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2020-02

耽美なガールズラブ - 2020.02.15 Sat

中村明日美子さんの「メジロバナの咲く」です。

 前回の記事では仲谷 鳰さんのペラペラな百合マンガを取り上げました。読み返してみてもペラペラって何だよ?っていう消化不良な記事でした・・・ 
ペラペラについては「やがて君になる」のファンはもとより、アニメファンも承服しかねると思うんですよね。機会があったらもう一度取り上げて観たいと思っています。
今回は「ペラペラじゃない百合マンガとはこーいうことだ」という作品を取り上げます。それは中村明日美子さんの「メジロバナの咲く」です。

 自分にとって中村明日美子さんは近づきがたい存在のマンガ家でした。現代耽美ンマンガの中心だと思っています。耽美と怪奇は絵面が似ているせいでごっちゃになってるように思います。またゴシックが耽美というのも、ビジュアル系に引っ張られてるだけって感じです。それと耽美はギャグとの相性がよいので、おふざけ耽美や照れが入った耽美も多いです。
耽美のテーマは性と死だけなので、権力とか抗争とか達成とかいってる作品はエセ耽美です。「性と死以外のテーマになんの価値があるのか?」という人だけが描いたり読んだりするジャンルなので、メディアミックスを目的とした「やがて君になる」とは真逆といえるでしょう。
耽美の理解されない真実の愛とか、世を忍んだ・・・とかいう世界観はボーイズラブに合うようで、BLの耽美率の高さはとても高いようです。
そもそも中村明日美子さんはBLで認知されている最も有名なマイナーマンガ家です。そのマンガの実力は折り紙付きでデビュー当初から名を馳せていました。しかしメインがBLなので遠くから傍観していたっていう感じでした。なにしろ作者の名前が明日美子という尋常じゃない4文字名ですから、インプットされると目につきやすいんですよね。
「鉄道少女漫画シリーズ」とか、BL色が弱い作品は読んるんですが、原則BLはお姉様方が愛読するジャンルなので「男子は立ち入らずべき」が正解だと思っています。ジェンダーフリーの精神だと「男子同士の恋愛はみとめないのか?」っていうことでなっちゃうんですが、BLとかGLをじゃんだー問題に絡めるのはチャンチャラおかしいって思います。制作者側が読んで欲しくないって思ってるのならそれは性差別のハナシではありません。
同じイメージのマンガ家に西 炯子さんがいます。西 炯子さんはすっかりメジャー少女マンガにシフトチェンジしました。最近では男性誌にも執筆してるので嬉しい限りです。中村明日美子さんも「鉄道少女漫画」はかなり判りやすく歩み寄ってくれた作品だったのですが、ついに自身初の長編ガールズラブ作品の連載が始まりました。

 「メジロバナの咲く」は異国のハイスクールの寄宿舎を舞台に3年生の孤高の麗人「鋼のステフ」と退学させられそうな2年生で聖なる一夜をともにした「ルビー」のいがみ合いやら交流やらのストーリーです。マリみて的に言えば祥子さまと祐実すけ、さらに瞳子ポジションの1年生「リズ」とステフの相部屋で絶対にかき回してくるだろう歌姫の「レナ」
マリみてに例えましたが、びた一文も「マリみて」からの影響は入っていません。何処の国のストーリーかは本編で明記されていませんが、あとがきに書かれていた参考文献が石井理恵子さんの「美しき英国パブリックスクール」などでした。石井理恵子さんは森 薫さんのヴィクトリアン・ファンタジーの「エマ」の副読本の共著の村上リコさんとの共著もある英国サブカル・ライターです。安直に「マリみて」の設定をパクろうっていうレベルの作品とは重厚感が違います。
1巻での読み応えのあるシーンは『ラテンを学ぶということは消えていく言語を歴史として残していくこと』というくだりです。中村明日美子さんはこの作品で耽美マンガを単なるイメージ・マンガの世界から、普通の読者が読むに値すると思える作品に押し上げようとしてるような気がします。
明日美子作品を読み続けてきたファンからすれば、「何を今さら言ってんの・・・」ってことかもしれません。やっと中村明日美子さんが庶民にも馴染める耽美を描いていただける幸せ・・・(耽美的表現?)
びた一文も「マリみて」の影響を受けていないと書きましたが、キャラの視点の置き方やタイミングは「マリみて」っぽい印象はあります。それはパクリというよりも洗練された手法っていう感じで、仲谷 鳰さんはこーいう演出の大事なところは全くパクれていません。多分、カドカワの担当編集者にはそーいうスキルはないんでしょう。音楽で例えるなら気持ちいいコード進行っていうことですね。

 「メジロバナの咲く」は、志村貴子さんの「青い花」のような真のメジャー成功作品になると思います。中村明日美子さんは有名マンガ家ですが、自身の作品を評価する読者層がマイナーなんです。マイナーリーグのホームラン王みたいな・・・ 個人的には西 炯子さんや志村貴子さんと同じく一般誌で十分に評価されるハズのマンガ家だと確信していました。
この人達はマンガのスキルがとても高いのに一部のファン層向だけに向けて描いていた印象でした。西 炯子さんは持ち前のギャグセンスを大衆向けにアレンジし、志村貴子さんはエロ過ぎる部分を一般誌向けに調整することによって多くの読者に受け入れられたと思います。
百合をテーマにする場合、全てがファンタジーという表現の仕方と現実のLGBTは空想の世界ではないという表現の仕方に二極化すると思います。志村貴子さんはLGBTは現実の問題として扱うタイプの作風です。現実の同性愛の中に作者の性癖を上手にブレンドしています。中村明日美子さんの作風は耽美だけあってパブリックスクール(ドリーム)寄宿舎(ドリーム)亡命者(ドリーム?)っていう趣味全開な作風です。
ちょろっと名前が出た森 薫さんはマイナーなメイドマンガ家からメイドを描き続けることによってメジャーなメイドマンガ家に成り上がりました。中村明日美子さんは庶民に迎合するよりもメジャー耽美マンガの道を開いていって欲しいです。

 自分がまだ耽美の何たるかを知らなかった小学生の頃に初めて読んだのが山岸凉子さんの「日出処の王子」でした。思えばお凉さまが耽美マンガ界の女王?なのかもしれません。当然ながらガキんちょの自分には、そっと閉じることしかできませんでした。それ以降はお涼さまの作品は一切読んでいません。自分には無理だとしっているから。
しかし山岸涼子というマンガ家への評価は自分の中ではトップクラスのマンガ家です。自分が面白いかどーかではなくて、マンガとしてスゴいと小学生の自分ですら思えてしまったんです。
未だにお涼さまの作品が読めないのは、なんだか怖そうなお話ばっかりだからです・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

同人百合と商業百合 - 2020.01.25 Sat

仲谷 鳰さんの「やがて君になる」です。

 作者自身が作品のあとがきの中で「よく、鳩(ハト)と間違われるけど、鳰(ニオ)です」って書いていました。鳰とはカイツブリという水鳥のことで仲谷さんの出身地である滋賀県の県鳥です。ウィキによれば名前の由来は「にお」という発音に漢字をあてただけらしいです。自分は鳰という漢字もカイツブリという名前の鳥も知らなかったんですが、ウチの近所にある埼玉県三郷市の市鳥もカイツブリなのでここら辺にも飛んでいた鳥らしいです。どちらかといえば埼玉はシラコバトのほうがメジャーですが、それは「コバトン」のおかげであってあっシラコバトが飛んでるシーンを目撃した記憶はありません。写真で見るとドバトのヤツらよりも品のあるハトって感じですね。
仲谷 鳰さんは同人誌のフィールドからKADOKAWAの「電撃大王」の編集者の目に止まりメジャーデビュー。コミケから一本釣り~看板作家~アニメ化という最近のトレンドなデビューの方法ですね。
自分が読んだ作品は今回取り上げる「それでも君になる」だけですが、表紙詐欺アンソロジー本などにサクラの表紙を描いています。

「やがて君になる」は原作マンガとアニメ版、小説、アンソロジー・・・ カドカワお得意のメディアミックス商法です。百合は最近のアニメの題材として流行っていますが、自分は百合を扱ったアニメが苦手です。性癖で百合作品を観たいわけではないので、百合作品を評価する一番のポイントは「女性が観ても共感できる内容か?」につきます。自分がアニメファンって言い切れないのはアニメに萌えとか声優キャッキャ・・・ とかを求めていないからです。偏見まじりでいうと今のアニメが好きというアニメファンに向けて置きにいったアニメが苦手です。百合ファン?の好みに合わせた作風になるのは理解しますが、全ての作品が安直で平板なイメージになっちゃいます。それは安直で平板を求めるファンが現在のアニメ業界では最大の購買層だからでしょう。
「やがて君になる」が安直で平板な百合マンガなのか?ということですが、最近の百合作品では一番ヒットした作品で、マンガファンにもアニメファンにも高い評価を受けています。何よりも作画の安定感は初の商業デビューとは思えないもので、さすがはカドカワの一本釣りといえるでしょう。
百合マンガ家を自負してる商業マンガ家の中でも、総合的なマンガの質で読ませられる作家は一握りだけだと思っています。絵は素敵だけどお話が安直とか、シナリオには共感できるけどキャラの作画が平板というのが過半数です。しかし百合ブームの主軸のファンたちが安直で平板な作品を好んで求めるから市場は潤っています。カドカワの狙いもバッチリなんでしょうね・・・

 不穏な書き出しからも薄々わかる通り、自分は「やがて君になる」が1巻目から違和感が気になってしょうがない作品でした。まだアニメ化までされるとは想像していませんでしたが、アニメ化できるマンガだとは思っていました。だってこのマンガは“アニメ作品のコミカライズ”みたいなマンガという印象だったからです。
多くのマンガ家はキャラ絵を自身の手癖で描いています。美大生は人体デッサンから人間が描けるんですが、多くのマンガ家は人体デッサンよりもマンガ絵が描きたいんです。極端なハナシでいえばマンガ家は人体が描けなくてもキャラさえ描ければOKなんです。だから人物画の練習よりも好きなマンガ家の絵を模写することに時間を費やします。中には誰の影響も受けない完全なるオリジナルを目指すサムライなマンガ家志望の人もいます。そんなマンガ家志望の人の絵で「これ?小学生が描いたの?」って感じたら、彼こそがサムライなマンガ志望者です。彼も小学生も何の影響も受けていないから自由な作風なんです。絵が下手というの誰にも影響されていないことでもあります。真似しても真似できていないのは影響が受けれていないと同義ですよね。
デッサン人形にも大御所マンガ家にも影響されないマンガ家さんの多くはアニメからの影響を受けています。そもそもアニメはアニメ絵という別ジャンルでした。マンガと違ってアニメの制作工程はみんなが同じ絵を同じに描けなければいけないから平板になりがちです。大前提で多くのアニメファンが平板なアニメを受け入れてるので、平板なアニメ絵が描けるというコトも評価されるポイントになります。
徳間書店とカドカワが作った萌え絵文化はすべてアニメ絵で成り立っています。そんなカドカワは常にアニメ絵の新人を捜しているんでしょう。アニメ絵のマンガはイメージのずれが少ないからアニメ化しやすいです。観ていないけど「あひるの空」なんかは原作がマンガ絵だからアニメ化での違和感がスゴいです。カドカワグループでも「ハルタ」や「Fellows」の作家陣だと、絵がごちゃごちゃしすぎて動画の作業が面倒だからアニメに向きません。
仲谷 鳰さんの作画はアニメ由来のタッチのマンガ家の中でも群を抜いて安定しています。褒め言葉になるのかは微妙ですが、ライトノベルの表紙で通用するタイプの作風です。ある意味最もカドカワっぽいマンガ家さんなんでしょう。自分はマンガにアクション映画のような迫力とか、ディズニーアニメのような滑らかな動きを求めていません。むしろジャンプ系のような見開きバーンっていう横着なマンガは苦手です。そーいういみでは仲谷 鳰さんのような些細な情景も描ける落ち着いた作風は好感がもてます。それじゃ何に違和感を感じていたんでしょう?



 ネットをリサーチした中でも「いつか君になる」に対する評価はおおむね好意的な印象でした。アニメ化されるくらい人気なんだから当然のことなんでしょう。しかしもっと根本的なところでジャッジしないといけない作品だと思っていました。1巻を読んだ段階でずーとモヤモヤしていたんですよね。最終巻になった8巻の巻末の「あとがき漫画」に仲谷 鳰さんのコメントを引用すると・・・

『同じくらい読まれている漫画でも感想の多い少ないというのはあるものだけど、やが君はめちゃめちゃ多いほうです。感想や批評も一種の創作だし私は物をつくる人が好きなので、自分が描く漫画が読んだら何か言いたくなるタイプの漫画でよかったなぁと思います。』

作者当人が自作の中で批評も受け止める旨のコメントを書いているのであえて書きますが「やがて君になる」って「マリみて」のパクリだと思います。
「やがて君になる」の1巻目を最初に読んだときは「この作品は経過観察・・・」という感じでした。作品自体の印象は「とやかく批判するほどのめりこんで読むタイプの作品じゃない」って感想です。スルーでもよかったんですが、最終巻のあとがきに『批評も一種の創作』という言質があるので今回は取り上げました。
「マリみて」とは今野緒雪さんの「マリア様がみてる」シリーズのことです。一概にパクリといっても完全に盗むパターンとちょっと拝借するパターンに分かれます。
完全に盗む場合は元ネタが同人誌やネット等の小規模媒体でバレにくいことが多いです。たとえバレても「そんな作品(元ネタ)は知らなかった」とか「偶然似た話になっただけ」などパクリの定型問答集があります。人気作の設定を借りるパターンやストーリーの展開やオチの部分を借りるなど、借り物のストーリーの場合は「リスペクト」とか「影響を受けた、元ネタの大ファン」っていう言い訳ですね。
最終的には配給元や読者が判断する問題なので、当事者(原作者)がいいのであればいい(親告罪)くらいのユルさもあります。
「マリみて」がどーいう作品かといえばかつて異例の大ヒットした青春学園少女小説です。リリアン女学園に通う少女たちなどの先輩後輩の友情やイチャイチャなストーリーです。内容は主人公は“生徒会長の祥子さま”に偶然見初められた“生徒会を手伝う一般生徒”が“生徒会の演劇”に参加する展開です。「やがて君になる」生徒会を手伝うとか生徒会が演劇をするという立て続けの類似性にクラクラしますよね。
鬼退治のストーリーは山ほどあるんですが、前提条件でおばあさんが川へ洗濯へ行ったらそれは明確にパクリです。たまたま生徒会が演劇をやっても文句はないんですが、百合マンガが殿堂入りしているメジャー百合作品とたまたまに似ていちゃマズイです。仲谷 鳰さんが「マリみては読んだことがない」とか「そんな作品走らない」とか言うんだったら、単なる勉強不足です。
仲谷 鳰さんがメジャーデビュー前にどーいう傾向の作品を描いていたのかは判りません。同人誌では「パロディ」とか「二次作品」がOKという文化でもあります。本当はOKでもないんですけどね・・・
そのノリで設定を拝借しちゃったんだったら、ありがちな同人マンガ家のメジャーデビューです。しかし「やがて君になる」はカドカワの一本釣りというのが気になります。初めからデビューの段階でこの作品はメディアミックス展開する計画が決定していた印象です。

 カドカワの一般釣りと書きましたが、仲谷 鳰さんのマンガを最初に読んだとき「スゴい新人マンガ家が出た」というようなイメージではありませんでした。どちらかといえばラノベのコミカライズに多いタイプのマンガ家さんって感想かな。
実は印象が薄いコミカライズの絵師っぽさはとてもカドカワ的な人材といえます。最初の編集者は有能な新人マンガ家の発掘よりも「やがて君になる(仮題)」の企画ありきで無名な作画のできる人(マンガ家ではない)を捜していたんじゃないのかな? コミケでスカウトしてるのはコストを掛けずに「マリみて」の二番煎じを描かせる作業者を捜していたんでしょう。
「マリみて」は集英社のコバルト文庫という老舗の少女小説レーベルの看板でした。だから集英社のマンガ誌でが「マリみて」をパクるということはありません。ジャンプの編集部は「ONE PIECE」の二匹目のドジョウは捜すだろうけど、「ONE PIECE」をパクれとは言いません。でもマガジンの編集部だったら言えちゃいます。カドカワの編集部が言ったかどーかは憶測ですが、最低限マンガ家がこの設定の百合作品のネームを提出した段階で「この展開は既出だからNG」っていうアドバイスは必要でしょう。設定が似ていてもストーリーは別物だから・・・ っていう考え方もありますけどね・・・
もっともモヤモヤしたのは生徒会長の「私を好きにならないで」とか「姉の代わりに演劇をやり通す」などの、ストーリーの骨格になっている心情のようなモノがモヤモヤの原因でした。「単純な恋愛成就のラブコメ」にしたくないという“編集方針”によって作られた物語のフックなんでしょうけど、最終巻まで読んでみると最後は肉体関係(女の子同士だけど)で恋愛成就完了という終わり方です。じゃあ最初の「こだわっていた設定」とは何だったの?っていう読後感です。百合作品の濡れ場表現の是非はまた別のテーマになっちゃうんで割愛しますが・・・
主人公の「好きがわからない」も大概なんですが、この設定はマンガ的というよりもアニメ的な印象がします。物語の中で「私を好きにならないで」とか「好きがわからない」って言わせることになっていくのがストーリーです。しかし「塀の外に巨人がいる」とか「使徒と戦う」というような「初めからそーいう設定だからよろしく」ってセリフは、極めてアニメっぽい手法です。読んでいて何度も出てくるこれらのセリフが、そのこだわりって重要なのかな?って思うとモヤモヤしちゃうんですよね。作品のキモになってるッぽく繰り返されてるんですが、そーいうことを言うキャラの顔がそーいう心情になっていないっというイメージです。それよりもマンガのキャラの表情のセル画っぽさがきになっちゃいます。それは極めてカドカワのマンガっぽいんです。
「やがて君になる」はキャラの心情を掘り下げた・・・っていう評価になってるようなんですが、乃梨子がいうところの「そんなこと・・・?」っていう感じでした。

「やがて君になる」はメディアメックスだから、アニメ化された作品の評価の高さもプラスされてると思われます。でも最終回までキャラは平板なままでした。
ペラペラなキャラの心情は主人公が自主的に変化(成長)したんじゃなくて「結局は百合作品ってこーいうことでしょ?」っていうペラペラなエンディングになりました。心情が変化したんじゃなく、シナリオの都合でこだわっていた部分があっさり終わっちゃったっていう印象です。
結果として誰かが描いた脚本を仲谷 鳰さんがなぞったようなストーリーは、最後まで登場人物が綺麗事を言ってるだけっていう読後感しか残りませんでした。あまりにも百合要素を集めたって感じが露骨に出ていたから、企業が本気を出せば意図的にヒットさせられるっていうのを見せつけられた感じです。せめてそのシナリオは企画会議で大人が考えたシナリオではなくて、仲谷 鳰さん自身が考えたシナリオであって欲しいです。
その答えは仲谷 鳰さんの次回作でわかると思います。


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脱ニワカを目指して - 2020.01.17 Fri

ラグビートップリーグ開幕・・・

 去年の秋のラグビーワールドカップ以降、日本中のアイドルになったラグビー日本代表はバラエティーに出まくっていました。日本代表がワールドカップであそこまでインパクトを与えるとは誰も思ってなかったです。さすがにお正月もバラエティーに出まくるとは思ってなかったんですが、これはラグビー関係者の本気だったことを表しています。1月にリーグが開幕するのに12月にテレビ局に通ってる場合じゃないのはスポーツファンなら誰もが思うことです。それでもお笑いタレントと「ジャッカル・ジャッカル」言ってたのは、それだけ今年のリーグ戦を重要と考えてのことですね。
ラグビーのトップリーグはサッカーのJリーグやプロ野球のペナントレースと同じ公式戦です。ちょっと違うのはサッカーも野球もプロスポーツですが、ラグビーはトップリーグだけど現在はプロリーグではありません。
スケジュールでは2021年からプロリーグ化(仮称 Rリーグ)を目指しているようです。立ち上げメンバーにプロ化請負人のアノ川淵三郎さんも入っています。
大量に発生したニワカ・ラグビーファンにとっては新しいリーグがスタートしたような印象ですが、本当の新しいリーグはまだ始まっていません。自分も筋金入りのニワカ者だったので、今年からプロリーグが始まったんだと思っちゃっていました。日程は16チームでの1試合総当たりで1月から5月まで続きます。
最近のプロ化で注目されていたのはバスケのBリーグですが、アマ(実業団)とプロの垣根の難しさはバスケ界で経験済みです。そもそもサッカーのプロ化の時も相当なすったもんだがありました。あの頃もドーハの悲劇とヴェルディ川崎がセットで日本中が盛り上がりました。ガズ・ラモス・武田の時代ですね。ヴェルディはナベツネさんの所有物で川淵さんはサッカー協会(JFA)の人でした。Jリーグの発足というのは企業の所有物であるサッカークラブを地域(住人や自治体)に払い下げろという流れでした。アマチュアリーグをプロ化するという戦いがいかに熾烈なのかは川淵さんがよく知っています。だからラグビー協会も彼を呼んだのでしょう。
近々プロ化することを表明したのがなでしこリーグ(女子サッカー)です。こっちも2021年を目標に準備しています。名称はなでしことは別になるようですが、プロとアマを明確に分けることはJリーグに準じた方法だと思います。今のなでしこリーグは一部のプロ契約選手とアマチュア扱いの選手の混成で開催されています。自分が初めて女子サッカーを観に行ったころはまだLリーグという名称で、代表クラスとアマ選手とあんまり上手じゃないけど頑張ってサッカーを続けているサッカー女子で構成されていました。まだ日本代表が北朝鮮に歯が立たなかった頃です。
女子サッカーには女子サッカーが抱えてる問題点の多くが解決してないままプロ化へ以降しようとしている印象です。なでしこはまた別の機会にじっくり考えたいテーマです。

 アマチュアスポーツがプロ化するタイミングはニワカにとっては千載一遇のチャンスです。古参のガチファンの集団の末席に紛れ込んで「オレ、ラグビーが趣味だから・・・」って言えちゃいます。「ノックオンというのはねぇ・・・」って周囲のニワカを上からねじ伏せることも可能かもしれません。今年からトップチームを追いかけていれば、2021年のラグビープロ化元年からニワカラグビーファンからマウントを取れるかもしれません。
自分が最初にスポーツのファンになったのはプロ野球の大洋ホエールズでした。幼少時は東京の港区に住んでいたんですが、この地域は野球どころかバッチ生もグローブも存在しないところでした。後に足立区へ転校し、初めてホンモノのグローブを触りました。足立区はビートたけしさんでも判るように野球が国技のようなところでした。当然ながらフライは取れない、バットには当たらないとクラスでも戦力外でした。親は何の疑いもなく巨人ファンだったのですが、野球をよくわかっていないので全く興味が持てませんでした。
野球ファンは自らプレイするのが好きな人と、観るのが好きな人がいます。自分にはプレイは無理なのですが、観るほうにしても問題がありました。野球を観戦するというのはプレイのは迫力やスピードを楽しむのではなくて、データと確率を楽しむコンテンツなんです。サッカーで評価されるのは得点数や勝ち点、得失点差などです。これらの数字は全て自然数の足し算引き算です。野球の場合は打率や防御率など割り算が基本になります。サッカーは勝った数を競いますが、野球は勝率を競っています。ホームランは足し算なんですが、観ていてスカッとするのはやっぱり足し算なんですね。
野球は選手の能力を計算しながら観るから面白いので、全チームの選手を把握してから観るのが原則になります。これはポケモン全部言えなきゃゲームができないと言われるに等しいです。
そんな自分が大洋ホエールズのファンになった理由はひょんなことからでした。当時、崇拝していた谷山浩子さんが大洋ホエールズファンだったんです。谷山浩子って誰?というのは置いといて、当時の大洋は紛れもなく弱いチームで、弱いということくらいは自分でも知っていました。初めて野球チームを意識したんですがどーせ弱いチームなんだから選手の記録とか勝敗などを気にする必要もありませんでした。「谷山浩子さんが応援しているチームを自分も応援しよう」という主旨なのでニワカファンもいいところです。幸運にも大洋ホエールズは横浜大洋~横浜ベイスターズに出世魚のように大きくなって、まともに戦える球団に成長していきました。ユニホームも格好よくなって、ヤクルトや中日よりもオシャレなチームになりました。徐々にニワカから本気のベイスターズファンに鞍替えし、球場へ通うようになって日本シリーズを見に行くまでになりました。
サッカーのほうは中学が野球よりサッカー文化の学校だったので、サッカー部に限らず誰もが校庭でボールを蹴るのが当たり前という環境でした。高校へ進学したら誰もが普通にサッカーをやっているもんだと思っていたら荒川の内側の中学ではバスケがデフォルトでビックリしました。自分の中学は授業以外での体育館へは立ち入り禁止だったのでバスケのスキルはゼロでした。運動神経のいい子は何やっても上手なんですけどね・・・

 だからといってサッカー好きだからJリーグサポーターになったわけではありません。サッカーはやるのが楽しいのであって、サッカーに試合を観戦するという概念がありませんでした。トヨタカップや高校選手権ですら観ていません。知ってるサッカー選手は釜本と奥寺、マラドーナくらいでした。ジーコですら知らなかったくらいです。大リーグでいえばベーブルースの名前は知っているけどジョー・ディマジオはわからないって感じですね。
ジーコをいつ知ったかといえばJリーグが始まるときに「元セレソン(ブラジル代表)のジーコが鹿島にいる」という情報に乗っかって「スゲー時代になったもんだ」とか知ったかぶった会話をしていました。テレビでもサッカー情報をバンバン流していたので、日本中のニワカ・サッカーファンがオフサイドを得意になって女子に説明していた時代で、去年のラグビーブームに似た感じでした。
ブームに乗っかってエセ・サッカーサポーターになった人は大勢いましたが、彼らがみんな今でもサッカーチームを応援しているわけではありません。自分はたまたま実家が埼玉へ引っ越した縁で浦和レッズを贔屓チームにしました。自分自身は都民だったんですが当時は東京にサッカーチームがありませんでした。浦和の絶対的エースの福田正博すら知らないニワカ者でした。
多くのニワカサッカーファンがこのJリーグブームに乗っかるのですが、チームの所在地のエリアに住んでいない人にとっては応援するチームを選ぶ根拠がありません。日本人の気質は『巨人・大鵬・玉子焼き』なんで、とりあえずヴェルディかマリノスのサポーターを名乗っていました。しかしブームは終わるからブームというのだから、サッカーを観る人数は目減りしていきます。主にいなくなったのはヴェルディに集まったニワカファンでした。彼らはどちらかといえばクラブチームよりもサムライジャパンを応援する立ち位置なので、代表への批判はすスゴいのですが、Jリーグへの関心は一部のサッカーファンだけのものになっていきました。代表戦はどの競技でも関心が集まるものです。でも代表への関心とプロリーグへの関心が同じというわけではありません。なでしこジャパンには関心が合っても彼女たちの所属チームの成績を知ってる人は極めて少ないです。
自分が浦和レッズのサポーターにとどまれたのは、初めて観たレッズがあまりにも弱かったからでしょう。谷山浩子さんに教えてもらった大洋ホエールズも弱かったから楽しかったんでしょうね。

 話をラグビーに戻すと、ラグビーチームは実業団なので本拠地というものが合ってないようなもんです。野球ばカープは広島のチーム、マリーンズは千葉のチームなど明確な本拠地があります。ホークスやタイガースは九州とか関西という広域なエリアに支持されています。
ラグビーの現時点での強豪チームは神戸製鋼、サントリー、パナソニックあたりです。神戸製鋼は神戸っぽいしパナソニックは大阪っぽいですが、サントリーってドコの会社?って感じですね。サッポロビールだったら判りやすいけどサントリーも大阪の会社です。サントリーもサッポロも日本中で売られているビールだから“ご当地ビール”ではありません。ましてやNTTコミニュケーションズとかIT企業に所在地という概念すら違和感があります。
企業スポーツからプロスポーツに変わる時にプロ野球のようなフランチャイズ制を引くのかは判りませんが、地域を限定することは大手企業だけがチームを所有しているラグビーの参加企業の営業方針に合わないように思えます。どのチームも地方産業レベルの会社ではありません。名古屋に人だけがトヨタに乗ってるワケじゃないですよね。
埼玉県にはラグビーワールドカップ用に全面改修した自慢の熊谷ラグビー場があります。猛暑になるとニュースになるアノ熊谷市です。自分のエリアは埼玉南部なのでセントラル埼玉な熊谷はすごーく遠いです。それでも熊谷を本拠地にしてるチームがあるんだと思っていたら、先程の通りに本拠地という概念がありません。
何らかの愛着がなければ一つのチームを応援するのは難しです。その場かぎり(一試合くらい)だったらユニホームの格好いいチームを応援しようってのもアリです。高校野球とか箱根駅伝なんかはそーいう観戦のほうが向いています。青山学院を1年間応援し続ける必要なんかありませんよね。
箱根駅伝はお正月だから成り立ってるコンテンツです。青学は去年の出雲駅伝では5位、全日本大学駅伝では2位でした。箱根駅伝を含めて大学三大駅伝なんですが、箱根以外の成績なんか誰も興味なんかありません。つまり箱根駅伝はOBやOGの人以外はひとつの大学に入れ込むんじゃなくて、おせちを食べながら今年の有力校を応援して気分良くすごすのがいいんです。この勝ち馬に乗っかる観戦方法は、ニワカファンにオススメな応援の仕方です。
2011年以降でラグビーのトップリーグで勝ち馬と言えばサントリー、パナソニック、神戸製鋼の3チームですね。この3チームは日本代表をたくさん抱えているチームです。稲垣選手、堀江選手、福岡選手だったらパナソニック。流選手、松島選手だったらサントリー。中島選手、山中選手だったら神戸製鋼。リーチマイケル選手は東芝。五郎丸選手はヤマハ・・・ ワールドカップで覚えた選手の所属チームに乗っかるのもチームの選び方のひとつです。
大昔に長嶋茂雄という野球のヒーローがいました。そして特定の球団のフランチャイズのエリア以外の日本中が巨人ファンになっていました。巨人はキャラ(王&長島)と強さ(9連覇)を兼ね揃えたニワカ(小学生)が飛びつく条件が全部乗せ球団でした。男子はチームを応援するが女子は選手を応援する傾向にあるそうです。
選手贔屓で応援する場合はお目当ての選手が移籍とか引退したときに熱が冷めるリスクがあります。だからなるべくはチーム単位で応援するほうが脱ニワカになるんですよね。

 それでは自分はどのチームを応援することに決めたんでしょうか?まずJリーグの浦和レッズに敵対するスポンサー企業を心情的にNGです。ガンバ=パナソニックやジュビロ=ヤマハ、グランパス=トヨタ、アルティージャ=NTTなど。
三菱重工がレッズサポ的にビンゴですが、スゴく弱いチームだとBリーグの埼玉ブロンコスのように失望が応援のモチベーションを下げちゃう前例があります。三菱重工は浦和レッズの親会社ですがレッズサポが三菱に愛着を持ってるワケでもありません。三菱重工は「三菱重工相模原」というチーム名で、ホームタウンをうたわないトップリーグのなかで明確にチーム名に所在地が入ってるのも引っかかります。同じ理由で神戸製鋼も埼玉に関係なさすぎです。
最後にのこるのは消費者目線でどの企業に親和性があるか?というジャッジです。レッズと敵対する企業は全部除外して、残ったチームはサントリー、クボタ、リコー、ホンダ、NEC、東芝、キヤノン、サニックス、日野です。この中で民生品ではなさそうなクボタ、サニックス、リコー、サニックス、日野は企業への愛着がないので除外です。自分の愛車は一貫してホンダだし、使ってきたカメラはキヤノン一択でした。パソコンはNECなのでここら辺に絞られてきました。サントリーは日本代表が6人も所属していて2016年と2017年に連覇していて優勝を狙い得るチームです。でも、それじゃ「強いチームのファンになる」というニワカファンの王道過ぎるのが引っかかります。弱いチームの優勝に立ち会うのがスポーツ応援の一番の醍醐味ですが、強いチームだとしのカタルシスが薄まっちゃいます。
NECでもそのカタルシスが味わえるんですが、NECには日本代表は一人もいないのでビギナーが応援するには渋すぎます。自分が応援するチームのメンバーが誰も知らないっていうのも寂しいです。
結局はキヤノンが候補に残りました。EFレンズユーザーは『ニコンよりもキヤノン』っていうプライドがあります。ニコンユーザーも逆を思っています。カメラユーザーにはメーカーを贔屓するところがあります。開幕戦でキヤノンは神戸製鋼の負けちゃったんですが、たまたま観たチームではあります。何よりの決め手はユニホームのホームカラーが赤でデザインが格好いいんです。やっぱり赤い湯には格好いいですね。所属する日本代表は田中史郎選手と田村優選手です。ベテラン過ぎるメンツですが、おっさんファンのシンパシーを感じますね・・・
あくまでも完全プロ化までの暫定での応援なので、今年1年はお試し期間だと思っています。プロリーグがスタートするときにキヤノンというチームがプロチームで参加している確約もありません。
応援するチームを決めて応援するためにスポーツを観るのが正しい姿勢です。批判やデスる目的でスポーツを観るのは誰も幸せになりません・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

最後の踏み絵 - 2020.01.11 Sat

「スターウォーズ エピ9 スカイウォーカーの夜明け」です。

 新年、明けましておめで・・・ 今さらなので省略いたします。今回はスターウォーズの完結について観てもいないのに取り上げてみたいと思います。年末に映画番宣?でエピ7とエピ8をテレビで放送していました。どーせ新作を劇場で観るつもりはないんですが、タダなら観たいと思ってエピ7と8は録画してお正月にだらだら観ようと思っていました。しかし「相棒」の今年と去年のお正月スペシャルやら各種スペシャルの録りだめをだらだら観ているうちに、スターウォーズのことはすっかり忘れてしまっていました。
エピ7のことは2015年12月に「信仰としてのサーガ」という記事を書いています。相変わらず観てもいないのに「SWは宗教だ」とか「ディズニーの興行下に置かれる」とか書いていました。今回の記事も「観る気もないのにエラそーに・・・」な内容です。
自分は全ての作品に対して無宗教派なので信者たるSWマニアたちの経典や理論武装は一切共感しません。ましてやもっと面白くなって欲しいとか改善を求める気もありません。個人的な想像ですがスターウォーズってこれ以上面白くなる要素がないんだと思っています。

 観ていない映画の記事で頼るのはいつも映画.COMのみんなのレビューです。しかし今回は社内にスターウォーズを語れるマニアが「スカイウォーカーの夜明け」を観てきたとのことなので、彼の感想から想像したエピ9の記事です。
山ちゃん(仮名)の感想は「オレはそんなにヒドいとは思わなかった」という感じでした。映画の感想としてはどーかと思いますが、山ちゃんの友人と3人で観たらしく、友人のひとりは「ヒドい」と評価したらしいです。山ちゃんの言う「○○は○○だから~」の専門用語や固有名詞は理解できなかったのですが、かなり強引なストーリーだったらしいです。山ちゃん自身も薄々「サイコー」って叫べる作品だとは信じていなかったようです。スターウォーズに関心の薄い一般人(自分)に対して敗北を悟られたくないけど、勝利宣言するほどの満足度もなかったんでしょう。
ライムスター宇多丸さんの「ムービーウォッチメン」でも年末に「スカイウォーカーの夜明け」を取り上げていましたが、当然だったんですがアノ宇多丸さんですら酷評っぽい感じのトーンでした。宇多丸さんを聴いたあとでの山ちゃんも感想だったので、大体どんなテンションなのかは予想できましたが、予想通りでした。
一般のスターウォーズファンの感想も“許せない”から“許せる”の間に収まっています。逆に手放しで絶賛するのも「お前にスターウォーズの何がわかるんだよ」って怒られそうな感じです。今回の作品はスターウォーズに対してどれだけ寛容かが評価の分かれ目みたいですね。

 自分が映画館で観たスターウォーズはエピ6のクマちゃんの森で戦う作品だけです。それもデートでたまたま観ただけです。あの頃のスターウォーズのイメージは「スケールの小さい映画だなぁ・・・」って感じでした。宇宙戦争というわりにはデススターの近所をグルグルしてるだけで、ダースベーダーが銀河を支配している印象がありませんでした。
沢山の人種(モンスター?)を出すことで宇宙の多様性を表現してるんだろうけど、逆にそれだけの星人しか宇宙にはいないっぽいイメージでした。当時、宇宙の多様性を作品にしていたのは「銀河鉄道999」と「うる星やつら」でした。とくに高橋留美子先生の宇宙人はいくらでもいる宇宙人のひとりが、たまたま作品に登場しただけという宇宙の奥深さ?を感じます。
宇宙戦争だったら圧倒的に「宇宙戦艦ヤマト」のほうが宇宙戦争でした。デス・スターで星を破壊するにしても14万8千光年先の星を狙うとしたら、破壊までに14万8千年かかる計算になります。壊れたデス・スターを修理するだけで何年もかかってるのに、全銀河に配備するのは何年後になるのやらっていうことです。「イスカンダルってどこ?」とか「999の終点ってどこ?」というスケールをスターウォーズには感じませんでした。ましてや一部の超能力者が宇宙を支配するという設定にリアリティが感じられません。
設定における大きな風呂敷とスクリーンに映せる小さな風呂敷のギャップが、自分のスターウォーズの感想です。結局は風呂敷を畳むか広げるかの映画になっちゃったんですが、ストーリーとは風呂敷のことではありません。ファンの中でも“映画の是非”と“風呂敷の是非”が乖離しちゃってるのがスターウォーズの興味深いところです。
結局は宇宙戦争のストーリーではなくて、スカイウォーカー家の家系図のストーリーみたいです。それだったらテクノロジーな科学SFではなくてRPG なファンタジーでやればいいのでは? 宇宙人という設定のモンスターや、主人公たちの鉄の鎧を手に入れる前の勇者のような衣装もRPGっぽいし・・
背景も砂漠や森林のロケかペラペラ感の強いオープンセットが気になっていました。80年代の日本のSFアニメのほうが宇宙を自由にデザインしていたと思います。白い人(トルーパー)の衣装のプラスチックな質感も安っぽいです。

 全てがエピ4の時代のセンスを42年間守ってきたためでしょう。最先端な映画だったはずのスターウォーズは42年間足踏みしていただけだったんじゃないのかな? スターウォーズは制作した年月よりもファンの側が作品を観ていた年月のほうが重要だと思います。
この40年間かけて全作を劇場で観た人とエピ1からTSUTAYAで追いかけてた人、最新の三部作からデビューしてネットで勉強した若者たちでは感慨が違うのは当たり前のことです。山ちゃんは30代なので実質20年くらいしかスターウォーズ歴がありません。
オヤジ接待シーンとしてのハン・ソロやレイア姫なんかいらないっていう若いジェダイの騎士たちの意見も判ります。しかしハン・ソロこそがスターウォーズなんだというか、最初のスターウォーズでましだったのはハリソンフォードだけだったんですよ。あとはボーヤとマスクマンだし・・・ 全編通してフォースと無縁な設定だったはずのハン・ソロをどうやって作中に残すかがスターウォーズのシナリオのキモだったんでしょう。
40年もののファンにとってはスターウォーズを「男はつらいよ」に重ねてるのでエピ9の評価も甘々だと想像します。エピ4~6の張りぼてなストーリーを経験してるし、古い名画を思い出で語るような世代だからです。
エピ1から勉強してスターウォーズファンになった人たちにとってはショックの多い最終回だったんでしょう。真面目にスターウォーズ論を語ってるのがこの世代なので、壮大なハシゴ外しをされて困惑しています。山ちゃんもこのチームに入っています。庵野に騙されるのもこの世代の人たちの特徴ですね。
エピ7からスターウォーズからのファンにとっては傑作という評価もあると思います。比較対象がエピ4でもエピ1でもなくてアベンジャーズやトランスフォーマーよりも面白いかどうかだけだから。結局はその人たちが今後の映画界を支えていく客層なんだから、彼らにウケる作品こおそが成功作なんでしょう。

 スターウォーズをルーカスとかライアンとかJJエイブラムスとかいってるから作品論になっちゃうんですよ。「スターウォーズはディズニー映画」って書くと作品論なんかには全然なりません。誰もが「アナと雪の女王」の作品のテーマとか気にしていませんよね。ディズニー映画を深刻に観てどーすんだよって感じです。
ディズニーのリリースでは2022年末から新作が「アバター」の新作と1年おきに3本公開されることが決定したようです。世間ではスターウォーズは終わっちゃったという雰囲気ですが、実際はまだまだ続くようです。ディズニーが人気コンテンツを終わらせるハズがありません。ルーカスが宗教にした作品をディズニーが商品に作り替えるようです。「スカイウォーカーの夜明け」というのはそのために必要な踏み絵だったのかもしれません。その踏み絵を踏んで新しい商品としてのスターウォーズをこころ待ちにするもよし。もしくはルーカスに忠義を立てて新シリーズを一切無視するか・・・
2022年以降のスターウォーズは今回のエピ9で楽しめなかった人にとっては最低なスターウォーズを必ず更新するような駄作になります。今回で自身の思い出を精算できたというエピ4からのオールドファンたちも、スターウォーズはもう成仏させてあげてもいいと思います。2022年なんてすぐに来ちゃいますから、その時にまた「こんなのはスターウォーズじゃない」とか暴れないようにしてください。そのスターウォーズはディズニーの商品なんだから・・・


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性善説のネット社会 - 2019.12.20 Fri

SNS の向こう側にいる人たちについて。

 大阪女児誘拐事件でクローズアップされている子供とSNSの関係についてのお話です。前提として自分には子供はいませんし、扶養する対象もいません。こーいう育児や教育問題になると「子供もいないくせにわかったようなこと言うな」という意見も多々あります。自分は中学生のころから吉岡たすく先生を師事し、テレビ寺子屋で育った世代?です。LGBTと女性の権利、育児はセットで生涯の学習テーマっていう感じでした。それなりに思うことがあるので、不調法ながら考えていきたいと思います・・・

 事件の概略は普通の家庭で普通の小学生が突然失踪するという事件でした。誘拐だったのか家出だったのか、ましてや凶行の可能性あるんですが、あまりにも漠然とした中で公開捜査になりました。おりしもキャンプ場での失踪事件が未解決なままなので、もっと長引くかなって思っていたら当人が自力で脱出して急転直下の解決になりました。被害者が児童なので報道も急速にフェードアウトしましたが、犯人にも連れ去られた児童やもう一人の少女にも疑問が尽きない不思議な事件でした。
ここで改めて事件の真相や原因、関係者への罵詈雑言を書いたところで何の意味もありません。犯人に児童誘拐につきまとう凶悪さや異常性癖のようなアレが感じられませんし、被害女児のほうにも誰もが一言いいたい気持ちがあったでしょう。拍子抜けなほど簡単に脱出できたのに解決まで時間がかかってしまったのは、女児が「家に帰るとみんなに怒られる」と思っていたからだと思います。
この事件に批判や共感がしにくいのは登場人物全員(失踪女児、家出少女、35歳自称派遣の監禁犯)が幼稚な思考のキャラっていうイメージだからでしょう。連れ去られ方も雑でしたが連れ去る犯人の無計画さ、家出少女の客観的なメンヘラっぽさ。この人達を分析したところで現代社会の闇の部分が浮かび上がるワケでもありません。
以前にこの日記で取り上げた「惡の華」の押見修造さんの作品だったら、家出少女が主犯格で35歳は彼女に精神支配されている実行犯にすぎないという設定でしょう。一週間の監禁でも失踪女児が公表無事だったのは、単純な監禁レイプ犯や猟奇犯ではなかったということです。35歳男は「靴がなければ逃げられない、スマホがなければ外で生きていけない」と思っていたのでしょうか? 大阪から栃木へ誘拐する計画性に比べると、その思考力のアンバランスさが気味悪いです。そもそも家出少女の許可なしに小学生を連れて来るとは考えにくいので、家出少女の指示で誘拐したと考えるほうがストーリーとしては自然です。

 登場人物が未成年ばっかりなのと最悪な結末とはほど遠い決着だったので、ワイドショーなどはあんまり扱わなくなりました。代わりに「スマホを子供に与えていいのか?」とか「子供を狙うSNS犯罪の恐怖」という話題は多くありました。いかにして子供をネット社会から守るのか?というのがテーマになっています。
元凶なのは妄想を凶行してしまう犯罪者なんですが、今注目されているのは「子供が無防備にSNSなどで犯罪者とコンタクトできてしまう環境をどうするか?」になっています。有識者という謎のジャンルの人たちの意見は大まかに以下のようになっています。

SNSの危険を子供に教える。(教育でなんとかする)
 
スマホの機能で悪のサイトを遮断する。(ペアレンスコントロールなど技術でなんとかする)

居場所のない子供へのサポート。(家出や悩みを打ち明けられる実存の団体でなんといかする)

 SNSがなかった時代でも家出する子供やダークサイドに落ちる子供は一定の数はいたはずです。今回の事件から見えてくるのは、居場所のない子供っていうほど失踪女児に居場所がなかったようには思えないです。むしろ35歳男と家出少女のほうの闇の部分が気になります。こーいう事件で必ず出てくる活動家の方々のコメントなんですが、何十年も子供の悩みを聞くボランティアをしてきたベテランの人とかは、子供の悩み事態が統計学上サンプルになっちゃってる印象があります。
家族や知り合いの子供悩みに向き合って答えを探すのなら、答えの是非にかかわらずにその子と向き合ってると当人は実感できます。年間20万件もの悩みの相談を受けてるんだから、活動としては立派なんでしょう。でも、今回クローズアップされてるのはボランティアの相談窓口じゃなくて、SNSの知らない人の共感してしまう子供が増えてることでしょう? オトナが子供の駆け込める場所を増やしたって、それを子供が信用しないんだったら無駄な経費になっちゃう予感しかありません。オトナを信用していない子供が自分たちで見つけたと思ってるのがSNSです。
「あやしいネットのコメントよりも20年の実績のある相談ボランティアに悩みを打ち明けて」というのが彼らの立ち位置のようです。自分たちが小中学生だったころに「何とか相談窓口」とかに自分の悩みを打ち明けようと思ったことなんてありませんよね。先生の相談するくらいなら上等で、それくらいオトナと子供の間には壁や溝があるのは当たり前です。
尾木ママに子育てを相談するオトナはたくさんいますが、尾木ママに悩みを打ち明ける子供なんて一人もいません。相談できる窓口を増やすというのは尾木ママを何十人にも増やすっていう感じでしょう。たくさんの尾木ママがテレビに出ていたら鬱陶しいだけです・・・

 スマホの有害サイトへのアクセスを封じれば子供を守れるという作戦もかなり微妙な感じです。有害というのが詐欺サイトやポルノサイトといったイメージしやすい悪の枢軸だったら遮断しちゃえばいいんです。でもSNSなどのコミュニケーション・ツールや通販サイトといったスマホのメイン機能にだって子供へのリスクが高いです。初期のインターネットで子供が巻き込まれたトラブルは、子供が勝手に高額な買い物をして何十万も支払いされるっていう平和な事件でした。ゲームサイトも子供への悪影響が心配されてますが、スマホゲームが有害サイトか?っというと難しいところです。何しろゲーム産業は政府が公認の成長産業だから、優良サイトといえなくもないですし・・・
そんなにスマホが危険なんだったら子供に与えないようにすれば解決するんだと思うますが、実際にはスマホを与えてるのは心配しているはずの親たちのほうです。スマホは何歳から・・・という議論は教育界での大命題です。スマホを欲しがるような連嶺になる前から子供にスマホを持たせたいと思っている親は多いの思います。だって子供を管理するのに便利だから。
赤ちゃんを抱っこしながら自分のスマホを凝視していた親の子供が、大きくなって親の目を見て話さずにスマホに夢中になるのは当たり前のことです。これはスマホなんかが発明される以前に吉岡たすく先生がおっしゃっていたことです。
授業でもモバイルを使うことを決めた国がスマホはダメって言えるわけもありません。家庭科で包丁を使うけど家では使ってはいけませんみたいなダブルスタンダードになっちゃいます。
システムをシステムでコントロールできると思うのは極めて効率のいい考え方に人たちの発想です。家出とかクスリとか不穏なワードでアクセスをロックしようとしてる人たちもいますが、どこぞの独裁国家だよ?って感じですよね・・・

 最後は子供がスマホを使う前提で利用ルールやマナーをちゃんと教えるべきという考え方です。これはスマホを与えるべきかどうかよりも、どうせ使うようになるんだから教えておくべきということです。小学生に性教育を教えるのに似ていて、まだ早いとかわざわざ刺激する事もないとかグズグズしてるまに、トラブルになっちゃうおませさんもいます。
子供に教えなきゃいけない性教育は生物学的な仕組みよりも「幸せなセックスと不幸なセックスがある」ということと「男女ふくめて性には商品価値があり、君たちもその標的にされることがある」ということを教えるべきです。そーいう世の中で暮らしているんだから。この性教育の授業とSNS のリテラシーの授業は同時にやるべきですし、最初の授業は就学前からやる必要があります。スマホやネットの管理責任者はあくまでも保護者なのですが、子供の恋愛感情を親がコントロールできないのと一緒で様補の利用状態を親が管理することはできないと思ったほうが話が進みやすいです。
何で失踪女児はSNSで知り合った35歳男と大阪から栃木に行ったのかに戻りますと、栃木に着くまでは自分が騙されてると思ってなかったからという可能性があります。ほとんどの人は「犯人はスモークのハイエース(定番)で無理矢理連れ去った・・・」とか想像しましたが、実際はまさかの在来線での移動でした。当時は高速はNシステム、新幹線は監視カメラというように犯人が周到に計画しているような記事を読みました。しかし電車での移動はいつでも逃げられるというリスクがあります。手錠に腰縄を使えば可能ですがそれでは拉致監禁感がありすぎます。常に女児と手をつないでいるのも真っ先に通報される案件なのでリスクが高いです。
発見前の家族への取材からイメージした失踪女児の人物像ではダークサイドに引っ張られてる感じではありませんでした。彼女なりに悩みはあったでしょうが、家出という可能性は低いと思われていました。この事件で世間が一番ビックリさせられたのは「6年生でも知らない男について行っちゃうんだ」ということでした。ついて行くとどーいう被害をこうむるのか?という想像はなかったんでしょう。彼女にすれば知らない男じゃなくてオンラインゲームで知っている“せつじろう”さんだったんでしょう。
報道ベースで「犯人が“せつじろう”という偽名を使って女児を呼び出した」と取材で明らかになったって言ってました。“せつじろう”は偽名じゃなくてハンドルネームだし、オンラインゲームを本名でアクセスしてるバカは多分いないと思います。失踪女児だって雪二郎さんだとは思ってなかったんじゃないかな・・・?
 読売新聞に江戸川大の玉田教授が子供にSNSの危険性を教えるのは「交通ルールを教えるように」という意見を書いていました。低学年からスマホを使う時代なんだから、赤信号で渡ってはいけないという交通ルールのようにスマホが危険だということを教えるべきだと。自分もこの意見には共感しました。信号を渡るのは幼児も小学生もお年寄りもみんな一緒です。
幼児は危ないからまだひとりで信号を渡っちゃいけないと教えてるのかも知れませんが、自分が幼児だった頃はひとりでガンガンに交差点を渡っていました。「横断歩道は危ないから中学生になってから渡ろうね」というわけにはいきません。子供だってひとりで道を歩かなきゃいけませんから。そう考えると「小学生にスマホはまだ早い」というのは事態の先送りにすぎません。
安倍総理が全ての小学校の授業でひとり1台のいタブレットをバラまくと息巻いています。なのにスマホはまだ早いというのも時代錯誤ですし、なにより持たせたほうが利便性が高いと思ってる保護者も多いでしょう。
子供にスマホはまだ早いという意見の人は自転車だったら何歳から乗せればいいと考えてるのでしょうか? 危なさでいえばスマホよりも自転車のほうが何倍も死のリスクは高いです。普通のスマホユーザーは何のトラブルや犯罪にも巻き込まれないでスマホ使っています。
自転車だってほとんどの人はクルマに撥ねられることなく使っています。ましてやオトナだったら赤信号で渡ることなどダメって判ってるはずです。ほとんどのドライバーは子供を撥ねようとは思っていませんが、子供が飛び出しても止まれるわけじゃありません。子供が「飛び出しちゃダメ」と理解するしか轢かれない方法はありません。

「スマホはそこまで危険な道具か?」っていうと、自分はスマホで犯罪に巻き込まれたことも騙されたこともありません。オトナと子供をどこで分けるかにもよりますが、普通の生活をしているオトナはSNSで誹謗中傷されることもありません。芸能人じゃあるまいし・・・
知らない人に話しかけられたら警戒するし逃げるんだけど、ネットで繋がった知らない人は警戒しないという不思議な現象が起きています。親や先生、同級生などの言葉は届かないんだけど、匿名の誰かの言葉のほうは信じるという現象です。「ネットには答えが書いてある」っていうのを誰に教わったのでもなくてネットに教わったんでしょう。ウッキペディアも資料としては楽ちんサイトだけど、引用する場合はアヤシい情報だということを心しておかないとデタラメな知識を掴まされます。もっとも当てにならないのは評判とか批判の熱量です。ネットで叩くほどの極悪でもないし、マーケティングのための絶賛など・・・
子供が理解していないのはSNSの原理とか概念のような、使い方以前のスマホに対する心得のような部分だと思います。使い方はドコモの店員並みにマスターしてるんでしょうけどね。子供はSNSは自分たちの世代のアイテムのつもりらしいけど、システムを作ってるのもサービスを提供してるのもオトナの人たちです。
年配は新しいシステムに懐疑的で、電子決済や仮想通貨といった四字熟語にもうさん臭さを感じています。それは単にインターネットの歴史を始まりから体験してるからであって、課金=詐欺、出会い=風俗というイメージがベースにすり込まれているからです。迂闊に画像データ(エロ写真)を1枚落としたらBMP形式を56kbpsレベルだから30分くらいパソコンが動かなくなる(フリーズする)時代からネットをしています。
課金=ネットゲーム、出会い=コミュニケーションからネットを始めてる世代は、原則ネット性善説なんでしょう。道路交通法の概念はクルマは危険=許可制(運転免許)というものです。したがって交通ルールは性悪説の教育です。性教育も幸せなセックスと家族計画は性善説ですが、早期から教えるべきは性犯罪に巻き込まれないための性悪説です。
ネットが正しい価値観だという前提があるからSNSの中のイジメとかうそ情報に振り回されたり片寄った考えを鵜呑みにしちゃうんでしょう。

 今回の失踪事件は子供にSNSやネット社会をどう教えるべきか?が問題ですが、これはオレオレ詐欺に引っかかるお年寄りに固定電話の危険性をどう教えるかと似ています。固定電話が万能だった時代の人たちは固定電話を疑いません。電話の向こうの人がホンモノのお役所の職員か詐欺グループなのかを判断するのは難しいです。
固定電話を使わない若者たちは「電話がかかってきたら迂闊に出ちゃダメ」っていうけど、もともと電話は迂闊に出るものでした。孫からかかってくる電話は当然ながら孫からかかってくる電話だし、役所からかかってくる電話は役所からかかってくる電話でした。間違っているのは電話を受ける側ではなくて騙す側ですよね。固定電話に対して性善説な世代に「固定電話は犯罪の道具」ということを判らすのは、スマホやモバイルを使いこなしてる気になっている子供にSNSの向こうにはウソだらけって教えるのは難しいことです。
じゃあ、親世代(オトナ)は騙されないのか?というと、フリマアプリのトラブルが5年で16倍になっているとのことです。「有名ブランドの財布を買ったら偽物が届いた」とか「ジャニーズのライブのチケットを譲りますに金を振り込んじゃった」など。消費者同士で個人売買が成立してると消費者契約法では保護されないです。スマホに移ってる写真だけでホンモノと信じるのは、小学生が35歳男について行くのとどう違うのか? お年寄りが還付金に釣られてキャッシュカードを渡しちゃうのとどう違うのか? 
自分はヨドバシ一択なのでネットでポチりませんし中古を買う気もありません。旅先で昼飯を食べる店を探すのにネットを使いますが、星の数とかレビューは必要ないです。昔の情報誌の受け売りでデートしていた世代は店の善し悪しや旨い不味いは自己責任でした。

 子供にネットの怖さを伝える方法は、一度クルマに轢かれそうにならないと身にしみないのかもしれません。SNSで友達が増えるとか知らない人と繋がれるって教えたのはオトナたちです。ましてやSNSを介していないと実社会でも友だちと思えないのが現代社会の間違ったモラルです。実社会での繋がりが人間関係なのだから、仮想空間に存在する“ぜつじろう”は友だちではないということを理解させる方法を見つけなきゃいけません。それ以上に今の子供たちは繋がりや友だちの数に対して過剰になっているような気がします。
イジメが多いのは人間関係に過剰ゆえの現象です。社会人になると職場は遊びの場ではないので、いちいち虐めるほど他人に干渉しなくなります。今、虐めや仲間はずれで悩んでいる子供にはバイトでも就職でもいいから職場を見つけて飛び込んで欲しいです。学校がいかにくだらない人たちの集団なのかということが、給料が発生する場所に行くとハッキリ見えてきます。
SNSで今を速報で配信することで「いいね」を貰うことに情熱をかけるよりも、次の日に学校で直接話題にするほうが盛り上がるはずです。一行で説明するよりも10分間話せるようになるほうが楽しいでしょう? だったらSNSなんかでネタばらししてどーすんだよってことです。


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管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

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