topimage

2012-09

最近の西 炯子 その2 - 2012.09.08 Sat

『アップル社のスティーブ・ジョブズ氏逝去に際し「これから我々は彼のいない世界に生きていかなければならない」旨のコメントがあったが、私が過去にそれを感じたのは故・ナンシー関氏が亡くなった時である。』

これは「姉の結婚」の単行本の第2巻の表紙カバーの折り返しのところに書かれていた“作者のメッセージ”の文章です。

 「姉の結婚」は前回の日記で取り上げた「恋と軍艦」の「なかよし」とは違って、小学館の「月刊フラワーズ」という過去の「プチフラワー」と「別コミ」を合併させたような雑誌です。 安定したキャリアの作品が揃っているので「読める少女マンガ誌」と言えるでしょう。 ココで描いている西 炯子さんは「プチフラワー」が元々古巣だけあって「なかよし」に西 炯子?といった違和感がまったくありません。 お話は四十路近くになる独身の岩谷ヨリさんは「故郷の帰ってプチ老後」という“うだつがあがらない”理由で帰郷し地元の図書館の司書になる。 中学時代に「ホワイト・ポーク」と呼ばれていたいじめられっ子がイケメンになって再会。 ストーカーのように強引に付きまとわれ愛人契約を結ぶ。 ホテルで会ってホテルで別れ・・・という「なかよし」では完全にアウトな展開です。 お口ですますという子供にはハードルの高い技も使っていますし。(もしかしたらアウトじゃないのかも?)

姉の結婚

 前作の「娚の一生」は30代の女性が主人公で今回が40代女性です。 前回のお相手は初老の(50代)大学教授。 今回が同い年(40代)の精神科医。 年増の女性がインテリ+イケメンの男にころっといっちゃうドラマです。 アカデミックなキャラもなんとなく西 炯子さんの得意な感じですね。 教授とか医者とか司書とか作家とか・・・・・
前回の日記で取り上げた「恋と軍艦」は主人公が中学生なので、登場人物も意図的にお子様っぽく描かれています。 でもお子様じゃない読者(西 炯子ファン)が違和感無く読めるのは、彼女らが高校生でも大学性でもOL1年生でも同じお話になるってところでしょう。 同じこおとが「姉の結婚」にも当てはまります。 
主人公が40代非モテ女という設定ですが、ちょっと前では20代後半のベテランOLが寿退社しそびれてお局様になりそう・・・って設定でした。 少女マンガの主人公は常に下級生であり新人であり、大人の女は恋でも仕事でも主人公に敵対する悪モノという扱いでした。 ましてや年増の主人公なんて・・・ しかし今までマンガを読んできた世代がアラサーやアラフォーになって、読者のほうが女子高生や新人OLに共感しにくくなってしまいました。 むしろ反感のほうが強いです。 描き手の側も30代~40代になっているので「自分たちの世代」をマンガにするのは都合がイイですよね。 高齢者向け?少女マンガブームは時代の流れでしょう。
ところが「姉の結婚」の主人公の岩谷ヨリさんですが、あんまりアラフォーに見えないんですよね。 顔に点々を入れてお肌の曲がり角をまわった描写や、ネガテヴでババくさいモノローグで年増感を出そうとしています。 でも、あんまり40才に見えないんですよ。 マンガの中で「貧乏貧乏・・・」っていうほど貧乏でなかったり、「ブスだブスだ・・・」って設定なのに可愛かったりします。 アラフォーのマイナス要素を全部持ってるといっった設定なのに「実は、仕事も出来てちゃんとおしゃれすれば見違えるようなイイ女」というクィーン・キャラです。 逢坂みえこさんや深谷かほるさんならどーんとマイナスな要素満載のアラフォーを描くんだろうけど。 前作の30代女子の主人公と今回の40代女子がどう違うのかも解りにくいです。 違わなくてもかまわないんですが、そーすると「アラフォー押し」の意味が無くなっちゃうし。

 西 炯子さんのマンガは引き出しの多さと意外性のある設定、極めて趣味に走った演出が魅力の人気マンガ家さんです。 自分も面白いと思いますし最近は実力と実績と評価が一致してきたと思います。 でも西 炯子さんの作品を読んで「感動した」とか「イイ物語だったなぁ」とか思ったことはありおません。 「読んで良かった」とあまり思わせないタイプのマンガです。 「読まなきゃ良かった」って思うことは多々あります。(テーマがアレすぎて自分とジャンルが違いすぎたとか) 読者が心の底から泣いちゃうとか無心で笑うとかに興味がない作家なんだろうなって想像できます。 笑わすのは好きなようで、ナンセンス?4コマでは現在の主流の「萌え4コマ」の3倍~5倍はネタをつぎ込んでいます。 画力は10倍以上スゴイです。 面白ければイーじゃんと思うんですが「イイものを読ませてもらいました」という充実感はまったくありません。 どの作品を読んでも作者の本音に繋がる部分が見えないままです。 
「BLってこーでしょ?」「アラフォーはこーでしょ?」「ギャグのパターンはこんな感じ?」って言いながらマンガを描いてるのが透けて見えちゃってる印象です。 「全てのマンガは作者の熱いメッセージが伝わらなきゃいけない」などとは思っていません。 ただ何が言いたいのか解らないマンガが多いなかで、西 炯子さんのマンガは何も言いたいことがないんだなぁってことです。 例外として、大槻ケンヂさん(オーケン)原作で西 炯子さんが作画の「女王様ナナカ」が自分の中では一番「読んで良かった」と思えた作品です。 大槻ケンジさんの考えるキャラ設定がいつもの西 炯子節よりも素直な感じで読みやすいです。 マニアックな二人がコラボしてますが作品はタイトルほど偏った内容じゃありません。 もっとポルノチックなマンガをイメージして読んだ方には逆に拍子抜けかも。
椎名軽穂さんや矢沢あい さんなど巧妙な少女マンガを描くあざといマンガ家と言えなくもないですが、両者とも正統派の少女マンガを極めた方々です。 一般の少女マンガファンは誰も両先生のことをあざといとは言いません。 でも、西 炯子さんは読者に「西 炯子はあざといマンガ家だよな」って言われたいんだと思います。 ありきたりな少女マンガが好きな“ヌルい読者”を手玉に取るようなマニアックな世界観で「どうだ!」って言わんがばかりに。 初期作品に感じた「普通の少女マンガなんか描かないわよオーラ」が、人気マンガ家になった今でも出まくっているのがある意味スゴイです。 
「ちはやふる」などは読者を選ばないタイプの少女マンガですが、西 炯子さんの作品には「この人のマンガは苦手」という読者が一定数いるようです。 紙面の情報量が多いマンガが苦手な人や素直なストーリーが好きな人などには向かないタイプのマンガですね。 それらの読者の方々は西 炯子さんのサブカルっぽさが苦手なのかもしれません。 マニアックなモノに対する一般の読者のもつ嫌悪感は必ず存在します。 「ロボットアニメのあの動き」とか「妹キャラのあのセリフ」などといったマニアックなシーンは、時として普通のファンをしらけさせてしまいます。 せっかくのおっぱい祭な深夜アニメをなんでアニメファンが無視しているのでしょう? それはおっぱい祭だからです。 偏った嗜好が万人に向くわけがないんでしょうね。 
あれだけあざとくマンガが描けるのに大衆に迎合することなくヒット作を出せるのはスゴイです。 自分自身は一般ウケしようがマニア向けだろうがどっちでもいいんですけど。 

 そんな西 炯子さんは何を目指しているのでしょうか? 
2011年に「生きても生きても」という西 炯子さんのエッセイ集が出ています。 マンガと同じ装丁なので自分はてっきり短編マンガと勘違いしていて、中身が文章でアレ?って思った本です。 いろんなところで書いたエッセイを集めた本なんですが、ここに西 炯子さんが何になりたいのかの答えを見つけるヒントがあります。 この本全体がナンシー関さんの本にそっくりなんです。 ご丁寧に「消しゴム版画」と同じようなイラストまで添えて。 文章もテーマもナンシー関さんが書きそうなテレビネタや伊東四朗ネタなど。 それはパクリや便乗というよりも、ミュージシャンが好きすぎてトリビュートアルバムを勝手に出してしまうのに似ています。 そこで冒頭の『アップル社の・・・』の文章につながります。 ああ、この人はナンシー関になりたいんだ。
今なおサブカル界ではナンシー関さんのポジションは空位のままです。 彼女の偉業に匹敵する人材はなかなか現れるもんじゃありません。 「ナンシー関」というジャンルと考えるべきものです。 そんなモンになろうっていう人も珍しいです。
したがって「モノの面白がり方」がとてもナンシー的で一連の4コママンガ等にその傾向が色濃く反映しています。 だから西 炯子さんは羽海野チカさんのような「いい人っぽいマンガ家」のイメージが邪魔なんでしょうね。 斜めに構えて皮肉まじりに巧いことを言うポジションを模索しているのかもしれません。 このナンシー関の魂が西 炯子さんの描くマンガのベースになってるんでしょう。

 もしナンシー関さんが生きていたら「ナンシー関なんかを世襲してどうするんだ?」ってきっと言うでしょうね。

「ほぉ」って思ったら押してね

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ