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2020-08

レーシングN360  - 2020.08.10 Mon

プラモデル作りの第3弾です。

 コロナ禍の緊急事態宣言も解除され、会社からも「毎日出社しなさい」とのメールが来てはや2ヶ月です。もう不要不急の引き籠もり生活ではないのですが、相変わらずプラモデルを作っています。実は緑のN360を作ってる最中に新に2台のN360を仕込んでいました。今回はレース仕様のN360 を2台同時制作です。順番に作っていて気がついたのは同じ色の部分(内装や足回り)は一度に塗ったほうが手間も塗料も節約できるっていうことです。
前回の赤N360と緑N360はホンダの純正カラーを意識して作った「教科書通り」の作例でした。プラモデルに限らずスケールモデルの趣味の人はホンモノ至上主義とジコマン主義に分かれます。ホンモノ主義の人は正確なディテールの再現を良しとして、再現されない部分は間違っているという考え方です。
ジコマン主義とは自分が納得すれば多少は“オリジナル”でも「まぁ、いいか・・・」って思える人です。ジコマンのい人たちだってデタラメがいいとは思っていません。史実に忠実なのが全て正解じゃないというか、正解を求めるために作ってるのではないということです。博物館へ納品するわけじゃないし・・・
カーモデルは実物が存在するのでホンモノと比較しやすいにで、ディテールの差異が気になりやすいです。逆にミリタリー系はプラモデルを作る側もギャラリーも資料が乏しいから、正確さよりもそれらしさのほうが重要です。兵器オタクのレベルだったらうるさく指摘するんでしょうね・・・ イメージでは陸軍~空軍~海軍の順にディテールの重要度が上がっていきます。
意外とホンモノよりも正確に作られているプラモデルがガンプラなどキャラクター商品です。アニメの画面の絵こそがホンモノのはずですが、実際のプラモデルのほうがアニメの作画よりも精密に作られていたりします。
またイメージトークですが、鉄道ファンの方々は9割くらいはホンモノ至上主義です。その理由は鉄道には架空の鉄道というモノが存在しないのと、鉄道ファンとは知識の量が勝敗を分ける趣味だからですね。趣味の世界で勝敗っていうのが理解しにくいんですが・・・
これらは自分のリアリティーを追求する技能のなさを、ジコマン主義なモデラーと言い訳しているだけです。そもそもマンガっていうのもジャーナリズムではないわけで、マンガ好きがリアル指向でどーするの?って感じですよね・・・


 ブログ用 N360 R b
  杉田モータースの33号車 ベース車は HONDA N360 N1 です。

ハセガワの HONDA N360 RACING です。前回作ったノーマルのN360 の限定版で、レーシングシートやロールバー、オーバーフェンダー、ヘッドライトのオミットパーツなど追加パーツやそれっぽいレーシングデカールが新規に入っています。キットそのものは限定版らしくすでに入手困難だと思われます。
このモデルは杉田モータースがレースに参戦したN360  N1を再現したという設定です。この仕様が正しい当時のレースカーのディテールかどうかを知っている人に会うとも思えません。ネットで画像を拾おうと思ってもあんまり決定的な当時の映像は出てきませんでした。それでも当時の実車を忠実に再現するのがカーモデルの醍醐味なんでしょうが、前記のとおりに自己満足のプラモデル作成だからオリジナルのレーシングカーです。


 ブログ用 N360 R d
  ダンロップのステッカーも当時のロゴでないと台無しになります。

そもそもホンダN360とは当時の軽自動車の規格である360cc のエンジンを積んだホンダ初の実用的な乗用車でした。エンジンはホンダのバイクの中から手頃な450cc の空冷エンジンを流用。後発メーカーながら安価て高馬力というのがウケて、販売後すぐにスバル360に売り上げで勝ったという人気車でした。しかし、いくら高馬力といっても31馬力くらいなんですがレースに使われていたのは本当だったようです。前回の記事の暴走ポルシェへの内容と矛盾するんですが、やっぱり昔からクルマっていうものは競走したくなる何かがあるんでしょうね。暴走行為はいけませんがこの作例はサーキットで走るための改造車だからセーフです。(何の言い訳なんだか・・・)
歴史を振り返ると日本のレースの黎明期は国産のクルマはどんな車種でもレースに使われていたようです。スカイラインや輸入車で本気の国際レースもあったんですが、心意気だけで参戦できる今写真を見るとどーなの?って感じのレースもあったようです。
レースカーのプラモデルを作る時の華は、何と言ってもカラーリングの派手さとスポンサーのデカールの賑やかさでしょう。極端なハナシだと乗用車のプラモデルだったらピカピカに磨くことくらいしか頑張れるところがありません。しかしレースカーは同じ形でも面情報が多く、そのクルマ固有のストーリーも生まれます。
派手なカラーリングと賑やかなデカールがレースカーの魅力と書きましたが、昔のレースカーを作るコツは綺麗なカラーリングにしすぎない、デカールを張りすぎないという感じです。実はクルマをカラーリングするのは結構大変な作業です。今でこそカッテングシートでCGをそのまま貼り付けられますが、昔のクルマは塗り分けなきゃいけません。ましてや街の車検屋のチームだったらマスキングしてスプレーでしょう。そうすると塗りやすいカラーリングと色数がリアリティーになります。
昔のクルマは新車でも大して綺麗な色ではないのですが、レースカーは当時でも海外のレースチームで凝ったカラーリングのレーシングカーはありますが、それは海外の本気のメーカーやレーシングチームのマシンです。
デカールも本来はスポンサーの広告が目的なので、支援を受けていないクルマには張るステッカーがありません。現代のレーシングカーは企業の広告費ではしっているから耳なし芳一のような広告だらけです。


 ブログ用 N360 R a
  杉田モータースの24号車 ベース車はHONDA N360 N2 です。


 24号車のほうは限定版ではなくて通常版をレース仕様にしたモデルです。杉田モータースのオリジナルのロールバーとフロントグリルの加工をしています。FF車の定番チューンである“前下がり”のセッティングになっていますが、実はロールバーを太くしすぎたためリア側が天井に干渉しシャーシにはまらなくなっちゃっただけです。
実験でははまったのですが、組み立てのときは窓ガラスのパーツ分天井が低くなるコトを想定していなかったのが原因です。カーモデルでシャーシパーツとボディパーツがハマらないという失敗なんて聞いたことがないでしょうけど、FF車のセッティングと納得するのがジコマン主義です。
このハセガワのHONNDA N360 のキットはノーマルの車高とローダウンした車高が選べるので、前輪をシャコタン、後輪をノーマルにすればボディにキッチリ収まっても前下がりにできます・・・


 ブログ用 N360 R e
  BPのステッカーは、杉田モータースが当時珍しい輸入オイルの代理店だからという設定です。

 このモデルは旧車も走行会仕様ではなくて60年代の船橋サーキットをイメージしていました。しかし船橋サーキットが閉鎖されたのが1967年7月でホンダがN360 を販売したのが1967年3月。微妙なタイミングですが、こーいうウソディテールを考えるのがプラモデル作りの醍醐味です。船橋サーキットの跡地は現在 IKEA がある場所です。
キャノンのカメラで撮影するとせっかくの「あんまりパッとしないカラーリング」が綺麗な色に補正されてしまいます。これはカメラの機能が高いせいで、よりパッとした色に写してやろうという親切設計のおかげです。接写なので露出等の設定をいじったり、使ったことのない撮影モードを試したりしてもせっかく調合した“発色が悪いブルー”や“味気ないクリーン”が再現されません。発色がイマイチだからこそキャノンの技術の粋を集めて綺麗にしてくれているんですけどね。
面白いのはスマホで撮影したほうが「素っ気ない色」を忠実に再現できます。カメラの色味の補正は全体のバランスをよくすることは得意だけれどもピンポイントの色は苦手っていう印象です。微妙な中間色の色味をカメラが勝手に決める傾向にあります。本気のキャノンユーザーは使いこなしてるんだろうけどね。
自分がやった方法はカメラが綺麗に撮った写真をCANON DDP4 という写真の補正ができるソフトでパッとしない写真に補正するという無意味なことです。モノ撮りやおしゃれ小物の写し方の本をよんだんですが、基本は綺麗に撮るための教則本なので綺麗に撮れたら正解なんですよね。


 ブログ用 N360 R g
  白背景だとホワイトバランスが持っていかます。ホワイトバランスってどうやるの・・・?


 ブログ用 N360 R h
  レンズは試行錯誤の末に24mmの単焦点を使いました。ボケよりも奥ピンを優先してます。

 ブログ用 N360 R i
 ノーマルと並べるとクルマの情報量(印象)が違いますね。たくさんあると幸せな気分ですね。


 とりあえずハセガワのHONDA N360 はもういいかなって感じです。N360 はあくまでも習作ですから。次のステップは念願のポルシェを作っていきたいと思います。
自分がレースを好きになったのはポルシェが原点です。スーパーカーと間違えてポルシェを追っかけていったら自動車レースの世界があったんです。ポルシェは60年代から各年代でレース界の盟主として君臨していましたが、とくにスーパーカーの時代を飾ったレーシング・ポルシェを作っていきます。70年代~80年代のポルシェが大好物なんですよね。
個人的には市販のポルシェにはあんまり関心がありません。公道で高性能でも意味がないですから・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

チューナーの未来は? - 2020.08.04 Tue

楠みちはるさんの「首都高 SPL (スペシャル)」です。

 8月2日の朝8時頃、神奈川県の首都高 湾岸線にて国産車にポルシェが追突し国産車の乗員2名が死亡する事故が起きました。注目された部分は加害者のクルマがポルシェの中でも特注のタイプであることと、走行中の追突事故とは思えないほどの破損をしていることです。後ろから追突して大破というのは避ける間もなく煽ったという極端なアオリ運転です。この追突は前方不注意ではなく、後ろからせまっての追突だから。
ポルシェは速いというのは一般の方でもイメージできるでしょう。しかし当該のポルシェはGT2 RSというグレードで4,000万以上するとネットで大騒ぎになっています。これはポルシェが300キロオーバーで市街地を走れる仕様のグレードです。
ネットでは「サーキットで走れる市販ポルシェ」って表現ですが、むしろ「サーキットの性能を金さえ出せばシロートにも売るポルシェ」って感じです。300キロも出るクルマだったらサーキットで走れよっていう意見ですが、サーキットッで走るためのポルシェはまた別のグレードです。加害者のポルシェはあくまでも公道では最強だけどサーキットに行くと「市販車」というカテゴリーです。それでも無類に速いクルマなんですけど・・・
加害者の親族が証言するに加害者は事件当時大黒ふ頭へ向かっていたとのことです。関東の人ならイメージできるでしょうが、湾岸線の横浜側にある大黒ふ頭PAはソッチ系のクルマたちが愛車自慢のためにたむろっているスポットです。本来ならサーキットで性能を自慢するための性能が4,000万円以上の価格を自慢するためだけに使われているのが現状です。
事件は社会的責任を糾弾する人たちがネットで頑張っているだろうから、憤ってる方や憤慨している方はネットニュース等を参照して下さい・・・


 今回の記事の本題は「カー&ロード」というクルマの雑誌が、休刊してしまうという危惧についてです。まだ休刊って決まったわけではありませんが、上記のような首都高での暴走事故への社会的なバッシングを考えると存続の意味がなさそうです。
クルマを所有する人が減り生続けている中でクルマの雑誌の意義が問われていると思います。クルマの雑誌というと「NAVI」や「カーグラフィック」などの老舗雑誌。「driver」や「ベストカー」などの一般ユーザー向け雑誌。「OPTION」などの改造車向けや「ヤングオート」などのヤンチャ系雑誌。「ル・ボラン」や「ゲンロク」などの輸入車系雑誌。「Tipo」や「カーマガジン」などのエンスー向け雑誌などなど・・・  どの雑誌も部数的にピンチのようですよね。それは雑誌の内容とか活字離れとかの問題ではなくて、何巡にカー雑誌というものに対する需要がなくなったんだと思います。
「カー&ロード」はショップ系チューンドをメインにした雑誌ですが、速いクルマに対する世間の意識は今回のポルシェに事故でハッキリしました。そもそも暴走行為やアオリ運転等の危険運転が法改正で明確な犯罪行為として明記されたことが大きいです。
それまでも犯罪であり違法行為だったのですが、道交法というグレーを含んだ法律では人が死んでも事件なのか事故なのか判断が難しいケースになりがちでした。法改正で変わったのはクルマでの暴力行為が、全て事故ではなくて事件になると明記したことです。危険運転や暴走行為が凶悪化している印象もクルマ好きには逆風です。
そもそも「クルマ好き」ということが許されない世の中になりそうです。速いクルマに対する「法定速度以上の性能は必要無い」とか言われちゃうと、まったくその通りです。クルマは文化であり趣味でありって思う人ばかりではないんでしょうが、クルマを持っていない人にとっては理解し難いことなんでしょう。「ゴルフは人生だ」って言ってもゴルフをやったことがない人には響きません。
ネタばらしですが「カー&ロード」というカー雑誌は楠みちはるさんの「首都高 SPL」というマンガの中に出てくる架空のカー雑誌です。「首都高 SPL」はタイトル通り「湾岸ミッドナイト」の流れをくむチューンドカーの首都高バトルものです。だから首都高バトルという概念が現代社会ではNGなんです。
実際のポルシェの事故映像が出回り画像解析で280キロ以上出ていたとのことでした。ちょっと次元が違うというか常識が通じない人の運転です。この映像がホンモノの300キロオーバーの世界ですから、楠みちはるさんの作品に出てくるチューンドカーもこーいう世界観です。今回取り上げている「首都高SPL」でもGT-Rに乗って『大台・・・300キロってコトですよ。大丈夫です、そうゆう風に作られたクルマですから・・・』っていうセリフがあります。完全にアウトな作品ですね・・・
性犯罪や猟奇殺人が起こるたびにマンガが悪いとかアニメに影響されたせいだとか言われるのはウンザリしてきました。「永井豪の影響でスカートまくりが流行ってけしからん」って、その通りなんですけど、今回の件は別の意味でマンガを擁護できません。
今、楠みちはるさんの作品を読んでいる人はマンガファンというよりもクルマが好きな人なんだと思います。ここまでニッチな改造車マンガを読んでいる人の中で、GT-Rとかポルシェとかをよく知らないっていうのは極めて少数派だと思います。つまりクルマ好きがクルマ好きのために描いているマンガなんです。しかし現実のクルマ好きの中で「首都高SPL」に登場するようなポルシェやGT-Rに乗ってるのは加害者のような人種(性格ではなくて経済力が・・・)しかいません。過去の「湾岸・・・」の主人公のアキオは貧乏少年で、主人公メカの悪魔のZは解体屋で見つけた廃車をリペアしたものです。
「あいつとララバイ」の研二も「湾岸・・・」のアキオも、マガジンの読者層と同程度のキャラクターでした。その頃の若者マンガの常である「大人は敵、金持ち(ブルジョア)は敵」というスタンスだったと思います。両作品にもブルジョアで最強なライバル車としてポルシェが登場します。それが今ではブルジョアな金持ち向けのマンガを描いています。途中まではホンダとかマツダとか庶民的なスポーツカーをイジって「ホンモノのチューンが何たら・・・」っていうコトもあったんですが。
スカイラインの中古GT-Rは市場価格が暴騰しているし、ポルシェが空冷とか水冷とか言ってる庶民はいません。「サーキットの狼」の頃は茨城のチンピラがランボルギーニに乗っていたりしていましたが、読者が小学生だったので気になりませんでした。あの頃のスーパーカーはほとんどが実在んぼオーナーがいたようです。
今回のポルシェの事故は交通事故史上最悪の事故(交通犯罪)の一つと言われています。庶民が望むのはくだらない高性能車への規制であり「100キロ以上出る性能を規制するべし」です。飲酒運転が規制されたのも、アオリ運転の規制が本格化したのも、高齢者の踏み間違いが問題化したのも悲惨な事件が法律を変える原動力になってきました。不幸ながら国民の意見が法律を変えさせてきたのが道交法です。
今回は輸入高級車へのリミッターとか過度のスピード違反への重罰化などが考えられます。そうすると「首都高SPL」は連載中に登場人物が300キロで首都高を表現が、重罰化を求める庶民な読者の声と反してしまいます。暴走行為も今までも許されていたというワケではなく「湾岸・・・はマンガやゲームの世界だから・・・」って許されていたことがマンガ表現でもNGになるということです。同様に飲酒運転や未成年の喫煙や飲酒はマンガでもNGになっています。
監督の鉄拳制裁や特定選手(主人公)への英才教育やかわいがりの野球部が甲子園を目指して、勝つために地獄のしごきに絶えた選手たちが甲子園で優勝するマンガってNGでしょう。同じように国籍や民族を差別する作品もNGです。
じゃあテロリストや殺人鬼が出てくるマンガはNGなのかといえば、そーでもありません。悪がNGなのではなく読者が不快に思うことがNGなんです。自分はゾンビが不快(シナリオ的に)ですが、ゾンビが大好きな読者はたくさんいます。


 今回の事件では加害者が乗っていたポルシェは殺人マシーンのように扱われています。自分はニュースの映像をテレビで観たときに、不覚にも「おおっ GT2が・・・」って思っちゃいました。隠れクルマ好きの人はみんな思ったと思います。しかし世の中はポルシェの不買運動をやりかねないくらいの怒りです。起こってる人たちがポルシェの購買層なのかどーかは別として・・・
ちょっと面白かったのは、加害者のクルマを「ポルシェ」と思ってる人と「GT2」と思ってる人では怒りながらもニュアンスが少し違っていました。「ポルシェ」って言ってる人は迷惑な金持ち野郎への人格攻撃がメインです。「GT2」と言ってる人クルマの性能を馬鹿なオーナーが無駄使いしていることを嘆いてるコメントが多いです。
世の中の多くの人が言うとおり、高性能なクルマなんか必要が内のかもしれません。クルマは移動の手段であり輸送の手段にすぎない道具とも言えます。いずれ全てのクルマは全てが電気で動くようになるでしょう。それはクルマが家電と同じになりユニットを組み立てるだけになればどのメーカーも同じモノが作れるようになるということです。
世の中がクルマを道具で十分と決めるのなら高効率、低コスト、同一規格に落ち着くのでしょう。現在でも始まっているのはクルマをシェアするという考え方です。最近の自動車ディーラーでは購入よりもリースを進めています。所有しているようで権利はディーラーのままリース代に諸経費が含まれてる感じです。その先にクルマが必要な時だけシェアするとかレンタルするという発想です。
イメージですが、全てのクルマが電気自動車になったらクルマを買う人はいなくなるんじゃないのかな? 電気自動車を普及させるためには道路交通のインフラを全てやり直す必要があります。その場合は統一した規格(寸法や航続距離、電力や出力、自動運転のインフラなど)が必要になります。それはもう公共にしたほうが都合がいいのかもしれません。自分用の電車とかバスがないように、手軽に使えるクルマというモノは赤いシェア自転車のような使われ方かもしれません。
それは今よりもクルマが安全で低コストな道具になるということですが、クルマという文化は消滅するでしょう。
過去に文化やロマンのある趣味として成立していたが技術の進化で成り立たなくなったのがオーディオです。それまでは高価なアンプやスピーカーは性能が重量に比例していました。オーディオマニアというのは高級住宅に棲んでいる人の特権ではなく、音楽を聴く趣味の一つに音質(機材)にこだわるという楽しみ方がありました。しかし音源がデジタルになって音源が配信に変わると便利にはなったが、オーディオという言葉が死語になってしまいました。面白いのはハイレゾというマニアックな再生機能は、アナログレコードからCDになったときに失われた音域が再生できるようになったということです。べつに最高の音が手に入ったのではなくて、レコード時代のレベルにデジタルがやっと追いついただけのことです。
それじゃオーディオマニアはどこにいるのか?っていえば自宅にオーディオルームが作れる人たちだけが何百万もする機材を並べています。それはポルシェやマクラーレンをガレージに並べているのと同じ人種ですよね。
男女差があるんでしょうが、クルマには便利ということ以外にステータスや性能への執着、所有する愛着など色々な感情があります。ステータスは今回の加害者の例にもあるアホみたいに高いクルマを所有することです。高いクルマ=偉いっていう思考です。性能への執着は楠みちはるさんのマンガに出てくるような人種ですね。所有する愛着は日曜ごとに洗車したり細々としたカーグッズでカスタマイズしたりする人です。あと走り回るのがストレス解消だったり、クルマの中で歌ってたり、ホテル代を浮かす人など様々なことにクルマが使われています。
それはクルマが文化として存在していたということですが、クルマという商品の形状が変わっていくと文化も維持できなくなってしまいます。


 楠みちはるさんの作品については2013年の7月に「8エイト」というバンドマンがを取り上げていました。その時に書いたのですが、もう走り屋とか競走(バトル)とか言ってるマンガは無理なんでしょう。そのことを一番承知していたのが楠みちはるさん自身です。だから当時はしょっぱいバンドマンがなんかに活路を探していたんでしょう。
しかし本格ロックバンドというものが世間では大して受け入れられていないことは、冬目 景さんの新作「空電の姫君」を読めば判ります。楠みちはるさんとは盟友のしげの秀一さんは、峠の走り屋のマンガが大ヒットしました。しかし峠の走り屋=ローリング族というかっちょ悪い名前が付けられ社会問題化するようになると、張本人?のしげの秀一さんも暴走を助長させるようなマンガは描きにくくなったようです。
しげの秀一さんはクルマやバイクの次に大好物の女子高生をメインにしたマンガに活路を探しました。しかし20代後半のプロのお姉さんが店のユニフォームのセーラー服を着たようなマンガが読者に受け入れられるワケもなく、打ち切られるように連載は終了してしまいました。しげの秀一さんが通っている?お店のセーラー服の女の子が、ホンモノの女子高生だとどうして思ったんでしょうか?
しげの秀一さんのマンガは死後になった「ブルセラ」という言葉を何故か思い出します・・・
そんな86の宣教師だったしげの秀一さんは「MF GHOST」という近未来で近未来のプロレースのマンガを描いています。車種は近未来なのに現行車(作中では往年の名車扱い)で、非力な現行型のトヨタ86で外車軍団とレースをするストーリーです。前作の「イニシャルD」を読んでいなかったのでピンとこない部分や共感しにくいところもありますが、しげの秀一さんなりの社会との折り合い方を見つけた作品です。
楠みちはるさんの作品の魅力は有能な人物のかき分けが上手いということと、セリフで説明できる文章力です。ちょっと説教臭いとこもありますが暴走シーンと能書きシーンでは圧倒的に能書きを読ませるマンガになっています。今の連載ではポルシェを改造してるパートよりも主人公の元嫁が「カー&ロード」という雑誌づくりに奔走しているパートのほうが読んでいて面白いです。
このままうやむやなまま連載終了してタイトルが変わるような気がしますが、首都高から一度てを引いて違う何かを作っていく作品を発表して欲しいです。それがクルマ文化をテーマにしているんだったら自分は読みます。世の中が受け入れるかどーかは判らないけどね・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

1年越しの回答 - 2020.07.30 Thu

1年前に見た謎が解明された件

 コロナ禍の中なれど 「GO TO キャンペーン」が強引に始まりました。しかし梅雨は終わらず豪雨や雷雨も止まりません。政府のヘンな扇動のせいで観光地がコロナの危険にさらされるという意見やこのままだと観光産業が全滅するといった意見がありました。結局は日本中の天気が悪いので観光地の出足が鈍り、自粛モードを保ちながら観光地では GO TO 気分を味わえる結果になったようです。
一連のコロナ禍で自分の影響は出社規制がかかり週2回の輪番休暇になったことです。ウチの会社は在宅勤務ではなくて自宅待機という形式のため、家で起きていれば(電話にでれる状態)何をしていてもおとがめなしでした。緊急事態が解除されたら内勤は時差通勤(ラッシュ時の交通機関を避けるため)ですが、元々出社時間にルーズなチームは平常に戻っちゃいました。
コロナに対する大学教授、医者、政治家、アナウンサー、タレント、有識者、ネット民など様々に人の意見が見事にバラバラで、専門家と称する意見には常に逆張りの意見があるのが面白いですね。
コロナ禍で一番違和感があるのは「コロナ禍」という言葉です。“禍”って何だよ?って誰も言わないのも不思議でした。この言葉を初めて聞いた時に「戦時下」と同じ「コロナ下」だと思いました。コロナの最中っていうニュアンスですね。文字で見た印象は「コロナ渦」で、これは渦中という言葉に引っ張られています。教養が欠けている勘違いは「コロナ鍋」ですが、鍋という字を“か”と読ませる日本語が思いつきません。
禍・渦・鍋・・・ この中でいえば“禍”が一番馴染みのない漢字です。禍は災いという意味なのでコロナという災いというニュアンスらしいです。報道用語としては新しいモノではないようですから、小池新語ていうわけではないらしいです。しかし明らかに書き言葉なので、アナウンサーが「コロナかの日本では・・・」という話し言葉で使う場合は意味が伝わらない感じがします。
先程の梅雨という言葉も話し言葉は“つゆ”ですが、漢字は“梅雨”と書きます。何で梅の雨なのか?という疑問ですが元々中国の梅のみの収穫時期に降る雨のことの梅雨(ばいう)と言葉が日本に来たようです。何しろ中国人は梅が大好きだから・・・ しかし梅雨(ばいう)の時期はカビっぽいから日本では黴雨(ばいう)という当て字が生まれました。黴雨は広辞苑でも出てくる言葉です。しかし“カビ雨”というのは風情がないから露(つゆ)に引っ張られて雨期の表現が(ばいう)から(つゆ)に変わったようです。書き言葉は「露の季節になり候・・・」って書くと天草に着く露とこんがらがるから、それまでの梅雨でいいんじゃね?ってことのようです。そもそも梅って風情があるからね・・・
日本人はつゆという季節に梅への想いをはせることがないのですが、季節のつゆを語るときには、露と混同しないように頭の中で梅雨と書きながらつゆと発音しています。しかし会話の中で「洗濯ものが片づかないから早くばいうが終わらないかな・・・」って言い方はしません。梅雨をばいうと発音するのは天気予報で「梅雨前線」と言うときだけでしょう。気象庁の図式に梅雨と漢字で書かれているのでしょうが、これを「つゆ前線」と発音しちゃうと小学生っぽくなっちゃいますね。
コロナ禍の類似品に「コロナ過」というのも思いつきました。過程の過なのでコロナ中って意味に取れそうですが、“過”は単体で「あやまち・大げさな物言い」という意味があります。コメンテーターたちのコロナ評論にピッタリな字だと思いますけどね・・・


 謎が解明された・・・っていう謎は、コロナ過とは関係ありません。梅雨もあんまり関係ありませんがちょっとだけ関係あります。自粛もGO TO もなかった2019年の6月30日の話です。当時も梅雨の真っ盛りだったので四国、九州方面は大雨に見舞われていました。そんな中、Jリーグの大分トリニータと浦和レッズの試合を観るために2泊3日の四国~九州観戦ツアーを計画しました。
スケジュールは29日の金曜日に新幹線で岡山~特急南風で琴平。その後、琴平から何かの特急に乗って愛媛の八幡浜で一泊。翌日は八幡浜からフェリーで大分入りし、夜はサッカー観戦してから大分で一泊。月曜日に新幹線で埼玉へ戻るという、弾丸ツアーが当たり前のサッカーアウェー観戦が旅行っぽいスケジュールになっていました。
「愛媛で一泊だったら松山空港から道後温泉に泊まれよ」というのがありきたりですが、宗教上の理由により飛行機に乗れないのと、そんなお大尽ツアーは組めないです。せっかくの四国~九州なんだから地元の電車に乗りたいっていうのもありました。


 大分 3
  観光地っぽい駅舎でいい感じの琴平駅
 
 西日本は梅雨で天気は全滅と聞いていたのですが、瀬戸大橋を越えるあたりから奇跡的に晴れました。四国の電車に乗りたいと思っていあたのですが、いきなり電車じゃなくてディーゼル列車でした。サッカーファンでディーゼル列車といえば鹿島臨海鉄道の一択ですが、アレよりもちゃんと走るディーゼルでした。以前に鹿島スタジアムに朝イチに着いちゃったので鹿島臨海鉄道に乗って大洗へ遊びに行こうした時に、あまりの遅さにキックオに間に合わないかもっていう恐怖を味わいました。


 大分 4
  金比羅さまの表参道 うどん屋さんと、お土産屋さんと、うどん屋さんと・・・
 
 香川といえば金比羅さま、金比羅さまといえば讃岐うどんですよね。今回のツアーでリクエストされていたのは「本場の讃岐うどんを食べる」ということでした。自分ら(埼玉県民)の想像する本場の讃岐うどんのスタイルは『普通の民家の土間で名物ばあちゃんが打ったうどんをセルフで茹でて醤油をぶっかけて勝手に食べる』というシロウトにはハードルが高いものでした。丸亀製麺をイメージしていたら大恥をかくことが予想されます。埼玉県民は甘やかされた山田うどんのせいで、うどんに対する執着度がとても低いです。埼玉にも武蔵野うどん的な食文化があるにはあります。
自分が親から受け継いだのはザルうどんを豚バラのつけ汁で食べる「パワーうどん」です。自分は子供の頃は都民だと思っていましたから、そんなうどんの文化はまわりにはありませんでした。東京っぽいうどんは、おかめうどんかな?
近年の粉モン・ブームによって肉汁うどんが武蔵野のうどん文化として紹介されたりしています。しかし埼玉県のうどんへの認識は山田うどんでベルなので、食文化と言えるのかは疑問です。
それでは埼玉県民が讃岐うどんをどう思ったかというと、同伴者ともども「うどんってこーいうことじゃないんじゃないかい?」って感想でした。あくまでも個人の好みの問題なのでうどん県にけんかを売るつもりではありません。
今回のミスはうどんの味よりもうどん1杯で金比羅さまへ登ったことです・・・


 大分 5
  参道入り口から奥社までの石段が1,368段・・・

 大分 6
  下界はあんなににぎわっていたのに、奥社には人影なし
 

去年は貧血で歩道橋を渡るのも死ぬ思いだったのですが、自己診断ではかなり改善したと判断しての金比羅さまでした。しかし1,368段は健脚でもこたえるコースです。最初に考えたプランはロープウェイで松山城というザ・観光っていうプランだったのですが、讃岐うどんを食べるというコンセプトだったので琴平下車になっちゃいました。
登っていく巨大なスクリューが展示してあったりして面白いですよ。

 大分 7
  本日の撮り鉄はアンパンマン号 四国は観光列車が多いが乗れずじまい

 
 石段の下りは上り以上に足が笑ってしまい、参道入り口まで降りてきたらもう出発予定時間になっちゃいました。ここから宿のある愛媛の西の端まで列車で行かなきゃならないのですが、本数に限りがあるので追いうどしている余裕がありません。乗り遅れたらマジで交通手段がなくなっちゃいます。アンパンマン号ではない普通っぽいのに乗りました。
FC愛媛がJ1に昇格したら今度こそ伊予灘物語~道後温泉~松山城コースをやってみたいです。
1日目の宿は八幡浜(やわたはま)にあるみかん温泉です。ここは原則ビジネスホテルなので、駅周辺で何かつまもうとおもっていたのですが、8時前なのに駅はまっくらでした。四国の鉄道網は海沿いを周回するようになっています。オーシャン・ビューなのはいいのですが、実測の距離感よりも時間がかかってしまいます。まさかのうどん1杯で本日終了?って事態に喧嘩寸前でしたが、ホテルの近所にチャンポン屋があったのでなんとかしのげました。
ちゃんぽん屋さんは、だべってる店員と思っていたケバ系のお姉ちゃんが実はお客さんだったというくらい地元密着の召せでいい感じでした。八幡浜は長崎につぐチャンポン処らしいのですが、なにぶんちゃんぽんといえばリンガーハットな埼玉民ですから・・・
懸念されていた雨も本降りっぽくなったので早々にホテルへ駆け込みました。途中にパブっぽいネオンの店に親戚一同(大人から子供まで)が入っていきましたが、さすがに一見で入る度胸も人生経験もしていません。


 二日目は朝一番のフェリーで大分へ渡ります。この日はJリーグの試合の日なので荒天出船が欠航した場合でも九州へ行けなければなりません。その場合は予讃線から瀬戸大橋~岡山、新幹線で小倉から大分・・・ っていう一日がかりのコースになります。
朝起きた段階で外に出るのもためらわれるほどの豪雨でしたが、九四オレンジフェリーのサイトを確認したら通常通り航行するとのこと。「さすがは瀬戸内海は穏やかな海だから・・・」って小学校の地理の授業のような情報で船に乗ったんですが、フェリーの航路は瀬戸内海ではなくて豊後水道でした。
豊後水道は海流が速くてガッツのある泳ぎで脂がのったアジやサバが捕れるところです。さらに朝からの豪雨で観光客の目にも波が高いって感じでした。乗船してるのはカーフェリーにトラックを乗せた運チャンと親戚込みの大家族(地元民)、そしてソロの兄ちゃん(たぶん旅人)と自分たち(サポーター)しかいません。
二等の雑魚寝スペース1ブロックは1組づつで使える貸し切り状態でした。座ってると重心が高くなって気持ち悪くなるので、ずーっと寝そべっていました。2時間半くらいの乗船中はほぼ無言でした・・・

 大分 8
  完全に公園と化している臼杵城跡 雨のためか観光客ゼロでした

 昼前に大分県の臼杵(うすき)へ上陸しました。観光としては臼杵石仏が有名なんだそうですが、臼杵に来た一番の理由が海鮮丼を食べるということでした。海無し県の埼玉県民は「海の幸」という言葉に非常に弱く、湘南へ行ったらしらす丼、新潟へ行ったらお寿司やさんっていう安直なアウェーグルメを楽しみにしています。埼玉のスーパーにだってしらすは売ってるんですけどね。
臼杵大仏はバスに乗って行くようなのでパスし、サッカー観戦=城めぐりという定番のコースを選択。船酔いから回復するまで臼杵城の城下町をウロウロすることにしました。
臼杵は派手さはないけど江戸時代の城下町の古地図の区画が今も残っていて、歴史の趣が感じられる街です。キリシタン大名だった大友宗麟が作った城で、元々は城の際まで海だったので珍しい海城だったそうです。城の天守閣などは喪失していてすっかり公園っぽいのですが、各所に戦う城だったんだなぁと思える面影がありました。

 大分 9 
  二の丸の正門の大門櫓 2001年の復元されたものですが十分にいい感じです

 城めぐりは酔い覚まし(船酔い)と腹減らしのためであって、臼杵のお目当ては海鮮丼です。臼杵城の城下にある海鮮のお店で、稲葉家下屋敷のあたりっていうざっくりとした情報で探していたんですが、全然場所がわかりません。武家屋敷と教会が混在する不思議空間で、大林監督もゆかりの地なのも納得です。(どういう縁なのかは知りません)ウロウロするのも観光なので歩き回っていたんですが、時間を見るととっくにお昼をまわっていました。「ランチは終了しました」とかだと大変なんですが、気がついたら本気でどこにいるのかが判んなくなっちゃいました。

 大分 10
  こーいう感じの石畳が雨に濡れて趣が倍増しています

 大分 11
  ここは何処で写真を撮ったのかすら判りません・・・

 大分 12
  地元の猫がいたので海鮮丼の店を聞いてみました

 猫にもすがる思いで地元民(猫)について行くと川に行き当たりました。川が判ればなんとかなると思った思ったのですが、そこで謎の建物を見たのです。(この記事は何故についてのハナシです)

 大分 14
  謎の〈金〉のマークを発見!

川の対岸にある工場だと思われるんですが、「金ってなんだよ?」ってことです。地元の猫たちは知っていて当然なんですが、多分観光名所とかじゃないんだろうとは思いました。

 大分 15
  アップで撮ってみました。この意匠がなんか気に入りました・・・

 単純にスマホで調べれば解決するんだけど、旅先の疑問をスマホで調べるのはオシャレではありません。旅先でスマホを開いてもいいのは時刻表と宿のHPだけっていうのがウチらのマイルールです。
何で迷子になっているかというと、観光案内所に置いてある絵地図を見ながら歩いているからです。
しかし地元猫の案内もあって無事に海鮮丼の店に着きました。

 大分 13
  この武家屋敷然とした風格のある『海鮮 かわ村』

 周囲の建物に溶け込みすぎて遠目には店に見えない武家屋敷造り?の『海鮮かわ村』です。自宅の近所にあったら絶対に近寄らないような店構えですが、観光という勢いがあれば暖簾もくぐれます。
実は事前に「臼杵・海鮮・ランチ」で検索すると必ず出てくる有名店でした。中は畳にテーブルという和洋折衷というか文化住宅な感じでした。自分らはテーブル席が埋まっていたので、宴会用?の和室に通されました。
今回のツアーの中で唯一の豪遊気分ですが価格はランチの常識内に納まるモノだったと思います。海鮮丼セットはうまうまで、さっき見た謎の工場の看板のことなんかはすっかり忘れてしまいました。

 大分 16
  臼杵駅にあった「おバカ駅名表示板」 鉄ファンには有名らしいです・・・


 その後はスタジアムへ直行し0-2で大分トリニータが完勝しました。アウェー観戦は勝利よりもその行程(旅行)が重要なんだと言い聞かせて2日目の宿に向かいました。2日間で道後温泉、別府温泉という二大温泉郷を通過しながらどっちにも泊まっていません。大在という駅前のビジネスホテルに泊まりました。個々にした理由は大在駅には特急が止まるからです。翌日は朝から新幹線で帰らなければならないからです。福岡から飛行機に乗らない理由は宗教上の問題ですね。




 そして2020年の7月です。Jリーグは再開したものの観戦は条件付きで再開、アウェー遠征などは御法度という状態です。勝った負けたどころではないにしても、形を変えた日常は徐々に動き出しています。そんな中、一年前を突然思い出すモノを発見しました。

 大分2

 いつものスーパーで買い物をしていたときに偶然見つけた味噌です。普段はマルコメの「味噌 料亭の味」一択なんですが、陳列棚にあったのが「フンドーキン 無添加 あわせみそ」でした。コレが何かといえば、あの大分の臼杵で見た工場の正体だったのです。

 大分 1
  拡大すると、あの〈金〉のマークが・・・

 自分はフンドーキンの味噌のことを知らなかったのですが、西日本では1、2位を争う味噌メーカーとのことでした。九州の人にすれば、あのマークは「フンドーキンに決まってるじゃん」ということでしょう。
有名ブランドとは思えないほどの道の駅で近所の農協が売り出してる感のあるラベルですから、臼杵の工場を見ていなかったら絶対に購入しませんでした。(食材に対して保守的ですから・・・)
フンドーキンの創業は1861年(文久元年)という老舗中の老舗です。しかし、もっと老舗の味噌メーカーは「カニ醤油 鑰屋」という1860年(慶長5年)創業というのがあります。「カニ醤油」は先程臼杵の城下町をうろついていたときに出てきた稲葉家の独りが創業した味噌蔵で、臼杵の城下町ができた当時から存在する400年の歴史があるらしいです。臼杵、奥が深い・・・
フンドーキンの味噌は東日本の味噌に比べてやさしい味だと思います。我が家のオフィシャル味噌になりました。


「ほぉ」って思ったら押してね

猫は優しさで生きてる - 2020.07.24 Fri

相澤いくえさんの「珈琲と猫の隠れ家」です。

 前回の記事に引き続きタイトルに「コーヒー」が入っている作品です。コーヒーについて語れることはもうコーヒービートくらいしかありません。コーヒービートは自分の中のソウル駄菓子のひとつなんですが、取りわけて語ることもありません。一時期、コーヒー感をアップしたオトナ向けコーヒービートを限定販売していましたが、コーヒービートにコーヒーを求めてなんかいないというコトを見誤っていた商品でした。
前回の原作者の村山由佳さんの直木賞つながりの話なんですが、今年の直木賞は馳星周さんの「少年と犬」が取りました。内容は『東日本震災後、南に向けて旅をする1匹の犬と人々の出会いと別れを描く連作短編集・・・』っていう作品です。
自分は読売新聞の記事で知ったのですが、選考委員の宮部みゆきさんの評によると『犬が擬人化されず出会う人間の側のストーリーがつづられている点が優れている・・・動物が出てくる小説は書き方によってあざとくなる難しさもあるが、そうなっていない。犬が流れていく先々で出会う人間は、やはり馳さんでないと書けない人物像が多かった』とのこと。
自分は読書家ではないのでマンガと小説では98:2くらいの比率です。宮部みゆきさんの評は新人マンガ賞ではなくて直木賞の選考評ですよね・・・ マンガならまだしも、小説に犬が出てきても普通は犬は話さないモンですよね? 文学賞では犬が擬人化されていないことが最低条件じゃいないですか。マンガでも犬が喋るのはどーかと思うんですが、もし小説の中の犬がしゃべったりしたら、の瞬間に読むのを辞める理由になります。それは直木賞云々のことではありません。 
ただでさえ死んだ人が幽霊になって主人公と事件を解決したり、時空が歪んで主人公が何度も過去に行ったりするストーリーがおおいんですが、直木賞ではやめてくれって感じです。幸いに馳星周さんは人間の交流をテーマにした小説家のようなので授賞に一点の曇りはありません。
直木賞に興味があったのではなくて宮部みゆきさんの「犬が擬人化されず・・・」:ということが一番最初にくる評価っていうのが面白かったんです。



 相澤いくえさんの「珈琲と猫の隠れ家」ですが、この本を買うまで自分は相澤いくえさんという方を知りませんでした。マンガは全て本屋で買う主義で、大抵は一度に4~5冊くらい買います。だいたいお目当ての作家の新刊と成り行きで読み続けている作品の新刊なんですが、4冊買ったらもう1冊知らないマンガ家の作品を買うようにしています。
それは発掘枠なので「最近流行ってる」とか「ネットで好評価」なんていう不純な動機では買いません。選ぶ基準になるのはジャンルではなくて人物像を描く意欲があるマンガ家かどーかです。残虐なドラマや作家がこじらせた世界、ましてや擬人化した犬のストーリーには手を出しません。それとアニメ絵の表紙のマンガも選びません。マンガ業界ではアニメ絵のマンガ家を重宝してるイメージですが、アニメファンにはウケるけどマンガファンにはあまり評価されていないと思います。最近、ぶらっと買ったマンガで最近の大当たりは「スキップとローファー」とかですね。
「珈琲と猫の・・・」は古民家を改築したねこカフェのちょっと怖い店長と店員の女の子が主人公のお話です。双葉社のまんがタウンのレーベルでA5版サイズ(ワイド版)だったから、てっきり4コママンガだと思って買ったんですが実際は普通のコママンガでした。
テーマは保護猫を集めてくる店長が里親捜しを兼ねてねこカフェを運営しているっていうことなんですが、この作品の興味深いのは作者がいろいろなことにこだわりが感じられないっていう作風です。

この作品のディテールにおけるこだわりポイントは・・・

古民家を改築したねこカフェ。
少し怖い店長。
コーヒーが得意な店員。
「えびしっぽ」という店名。 
働いている?猫はすべて店長が集めてきた保護猫。
名前がある猫は店員で名前のないねこは里親を捜してる。

 そもそも1話から建物が古民家に見えないです。これは相澤さんの画力が「もう少しがんばりましょう♡」なのもありますが、1話の段階で古民家っていう言葉が出てこないからです。古民家特有の梁や柱の炭っぽい感じは描かれているんですが、古民家の味わいなのか定規を使わないフリーハンドな画風なのか判別できません。マンガで必ず守らなけれいけないルールは、古民家は「古民家です」って書くこと。本当は見ただけで「味わいのアル古民家」って判る背景を描くのが理想ですが、作者が古民家って言いきればそれは古民家と思うのがマンガのお約束です。作者だけが「古民家を改装したカフェ」だということを知ってるパターンが一番ダメなことです。
1話ではサラリーマンのおじさんがスーツ姿で仕事中に喫茶店で書類を片付けようとうっかり立ち寄ったら古民家のねこカフェだったというストーリーです。ビジネスマンが仕事中に歩いてるエリアに古民家はあんまりなさそうだし、コメダやスタバならまだしも仕事中に古民家の店に入る勇気があるのは、もこみちレベルのメンタルの強さが必要です。裏鎌倉のいい感じの喫茶店に一見さんのおっさんがひとりで入る勇気がありますか?
このエピソードは読者ならまだしも登場人物であるサラリーマンのおじさんにすら古民家であることが知らされていなかったことになります。
店のことを「ここは古民家をリノベーションしたねこカフェで、柱とかそういうのがそのまま残っていて・・・」とナレーションされるのが、なんと3話目になってからです。1話目に出していた店の立て看板には「ねこカフェ」とだけ書かれていましたが、4話目になると「CAT CAFE えびしっぽ」という正式な店名が表記されます。繰り返しますがマンガの場合は作者が描いた事だけが事実になるので、アニメのような設定は公式HPに載っていますは通用しません。
この古民家カフェは「えびしっぽ」という変わった名前の店名なんですが、この店名が初めて出てくるのが4話目です。3話~4話のあたりで担当編集者が変わったんだと思われます。初代担当のわにさん(あとがき参照)は新人マンガ家の相澤さんとねこカフェのアイデアを立ち上げました。そこから2代目のダルメシアンさん(あとがき参照)に変わり、客観的に「この店は古民家なの?」とか「
ねこカフェって店名なの?」っていう疑問があったのでしょう。
キャラへのこだわりである「少し怖い店長」ですが、顔が強面な女性というだけで、とくに怖さが際立ってるわけではありません。コレもマンガのキャラにありがちな「本当はいい人なのによく知らない人から恐れられてる設定なんだけど、恐れられるようなエピソードが甘いので読者が怖そうなキャラだと思ってくれてない」というパターンです。
店長は無愛想でサメのようなギザギザな口が特徴ですが、顔が怖そうというのは作品の内容的にも本末ではありません。
3話目で「店長は一見怖そうだけど本当は優しいことをわたしは知っています」という店長ストーリーになり、4話目では店員が仕事ができないエピソードで落ち込むストーリーになります。きっとダルメシアンさんの指導なんでしょう。
こーいうのは最初にキャラ付けしないと読み手が感情移入しづらい、もしくはミスリードになったりします。よく主人公たちの名前をあえて出さないマンガがありますが、意味がないので避けたほうが無難です。名前を隠すことがシナリオのカギになるという場合も考えられますが、普通の作品でキャラや設定の情報を書かない理由はありません。
マンガの演出テクニックみたいな話になっちゃいましたが、興味深いのは相澤さんがねこカフェのマンガを描くのにこだわった設定をあんまりこだわって描かないところです。店員ねこが何匹も出てきますが、説くにキャラ分けされてるようでもなく、どれもがねこっていう感じです。コーヒーが得意な店員もコーヒー寝たいする熱さやこだわりがあるわけでもなく、ねこカフェで出てきそうなコーヒー以上の広がりがあることもありません。「えびしっぽ」という店名の由来だけでも1話作れると思うんですけどね・・・

    ブログ画像 珈琲と猫の隠れ家 JPEG

 ストーリーの核心はやっぱり保護ねこのカフェというコンセプトだと思います。単にねこ好きのユーザー相手にねこで荒稼ぎをするようなストーリーではありません。あとがきには『明るいハッピーなだけの物がたり得にはできない。今の世の中がかかえる、ねこの問題から目をそらしたくない』ということを先代担当のわにさんと話し合ったようです。保護ねこや犬、多頭飼育、動物虐待についての第一人者は「路地裏しっぽ診療所」の斉藤 倫さんです。本来は甘々な少女マンガが得意なんですが、ことペットがテーマになるとガチモードになるマンガ家さんです。
「珈琲と猫の・・・」の裏表紙のキャッチの『ここは保護ねこカフェ 少し怖い店長と・・・』という文章に斉藤 倫さんの「路地裏しっぽ・・・」に出てくる保護ボランティアの三島マキを想像していました。マキさんはちゃんと怖いキャラになっていましたから・・・
相澤さんがそこまでペットの社会問題を言及するつもりでもなさそうだし、まんがタウンというマンガ誌も社会性やメッセージ色の強い雑誌ではありません。どちらかというと斉藤 倫さんの方が珍しいマンガ家さんです。
猫が可愛いと動物虐待は共に飼育動物の表裏の関係です。本気で問題提起をするのなら斉藤 倫さんのようなキツい表現方法が正解なんですが、相澤さんはマンガにテーマ性にはあんまりこだわっていないようです。双葉社としても、4コマ誌に重いテーマを持ち込むつもりはないんでしょう。
それじゃ猫の問題には無関心なのか?といえばそんなことはないようです。店長が怒るシチュエーションは猫に対する人間の配慮のなさの場合だけです。
先に挙げたこだわりのディテールだけでもそーとな作品が出来ると思われます。しかし相澤さんの作風なのか「いい人たちが出てくるだけのお話」が描きたいだけって印象です。常連客はみんないい人で猫に優しく、イヤな客が出てこないから店長が怖いという設定が生かせません。じゃあ主人公の店員が出会う常連客たちが相澤さんでないと描けない人物像かといえば、ソコまでのストーリーではなかったです。
相澤いくえさんの作品は今回取り上げた「珈琲と猫の隠れ家」以外に小学館のビックコミック増刊号にて「モディリアーニにお願い」という美大生たちの青春モノをれんさいしているようです。モディリアーニというのもこだわりを全面に押し出したタイトルって感じですが、新人マンガ家がマンガ家の卵や美大生を主人公にした作品はベタすぎて読む気になれません。だってそれは自分が経験したことの全てだろうから、それは創作じゃないんですよ。よっぽど保護ねこカフェのほうが興味深い設定です。チラ見した印象だと「珈琲と猫の・・・」ほうは岩岡ヒサエさんを目指しているイメージですが、「モディリアーニ・・・」のほうは「神戸在住」の木村紺さんを目指しているイメージでした。
両者とも手描きマンガの第一人者ですが共通しているのは「作品のディテールを横着しない」というところです。美大生をジャンルに選ぶくらいだから作画には自身があるのかもしれませんが、「珈琲と猫の・・・」印象ではわざとヘタウマに寄せてるっていう感じがします。絵のタッチの予想よりも全然読みやすいのは、マンガの作画として正しいからなんでしょう。絵が可愛いことよりも正しいことのほうが重要なポイントです。
悪意のあるキャラとの対立構図にすればストーリーは判りやすいのですが、イヤなキャラ(人間)を出さない姿勢は好感がもてます。悪意がないマンガというのはそれだけで評価されるべきですね。
猫や犬の立ち位置すぎて動物は善、人間は悪という思考もおかしいです。ねこカフェは猫好きが来ることが前提です。動物との接触があるのだから、ある程度のマナーは必要でしょう。しかし猫のうわべだけの可愛さを求めることと、猫に対する全ての責任を取る覚悟を示すことは二律背反ではありません。
読む前は「珈琲と猫の・・・」はネットの中に存在する客に説教をするようなラーメン屋の大将?のようなストーリーだと予想していました。自分はラーメンに昼飯以上の期待を持っていません。行列ができていたら行列のないラーメン屋さんを捜します。ねこカフェの店長が少し怖いという設定って「おいっスープから飲むんだよ」とか「私語は止めてくれよ、ここはラーメンを味わうところだから」って面倒くさいアレだと思っていました。
相澤さんの考える怖い店長のディテールもラーメン屋の大将っぽい感じでした。「人間を幸せにしたくて店をやっているわけではない」というセリフが、「至高のラーメンを開発するためにラーメン屋をやってるわけではない」に聞こえます。それってラーメンを注文する客にも70分間だけ猫と戯れる客にも猫マンガが読みたいだけのまんがタウンの読者にも関係ないことなんでしょう。

 斉藤 倫さんの作品にある説教臭さがないのは猫マンガというジャンルでは正しいのでしょうが、保護猫を題材に選ぶとしたら全く物足りないストーリーでした。物足りなさはあんまりこだわらずにマンガを描いちゃう相澤さんの作風が原因だと思います。当人はスゴくこだわりの強いマンガ家を自負しているんだろうけど、こだわるべき部分がそこじゃないっていう印象です。自分は正直いって猫の人生?を背負う覚悟も意欲もありません。
しかし自分はサラリーマンの端くれとして、1話目に出てくる4時までに書類を直さなきゃいけないおじさんのディテールをもう少しこだわって欲しかったです。ねこカフェは取材したけどサラリーマンのおじさんがどーいう書類を作ってるのかには興味がないんだなぁって感じです。
猫に好かれない女子高生コンビにも、日常でいろいろあってねこカフェに来ているっていうこだわりのある設定を考えてあげて欲しいです。
先に上げた木村 紺さんや岩岡ヒサエさんはそーいう細部へのこだわりがスゴいから固定読者がついているんだと思います。


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おいしいコーヒー論 - 2020.07.03 Fri

村山由佳さんの「おいしいコーヒーのいれ方」です。

 自分は毎日2~3杯はコーヒーを飲んでいますが、コーヒーについてのこだわりやウンチクはまったくありません。コーヒー・ポリシーは「スターバックスのような高圧的な店には行かない」というくらいです。スタバは人生で2回だけ入りました。注文は2回とも「同じやつを・・・」でした。
コーヒーチェーン店でいえば圧倒的にドトールがお気に入りです。他店に比べて味や価格の違いがあるとも思えないんですが、何となくドトールに入るケースが多いです。食べ物のラインアップは気に入っています。
大昔は喫茶店に行かなければ本気のコーヒーを飲むことはできませんでした。自分ちで飲んでいるのがAGF のブレンディですから本気も何もないんですけどね。元々、実家ではネスカフェの一択だったのですが、原田知世さんの影響でブレンディ派に変わりました。何よりもインスタントコーヒーの詰め替え用パックを売っているのが、ウチの近所のスーパーではブレンディだけなのが理由ですけどね。
自分が高校生の頃はかろうじて喫茶店というカテゴリーが存在していました。しかしコストパフォーマンスを考えると子供には「缶コーヒーでいいじゃん」って思っちゃいます。缶コーヒーの分岐点は無糖や微糖が増えた頃から急速に味がコーヒーらしくなったようだ記憶です。微糖を選ぶ人は佐藤の使用量を気にしているんだと思いますが、自分は合成甘味料(アセスルファムK、ステビア等)が苦手なので糖類を減らしてると言いながら合成甘味料を混ぜている缶コーヒーは飲みません。カロリーよりも合成甘味料の不味さのほうがイヤだからです。


 家でコーヒーをいれる方法にはドリップ式とサイフォン式があります。ドリップ式はペーパーフィルターやフランネル(ネル)で濾すいれ方です。ドリッパーにレギュラーコーヒー(粉)を入れてお湯を注ぐだけなので、動力も火力もいりません。誰にでもできるし道具も廉価な物でもおいしくなるハズですがいれ方へのこだわりが面倒くさいイメージです。
サイフォン式はサイフォン一式を買ってくれば本格的なコーヒー好きを演出できます。豆の産地をひけらかすのはサイホンを買ってからだと思います。ドリップ式だとお湯の注ぎ方などワザが必要だったりしますが、サイフォンは基本的にサイフォンが勝手に入れてくれるので簡単なようです。
ただし用具が大げさな分だけ手間がかかり、飲みたい時にすぐ飲めないイメージです。コーヒーをいれる間にコーヒーの歴史ウンチクを語る時間に使うのもいいのですが、ひとりで飲みたい場合は何に面倒くさいだけのようにも思えます。後片付けもそーとう面倒くさい感じです・・・
どっちの方法でもコーヒーの豆を買うか粉を買うかで本気度が変わります。豆を挽くにはミルを使うんですが挽き目にも意味があるので自分の好みよりも知識のほうが重要になります。
コーヒー界の最初の革命は1901年のパンアメリカン博覧会で加藤博士が発表したソリュブル・コーヒーです。二番目の革命はUCCコーヒー、その後はファミレスのコーヒーおかわり自由、スタバの謎メニューなどがあり、最新の革命はセブンイレブンのセブンカフェです。他のコンビニでもレジ横コーヒーはありますが、あえていえばセブンイレブンのひとり勝ちだという印象です。
セブンカフェはやってることは高速道路のSAにあるコーヒールンバの自販機と変わりませんが、画期的だったのは一杯100円ということでした。そして思った以上に美味しいということ。それまでコンビニのドリンクは冷たいドリンクは得意でしたが温かいドリンクはイマイチな印象でした。セブンカフェは確実にいれ立てが飲めるのも大きいです。それと重要だったのがカップのデザインです。持って熱くなく、飲み口が怖くない、デザインがシンプルながら安っぽくない(100円なのに)のもウケた要因でしょう。
自分はセブンカフェを見て「コーヒーメーカーで1分以内にレギュラーコーヒーが出てくるんだったら、この機械が家にあったらこのクオリティーのコーヒーが簡単に飲める」と思いました。セブンカフェの機械は富士電機製でミル~ドリップ~蒸らしを45秒(今は39秒らしい)でやります。サービスエリアでも45秒を切れるのかもしれませんが、あっちはコーヒールンバを早送りするわけにはいきません。
家庭用のコーヒーメーカーはネスカフェバリスタ系のカートリッジで簡単に本格コーヒーが飲めるというタイプの商品が主流でした。これはカートリッジを買い続けるというので自由度が低いです。
ライバルのデロンギは本気なコーヒーマシーン過ぎて、大げさなサイフォン式をMAXな大げさにした感じです。


 簡単+安価+本格的なコーヒー感をこなすコーヒーメーカーは意外なところが教えてくれました。日本語ワープロのジャストシステムから年一で「一太郎」のバージョンアップのお知らせが郵送されてきます。そこにワープロソフトと全く関係ないけどコーヒーメーカーの広告が入っていました。
siroca (シロカ)の全自動コーヒーメーカーSC-A211で、価格が当時でも1万円を切る安さでした。シロカって聞いたことがないメーカーですが自分も知りませんでした。そんな無名?のメーカーがパソコンソフトのチラシに便乗してるんだから、迂闊に注文できるモンではありません。しかし、現物がヨドバシカメラで展示してあったのを見て即買しました。
寸法が幅17.3×奥行き22×高さ27の小ささで、ボタンはミルを使うかどうかのセレクトとスタートのボタンだけです。水を入れてボタンを押すだけでコーヒーが作れます。設定する部分は水の量と豆の量だけといおう簡単さ。1杯あたりの実単価は30円(ほぼ豆代)という安価で、フィルターはステンレスメッシュだからフィルター代などのランニングコストもありません。ミルで豆を挽くだけではなく粉も使えるので高級なコーヒー豆からバーゲン品の豆まで使える本格派です。
27センチの大きさながらミル~蒸らし~ドリップが全自動で、セブンイレブンに置いてある富士電機のマシーンと同等?のコーヒーが作れます。
シロカの全自動コーヒーメーカーの最大のメリットとでメリットですが、メリットは掃除が簡単たということです。構造がビックリするほど単純なので部品構成が3つのパーツだけです。それが簡単に外せるので炊飯器よりも簡単に洗浄ができます。デメリットはミルの時の騒音がすごすぎて、深夜に使うと大迷惑になります。
シロカのコーヒーメーカーは自分の近年でのベストバイです。しかし、原田知世さんに忠誠を誓っているので、ブレンディも飲んでいます。


 村山由佳さんの「おいしいコーヒーのいれ方」というのは1994年から集英社のジャンプノベルから出版されシリーズ化されたライトノベルです。先にB6版で出版され遅れて文庫化されるのでシリーズ中に2種類のサイズが売っていましたが、自分が読んでいたのは文庫版のほうでした。
このブログで小説について書くのは珍しいのですが、村山由佳さんといえばメジャー中のメジャー作家です。しかし、そんなに読書家でもなかったので、「村山由佳っていう名前は知ってるけど」ってレベルでした。当時は集英社の若手女流作家押しの筆頭だったみたいで、「おいしいコーヒーのいれ方」以外にも「もう一度でデジャ・ヴ」や「きみのためにできること」「夜明けまで1マイル」などジブナイルなタイトルの作家っていう印象でした。
「おいしいコーヒー・・・」はまがうことなきライトノベルなんですが、村山由佳さんはライトノベル小説と“普通”の小説の区別が付きにくい作家でした。当時でわかりやすいのは「涼宮ハルヒの憂鬱」なんですが、「ハルヒ」はレーベル、挿し絵、コドモ向けな内容など全てが現在のライトノベルの条件をクリアしています。もともと少女小説の老舗だった集英社のライトノベルとカドカワの考える“ラノベ”は違っていたんだと思います。もちろん早川の考えるライトノベルもちがうんでしょう。結果は全ての出版社がライトノベル=美少女小説という理解不能なジャンルに落ち着きました。
「おいしいコーヒー・・・」がラノベな理由は、自分がこの本を購入したきっかけが表紙買いだったからです。村山由佳という名前も認識していませんでしたし、「おいしいコーヒー・・・」のタイトルも知りませんでした。当時、本屋に文庫版の新刊が平積みされていたのを見て、表紙のイラストだけで買っちゃいました。イラストは志田正重さんという方で名前は“まさしげ”ではなく“まさえ”と読み、女性の方だったことを今回初めて知りました。自分がマンガ少年だった頃に「こーいう絵が描きたい」と思わせたイラストでした。それは小説が面白いかどーかなんか関係なく、表紙だけで数百円くらい払ってやるよって感じでした。
志田正重さんについて頑張って調べたんですが、村山由佳さんの「もう一度デ・ジャヴ」のコミカライズ版を担当したマンガ家さんらしいです。個人的にはB6版の表紙の力が入ったイラストよりも文庫版のさらっとしたイラストが好みでした。「あーいう絵でマンガが描けたら・・・」って思ったのですが志田正重さんのマンガの作品は読んだことがありません。


 小説の内容はジャンプを読んでいた男子向けの長編恋愛小説です。最初は「キスまでの距離」という1巻のみの短編でしたが、人気が出ると連載を引っ張りたおすジャンプシステムのためシリーズ化されたようです。
タイトルが「おいしいコーヒーのいれ方」なので、飲料メーカ-の社員がコーヒーハンターになって世界中のおいしいコーヒーのウンチクをひけらかす作品と思っていたら、かなり違うイメージの作品でした。
ストーリーは『高3の主人公の勝利(かつとし)が父親の転勤のために5歳年上のかれんと同居することに・・・ 久しぶりに再会したかれんは美しく変貌していて、なんと勝利の高校の新任の美術教師だった・・・』という感じです。
ベタベタな童貞向け少年マンガのオープニングですね。何しろコーヒーのいれ方はそんなに重要ではありません。かれんが憧れる喫茶店のマスターのコーヒーが絶品という設定だけです。
この内容のストーリーだと知っていたら自分はこの小説を読むことはなかったと思います。恋愛マンガだったらこれくらい強引な設定(引き)もアリなんですが、小説でこんなストーリーを読みたいとは思いません。
主人公の勝利が出木杉くんでヒロインのかれんは5歳年上とは思えないくらい可愛い(精神的に幼い)というお互いに都合がいいキャスティングです。タイトルにある「コーヒー」に関わる唯一のキャラの喫茶店・風見鶏(この店名がもう・・・)のマスターは、二次元創作の幻想の中にだけ存在する人格と人望を備えた兄貴分のような物静かなヒゲのマスターです。
こーいう喫茶店のマスターもの?を読むと「そんな喫茶店ねーよ」って思う人も多いでしょうが、一定の世代の作家やマンガ家には喫茶店信仰があります。いくら作者が「喫茶店はまだ存在する」って叫んでも現在ではとっくに絶滅危惧種です。ただしこの作品が始まった90年代はまだ喫茶店のマスターが不自然とまでは言えなかったころです。
自分の近所にけっこう大きいけど客が入ってるのをあまり見かけない喫茶店があります。住宅地なので一見さんが立ち寄れるような立地ではありません。ここのマスターはいわゆる二次作品に出てきそうなヒゲのマスターです。
どーやって生計を立ててるんだろうって感じですが、彼は喫茶店の入っている3階建て賃貸マンションと隣の月極駐車場の大家なんだと思います。不動産収入で暮らしながら趣味で喫茶店のマスターなんて理想的な生き方じゃないですか・・・



村山由佳さんは後に直木賞や集英社系の文学賞を総なめにする女流作家のトップランナーです。90年代の恋愛マイスター歌手は松任谷由実さん、恋愛マイスターマンガ家は柴門ふみさん、そして恋愛マイスター作家は村山由佳さんでした。いろいろと異論はあるんですけどね・・・
村山由佳さんは集英社で青春おぼこファンタジーを書いていたんですが、自身の離婚を期にセックスを堂々と公言するような作風にシフトしていきました。村山由佳さんが「おいしいコーヒーの・・・」で恋愛マイスターになったのか「ダブルファンタジー」などの本気セックス小説で恋愛マイスターになったのかは自分には判りません。
生活のために精力的に作品を発表していたのは新聞の広告を見ていて知っていました。自分が最も苦手なのは、不幸なセックスをする主人公のストーリーです。もともと殺すとか騙すとかに共感しないんですが、レイプや強制、束縛、自暴自棄なんかを「性をテーマ」って言われても・・・って感じです。
不倫や不貞も楽しかったり気持ちよかったりするんだったらいいんですけどね。
多くの読書家の人たちは渡辺淳一さんをバカにしたり嘲笑したりしますが、渡辺淳一さんのような性に対する大ざっぱな世界観はむしろ好ましいです。渡辺淳一さんって性に悩んでいなさそうで、荒唐無稽な感じが健全なエロじじいっていう感じです。自分は読まないけどね。
「おいしいコーヒーの・・・」はジャンプの編集部に「少年ジャンプの読者にも読めるような判りやすい童貞ストーリーを書いてくれ」っていうオーダーがあったんでしょう。集英社が想定している少年マンガの読者=童貞です。美人な年上の女性だけど自分だけに見せる素の可愛さ、憧れるけどがっつかない自尊心のある俺(童貞特有のプライド)というのは、完全にチェリーな戯言ですよね。
村山由佳さんは当然ながら童貞ではありません。『童貞クンってこーいう思考が好きだよね。無理目な女子だと手が出せないから隙だらけな女子にしないと。相手を大事に思うというロジックが手を出さないキーワード』っていうステレオタイプな童貞感?を書いただけでしょう。筒井康隆氏が駆け出しこ時代に「時をかける少女」を仕事の依頼通りに書いちゃって、キャリアから無かった事にしたいのと一緒ですね。



 久々に村山由佳さんのことを思い出したのは「おいしいコーヒーのいれ方」が少年ジャンプのネットコミックレーベルの「ジャンプ+」でコミカライズされていたのを見たからです。本屋でマンガ版の「おいしいコーヒーの・・・」が平積みされているのを見た時に、何で今さらマンガ版が出るんだろうって思いました。
そうしたら、ざっと20年以上前に始まった青春小説が未だに完結していないことと、7年ぶりに小説の新刊が出版されるとのことでした。原作を再開するにあたり、マンガ版を出して盛り上げようっていう企画なんでしょう。
マンガ版を見た時にもう一つ驚いたのは、表紙絵のイラストが結布(ゆう)という方が担当されていたことです。自分は志田正重さんが描く文庫版の「おいしいコーヒーの・・・」の表紙が好きで読み始めたのに、イラストレーターを変えちゃうとは何事だよって思いました。
集英社の陰謀を感じたんですが、真相は単純なことでした。村山由佳さんの初期作品から装丁イラストを担当していた志田正重さんがイラスト業を引退なさったので、最近活躍中の結布さんがイラストを請け負ったとのことでした。セカンドシリーズの途中から交代したらしいので「おいしいコーヒーの・・・」を読み続けていたファンには「何を今さら・・・」ってハナシなんでしょうね・・・
結布さんがよくないとかではないし、むしろ今風のタッチなんでしょう。アニメ絵にされるよりはなんぼもよかったと思います。志田正重さんの透明感がある感じを引き継いでくれているのは好感しかありません。
マンガ版の作画は青沼裕喜さんで、構成が雀村アオさん、装画(表紙絵)が結布さん、そして原作が村山由佳さんの「キスまでの距離」です。シリーズ1話目の「キスまでの距離」は以前にも「ヤングユー」で前後編読み切りのコミカライズがあったそうです。自分も「キスまでの距離」は読み切りで書き切れちゃうくらいのボリュームかなって思います。
内容と長さのバランスでいえば冬目景さんの「イエスタデイをうたって」が近いのかもしれません。「イエスタデイ・・・」も長い長い連載でしたが、マンガだから読み続けられたというのもあったと思います。それは自分がマンガに慣れているからかもしれません。もし「イエスタデイ・・・」がマンガではなくて小説だったとしたら17年も読み続けられるかな?って思います。


 村山由佳さんはずーっと鴨川で園芸をしながら素婦説を書いていると思っていたんですが、最近のプロフィールを見たらバツ2になっていてビックリしました。「おいしいコーヒーの・・・」を書いていた頃には、すでに結婚して鴨川に移住?していました。そのことはストーリーに出てきたおばあさんが入所している鴨川の施設っていうあたりに反映されてます。当時、鴨川で自給自足生活で暮らしているって言う感じのエッセイを読みました。結局、離婚して次の旦那の軽井沢で暮らすんですけど、再び離婚したようです。「おいしいコーヒーの・・・」を連載していた頃には私生活は「ダブルファンタジー」だったんでしょう。
ざっくり分けると作家の人生経験や私生活が作品にモロ反映されるタイプと、プライベートな都合が作品に影響しないタイプの作家がいます。読者のほうも作者の人生が反映されている作品のほうが重厚な作家だと思う人と、作者の過去や私生活にはまったく興味がない人がいます。
自分が考える創作とは「作者の私生活の幸不幸に関係ない“作り話”」であるべきだと思っています。作者の内面や苦悩、本音が作品で読み取れることがダメではありませんが、それは創作ではなくてエッセイで書けばいいのでは?って思います。
全ての読者が作家の人となりを知っていて作家の生い立ちを共感したいんだったら、それもありなんでしょう。しかし“善意の第三者”である普通の読者を想定した場合、読者の興味は作家の苦悩や本音ではなくて主人公やヒロインの本音です。
逆に“作り話”よりも“本当に作者が経験したことをベースにした話”のほうがホンモノのストーリーと考える読者もいます。自分は作者の経験だけでドラマを作ると創作の幅が狭くなる原因だと思っています。赤川次郎さんはあんなに沢山の殺人事件を経験してきたわけではありません。しかし三毛猫のモデルは赤川次郎さんの飼い猫だそうです。それくらいのリアリティがちょうどいいんですよね。


「おいしいコーヒーの・・・」は最初の短編としての「キスまでの距離」から通算10巻目の「夢のあとさき」までが First Season。「蜂蜜色の瞳」からSecon Seasonが始まり、8巻目の「地図のない旅」で一旦中断。そして7年間の放置を経て最終刊の「ありふれた祈り」が出版されました。
このブログで散々書いたことですが、26年前の作品を当時読んだ人と今年になってまとめて読んだ人の評価は同じ物ではありません。読んだ時代、作品との同時性、作品の量など書かれている作品は同じでも読み手の立ち位置が違っちゃっています。
この作品は26年前から読み続けたコーヒーファンと、Second Season がら読み始めてFirst Seasonへ戻ったファン。「地図のない旅」から作品の存在を忘れちゃった人。そしてFirst Season の途中で読むのが面倒くさくなっちゃった人に分かれます。自分は面倒くさくなった組です。
1巻から読み返す合計で19冊になりますが、1冊ごとが非常に薄いので全部買いそろえても6冊くらいの労力で済みます。逆にこの薄さで新刊が年1冊で内容はヘタレ童貞の自分語りというのが我慢できなくって挫折した人が多数だと思います。
Second Season は直木賞後の執筆なのでかなりドラマチックな展開へ舵を切ったようです。初期から継続で読んでいたファンにとっては「何で?」とか「おいしいコーヒーの・・・」っぽくないって評価が多い感じです。そもそも評価の大半は「じれったいユル恋愛小説にウキィーってなる」っていうライトノベルファンです。
直木賞の恋愛マイスターの男と女のマジなストーリーが読みたい人がジャンプノベルなんか読んでるわけないですよね。水沢めぐみさんの「ポニーテール白書」のSecond Season があったとして、結が妊娠したり、郡司が知らない女と暮らし始めたり・・・なんていうドラマチックをファンは求めていませんよね。
ウジウジした男女が一線を越えるのが First Season のテーマでしたが、なんと10巻目の「夢のあとさき」でやっと童貞卒業したようです。(読んでいないので未確認情報ですが・・・)ここまでで最初の「キスまでの距離」から10年以上の歳月がかかっています。(ストーリー上は数年なんですけど)
自分は3巻目の「彼女に朝」というタイトルに、これは朝チュンだろって推理して読んだら見事にフェイントでした。ここらあたりでこの小説自体がどーでもよくなっていたのかもしれません。
少年マンガの編集部の発想だから『セックスがクライマックスだから、勝利にはなんとしてもセックスさせないように引っ張って下さい』って指示されていたんでしょうか? 比較対象に「イエスタデイをうたって」を挙げましたが、リクオと榀子がセックスしないのはストーリー上のキモになっています。こっちはリクオと榀子がこじらせてるというストーリーなので、読んでいて違和感がありません。何よりもそこがゴールではないことが読者にも明白だからです。
童貞少年の独り語り小説を延々に読みたい人は First Season から読むことをオススメしますが、面倒くさい人は Second Season の「蜂蜜色の瞳」から読んでもそんなに支障はないらしいです。シリーズまたぎで新規読者にも配慮しているらいいですから。初体験シーンが気になる人は「夢のあとさき」からスタートするのもアリでしょう。


 冒頭のセブンカフェのコーヒーの味に近づけるために、いろいろなコーヒー豆を試してみました。豆の産地やブレンドによってガラッと味や香りが変わるのですが、どれがおいしいのかの答えは出ていません。むしろ毎回産地やメーカーを変えて楽しんでいます。その中でもセブンカフェに一番近いと思ったのは成城石井のオリジナルブレンドコーヒーでした。ちょっと薄めにいれるのがこつだと思います。
成城石井は埼玉にはあんまりないのですが、秋葉原にあるのでそこで買っています。それ以外はカルディのお姉さんに適当なリクエストでオススメの豆を選んでもらうのが楽しい買い方ですね。カルディは埼玉にも沢山あります。



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