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2017-04

僕が私に・・・ - 2017.04.15 Sat

平沢ゆうなさんの体験ルポマンガ「僕が私になるために」です。

 このマンガは実際に性同一性障害(GID)の性別違和だった平沢ゆうなさんが、“男性から女性になる顛末の実体験”をマンガにした作品です。平沢さんはLGBTでいうところのT(トランスジェンダー)にあたります。タイトルの僕が私に・・・は比喩的な表現ではなく、タイで性別適合手術(SRS)を受けることを意味しています。性別適合手術とは昔でいう性転換手術のことです。どうして呼び名が変わったのかは他のLGBT用語と同じで、当事者たちが言葉の意味をどう捉えるのかによるみたいです。
平沢さんのマンガにはマイノリティーレポートにありがちなメッセージ性や問題提起がありません。当人が性別適合手術をした時の怖かった体験や痛かった体験をそのままマンガにした作品です。小雪&裕子さんのエッセイマンガでも「社会に判ってもらえない私たち」という立ち位置なので、LGBT 対 無理解なマジョリティという図式になりがちです。
平沢さんはこの作品のあとがきで『自分からは何も伝えないようにしよう』と書いています。LGBTに限らず世間から風当たりの強い立場の人たちは「私たちを認めて」と主張するほど「認めてくれない人を認めない」という自己矛盾を回避できません。だから「差別をやめよう」とか「社会的にこうして欲しい」という要求部分は終始、排除するようにしたとのこと。小雪&裕子さんたちのエッセイには「社会に認められないもどかしさ」や「誤った知識や思い込みで語る世間に訴える」という語気があります。LGBT報道の第一人者である北丸雄二さんも最新の海外LGBTトレンドを伝えていますが、その立ち位置は社会運動とか哲学論のような報道ベースになっちゃいます。LGBTの正しい?解釈は北丸さんの受け売りも多いのですが、本質は『オッパイがいらない人やオッパイが欲しい人』の話なのであって、正しいとか間違ってるというたぐいのことではないんでしょうけどね。北丸さんは最も賢いタイプのマイノリティなので、論破することが解決策になる信じています。しかし普通の人々は論破した相手のことを絶対に受け入れません。このジレンマの無意味さを訴えていたのが、前回書いた牧村さんの脱LGBT宣言なんでしょう。

 平沢さんの体験した“僕が私に・・・”とは具体的にいうと、僕(オトコ)が私(オンナ)に変わる手術をしたということです。トランスジェンダーとは「身体はオトコでも心の中はオンナ」っていう漠然としたイメージですが、身体はそのまま気持ち(生き方)だけはオンナでいようとする人から、オトコの身体でいることが我慢できない人、オンナの身体を手に入れたいとする人まで千差万別です。LGBTを考えるときの注意すべきは『そーいう人もいるが、そうでない人もいるので、一緒くたに分類してはいけない』ということです。社会的な役割だけ男性から女性に変わればいい人も、身体も戸籍も女性になる人も個人の事情や自由によります。北丸さんのようなジャーナリストの発言には個人の都合を許さないようなところがあるので、平沢さんのようなマンガ媒体のほうがマイノリティのテーマを扱うのに向いているのかもしれません。「最先端のアメリカのレズビアンの活動は・・・」って言われても、日本人のレズビアンはアメリカのレズビアンになる必要はないですよね。
タイで性転換手術というのはけっこう昔から言われていたハナシです。だから空港でブローカーにスクーターで連れられて、ジャングルの奥にある無免許医が無謀な手術代を請求するけど、タイの物価が安いので大丈夫だったっていうイメージでした。平沢さんが実際に経験したタイは送迎は日本車でホテルのスイートルームに待機、病院も大きくて性別適合手術の先進国らしくてサクサクと進みます。日本でも性同一性障害の治療や性別適合手術を受けられますが、サクサクとはほど遠いみたいです。なんだか人目を忍んでタイでこっそり性転換してくるっていうイメージではないようです。タイではトランスジェンダーの方も普通に職場で働いていて、日本なんかよりもマイノリティの市民権は保障されてるようです。

 それでは平沢さんがタイで受けた性別適合手術とはどんなもんでしょう?シロウト考えでもオンナになるためにジャマなものといえばチンチンでしょう。そこまでは想像できますね。じゃあ切っちゃえばオンナっていえるのか?といえば、それじゃ満足いかないでしょう。本編ではソーセージと揚げ巾着袋、厚揚げ、ちくわを使って施術を再現しています。ザックリソーセージはチンチン、揚げ巾着袋は陰嚢、中のうずらの煮卵はタマタマ、厚揚げは恥丘、ちくわは腸の一部を表しています。
だいたいイメージ通りなんですが“ちくわ=腸の一部”というのがひっかかりますよね。腸の一部は膣を作るための部品です。これを造膣というそうで、腸を使うのはS字結腸法といいます。日本語の便利なところは漢字で書くと内容が想像できるところです。S字結腸って、うわっって感じですね・・・
腸を使うのは施術的にも予算的にも負担が大きいので造膣なしでもOKだそうです。その場合は揚げ巾着とソーセージの中身をくり抜いた皮で、大陰唇と小陰唇を作って外見がそれっぽく見えればいいそうです。外見の形状が女性器のソレっぽくないと戸籍変更ができないレギュレーションなので、切りっぱなしというワケではないようです。当然、膣がないんだから性交渉は出来ないので、オンナになってオトコに抱かれたいという目的には向きません。しかし社会的身分や行政サービスを手に入れることが目的ならば必ず造膣しなきゃイケないってことではないです。これはマジョリティな女性にもいえることで、すべての女性がオトコとセックスしたいと望んで生きてるんじゃないでしょう。しかし平沢さんは男性との性交渉を前提として女性になりたかったんですね。
自分は性転換手術というモノはもっとフェイクな整形手術だという認識しかありませんでした。女性器を作るといっても、卵巣が作れるわけではないので生殖機能までは無理です。でもアッチのほうの機能に関してはかなり実用的に作られてるようで、手術前にナースから『How long ? you want ? 』って聞かれるとのこと。コレは膣の深さの希望を聞いているんです。ソーセージを使う膣は当人のソーセージの長さが膣の深さになるが、腸を使う場合は限度までは希望が叶うとのこと。お相手の感触もホンモノにかなり近いらしいので、膣も内臓なんだなぁと思い返す日々ですね。

 マンガのハナシなんですが、平沢さんはマンガ家としての活動をベースにしていくとのことです。したがって性同一障害の人がマンガを描いたのではなくてマンガ家を目指していた人が性同一障害だったっていう感じです。ちょっと気になるのは本当のことをマンガで描いて出てきたマンガ家は、その後の作品で評価される可能性が低いっていう印象です。フィクションがマンガなのにノンフィクションを先に出しちゃうのは、次回作以降に何を描くかが大変になっちゃいます。作者の作品が評価されたんじゃなくて体験の面白さ(興味深さ)が評価されたっていうことになっちゃうから。
平沢さんの描く「僕が私になるために」はとてもテンポ良く読めて、絵柄も好感がもてるマンガらしいマンガです。全編通して手術の痛さや痛さや痛さがとても伝わってくる作品です。切り取ってもう存在しないハズのソーセージの幻肢痛(失ったはずの部位の痛み)とかダレーション(どう説明すればよいのやら)などなど・・・
興味深いのはコマの割り方やナレーションの入れ方が、完全に少年マンガの定石なんですよね。平沢さん自身が自分のことを男性よりも女性なんだって決めたんですが、マンガの描き方は少年マンガの技法なんです。今後はせっかく性別を変えたマンガ家がストーリーを考えるんだから、男女の機微をテーマにしたマンガを描いて欲しいですね。


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BLの新しい可能性 - 2017.04.08 Sat

男性カップルの里親認定のニュースがありました。

 前回の日記の記事でその他もろもろのマイノリティーを表すためにLGBTsと表記すると書きましたが、現代の主流はLGBTQと表すことが主流になっているみたいでした。sはトランスジェンダーの多様なケースを複数形にしているんだと思っていました。QはQuestioning(クエスチョニング)でクエスチョンの ~ing 形ですね。クエスチョニングとは性自認や性的指向が定まっていないことを意味しています。またQueer(クィア)の Qも語源とされていてクィアはヘンなとか妙な、いかがわしい、怪しいといった意味です。また俗語や隠語としてホモとかヘンタイっていう意味で使われるそうです。レズ=ポルノ用語、ビアン=生き方の自由という前回に説明した通り、なるべくはクエスチョンの Q で認識したほうがいいみたいです。

 新たなニュースとしては大阪市が男性カップルを養育里親として全国で初めて認定したというのがありました。ちょっと意外だったのは全国初が大阪だっていうことでした。偏見やイメージだけなんですが大阪って差別や逆差別がはっきりしていてジェンダーに厳しい地域なんじゃないかな?って思っていました。東京モンとかジャイアンツとか他者文化を否定するコトでモチベーションを維持するような。今回の英断には「大阪やりまんな」って思いました。おまえ何様だよって感じですね・・・
同性カップルの里親ということの対して一般の意見も「とても良いニュース」や「LGBTへの偏見がなくなる」など好意的なものと「子供がイジメにあったりグレそう」や「お父さんが二人ってどうなの」といった否定的な意見がありました。現在 4万5千人以上の子供が虐待や保護者がいない理由で社会的養護のもとで生活しています。男性カップルの里親で子供が可哀相って思ってる人もいるようですが、彼らは現状がすでに可哀相なのを理解するべきでしょう。
個人情報なので里子の年齢が10代というくらいしか発表されていません。里子が乳幼児ではないのなら彼らに必要なものは、ホンモノの両親の愛情とかではなくて社会的、経済的な安全と保障です。男性カップルの里親にやいする是非はおのおのに意見があるのでしょうが、当事者同士の都合を最優先にするのがベストな解決になるんだと思います。むしろ何も判らない乳幼児ではなくて分別のつく年齢の子供に、その当事者の子供が「男性カップルでもいい」といったら里親になればよくて「やだ」っていうなら別の里親に振り分ければいいだけのことです。ただ「君の新しい両親はゲイカップル」だからって行政処理で勝手に決定する時代にならないようになって欲しいです。
里親になる認定には最終的に知事の承認が必要なので、このケースではいろいろ話題の松井大阪府知事が承認したことになります。もし知事にLGBTへの偏見があったら絶対に事が運ばない案件です。その意味で松井さんっていう人物像にも意外な感じでしたね。

 このニュースはLGBTの新たな権利を獲得したことになるんでしょが、この日記のテーマはLGBTの権利を主張する目的ではありません。自分でも忘れがちなんですがマンガなどの作品としてのLGBTについて考える日記です。今回の同性事実婚の方々が里親になれたっていうことはボーイズラブやガールズラブのお話を作る時に新しい鉱脈が出来たことになります。そもそも同性婚の最大のネックになっていたのは生物学的に子供を産めないということでした。養子扱いで戸籍を作れても実際にどーなってるのかっていう法律や行政の問題に詳しい作家がどれだけいるのかは疑問です。レズビアンカップルの場合は前回までのレギュラー登場の小雪&裕子さんの著作マンガ「女どうしで子どもを産むことにしました」とかで詳しく書かれています。でもゲイカップルはそーいう発信リーダーがいるのかな?BLが同人誌などのアマチュアレーベルから進化したジャンルなので正誤を問わずに自由というか野放しで成長しちゃったジャンルです。ちゃんとLGBTの現状を調べてマンガを描こうとすると、あまりにも現実が厳しく迂闊なポルノを描いてる場合ではないことを知ります。SFが物理や工学に詳しくないからこそ適当な設定が作れるのと同じです。
せっかく大阪市でBLカップルの養子縁組が認められたんだから、これを機に同性愛と家族に向き合ったBLが流行るといいですね。それまではよくわからないのでファンタジーとして描かれた「オレたちの子供」が具体的なストーリーで描けるようになったんでしょう。しかし「BLにショタを加えて3Pだ」などとゲスなジャンルにならないようにね。里親になる条件のなかに『子供の養育に関し虐待(性虐待)等の問題がないこと。児童福祉法及び児童買春、児童ポルノなどの罰則がなく、児童保護等で定める欠格事由に該当しない』という項目があります。ゲスなポルノBL作品の主人公には、そもそも里親認定などされないですからね。


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LGBTの T - 2017.03.25 Sat

LGBTの中の T(トランスジェンダー) について

 自分のブログの中では春のLGBT祭なんですが、百合に片寄った内容が続き L ばっかじゃないかって感じでしたね。それでは G ゲイは? B バイは?ってことですが、とくにそっち方面に明るくないのでいい加減なことは書けません。女性マンガの中のキャスティングでは L は主人公が親友だと思っていた女性が実は相手は自分に対して恋愛感情を持っていた。しかし友情がまさって親友は自分の気持ちを隠してる。G は主人公が恋屋仕事の悩みを辛辣な口調でアドバイスしてくれる保護者的な存在。主人公が暴力などのピンチなときは豪腕を発揮するオカマちゃんなど。B はゲイ(男が好き)という設定で主人公を油断させて突然「オンナも抱けるんだぜっ」って手のひらを返す危険なタイプ。
今は市場規模で百合の何倍にもなっているボーイズ・ラブですが、コレはお姉サマたちの理想やファンタジーを全部のせしたジャンルです。そもそも論でいえば「風と木の詩」や「トーマの心臓」あたりがルーツなんでしょう。でも現代のBLは同人誌から発祥した単発作品や完全なネタ作品と“描いてるヒトも読んでるヒトも割り切ってる”っていう印象です。BLという言葉ができる前はアニメ・マンガの同人誌オタク界ではショタというブームからやおいが派生し、やおいから広義でBLという言葉が定着した感じです。ちなみにやおいは漢字では夜追いと書きます。BLの中でも長いストーリーを読ませるメジャー志向の作品もあるし、メジャーマンガ家が描くBLで世間一般に評価されてる作品もあります。でも大半は竹宮恵子師匠や萩尾望都師匠たち先人の心意気を継承してる感じはしません。
BLを描いてる女性マンガ家のコメントで「こーいうBL作品は本当のゲイの方々に対して差別というか失礼なんじゃないか?っていう気持ちはある」って言ってました。どう考えても中高生の女子がホンモノのゲイのセックスを知ってるとは思えません。彼女らが持つ幻想のBLと現実のゲイとのギャップを知ったとき、ゲイに一番嫌悪感を持つのは腐女子の方々だったらイヤですよね。また幻想ではないセックスを描写しているBLもかなりありますが、それはまったくのポルノ作品です。ポルノというジャンルが悪いとか下劣ということではありませんが、ゲイをポルノの対象にしてるってことはそれはそれで失礼なことですよね。

 今回のテーマはBLGT の T です。T はTransgender(トランスジェンダー)の頭文字で、ラテン語のトランス=乗り越える、反対側と英語のジェンダー=社会的性別の造語です。トランスフォーマーのトランスと同じ意味で、意識がフワっとする意味のTrance(トランス)とは字が違います。
LGBT の中でもLGB とT では指してる意味が違います。LGB は「どういう相手が恋愛対象なのか?」ということについての言葉です。前回までの記事で『同性でも異性でも誰を好きになるのもその人の自由』っていう意見でした。それは恋愛感情であって気持ちの持ちようのハナシです。同性が好きということはおかしいことでも病気でもないっていう主張でしたが、トランスジェンダーは性自認が生物学的な性別と異なるケースについてのハナシです。
トランスジェンダーの話題の時によく聞く「性同一性障害」という言葉があります。障害と書かれているように、恋愛感情での「同性が好き」とか「オトコもオンナもイケる」とかとはニュアンスが違います。性同一性障害は病院で診断書も出るくらいのものです。それまでの性的マイノリティーの活動家たちは「レズビアンって病気なんだろ?」っていう偏見に対して「病気や障害ではなくて異性愛と変わらないわ」と反論してきました。しかしトランスジェンダーの方々は「オトコになりたいってそんなのお前の趣味だろ?」っていう偏見に対して「趣味や性癖じゃなくて病気や障害なの」って反論になります。もともとLGBTという言葉はみんなで集会やデモをするときに協調しようという趣旨でできた言葉です。でもトランスジェンダーはちょっと別枠になると思います。性同一性障害は病気として認定されていますが、トランスジェンダーと同じ意味ではありません。『性同一性障害などの人で“心の性別と身体の性別を一致させたい”と思ってる人』がトランスジェンダーになります。従って性同一性障害などの“など”に含まれる医師の診断を受けていない人や診断が出なかった人もトランスジェンダーですし、本来は性同一性障害なのに気にしないで違う性別のまま暮らしてる人はトランスジェンダーではありません。また性同一性障害は染色体や性器に異常がなく、心の性別だけが違う人のことです。性器が両方ついていたり染色体異常の場合は性分化疾病です。
オトコからオンナへ変わったけどオンナが好きなのはレズビアンなのか?オトコが好きなオトコだからオンナに変わるのか?オンナになりたいけど恋愛がしたいワケではないのか?性のあり方には様々なケースがあるので、性のグラデーションと言われています。

 ヘンタイの代表選手である女装趣味にもクロスドレッサー(異性装者)という格好いい名前があります。女装の大家はミッツ・マングローブさんは彼女は女装であり同性愛者でもありますが、どちらかといえばドラァグクイーンに分類されるそうです。何の分類だか・・・(自分はドラァグクイーンのことをドラッククイーン(薬物依存の女王)だと思っていました。ファッション関連で売り出した小椋ケンイチさん(おぐねー)はどう見てもビジネス・オネェって感じで、声優やアイドルでウワサのビジネス百合と同じですね。
近年の傾向でLGBT はLGBTsと書き直されているケースがあります。sはその他もろもろという意味です。性的マイノリティーの種類も多様化してるのでアレもコレもっていう感じです。じゃあサド・マゾは?ロリコンは?二次元は?フェチは?デブ専や熟女好きは?・・・性的マイノリティーといってもいろいろあるんですが、こーいう嗜好性の高いモノや犯罪っぽいモノは仲間に入れてもらえないうようです。今でこそ青少年保護育成条例がありますが、童謡の「赤とんぼ」では15歳でねえやは嫁にいってます。同性愛者がSM愛好家を蔑視するのは、サドマゾヒズムの方が同性愛愛好家を蔑視するのと同じ構図です。
次回は具体的なトランスジェンダーのハナシになります。(たぶん)


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百合作品の12の質問 - 2017.03.19 Sun

「異性愛者への12の質問」という、LGBTの界隈ではあまりにも有名な質問があります。心理療法博士のマーティン・ロシュウリンさんが論文の中で発表したものです。同性愛者が異性愛者(いわゆるノーマル)の方々から執拗に質問される事柄を逆に質問してみたという皮肉をこめた内容です。後にケンタッキー大学のジューン・キャラハン教授が授業で使ったことで名が知れることになったのですが、当時はアカデミーの同性愛擁護とか性プライバシーとか話題も紛糾したそうです。日本でもちょっと遅れてネットで話題になりました。12の質問はLGBTを語るうえでは知っていて当たり前の知識なんでしょう。

 異性愛者への12の質問

1  あなたの異性愛の原因は何ですが?

2  自分が異性愛だと初めて判断したのは何時、どのようにして?

3  異性愛は貴女と発達の一段階ではないですか?

4  異性愛なのは同性を恐れているからでは?

5  一度も同性とセックスしたことがないのなら何故異性とのセックスが良いと決められるのか?

6  誰かに異性愛者であることを告白したことがありますか?

7  何故多くの異性愛者は他人をも異性愛者に引き込もうと誘惑しようとするのか?

8  子供に対する性的犯罪の多くが異性愛者です。あなたは自分の子供を異性愛者(特に教師)と
   接触させることを安全だとおもいますか?

9  異性愛者は何故あんなにあからさまで性的嗜好を見せびらかすのか?公衆の面前でキスしたり
    結婚指輪をはめるなどして異性愛者であることを見せびらかすのか?

10 男と女というのは肉体的にも精神的にも明らかに異なっているのにあなたはそのような相手と
    本当に満足いく関係が結べますか?

11 異性愛の婚姻は完全な社会のサポートが受けられるにもかかわらず今日では一年間に結婚する
     夫婦の半分がやがて離婚すると言われています。何故異性愛の関係はうまくいかないのか?

12 このように異性愛が直面している問題を考えるにつき、あなたは自分の子供に異性愛になって
     欲しいと思いますか?セラピーで彼らを変えるべきだとは思いませんか?

 初見の方はコレを読んでどう感じたでしょうか?「異性愛」というワードを「同性愛」に置き換えるとLGBTの方々が日々質問されている内容ということです。くだらない質問と思う人も哲学的とかジェンダー問題を思う人もいるでしょう。あえて正解を決めるとしたらくだらない質問だと思った方々の解釈が正しいです。同性愛者の方々は日々こんなくだらない質問を言われ続けてきたということなんでしょう。
日本でもこの質問の日本語訳が出まわってきて「異性愛者への12の質問に答えてみた」みたいなことが広まりました。そんなことでサブカルに理解があるポーズを取ろうとしてることはミエミエです。そもそもの文脈は『同性愛者たちは日頃からこんなくだらない問いかけに答えさせられてる』というコトを、頭の中が石化してる性的に保守な人やマジョリティーにあぐらをかいてる人たちにも理解出来るように作った質問という名の皮肉です。ケンタッキー大学の授業で学生にプリントを配っちゃったから“回答”が集まっちゃっておかしな議論に発展しちゃったんじゃないかな?アメリカの若者の“正しい性嗜好”の実態を調査するのにもってこいな質問集だから。
読んですぐに「何だよこのくだらない質問は?」って思ってもらうことで授業が先に進むのに「私が初めて異性愛を知ったのは高2の夏休みに・・・」って回答を書いちゃう人が多数でした。なんでサブカルに理解があるポーズなのかといえば、まったくLGBTに関心がない人たちはこの質問の存在自体を知らないからです。
前回の記事で登場した小雪さんや裕子さん、牧村さんたちが闘っているのは突きつめればこの12の質問なのかもしれません。法律や社会制度、行政サービス、慣習など改善を求む声は多いのですが、少数派であることと特異であることは意味が違うってことです。普通の人がぽっちゃりが好きとかスレンダーが好きとか余計なお世話なのと同じくらいに、同性が好きとか両方が好きとかは余計なお世話だよってことです。究極 LGBTの活動の目的は認めてもらうことではなくて当たり前に思ってもらうことなのでしょう。その過程で集まろうと呼びかけてるのが小雪さんたちで、LGBTだけで固まっていたら当たり前の世の中にはならないっていう疑問を提示したのが牧村さんです。

 創作の百合のストーリーでは主人公がこの12の質問をされる展開がけっこうありますね。それは同性愛を真摯に表現する意欲がある作家ほど、無自覚に質問してくるキャラを出して現実感を出そうとするからでしょう。逆に最近の作品で見かけなくなった表現は脇役のキャラが同性愛設定の場合に主人公が「うわっ レズ(ゲイ)なの?キモっ」っていう感じの露骨なアレルギー反応です。人種問題と同じでさすがにその差別意識なネタはヤバいってことくらいは浸透したようです。そもそもこの12の質問はLGBTの方々が言われたくない「ウンザリ・クエスチョン」なんだから、この質問をされる主人公のシナリオで主人公が楽しいシーンになるハズもありません。作中の登場人物の中にLGBT擁護派ではなくてフラットな意見を述べる第三者が出てくればいいのですが、多くの百合作品って当事者のカップル以外はモブしか出てこないんですよね。愛し合うふたりと理解しようとしない世間の声みたいに。12の質問もスミスとかボブなど固有の相手が想定されているワケではなくて「よく言われる」っていうスタンスです。理解するキャラとしないキャラの両方が同じくらい重要なのに、親や親友っていう設定でLGBTに無理解なキャラをアイコンとして描かれちゃうケースが多いです。ここに同人で描きたいこと(百合)だけ描いてきたマンガ家と、商業誌で描いてきたマンガ家との差が出てると思います。シナリオの都合で同性愛を肯定するあまりに同性愛を理解出来ないキャラをすべてを敵キャラって決めつけるのも片寄った印象です。

 逆に誰もが自由な恋愛が認められている世の中っていう設定にするとどうでしょう。牧村さんの望むLGBTと非LGBTなんていう分け方が必要ない世の中という設定です。そんな社会はまだ来ていないのでちょっとSFのような作り話感が気になっちゃうでしょう。単純に同性愛に理解がない人をストーリーから排除すればイラっとしない作品になるかもしれません。でもそれだと王子サマに見初められる使用人の娘みたいな上滑りなストーリーになっちゃいます。おとぎ話として百合を描くのは百合というジャンルが幼い恋愛というレッテルを貼ることにもなりますからね。
ふたりだけの世界っていうマンガではドラマ作りがしょぼいし、何故同性愛なのかの言い訳や説明に終始するのも恋愛ものとしての魅力とは言いがたいです。結局は登場するふたりが同性だからという理由ではなくて個として魅力があるという作品にしなきゃダメなんでしょうね。異性愛者を題材にしたマンガでも相手がオンナだから欲情したっていうマンガには共感しにくいでしょう。
百合マンガの中で相手ことを好きになった理由の多くが「私はレズビアンだからオンナしか愛せないの」っていう感じです。オンナだからオンナが好きということと恋愛感情は別の次元だと思います。ヤリチンがオンナを取っ替え引っ替えっていうお話は恋愛ものというよりもポルノです。百合という恋愛ものが描きたいのか?レズビアンのポルノが描きたいのか?で印象が違ってきます。ポルノだって立派に作品のジャンルだからポルノが悪いわけではありませんけどね。
一概に百合といっても同性愛を性癖と捉える人や生き方や選択の自由と捉える人、障害と捉える人やサブカルのジャンルと捉える人・・・様々なイメージがあるでしょう。でも一番多いのは百合作品=可愛い女の子ものっていう安直な感じです。いわゆる大っきいお兄さん向けですね。このジャンルはウケる鉄板のラインがあるので、おっきいお兄さんの希望が叶うような作品ばっかりです。しかしその内容は小さい子向けの少女マンガのレベルにも満たない幼稚な作品が多いです。これでいいの?って心配になっちゃうマンガでも百合だからってことで誰かのニーズには応えちゃってるんです。この事態は百合というジャンルを良くしようとするチカラにはなっていません。
先日ラジオにアニメの歴代プリキュアシリーズのプロデューサーの方が出演していました。彼曰く「制作中におっきいお兄さんのことは微塵も考えていません」とのこと。あくまでも小さい子向けの少女アニメというジャンルを作ってるという自負があるそうです。お兄さんたちしっかりしろよ!

 リアルの世界のLGBTの人で思い浮かぶのは元女子サッカーアメリカ代表でレジェンドのワンバック選手です。澤さんの永遠のライバルで盟友の通称ワンバック兄貴ですね。ワンバックさんが現役中にチームメイトのサラ選手とハワイで挙式しました。当時はLGBT界隈でもビッグニュースでした。世に兄貴と呼ばれる女性は名実ともに人格者でありしかも他の追随を許さない実績ですが、ワンバックさんも女子サッカー界のキング オブ キングスです。クイーンなんだけど。
今年になってそのワンバックさんの新たなニュースが入ってきました。何と彼女はいつの間にかサラさんと離婚していて、作家のグレノンさんと再婚したということです。いろいろビックリなんですが同性婚の道のりの大変さは小雪&裕子さんたちを見ていればよく判ってます。だから同性愛のカップルは一生添い遂げるモンだというイメージがあったみたいです。考えてみれば異性の恋愛も同性の恋愛も、恋愛という感情は何ら変わりないもののハズです。自分自身も創作の百合設定に引っ張られて勝手な幻想をもっていたんでしょうね。
ついでに見つけた元なでしこの川澄ちゃんが当時のチームメイトのチ・ソヨンさんとの熱愛疑惑?の頃のまとめ記事の管理人のコメントがありゃ?って感じでした。スポーツ界での同性愛者は多いですね的なザックリとした記事なんですが、『同性愛者だからといって批判するのではなく、温かく見守りたいですね』っていうシメのコメントを書いてらっしゃいました。記事全体はLGBTを批難するでもからかうでもなく、それこそ温かく書かれていました。でもこの一文は小雪さんたちがイラっとするだろうセンテンスが含まれています。コメントの中に「同性愛も許せるグローバルなオレ」っていう感じですかね。きっと温かい気持ちで書いたんでしょうけどお前何様なの?っていう風にも読み取れちゃいます。
つまり百合作品を手掛けるときにはこの作品を読んだ小雪さんや裕子さん、牧村さんたちがイラっとするかどうかを頭の中でシミュレーションしてから作るとよいでしょう。何がイラッとするのかは彼女たちをちゃんと理解しなきゃ気付けません。だからLGBTを学ばなきゃいけないんでしょうね。


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LGBTと百合 2 - 2017.03.12 Sun

LGBTというカテゴリーに疑問を持つということ

 前回の日記では性的マイノリティーの方々を表すLGBTという言葉について書きました。東小雪さんと増原裕子さんの活動からLGBTの現状が多少なり理解できると思います。重要なのは偏見を持たないことなんでしょうが、なんだかモヤモヤが残る人も多いでしょう。根本的に同性愛を受け入れられないっていう人や、受け入れる必然性がないという人たちは一定数います。何かを否定する方々は国益でも人種でも経済でも、不思議なほど一生懸命に否定するところがあります。それに対抗するように同性愛を容認する方々もムキになって反論しなきゃいけなくなっちゃいます。
前記のラジオ番組に寄せられたメールなんですが『正直、あなた方がよるベッドで誰と寝ていようがどうでもいい』っていう意見がありました。これは悪意ではなく一般の方々の普通の感想なのかもしれません。でもどうでもよいのに近隣に同性愛者がいることがわかるとビックリしちゃうっていうのも事実です。小雪さんと裕子さんは極論、「ビックリしないように知識と理解を持ってね」っていう活動をしてるんでしょう。しかしLGBTという単語にはニューヨークでデモ集会やパレードとか、夜な夜なクラブでゲイやレズビアンのパーティーがあるとか、活動しているイメージが強いです。

 ラジオでもLの小雪さんたちとTのカツオさんがLGBTの同士として出演していました。しかし性的マイノリティーのシロウトからするとレズビアンとゲイとバイが仲が良いっていうのもヘンだと思うんですよね。べつに喧嘩しろってことじゃないんですが、レズビアンとゲイって異性愛者以上に反対側っていう気がします。だから一周回って仲よしなのかもしれませんが、女性が好きという人が男性が好きという男性と仲良くする必然はないはずですよね。喧嘩する必要もないんですが、だったらストレートの同性や異性とコミュニティーをとったっていいハズです。そこにはLGBTかどうかで壁のような物ができてしまってるようです。そしてレズビアンだけどLGBTではないっていう女性も現れました。もう何が何だかって感じですね・・・
過去にLGBTから見てノーマルと分類されるマジョリティーはマイノリティーのことを無視したり差別したりしてきました。LGBTの方々はノーマルの人たちから「認めて尊重して欲しいのか?」それとも「認めるけど無視して欲しいのか?」がよくわかりません。認めて尊重するという場合はあなたは同性愛ですか?って確認作業が必要だから、それはそれで「ほっといてくれよ」って思うでしょう。「同性愛だって気がついてもスルーしてね」っていうのもノーマルと言われる人にとっては高度な要求です。

 このLGBTという言葉にさようならを言った同性愛者がいます。日本初のレズビアンタレントでレズビアン関連の著書が多数の文筆家のまきむぅこと牧村朝子さんです。小雪さんは元タカラジェンヌで裕子さんも美人バリキャリウーマンですが、牧村朝子さんもミス日本ファイナリストで杉本彩さんのオフィス彩に所属するほどの美人さんです。牧村さんは小雪さんたちと同時期ころにLGBTを公表し、同じLGBTの啓蒙活動に尽力を注いでました。有名なレズビアンっていえば牧村さんか小雪さん裕子さんのどちらかが思い浮かぶと思います。小雪さんたちがディズニーランドで挙式したころ、牧村さんはフランスでフランス人と挙式(PACS契約)して世間をあっと言わせました。彼女らの活動を支えてるのはとびっきりの美人さんだっていうことですね。世間さまはビジュアルに引っ張られるから、美人がレズビアンをやってるということで聴く耳を持たれやすくなる感じです。たとえば渡辺直美さんみたいなタイプがLGBTだってカミングアウトしたとするとオネェキャラ同様に笑われるだけでしょう。それはそれで絶大な影響力があるんでしょうけどね・・・
牧村さんはレズビアンとして文筆活動をしてきましたが2015年に「もうLGBT当事者を名乗らない」と宣言しました。前記の通りLGBTはL.G.B.Tが連帯して活動しようと集まった言葉です。その活動で得られた権利や環境改善は華々しいが「あたかも人びとがLGBTと非LGBTに二分されていくように感じる」と牧村さんは言っています。LGBTの人たちは世界には男と女しかいないという二分法を壊そうと闘ってきたのに、LGBTであるか否かで新たな柵が生まれているように見えるとのこと。
牧村さんは「LGBTらしいあり方を求められたくないし、当事者としての意見だなんて持っていないのです。私は私でしかありません」と言っています。 (朝日新聞 原田朱美さんの記事を引用)

 牧村さんはLGBT活動のためにフランス人女性と結婚したわけではありません。まきむぅとモリガさんがどういう恋愛なのかが百合なのであって、何故恋愛するのかの理由やどうして結婚するのかを考えることが百合ではありません。
牧村さん自身のブログに「人はみんな違ってて100%理解しあえるはずがない。だからこそ『男と女』とか『LGBTと非LGBT』とかそういうことじゃなくて、『あなたとわたし』の対話を重ねていくことでお互いの違いを尊重できるようになるんじゃないかな」と綴っています。


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