topimage

2019-07

めがねを変えました - 2019.07.18 Thu

ヤマシタトモコさんの「違国日記」です。

 マンガファンには知られている話なのですが、ヤマシタトモコさんは過去にアレをしちゃってコアなマンガファンから総スカンになりました。元々が同人誌作家ですが某大手出版社のマンガ賞で入賞してメジャーデビューって時に、その入選作が某大御所マンガ家の作品をアレしちゃった疑惑がネットで拡散。ヤマシタトモコさん自身が謝罪したため入選は取り消し、消えたマンガ家になるパターンでした。
しかし、その後もBL方面で名を上げて一般誌へ復帰し、アレのあった某出版社でも作品を発表するほど復活したマンガ家さんです。したがってマンガファンの中でも完全否定(拒絶)の人と作品を支持する人で、作品の評価が両極端なマンガ家さんです。
自分の見解ではマンガそのものの技術向上には模倣と研究がつきものだから、ある程度のズルをしちゃう気持ちは理解出来ます。しかしズルしてプロになっても商業レベルでは法律上ヤバいって誰でも知ってます。ヤマシタトモコさんのケースでは同人作家を商業デビューさせる編集部が、出版リテラシーを教育していなかったことが重大なミスでしょう。読者は軽いリスペクト(模倣)くらいなら大目に見てあげて欲しいんですけどね・・・
過去に某メジャー少女誌で活躍していながら大手を振ってアレをやったことが大々的にバレて、単行本回収&絶版になった少女マンガ家もいます。しかし、カルタのマンガ家さんなど、今では最も売れてるマンガ家になってアニメ化、実写映画化と某出版社の稼ぎ頭になっています。
自分の基準では実力があって面白いマンガが描けるのなら過去の経歴は気にしません。カルタのマンガも愛読しています。(メディア化は観ていないけど)

 やらかした系のマンガ家が再評価されるのは歓迎なんですが、ヤマシタトモコさんの場合は「このマンガがすごい2011」のオンナ部門1位の「HER」2位に「ドントクライガール」のワンツーフィニッシュでした。「ドント・・・」は同年度の「マンガ大賞」の11位にもランクしています。
自分がヤマシタトモコさんの作品を最後に読んだのが「HER」あたりでしたが『作者の中で完結してる女性の辛辣さやホンネ』にあんまり共感できませんでした。まさかなんとか大賞を受賞するほど持ち上げられることに違和感がありました。
ヤマシタトモコさんの作風は『他人と共感できないタイプを自負してる主人公のワタシ語り』です。世間と共感できない立ち位置で頑張ってる読者には共感できるんでしょうけど、ヤマシタトモコさんがいう「ワタシが共感できない他人という名の普通のヤツら」である他人たちには共感されることはないでしょう。
マンガを読む時に「感情移入」と「共感」の二種類の読み方があります。感情移入は読者が主人公に成りきって読むスタイルで、共感は読者が客観的に理解できるスタイルです。オトナは自分が主人公に同期しにくいので、大体が共感を求めてマンガを読んでいます。読者の期待を裏切ることにだけ情熱を注いでいるマンガ家や、裏切られることを深いマンガと誤解してるマンガファンもいます。それはそれで別の話になっちゃいますので省略します。
絵がヘタとかコマ割が稚拙というのはキャリアを重ねれば、ほとんどのマンガ家はなんとかなっちゃうモンです。上手にならなくても「その作家の味」となれば、味なりに読みやすくなります。マンガ家におけるマンガが上手さとは「読みやすいマンガが描けるか?」ということです。読みやすさの基準は絵の精度とストーリーへの共感度になります。絵が嫌いでもストーリーが好きならば読めますが、絵が絵師クラスでもストーリーがヘンテコだったら読んでもらえません。画集のつもりだったらいいのかも知れませんが・・・ 
「解ってくれる人に向けて描いてるんだから、解らない人にまで読んでもらう気はない」というのがヤマシタトモコさんのファンの意見だったんでしょう。作者当人も自身の理解者に向けて描いてるから、「設定や前提条件がヘン?」とか「キャラがヒステリック?」という一般読者には飲み込みにくいマンガをわざと描いてた印象でした。このマンガがすごいとみんなが言ったんだから、一定数の人々がヤマシタトモコさんの作品に共感したんでしょう。でも、自分はヤマシタトモコさんのその後の作品は読まなくなっちゃいました・・・

 表題の「違国日記」ですが、最初は違国ではなくて建国だと勘違いしてました。あんまり違国というコトバと日記の熟語をイメージできなかったからでしょう。建国日記でもイメージできないんですけどね。タイトルの“違国”という文字で見聞録やファンタジーの世界の国々の冒険というイメージが思いつくかもしれません。表紙のイラストは主人公らしき女性と女に子のたちポーズで、異国感も冒険感もゼロの現代劇仕様です。タイトル名では買わないだろうけど帯のキャッチが『女の子を引き取って云々・・・』って感じだったので、現代劇だろうと想像してジャケ買いした記憶です。この時にヤマシタトモコという名前はまったく覚えていませんでした。自分にとっては「もう読まないマンガ家さん」のフォルダーに入れちゃったマンガ家だったんです。この作者があのヤマシタトモコさんだと気がついたのは1巻を読み終えたあとに後付にある作者の既刊本の宣伝を見て「あっ、ヤマシタトモコだったんだ」って感じです。
ストーリーをかいつまむと『中3の少女 田汲 朝は突然、両親を事故で亡くし親類にたらい回しにされる。少女小説家で叔母(朝の母親の妹)にあたる高代槙生が、勢いで引き取ることになり共同生活が始まる・・・』という感じです。
「孤児・引き取りモノ」といえば前回紹介した吉田秋生さんの「海街diary」や宇仁田ゆみさんの「うさぎドロップ」が有名です。親が死んだ未成年を親類が“うっかり”引き取っちゃって・・・っていうストーリーですね。「海街diary」はホームドラマ、「うさぎドロップ」は育メン男子の奮闘ものです。同シチュエーションの作品ではくずしろさんの「兄の嫁と暮らしています。」が先にありました。こっちは叔母ではなくて義姉です。くずしろさんは恋愛抜きの百合コメディーが得意なので、そーいうドタバタを狙ってるのかな?って感じの読み始めだったのですが、百合よりも死んだ兄を挟んで身内と他人の距離感の難しさがテーマです。

「違国日記」も最近ハヤりの「百合シチュエーション・マンガ」だと思って買ったんですが、むしろ他者へ愛情をかけるのが苦手なコミュ障が主人公のマンガでした。それはそれで、ヤマシタトモコさんの過去作のイメージとも合致して「独りよがり的な主人公の孤独」マンガっぽかったです。主人公が「日記はほんとうのことを書く必要もない」っていう感じの決めゼリフも“らしい”って感じでした。4話目から登場する「槙生の古くからの理解者」的な旧友の奈々、5話目から登場する槙生の元恋人という「都合のよく正論を言う役目」的なキャラも安易な印象でした。
それでも以前に読んだイメージとは比べものにならないくらい“読みやすかった”ので2巻以降も継続で読んでいます。作品おのテーマとしては『違国の住人として設定された主人公の槙生ちゃんを「へんな人」という括りでキャラ化』したかったようです。しかし回を重ねるごとに「この主人公はそんなにへんな人じゃない」ってわかってくると、作者の意図とは関係なく作品に共感できるようになってきます。作者の最初の方針は『世間からはみ出したヘンな主人公が子育てのまね事をする』っていうマンガっぽいハナシだったんでしょう。愛せなかった実姉のコドモと向き合う生活・・・という捻った’(捻くれた?)ストーリーで、1巻目はまだどっちに転ぶかわかんない状態でした。
転機になったのは朝(孤児になった女の子)の友達のえみりとその母親、槙生の旧来の友達たち、3巻目からは後継監督人の塔野弁護士など・・・ 彼らは主人公の理解者でも敵対者でもありません。ヤマシタトモコさん系のマンガのキャラは主人公を理解するキャラと理解してくれないキャラしか出てこないイメージでした。この作品中では理解者役として旧友の醍醐奈々、元カノの笠町信吾、理解しない役として実姉の実里が出てきます。彼らだけだと主人公に都合よくストーリーが進むんですが、実際の世の中は自分の理解者と敵対者ばかりではありません。
この作品のような孤児を引き取るという民事や生活、教育、死別による心的ダメージ・・・など、主人公のキャラ作りだけでは解決しない諸問題をテーマにしています。過去のヤマシタトモコさんの作品のイメージでは、諸問題と向き合う覚悟が感じられませんでした。結局は主人公の気分を読むタイプのマンガなので、キャラに感情移入出来ない以上は読んでいて面白いと思えないから読まなくなっちゃったんですね。

 過去に「このシナリオの考え方は飲み込めない」と思ったマンガ家さんの作品が、その後見違えるように面白くなったというケースはあんまりありませんでした。新人時代に作風が定まらず、後にヒット作を発表したっていうケースではありません。ある程度の評価(人気)もあるけど自分にとっては面白くない作品を描くマンガ家さんの場合です。マンガを読むことは仕事でも義務でもないんだから、つまんないと思った作品は結構バッサリ切ります。そのマンガ家の次回作が面白いってことはめったにありません。例えで出すのもどーかという感じですが、このブログでもよく取り上げた佐原ミズさんはマンガのスキルがすべてパーフェクトなんだけどシナリオが飲み込めません。佐原ミズさんはすでにキャリアを重ねてるんですが、シナリオの根本的な部分が一向に納得いきません。「絵は絵師レベルなのに・・・」の典型的なマンガ家さんです。
面白くないどころか作者のことも忘れちゃうほど期待してなかったと思っていたマンガ家が、次巻を楽しみにするほどのマンガを描くようになるとは思ってもみませんでした。それは、明らかに自分のメガネ違いだし、固定観念に縛られていたことも大いに反省ですね。
自分がヤマシタトモコさんの作品を読んでいた頃の作品は、主人公の考えていることや感情の起伏を全てト書き(ナレーションみたいなアレ)で書いていました。その上“心のフキダシ”でも心情を書き込んでいるから、主人公の怒りや悲しみ、不平や不満、驕り、ダークサイドが溢れてるマンガって印象でした。これらは自分語りマンガに見られる手法ですが、一時期日本中がホンネブームでホンネが書かれてる作品が流行っていました。「主人公のホンネはわかったけど、それでストーリーは・・・?」っていう作品が多いです。
マンガ限らず、創作はフィクションなので作者のホンネは重要ではありません。特に道徳観と恋愛観は作者の考えがキャラの考えに反映されやすいです。雑な恋愛を描く作者の恋愛感には期待できないから、そーいう感じのいマンガ家の次回作には期待しないでいました。たとえ雑な行動のキャラでもその作品のストーリーがしっかりしていれば、そのキャラも「作為的に雑な恋愛感のキャラ」なので作者を否定するものではありません。これらは少女マンガ以上に雑に人(モンスターやゾンビ)を殺す少年マンガのほうに顕著なイメージです。
こーいう雑さがクールだと思う読者も一定数いますし、その人たち向けにわざと雑な心理描写を描かせてる編集者もいます。作画もストーリーも上手い下手はどっちでもいいのですが、雑か丁寧かで比べたら丁寧のほうがいいに決まっています。未熟な作家でも熟成すれば言い作品を作れますが、雑な人が丁寧になるのは難しいです。誰か(編集者)に「絵を丁寧に描け」と言われてもストーリーは作者の心の中の問題だから、同人誌などで“一定の評価を受けてきちゃったアマチュア”な人ほど変われない印象です。
じゃあヤマシタトモコさんはなんで変わったのかを考えてみます。キャリアの途中を読んでいないくせにって感じですが、「違国日記」の1巻ではそんなに変わっていないので、たぶん連載中に変わってきたんだと思います。
この作品は作者自身が「本気で描きたいテーマ」なんでしょう。だから雑に描き流したくないし、自身のファン以外の人にも評価されたい。ならばストーリー対して真摯に向き合わなきゃいけない。「違国日記」を絵空事の作り話にしたくないっていう思いから、ストーリーもキャラクターも丁寧に描くしかなかったんでしょう。結果としてマンガ大賞に祭り上げられた頃よりも正答な評価を読者にされているんだと思います。それは本屋の平積み率の高さでもわかります。

 結局、自分のメガネ違いだったと言えばそれまでです。ストーリーも変われるというのも発見でした。反省して久しぶりに新しいメガネを作りに行ったんですが、メガネのフレームがバネになっていて掛けやすくてキツキツ感もないのを買いました。とても気に入っています・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

福井晴敏の空母いぶき - 2019.06.23 Sun

劇場映画版 「空母いぶき」です。

 自分は映画館へはほとんど観に行きません。10~20代前半は洋画中心に夢中で通ったんですが、あるときから映画館に行くのが苦痛になって映画館へは行かなくなっちゃいました。そもそもはマンガのシナリオの勉強という意味合いが、映画館通いを正当化する自己暗示だったのです。しかしマンガのシナリオはマンガを読めば解ることなので、映画そのものにはマンガに参考になる要素はほとんどありませんでした。マンガはマンガで勉強するのが一番だし、ボクシングだったらニワトリを捕まえるよりスパーリングしろってことです。
映画を娯楽として観ればいいんですが、そもそも色めがねで観るクセがあるせいか「ココが気になる」とか「腑に落ちない」などの突っ込みどころが気になっちゃいます。誰でも映画を観たあとに茶店などで感想戦をすると思いますが、自分は観た作品を全てにケチをつけていました・・・
一概に公開映画と言っても玉石混交なので玉と石を選り分けられればいいんですが、宇多丸さんが絶賛している玉な映画でも自分基準では石だったりします。自分は映画が好き過ぎて評価基準を高くしてるんだと思っていたのですが、どう考えても映画が嫌いなだけだろうと結論になりました。
一緒に観に行った人が満足してる場合は、自分の感想がその人を不快にすることにもなるので「コレは今年一番の駄作・・・」という言葉を飲み込んだ経験も多々ありました。
映画から離れるとレンタルビデオやテレビで映画を観るということもほぼ無くなりました。だから映画代の問題ではなくて本当に観て「ココが・・・」とか考えることが面倒くさくなったようです。
それまで映画を観ると「こうすればいいのに」とか「何でそうしちゃうんだろ」っていちいち思っていました。しかしそれは映画監督をリスペクトしてないんでしょう。ならば観ないことが最大のリスペクトってことなので映画から離れちゃいました。同様にテレビドラマもちょっと苦手です。
それでもたま~に映画館へ行くことがあります。どちらかといえば受動的に映画を観なくなっただけなので、観に行こうと誘われたら断る理由も映画を否定する論拠もありません。むしろデートだったらご機嫌取りでひょこひょこ観に行っちゃいます。
過去一番悲劇的な映画デートは「インディペンデンス・デイ」を観に行かされた時です。「流行ってるから観たい」というリクエストだったんですが、当然ながらSFスキルがゼロなので劇場を出たあとに「昔、宇宙戦争って映画があってね・・・」と説明させられた経験があります。何が悲しゅうてあんなヘンテコ作品をフォローしなきゃあかんのか?って感じですが、観た直後に駄作認定しちゃうとデートそのものが崩壊しちゃいます。そのコは劇場版「エヴァンゲリオン」も流行ってるから観たいとか言ってましたが、自分は大の庵野嫌いなのでそれは断りました。

 先日、サッカーJリーグの浦和レッズ対サガン鳥栖の試合をFクンと観戦したんですが、彼が「試合前にイオンで映画観ようぜ」と唐突に誘ってきました。試合はナイターだから日中がヒマなのですが、チョイスした作品が「空母いぶき」でした。
「空母いぶき」についての知識は、かわぐちかいじさんのマンガの実写化である。いぶきは現実の海上自衛隊の護衛艦いずもである。総理大臣役の佐藤浩市さんがうんこ総理発言?で炎上。そもそもマンガの実写化は「ドカベン」の実写版で痛い目にあってから絶対ムリって思っていました。前回取り上げた「海街diary」の実写映画も評判は高いようですが、あえて絶対に観ないでしょう。それは「櫻の園」の映画版で懲りてますしね。
Fクンはマンガや映画オタクとはほど遠いし、かわぐちかいじさんのファンでもありません。右や左の佐藤浩市さんの炎上にも興味はない(むしろ知らなかったレベル)ようでした。実はFクンとは広島の呉にある大和ミュージアムに行った仲なんです。これもサンフレッチェ広島とのアウェー戦に行った時に観光したものでした。大和ミュージアムの隣に「てつのくじら館」という施設があり、本命はこっちだったんですが、道路脇にゆうしお型潜水艦 “あきしお”が置いてあります。鉄のくじらとしか言いよいうのないその姿に圧倒され、戦艦大和のディスプレイ模型で喜んでる場合じゃないです。
ようするにFクンは単純に護衛艦いずも(映画上は空母いぶき)が観たかっただけです。自分としてもどうせ試合開始時間まではヒマなんだし、お話はともかく戦艦を眺めてるだけでも・・・ってノリで観ました。護衛艦いずもにもイデオロギー的な批判や意見がありますが、ストーリー好きにとってはそんなことは気にしていません。


 この後の文章は大きくネタバレと映画批判(批評ではない)が含まれています。これから映画館へ行こうとしてる人やDVDや配信等で観る予定の人、日本映画ファンや原作ファン、福井晴敏氏の支持者や西村秀俊さんのファンに対してなんおフォローもできません。
今後「空母いぶき」の鑑賞を楽しみにしている方にはオススメできない内容だと思われます。自分がこの映画を観たイオンシネマ・浦和美園では6月27日(木)で上映終了と発表されてました。
観る予定の人はお早めに・・・


 それでは観た率直な感想ですが、想像していたよりも楽しめました。どちらかといえばお金を払った分の満足感はありました。Fクンも誘った手前クソ映画だったらヤバいかな?って思っていたようなんですが、そこそこ楽しめて安心したようです。
原作はそもそも中国の尖閣諸島の領海侵犯事件寝たいする脊髄反射的に始まった連載です。当然ながら自衛隊が戦う相手は明確に中国なんですが、映画版では尖閣諸島が初島に、侵攻する国は中国から東亜連邦にと微妙に変更されています。
福井晴敏氏に対中国で映画を撮る勇気があるとも思えませんが、架空のお話にするというコトは原作の尖閣問題と護衛艦いずもの空母化問題をネタにするという制作意図を踏みにじることになります。何故ならかわぐちかいじさんはわざわざこのヤバめのマンガを描いてるんだから。福井晴敏氏は過去にも「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」といった大ネタを先人の制作意図を踏みにじってきたので、当人にとってはへっちゃらなんでしょうけどね。
上映時間は134分で2時間越えの大作?ですが、『初島に上陸された~解決した・・・』のクリスマスの24時間のストーリーです。大半が飛んでくるハープーンや魚雷を迎撃したりしています。制作サイドは人間模様も描いてるつもりなんでしょうが、戦闘シーンばっかりです。「NHK特集」やBSなどの海外ドキュメンタリー番組の自衛隊や米軍密着モノを観ている感覚です。「自衛隊が交戦する事態になったらどうなるのか?」というイフのストーリーとして楽しめました。「実際の自衛隊の運用はあんな作り話とは違う・・・」という専門家気取りな意見も多いようですが、そこは娯楽映画という雰囲気モノなので気にしたら負けなんでしょう。自分やFクンは軍事オタクや国際政治ウオッチャーではなくて、純粋にメカメカしいものが大好きな機械好き男子です。きっと庵野版の「シン・ゴジラ」がヒットした理由も自衛隊等のメカメカしいシナリオや「撃て(てぇーぃ)」というシーンを眺めてるだけで満足な人が支持したんでしょうんね。「金かけたNHK特集だなぁ」っていうのが大まかな映画の感想でした。

 本編のシナリオがクリスマスの1日に起こった出来事だけで、回想シーンなどの時系列が逆行するような演出もありませんでした。重厚なストーリーが好きと自負してるマニアの方々は過去と現在が混在するシナリオに満足感があるようです。しかし回想シーンというのは全てが説明シーンであり言い訳シーンです。現実に生きてる人の時系列では回想シーンなど見る事はできません。
登場人物ひとりひとりの過去のアナザーストーリーを入れ込まずに、24時間モノに徹したことがまず評価できるところです。逆に原作の国際紛争の大河ドラマが1日で完結する作品になってるということは、原作をしっかり読んでる人は観ないほうが賢明でしょう。100% 腹立つから・・・
シナリオは西村秀俊艦長、佐々木蔵之介副長の海自パートと斉藤由貴上司、本田翼記者、小倉久寛記者の同行取材パートと中井貴一店長、深川麻衣店員のコンビニコントの三つのシーンで構成されています。サスペンスのシナリオの定石である乗員の無事を祈る家族のシーンは省かれてるが、緊張を弛緩させる目的で斉藤由貴さんや中井貴一さんが笑かしを担当してました。
緊張をほぐす必要があるほどの緊迫した映画にも見えなかったし、国際紛争という重さと対比指せるほど重い作品でもありませんでした。中井貴一さんと斉藤由貴さんのベテランの演技がドキュメンタリー感ゼロなので、「これは架空だけど本当の日本が突きつけられてる現実です」というメッセージがあるなら、その現実感を喪失させるほどリアリティーがないキャスティングだったと思います。
「人類滅亡の瞬間だけど人々は普通に晩ご飯の心配をしている」という演出をリアルだと思い込んでいる監督やマニアなファンが多い印象ですが、それはちょっとみっともない演出って感じがします。

 批判が炎上に発展してこの映画で唯一の話題を振りまいた佐藤浩市内閣総理大臣ですが、本編中は本当にウンコを我慢してる演技が冴え渡っていました。中盤で個室から出てきて手洗いのシーンは、脚本がワザと狙ってるンだろっていうレベルでした。
閣僚パートでもう一つ気になったのは、中村育二外務大臣です。彼は「防衛出動!防衛出動!」って騒いでお腹が緩んだ総理大臣をこまらせていたんですが、中村育二さんの顔が鳩山由紀夫を思い出してしまってイライラしちゃいました。なまじ中村育二さんという俳優を存じ上げなかったので、「この外務大臣、腹立つ政治家顔だな」って印象です。中村育二さんは役者としてなにも悪くなかったンですけどね・・・
この作品への批判の半分は戦闘シーンの特撮の是非で半分は閣僚パートの政治力の描ききれなさでしょう。自分は6割が福井クンのアニメドリーム。2割が中井貴一店長。1割が斉藤由貴パートと小倉&本田の潜入記者パート。残りが官邸の密室対応です。
原作を読んでいないんだけど、かわぐちかいじさんの作品だったら海戦3割、内閣7割くらいなのは想像つきます。原作ファンが怒っているのも当然だと思います。いっそのこと名作「Uボート」のように全編を潜水艦のみのシーンで作ったほうが、評価が上がったのかも知れませんね。本気で「防衛出動!」と叫ぶ映画を作るのなら海戦シーンに2時間かけて、政治家シーンにも「小説吉田学校」ばりの重厚感で合計5時間大作にすれば原作ファンも納得でしょう。
自衛隊が敵国と交戦中なのに何もしない内閣をリアリティーと取るかシナリオの無策と取るかによります。結局、お腹が痛いだけの総理と関係なく国連軍のおかげで有事を回避できたクライマックスにどう盛り上がればよいのかを見失うエンディングでした。政治手腕を発揮しないことがリアルな政治家を描いてるというのなら、それは福井晴敏氏がアニメの観すぎでしょう。自衛隊や内閣は宇宙世紀ではないので、彼の得意なヒロイズムでは「小説吉田学校」は作れませんから・・・

 ストーリーのベースになっている「専守防衛」か「防衛出動」かという議論をクドクドとしてたり、従軍記者のふたりは自衛隊広報の「この部屋にいて下さい」という言いつけを本気で守ってたりしています。映画全体の印象が“行動しない、判断しない”というコトが日本人の立場というスタンスなので、盛り上がるか?と言えばそんなに盛り上がるシーンの少ない映画でした。
上司の斉藤由貴さんがガンガン攻めのジャーナリズムだったら、もっとイケイケなストーリーになったんだろうけど、斉藤さんは本田翼さんの連絡待ちだし、その本田翼記者は机にうずくまっちゃってるし・・・ 彼女の仕事は戦争の現実の映像をネットで配信する事じゃなくて自衛隊初の防衛出動のプロセスを取材することでしょう。ユーチューバーじゃないんだから。
斉藤さんも送られてきた戦場の映像を、正義づらで世界に映像を公開するんじゃなくて、極秘映像を立てに益岡徹官房長官と取引して革新の情報を掴むくらいのアクションを起こして欲しかったです。何もしないネットニュース社とクリスマス・ブーツを作り続けるコンビニ店長が、何も起きない映画のストーリーをより何も起きない映画にしていました。斉藤由貴さんと片桐仁さんのコンビが従軍記者として乗船していたら、もっとアクションな映画になっていたかも知れません。可愛い枠の本田翼さんはコンビニ店員Bにすればいいんだし・・・
そもそも初島が占拠され日本人が拉致されているために空母いぶきが向かっているのに、初島に着く前に事件が解決しちゃうストーリーが「何も起こらない映画」なんですよね。何か起こっちゃったら2時間映画じゃ収まらないから最悪の事態が回避されるストーリーに逃げたようです。結局はいぶきも何もしなかったことで自衛隊の矜恃を保てたんでしょうが、何もしないことで映画が盛り上がるというのは舐めたハナシです。

 ささいなディテールで気になった部分はたくさんあります。
最初にハープーンの攻撃を迎撃するときに、都合よく1発だけ撃ち漏らしてしまい空母いぶきの艦載機用のエレベーターリフトに直撃してしまいます。これはいぶきが艦載機を使えなくするシナリオ上のことなんですが、セリフで西村秀俊艦長が「20時間で直せ」というアニメではお決まりのセリフが出てきます。こーいうのって誰が直すんだろう?石川島播磨の社員が常駐してるのかな?福井晴敏氏の大好きなヤマトでは真田工場長が直しちゃうんですけどね。
いずもの艦載機が一機やれれちゃうんですが、ステルス戦闘機なのに追尾ミサイルにロックオンされるんだって思いました。実際のところはどーなのか知りません。
「沈黙の艦隊」や「特攻の島」では魚雷発射管の魚雷口が開く音に非すれリックなほど過敏になっていました。この映画では魚雷とか撃ち放題なので、船特有の沈むことへのリスクと恐怖がまったく感じられませんでした。
鳩山由紀夫似の外務大臣の顔にイラつくと書きましたが、外務大臣やお腹を壊した総理大臣以上に観ていてイライラさせられたのが西村秀俊艦長の顔です。なんだかニヤニヤした口元と死んだ目の迫真の演技がいっそイラつきます。船乗りとかパイロットとかの演技プラン以前に、人として不気味な人が主人公というのは受け付けませんでした。無性に腹が立つのは店長もです。161番艦(艦名がわからん)の大阪弁で主砲をぶっ放してた船長はこの作品で唯一人間味があるキャストでした。
佐々木蔵之介さんと西村秀俊さんのツーショットは福井晴敏氏がいけないんじゃなくて、かわぐちかいじさんの無味無臭な好青年像にマッチしてるんでしょう。むしろ最近流行りの大企業の不正を暴く映画の同期社員ってイメージでした。
クライマックスのネタばれの多国籍軍の潜水艦が動じに浮上してくるオチは、福井晴敏氏が「沈黙の艦隊」へのオマージュだったんでしょう。福井晴敏氏は制作活動の大半がオマージュでできているのですが、「この人はヤマトもガンダムも、ちゃんと観てきたんだろうか?」て思わせるほど同じ作品を観てきたとは思えないほどもオモージュっぷりです。そもそも、その作品を愛する人はそのネタで自作をつくろうとは考えないし・・・

 結論をまとめますと、「空母いぶき」は観る人を選ぶ作品だということです。

ミリタリーのドキュメンタリー映像好き ○ 軍艦好きなら○ 戦闘機好きは△

軍事オタク ○~△ 所詮は模型やCG特撮なのでリアル指向なら△

ナショナリスト 右派 △~× 国際紛争を扱えるほどのシナリオではない

原作ファン × 原作は忘れて娯楽映画のつもりで観るなら△

本田翼ファン △ たいした見せ場もなく船室でうずくまってるシーンばっかりうです

福井晴敏氏のファン ○ 何が良いのか解らないがファンにとっては許容範囲なんでしょう

時間が2時間ちょっと余った人 ○ 観終わっても深く考える事も無いので次に予定に影響しない

 この作品に限っては監督の若松節朗氏の責任よりも企画の福井晴敏氏の責任だと思っています。それは、企画ありきの作品だから、監督がやりたくてやった仕事なのかは不明だからです。中井貴一さんと斉藤由貴さんを入れたのは福井氏と若松氏のどっちか?ということが審議されるべきですが・・・
「空母いぶき」が「宇宙空母IBUKI」として艦載機がモビルスーツだったら良かったのかもしれません。それくらい映画に登場する自衛艦がアニメっぽい印象というか、アニメ畑な感じの人が作った映画っぽい印象でした。いっそ海上自衛隊の持つ秘密兵器のローレライを使えばよかったのに・・・
 
 だいたい映画を観るとこーいう不満が鑑賞中に湧いてきて、精神衛生上よくないからあんまり映画を観ないようにしてます。終わるまで不満を言えないし、言ったところで一緒に観に行ったひとに不満をぶちまけるのも不幸を増やすだけだから。映画を観る度に泣き寝入りしてる感じがします。
今回の「空母いぶき」では艦内の映像のみがもどころでしたが、正直いって2月にBS日テレで放送した「こくりゅう潜航せよ」のほうが観ごたえがありました。それはやっぱりホンモノだからか・・・?
この作品は余計なシナリオがないことが良かったのか、悪かったのかで評価が二分されたんだと思います。シナリオを考え無かった人は辛うじて及第点だろうし、シナリオ抜きの映画を楽しめない人にとっては2時間が意味不明でした。自分はそんなモンだと思いながら観ていたんで腹も立たずに観ましたが、その日の本番のJリーグで浦和が鳥栖に劇的逆転勝ちをしたことで「何でも許せる気分」だったのかも知れません。
きっとFクンはもう映画の内容を覚えていないでしょう。自分ももうじき忘れちゃいそうです・・・


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WHOのゲーム障害 - 2019.06.09 Sun

WHOがゲーム依存症を「ゲーム障害」という名前で疾患と認定しました。

 WHOは世界保健機関で小学生のころ早くに覚えた国際機関のひとつでした。詳しくないけどWHOとは、国連の一部門だと思います。そこがゲーム依存はアルコール依存やギャンブル依存と同類の精神疾患に分類されると位置づけられました。(ゲーム障害とはゲーム中に通信が途絶えたり、チートやバグなどでデータが壊れることではありません。)
ゲーム障害というキャッチなネーミングのためにマスコミで大々的に報道されたから概要はご存知だと思われます。自分としては同時に発表された『性同一障害が精神疾患から外された』ということのほうがインパクトが強かったです。WHOレベルですらトランスジェンダーは精神障害で要治療というスタンスだったことが、今さらながら驚きでした。
ゲーム依存とネット依存、SNS依存の違いがわかりにくいですが、ネット依存は主に検索や動画などのコンテンツが辞められない人ですね。SNS依存は承認欲求や仲間外れを異常に恐れるなど、コミュニケーションの障害。そして、ゲーム依存はゲームのやり過ぎで社会生活が困難になった人です。
どれもスマホでネットだし第三者からすれば同じようなモンですが、こーいうジャンルの当事者はディテールにうるさそうです。「オレはスギ花粉症じゃなくてヒノキ花粉症だ」くらいの違いです。

 WHOが言っているような依存症とは『ゲームをする時間や場所などに対するコントロールの欠如。日常生活よりもゲームを優先してしまう。悪影響があるにもかかわらず、ゲームを止められない』という状態を指すようです。疾病の認定とは『ICD(疾病及び関連保険機関の国際統計分類)にゲーム依存を疾病として登録し、国や地域、診療機関などで統一的に使用できる病名にすること』です。
大まかにいえばゲームに夢中になって止められない人を指す印象ですね。実際にゲーム関係者側の意見では「全てのゲームを悪と決めつけるのはナンセンス」という反論も出ています。彼らの意見はゲームの習慣性や中毒性などの科学的証拠が不十分という意見です。しかし原因は解明されてなくてもび病状があるのなら疾患と呼ぶべきです。ようは酒好きとアルコール中毒の境界線はドコか?って感じでしょう。
ゲーム依存症には大きく分けて二つのケースがあります。ゲームの分類ではパズルものやカードゲームやボードゲームもの、音ゲー的なタイミングもの、ゾンビやモンスターを倒すシューティングもの、格闘もの、スポーツもの、ミステリーなどのノベルズもの・・・そのほかに育てる、愛でる、端的にエロ目的など様々な形式があります。しかし依存の話でゲームのジャンルはあっmなり重要ではありません。アル中がバーボンの飲み過ぎか焼酎の飲み過ぎかに意味がないのと一緒です。
分けなきゃいけないのは「オトナのゲーム依存」と「コドモのゲーム依存」です。先日より引き籠もりに起因した重大事件が2件起きてしまいました。WHOの発表とちょうど重なったからゲーム依存が引き籠もり問題に引っ張られちゃった印象です。マスコミによる「引き籠もり=ゲームオタク」という印象操作はたしかにありました。しかし通り魔殺傷事件の加害者は引き籠もりのプロだったのにまったくゲームやアニメなどのいわゆる「アキバ的趣味」がなかったとの発表でした。逆に父親に殺された被害者のほうの引き籠もりはネットゲーム界?では有名人だったようです。それだけでも引き籠もり=ゲームばっかりしてる人ってことは立証できません。ましてやゲームのやり過ぎと凶暴化の因果関係をテレビに出てるお抱えのコメンテーターごときに解明できるわけがありません。余談ですが通り魔殺人へのコメントで「一人で・・・」発言で炎上してる落語家がいましたが、一人でも死んじゃダメなことくらいは小学生にも理解できることです。そんなことも解らない人は本当に落語の修行をしてきたんでしょうかね?多くの人が思ってる当たり前の怒りや感情をぶつける(発言する)ことは講談師の仕事で、落語家はどんな時でも頓智を効かせたコメントを期待したいですよね。正論を吐きたい人は落語家にむいてないんだと思います。余談でした・・・

 オトナがかかるゲーム依存は全体的に逃避型が多いようです。本当はこんなことやっててもしょうが無いって思っていても、日常に嫌気が差してゲームに慰みを求めてしまうパターンですね。オトナにもいろいろあるんだからゲームでうさを晴らすのもアリです。普通のオトナはほどよくゲーム文化に浸かってきたし、生まれた頃からプレステもケータイもあった世代はそれなりにゲームとのつき合い方を覚えてきたハズです。新しい媒体としてスマホの課金ゲームやネットの協力参加型ゲームがありますが、趣味がネトゲーって言い切れちゃうオトナはそれぞれです。ただし趣味や暇つぶしでゲームをしてる人とWHOが定めるところのゲーム依存には大きな開きがあります。趣味の世界も難しくて「オレの趣味って○○だから・・・」って人に言っても、そのジャンルのプロたちに言わせれば「あ~、ニワカさんね・・・」って言う感じであしらわれちゃいます。
ゲームに限らずギャンブルや飲酒・薬物、カード破算に陥る人には、仕事や交際関係、家族問題、将来への不安等の依存へ走らざるを得ない事情があることでしょう。しかし、それはゲームに問題があるというよりも、ゲームにのめり込む原因をなんとかしなければ解決しない問題です。アルコール中毒の人は酒を断つことは当然ですが、そうなった生活環境や悩み事のほうを解決しなければ不幸は終わらないです。発症がたまたまゲーム依存だとしても、このパターンの場合は「ゲームは無罪」と言いたがるゲームファンの気持ちも理解できます。

 コドモとゲームの因果関係は生活苦が主原因のオトナよりデリケートな問題です。オトナと違って成長期の脳へデジタルゲームがどういう影響を与えるかの研究や症例の報告もあります。注意欠損多動症になった実例もあるようです。「ゲームをするコドモが全てそうなるワケじゃない」って意見もあります。でも、そーなる子もいるという事実をそんな子ばっかじゃないという確率論では否定できませんよね。
小中学生がゲームにのめり込む理由は、上司にいびられるサラリーマンや姑にイラつく主婦のようなストレスのはけ口ではありません。彼らは単純に面白いからやってるんでしょう。自分は子育てに無縁なのでリアルな小学生を見かけることは少ないです。一番小学生を見る機会があるのは埼スタでサッカーの観戦をしてるときです。スタジアムに来ているコドモたちはスマホや携帯ゲームに夢中になってる印象がありません。試合前の空気でちょっとハイになってるのもあるんでしょうが、だいたい友達や親御さんとキャッキャ言いながらスタ・グルやお菓子を食べたりしています。ゲームも面白いけど、今日はサッカーのほうがワクワクするんでしょう。
コドモにだってコドモの社会があるんだから、ムカつく先生やイヤな同級生、覚えられない九九など現実を逃避したくなることも多いです。むしろ金で解決したり自己理由で転職したりができない分、コドモのほうが逃げ道が少ないです。イジメが理由で登校できなくなったゲームに逃げ込みゲーム依存になった場合、ゲームのなんとかする前に学校のイジメ問題を解決しなきゃいけません。勉強について行けなくてゲームに夢中な子は、勉強をフォローしてあげなきゃゲームを取り上げても意味がありません。ゲーム依存の原因がその子の周囲にある場合は、ゲーム依存は結果であって原因の解決しかゲーム依存を治す方法はないんでしょう。

 自分は初代のスーパーマリオの2面(洞窟のステージ)がクリアできなかったレベルのゲーマーです。テトリスやぷよぷよは瞬殺され、DDRはオリビア止まりでした。ゲームは好きでしたが得意ではありません。したがってゲーム依存になるほど長続きできないんですよね。RPGなどの器用じゃない人も長く遊べるタイプのゲームもありますが、そっちにはまったく興味がありませんでした。
コレは極めたかな?って思えたのは初代のバーチャロンのアファームド、鉄拳のキングの投げコンボ技、デットオアアライブの太極拳でした。それも北関東のゲーセンで地元の中坊をカモるくらいで、アキバ・上野だったらコテンパンにされちゃうレベルです・・・
以前はドラクエがブームで徹夜してクリアしたとか学校さぼって・・・といった教育上よろしくない事態が世間を騒がせてました。こーいうのめり込みかたは「ゲームが面白いからであってゲーム依存にははいらない」です。彼らのゲームをクリアできたら実生活に帰っていきます。ようは面白いゲームをやって「面白いな・・・」っていうことはそんなに問題じゃないんです。コドモの頃は面白いと美味しいに貪欲なのは当たり前だから・・・
しかし自分はドラクエ的なRPGをまったくやってきました。以前ドラクエヒーローズだけは最後までやったんですが、ドラクエヒーローズ2は買ったけどすぐに投げ出しちゃいました。結局はゲームのお話って面白くないんですよね。自分がやってきたゲームはストーリーがあるモノよりも競技という意味合いがつよう作品ばっかりでした。

 現代のゲーム依存は「スプラトゥーン」のやり過ぎとか「ドラクエ」で宿題をしないというレベルではありません。それはそれで親は心配でしょうけど、ネットゲームにのめり込んで日常生活に支障をきたすレベルを指します。コドモにスマホやモバイルを与えなければ多くの場合は解決しそうなんですが、昨今は物騒なので防犯や緊急連絡のためにも「持たせる派」が主流になってるようです。
ゲーム自体の内容もゲーム依存するように仕掛けられている印象です。なぜならばモバイル会社からすれば『ゲーム依存=売り上げ向上』だからです。彼らの手口は「基本無料」「ネット内で協力プレイ」「150ヶ国で1000万人がプレイ」「ガチャ10回キャンペーン」などです。
これらのゲームがスゴく面白いんぼかどうかはやっていないから解りません。でも多くのゲームがユニットを操作して終わりなき達成感に満足してるようです。終わりがないのに達成感というのも矛盾してますが、ちょっとずつ達成しながら次に進むイメージですね。ネットゲームのシステムは飽きさせない、投げ出させないという秀逸なバランスになっています。そのぶん据置機のようなゲーム容量が使えないからストーリーはどうしてもになっちゃってる印象です。
そもそもゲームのストーリーとは「異空間で魔界と戦う」とか「世界にゾンビがあふれ出した」など大ざっぱな設定を意味してます。その中でパズルを解くとか連携プレイで攻撃する最中はストーリーは置いといて作業タイムになります。経験値を上げる作業やGOLDを増やす作業にはストーリーは存在しません。敵を倒すアイテムがもらえるというシステムもアシカの調教と同じ原理ですね。
これらのゲームの面白さはシステムと作業を面白いと変換してることになります。例えばカルタにストーリーがあるのか?といえば、カルタにはみんなでやってる人たちの勝ち負けを含む人間模様があります。優越感も敗北感も現実なので負けたらべそをかく子もいるでしょう。リアルな遊びでは無かったこと(リセット)が通用しません。デジタルの遊びはコドモにとっても心地よく都合のいい空間なんでしょう。

 コドモにとってのゲーム依存は肥満に似ていると思います。オトナの肥満は自身の自覚の問題かも知れませんが、コドモの肥満はほとんどが生活環境や食育、知育に原因があると思われます。親の生活環境や育児への関心が強く影響します。オトナはコドモを健全に育てる義務があるんですが、それどころじゃない事情の親もたくさんいます。
一般に裕福層よりも貧困層のコドモのほうが肥満傾向にあるようです。余裕がない家庭のほうがコドモへジャンクフードを与えるケースが多いからだそうです。スナック系やジャンクフードはコドモにウケる味つけやボリュームなので、コドモはより欲しがります。親が作った料理は販売目的で作ってるわけではないので、企業が売るためだけに開発したジャンクフードに勝てるハズもありません。
ちゃんとした食事をとる習慣や学習機会の格差は、コドモの努力ではどうにもできないことです。食事は健康に直接影響しますし学習機会はオトナになってからの教養に影響します。ネットゲームはジャンクフードと同じように軽便でコドモが好きそうな脂肪・炭水化物・糖分・塩分が全部入ったコンテンツです。
先程、サッカー場に集まるコドモたちがゲームよりサッカーに夢中と書きましたが、ゲームよりも面白いモノがあればコドモは簡単にそっちへ目が向きます。しかし安易にゲームの心地よい面白さを知ってしまうと、面白いモノに対する感受性が非常に弱くなっちゃうことでしょう。そんなに面白くもなくても習慣性(依存)のために脳が面白いと認識しちゃってる状態なのでしょう。
もし、ゲームを与えられる前に本でもマンガでも物語が面白いってことを学習していたら、やっつけなストーリーで経験値アップの作業するだけのゲームがそんなに面白いって思わないでしょう。マックのフライドポテトをオトナになってから食べた世代と幼児期から食べてる世代では、フライドポテトに対する罪悪感が違います。

 小さい頃から段階的に物語にふれ続けないと、物語の仕組みが理解できないコドモになります。たしかにゲームにだってストーリーやキャラのセリフなどがあって・・・っていう意見もあります。でもゲーム中に使っている脳の部位と、物語を楽しんでいる時に使ってる脳の部位が違うんです。
「公園で鬼ごっこをしているコドモにストーリーがあるのか?」という疑問もあるでしょうが、友達と遊ぶこと自体がコドモにとってはドラマだしアドベンチャーなんです。
知育玩具とか早期教育を言い訳に幼児期からモバイルでネットのコンテンツを与えるケースもありますが、それがコドモのためなのか親の都合なのかも考えどころです。それを見せてれば静かにしていてくれるのはありがたいんですが、コドモが静かなわけないんだからオヤオヤ?って感じですよね・・・元々親が与えたコンテンツなんだから途中からゲームはダメとかHなサイトはダメとか言いだしても通用しません。
ちゃんと面白い物語を知っていればゲームに夢中になったとしても必ず飽きると思います。興味深いのはネット依存の中でもゲーム依存は圧倒的に男子が多く、SNS依存は女子ばっかりという統計があるそうです。女の子はネットゲームの浅はかなストーリーに関心を示していないことが発揮る出ています。少女マンガと少年マンガで一概に比較するのは乱暴ですが、少女マンガのほうが日々のドラマが多いです「進撃の巨人」を濃厚なストーリーと取るか地球防衛軍と取るかにもよります。少年マンガは全般に先週のバトル・今週のバトル・来週のバトル・・・っていう構成です。これってゲームの経験値アップに似てますよね。女の子からしたら毎週戦ってるだけ?ってなります。少女マンガの先週の先輩・今週の先輩・来週の先輩・・・もどうかって思いますけどね。実際は女子のSNS呪縛のほうがゲーム依存よりも深刻なんでしょう。

 今のコドモたちのゲーム熱は「ゲームだけやっていれば満足」という感じでしょう。それはポテトでお腹いっぱいになるように。
コドモのゲーム依存は生活習慣病といってもいいんじゃないでしょうか。もちろん生活を管理するのは親(オトナ)の役目です。
オトナにしろコドモにしろ、依存するほど熱中しなければゲームをやることには何の問題もありません。無意味なことが実は楽しいのは世の中の摂理です。
オトナのゲーム依存の中にもストレスや虚無感からゲームにハマったのではなくて、本気で楽しくてスマホゲームが手放せない人もいます。それはもう「しっかりしろ!」としか言えません・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

海街diaryについて - 2019.05.26 Sun

平成最高の少女マンガの続きです。

 平成の少女マンガを振り返るネタの最終回です。ベテラン作家ばかり選んじゃいましたが、新しいマンガ家さんはまだ自身の最高傑作を描いていないと思っています。彼女らの傑作は令和最高の少女マンガとしてノミネートされることでしょう。「おいしい関係」が集英社、「のだめ・・・」が講談社、そして今回の平成後期の最高の少女マンガの「海街diary」が小学館です。偶然ながら3大メジャー出版社を平等に選んだみたいです。折しも3作品ともメディアミックスで実写化されています。「のだめ・・・」はアニメ化もされてました。しかし、自分は全ての実写化作品を観ていません。したがって浅野すずは広瀬すずさんではないし、ましてやシャチねぇに綾瀬はるかさんの顔は浮かびません。それから、綾瀬千早も広瀬すずさんは浮かびません。
3姉妹の母親役に大竹しのぶさんがキャスティングされていますが、いつもの怪演してたら観たくないなぁって思います。観るつもりは一切ないんですけどね・・・


平成後期(平成21年~平成31年)の最高の少女マンガ

「海街diary」 吉田秋生 著 小学館 月刊フラワーズ 平成18年~平成30年掲載

あらすじは・・・
鎌倉で暮らす3姉妹が離婚して家を出た父親の訃報が届く。葬式で異母妹の浅野すずの存在を知り、鎌倉で4姉妹として暮らすことになる。その後、サッカーをしたり、不倫を精算したり、叔母が現れたり、亡くなる人や遭難する人など・・・病院も信金もてんやわんやな鎌倉ライフ物語です。


 自分にとって吉田秋生さんは特別な存在の少女マンガ家です。小学生の頃は生粋の少年ジャンプっ子で、唯一親に買って貰っていたのがジャンプでした。マガジン・サンデー・チャンピオン・たまにキングは、母親の知り合いの長距離の運ちゃんから貰ってました。それまでは少女マンガという存在はまったく認識していませんでした。
たまたま、同級生の家へ遊びに行った時にそいつの妹が読んでいた別冊少女コミック(別コミ)で読んだのが吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」でした。掲載されていたのはストーリーの終盤で、主人公のヒースが刑務所でレイプされ相手のチンポを噛みちぎる場面でした。まだ赤ちゃんがどこから来るのかにも諸説があった年頃だったのに、最初に読んだ少女マンガはBLどころか本場マンハッタンのハード・ゲイでした。妹も「何ちゅーモンを読んでるんだ?」って思ったものの、当時の少年ジャンプの掲載作品がキン肉マンだったので「何だこの精神年齢の差は?」って愕然としました。
吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」の硬派少女マンガ?と、川原由美子さんの「前略・ミルクハウス」のキュートなラブコメの二極に「少年マンガを読んでいる場合じゃない」って確信しました。自分の人生のターニングポイントは別マだったんです。
この衝撃で自分はジャンプを買うのをやめて、白泉社の LaLa を買うようになりました。「エイリアン通り」やお涼さまの「日出処の天子」などの頃です。お目々キラキラは抑えめで少女マンガ誌としては、マンガファンに人気の読みやすい編集でした。一方、少年ジャンプはこのあと空前の発行部数になるんですけどね・・・

 「カリフォルニア物語」は当時の“ニュー・シネマ”に影響された作品というよりも、映画そのものの演出をマンガで実践した快作でした。自分はニュー・シネマも普通の映画も詳しくないんですが、後半のニューヨーク市警とヒースのやり合いはリアル指向というよりも写実マンガっていう感じでした。読み応えは映画そのものだから。後の「BANANA FISH」につながるハードボイルド路線は「カリフォルニア物語」で確立していました。ちょうど大友克洋さんと同時期くらいでしょう。
吉田秋生さんにはハードボイルドやミステリー路線と青春群像路線の二本柱があります。吉田秋生作品の青春群像劇とはアッパーなお姉ちゃんたちのうだつの上がんない日常と、“カウパー腺液”過多な男子高校生の臭そうな青春です。
ハードボイルド系と青春群像系の違いは『事件に巻き込まれるのが主人公のドラマ』と『主人公のドラマの中に事件がある』という感じです。極端に言えば物語を描くために、キャスティングとして主人公や悪玉、仲間や敵役が配役されてるのがハード・ストーリーです。逆に主人公を描くために、ストーリーやエピソードが構築されてるのが青春ドラマです。
「吉祥天女」は青春+サスペンスという少女マンガと少年マンガのハイブリットな作品で、中心人物の小夜子を取り巻く彼女への印象が男と女で全然違うということが主題?のお話でした。今から思えば「吉祥天女」のストーリーのメインになる叶家の親族問題は「海街diary」の家族ドラマのベースになっているんでしょう。

「吉祥天女」後は「BANANA FISH」と「櫻の園」に作風が二分していきます。もうキャリア的にパリピな若者がパンツ下ろす田家の青春マンガは描かなくなったようです。「BANANA FISH」は大友克洋さんの「AKIRA」に匹敵するハードボイルドマンガでした。「AKIRA」は巻が進むにつれて個人的には失望感がまさっていき最終巻はケジメのつもりで買った記憶です。協力者の“おばさん”が出てきてちゃぶ台でみんながご飯を食べてるあたりから、急速にアキラ熱が冷めちゃいました。SFハードボイルド・マンガだとおもっていたんですが、段々とSFアニメ化していったストーリーに「思っていたのと違ってきた・・・」って感想でした。思っていたのは「童夢」のようなSFハードボイルド・マンガです。結局は漫画アクションとヤングマガジンの誌風の違いだったのかな? ラストのイメージは大友克洋さん自身がアニメをイメージしてたんでしょう。
「BANANA FISH」はマンガファンの読むハードボイルドを満足させる傑作でした。こーいう作品が好きな人が「コレを読みたかった」とか「コレを作りたかった」っていう作品でした。ただし作風に「AKIRA」(もしくは大友タッチ)が影響されてるのは疑わざるを得ません・・・
バナナの終了後に隠れた名作の「櫻の園」と「ラヴァーズ・キス」が発表されました。「櫻の園」は映画化もされて、映画版は「女子校特有の閉鎖空間のヘンな百合作品」扱いされてました。中原俊という監督に対して「いい加減にしろよな!」っていう記事を書いた記憶があります。
実際には初体験にビビる子、男子を軽んじてナメていて彼氏に怒られた子、男性コンプレックスの優等生、身体が大きくて可愛くない役回りの子・・・そんなお悩みのお話です。百合がテーマか?って言われると、優等生のハナシがそうなんですけど、LGBTやジェンダーのための作品っていう感じでもありません。それゆえか過度にジェンダー・メッセージ性もなく過剰に百合サービスもない良質の百合作品として認知されました。だから中原俊さんの勘違いっぷりがイラっとするんですね・・・
「ラヴァーズ・キス」は鎌倉の青春マンガです。後の「海街diary」のベースになる設定がココにあります。両作品を通じてテルさんの尾崎酒店が設定の中心にあります。内容は boy meets girl と boy meets boy と girl meets girl の3本立てです。こっちの作品のほうがよりLGBTに寄った感じです。
boy meets boy は平たくいえばBLなんですが、boy meets girl と続けて読むとBL作品特有の過剰さがなくて“普通な嗜好”を自負してる人や男性にも読みやすいです。続けて読むと恋愛マンガにおいては性差などは大した問題じゃないことに気がつきます。

 ここまできてキーワードは「過度に描かない作風」です。「カリフォルニア物語」も「吉祥天女」も「BANANA FISH」も、過度に盛り上げる作品です。多くの人が死に、復讐や怒り、警察にまみれた作品でした。ギスギスした妬みや憎しみは少女マンガの十八番ですが、正義と悪意、殺意、復讐は少年マンガの真骨頂です。そのジャンルを少女マンガ誌でやられ、しかも過度に盛り上がっちゃうから「こちとら商売上がったり・・・」なんです。
一方の「櫻の園」や「ラヴァーズ・キス」は少年マンガには不可能なジャンルです。こっちは過度に盛り上げるのではなく、キャラを等身大以上でも以下でもなく描かれています。「BANANA FISH」がアニメ化されるけど「海街diary」が実写化されるのは、マンガでありながら実写世界のリアルがあるからでしょう。吉田秋生さんの作画が写実的というのではありません。
吉田秋生さんは過度に盛り上げる作風と過度に盛り上げない作風の二つの武器を持っています。作風を変えていく作家は多いのですが、作品ごとに使い分けられる作家はそんなに多くいません。しかしスゴいマンガ家たちはそれを使いこなせるからこそ作品にメリハリと奥行きが出るんでしょう。
吉田秋生さんはその後、どっちの作品を描くのか楽しみにしていましたが、新作は「YASHA 夜叉」というハードボイルドでした。内容はほぼバナナ味の作品で、読んだけどストーリーはうろ覚えというか忘れちゃってます。戦う組織も最近のアニメ的な秘密結社っぽさで、吉田秋生さんが描きたいストーリーがこっちならば仕方がないって感じでした。続編の「イブの眠り」まで惰性で読んだのですが、自分の中で求めていた吉田秋生はやっぱりこっちじゃないって思ってました。
しかしこれらの作品に臨場感を与えているのは登場人物の質感です。その質感は過度に盛り上げない「ラヴァーズ・キス」などの登場人物のタッチで描かれているからでしょう。

 そして表題の「海街diary」です。この作品は「ラヴァーズ・キス」と共通の世界観なので、過度に力まないほうの作品です。朋章のストーリーがちょっと過度にサスペンス調でしたが、全編通して鎌倉ストーリーを満喫するマンガです。吉田秋生さんは少年マンガの人々が大好きなガンファイトを作中に取り入れるのが最も上手なマンガ家でしたが、彼らの期待する殺害シーンや暴力シーンは出てきません。そもそも少女マンガの読者がガンファイトを期待してるのか?というのも疑問です。
しかし葬式シーンは多く、亡くなる人の多い作品であることは「海街diary」の特徴です。銃で撃たれる人にリアルさを感じないのは日本人特有のことなのかもしれませんが、やっぱり銃で撃たれるのは絵空事のハナシって感じがしますよね。射殺事件というニュースもめったに聞かないから、ガンファイトそのものがファンタジーの世界です。魔法使いや異世界が出てくるストーリーで、リアルな演出って言っても限界があります。吉田秋生さんにはできれば普通の人々の設定のマンガを描いて欲しかったので、「海街diary」は「やっとこっちサイドの作品を描いてくれた」って思いました。
「海街diary」は4姉妹を中心に鎌倉でかかわる人々の物語で、少年サッカーから遺産相続、不倫、死別、進路、妊娠、遭難・・・様々な普通の出来事で綴られてます。吉田秋生さんが何を作品のテーマにしているのかは解りませんが、『身内ゆえに解りあえたり解らないこと。他人ゆえに解りあえたり、解らないこと』がテーマだったと思います。「身内だから話せない」とか「他人だから解ってしまう」というサスペンスでも何でもないことが吉田秋生さんの描きたかったことだと思います。
もっとも読んで欲しいのは恋愛マンガファンです。4姉妹のそれぞれの恋愛をそれぞれゆっくりなペースで描かれています。いろんなエピソードに絡めて恋が進展するので、上質な恋愛マンガを何本も読んだ満足感です。とくに見所は初々なチュー坊たちの恋愛に対比して「愛の旅人」のアラサーな恋愛のグズグズ感と「愛の狩人」のシャープな寄せワザの見事さです。ほかにも黄昏流星群ばりにカフェのオッちゃんと定食屋のおばちゃんの恋?とか・・・ 
自分の一番お気に入りなのは糸切屋のお姉さんと直人(すずの従兄)の恋愛。糸切屋のお姉さんはチカ(三女)を上品にした感じの人で、そーいう高度なキャラデザインはめったに見られないです。

 一部情報では次回作はハードボイルド路線ではなく『鎌倉三部作の完結版』になるとのことです。予想しますと、すずが26~7の時代で、4姉妹は話しの中心にはならないから「海街diary」の続編ではないでしょう。キーマンは「妙さんと呼べ!」の妙が鎌倉に登場するハズです。そこですずと妙が何を話したのかがわかるハズです。過去の吉田秋生さんの傾向では・・・多分。


「ほぉ」って思ったら押してね

のだめ・・・について - 2019.05.05 Sun

平成最高の少女マンガの続きです。

 平成の中期の中から最高の少女マンガを選んだのですが、前回の「おいしい関係」のような主人公の成長とお仕事の自立をテーマに選ぶのならおかざき真里さんの「サプリ」が妥当でしょう。しかし同じような作品ばっかり選んだら『平成最高のお仕事マンガ』になっちゃいます。
お仕事マンガで「おいしい関係」と「サプリ」を比べたら、やっぱり「おいしい関係」が1位でしょう。「サプリ」はおかざき真里さんが博報堂でOLをやっていた実体験からのリアルお仕事マンガです。もし、槇村さとるさんがフランス料理の元シェフで、作中の料理や業界のしきたりも実体験だったらさいこうの少女マンガは他の作家になってたでしょう。求めるのはエンターテイメントであってディテールの真実さではありません。専門職だった人がインサイダーな情報を使って作品を描く場合は、評価は8掛けになります。
作品のテーマにそった情報や資料をかき集めるのはマンガ家の当然の作業です。自分の評価基準では調べて描く人と元○○が描くのとでは、調べて描く方が全般的に評価が高いです。「ちはやふる」の末次由紀さんが元クィーンだったわけではありません。「3月のライオン」の羽海野チカさんが女流棋士を目指してたとも思えません。羽海野チカさんは自身の美大時代がテーマの「ハチミツとクローバー」もヒットさせていますが、将棋マンガのほうが500倍はエンターテイメントです。森薫さんは英国メイド協会?の人でも遊牧民でもありません。
おかざき真里さんはオトナになってからデビューしたので、少女=キス オトナ=セックスを地で行く作風でした。本気の美大生出身の群を抜く画力とセンスが特徴のマイナー少女マンガ家って印象でした。マンガ家志望の人って大半が画力がないんで、絵で圧倒できる人が現れると「うぁ」となります。でもメジャーの評価を得たのは博報堂のリアルなブラック業界を描いた「サプリ」でした。それ以前の作品は少女マンガを舐めてるっていう感じがしていたのですが、「サプリ」は槇村さとるさんの「おいしい関係」に匹敵する転機になった作品でしょう。もうリアルなマンガの表現を認めさせたので、空想やヘリクツの恋愛感をマンガにしなくてよくなったからです。おかざき真里さんのエンターテイメント作品は青年誌で描いてる空海のやつです。コレこそエンターテイメント作品なんですが、少女マンガじゃないことと「スラムダンク」の作家の宮本武蔵のような顛末になりそうなので読んでいません。本当は歴史マンガが苦手なだけだけどね・・・



平成中期(平成11年~平成20年)の最高の少女マンガ

「のだめカンタービレ」 二ノ宮知子 著 講談社 Kiss 平成13年~平成22年掲載

あらすじは・・・
『エリート音大生の千秋は隣のゴミ部屋に住む野田恵(のだめ)と知り合い、人としてアレだが秘めた音楽の才能に惹かれて世話を焼くようになる。後に舞台は欧州に移り、プロの指揮者になった千秋とフランス留学中のにだめ。千秋はプロ活動の洗礼を受けるが、のダメは才能をどんどん開花してゆき千秋よりも世界的な有名アーティストになっていく・・・』

「のだめカンタービレ」が優れていたのはマンガとして笑えるところです。マンガにとって一番重要なことは面白いことなのですが、一概に面白いことと笑えることは同義ではありません。悲しくて泣ける作品も面白いし、共感できたり学べたりできる作品も面白い作品と言えます。
「爆笑できなきゃ上手な落語家じゃない」とか「マンガだから腹抱えて笑える」というモンでもありません。たまに少年ジャンプを本気で笑いながら読める人もいるでしょう。悲しいことにオトナになるにつれ些細なことでは爆笑することも減っていきます。幼児期は「ウンコ」という言葉だけで心の底から笑えたんですけどね・・・
爆笑係数が高いマンガが面白いマンガということでもありません。しかし、笑えるマンガはマンガとして正しい方向のマンガです。「のだめ・・・」は笑えるマンガとしては平成でトップクラスの作品でした。そもそもの二ノ宮知子さんの作風はブラックユーモアやジョークを明るい作風に入るだけぶち込む感じでした。ちょっと悪趣味なキャラやギャグなので、ちょっと少女マンガの標準値を大きく外れてる印象です。
「のだめ・・・」の前作は農家の嫁マンガでしたが、この作品あたありから頑張る人達の滑稽さやヘンなキャラたちを温かく表現できるようになった印象でした。ソレまではマンガ好きなマニアにしか評価されなかったが、より少女マンガに近づいてきて「のだめ・・・」のベースになったんだと思います。
同時期に森本梢子さんの「ごくせん」がギャグマンガで大成功しています。平成祖以降の少女マンガの候補としては十分な内容ですが、「ごくせん」はほぼ少年マンガにしか思えないのが受賞?」を逃した理由です。前作の「研修医なな子」からして少女マンガ感がゼロでした。独自のギャグ路線を経て「アシガール」では「のだめ・・・」同様に少女マンガ+ギャグマンガを確立したので、平成後期少女マンガにノミネートしたかったんですが、まさかの未完(終了のはずが連載継続)のために選外になりました。

 二ノ宮知子さんのギャグの根幹になっているのは「変人の描き分け」と「不幸の描き分け」そして「才能の描き分け」です。変人はのだめや千秋、その周辺の音楽を志すキャラ全般が変人として設定されています。
二ノ宮さんのがスゴいのは変人の差別化と使い分けでしょう。新人マンガ家や同人や投稿マンガで「この作家ダメだなぁ・・・」って思うとの第一位は「主人公は何処にでもいる普通の男だった・・・」って感じの作品です。ストーリー重視とか感性重視とか作者の言い分はあるんでしょうけど何処にでもいる人の話を読まされるくらい苦痛なことはありません。
二ノ宮さんは主役級はもちろん脇役からちょい役までフックがあるキャラを描きます。その、ちょいキャラが10巻ぶりに登場してもキャラ+ヘンな個性でスムーズに読むことができます。
二ノ宮作品で必ず出てくるのが主役級に振り回されて不幸になるキャラの存在です。彼らは変人のせいで損害を被るキャラなんですが、同時に変人がのびのびと動けるサポート関係にあります。のだめに迷惑をかけられる千秋、ターニャに振り回される黒木くんなど・・・
作品全体が成功のカタルシスよりも、失敗による負の感情を重視する傾向です。「のだめ・・・」ではコンクールで何度も挫折したり、技術差を見せつけられてヘコむシーンの連続です。ヘコんだキャラにこそ物語があると二ノ宮さんは考えてるんでしょうね。
主人公に敵対する悪役などは、一般の少年マンガでは倒すべき存在として出てきます。主人公をジャマする存在は倒すべき(殺すべき)存在として登場します。「悪役だから殺せ」っていうのは現代社会の「自分と意見が合わない人は存在しなくてもいい」という空気感に色濃く反映してる感じです。自分との関わりの中で「心地よい関係者」を賛美して「耳障りな関係者」を排除(遠ざける)傾向ですね。それに伴い、ストーリーでもイヤなキャラが殺されたり排除される作品のほうが、読者のカタルシスを満足させているんでしょう。
例としては企業ドラマブームなどがそうです。「あの上司、ムカつく」とか「あの卑怯なライバル会社、潰れろ」っていう負のエネルギーの作品です。ムカつく上司が左遷されて視聴者は「左遷は当然なこと、これで正義が守られた」っていう満足感なんでしょう。自分はこの手の企業ものが苦手ななので、ロケットも運動靴もラーメンも観ていません。だいたい会社の仕事の中で勝った負けたって何だよって思いマス・・・
「のだめ・・・」に限らず二ノ宮さんの作品には主人公や相手役に対してジャマする存在や敵役がたくさん出てくるのが特徴です。基本的にほとんどのキャラが誰かにとっての迷惑な存在として存在しています。しかし、迷惑だけど排除しないのが二ノ宮流です。世の中が迷惑な人の集まりで出来ていることを理解してるからでしょう。ストーリーの初期に出てくるハリセン教師には千秋ものだめも大迷惑でしたが、ゆくゆくは「そんなに悪い人でもないし、奥さんも美人だし・・・」って印象に変わります。

 二ノ宮作品で一貫しているのは「スゴい才能」を持ったキャラの共演でしょう。「のだめ・・・」以降の作品では、主人公が特異な才能を持ってることが一貫しています。それは音楽の才能、パソコンを冷却する才能、邪悪な宝石を見抜く才能など、作品によって様々です。
前回に取り上げた「おいしい関係」はシェフが主人公だったので、調理技術や知識の優劣がストーリーの根幹でした。「のだめ・・・」はクラッシック音楽がテーマですが、味とか音楽とかは絵で伝えることが難しいとも簡単とも言えます。「コレは旨い」とか「ナンて演奏なんだ」とか叫ばせれば、読者にはスゴい設定なんだなというコトは説明できます。とくに少年マンガでは強さ=ストーリーな作品が多いので、「強い主人公よりも強いライバルを倒した主人公はどのくらい強い設定にすればいいのか」といったベジータ問題になりがちです。

「のだめ・・・」におけるキャラの音楽の能力比(下に行くほど別格)

桃ヶ丘音楽学園   一般生徒
        <羨望>
R☆Sオーケストラ 国内組 峰 もじゃもじゃ 夜の女王のぶー子・・・
          海外組 清良 高橋 松田・・・

パリ留学生         黒木 ターニャ ユンロン フランク・・・
       <格の違い>
欧米でプロ活動       千秋 Rui・・・

     <越えられない壁>

巨匠            シュトレーゼマン ヴィエラ 千秋雅之 
              ベルリン四重奏のコンマス オクレール・・・    

※ だめは対比不可能な設定ながら最強のキャラ
   
二ノ宮さんの作品のテーマが「スゴい能力を持った変わったキャラ」なので、作中で扱う題材の中のスゴい能力の表現力がマンガ会でもピカイチだと思います。ピカイチのいう表現がマンガのスゴさをちゃんと表現できてるといは思いませんけど・・・

  最終巻の巻末に参考文献リストが書いてあります。ちょっと見たことがないほどの文献量です。音楽監修も業界関係者、プロの方々でいっぱいです。作画も楽器担当の方がいるそうです。二ノ宮さん自身がクラシック音楽にまったく関係してこなかった人ということなのです。現在連載中の「七つ屋志のぶの宝石匣」のために宝石の学校へ通ったくらいうなので、そーいうパワーのある人がヒット作を描くんでしょうね。
「のだめ・・・」の魅力で一番大切なことは恋愛マンガの一線を越えていないことです。音楽マンガというジャンルなのは間違いないんですが、のだめがどう成長するかとか音楽で成功出来るのか?というのを追っかけてもこの作品は最終回を迎えられませんでした。結局は一貫して千秋がのだめをどうしたいのかを決断するお話だったんです。したがって「のだめ・・・」は少年マンガのように優勝することも地球を救うこともなく完結します。主題は「幼稚園の先生を目指す人が同じ上を目指すって変ですよね」というのだめの問いに対する答えを探すストーリーだったんですね。
個人的なお気に入りは黒木クンとターニャです。彼らの恋愛バナシが本編に影響ゼロの中で展開しています。のだめ&千秋は鉄板なカップルなのですが、黒木&ターニャは第一印象最悪の出会いモノの典型な恋愛ストーリーです。どんだけ恋愛マンガが好きなんだ・・・・


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