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2015-01

すべては許される? - 2015.01.17 Sat

フランスの風刺マンガ新聞「 シャルリー・エブド 」襲撃テロ事件です。
 
 事件の顛末についてはネットやテレビなどで詳しく伝えられています。 シャルリーは英語読みだと“チャーリー”のことで、チャーリーブラウンのことを指しています。 エブドは“週刊の~”という意味なので、日本読みだと“週刊 チャーリーブラウン”という意味です。 チャーリーブラウンはマンガ「 ピーナッツ 」の主人公で、スヌーピーの飼い主での理屈っぽいセリフが特徴のさえない男の子です。 問題のシャルリー・エブドの表紙の一発マンガはニュース映像でおなじみになったと思いますが、新聞の中身を見たことがあるでしょうか? いかにもスヌーピーに影響を受けたって感じのマンガが載っています。 日本には風刺マンガ新聞なんて聞いたことがありませんが、明治時代ころには自由民権とともに存在していたらしいです。 現代では植田まさしさんややくみつるさん系のおっさん4コマ誌にイメージが近いかもしれません。
そもそも時事ネタが「 らいかの日記 」に似つかわしくないのですが、マンガ家が事件の中心ということもあってなるべくマンガとしてのシャルリー・エブド事件を考えてみたいと思います。  

 今回の事件は文化や宗教観の違いから、日本人にはピンとこない部分が多いようです。 日本人にとってのイスラム教は身近に感じる文化というよりも国際問題に出てくるディテールの一つっていう認識が大半だと思います。 知り合いにイスラム教徒の方もいませんし、日本の町並みではモスクもあまり見かけません。 自宅から数百メートルの所にカトリックの教会はありますけどね。 今回の事件に限らず自爆テロなどイスラム関連の事件や中東の政情不安にニュースの度に「 コレは本当のイスラムの教えじゃない 」とか「ほとんどのイスラム教徒も怒ってる 」とかのコメントを聞きます。 ちゃんとしたイスラム圏の文化や風習、宗教観を理解しなきゃいけないようですが、それって異教徒の側が勉強しなきゃいけない問題なのか?って疑問もあります。 自分は宗教的には真言宗の檀家なので毎年8月にお寺から“なんちゃら代”を強制的?に納めさせられています。 直接に対峙してるのは欧米のキリスト教だと思いますが、理屈だけで言えばお互いの異教徒を理解することは信仰に反する行為そのものだと言えるはずです。 だから「 イスラム文化を理解すると 」いう言い方自体がいかにも外野にいる日本人的な言い方かもしれませんね。

 対するフランスの風刺マンガですが、彼らの言うには「 風刺画はフランスの文化であり、表現の自由は共和国の基本理念 」との一点張り。 イスラムの教えを異教徒に理解しろというのも乱暴なのですが、フランスの主張する民主主義もフランス人や西側諸国が勝手に始めたイデオロギーに過ぎません。 しかし、キリスト教徒が預言者ムハンマドに配慮するのもおかしな話です。 イスラムの教えに配慮しなかったマンガ家が殺されたけど、テロ実行犯は「 相手の言論の自由を奪ってやった 」っていう目的ではなかったと思います。 
あくまでも喧嘩を売ったのはシャルリー・エブドです。 しかも、かなりねちっこく。 相手を怒らせて儲けるというビジネスだったのでしょうが怒ったテロリストは強烈な攻撃を仕掛けてきました。 コトが始まっちゃったらフランス政府も西側諸国も引くに引けません。 襲撃の犠牲者の追悼の抗議デモに370万人が集まりました。 しかしフランス全土には500万人のイスラム教徒がいます。 フランス軍は1万人体制で「 やってやるぜ!」という気運ですが、世界には15億人のイスラム教徒がいるようです。 この人たちは世の中を平和にするという概念がないようですね。
発端になったシャルリー・エブドは懲りるどころかムハンマドを描くというタブー破りの新刊を発行。 テロには屈しないというのが欧米諸国の一致した方針のようですが、これが表現の自由を守る戦いなのでしたら違和感がありますよね。 そもそも風刺画って自由な表現の範疇なんでしょうか? 

 風刺マンガは「 フランス革命時代からの文化 」というコトを力説してる評論家がいてちょっと面白かったです。 あんたはフランスのマンガ史を研究してるのか?って感じでした。 最初の風刺マンガが活躍したのはルソーがいたころです。 この時代は江戸時代なので鳥獣戯画や浮世絵など日本の風刺(浮き世)マンガもがんばっていました。 17世紀から続く風刺画を継承しているのは伝統文化かも知れませんが、現代社会を表す方法としてその“古典的な手法”を続けるコトに効果があるのか?っていう素朴な疑問があります。 単純に「 そのマンガって面白いのか?」ってことです。 
今回の新聞社で殺された人は47歳の編集長でマンガ家のシャルブ氏ほか4人のスタッフ、76歳のマンガ家のジョルジュ・ウォランスキ氏、カビュ氏、74歳のマンガ家のフィリップ・オノレ氏と57歳のマンガ家のティニュー氏。 あと警官2名とビルのスタッフ1名でした。 殺されたマンガ家がそろって高齢というところが引っかかりますよね。 テロ実行犯は後先を考えていない凶行なのですが、マンガを描いてる方も後先を考えているのか疑問です。 日本で置き換えると「 石原慎太郎氏に何言っても通じない 」って感じかな? 尖閣諸島を東京都が購入するって言い出した石原都知事の「 コトの善悪や道理は別としてまったく他人の意見を聞かないで行動するサマ 」がこのマンガ家の爺さんたちと重なります。
 

 1970年の創刊で廃刊時期を挟みながら風刺新聞を書き続けてきたんだろうけど、風刺マンガという手法が現代のネット社会では通用しないのではないでしょうか? もともと風刺(悪口)というモノは対象の相手に浴びせるものじゃなくて、同じ不平不満を持つ者同士で憂さ晴らしするためのモノです。 何故ならば購読者は全員「そのユーモアという誹謗に傷つかない立場の人 」だからです。 人々を扇動するのには使えそうですが、対象の相手を悔い改めさせるようなチカラはみじんもありません。 社会がヘンな方向に向かうコトの潤滑の役目にはなっちゃいますけどね。 風刺マンガ家がいうもう一つの詭弁に「 問題提起をする 」という言い訳があります。 これは嘘っぱちもいいとこで風刺マンガというのは読者のみんなが共通に知ってる話題でしか成り立たないマンガです。 だって社会風刺なんだから・・・

 インテリジェンスの専門家で外務省ウオッチャーの佐藤 優さんがラジオで発言していましたが、今回の新聞社襲撃事件でテロリストの目的は「 西側諸国への宣戦布告であって言論への攻撃の意図はなかった 」という見解でした。 要するに報道機関の新聞記者と警察官を殺せば目的達成だったようです。 何故シャルリー・エブドが狙われたのかというのは佐藤さん曰く「 大手メジャー新聞社に比べてセキュリティーが甘かったから 」とのこと。 そうすると言論の自由のためにこの事件でデモに参加すると不必要に感情が吹き上がっちゃうような懸念があります。 もうすでにイスラムチームも各地で抗議デモで石とか投げまくってます。 デモや市民運動を民主主義の根幹と信じ、市民と当然の権利と主張する考えの方も多くいます。 「 デモ=市民の問題意識の高さ 」みたいなとらえ方ですね。 石を投げる人々も民主主義の行使なのか?

 この事件で多くの方々が思い出したのは「 ビートたけしのフライデー襲撃事件 」でしょう。 普通は思い出さないかも? この事件では今回の風刺新聞社と同じく出版社という言論への暴力でした。 でも今思い出せる記憶では「 フライデーが悪い 」って世論の感情が大半でした。 当時のたけしさんはまだイロモノ色が強く「 世界の北野武 」ってほどじゃなく、テレビで一番人気のあるお笑い芸人って感じでした。 それでも報道の暴力と襲撃の暴力を秤にかけて世間は正確なジャッジをしていたと思います。 その後、写真週刊誌は一時期の暴虐ぶりが失われていき、今では「 芸能人が写真を撮られた 」って聞くと、誰もがフライデーよりも文春や新潮をイメージします。
例えば東スポがどこぞの将軍サマの悪口を一面に載せて、それが原因でミサイルだ何だって事態になったらたまらないでしょう。 東スポの与太記事のために国際問題を発生させるわけにはいきません。 東スポに記事の言論の自由まで保障する必要があるのか? あるんですけどね・・・

 将軍サマ関連でいえばソニーピクチャーの北朝鮮を“風刺した映画”の「 インタビュー 」が将軍サマのお怒りのため上映中止になり、今度は大統領サマが中止にお怒りになったために再上映になりました。 この時も表現の自由が吹き上がるエネルギーだったのですが、映画評論家の町山さんに言わせると「 議論の必要もないお下劣クソ映画 」だそうです。 昔から下品なB級映画を低予算で撮ってる監督らしくて、ソニーの重役たちも公開する価値ナシって決めていたらしいです。 でも別のトコで話題になっちゃったからソニーも困っちゃったみたいですね。 怒られて(攻撃されて)まで公開する価値がなかったからお蔵入りさせたのに、「 言論に自由が暴力に屈した 」って騒ぐから。 たとえ映画館が爆破され観客に犠牲者が出るようなことになっても、この映画を観ることの意義があるならかまわないけどね。

 批判ついでにサザンオールスターズも年末に勲章とちょびひげ問題でみんなから怒られていました。 ここでも桑田さんは表現の自由を行使しましたが、世論の感情はそれを自由な表現方法と認めてくれませんでした。 自分はネットで映像をちょこ見しただけですすが、右の人や左の人や思想やイデオロギーの介入を嫌う音楽ファンなどの全てを失望させちゃったようです。 自分にとっては2枚組アルバム「 KAMAKURA 」がサザンの楽曲の完成形で、それ以降の作品や活動は人気のばら売りだと思っていました。 前期のサザンファンには「 まだそんなことしてるの?」って感じだろうけど、後期のサザンのファンを表明していた文化人たちは困惑してます。
映像を観ていて気がついたのは得意になって歌ってる桑田さんの顔がとても下品な顔に見えるってことです。 元々の顔が・・・っていうのもありますが、意地悪な言動や皮肉を言っている人の顔は押し並べて下品です。 池上 彰さんの人気の秘訣は辛辣な発言を上品な言い方で言えることなのでしょう。 相手の感情を逆なでさせることで自分の攻撃が勝ったって思う人たちにとっては、その風刺画や週刊誌の記事や映画や歌がどれだけ下品で低レベルなのかについては関心がない印象です。
すべては許される・・・許されるワケはありません。 守る必要があるのは言論よりも品性です。

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