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2012-07

2012年の岡崎京子論 - 2012.07.22 Sun

岡崎京子さんの「ヘルタースケルター」です。

 先日、新作映画の記者会見に仮病を使って欠席した沢尻エリカ嬢が、その日はバッくれて夜遊びしてたのをすっぱ抜かれて“話題”になった「ヘルタースケルター」の原作のマンガのお話です。 映画版は演劇の蜷川さんの娘の蜷川実花さんで、土屋アンナさんが主演の「さくらん」以来2度目の監督作品です。 企画そのものが「沢尻エリカの復帰ありき」なのは明白ですね。 そう考えるとバッくれに対する「沢尻、反省ナシ」って感じの報道も、捨て身のプロモーションなのかもしれません。 そんな沢尻さんにとってコレしかないってくらいのはまり役なのが「ヘルタースケルター」の主人公りりこです。 蜷川監督自身は岡崎作品のファンだったようで「リバース。エッジ」の企画のほうが先にあったようです。 ただ芸能界と沢尻さんを取り巻く悪趣味な感じには「ヘルタースケルター」のほうが合っていたみたいです。 
この映画にも沢尻さんにもあんまり興味がないのですが、岡崎京子さんの近況が聞こえてきたのは嬉しいことです。 映画化の影響なのか岡崎京子さんの過去の作品の新装版や岡崎京子本などの関連本が出ているようです。 未刊作品集「森」も出てちょっとしたリバイバルブームのようです。

岡崎京子

 岡崎さんが活躍していたのは80~90年代前半なので、20代の方々には馴染みのないマンガ家だと思います。 ちょうど桜沢エリカさんや内田春菊さんなどといっしょに台頭してきたと記憶してます。 少女マンガ誌で描いてなかったので少女マンガ家というより女流マンガ家かな? したがってセックスも売春もドラックも描き放題です。 アンダーカルチャーをリアルに表現する作風はサブ・カルなどのマニアックを自称する読者層(主に男性で今のオタクの原型)と少女マンガよりも先に進んじゃった読者層(体験済みの女の子)に受け入れられました。 
あと岡崎さんがマンガ界にあたえた影響は、あんまり絵が得意でない人でもマンガ家になれるような気にさせたことかな? Gペンが使えなくてもミリペンで何とかなるかも?って思わせた功罪ですね。 多くのエセ岡崎京子、エセ桜沢エリカがいましたから。 南Q太さんなんかがその筆頭でしょうか?

 7月20日の読売新聞の文化面に「岡崎京子 輝き増す現代性」という特集が載っていました。 この日記もソレをきっかけに書いてるんですけどね。 輝きを増す現代性っていうフレーズに違和感があったから。 80年代頃から岡田斗司夫さん周辺で「なんとか論」やら作品とか作家の批評・分類が花盛りでした。 マンガ論がその作品が表現した内容にそっていればいいのですが、「その作品が映し出す現代社会は・・・」みたいな話になっちゃうとマンガを何だと思ってるんだ?って感じがします。 マンガにマンガ以上のことを期待するのはヘンです。 文化人類学とか社会学とかの教授や批評家でマンガに理解があるっぽい人で、理解しすぎて妙なことになってることが多いです。 宮台○○さんとか・・・
「ヘルタースケルター」について作家の中村うさぎさんが「美醜の問題は表現手段にすぎない。 女の子たちの同一化願望の対象となり、みんなの『欲望の器』になった主人公りりこが空虚さを感じ自我を獲得する姿を描いている」と評しています。 読売新聞の記者は「フェミニズムの洗礼を経て現在は、男女同権になれば自己実現を果たせば女性が幸せになれるとは簡単に言い切れない時代となった。 その中で『ヘルタースケルター』は女性の生き方を改めて問うているのではないか」とまとめています。 賢い人たちがマンガについて語ると大抵がこんな感じの文章になっちゃいます。 たぶん、「岡崎京子論」の書籍もこんな感じな批評なのも想像できます。 解釈は自由です。 この日記だってマンガについては言いたい放題ですし・・・ でも2012年作品の映画版と1995年連載のマンガ版を同じ時代背景で評論するのって安直な気がします。 マンガ版のほうは95年当時を背景にした作品なんだから。

 当時の自分にとっての岡崎京子さんの印象は「あんまり内容に興味がないマンガ家」って感じでした。 絵柄は女の子がイラストで描きそうな感じのポップ絵で、明確にストーリーを考えてはいないだろうって風な短編をつないだだけって感じ。 作品論というほどのテーマや時代の寵児というワケでもなく、ただ岡崎さんの生活エリアが彼女の作風の通りの生活だっただけなのでしょう。 一般の少女マンガ誌を経ていないので少女マンガ的な定石やルールにとらわれない岡崎ワールドが生まれたんだと思います。 桜沢エリカさんにも同じような印象がありました。 漠然とですが、付き合っていた男が金持ちボンボンなのが桜沢さんで貧乏男なのが岡崎さん、ろくでなし男なのが南Q太さんってイメージです。 イメージだけですけどね・・・
リアルに「遊んでいる少女」を自負している女の子の読者層に共感されて、男性読者からはセックスを普通に表現する新人類?女性作家と一目置かれました。 自分は「描きたいトコだけを描いてるだけのマンガ」っていう感想でした。 桜沢さんのほうがちょっとだけ読み応えがあったかもしれません。 80年代にはこーいうタイプのマンガ家がいっぱい現れました。 日本が高度成長からバブル経済へと変貌していった時代です。 この時代のネガティヴなストーリーは豊かさの余裕からくるものでした。 就職しない生き方が格好いいという時代です。 就職出来ないなんて誰も思っていない頃です。 世の中が明るいからこそ夜の部分が物語になりえる時代ですね。 
しかし、それだけでは風俗を表現していてもストーリーにはならないです。 桜沢さんのほうは「クラブで出会ったシャレオツな男とクスリを決めて一発」みたいなお話ですが、内容は普通の少女マンガの好きだ・嫌いだ・浮気だ・妊娠だ・・・と変わりません。 岡崎さんのほうが「ワニをカバンにしちゃう」とかマンガ的な面白さがありました。

 そんなバブルも終わり読者の気分も一新しちゃったので少女マンガのテーマも変わっていきました。 世の中が崩壊したのでマンガが世相を映すことがさらに無意味になっちゃいました。 「現代の若者像は・・・」みたいな作風じゃ誰も評価してくれません。 読者は主人公に具体的な物語を求めます。 当たり前のことなんですけどね。 桜沢さんはとっくにふつうのOL向けトレンディ風マンガを描いてました。 いつまでもクラブでクスリを吸ってるワケじゃないですしね。 そんな中で岡崎さんがだした答えが「ヘルタースケルター」でした。(やっとでた)
岡崎さんにしては意欲的なキャラ作りですし、ストーリー構成も考えていたと思います。 岡崎さん特有の行き当たりばったり感がないのでファンの中でも評価が高い作品だと思います。 実際に読んだのが事故からかなり経ってから出た本だったので過去形で読んでいたと思います。 率直に「最後にしてコレかぁ・・・」って思いました。 

 現在20代のマンガファンには95年のマンガなんか知るよしもありませんね。 映画化で興味を持ったのなら読んでみてもいいでしょう。 でもマンガはあくまでも当時のものであって、蜷川映画のピカピカした様式美をイメージするとギャップを感じることでしょう。 
岡崎さんの作品論にしても2000年以降に書かれたものが大半で、それは批評が書かれた時代での作品の評価にすぎません。 たとえば森鴎外の批評を平成に書いても作品を読んだ感想に過ぎません。 鴎外と同じ明治時代に批評しなきゃ時代性云々は判らないです。 
「ヘルタースケルター」は、あくまでも95年かそれ以前の時代をモチーフにした作品です。 その頃に読んだ評価がそのマンガの正しい評価です。 作品は作者がメッセージを込めて発表するものです。 そこから読み取れる内容がすべてで、理論武装してまで評価を足していくのはどうなんでしょう?  

 エセ岡崎の筆頭とか書いちゃった南Q太さんは、実は大好きなマンガ家さんのひとりです。 「この人は絶対来る」って思い続けてマンガを買い続けてました。 私生活がマンガに影響するタイプなのか、内容が乱高下していた印象ですが、最近はめっきり落ち着いた感じの将棋マンガを描いてます。 岡崎さんも本当なら今頃ほのぼの家族マンガなんかを描いていたのかもしれませんね。

(今回の日記はマンガ批評っぽくしてみました。)


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