のジブリファンも「 あれっ?」って思わせました。 今回も番宣時で「 初めてローニャが父親に“はむかう”とか“親離れ”みたいなイメージで説明されていました。 実際にローニャが家でするきっかけになった回で、ストーリー全体のターニングポイントになっています。
先程のあらすじの中の太字の部分だけを取り上げると、そーとうゲスな内容だって言うことが解ると思います。 世に低俗なアニメとかクズアニメとか名だたる駄作アニメは多いです。 しかし大半は作り手がワザと(悪意を持って?)そーいうダークさを狙ってるか、技術的にも資本的にもいっぱいいっぱいで駄作しか作れないかのどっちかです。 しかし「 ローニャ」の場合は資金も体制もできていて、作者の吾朗クンもいいお話を作る気満々なのにゲスな作品になっちゃいました。
どうしてゲスアニメか?っていうと「 大人が子供を殴るような暴力シーンのアニメを子供に見せちゃいけない 」からです。 今回の暴力シーンは捕まって殴られるビルクには何の非もなく、ただ山賊一家同士の確執のために人質にするために捕虜として拉致されました。 それを拷問(暴行)し取引の材料にするという愚行は中東の自称なんたら国とやってることが変わりません。 
そーいう社会問題よりも今現実に親からの暴力を受けてる児童が沢山いるという現実のほうが心配です。 それまでの娘を溺愛すぎるバカ親っぷりにも問題がありましたが、子供を袋だたきにする大人たちには恐怖しかありませんでした。 14話までの内容が薄かった分だけ15話の暴力がきわだっていました。 山賊の世界では相手の子供を殺すことも当たり前のことなのか? スエーデンの童話では普通のことなのか? 原作に忠実にアニメ化すると宣言した吾朗クンにとっては達成感はあってもやっちゃった感はないようです。 ゲドでいきなり父親を殺してびっくりさせたように、今回もファザコンが極端なカタチで表れたみたいですね。

 リンチのシーンも怖いんですが、マッティス以下子分たちの相手への憎しみや蔑視のセリフが聞くに堪えられない暴言です。 じつはアニメの技量の話では暴力シーンよりもこっちのい暴言のほうが根深い問題です。 荒くれ者たちを表現したいんでしょうが、彼らのセリフにユーモアがまったくありません。 落語の世界で商売がたきを罵るようなユーモアがあればもっと楽しいアニメになるんでしょうが、彼らはまるで交戦中の隣国を罵倒するようなセリフしか吐きません。
この作品で異彩を放っているキャラクターはローニャのお母さんなんですが、 今回の暴力シーンに対しては見ていながら止めるワケでも助けるワケでもなく、薄い目で眺めていました。 てっきり「 あんたら何バカやってるのよ! 子供を人質になんでダメに決まってるでしょ!」ってマッティスらをひっぱたくと思いました。 人質交渉で対峙している時、お母さんも列に並んでいて「 あんたはそれでも人の親か?」って感じでした。 
吾朗クンの作中から流れ出る父親への憎悪はともかく母親も許してないのかな?ってことなのかな? この作品のお母さんは宮崎駿さんが描く「 いつものお母さん像 」とキャラ・デザインはそっくりですが中身はまったくの別物です。 それは宮崎駿さんのマザコンが絶対女神なのに対して、吾朗クンのマザコンはやっぱり障壁としての母親なのかも・・・ ソコまで考える必要もないんですけどね。

 こーいう暴力や問題シーンのアニメを批判すると必ず批判を批判する意見がでてきます。 多くの意見は表現の自由か負の表現の必要性です。 しかし、多くの議論はアニメを観たオレの意見になりがちです。 子供が観るものだからオレがどう感じたのかはあまり関係ありません。 そこら辺が難しいところなんでしょう。 今回の作品は制作にあたって吾朗クンが『 子どもたちに向けた作品をきちんとやるべきではないかと思ったのです 』って言っています。 子供に向けた作品って山賊の厳しい殺し合いなのか? 自分のボーイフレンドをボコ殴りにする父親との決別なのか? アニメで子供に見せなきゃいけないのは愛情でしょう。 この作品を誰もが見放した原因は毎週観ていても愛情がどこにもないことです。 あるのは原作にかかれている薄っぺらなエピソードだけです。 
きちんと描かなきゃいけないのは、フェアな論理のストーリーです。 子供向けの作品で一番必要なのは「 何故そーいう行動やセリフになるのかの明確な説明 」です。 極端な行動よりも当然の行動を丁寧に積み上げることで、お話を作り上げるべきです。 悪さしたらしかる、良いおこないは誉める、楽しけりゃ笑う、悲しい時は泣く・・・ 奇をてらった行動は作品論的なのかも知れませんが、観ている子供たちは作品論を語りません。

 「 山賊の娘 ローニャ 」が宮崎駿作品だったら吾朗作品とどこが違ったでしょう? それはローニャが家事全般を担当していただろうってところです。 それは宮崎駿さんが優等生のサツキ・ラブだからではなく、「 こーいうコミュニティーでは子供も労働しているハズだ 」って言いそうですよね。 18話に出てくる水くみなんかは城の中ではローニャがやるべき仕事だったんじゃないのかな? お母さんに家事全般をちゃんとしごかれていたら、家出したときに「 ローニャが何でも出来てビルクが惚れ直す 」っていう少女マンガ展開になったのに。 野生のサルみたいに思ってた女の子が家庭科全般をこなすと、男の子もギャップ萌えでイチコロっすよ。

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