topimage

2020-05

37年の時をかけて・・・ - 2020.05.22 Fri

大林宣彦監督作品「時をかける少女」です。


 4月10日、かねてからステージ4の肺ガンを公表していた大林宣彦監督がお亡くなりになりました。享年82歳でした。折しも4月10日は遺作になった「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の公開予定日だったので、生涯 現役映画監督という言葉通りの人生だったのでしょう。紫綬褒章や文化功労者など、経歴に一点の曇りなしです。
日本テレビは追悼番組として大林宣彦監督の代名詞 尾道三部作の中の大林監督の名を知らしめた「時をかける少女」を1週間後の土曜日の昼間に放送しました。しかし、エンディング曲の「時をかける少女」とNG 集の部分を全部カットしてネットを騒がせていました。フジテレビといい映画のエンディングを放送すると版権が別料金なのかな・・・?
BS朝日とかWOWOWでも大林作品特集をしていましたが、ちょっと観るには気づきにくい番組枠でした。地上波の番組が非常事態で作りにくいのだから、テレビで追悼作品をバンバン放送すればいいのにって感じですよね。
NHKはちょっと趣向が違っていて過去の大林監督を取材したりインタビューした番組の再放送で構成した追悼番組でした。その中で自分が観たのはEテレで放送された「青春は戦争の消耗品ではない 映画監督 大林宣彦監督の遺言」という番組です。もちろん、日テレで放送された「時をかける少女」も観ました。


 大林監督はチャールズ・ブロンソンの「う~ん・・・マンダム」を作った人で、後に「HAUSE ハウス」というホラー映画で一部の映画マニアから脚光を浴びます。自分はまだ大林という名前すら知りませんでした。マンダムが何なのかも考えたコトがありませんでしたし・・・
二作目が尾道三部作の一発目にあたる「転校生」でした。この作品は小林聡美さんと尾美としのりさんのキャラの濃さだけで整理ついした作品です。ストーリー自体は原作が児童文学なので、それ相応の内容です。
そして尾道三部作の二発目が出世作になった「時をかける少女」です。「転校生」小林聡美さんの新人離れした演技力と、どーみても一般人にしか見えない容姿の女の子のオッパイが見られるので異常な評価を受けていた作品です。ひいき目にみても子供だましなストーリーなので、感動したとか心に残るとかいう類いのモンじゃありません。小林聡美さんと尾美としのりさんの演技が語り草になっていますが、学芸会っぽくなかったか?といえば映画全体の雰囲気が学芸会っぽい印象だったと記憶しています。
「転校生」にしても当時の薄い記憶だけで書いているので、今の自分が観たのなら違う評価になるのかもしれません。しかし、大事なシーンで17歳の小林聡美さんのオッパイが映っているので、今後テレビでは放送されることはありません。お金を出してまで見たいオッパイでもなかったと思うので「転校生」はもう観る機会はないと思います。「転校生」の小林聡美さんにはまったくリビドーは感じませんでしたが「やっぱり猫が好き」の恩田家の三女役で初めて可愛いと認識しました。「猫が好き」で初めて、もたいまさこさんや室井滋さんも知りました。むしろ「猫が好き」の記事のほうを書きたいくらい自分は影響されたドラマでした。
正直いうと唯一自分が買ったアイドルの写真集が原田知世さんで、それ以降もCDを買い続けていた隠れ知世ファンです。その自分が最初に観た作品が多分「時をかける少女」だったと思います。むしろユーミン作曲の主題歌がヒットしたんでテレビの歌番組によく出ていたのを観ていたんだと思います。したがって自分の中の原田知世は初めから女優っではなく歌手でした。
外観はともかく小林聡美さん同様に芸能人臭くなかったので、なんかたどたどしい女の子がグッとくるんでしょう。薬師丸さんは映画ファンに評価されていましたが、原田知世さんはお絵描き系サブカル(アニメオタク等)に絶大な人気でした。薬師丸さんは高倉健さんや松田優作さんと共演、相米慎二監督や深作欣二監督、森田芳光監督などがメガホンを取っています。方や原田知世さんは私的に大林宣彦監督と角川春樹社長が取り合うという間抜けさ。共演も枯れ専なおっさんばっかりで気の毒でしたね。「幻魔大戦」のタオ役で原田知世さんの支持層だったアニメファンもガッカリさせちゃいました。

 日テレの追悼番組「時をかける少女」を観るのは、公開した頃のテレビ放送以来です。劇場公開された1983年は洋画は「ET」「 スターウォーズ ジェダイの帰還」「ウォ・ゲーム」「007 オクトパシー」「フラッシュダンス」「ランボー」「ダーティーハリー4」など・・・ 邦画では「南極物語」「楢山節考」「家族ゲーム」「戦場のメリークリスマス」など・・・アニメは「うる星やつらオンリー・ユー」「ヤマト完結編」「幻魔大戦」「クラッシャー・ジョー」など・・・
それらの公開された作品に比べて「時をかける少女」がどれくらいのクオリティーかといえば「転校生」以上に学芸会レベルっていう印象でした。一般論としてハリウッドや洋画は派手な大作、邦画は地味な題材を地味な映画ファンが評価しているっていう感じでした。地味ながらも「楢山節考」や「戦場のメリークリスマス」は国際的に評価された作品です。それでも映画の題材が地味なのは否めません。エンタメを目指せない言い訳に芸術性を語る日本映画にウンザリしたのがこの年でした。
「時をかける少女」は原田知世しか観るところがない映画といっても過言ではありません。この作品を観て「作品のテーマ」とか「SF映画としての」とかいう人のことを自分は信用しません。配給会社(角川春樹さん個人)の事情、予算の事情、シナリオが書けない事情・・・ 上げたらきりがない事情を言い訳にした日本映画のチープさの象徴のような作品が「時をかける少女」だと思っていました。
せめて宣伝費を制作費に廻すとか、本気で役者を目指している新人(小林聡美さんや富田靖子さん)を主役に使うとかすればとも思います。原田知世さんを愛でるだけの作品として成立してるんだったらまだしも、この作品の原田知世さんが一番魅力を感じない原田知世さんだと思います。「原田知世は可愛いけど演技は無理」って知らしめた作品になっちゃいました。
大林宣彦監督の次回作の「天国に一番近い島」も原作者の森村桂さんのファンだったんですが、予告編の原田知世さんのこわばった表情の演技が忍びなくて観れませんでした。結局「原田知世さんって可愛いなぁ」って思わせる映画を撮ったのは、女を引っかけることだけしか考えていなかったホイチョイ・プロダクションのヤツらでした。間抜けな小芝居なんかさせないで、よその会社の可愛いOLといういそうでいなかったホンモノのゲレンデ美人を好演していました。

 問題は1983年の映画を2020年に改めて観た時にどう思ったのかですね。日本で一番「時をかける少女」を評価しているライムスターの宇多丸さんはもとより、これだけ多くのリメイクをされている作品なんだから固定のファンも多いようです。
自分は『昔の作品を思い出補正しない』というのと『発表当時の評価しか基本的に信用しない』というのを信条にしています。前者は怪獣や特撮映画などに多いのですが「昔の作品はチープだったけどそれがいいんだよね」っていう感じの評価です。当時はチープだと思っていたはずなのに骨董価値が上乗せされるのは作品の善し悪しとは関係ない部分だと思います。後者は再評価という言い方で後付けのウンチクを並べるパターンです。作品は公開された時代に観るのがその作品の旬であって、その時代に観ることができなかった(生まれていなかった)人は、可哀相だが正統な評価を下すことはできません。黒澤映画を現代でも観る方法はありますが、黒澤映画が新作で公開された時代でなければ公平な評価とは言えません。
過去に観た「時をかける少女」と、時空を越えて2020年に観た「時をかける少女」はチープな日本映画という感想が微塵も変わることはありませんでした。つまらない作品にどんな理屈をつけても面白い作品にはなりません。それは映画に詳しいマニアの方々には受け入れがたいのでしょう。
しかし公開当時の「時をかける少女」に感動したり、2020年に初めて観た世代の人が手放しに傑作と思った人もいます。そーいう無地に評価する人たちにもイラつくのが大林宣彦ファンだと思います。
大林宣彦さんのファンは『大林映画は難解な部分が監督の仕掛けた裏のテーマだから、それに気づかないで面白いとかいってんじゃねぇよ・・・』っていうマインドです。何じゃそりゃ?
「時をかける少女」は角川春樹と大林宣彦という当時にしてすでにおっさんのふいたりが作ったロリコン映画です。だから当時の原田知世さんと同世代の中高生が観ても共感がえられなくて当たり前なんです。それは映画論ではなくて性癖の違いなんでしょう。観客の側が40代になってホンモノのロリコンになった人だけが初めて共感出来る作品なんでしょう。
現代ではロリコンという言葉は少女を指す言葉になっていますが、本来はあくまでも少女を愛でるおっさんを蔑視するための言葉です。大学生が高校生を可愛いと思うことは性的に正常です。しかし大手出版社の社長がオーデションに来た中学生に入れ込むことは立派な変態です。宇多丸さんが大林宣彦監督にシンパシーを感じるのは、共に変態の部分が共鳴しあうからか・・・

 ここまで書いてみて自分が大林宣彦監督のことを嫌いなんでってことが思い知らされました。ちゃんと観たのは「転校生」と「時をかける少女」だけですし「さびしんぼう」は予想される大林ワールドに耐える自信がないから観ていません。富田靖子さんの主演作は「アイコ十六歳」と「BU・SU」は観ました。「アイコ十六歳」は大林宣彦さんが総監督とクレジットされていますが、実質は今関秋吉監督の作品です。
アイコ役の富田靖子さんは生き生きとしていて、和子役の原田知世さんはお人形のような演技です。二人の演技で決定的に違うのは共に弓道部という設定なんですが、原田知世さんは一度も矢を射りません。弓を引くシーンは宣伝用カットで印象的だったんですが、本編を観なおすと和子(原田知世さん)が矢を射る直前に的に命中する映像が頭の中で再現されて、構えたままいるのを止めて帰っちゃうんです。理由は原田知世さんが弓を引けないからだと想像できます。監督もそーいうリアルを求めていないんでしょう。
富田靖子さんは思いっきり射っていました。弓道部員が弓を引くシーンがないなんておかしいですよね。ちなみに広瀬すずさんが主演だったら吹き替えなしでまといの命中させるまで練習してから撮影の望むと思います。
それが役者のせいなのか監督のせいなのか?作品のテーマの違いなのか?映画的技法の違いなのか? 最期は監督が無能なのか観客が無能なのかって議論になっちゃうと、ますます何じゃそりゃ?ってかんじですよね・・・
「そーいう映画論って観客が考えなきゃいけないのか?」っていうのが、自分が映画離れしていった原因でもあります。
結論はそれ以降の大林作品を観ていない自分には評価する対象すらなかったということでした。だって嫌いなタイプの監督なんだもん・・・
でも人ごとながら日テレも追悼映画は「時をかける少女」よりも「異人たちとの夏」にしてあげたほうがよかったのではないかな? 日テレは「時をかける少女」の版権を持ってるからかな?

 
 実は前記のとおりにNHK Eテレのほうの追悼番組も観ました。そっちのほうには自分が知らなかった大林宣彦さんの真実を語る姿がありました。次回はその「青春は戦争の消耗品ではない 映画監督 大林宣彦監督の遺言」という番組について書きたいと思います。
大林宣彦さんの真のメッセージを聞いたからといって「時をかける少女」が名作になるなんてことはありませんけどね・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

赤江さんのメッセージ - 2020.05.14 Thu

「荻上チキのSessionn-22」で、赤江珠緒さんが伝えたこと

 5月12日の TBSラジオ「荻上チキ Session-22」のオープニングで、フリーアナウンサー 赤江珠緒さんのメールでのメッセージが読み上げられました。
本来なら「たまむすび」の中で読み上げるのが筋なのは重々承知ながら、たまむすびスタッフとセッションスタッフを秤にかけたらセッションでの公表は正しい判断でしょう・・・
このメールの内容はネットニュースにもなっているので、それで知った人や「赤江珠緒って誰?」とか「昔、テレビ朝日のモーニングバードに出ていた人でしょ」っていう人も多いでしょう。朝日放送の関西エリアではお馴染みのアナウンサーだと思いいます。たまむすびリスナーには注釈無用なので、今回は「たまむすび」を知らない人に向けた記事になります。

 コロナの非常事態のさなか、テレビのワイドショーは連日コロナの話題で持ちきりです。世界中が混乱している事態なのだから、その話題が中心になるのは当然です。しかしテレビの中のコロナ騒動はかなりヒステリックになっているように感じられます。端的にいえば「テレビは何で、いつも怒っているんだろう?」という感想です。
テレビの司会者やコメンテーターが視聴者の代わりに怒っているのであって「これが世間の本当の声なんですよ」という設定なのかもしれません。視聴者は本質的に怒ってる人をみるのが好きということもあるのかもしれません。ワイドショーとはそーいうものという“ひな形”があるんでしょう。
しかし今回のコロナ騒動では今までにない誤算がテレビ局にもありました。彼らは出演者がリモートになってしまうことが放送のピンチだというくらいの気持ちでしょう。実際の誤算は本来なら日中にはテレビを観ることができない環境の人が、ステイホームのおかげで昼間のワイドショーを観ることができるようになったことです。
自分も輪番休暇で週の半分は家にいます。普段だったら営業車でラジオっていう生活サイクルなんですが、せっかくだから日中のテレビを観ていたりします。ウチの会社は「リモートで仕事をしろ」とか「宿題をやれ」とか言わないからZoomとかリモート飲み会とかムチャは要求されません。

 3月までだったら日中は外(職場や学校など)にいる人もテレビを観ることはテレビの視聴率アップのチャンスだったのかもしれません。しかしテレビに慣れていない多くの「新規視聴者」にとっては、日中のワイドショーはかなり奇異に映ったと思います。
「日本中が休業して我慢しないと感染は防げない」と「休業した店長は生きていけないんですよ」が同じ番組の同じ司会者が言っています。「PCR検査は○○だから」の○○の部分も番組が用意した専門家の先生によって解釈が真っ二つに分かれます。
一番の違和感は司会者は毎日「何でですか?」とか「どうしてこんなんでしょうね?」という疑問を専門家と自称する人にぶつけることです。あげくは「それじゃ私たちはどうすればいいんですか?」って半ギレで丸投げなコメント。たぶん宮根さんも恵さんも坂上さんも安藤さんも・・・昨日もおとといも先週も同じような質問を同じ専門家に聞いていて「エ~ そうなんですか?」って毎日言ってる感じです。それはザ・ぼんちの川崎さん~山本さんから何一つ変わっていないんでしょう。
司会者も専門家もコメンテーターの芸能人も毎日同じメンバーなんだから、番組開始前のリハーサルで内容のすりあわせをするべきです。コロナ問題は仮にも報道なんだから、新鮮なリアクションやビックリさせる演出は必要ないです。PCR検査について毎日質問している坂上さんも、昨日聞いたことを理解していないのならテレビに出る資質の問題があります。
誤報や意見が変わるのはあんまり問題ではありません。日々新事実が解明されているんだから当たり前のことですよね。3月時点での国の対応と5月時点での国の対応は当然違ってきます。よりよい方法へアップグレードさせていくことが目的なんだから。
危険なのは対立意見の排除とミスリードです。コメンティターや司会者にも個人の意見があるんだから、それを番組に反映させるのは当たり前のことです。しかし、その場合は「これは私の意見です」とか「私どもの番組はこういう考えを持っています」という立ち位置を表明する必要があります。
不倫の善悪論争や政治家のズルを話題にしているんじゃないんだから。
答えが出ていない案件について「こーじゃないんですか?」って繰り返すと、観てる人は「こーなのかな?」って思い始めちゃいます。判っていない案件は大きな声で「判りません」っていうのが正解でしょう。

 コロナ問題は3月末からすれば、かなり落ち着いてきたと思います。医療体制や陽性者数のことではなくて、報道する人たちや自宅待機している視聴者の心のほうです。コロナウイルスに対しても未知のウイルスから実像が見えるウイルスに変わってきました。
テレビのワイドショーに対して同時間帯にやっているラジオは、ビックリするくらい穏やかに普段通りの番組を放送しています。TBSラジオの「たまむすび」はメインの赤江さんが新型コロナウイルスの陽性のため入院しているのですが、外山アナやパートナーたちがコロナの不安を感じさせないお気楽な放送をしています。じゃあラジオは時事問題と向き合わないのか?というばそんなことはなく、妙に早起きな時間帯や冒頭の「Session」のような深夜には深刻な番組もあります。
AMラジオの性格上、仕事中や移動中、休養中や静養中など様々な状況で聴いていることが考えられます。そこで毎日司会者が怒ってたり、怒鳴っていたりするのは聴いていてキツいんですよね。テレビは「イヤなら観なければイイ」という明言がありますが、ラジオの場合は聴きたくない人でも職場にかかってるケースもあります。
赤江さんの「たまむすび」の前番組は「小島慶子 キラ☆キラ」というコジマさんが怒ってる番組でした。AM昼ラジオの割にディープでマニアックな硬派バラエティーだったのですが、TBSラジオの方針変更でコジマさんは降板し赤江さんが枠を引き継ぎました。自分も「キラ☆キラ」終了に納得いかなかったリスナーのひとりでしたが、今となれば人気絶頂の番組を終わらせたTBSの考え方も理解できます。

 本題の赤江珠緒さんのメッセージです。内容は新型コロナウイルス感染~肺炎発症で入院していた赤江さんが、自身の治療で投与されたアビガンに対する誤解されてる部分、正しい理解、現場の医師が思っていることを伝えるためにメールで5月12日のTBSラジオ「荻上チキ Session」で発表しました。このメールの内容はネットニュースでも取り上げられていますので概要を知っている方も多いと思います。主な内容は医師の間でアビガンがどう扱われているのか?とアビガンの副作用の催奇形性についてです。興味がある方はネットでも読めますが、ぜひ一次情報であるラジオを聴いて下さい。radiko (インターネットラジオ)のタイムフリーで5月19日まで聴けます。重要なのは赤江珠緒さんの書いたメールを加工しないで全文読むということです。TBSのたまむすびのホームページでも全文が読めますが、「荻上チキ Session-22」では赤江さんとチキさんが放送前に電話でコンセンサスを得ているゆえの解説が付いています。とくに、たまむすびリスナーは久々のタマちゃんのメッセージだから必聴ですよね。
荻上チキって誰だ?っていう疑問もあります。この人は同じクラスにいたとしてもいっしょに遊ばなかっただろうタイプの人です。自分は仲良くできるかの判断基準に女の子は「一緒にプロ野球を観に行けるか?」で、男の子は「一緒にサッカーを観に行けるか?」というのがあります。チキさんと一緒では野球もサッカーも盛り上がんないと思います。
ネットでの感想は概ね良好ですが「芸能人が副作用について勝手な意見を出すのは良くない」などの否の意見もありました。赤江さんは旦那さんの新型コロナに感染の疑いのために「たまむすび」を休んだ時や入院した時にも番組へメッセージを送っていました。その度に売名行為とか何チャラとかネットで書かれてたようですが、書いた人の中でラジオで外山さんの代読を聴いた人はひとりもいないと確信します。



 赤江さんの入院してアビガンを投与されて回復して退院した経験からのレポートは、とても貴重で興味深いレポートです。何よりも『腐ってもジャーナリスト』というか報道の赤江はとっくに腐ってると思われていたたまちゃんが、荻上チキさんや南部広美さんと対等に渡り合えるのがスゴいと改めて関心させられます。部活のアホ仲間だと思っていたヤツがテストではトップクラスの成績だったショックに似ています。
しかし、本当に重要なメッセージはアビガンや治療の部分ではないと思います。それも貴重な意見なんですが、メールの最後に付け加えられた部分にこそ真のメッセージが隠されていました。

最後の部分だけ引用します。

『・・・以上、患者と向き合う臨床医の先生から伺ったお話に罹患した自分の気持ちも込めてメールさせていただきました。私自身、自分が知り得た事で有益ではないかと思うことは社会に還元できればと思っています。実際に手記やインタビューのご依頼も沢山頂いておりますが、このような複雑な内容を個々に対応するのには限界がありますので、荻上チキさんの「Session-22」を頼らせていただきました・・・』

意外な盲点だったのは感染者や医療従事者への取材は感染症リスクから全てNGということです。ましてや感染者数の5000人のほとんどが軽度なので、軽度の方々の情報は結構ありました。重篤な方々も報道ベースに乗りやすいのですが、赤江さんの説明によるところの中等症~重症の人へのマスコミの取材は不可能な状態です。毎日寺美に出ている専門家の先生たちもコロナの治療や対策に関しては蚊帳の外の人たちかもしれません。現場の人はマスコミの取材云々ではないからです。
何より5000人の大半が一般の方々だから発信する立場でもないし発信する義務もありません。
だからこそ赤江さんのコメントを欲しがるマスコミ各社の気持ちも理解出来ます。先輩筋の宮根さんのところにコメントするとか、古巣の羽鳥さんちへコメントするとか、TBS繋がりで落ち目の落語家を助けるとか・・・ 
しかし、全ての依頼を断ってなおラジオでコメントを出した理由は、テレビが信用できない媒体だからじゃないでしょうか? 全てのテレビ局がねつ造や印象操作してるとはいいませんが、メールを全文読んでくれるとも限りません。ヘタすれば「赤江さんの言いたいこと」っていうパネルを作って司会者がいちいちめくって箇条書きにされちゃいます・・・
今回の赤江さんのメッセージを荻上チキさんはとても注意深く番組で取り上げていました。内容は全文「たまむすび」のサイトで読むことができますが、チキさんが赤江さんへ番組で公表する前に書いた意図を確認したり、二人の専門家にメールの文章をクロスチェックするなどテレビの様式では不可能なことをやっています。それを聴くことは価値のあることです。

※ 赤江さんのメールは「session-22 」が始まって最初のオープニングですぐに紹介されます。
  その部分だけ聴けば十分だと思います。(自分もソコしか聴いていません)

 テレビとラジオは何が違うのかといえばテレビは怖がらせてナンボ、怒らせてナンボですが、ラジオが目指しているのは安心させてナンボということだと思います。通常時ではテレビの影響力に対してラジオの発信力は微々たるものです。ラジオは将来なくなっちゃうとまで言われるくらいです。
しかし非常事態ではテレビとラジオの伝達力は逆転します。地震や水害など災害時や今回のような非常事態宣言の時にラジオが一番最初に言うのが「大丈夫です」と「落ち着きましょう」そして「みんなでがんばろう」です。テレビは悪意に共感しやすくラジオは善意に共感しやすいです。
赤江さんはテレビとラジオの両方で活躍してきたので、おのおのの特性を熟知してるんでしょう。テレビ関係者はワイドショーが世間からどう思われているのかを赤江さんに聞いたらいいのにね・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

緊急連絡! - 2020.05.04 Mon

らいか からの緊急なお知らせです。

 もうすでに手遅れになっちゃっていますが、NHK 総合 5月4日 午前0時10分から「未来少年コナン」のデジタルリマスター版の放送が始まりました。すでに1話目は終わっています・・・
本来は「キングダム」というギスギスした長編アニメの第3期を放送する枠だったのですが、新型コロナウイルスによる感染拡大を防止のため新作アニメの制作が困難になっています。「キングダム」の中断で余った放送枠で「未来少年コナン」を再放送という英断です。
自分は今日の朝起きて聞かされたんですが、何と相方が録画してくれていました。Blu-rayに落としたそうなので全26話ためてから一気に観る予定です。録画履歴を見たら「君の膵臓をたべたい」も録画されていました。面白いのかな・・・これ?

 緊急連絡なのは、まだ「未来少年コナン」を観たことがないアニメファン、世代が違いすぎて名前も知らない人、当時観たけどもうアニメなんか卒業しちゃった人など・・・ すべての人にとりあえず観てください。本当は現在アニメーターやその制作にかかわっている方々に観て欲しい作品です。できればエヴァのアノ人や天気のアノ人、ジブリ卒のアノ人にこそ観て初心を思い出して欲しいです。
この作品がテレビアニメの初心だと思っています。100馬力のロボットではありません。
「未来少年コナン」はあの宮崎駿さんのアニメ監督デビュー作です。自分は宮崎アニメというか宮崎駿さんをブログの中で褒めたことがないかもしれませんが、それは「コナン」や「カリオストロ」を作れるのに作らないからです。アニメで視聴者(子どもたち)へ伝えるメッセージと活劇(ストーリー)とのバランスがこの頃は絶妙だったんです。無邪気にアニメを楽しめる速度を止めずに、賢い子には伝わるくらいのバランスです。最近の作家監督たちは視聴者にテーマを押しつけたり、理解しようとしない視聴者を見下したりする傾向だと思います。この頃の宮崎駿さんたちはちゃんとしたアニメを作れば、作品は何人かの心に残るというスタンスだったと思います。ハイジにしても、母をたずねてにしても・・・
何よりも宮崎駿さんはもとより作画監督に大塚康生さん、原画に高畑勲さん、近藤善文さん、友永和秀さん、絵コンテに高畑勲さん、富野由悠季さん・・・錚々たるメンバーの共演です。ストーリーが退屈だとしても動画だけでも観てみてください。
現役の中高生には「今さら古典アニメなんて・・・」って思うかもしれません。現在のデジタルアニメは美しく正確にメカが動くけど、3Dプリンターで作った造形のように思える時があります。「データ通り出力しました、まったく同じモノをいくらでも量産できます」と自慢している印象です。
手描きセルアニメはデータ入力に頼れないので、すべてを絵描きがちまちま描いています。それは木工品の手ざわりに似た柔らかいアニメです。木工品のようなアニメってなんだ・・・?
タイトルは「コナン」ですが某名探偵の未来編ではありません。初出が42年前なのですべて手作業で作られた動画です。1話を見逃したとしても2話目からでも十分に間に合います。いかにも主人公なヤツがコナンで女の子はラナです。1話目のラナは不細工で評価が率いのですがどんどん可愛くなります。何故ならば制作スタッフが元祖ロリコンだからです。

   ブログ画像 ファルコ JPEG

以前に書いた記事用に描いたファルコの使い回し画像です。

 とにかく録画すべし! お子さんのいる方は無理矢理でも観せてあげてください。今風のジェットコースターのような展開のストーリーではありません。全26話でよっくりだけど確実に進むストーリー構成とか、ドラマの中でキャラクターが勝手に動くというのを楽しんで下さい。未来少年なのでSFなんですが、全編観ていて意味不明な設定や、謎オチでごまかすようなシナリオもありません。ちょっと難しいと感じたら親御さんが一緒に観ながら解説してあげてください。対象年齢は当時の小5男子くらいだと思いますが、船とか飛行機がいっぱい出ますから小さい子でも大丈夫だと思います。

疑う前にとにかく観るべし。議論はそれからだ・・・!


「ほぉ」って思ったら押してね

緑色の N360 - 2020.05.02 Sat

不要不急のプラモデル作り第二弾。

 不要不急の外出自粛やJリーグの開催未定にともない、前回からスタートしたプラモデル作りの第二弾です。「趣味はまず道具から」をモットーに揃えるだけ揃えたんですが、個人的にはまだ習作の段階だと思っています。プロじゃないんだからちゃんと作る必要もないし、モデラーのような作品を作れるとも思えません。
模型屋さんのディスプレーに並べるとか、制作依頼を受けるというレベルでプラモデルを作ってる方々もいます。このレベルは褒めてもらえるという段階を越えていて、一定のクオリティーを義務づけられている本気の人たちです。前回の記事で趣味とは自分のゴールを自分で設定するものと書きましたが、本気の人たちのゴールは依頼者やメディア、プラモデルファンが期待値に応えるというゴールを設定します。誰からの期待も集めていない不要不急のモデラー?にも期待する人が必ず一人います。ソレは自分自身ですね。それを専門用語で「自己満足」と呼びます。
最初に作った赤の N360は作ってみたいという欲求を手の余らないという大きさで満たしてくれるから選んだモデルです。しかし出来上がりに関してはいろいろなトラブルに見舞われたりで必ずしもサクサクと作れたとは言いがたいです。作りながらも「こーすれば、あーすれば・・・」っていうところがおおいんですよね。
したがって2作目は N360 のリベンジです。じつは3作目も4作目もHONDA N360 の予定です。同じモデルは作ることでスキルアップを明確に実感するというのが狙いです。本当は同じクルマがいっぱいあったら楽しいってことなんですけどね・・・


 つくづく日本のプラモデルは誰が作っても出来上がるように設計されていることを実感します。海外のプラモデルを触ったことすらないんですが、ネット情報だけでもユルユルかキツキツが多いようですね。誇れるのは日本の工業製品の精度の高さなんでしょう。小学生でも大人でも平等に同じ完成度を得ることができるのがプラモデルのいいところです。目の良さと根気は小学生には勝てませんが、大人は好きなだけポチって塗料やキムワイプを買い放題です。今回、新に気がついたのはキムワイプよりもケイドライのほうが柔らかくて使いやすいということでした。
今回の作品はHONDA N360(NⅠ)です。前のクルマとどこが違うのかといえば、前回作ったモデルは(NⅡ)でした。NⅡと NⅠはゲルググとゲルググ イェーガーほどの違いはありません。ドムとリックドムくらいの違いくらいのイメージです。そもそも NⅠのマイナーチェンジが NⅡなので、ウインカーの形状やエアダクトのカバーなど間違い探しレベルの変更点です。
2台目のテーマはメタリック色で塗装することです。クルマといえばメタルックなんですが、当時の実車の画像で緑色メタリックのクルマが少ない&レストアで塗装し直したクルマばっかりでした。
N360 の商品展開のキモは「カラフル・ホンダ」というキャッチコピーでした。当時の広告では13種類のボディカラーが設定されていて基本は白、赤、アイボリー、緑、青の6色に屋根塗り分けツートンなどが選べたようです。この発想は初代シティカブリオレの12色設定などホンダに脈々と受け継がれているようです。
今回狙ったのは設定色のオーロラ・グリーンです。オーロラだからメタリックなんでしょうが、イマイチ色合いがハッキリしません。当然ながらそーいう名前の塗料なんか売っていません。
先輩モデラーさんたちの作例でも、赤や白のような普遍的イメージの色と違ってメタリック・グリーンの統一した色調が見当たりません。実車で緑色の生き残りが少ないのは当時から不人気色だったのかもしれません。メタリック塗装は割増価格だったのかもしれませんね・・・
自分のカーモデルのモットーは自分の満足であって当時を忠実に再現することではありません。自分は永年のホンダ車ユーザーなのでホンダのヘンテコな設定色(この色は誰が買うのか?ってディーラーの人に聞いちゃうような色)には慣れてます。当時のホンダのデザインチームがやらかしそうなホンダ色の緑色を作ろうと思いました。
クレオスのMr.カラーの中にメタリックグリーンというそのままズバリな名前の塗料があります。これでいいじゃんって思うのですが。きっとこの色は綺麗すぎちゃうからイメージに合わないと推理しました。何よりも色をする調合する気満々なので、メタリックの青竹色(いかにも怪しい名前)に普通の緑色を足して色味を揃える作戦にしました。
狙い通り、青竹色は名前の想像をしのぐヘンな色でした。この色って何を作る人が買うのかな?って感じの色ですが、瓶のラベルには「日本陸海軍機内 他」って書いてあります。そういえばホンダのインテグラを買うときにカタログにコレと同じメタリックカラーがありました。だからホンダのデザイナーは油断できないんですよね。この色は緑とは言えないのでソリッドな緑を足しながら様子を見ていたら、思いのほか綺麗なメタリックグリーンが出来ちゃいました。そもそも格好悪い色を作るはずだったのですが、せっかく綺麗な色が出来たのならそっちのほうがいいに決まってます。クルマのオーナーは自分なんだから。
塗装といえば前回は室内の指定色がセミグロスブラックとつや消しブラックで指定通りに塗ると、室内の中が暗くなっちゃってシートとかが主張しなくなっちゃいました。現車は当然ながら黒のビニール地のシートなんですが、輸出用のN600(国内用はバイクの450CC エンジンだけど輸出用は600CC のでかいバイク用エンジン)では、内装が赤っぽかったので自由に塗らせてもらうことにしました。イメージは安っぽいタンカラーのビニール地です。
カーモデルの匠たちはプラモデルの金型やコストの都合でオミットしたディテールを実車の通りに改造することを是としています。そーいう努力は否定するどころか憧れるばっかりなんですが、ガンプラのようなアイルランドに配備されたザクとか自分で設定をでっち上げるのは楽しいです。なまじカーモデルは現実に存在するから、正しいとか間違ってるとかの論議になりがちだと思います。そこで重要になるのは「自己満足」という魔法の呪文です。



 完成品の Honda N360 (NⅠ)です。

ブログ用 N360 G2
 ツヤツヤなメタリックだけどソリッドを混ぜてメタ過ぎないようにしました。

ブログ用 N360 G6
 赤バージョンでは付けなかったフォグランプも標準装備。

ブログ用 N360 G4
 2台あると可愛さも2倍になりますね。

ブログ用 N360 G7
 多少ですが内装のシートが明るい色だと情報量が少し上がります。

ブログ用 N360 G 1
 小っこいからたくさん作っても邪魔にならない・・・


 制作時間はおおまかに実働1週間くらいです。素組みで完成させるんだったら1時間かかんないくらいだと思います。何に時間がかかるのかといえば圧倒的に塗装を乾かす時間です。それとつやつやに磨く工程ですね。漠然と振り分けるとしたら磨きたい人はカーモデル、汚したい人はミリタリー、綺麗なミリタリー好きな人はガンプラっていう感じなんでしょうね。
すでに次回作にも取りかかっています。次のテーマはレーシング仕様とカフェレーサー仕様です。レーシングカーは車検を通さないから自由度が高いし、当時のツーリングカーレースの生き証人たちも減っているんだから好き勝手に作れます。それこそアイルランド配備のザクのようで、福井がその設定は違うと言ってきても「お前のガンダムのほうが違うんだよ」って言い返しましょう。
カフェレーサー仕様は「男だったら最後はカフェレーサーだろ」っていうアレです。カー雑誌でいえば二玄社とネコ・パブリッシングに影響を受けた者にとっては、カフェレーサーやガレージのある家は理想のライフワークです。三千円のプラモを作ってる場合じゃないんですけどね。
自分は中古でCR-Xを買ってカフェレーサーを目指してイジっていたんですが、維持できなくて挫折しちゃいました。だって壊れるんだもん・・・ ガレージも固定資産税がかかるからねぇ・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

誰がワニを殺したか? - 2020.04.16 Thu

きくちゆうき さんの「100日後に死ぬワニ」です。

 今年、一番話題になったマンガが「100日後に死ぬワニ」です。200万人以上のフォロワーが読んでいた計算になります。しかし200万人が読んだからといって、200万人のフォロワーと200万部の発行では意味が違います。突然クローズアップされた「鬼滅の刃」は累計2500万部です。果たして今年の終わりに「そーいえばワニのマンガも今年だっけ?」ってなるのは目に見えています。
この作品の印象を一言でいうなら「いろいろ間の悪い作品」っていう感じでした。クライマックスの100日目が近づくにつれ不自然な感じでテレビのワイドショーに取り上げられ、いざ100日目の日には朝から全国放送でネタばらしをされちゃいました。
自分も朝のワイドショーで紹介されたコマと最終回のオチを見ました。ラストの花見エンドは全国的に花見は自粛と言われている中でした。ワニが死んで一週間後には日本のエンタメの至宝ともいえる志村けんさんの訃報で、普通の人たちはワニの死なんかどーでもよくなっちゃいました。
どーでも良くなかったのは電通案件で炎上させたアンチの人たちだけで、そのヒステリックなニュースに普通のワニ・ファン?もシラけちゃったようです。



 先日、TBSラジオの「伊集院光とらじおと」のゲストに「100日後に死ぬワニ」の作者で時の人のきくちゆうきさんが出演しました。何を聞いてもOKということで、何だか不祥事を起こしたお笑い芸人のような扱いでした。きくちさんの弁明は3日目ころにはすでに出版化のオファーが来ていたとのことです。これは電通ではなくて小学館だと思われます。ネットで炎上していた電通のプロジェクトというよりも、小学館の編集部のアンテナの感度が良かったというのが真相っぽいです。
真相という日本語は“本当の事情”という意味なので、伊集院さんときくちさんが真実を話したという証拠はありませんが、ネットユーザーの推理のことではありません。推理とは“判ってる事実から判っていない真実を想像すること”です。
ネットの中で流通している真実はすべて想像似すぎないという認識が必要です。書いている人のすべてが当時じゃではないから。某専門家とか某ジャーナリストなども当事者ではないので、彼らも想像の発言に過ぎません。
自分はこの作品に関する世間(という名のネット住人)の反応に初めから違和感がありました。最初にワニのことを知ったのは、もしかしたら「伊集院とらじおと」で伊集院さんから聴いたのかもしれません。100日をカウントダウンしていくネットマンガがあるって知ってから、しばらくして日テレの「ZIP!」で紹介されて実際の絵を見ました。
意外だったのは想像していた以上に絵が上手だったということでした。もっとシロートが一発ネタで始めたのかと思っていたら、きくちさんはプロのイラストレーターの肩書きがある方でした。
鉄拳さんのパラパラ漫画のような絵だと想像していました。とくに最終回のラストのカットはわたせせいぞうさんのイラストをヘタにしたような感じでしたね・・・
テレビが反応しだしたころにはネットで話題になっていたんでしょうが、200万人のフォロワーはこれらのマスコミ露出からの追っかけフォローだと思います。だから批判している多くのコメントにある「100日間読んできて最後に裏切られた」はアヤシいですね。
小学館は3日目の段階で「100日後まで読んだ読者は、こーいう気持ちになる」と推理したんですが、クレーマーの方々は100日後に初めて読んだのに「もしオレが100日間コレを読んでいたら、裏切られた気持ちになるハズだ」と推理して批判してるんでしょう。何しろ、きくちさんが電通とグルじゃないという証拠がないのと同じように、すべてのクレーマー読者が1日目から読んでいたという証拠もありません。



 今回の批判が集中した原因についてはラジオに出ていたきくちさんも、あまり理解していないような印象でした。最終回から初七日も済まないうちにメディアミックスがスタートしたことに対する迂闊さは反省していましたが、一貫して動き出した大きなチカラは自分では止められないとのことでした。大きなチカラ=電通という邪推にもつながるコメントですね。
実際には電通ほどじゃないけど代理店的なプロデュースは受けていたので、商業主義的な何たら・・・の言い訳にはなっていません。ワニ擁護論派として現役クリエーターの方々が「儲けて何が悪い?」って言い出しちゃっいました。きくち さんはプロのイラストレーターだから、100日間も利益のでない仕事をしてちゃヤバいです。自分たちのような趣味じゃないんだから・・・
しかしこの手の反論はきくちさんにとって何の援護射撃にもならなかったようです。マスコミが炎上のほうを取り上げちゃったんで、よりファンをシラけさせることになっちゃいました。
さすがにラジオを聴いた後に1日目から読みたくなって、菊池さんのサイトへ行ってみました。それまでは全く興味がなかったのだから、炎上効果と言えるかもしれません。正直な感想は100日のうちにテーマを意識した日が数日、日常の展開としても面白い日が数日、残りは日にちを埋めているだけっていう印象でした。
ネットの評価や伊集院さんの評価で多かったのは『一見するとどってことない日常なんだけれど、そコマの下に死ぬまであと○○日って書いてあるとマンガの中の日常が別の意味をもってくる』ということでした。この意味を持つっていうのは「ああっワニ君、そんなコトしたってあと何日で死んじゃうのにね♡」ってワクワクしながら読むっていうこと? それとも「死にことなんか普通は考えずに暮らしてるんだから、自分も一日一日を大切に生きなきゃ」って思うこと? 
この作品の正しい感想は「ワクワクしながら読む」ではないようです。正解が「日々を大切に」だとしたら、先程の商業主義の是非のほうの正解とくっつけると「日々を大切に生きる話だけど、それで儲けるのは賢いやり方」っていう感じですね。
自分の基準でこの4コママンガの単行本が売っていたとしても買わないと思います。せっかく設定で勝利したのに、マンガを面白くすることをしないのは何でなのかな? あえて面白くしないっていうマンガは結構あります。きくちさんも「どってことない日常だからグッとくるんです」って考えたんでしょう。でもその考えって、4コマのネタがつまらないことの言い訳になるのかな?


 死を扱う作品なんだから笑えるかどーかの問題ではないっていうのも一理あります。別に笑えなきゃ面白くないということでもありません。しかし4コママンガだったらマンガで引き込まれなきゃ、やっぱり面白くないと感じてしまいます。
きくちさんを批難していた人たちは「感動を商業主義の論理で台無しにされた」という言いますが、ワニが死ぬのを心待ちにしていた人たちほどガッカリしたと思います。100日後に1日から一気に読んだ人たちにとっては、カウントダウンは残りページ数でしかありませんでした。
ラジオできくちさんは伊集院さんに「自分の幼なじみの親友が突然死んでしまった過去を話していました。それが「100日で死ぬワニ」を作った動機であり、自身が1年間、何も手につかないような状態だったとのこと。このハナシが真実なのか電通のシナリオなのかは判りませんが、さすがに疑うような筋のハナシではありませんよね。
自分はワニに思い入れも嫌悪感もなかったのですが、この言い訳だけガッカリしました。そのことで話題になりたいのなら初めから「このワニは亡くなった親友の思い出です」っていえばいいです。そーいうハナシ強くシンパシーを感じるネットユーザーも多いです。元ネタを隠すのなら親友のプライドも含めて最後まで隠すべきでした。金儲けの作り話と言われたことへの反論のために「作り話ではなくて実際にあった本当の話です」って言っちゃうのはナシだったと思います。
物語は真実が偉くて架空は欺瞞ということではありません。ましてや物語で儲けるのは不純で無償が尊いのでもありません。自分はむしろ作者の経験や人生の不幸などを作品にするタイプの実話ストーリーを作る人に期待をしていません。身内の不幸を作品にするのは作家人生で1度しか使えない禁じ手です。死んだ恋人のことを書いてヒットしたら次は親との死別を書くの?その次は誰が死にの・・・? こーいう作家を自分は柳 実里タイプって呼んでいます。
べつにワニの死が本当のことかどーかが問われていたんじゃありません。そもそもワニなんだからファンタジーの世界で成立していた話です。だったらネズミがきくちさんだとか先輩って誰のこと?とか「隠された謎が明らかに・・・」っていう類いの作品でもありません。
今回のワニも読者が「殺さないで」っていくらお願いしても、作者のなかのワニの中の人は死んでいるんだからそーいうシナリオは聞き入れられませんでした。作品のタイトルが「100日後に死ぬワニ」なんだか100日目でキッチリ死ぬのを見たい読者を裏切ることもできません。
伊集院さんのように制作意図を拡大解釈して評価してくれるスピーカーがいたので賛否が上手いことわかれたんですが、一般マスコミ(テレビ、ラジオ、一般誌)では絶賛されネットなどでは酷評っていう印象です。まさに電通などのチカラが及びやすい利害関係のありそうな人は擁護派で、一銭にもならない人たちが言いたいことを言ってる図式ですね。


 不幸だった経験を作品にする人よりも幸せなのに不幸な作品が作れる人のほうを信頼しています。できればハッピーエンドな作品が読みたいんです。
自分は人が死ぬことでは感動はしません。生きている人に感動したいんだから・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
マンガの描き方を考えるブログです
(ネタバレの可能性があります)

は記事の内容に「ほぉ」と
思えたら押して下さると嬉しいです

最新記事

訪問していただいた人数

月別アーカイブ