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2017-02

谷口ジローさん死去 - 2017.02.19 Sun

「孤独のグルメ」などの作画で知られるマンガ家の谷口ジローさんが、2月11日病気のためお亡くなりになりました。

 「孤独のグルメ」は久住昌之さんの原作でウンチク・食レポ的な有名マンガです。どちらかといえば久住さんのことがあんまり得意ではないので、自分の個人の感想はあんまり面白くなかったです。でも世界中で翻訳されてるから評価は高いんでしょうけどね。「孤独のグルメ」と双璧となす久住さん原作の「花のズボラ飯」はほとんど読んでいません。80年代サブカル系+マンガっていう組み合わせが嫌いなんでしょう。何で「孤独のグルメ」がウケたかの要因に谷口ジローさんの描く主人公の五郎のキャラデザインがあります。『ハードボイルドな男に酒を語らせるように定食を語らせるギャップ』のおかしさでウケたんでしょう。久住さんやタモリ倶楽部系の人たちのくだらないことへ真面目に取り組む面白さっていうアレですが、そーいうのって「80年代まででもう結構」って感じです。
みうらじゅんさんなんかも無理してまで面白いことをしなくてもいいのにって気がします。今、みうらじゅんさんで一番面白いのはいとうせいこうさんと仏像を観に行く番組です。ミスマッチやギャップを笑うのではなく正面から仏像に向き合って唯一無二の仏像番組です。コレに勝てるのはNHKの「美の壺」くらいでしょう。

 故人の話から離れちゃってるので谷口ジローさんに戻します。「孤独のグルメ」はハードボイルドのパロディ的な意味合いで谷口ジローさんに作画の依頼があったんだと思います。それまでの作風と比べて「コレは谷口ジロー案件ではないどろ」って思ってました。ヒット作になったんだから当人は満足なんでしょうけど、同じく故人になった松方弘樹さんが武の番組にでるようになった時の違和感に近かったです。松方さんもノリノリでバラエティー番組に出ていたみたいですけどね。
谷口ジローさんのキャリアで代表作といえば「欅の木」とか「坊ちゃんの時代」だと思います。ぼんやりしてるのは自分が谷口ジロー作品をほとんど読んでないからです。読まなかった理由はつまんなそうなマンガだったからです。
谷口ジローさんを評するときに必ず出るのが画力の高さですね。谷口ジローさんもマンガの売り上げのイメージでは意外なほどの主要マンガ賞を受賞してますし、画集すら出版されています。マンガを芸術のひとつだと思い込んでいるフランス人からの評価も高いようです。マンガが写生大会だったら美大生にまじってもそこそこなレベルだと思います。でもマンガ絵としたらどうなの?っていうレベルなんじゃないかな?同時期にひたすら絵が上手いことで一世を風靡したマンガ家に大友克洋さんがいます。マンガを描く上で大友を模写(パクる)するというのがトレンドになった時代です。両者とも骨格からキャラを描くので「正しい人体」は描けるんですが、一世を風靡する絵と風靡しない絵にはどこに差があったんでしょう。マンガでいう上手な絵というのは正確な描写ではなくて的確な表情を描き分けることにあります。

 イラスト画家とマンガ家の大きな違いはイラストは求められる絵を描くことですが、マンガではストーリーの都合上出てくる絵はすべて描くということです。よく言われてきた投稿マンガでのアドバイスに「1作品で1コマだけでも読者を引きつけるカットを入れましょう」っていうのがあります。逆に言うのならば「ほかのコマでは読者を引きつけなくてもいいからストーリーを展開させる絵を描け」ってことです。キメ絵だけを頑張ってるマンガじゃダメなんですよね。大友克洋さんはイラストでもキャラに表情があるので著名な絵画よりも人々の目に入ってきます。そりゃ人気も出ますよね。
マンガの作画ではシチュエーションにあった表情が描けなきゃ高い評価はされません。マンガにおける絵が上手というのは誇張したり省略するセンスが求められるからです。マンガを読んでいて引き込まれるのはそーいう作画の部分だったりします。一般の読者は「この絵は丁寧にかいてるなぁ」っていう基準でマンガを読んでいません。絵が下手なマンガ家の代表として上げられがちな福本伸行さんですが、マンガ絵のレベルでいえば谷口ジローさんよりも上でしょう。谷口ジローさんに福本伸行さんの描くような後悔や懺悔、猜疑心、絶望、妬みを表情だけで伝えられるマンガ家は数少ないです。御大、高橋留美子さんは作画でいえば疑問があるのに表情の生き生きさや可愛さで一世を風靡しました。マンガ絵の序列でいえば大友克洋ー高橋留美子ー福本伸行ー谷口ジローって順番になりますね。

 谷口ジロー作品をほとんど読んでこなかったんですが、自分が谷口ジローさんを最初に認識した作品が「事件屋稼業」でした。当時は少年マンガに見切りをつけて少女マンガばっかり読んでいた頃でした。少コミや別マが全盛期でレディスコミックから本格派の女性マンガが台頭してきた時代でしょう。バランスを取るためか漫画ゴラクやアクションといった劇画誌系のマンガも読んでました。その当たりで見つけたのが「童夢」を描く前の大友克洋さんや「事件屋稼業」の谷口ジローさんでした。別に自分に先見の明があったはずもなく、後にふたりともがフランス人に崇められる存在になるなんで思っても見ないことでした。この頃のエピソードを「坊ちゃんに時代」など多くの谷口ジローさんの作品の原作を担当し、40年来の親交があったマンガ原作者の関口夏央さんが読売新聞に追悼のコラムを寄稿していました。『絵は上手いが話が作れないマンガ家がいる、助けてくらないかとマンガ雑誌編集者に頼まれた』っていうエピソードが出会ったきっかけだそうです。この編集者のいう「話が作れない」というのが絵が上手い人の共通の悩みのような気がします。同様の絵がメチャクチャ上手なのに原作者に頼ってるマンガ家は池上遼一さん、たなか亜希夫さんなどが浮かびますね。比類無き絵の上手さなんですが「それ原作が必要なほど複雑なハナシかな?」って思うことがあります。マンガを描きたい多くのシロート(同人誌など)さんたちはストーリーに絵が追いつかないか、絵は描けるがストーリーが思いつかないかのどっちかです。
絵が描けなくてストーリーも浮かばないけどマンガを描きたいって方もいますが、まったく描けないのにマンガを作りたいっていうのは、野球をやったことがないのに草野球チームに入るくらい無謀かもしれません。一般論で絵が下手というのは諦めがつきやすいです。野球でいえばフライが捕れないとか。でもボールは取れるが投げるのがダメ、打つのがダメっていうのは判断が難しいです。マンガ家は美大出身ばかれではありません。ベースとしての絵の基礎をすっ飛ばしてることが多いので技術的にあやしいマンガ家も多いです。ボールが取れないプロ野球選手はいませんが、絵が苦手なプロマンガ家はいっぱいいますよね。

 関口さんのコラムには『絵が上手いのは承知していたが、話が作れないのではないとすぐにわかった。70年代のこけおどしな劇画の特徴を嫌っていただけなのだった』とフォローしています。しかし『谷口は私の書いた設定、セリフ、ナレーションをいっさい変えなかった』と書いています。原作と作画の関係ではなくて企画・脚本と撮影・監督の関係だと。当時の劇画をこけおどしというのも判るい気がしますが、こけおどしが描けないというのはマンガのキャラの表情に対するマイナス要素って思います。「探偵屋稼業」そのものがアメリカ映画や松田優作さんや原田芳雄さんのパロディ的な狙いっていう感じだったような記憶です。さらにそのパロディが「孤独のグルメ」ですね。関口さんは出会って3年目に「探偵屋稼業」が始まって谷口ジローさんの絵にユーモアの味が加わったと書いています。初めから絵が上手と言われているマンガ家の中で表情がついていない人は、その後も面白いマンガが描けるようにならないようなイメージです。絵の上手い・下手で分けるよりも魅力あるキャラかどうかで分けると、精密な絵よりものびのびとした絵のほうが魅力的です。現役マンガ家でもっとも画力が高い作家のひとりの森薫さんも、デビュー時の画力は同人誌系では十分な喰らいの画力でした。単行本の「シャーリー」は2巻まで出ています。1巻目はデビュー前に同人誌で描いたシャーリーで、2巻目は「エマ」の連載終了後に描いたシャーリーです。比べてみて違うところはキャリアからくる画力のアップ。変わっていない所はシャーリーというキャラを可愛く見せる表情。画力アップの目的が上手さをひけらかすためではなくて、女の子を可愛く描くためという歪みない努力がスゴかったんです。「エマ」は長期連載だったんですが1巻ことに描き方を変えて進化してるさまがわかります。それでも表情こそがマンガ絵のキモだということを一番知ってるマンガ家なので、劇画風のタッチになりがちなシリアスな絵でも多くの読者が不得手感を持たずに読むことができるんでしょう。

 谷川ジローさんの記憶に残るのが「孤独のグルメ」だけじゃ可哀相なので「坊ちゃんの時代」をお薦めします。本当は「探偵屋稼業」がいいんですが絶版だと思うし古本屋チェーン店で見つかるような代物でもないですから。「坊ちゃんの時代」は豪華本とかさらに豪華なカラー豪華本とか出ているので、さすがフランス仕込みって感じでしょうか?ストーリーは関口さんが担当していますので保障出来ると思います。読んでいないから知らんけど・・・


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アダルト百合マンガ - 2017.02.07 Tue

西UKOさんの短編集「宝石色の恋」です。

 前回は大人百合マンガということで4コマ連載作品の「collectors」を取り上げましたが、今回はアダルト百合マンガの「宝石色の恋」です。大人百合とアダルト百合っていう分け方は言葉遊びだけど、ジャンルとしての大人向けとアダルト向けでは、アダルトという言い方のほうがHな感じがしますよね。そもそも西UKOさんの作品は、それほどエロエロを目的としているわけではないです。
女性同性愛者の作品といっても主人公が LGBT であることをテーマにしたものやジェンダーフリーを訴えるもの。耽美や倒錯など幻想の世界ととらえるもの。美少女やロリータ趣味ととらえるもの。完全にポルノとしての作品。同性愛こそ純愛とかナチュラルに恋愛ととらえてるものなど。
LGBTがテーマの作品は社会や周囲の無理解を訴えるメッセージ性が強い傾向にあります。耽美は普通のセンスの読者にはハードルが高いようです。美少女系はアニメやラノベのほとんどがコレで「男子キャラっていらなくね?」という概念からスタートしています。ときめきメモリアルから主人公を排除したような感じです。恋愛作品ととらえてるものでも純愛とか友情とかゆーてるのは美少女ものに近く、ナチュラルな恋愛ものは LGBT 問題を引きずってたりします。まあポルノは論外ですけど・・・

  ブログ画像 宝石色の恋 西YUKO JPEG

 「宝石色の恋」はタイトルからイメージできる通りにシャレオツな大人の恋愛マンガです。1冊に17作品も掲載されてるので、お得というか細かいっていうかって感じです。同人誌キャリアもあるので短編集としても同人誌テイストな作品が多いです。同性愛をテーマにしたときにありがちな「周囲の無理解や偏見」や「女性を恋愛対象には考えられない」といった面倒くさいお約束はありません。LGBT の権利と主張するタイプの人たちからは、ジェンダー問題を理解してないとかお花畑な話って思うかもしれません。しかし恋愛マンガって元々がお花畑のストーリーです。社会問題やネガティブな悩みをテーマにするのは、恋愛マンガを描くという本来の目的ではありません。西UKOさんの描く恋愛マンガのテーマはイチャイチャするカップルの表情なんですが、相手が異性だろうが同性だろうが恋人ということには変わらないっていう作風です。前回の「collectors」も交際相手が異性じゃないからヘンなのではなくて、パートナーの収集癖に共感できないカップルをテーマにしています。
逆に同性愛のリアルな現実を描きすぎてる LGBT と正面から向き合った作品のほうが、レズビアンという言葉の持つ偏見や差別性を感じたりします。もっと性差別な印象が強いのは最近ハヤっているような美少女萌え百合作品です。

 LGBT やジェンダー問題に真摯に向き合った過去の名作の多くは必ずしも可愛い女の子が主人公というワケではありませんでした。その方面での大御所マンガ家のやまじえびねさんなんかは、男子中高生からみて「求めてるキャラはこれじゃない」っていうほど萌えから遠い絵柄です。やまじさんは自分の作品を男が読むことなど想定していないです。むしろ「男は読むな!」ってくらいですね。
やまじさんはクラブとかビアン・バーなどの水っぽさや業界っぽさを前面に出してるって感じです。その方面のクラブなどは実際の同性愛者の方々にとっては同好の士が募る場所何でしょうけど、ジェンダーを意識していない一般の読者にとっては、同性愛はアンダーグランドの方々っていう印象を与えちゃいます。登場人物がカタカナ業種やアーティスト系っていうもお水っぽいです。このタイプの「本当の同性愛はこうなんだから」っていう作品の中には「ノンケのヤツらに理解されたいとも思わない」っていうかたくなさがあります。それは同性愛じゃない人たちへの逆差別な気もします。
主人公を可愛く描かないで大人百合をテーマにした佳作に鳥野しのさんの「オハナホロホロ」という作品がありました。「オハナホロホロ」は働くシングルマザーのお話で、昼間にお勤めしている大人の女性同士の恋愛や別れのお話でした。各種 LGBT も登場するし恋愛対象として男性も登場します。同性愛を夜の世界のモノとして逃げることなく、昼間の世界で生きている人々を描く画期的な大人百合マンガでした。LGBT のテーマを抜きにしても恋愛マンガや家族マンガとして、十分に読み応えのある作品でした。

 西UKOさんの絵柄は萌え絵好きな男の子が苦手なリアル美女のキャラデザインです。マンガ好き男子の平均的なリア充ヒエラルキーは下層に集まっていますので、イケてる女の子とか化粧濃いめなお姉さんキャラにはシンパシーを感じません。このキャラデザインからして西UKOさんは男子を読者として想定していません。そもそも百合マンガに萌えを求めるのなら少女が主人公じゃなきゃダメでしょう。西UKOさんの作品には少女はおろか女子高生すら出てきません。最低限お酒が飲める歳なキャラが主体です。これはそれ相応のお姉さん以上の方々を読者に想定してるんでしょうね。
西UKOさんの作品のレビューで多数を占めているのは『こういう百合マンガが読みたかった』っていう感想です。こういう百合マンガじゃない萌え百合マンガが好きな読者にとっては、これじゃないって思うんでしょう。百合マンガファンがどれほどいるのかは判りませんが、百合=萌えではないっていう読者も一定数いるってことです。大人が少年ジャンプを読まなくなるのは、世の中の仕組みが友情、努力、勝利だけで出来ているワケではないことを知るからです。同じようにりぼんを読まなくなるのも、一番格好いい男の子がサッカー部員でも生徒会長でもなくなるからです。
読者が成長すればマンガも成長しなきゃいけないんですが、百合マンガに限っては描いてる絵もドラマのベースもちょっと幼稚な作品が多い印象です。野球マンガやサッカーマンガでバットを振ったこともボールを蹴ったこともないマンガ家が描くスポーツマンガって感じがします。野球マンガは野球部員が読んでも納得できるストーリーじゃなきゃいけません。百合マンガをうたうのならば、同性愛者の方々が最低限は納得できるレベルにする必要があります。野球マンガは野球の経験者でないと描けないというワケでもありません。同じく同性愛者でなくても百合作品は描けるし、むしろ当事者でないほうが客観的な創作ができることもあります。

 過去の百合マンガはこのジャンル自体が未開拓だったので編集部で簡単にOKが出るような題材ではなかったと思われます。同性愛に対する世の中の偏見があった時代に、マイノリティを扱うことへの躊躇が制作側にもあったんだと思います。したがって新人がおいそれと描けるネタではなく、実績を上げたマンガ家が慎重に描いていたっていう印象でした。この頃は世間のい偏見と闘う同性愛っていうテーマが多かったです。
近年は百合ブームで百合専門誌?などもできて揺りマンガがカジュアルに描かれるようになりました。特徴は女の子同士ならばとくに規定がないことで、マンガのストーリーの出来とは関係無く成立しちゃうことです。この安易さは新人マンガ家やインディーズのマンガ家にとってはとてもチャンスがあります。結果として絵がちゃんと描けていない百合マンガや、ストーリーが幼稚な百合マンガが溢れちゃっています。これはっていう作品も多々ありますが作者が特定されてるモノばかりです。アニメのブームが衰退して一部のアニメファン以外が離れていった原因が安易な百合アニメにあるとも言えます。百合アニメがいけないのではなくて安易なことがいけないんですよね。現状では出版社も安易に百合マンガを描かせて、マンガ家も百合マンガだったら安易に描けるって思っちゃってることが心配でなりません。

 最後に本題のアダルト百合マンガについてです。前回取り上げた「collectors」は恋人同士の日常を4コママンガで描いていました。性格が違う同士のいざこざがのトーリーですが、そのラストのコマは必ずイチャイチャで終わりたまに夜のシーンもありました。まあ恋人同士は愛し合ってるよっていうことなんですが「宝石色の恋」では具体的にアダルトな夜のシーン多めになっています。その分アダルト百合マンガなんですが、男の子向けマンガではないので過度な期待には答えていませんよ。
ベッドシーンは西UKOさんが描きたいだけかもしれませんが、百合に清楚とか純真を求める野郎たちを拒絶するためのアイコンなのかもしれません。男女の恋愛ではセックスするのに女同士だと中学性のような恋愛を要求するのは、それ自体が LGBT への偏見によるものだと思います。
「collectors」ではベットシーンをほとんど1コマで済ませていながら、主人公同士が愛し合ってることをは十分に表現出来ています。直接ベッドシーンを描かなくても、そーいう深い関係っていうことを読者に判らせるセンスですね。


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大人百合マンガ2 - 2017.01.22 Sun

西UKOさんの「Collectors」全2巻の続きです。

 前回は「百合とは何ぞや?」という定義だてのハナシを書きました。かなり前に「JPOPとは何ぞや?」っていう感じの記事を書きましたが、百合もメデイアのジャンルのひとつって考えられます。メタルはロックの中に含まれるのか?とか、この曲はブルースなのか?っていう感じですね。音楽が好きな人にとってはジャンルの違いはこだわるモンだけど、普通の人にはどーでもいい違いですね。
百合の定義も男の子向けアニメは女子キャラだけにしか反応しないというマーケティングのため、キャストが女子ばっかりになっちゃったっていう感じです。逆に女の子向けにはBLな男子ばっかりの作品も多くなっているようです。市場規模ではGLよりもBLのほうが成熟していると思います。
マンガの百合はあからさまにアニメや萌え絵師の百合ブームに後乗りしてる感じです。昔の作品には同性愛をテーマにするという気負いがあったんですが、最近は「百合ブームに乗っかれ」という感じのカジュアルな作品のほうが多いです。そういうカジュアルな百合といえば今回の題材の西UKOさんの作品は、どれを取ってもとてもカジュアルです。今までにもあるにはあったんですが珍しいファッショナブル百合マンガっていうジャンル?の作品が特徴です。

  ブログ画像 コレクターズ 西YKO JPEG  

 「Collectors」は読書家で初版とか絶版本とか言いながら本が貯まっていく仁藤 忍と、オシャレ大好きで服やら靴やらが貯まっていく関崎貴子の女子カップルのお話です。表題にある「コレクターズ」とは本や服を集めてる主人公たちを表しています。したがって本を買いすぎネタや服を買いすぎネタがクドいかな?って気もします。
ふたりは大学時代に知り合ってすでに恋人になって、両者とも社会人という段階から連載がスタートしています。一般にはオシャレ大好きな貴子のほうが浪費癖がヒドいっていう設定がしっくりきますが、書籍マニアの浪費も相当なモノで作中の設定では裕福な大学生の貴子と金欠な忍という扱いになっています。クール・ビューティーな忍と嫉妬深くロマンチストな貴子という設定もあり、典型的なボーイッシュとガーリーの組み合わせっていう意味合いもあります。でも社会性があってしっかり者なのはガーリーな貴子で、社会への適合力に欠けるのがクールな忍のほうっていうのがキャラ分けですね。そこにクールで社会性があって既婚者の大枝直巳と、もう1人の友人(普通の友達の典型)の4人が主なキャストです。

この作品が大人百合マンガと言われる由縁は、登場人物が大人だからにほかありません。それでも過去に社会人を主人公にした百合マンガや同性愛マンガも多くありました。しかしイチャイチャ・ベタベタな百合バカップルと社会とのつながりのバランスが難しいジャンルなんです。そもそも百合っていうのが前記の通りアニメや萌え絵のような子ども向けをイメージしたジャンルだから。西UKOさんたちが描きたいのは百合っ子萌えではなく、ファッショナブルで胸のデッカいリア充な社会人女性のようです。それまでの百合マンガ=幼い女の子同士という鉄板CPを完全否定した大人百合マンガに、すがすがしさすら感じてしまいます。最近の百合ブームの作品は過剰に男性読者の嗜好を受け入れた感じですが、西UKOさんの作品は恋愛思考の女性のほうがより共感できると想います。
主人公の貴子は大学時代から実家の製造業を継いで社長になったりで、社会とのつながりが妙にリアルに描かれています。ちゃんとお仕事しながら恋愛にとち狂うさまは20代の恋愛の正しい姿です。これは百合に限らず大人向け恋愛マンガだったら最低限クリアしなきゃ“大人が主人公の少女マンガ”にしかなりません。そこらへんが大人向け作品のキーワードでしょう。
百合作品は女の子同士に特化するあまりに「まるで地球上の男性はすべて消えてしまった」ような作品も多いです。そーいうのはもうファンタジーなので、百合と同性愛者との隔たりがより広がっちゃう感じです。ただでさえ百合作品は基本設定に無理があることが多いのですが、そこでファンタジーを使っちゃうとストーリーの骨格が都合いいだけの作品になっちゃいます。都合いい話は作るのが楽なので、実績のある百合マンガ家さんでもワンパターンなご都合展開を描いてる方が結構います。そしてファンの方々も「こーいうベタな展開が百合の定番だよな」っていうのでしょうが、それは描くのも読むのも単に楽なだけっていう気がします。

 そもそも4コママンガなのに8頭身オーバーというのも異色な作品です。背景もモブも描き込んでるので、セリフの文字のポイントが小さくなっていたりします。少年マンガだと劇画調4コマって感じですが、少女マンガでいえばお姉さんマンガっぽい画風の4コママンガです。回想エピソードは普通のマンガ形式になるので、無理してまで4コママンガという形式にしなくてもいいんじゃないかな?って思います。
表題のテーマが本や服を買い過ぎちゃう人たちのマンガなので、その手の定番エピソードが多めになっています。でも百合マンガの定番エピソードな同性愛を周囲に隠してるとかバレたとか、男性嫌悪などはあんまりありません。花見の席で忍の相手が女っていうことに驚くゼミの下っ端と、クライマックスで貴子の交際相手が忍だってことが家族バレするくらいです。マイノリティーな恋愛をしてることに対するありがちな特別扱いがまったく感じられません。

 かなりの百合マンガの登場人物が相手の女性を好きになる理由は『ワタシは同性愛者だから女のひとしか愛せない』とか『同性愛者だから本気で貴女のことが好き』っていうロジックが多いです。この表現がそもそも百合作品を幼く見せてしまう原因ですね。同性愛者だから貴女が好きっていうのは「中学男子だからおっぱいが好き」っていうのと同じことでしょう。恋愛の障壁として同性という壁がひとつ加わるのはわかるけど、壁がメインじゃなく相手をどう想うのかを主題にするべきです。
過去にはマイノリティーへの差別や偏見にあらがうことをテーマにした同性愛モノの作品の名作も多くありました。でも百合作品がいちいちマイノリティーを振りかざす必然はありません。恋愛作品である百合作品が、いちいち社会問題を提起することにも違和感がありました。
百合そのものは恋愛作品の設定のひとつに過ぎないんだけど、その設定だけを描きたいだけの百合マンガが多いような気がしますね。異性でも同性でも同じ原理で恋愛してるんだから、同性愛者だからネガティブていうのはどうなんでしょう?大人なんだから相手が同性でも既婚者でも受け入れらる寛容さこそが大人向けな恋愛作品でしょう。

 当然ながらこの作品では主人公の貴子と忍の友人や大学のゼミ仲間、教授や貴子の家族などが、貴子と忍が恋人同士ということに関しては特別視していません。ココがこの作品の素敵なところでしょう。同性愛ということを公然に宣言する訳でもなく、恋人ということを隠すわけでもないんです。まわりの人たちは「あの二人はつき合ってるから」っていう認識しかありません。違和感といえば「あんなに性格も好みも違うのによく恋人でいられるな」っていう違和感だけです。それこそ同性愛作品の定番である女性が女性への告白、周囲や肉親へのカミングアウト、結婚、子供などイベントはちゃんと出てきます。でもそんなのは軽やかに乗り越えていくんですよね。そーいう世の中こそがリアルなマイノリティーの方々にとってはファンタジーなのかもしれません。でもこのファンタジーはついていいウソなんだと思います。正しくない恋愛って世間に言われる主人公のマンガよりもよっぽど幸せなマンガになると思います。「Collectors」はそんな幸せな恋人たちのお話なんです。


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大人百合マンガ1 - 2017.01.15 Sun

西UKOさんの「 Collectors 」全2巻です。

 西UKOさんは同人誌系マイナーマンガ家の中では有名な方たちみたいで、UKOZというユニットで活動しているようです。原案・脚本・作画 を担当しているのが西UKOさん。原案・絵コンテ・作画アシスタント・仕上げ を担当しているのが北条KOZさん。ふたりをくっつけてUKOZになるみたいです。PPAPみたいですね。この仕事の分業はどーいうるんだろう?って興味があります。「カードキャプチャーさくら」などの同人誌系メジャーマンガ家CLANPさんたちのようなイメージなのかもしれません。
「 Collectors 」は白泉社の「楽園」というマンガ誌に掲載されていました。このマンガ誌のアオリは『愛は、動物にもある。でも恋をするのは人間だけ』っていうものです。どっちかというと少女マンガよりの雑誌ですが、別マのようなリア充の女子を対象にしていない誌風です。看板作家が誰なのかも判断が難しいですが、水谷フーカさんや宇仁田ゆみさん竹宮ジンさんらが執筆しています。
どちらかといえばマイノリティーを題材にした作品が多めなのですが、恋愛感情に特化した方針は稀少な存在だと思います。
西UKOさんの作品も一貫しているのは、ガールズラブをテーマにしているということです。楽園ブランドでは表題の「 Collectors 」のほかに短編集の「宝石色の恋」が出版されています。秋田書店のボニータGOLDからSF作品の「となりのロボット」という作品があります。「となりのロボット」は毛色が違う作品なので別途取り上げたいと思います。

 数十年単位で考えても未曾有の百合ブームになっています。一般名詞としてレズビアンなんですが、女性の同性愛者の方々は自らがレズビアンという呼称を使うことを嫌うようです。それはレズビアンという名称がポルノの用語になっているからです。先日発表された世界のエロサイト検索ワードランキングで、世界中のスケベ野郎たちが検索したワードの1位はレズビアンでした。ちなみに10位はジャパニーズという単語です。
レズという表現には性差別的、ポルノ的なニュアンスがあるので、同性愛者の文献でよく使われていた表現はビアンです。男性同性愛者は一般名詞としてホモなんでしょうが、こっちはレズ以上に性差別感がヒドいですね。このホモという言葉から蔑視な印象を取り去った表現がゲイになります。ホモに対してレズがあるならば、ゲイに相当する表現がビアンとなります。元々はゲイという言葉に男女の区別はなく、一般に同性愛者を指すことばだったようです。
このブログではLGBTをとくに応援するとか支援するとかの活動に関与するつもりはありません。ましてや批判する気もありませんし。ただ、ビアンという言い方自体が隠語のようになっていて同性愛者側のほうもレズという人とビアンという人を差別してないのかな?って思ったりします。ちょっと昔に遊んでる子たちが、クラブ↑とクラブ↓で使い分けていたのに似ています。隠語を使う理由は文化的に孤立しようとする現れなのかもしれません。それはルサンチマンか?って表現した方がいましたが言い得てる感じです。

 それでは本題の百合とはなにか?ってことですが、百合とは性嗜好を表す言葉ではありません。「あの子はビアンだけど彼女は百合だよね」っていう言い方はおかしいですよね。百合はゲイ雑誌の薔薇族から派生したネーミングなので作品のジャンルのひとつと認識すると判りやすいです。「レズビアンの女性はいてもレズビアンという作品はない」と定義すればビアンという隠語はいらないでしょう。逆に「百合をあつかった作品はあっても百合という女性はいない」とも言えます。
百合という言い方にもそれぞれイメージが違うのが現状です。濃厚な性描写が含まれるのは百合ではないとか、キスまでなら百合に含まれるとか。雑な分け方でいえば可愛いキャラは百合でエロいキャラはレズなんていうイメージもあります。マイノリティーな性差別と戦ってる作品やLGBTへの理解を求める作品は、意図的に可愛くないキャラにしたり絵柄自体が可愛くない作家が描いている印象もあります。男の子向けの作品はレズ(ポルノ)で、女の子向けの作品は百合っていう分け方もありましたが、ほとんどの百合アニメ作品は男の子の要望に応えるために作られています。
百合がメジャー化した要因に萌えブームがあったのは間違いありません。美少女ブームから始まった流れは、ロリコンブームをへて萌えブームになっていきました。美少女、ロリコン、萌えという言葉が一般誌やテレビ等の普通のメディアでも取り上げられるほど浸透したらブームと解釈しています。美少女ブームの頃は女の子を可愛く描ける人が少なかったので、可愛ければ満足っていうレベルでした。この頃のストーリーはあくまでもリア充を念頭に置いたモノでした。しかしロリコンブームは性的嗜好や愛玩的な意味合いで女の子を語る作品に変貌していきました。萌えブームは世間からヘンタイと言われちゃう領域から正当化する目的で作られた造語です。世間からヘンタイって言われないように性的な描写や露出を避ける傾向が強くなっています。この流れは男の子がナンパ~合コンっていう肉食から、まったりを好む草食へと変わっていく時流とピッタリだったりします。
主人公が都合よく集められた女の子と暮らしモテモテで困るっていうハーレムものは美少女ブームに考えられた定石です。ときメモとかですね。現在の主流は女の子がいっぱいいるけど特定の恋愛やさや当てをすることなく、ただいるだけっていうタイプの作品です。性的な描写を拒否することを前提にした萌えブームだが、甘酸っぱいのも観たいというヒツジたちの気持ちもわかります。イチャイチャした女の子を観たいけど性的なモノはダメという中でヒツジたちが見つけたのが百合でした。草ばかりを食べてると妙にプラトニックなものを崇拝するようになってしまうようですね。
女同士の恋愛を描くのならレズだろうがビアンだろうが恋愛マンガとして成立します。しかし恋愛でもない友情でもないとかいってると、真摯に同性愛と向かい合ってる方々に対して冒とくのような気もします。

 百合的なアニメはほとんど観ていませんが百合マンガはけっこう読むようにしています。ある意味自分のマンガのテーマのひとつと言えます。百合マンガというジャンルが確立してきたので専門に扱うマンガ誌や百合マンガしか描かないマンガ家も現れてきました。むしろマイナーなマンガ家がグルメマンガか百合マンガのどっちかを描かされてるんじゃないのか?って思える作品も多いです。ほとんどの百合マンガは作画がアレかストーリーがアレか何もかもがアレっていうレベルのマンガばっかりです。共通して言えるのは投稿マンガみたいな印象があるってところですね。誰かにこう描けば百合マンガになるよってレクチャーされたような作品ばっかりです。そんなのは恋愛マンガやヒーローマンガにもいえることですが、百合マンガの絶対数が少ないゆえに駄作が目立っちゃうんでしょう。
百合マンガは恋愛における醜聞を避けるストーリーにハヤリの萌え絵が加わるのでどのストーリーも幼い印象が強いです。幼い恋愛というか、友情以上・恋愛未満を百合と定義してるんでしょうが、お話が幼稚な作品が多いです。
編集に描かされてるケース以外に多いのは、同人誌とうで百合マンガを描いていてスカウトされたマンガ家さんです。こっちのパターンは百合マンガを好きで描いてるので、描かされてる感がありません。得意なジャンルなのでアイデアも豊富にあったり百合のツボを外さなかったりします。しかし弱点は百合マンガしか描いてこなかったのか他を描く気がないのか、百合描写のみのマンガって感じです。描きたいことだけを描くことが許される同人という世界の癖がでちゃうんでしょう。
全然話題に上がってこなかったけど、西UKOさんは同人誌出身のスカウト組です。前置きのハズが長々としちゃったので西UKOさんの「 Collectors 」については次回に持ち越しです。


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ルミ子の言葉 - 2017.01.13 Fri

新しいサッカーの名言『ルミ子の言葉』です。

 世にるみこさんは多々おりますが、留美子といえば高橋留美子先生です。そしてルミ子といえば小柳ルミ子さんですね。大先輩たちにとっては「瀬戸の花嫁」など新三人娘のルミちゃん。ドリフ世代にとってはコントの上手な大物歌手。昭和末期は大澄賢也さんと踊ってたり、芸術のためなら脱ぎますっておっぱい出したりしてました。何となくのイメージは熟女ブームの先駆者的な記憶がありますね。生来テレビを観ないほうだったので最近まで名前すら思い出さなかったのですが、昨年の年末ひょんなところでお姿をお見かけしました。(テレビだけどね)
Jリーグは年末にJリーグアウォーズという打ち上げパーティーのような企画があります。そのテレビ中継のオープニングで小柳ルミ子さんがドレッシーに映っていたんです。サッカー好きを公言するコトでサッカー通芸能人を装いビジネスなサッカーファンを演じることもままあることです。でも小柳ルミ子さんほどの大物芸能人が今さら売名行為でも無かろうにって感じでした。どころが実際はサッカーブームに紛れ込もうとした小物ども(失礼)ではなくて、プレゼンターとして壇上に上がっていました。なんとJリーグがVIP待遇で招待されていたんですね。何でもサッカー通ということでスカパーの番組にも出演していたということらしいです。後に浦和レッズの槙野選手との対談で年間 2190 試合、1日にすると5~10 試合は観ているともこと。Jリーグのスカウティングの人よりも観てると槙野選手も驚いていました。もしかしたら日本で一番スカパーを視聴してた人かもしれまん。

 そんな小柳ルミ子さんのサッカーに対する辛辣で適切な解説や批評がサッカー業界で注目されているようです。しかも全盛期のドリフやテレビバラエティーで叩き上げたユーモアやギャグのセンスが、元Jリーガーやサッカー好きお笑い芸人なんかよりも面白かったりするんですよ。サッカーファンからいってもサッカー選手の面白さって部室ギャグの面白さだから世間レベルではそんなに面白くないんですよね。デジっちとか・・・
先日、TBSラジオの「たまむすび」にゲスト出演していたときにサッカーの本質をつく言葉をいただきました。小柳ルミ子さんがサッカー(特にバルサ)を観続けながら思ったことを書いた「ルミ子ノート」の中の言葉です。つまりサッカーってこういうことっていう感じを見事のまとめています。

・速いと慌てるは違う

・落ち着くと遅いは違う

・ボールを廻すと責任放棄は違う

・下げると逃げるは違う

・積極的と雑は違う

・人を使うと人任せは違う

コレは小柳ルミ子さんがサッカーを観ていて思ったことで、すべての仕事に通じる言葉とのこと。

『サッカーは相手のミスを誘う競技で自分たちはミスをしちゃいけない競技です。ミス癖がついてる人はミスすることが平気になってる』
サッカーを仕事に置き換えると誰にでも当てはまりますね。

『何でイエローなのか?って文句いっても、サッカーは人が判断するのだからダメ』
思い通りに行かないこともあるが我慢しなきゃいけない。人がジャッジするんだから腹を立ててもダメなんです。

『Cロナウドは過大評価されていて、メッシは過小評価されている』
Cロナウドのスゴさはシロウトにも判るがメッシのスゴさはサッカーを知らない人には判らないとのこと。メッシ好きはアンチCロナウドなんですね。今回で一番納得できたお言葉でした。


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管理人のらいかです

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