topimage

2017-03

百合作品の12の質問 - 2017.03.19 Sun

「異性愛者への12の質問」という、LGBTの界隈ではあまりにも有名な質問があります。心理療法博士のマーティン・ロシュウリンさんが論文の中で発表したものです。同性愛者が異性愛者(いわゆるノーマル)の方々から執拗に質問される事柄を逆に質問してみたという皮肉をこめた内容です。後にケンタッキー大学のジューン・キャラハン教授が授業で使ったことで名が知れることになったのですが、当時はアカデミーの同性愛擁護とか性プライバシーとか話題も紛糾したそうです。日本でもちょっと遅れてネットで話題になりました。12の質問はLGBTを語るうえでは知っていて当たり前の知識なんでしょう。

 異性愛者への12の質問

1  あなたの異性愛の原因は何ですが?

2  自分が異性愛だと初めて判断したのは何時、どのようにして?

3  異性愛は貴女と発達の一段階ではないですか?

4  異性愛なのは同性を恐れているからでは?

5  一度も同性とセックスしたことがないのなら何故異性とのセックスが良いと決められるのか?

6  誰かに異性愛者であることを告白したことがありますか?

7  何故多くの異性愛者は他人をも異性愛者に引き込もうと誘惑しようとするのか?

8  子供に対する性的犯罪の多くが異性愛者です。あなたは自分の子供を異性愛者(特に教師)と
   接触させることを安全だとおもいますか?

9  異性愛者は何故あんなにあからさまで性的嗜好を見せびらかすのか?公衆の面前でキスしたり
    結婚指輪をはめるなどして異性愛者であることを見せびらかすのか?

10 男と女というのは肉体的にも精神的にも明らかに異なっているのにあなたはそのような相手と
    本当に満足いく関係が結べますか?

11 異性愛の婚姻は完全な社会のサポートが受けられるにもかかわらず今日では一年間に結婚する
     夫婦の半分がやがて離婚すると言われています。何故異性愛の関係はうまくいかないのか?

12 このように異性愛が直面している問題を考えるにつき、あなたは自分の子供に異性愛になって
     欲しいと思いますか?セラピーで彼らを変えるべきだとは思いませんか?

 初見の方はコレを読んでどう感じたでしょうか?「異性愛」というワードを「同性愛」に置き換えるとLGBTの方々が日々質問されている内容ということです。くだらない質問と思う人も哲学的とかジェンダー問題を思う人もいるでしょう。あえて正解を決めるとしたらくだらない質問だと思った方々の解釈が正しいです。
日本でもこの質問の日本語訳が出まわってきて「異性愛者への12の質問に答えてみた」みたいなことが広まりました。そんなことでサブカルに理解があるポーズを取ろうとしてることはミエミエです。そもそもの文脈は『同性愛者たちは日頃からこんなくだらない問いかけに答えさせられてる』というコトを、頭の中が石化してる性的に保守な人やマジョリティーにあぐらをかいてる人たちにも理解出来るように作った質問という名の皮肉です。ケンタッキー大学の授業で学生にプリントを配っちゃったから“回答”が集まっちゃっておかしな議論に発展しちゃったんじゃないかな?アメリカの若者の“正しい性嗜好”の実態を調査するのにもってこいな質問集だから。
読んですぐに「何だよこのくだらない質問は?」って思ってもらうことで授業が先に進むのに「私が初めて異性愛を知ったのは高2の夏休みに・・・」って回答を書いちゃう人が多数でした。なんでサブカルに理解があるポーズなのかといえば、まったくLGBTに関心がない人たちはこの質問の存在自体を知らないからです。
前回の記事で登場した小雪さんや裕子さん、牧村さんたちが闘っているのは突きつめればこの12の質問なのかもしれません。法律や社会制度、行政サービス、慣習など改善を求む声は多いのですが、少数派であることと特異であることは意味が違うってことです。普通の人がぽっちゃりが好きとかスレンダーが好きとか余計なお世話なのと同じくらいに、同性が好きとか両方が好きとかは余計なお世話だよってことです。究極 LGBTの活動の目的は認めてもらうことではなくて当たり前に思ってもらうことなのでしょう。その過程で集まろうと呼びかけてるのが小雪さんたちで、LGBTだけで固まっていたら当たり前の世の中にはならないっていう疑問を提示したのが牧村さんです。

 創作の百合のストーリーでは主人公がこの12の質問をされる展開がけっこうありますね。それは同性愛を真摯に表現する意欲がある作家ほど、無自覚に質問してくるキャラを出して現実感を出そうとするからでしょう。逆に最近の作品で見かけなくなった表現は脇役のキャラが同性愛設定の場合に主人公が「うわっ レズ(ゲイ)なの?キモっ」っていう感じの露骨なアレルギー反応です。人種問題と同じでさすがにその差別意識なネタはヤバいってことくらいは浸透したようです。そもそもこの12の質問はLGBTの方々が言われたくない「ウンザリ・クエスチョン」なんだから、この質問をされる主人公のシナリオで主人公が楽しいシーンになるハズもありません。作中の登場人物の中にLGBT擁護派ではなくてフラットな意見を述べる第三者が出てくればいいのですが、多くの百合作品って当事者のカップル以外はモブしか出てこないんですよね。愛し合うふたりと理解しようとしない世間の声みたいに。12の質問もスミスとかボブなど固有の相手が想定されているワケではなくて「よく言われる」っていうスタンスです。理解するキャラとしないキャラの両方が同じくらい重要なのに、親や親友っていう設定でLGBTに無理解なキャラをアイコンとして描かれちゃうケースが多いです。ここに同人で描きたいこと(百合)だけ描いてきたマンガ家と、商業誌で描いてきたマンガ家との差が出てると思います。シナリオの都合で同性愛を肯定するあまりに同性愛を理解出来ないキャラをすべてを敵キャラって決めつけるのも片寄った印象です。

 逆に誰もが自由な恋愛が認められている世の中っていう設定にするとどうでしょう。牧村さんの望むLGBTと非LGBTなんていう分け方が必要ない世の中という設定です。そんな社会はまだ来ていないのでちょっとSFのような作り話感が気になっちゃうでしょう。単純に同性愛に理解がない人をストーリーから排除すればイラっとしない作品になるかもしれません。でもそれだと王子サマに見初められる使用人の娘みたいな上滑りなストーリーになっちゃいます。おとぎ話として百合を描くのは百合というジャンルが幼い恋愛というレッテルを貼ることにもなりますからね。
ふたりだけの世界っていうマンガではドラマ作りがしょぼいし、何故同性愛なのかの言い訳や説明に終始するのも恋愛ものとしての魅力とは言いがたいです。結局は登場するふたりが同性だからという理由ではなくて個として魅力があるという作品にしなきゃダメなんでしょうね。異性愛者を題材にしたマンガでも相手がオンナだから欲情したっていうマンガには共感しにくいでしょう。
百合マンガの中で相手ことを好きになった理由の多くが「私はレズビアンだからオンナしか愛せないの」っていう感じです。オンナだからオンナが好きということと恋愛感情は別の次元だと思います。ヤリチンがオンナを取っ替え引っ替えっていうお話は恋愛ものというよりもポルノです。百合という恋愛ものが描きたいのか?レズビアンのポルノが描きたいのか?で印象が違ってきます。ポルノだって立派に作品のジャンルだからポルノが悪いわけではありませんけどね。
一概に百合といっても同性愛を性癖と捉える人や生き方や選択の自由と捉える人、障害と捉える人やサブカルのジャンルと捉える人・・・様々なイメージがあるでしょう。でも一番多いのは百合作品=可愛い女の子ものっていう安直な感じです。いわゆる大っきいお兄さん向けですね。このジャンルはウケる鉄板のラインがあるので、おっきいお兄さんの希望が叶うような作品ばっかりです。しかしその内容は小さい子向けの少女マンガのレベルにも満たない幼稚な作品が多いです。これでいいの?って心配になっちゃうマンガでも百合だからってことで誰かのニーズには応えちゃってるんです。この事態は百合というジャンルを良くしようとするチカラにはなっていません。
先日ラジオにアニメの歴代プリキュアシリーズのプロデューサーの方が出演していました。彼曰く「制作中におっきいお兄さんのことは微塵も考えていません」とのこと。あくまでも小さい子向けの少女アニメというジャンルを作ってるという自負があるそうです。お兄さんたちしっかりしろよ!

 リアルの世界のLGBTの人で思い浮かぶのは元女子サッカーアメリカ代表でレジェンドのワンバック選手です。澤さんの永遠のライバルで盟友の通称ワンバック兄貴ですね。ワンバックさんが現役中にチームメイトのサラ選手とハワイで挙式しました。当時はLGBT界隈でもビッグニュースでした。世に兄貴と呼ばれる女性は名実ともに人格者でありしかも他の追随を許さない実績ですが、ワンバックさんも女子サッカー界のキング オブ キングスです。クイーンなんだけど。
今年になってそのワンバックさんの新たなニュースが入ってきました。何と彼女はいつの間にかサラさんと離婚していて、作家のグレノンさんと再婚したということです。いろいろビックリなんですが同性婚の道のりの大変さは小雪&裕子さんたちを見ていればよく判ってます。だから同性愛のカップルは一生添い遂げるモンだというイメージがあったみたいです。考えてみれば異性の恋愛も同性の恋愛も、恋愛という感情は何ら変わりないもののハズです。自分自身も創作の百合設定に引っ張られて勝手な幻想をもっていたんでしょうね。
ついでに見つけた元なでしこの川澄ちゃんが当時のチームメイトのチ・ソヨンさんとの熱愛疑惑?の頃のまとめ記事の管理人のコメントがありゃ?って感じでした。スポーツ界での同性愛者は多いですね的なザックリとした記事なんですが、『同性愛者だからといって批判するのではなく、温かく見守りたいですね』っていうシメのコメントを書いてらっしゃいました。記事全体はLGBTを批難するでもからかうでもなく、それこそ温かく書かれていました。でもこの一文は小雪さんたちがイラっとするだろうセンテンスが含まれています。コメントの中に「同性愛も許せるグローバルなオレ」っていう感じですかね。きっと温かい気持ちで書いたんでしょうけどお前何様なの?っていう風にも読み取れちゃいます。
つまり百合作品を手掛けるときにはこの作品を読んだ小雪さんや裕子さん、牧村さんたちがイラっとするかどうかを頭の中でシミュレーションしてから作るとよいでしょう。何がイラッとするのかは彼女たちをちゃんと理解しなきゃ気付けません。だからLGBTを学ばなきゃいけないんでしょうね。


「ほぉ」って思ったら押してね

LGBTと百合 2 - 2017.03.12 Sun

LGBTというカテゴリーに疑問を持つということ

 前回の日記では性的マイノリティーの方々を表すLGBTという言葉について書きました。東小雪さんと増原裕子さんの活動からLGBTの現状が多少なり理解できると思います。重要なのは偏見を持たないことなんでしょうが、なんだかモヤモヤが残る人も多いでしょう。根本的に同性愛を受け入れられないっていう人や、受け入れる必然性がないという人たちは一定数います。何かを否定する方々は国益でも人種でも経済でも、不思議なほど一生懸命に否定するところがあります。それに対抗するように同性愛を容認する方々もムキになって反論しなきゃいけなくなっちゃいます。
前記のラジオ番組に寄せられたメールなんですが『正直、あなた方がよるベッドで誰と寝ていようがどうでもいい』っていう意見がありました。これは悪意ではなく一般の方々の普通の感想なのかもしれません。でもどうでもよいのに近隣に同性愛者がいることがわかるとビックリしちゃうっていうのも事実です。小雪さんと裕子さんは極論、「ビックリしないように知識と理解を持ってね」っていう活動をしてるんでしょう。しかしLGBTという単語にはニューヨークでデモ集会やパレードとか、夜な夜なクラブでゲイやレズビアンのパーティーがあるとか、活動しているイメージが強いです。

 ラジオでもLの小雪さんたちとTのカツオさんがLGBTの同士として出演していました。しかし性的マイノリティーのシロウトからするとレズビアンとゲイとバイが仲が良いっていうのもヘンだと思うんですよね。べつに喧嘩しろってことじゃないんですが、レズビアンとゲイって異性愛者以上に反対側っていう気がします。だから一周回って仲よしなのかもしれませんが、女性が好きという人が男性が好きという男性と仲良くする必然はないはずですよね。喧嘩する必要もないんですが、だったらストレートの同性や異性とコミュニティーをとったっていいハズです。そこにはLGBTかどうかで壁のような物ができてしまってるようです。そしてレズビアンだけどLGBTではないっていう女性も現れました。もう何が何だかって感じですね・・・
過去にLGBTから見てノーマルと分類されるマジョリティーはマイノリティーのことを無視したり差別したりしてきました。LGBTの方々はノーマルの人たちから「認めて尊重して欲しいのか?」それとも「認めるけど無視して欲しいのか?」がよくわかりません。認めて尊重するという場合はあなたは同性愛ですか?って確認作業が必要だから、それはそれで「ほっといてくれよ」って思うでしょう。「同性愛だって気がついてもスルーしてね」っていうのもノーマルと言われる人にとっては高度な要求です。

 このLGBTという言葉にさようならを言った同性愛者がいます。日本初のレズビアンタレントでレズビアン関連の著書が多数の文筆家のまきむぅこと牧村朝子さんです。小雪さんは元タカラジェンヌで裕子さんも美人バリキャリウーマンですが、牧村朝子さんもミス日本ファイナリストで杉本彩さんのオフィス彩に所属するほどの美人さんです。牧村さんは小雪さんたちと同時期ころにLGBTを公表し、同じLGBTの啓蒙活動に尽力を注いでました。有名なレズビアンっていえば牧村さんか小雪さん裕子さんのどちらかが思い浮かぶと思います。小雪さんたちがディズニーランドで挙式したころ、牧村さんはフランスでフランス人と挙式(PACS契約)して世間をあっと言わせました。彼女らの活動を支えてるのはとびっきりの美人さんだっていうことですね。世間さまはビジュアルに引っ張られるから、美人がレズビアンをやってるということで聴く耳を持たれやすくなる感じです。たとえば渡辺直美さんLGBTだってカミングアウトしたとするとオネェキャラみたいに笑われるだけでしょう。それはそれで絶大な影響力があるんでしょうけどね・・・
牧村さんはレズビアンとして文筆活動をしてきましたが2015年に「もうLGBT当事者を名乗らない」と宣言しました。前記の通りLGBTはL.G.B.Tが連帯して活動しようと集まった言葉です。その活動で得られた権利や環境改善は華々しいが「あたかも人びとがLGBTと非LGBTに二分されていくように感じる」と牧村さんは言っています。LGBTの人たちは世界には男と女しかいないという二分法を壊そうと闘ってきたのに、LGBTであるか否かで新たな柵が生まれているように見えるとのこと。
牧村さんは「LGBTらしいあり方を求められたくないし、当事者としての意見だなんて持っていないのです。私は私でしかありません」と言っています。 (朝日新聞 原田朱美さんの記事を引用)

 牧村さんはLGBT活動のためにフランス人女性と結婚したわけではありません。まきむぅとモリガさんがどういう恋愛なのかが百合なのであって、何故恋愛するのかの理由やどうして結婚するのかを考えることが百合ではありません。
牧村さん自身のブログに「人はみんな違ってて100%理解しあえるはずがない。だからこそ『男と女』とか『LGBTと非LGBT』とかそういうことじゃなくて、『あなたとわたし』の対話を重ねていくことでお互いの違いを尊重できるようになるんじゃないかな」と綴っています。


「ほぉ」って思ったら押してね

LGBTと百合 1 - 2017.03.06 Mon

百合作品をLGBTを踏まえて考えてみます。

 関東のAMラジオ 文化放送の「くにまるジャパン 極」のゲストに“LGBTアクティビスト”の東小雪さんと増原裕子さんのこゆひろコンビと、FTMトランスジェンダーでLGBTの啓蒙活動をしているカツオさんが出演していました。LGBTとはL(レズ)G(ゲイ)B(バイセクシャル)T(トランスジェンダー)の略称というか総称です。言葉の発祥時はGLBだったのですがゲイが先に来ると男尊女卑的なイメージのなんたらがあるようでレズを先に記するようになったみたいです。後にトランスジェンダーもマイノリティーなのでTが加わったとのこと。トランスジェンダーは「トランス=逆を行く」と「ジェンダー=性」なので生まれながらの性と違う人たちの意味です。F=female M=Maleの略なので、FTM とはF(female 女性)T(to から)M(Male 男性)女性から男性へ変わった人のことです。逆はMTFということになります。また男性や女性から中性になるFTXやMTXというXジェンダーの方々のいます。ラジオのゲストのカツオさんは女性から男性へ変わったトランスジェンダーで、恋愛対象が男性でも女性でもなり得るというバイセクシャルです。この日記では百合作品を考えることがメインなのでカツオさんを入れるとややこしいので割愛します。

 小雪さんと裕子さんはディズニーリゾートで結婚式を挙げたとか、渋谷区のパートナーシップ証明書を最初に交付されたレズビアンカップルです。性的マイノリティの中ではもっともメジャーな方々という有名人です。自分の中のLGBTの知識は彼女らの著書や発言を参考にしている部分が大きいです。基本的に性的マイノリティーの人権などをフェアに語られる世の中を目指して活動しています。人権というのはLGBTが理由の社会差別や不利益のことで、一般に婚姻問題や職場での誹謗などが上げられます。人権の活動というとヒステリックに叫んだり実力行使に走る映像が浮かびますが、彼女らの取り組み方はいたって穏やかで知性的です。それは目指しているのがLGBTの理想郷ではなくてフェアに語り合える世の中だからでしょう。
以前NHKで同性愛についての討論番組に出演した時、大学教授だかの“判ってるつもりの賢いおじさん”にステレオタイプな持論をふっかけられていました。観ていて「殴ったればいいのに」って思いましたが祐子さんはあくまでも紳士的に受け答えしていました。おじさんはLGBTについて語る資格がある立場だから呼ばれたんでしょうけど、そーいう知識人レベルでもマイノリティーに対する思い込みや偏見は根強いみたいです。ましてや「普通であることを大切にしている人たち」に理解させるのは相当な苦労だったようでした。

 自分にとっては作品としての同性愛にしか接点がないんですが、単純に百合作品といえども「コレはポルノじゃないかな?」とか「偏見で描かれているのかな?」という疑問や不信感がありました。創作なんだからファンタジーの一言でも片づきますが、ホンモノの同性愛者から見ると「ナイナイ!アリエナイ・・・」っていうことなのかもしれません。百合作品は昔からあったんですが、小雪さんや裕子さんのようなメディアで語ってくれるようなレズビアンの方はあまりいませんでした。匿名で語る場合はそれ自体にメディアのバイアスがかかってる可能性が高いので、発信するメディアのイメージする同性愛論になってる可能性が高いんですよね。しかも当事者のレズビアンの方々も説明するチカラを持たないので極端な意見や偏見が横行しちゃった感じです。テレビでおネェキャラの人とかね。
一番信用が出来ないのが文化人類学などの同性愛を研究してる教授たちです。学者というのは研究(リサーチ)から持論を組み立てる仕事です。この持論の部分が怪しいんです。同様にレズビアンに対する文献も信用しかねるモノが多かったです。最近は信憑性が高くなったんですが小雪さんたちの功績が大きいんじゃないのかな?

 そもそもLGBTという言葉はLとGとBとTが結束して世の中の偏見と闘おうという趣旨で作られた言葉です。欧米が発祥のこの言葉は人権活動と共に定着していきました。そのためLGBTという言葉にマジョリティーを排除する閉鎖的な意味合いが含まれちゃっている感じがします。言葉で括ることで、より内輪な世界へ閉じ込めてる隠語のようになってる印象です。
自分として「LGBTの方々の取り組みに賛同して権利の獲得を応援しよう」というつもりではありません。活動そのものに対する理解は大切ですが、政治的な何かや社会活動の何かに引っ張られることは創作の発想を狭めてしまいます。小雪さんと裕子さんがメディアで訴えてることの本質はLGBTの権利を勝ち取ることではなくて、マジョリティーと思ってる人たちに同じ人間なんだよって理解して欲しいよいうことだと思います。理解するには彼女らのような啓蒙活動も必要だし受け入れるほうの認識を変える必要もあります。
ラジオの会話の中で出てきたんですが、現在13人にひとりがLGBTだそうです。ネットで調べたら日本人のLGBTの比率は7.6%だそうです。世界でみると3%なので先進国のほうが比率が上がるのかもしれません。7.6%というのは左利きの比率と同じなんだそうです。クラスにひとりくらいは「お前オカマだろ」っていじめられていた子がいましたよね。その子はいじめられっ子じゃなくてLGBTだったのかもしれないってことです。この件は自分の実体験もあります。
左利きが身体障害のように言われてきましたが、現代社会でそんなことを言う人はいません。それは知識が備わったからです。社会は右利きに合わせて作られていますが、左利き用の道具とかも出てきました。同じように同性愛者を障害と言うのがおかしいことぐらい考えれば判ることです。でもまだ社会全体に知識が備わっていないために同性愛者の不都合が多いんでしょう。


「ほぉ」って思ったら押してね

谷口ジローさん死去 - 2017.02.19 Sun

「孤独のグルメ」などの作画で知られるマンガ家の谷口ジローさんが、2月11日病気のためお亡くなりになりました。

 「孤独のグルメ」は久住昌之さんの原作でウンチク・食レポ的な有名マンガです。どちらかといえば久住さんのことがあんまり得意ではないので、自分の個人の感想はあんまり面白くなかったです。でも世界中で翻訳されてるから評価は高いんでしょうけどね。「孤独のグルメ」と双璧となす久住さん原作の「花のズボラ飯」はほとんど読んでいません。80年代サブカル系+マンガっていう組み合わせが嫌いなんでしょう。何で「孤独のグルメ」がウケたかの要因に谷口ジローさんの描く主人公の五郎のキャラデザインがあります。『ハードボイルドな男に酒を語らせるように定食を語らせるギャップ』のおかしさでウケたんでしょう。久住さんやタモリ倶楽部系の人たちのくだらないことへ真面目に取り組む面白さっていうアレですが、そーいうのって「80年代まででもう結構」って感じです。
みうらじゅんさんなんかも無理してまで面白いことをしなくてもいいのにって気がします。今、みうらじゅんさんで一番面白いのはいとうせいこうさんと仏像を観に行く番組です。ミスマッチやギャップを笑うのではなく正面から仏像に向き合って唯一無二の仏像番組です。コレに勝てるのはNHKの「美の壺」くらいでしょう。

 故人の話から離れちゃってるので谷口ジローさんに戻します。「孤独のグルメ」はハードボイルドのパロディ的な意味合いで谷口ジローさんに作画の依頼があったんだと思います。それまでの作風と比べて「コレは谷口ジロー案件ではないどろ」って思ってました。ヒット作になったんだから当人は満足なんでしょうけど、同じく故人になった松方弘樹さんが武の番組にでるようになった時の違和感に近かったです。松方さんもノリノリでバラエティー番組に出ていたみたいですけどね。
谷口ジローさんのキャリアで代表作といえば「欅の木」とか「坊ちゃんの時代」だと思います。ぼんやりしてるのは自分が谷口ジロー作品をほとんど読んでないからです。読まなかった理由はつまんなそうなマンガだったからです。
谷口ジローさんを評するときに必ず出るのが画力の高さですね。谷口ジローさんもマンガの売り上げのイメージでは意外なほどの主要マンガ賞を受賞してますし、画集すら出版されています。マンガを芸術のひとつだと思い込んでいるフランス人からの評価も高いようです。マンガが写生大会だったら美大生にまじってもそこそこなレベルだと思います。でもマンガ絵としたらどうなの?っていうレベルなんじゃないかな?同時期にひたすら絵が上手いことで一世を風靡したマンガ家に大友克洋さんがいます。マンガを描く上で大友を模写(パクる)するというのがトレンドになった時代です。両者とも骨格からキャラを描くので「正しい人体」は描けるんですが、一世を風靡する絵と風靡しない絵にはどこに差があったんでしょう。マンガでいう上手な絵というのは正確な描写ではなくて的確な表情を描き分けることにあります。

 イラスト画家とマンガ家の大きな違いはイラストは求められる絵を描くことですが、マンガではストーリーの都合上出てくる絵はすべて描くということです。よく言われてきた投稿マンガでのアドバイスに「1作品で1コマだけでも読者を引きつけるカットを入れましょう」っていうのがあります。逆に言うのならば「ほかのコマでは読者を引きつけなくてもいいからストーリーを展開させる絵を描け」ってことです。キメ絵だけを頑張ってるマンガじゃダメなんですよね。大友克洋さんはイラストでもキャラに表情があるので著名な絵画よりも人々の目に入ってきます。そりゃ人気も出ますよね。
マンガの作画ではシチュエーションにあった表情が描けなきゃ高い評価はされません。マンガにおける絵が上手というのは誇張したり省略するセンスが求められるからです。マンガを読んでいて引き込まれるのはそーいう作画の部分だったりします。一般の読者は「この絵は丁寧にかいてるなぁ」っていう基準でマンガを読んでいません。絵が下手なマンガ家の代表として上げられがちな福本伸行さんですが、マンガ絵のレベルでいえば谷口ジローさんよりも上でしょう。谷口ジローさんに福本伸行さんの描くような後悔や懺悔、猜疑心、絶望、妬みを表情だけで伝えられるマンガ家は数少ないです。御大、高橋留美子さんは作画でいえば疑問があるのに表情の生き生きさや可愛さで一世を風靡しました。マンガ絵の序列でいえば大友克洋ー高橋留美子ー福本伸行ー谷口ジローって順番になりますね。

 谷口ジロー作品をほとんど読んでこなかったんですが、自分が谷口ジローさんを最初に認識した作品が「事件屋稼業」でした。当時は少年マンガに見切りをつけて少女マンガばっかり読んでいた頃でした。少コミや別マが全盛期でレディスコミックから本格派の女性マンガが台頭してきた時代でしょう。バランスを取るためか漫画ゴラクやアクションといった劇画誌系のマンガも読んでました。その当たりで見つけたのが「童夢」を描く前の大友克洋さんや「事件屋稼業」の谷口ジローさんでした。別に自分に先見の明があったはずもなく、後にふたりともがフランス人に崇められる存在になるなんで思っても見ないことでした。この頃のエピソードを「坊ちゃんに時代」など多くの谷口ジローさんの作品の原作を担当し、40年来の親交があったマンガ原作者の関口夏央さんが読売新聞に追悼のコラムを寄稿していました。『絵は上手いが話が作れないマンガ家がいる、助けてくらないかとマンガ雑誌編集者に頼まれた』っていうエピソードが出会ったきっかけだそうです。この編集者のいう「話が作れない」というのが絵が上手い人の共通の悩みのような気がします。同様の絵がメチャクチャ上手なのに原作者に頼ってるマンガ家は池上遼一さん、たなか亜希夫さんなどが浮かびますね。比類無き絵の上手さなんですが「それ原作が必要なほど複雑なハナシかな?」って思うことがあります。マンガを描きたい多くのシロート(同人誌など)さんたちはストーリーに絵が追いつかないか、絵は描けるがストーリーが思いつかないかのどっちかです。
絵が描けなくてストーリーも浮かばないけどマンガを描きたいって方もいますが、まったく描けないのにマンガを作りたいっていうのは、野球をやったことがないのに草野球チームに入るくらい無謀かもしれません。一般論で絵が下手というのは諦めがつきやすいです。野球でいえばフライが捕れないとか。でもボールは取れるが投げるのがダメ、打つのがダメっていうのは判断が難しいです。マンガ家は美大出身ばかれではありません。ベースとしての絵の基礎をすっ飛ばしてることが多いので技術的にあやしいマンガ家も多いです。ボールが取れないプロ野球選手はいませんが、絵が苦手なプロマンガ家はいっぱいいますよね。

 関口さんのコラムには『絵が上手いのは承知していたが、話が作れないのではないとすぐにわかった。70年代のこけおどしな劇画の特徴を嫌っていただけなのだった』とフォローしています。しかし『谷口は私の書いた設定、セリフ、ナレーションをいっさい変えなかった』と書いています。原作と作画の関係ではなくて企画・脚本と撮影・監督の関係だと。当時の劇画をこけおどしというのも判るい気がしますが、こけおどしが描けないというのはマンガのキャラの表情に対するマイナス要素って思います。「探偵屋稼業」そのものがアメリカ映画や松田優作さんや原田芳雄さんのパロディ的な狙いっていう感じだったような記憶です。さらにそのパロディが「孤独のグルメ」ですね。関口さんは出会って3年目に「探偵屋稼業」が始まって谷口ジローさんの絵にユーモアの味が加わったと書いています。初めから絵が上手と言われているマンガ家の中で表情がついていない人は、その後も面白いマンガが描けるようにならないようなイメージです。絵の上手い・下手で分けるよりも魅力あるキャラかどうかで分けると、精密な絵よりものびのびとした絵のほうが魅力的です。現役マンガ家でもっとも画力が高い作家のひとりの森薫さんも、デビュー時の画力は同人誌系では十分な喰らいの画力でした。単行本の「シャーリー」は2巻まで出ています。1巻目はデビュー前に同人誌で描いたシャーリーで、2巻目は「エマ」の連載終了後に描いたシャーリーです。比べてみて違うところはキャリアからくる画力のアップ。変わっていない所はシャーリーというキャラを可愛く見せる表情。画力アップの目的が上手さをひけらかすためではなくて、女の子を可愛く描くためという歪みない努力がスゴかったんです。「エマ」は長期連載だったんですが1巻ことに描き方を変えて進化してるさまがわかります。それでも表情こそがマンガ絵のキモだということを一番知ってるマンガ家なので、劇画風のタッチになりがちなシリアスな絵でも多くの読者が不得手感を持たずに読むことができるんでしょう。

 谷川ジローさんの記憶に残るのが「孤独のグルメ」だけじゃ可哀相なので「坊ちゃんの時代」をお薦めします。本当は「探偵屋稼業」がいいんですが絶版だと思うし古本屋チェーン店で見つかるような代物でもないですから。「坊ちゃんの時代」は豪華本とかさらに豪華なカラー豪華本とか出ているので、さすがフランス仕込みって感じでしょうか?ストーリーは関口さんが担当していますので保障出来ると思います。読んでいないから知らんけど・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

アダルト百合マンガ - 2017.02.07 Tue

西UKOさんの短編集「宝石色の恋」です。

 前回は大人百合マンガということで4コマ連載作品の「collectors」を取り上げましたが、今回はアダルト百合マンガの「宝石色の恋」です。大人百合とアダルト百合っていう分け方は言葉遊びだけど、ジャンルとしての大人向けとアダルト向けでは、アダルトという言い方のほうがHな感じがしますよね。そもそも西UKOさんの作品は、それほどエロエロを目的としているわけではないです。
女性同性愛者の作品といっても主人公が LGBT であることをテーマにしたものやジェンダーフリーを訴えるもの。耽美や倒錯など幻想の世界ととらえるもの。美少女やロリータ趣味ととらえるもの。完全にポルノとしての作品。同性愛こそ純愛とかナチュラルに恋愛ととらえてるものなど。
LGBTがテーマの作品は社会や周囲の無理解を訴えるメッセージ性が強い傾向にあります。耽美は普通のセンスの読者にはハードルが高いようです。美少女系はアニメやラノベのほとんどがコレで「男子キャラっていらなくね?」という概念からスタートしています。ときめきメモリアルから主人公を排除したような感じです。恋愛作品ととらえてるものでも純愛とか友情とかゆーてるのは美少女ものに近く、ナチュラルな恋愛ものは LGBT 問題を引きずってたりします。まあポルノは論外ですけど・・・

  ブログ画像 宝石色の恋 西YUKO JPEG

 「宝石色の恋」はタイトルからイメージできる通りにシャレオツな大人の恋愛マンガです。1冊に17作品も掲載されてるので、お得というか細かいっていうかって感じです。同人誌キャリアもあるので短編集としても同人誌テイストな作品が多いです。同性愛をテーマにしたときにありがちな「周囲の無理解や偏見」や「女性を恋愛対象には考えられない」といった面倒くさいお約束はありません。LGBT の権利と主張するタイプの人たちからは、ジェンダー問題を理解してないとかお花畑な話って思うかもしれません。しかし恋愛マンガって元々がお花畑のストーリーです。社会問題やネガティブな悩みをテーマにするのは、恋愛マンガを描くという本来の目的ではありません。西UKOさんの描く恋愛マンガのテーマはイチャイチャするカップルの表情なんですが、相手が異性だろうが同性だろうが恋人ということには変わらないっていう作風です。前回の「collectors」も交際相手が異性じゃないからヘンなのではなくて、パートナーの収集癖に共感できないカップルをテーマにしています。
逆に同性愛のリアルな現実を描きすぎてる LGBT と正面から向き合った作品のほうが、レズビアンという言葉の持つ偏見や差別性を感じたりします。もっと性差別な印象が強いのは最近ハヤっているような美少女萌え百合作品です。

 LGBT やジェンダー問題に真摯に向き合った過去の名作の多くは必ずしも可愛い女の子が主人公というワケではありませんでした。その方面での大御所マンガ家のやまじえびねさんなんかは、男子中高生からみて「求めてるキャラはこれじゃない」っていうほど萌えから遠い絵柄です。やまじさんは自分の作品を男が読むことなど想定していないです。むしろ「男は読むな!」ってくらいですね。
やまじさんはクラブとかビアン・バーなどの水っぽさや業界っぽさを前面に出してるって感じです。その方面のクラブなどは実際の同性愛者の方々にとっては同好の士が募る場所何でしょうけど、ジェンダーを意識していない一般の読者にとっては、同性愛はアンダーグランドの方々っていう印象を与えちゃいます。登場人物がカタカナ業種やアーティスト系っていうもお水っぽいです。このタイプの「本当の同性愛はこうなんだから」っていう作品の中には「ノンケのヤツらに理解されたいとも思わない」っていうかたくなさがあります。それは同性愛じゃない人たちへの逆差別な気もします。
主人公を可愛く描かないで大人百合をテーマにした佳作に鳥野しのさんの「オハナホロホロ」という作品がありました。「オハナホロホロ」は働くシングルマザーのお話で、昼間にお勤めしている大人の女性同士の恋愛や別れのお話でした。各種 LGBT も登場するし恋愛対象として男性も登場します。同性愛を夜の世界のモノとして逃げることなく、昼間の世界で生きている人々を描く画期的な大人百合マンガでした。LGBT のテーマを抜きにしても恋愛マンガや家族マンガとして、十分に読み応えのある作品でした。

 西UKOさんの絵柄は萌え絵好きな男の子が苦手なリアル美女のキャラデザインです。マンガ好き男子の平均的なリア充ヒエラルキーは下層に集まっていますので、イケてる女の子とか化粧濃いめなお姉さんキャラにはシンパシーを感じません。このキャラデザインからして西UKOさんは男子を読者として想定していません。そもそも百合マンガに萌えを求めるのなら少女が主人公じゃなきゃダメでしょう。西UKOさんの作品には少女はおろか女子高生すら出てきません。最低限お酒が飲める歳なキャラが主体です。これはそれ相応のお姉さん以上の方々を読者に想定してるんでしょうね。
西UKOさんの作品のレビューで多数を占めているのは『こういう百合マンガが読みたかった』っていう感想です。こういう百合マンガじゃない萌え百合マンガが好きな読者にとっては、これじゃないって思うんでしょう。百合マンガファンがどれほどいるのかは判りませんが、百合=萌えではないっていう読者も一定数いるってことです。大人が少年ジャンプを読まなくなるのは、世の中の仕組みが友情、努力、勝利だけで出来ているワケではないことを知るからです。同じようにりぼんを読まなくなるのも、一番格好いい男の子がサッカー部員でも生徒会長でもなくなるからです。
読者が成長すればマンガも成長しなきゃいけないんですが、百合マンガに限っては描いてる絵もドラマのベースもちょっと幼稚な作品が多い印象です。野球マンガやサッカーマンガでバットを振ったこともボールを蹴ったこともないマンガ家が描くスポーツマンガって感じがします。野球マンガは野球部員が読んでも納得できるストーリーじゃなきゃいけません。百合マンガをうたうのならば、同性愛者の方々が最低限は納得できるレベルにする必要があります。野球マンガは野球の経験者でないと描けないというワケでもありません。同じく同性愛者でなくても百合作品は描けるし、むしろ当事者でないほうが客観的な創作ができることもあります。

 過去の百合マンガはこのジャンル自体が未開拓だったので編集部で簡単にOKが出るような題材ではなかったと思われます。同性愛に対する世の中の偏見があった時代に、マイノリティを扱うことへの躊躇が制作側にもあったんだと思います。したがって新人がおいそれと描けるネタではなく、実績を上げたマンガ家が慎重に描いていたっていう印象でした。この頃は世間のい偏見と闘う同性愛っていうテーマが多かったです。
近年は百合ブームで百合専門誌?などもできて揺りマンガがカジュアルに描かれるようになりました。特徴は女の子同士ならばとくに規定がないことで、マンガのストーリーの出来とは関係無く成立しちゃうことです。この安易さは新人マンガ家やインディーズのマンガ家にとってはとてもチャンスがあります。結果として絵がちゃんと描けていない百合マンガや、ストーリーが幼稚な百合マンガが溢れちゃっています。これはっていう作品も多々ありますが作者が特定されてるモノばかりです。アニメのブームが衰退して一部のアニメファン以外が離れていった原因が安易な百合アニメにあるとも言えます。百合アニメがいけないのではなくて安易なことがいけないんですよね。現状では出版社も安易に百合マンガを描かせて、マンガ家も百合マンガだったら安易に描けるって思っちゃってることが心配でなりません。

 最後に本題のアダルト百合マンガについてです。前回取り上げた「collectors」は恋人同士の日常を4コママンガで描いていました。性格が違う同士のいざこざがのトーリーですが、そのラストのコマは必ずイチャイチャで終わりたまに夜のシーンもありました。まあ恋人同士は愛し合ってるよっていうことなんですが「宝石色の恋」では具体的にアダルトな夜のシーン多めになっています。その分アダルト百合マンガなんですが、男の子向けマンガではないので過度な期待には答えていませんよ。
ベッドシーンは西UKOさんが描きたいだけかもしれませんが、百合に清楚とか純真を求める野郎たちを拒絶するためのアイコンなのかもしれません。男女の恋愛ではセックスするのに女同士だと中学性のような恋愛を要求するのは、それ自体が LGBT への偏見によるものだと思います。
「collectors」ではベットシーンをほとんど1コマで済ませていながら、主人公同士が愛し合ってることをは十分に表現出来ています。直接ベッドシーンを描かなくても、そーいう深い関係っていうことを読者に判らせるセンスですね。


「ほぉ」って思ったら押してね

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ