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2014-11

木を描いて森が描けず - 2014.11.15 Sat

NHK BSアニメ 「 山賊の娘 ローニャ 」 です。

 このアニメはジブリを追い出された?宮崎吾朗 監督の初のテレビアニメシリーズです。 修行で外の飯を食うハズなのに鈴木Pやジブリの臭いがいっぱいです。 吾朗クンが今度こそ独り立ちできるのか?とか、全てをセル・ルック 3D アニメ として制作されるとか注目された作品のようです。 ゲド以来、負け続けの吾朗クンにNHKが2クール(半年分)の予算をつぎ込み、まさに失敗の許されない状況でスタートした新作アニメです。
どんなに引っ張っても結果は変わらないのでサクサク書きますが、ほとんどの人が酷評しています。 NHK BS のオンエアなので観てる人が限られてるかもしれませんが、こんなに怒られてる作品も珍しいです。 たまに「 言うほどつまらなくないけど・・・」とか「 子供が喜んでみてるから・・・」くらいのコメントも見かけましたが、積極的に「 毎週見るのが楽しみ 」って感じの意見はありませんでした。 自分はとりあえず見続けてるんですが「 ちょっとビックリするくらいつまらないアニメ 」って感想です。 面白さには個人差や温度差があるってよく言いますが、作り手たる者は普遍的な面白さを見つけられなきゃプロではありません。 この作品を観た人たちのほとんどが面白くないってコメントしているのだから“普遍的につまらない”のでしょうね。

 原作の「 山賊のむすめ ローニャ 」はスウェーデンのリンドグレーンという女流作家の児童文学です。 リンドグレーンさんの作品で有名なのは「 長くつ下のピッピ 」ですね。 ♪ な~がくつ下のぉ~ピッピって、知ってるかい?って歌が頭にこびりついてますよね。 どんなお話なのかは知らないんだけど・・・ ピッピは父親の宮崎 駿さんがアニメ化しようとして挫折した作品です。 今回は息子の吾朗クンがローニャでリベンジすることになりました。 ゲドのときと同じ構図ですが、大丈夫なんでしょうか? 山賊の娘という設定通りに、このお話は山賊のマッティス一家とライバルのポルカ一家の抗争や、鳥女や小人と闘う?お話のようです。 
NHKゆえに「 未来少年コナン 」に迫れるのか?とか、児童文学ゆえに「 ハイジ 」を超えるのか?と期待するのは無理な話です。 なにしろ吾朗クンだから・・・ それはゲドやココリコで経験済みですよね。 原作は世界的に著名な児童文学、キャラ・デザインや背景はジブリから抜擢、フルCGアニメで作画の品質は一定、予算はNHK、宮崎 駿 (父)の監視もない・・・ 吾朗クンにとっては完璧な体制です。 ついでにお気に入りの手嶌 葵さんが主題歌を歌うんでもうデレデレでしょう。 現在のアニメ業界の構造不況の中でこれだけの体制で始めて、どこが不評なのでしょうか? 答えは何もかもです。

 批評の中で大きく分類すると次の3点になります。

1  ストーリーが無い つまらない テンポが悪い 観ていて退屈  
2  CGアニメーションがヒドい キャラが可愛くない 演技が学芸会っぽい
3  テーマや内容が希薄 山賊という設定が疑問 

1 は絵コンテや脚本への不満。 2 は作画や声優への不満。 3 はそもそもこの原作が面白い話なのか? 
この作品で一番目立った意見は「 1 話の内容って5 分もあれば十分に表現できるだろ 」っていう指摘です。 ようするにテンポが悪いんですよね。 このテンポの悪さは一般のテレビアニメではちょっと観たことがないくらいダラダラしています。 普通のアニメは1クールしかないので、ちょっと駆け足気味になっちゃう傾向なんでしょうが、吾朗クンの演出は「 よく言えば丁寧な描写 」悪く言えば「 時間稼ぎ 」って感じです。 多くの視聴者は丁寧な描写とは受け取って貰えなかったようですね。 時間稼ぎを思わせるのは主にマッティス父ちゃんの「 ひとり芝居で叫ぶシーン 」と「 ローニャの無駄に活発で走ったり飛んだりのシーン 」 ついでにローニャのヘンなツボで「 ひゃははは 」って笑い出すのもイラってします。 むしろローニャの声全般がイラっとするんですけどね。 
テンポの問題は吾朗クンの責任なんだけど、その原因は「 ゲド戦記 」にあるんだと思います。 ゲドは吾朗クンの初監督作品だったので、ちょっと我を見失っていたようでした。 そのため原作とはかけ離れた解釈が度を超してしまい、原作者や世界中のゲドファンの反感を買ってしまったという苦い経験があります。 いかにも原作を敬愛してるようなポーズを取りながら、原作にまったく思い入れが無かったことがバレてしまったんですよね。 

 そもそもゲドにこだわっていたのは父親のほうだったんだから、吾朗クンも興味が無いのなら断れよってことです。 リンドグレーンさんの童話に執着していたのも父親であって、推察するに吾朗クンは児童文学にはまったく関心がないんだと思います。 根拠は薄いんですが彼が建築の道へ進んだ経歴があるからです。 建築に求められるのはファンタジーとは真逆の理数の世界です。 ザハ・ハディドさんのようなファンタジーな建築家いますけど。 吾朗クンが建築に進んだのは父親のファンタジーから逃げるためだったんだと思います。 ファンタジー作家とはもっとも対極の道を選んだんじゃないのかな? 今回もたぶん鈴木 P がリンドグレーンさんのネタを用意したんだと思います。 根本的に吾朗クンには「 アニメで表現したい作品 」とか「 暖めている構想 」なるモノがあるわけではありません。 だから彼は言い訳がましい発言が多いんでしょう。 
テンポの悪さに戻りますと、吾朗クンが「 ローニャ 」で強く宣言しているのは『 このアニメは原作に忠実に作ります 』ということ。 ここに原作に忠実じゃなかったゲドの教訓が生きています。 原作者は2002年に亡くなられていますが、原作本は世界100ヶ国以上で読まれているベストセラーです。 もし訴えられたら日本とスウェーデンの間で国際問題を起こした初めての事例になっちゃいます。 原作に何も加えないという方針だけど、NHKが用意した尺は2クール(半年分)でした。 何も足さないんだから途中で原作のエピソードが底をついちゃう危険があります。 そこで彼が選んだのは「 30分かけて森を走り回ろう 」という情けない作戦でした。 だいたい児童小説なんだから湊かなえさんのようなたたみ掛ける展開や、司馬遼太郎さんのような大河なドラマのワケがありません。 だって子供が読むんだからね。 マッティスが同じことばっかりを繰り返ししゃべるのも手下たちが笑わせるようなセリフをしゃべらないのも、原作の小説に書かれていないからなんでしょう。 番組の長さが6 話(半クール)だったら原作の「 山賊の娘 ローニャ 」を忠実に再現できただろうし、2 時間アニメだったらもっとテンポがよくなるから観ていて飽きることはなくなることでしょう。

 2 はフルCG アニメーションに対する違和感やキャラデザインが昔のアニメっぽいことへの批判です。 この作品に採用されているセル・ルック CG アニメとは「 昔ながらのセル画のように見える CG 」です。 アニメーションの専門家によると技術的なアレコレがあるようですが、大まかに言えばコスト削減と動画描写の安定が望めるようです。 以前はオプチ効果の延長だったCG表現も、今では人件費を抑える効果があるようですね。
専門家?によると手描きアニメとCGアニメとではそれぞれに得手、不得手があるらしいです。 CGアニメの動かし方の欠点を指摘する声やセルアニメのほうが断然いいという声が多いです。 自分は画面が平べったい手描きアニメよりも空間の表現が安定しているCGのほうが見やすくてイイと思います。 表現方法の好みにもよるんですが、セル画でセル・ルックCGよりも高いクオリティーを出してる作品のほうが少ないですし。 何よりも描き手の技量に左右されないのは画期的だと思います。 その分、高い技量の原画の超絶動画などはなくなっちゃうんですが・・・
多くの人たちは「 アナと雪の女王 」でフル CG アニメの凄さを知ってしまいました。 それまでの CG アニメといえば「 トイストーリー 」や「 カーズ 」のようなピクサーが作る「 いかにも CG 」という作品が主流でした。 「 アナ雪 」はCG を見せるコトよりもアニメ(作品)を見せる時代になりました。 こっちはディズニーがCG会社も配給も全部買い集めた技術を結集した大作(予算的にも)です。 「 アナ雪 」にくらべて「 ローニャ 」は・・・って思うほうが間違いなんでしょう。 CG アニメは一般に予算と品質が正比例するんだと思います。 それを踏まえても「 ローニャ 」は絵が描けないアニメーターの手描きアニメよりはクオリティーが高い作品だと思います。

 CG のプログラミングのレベルの話は自分には無理ですが、普通にアニメを観ていて「 コレは違うなぁ・・・」って思うシーンがこの作品にはたくさんあります。 「 ローニャ役の声優の声がイヤ 」っとか吾朗クンに言ってもしょうがないコトも多いです。 声優の人選は監督の任命責任という言い方もできますが、必ずしも監督の希望(都合)通りのキャスティングができるワケじゃないのも理解できます。 大人たちの金銭問題が発生する「 業界の都合 」もあるんでしょう。 でも監督である吾朗クンがチェックすれば防げることも多いです。



この作品の制作過程を取材した特番で「 CG アニメはオペレーターがキャラの表情を一つず作っています 」って説明していました。 その番組中でどうも吾朗クンはCGに明るくないっていう感じでした。 監督の絵コンテをオペレーターの方がCG 化してるんですが、CG 担当の作った表情で吾朗クンが絵コンテを切ってるような感じがします。 セル画では1カットに3人いれば3人を一枚の絵として原画を描きますが、CGだと3人分のグラフィックを別々のフォルダで作ってフィールドに並べていきます。 これだと1カットにしたときにキャラが配置されてるだけのような違和感が出ちゃいます。 まさにテレビゲームの画面のようなカーソルが合ったときだけ反応するような。 象徴的なのはローニャがふんぞりながら「 ふん!」っていうシーン。 2 度繰り返すと「 あ~っこのカットは使い回しなんだ 」ってがっかりしちゃいます。 使い回しはセル画時代のほうが頻繁で当たり前の手法でした。 でもセルアニメは「 そーいうモンだから 」という暗黙のお約束があります。 そのお約束もどーかとおもうんですが・・・ しかしフル CG アニメにファンが期待しているのはそーいう安い作品じゃないと思います。 吾朗クン自身が公開前に「 CGアニメなんて・・・と言ってるアニメファンを見返してやる 」ようなことを発言してました。 しかし多くのファンは「 エンディングの設定画のようなタッチの手描きアニメだったらよかったのに 」って言っています。

 3 のテーマや内容が希薄というのは吾朗クン自身が「 誰かに何かを見せたい 」という意識が希薄だからだと思います。 先代の宮崎 駿さんは「 子供にはこーいうアニメを観せたい 」という意識が強すぎるくらいの監督でした。 むしろ「 こーいうのを観せなきゃダメなんだ 」って感じでした。 「 ココリコ 」でも思ったのはどのシーンを観て欲しいとかこのシーンのために作品を作ったっていう部分がないんですよね。 間違っていたんだろうけど「 ゲド 」にはたぶんソレがありました。 
特番中で印象深かったシーンは山賊のアジト(家)に使っているのが山岳地の城跡なんですが、そこで牛や豚などの家畜を育てています。 牛の放牧地の映像が水平に描かれていました。 監督の吾朗クンには山岳地なのに何で斜面じゃないのか?って疑問になり、ここを斜めにできないか?ってスタッフに聞いていました。 CGでは斜めっていうのが苦手らしく、作り直すと余計な手間とコストがかかるようでした。 ちょっとだけ考え込んだフリをした後「 やっぱり直してくれ 」って指示していました。 そのカットを観るとそんなに問題があるような絵には思えないし、牛さんたちにとっても水平のほうが住みやすいと思うんだけど・・・ もしかしたら牛と山羊を勘違いしてるのかな? 吾朗クンとしては取材が入ってるから監督らしい“こだわりや妥協しないオレ”を見せたかったんだろうけど、こだわるのはソコじゃないだろ感がいっぱいです。 
 セリフまわしでに違和感はドイツ語と日本語の文法の違いによる部分だと思います。 この問題は前回に日記で書いた日本のマンガと海外のマンガの相違点の問題と同じ課題です。 文法が違えば考え方の組み立ても違ってきます。 ソレを直訳的なセリフで喋らせても消化不良になっちゃいます。 これは日本マンガが海外で翻訳されるときにも問題になっています。  

 ちょっと話題になってるようなのがオープニングの歌です。 吾朗クンの異常なまでの手嶌 葵 推しで今回も手嶌さんが主題歌を歌っています。 ニコニコの総統閣下が『 手嶌 葵 を聴くとゲド戦記を思い出しちゃうんだよぉ 』て言っていました。 でも今回は妙に明るい手嶌さんです。 作曲は谷山浩子さんが担当しました。 谷山さんには白と黒があるけど、NHKということもあって白谷山浩子でした。  ちまたでは♪ さかな さかな さか~な の歌みたいとか、あのヘンな曲とか言われてるようです。 自分はとてもコロコロしたキャッチな曲で、子供が歌いたくなる曲だと思うんですけどね。

  

エンディングは夏木マリ 姐さんのジャギーな曲です。 夏木マリさんの特番も観たんですが、鳥女の役は夏木マリさんに演じてもらえばよかったのにって思いました。 まさに鳥女のイメージは夏木マリさんだろ!って感じです。 この曲もいいのですが、エンディング曲は谷山浩子さんの「 まっくら森の歌 」かよかったのに。 子供が泣き出しますよ。

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