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2019-04

平成最高の少女マンガ - 2019.04.21 Sun

平成最高の少女マンガを決めてみる。

 新元号が発表され平成でいられるのもあと僅かになりました。思えば平成を「貧困の時代」と一括りにするほど昭和が豊かだったのか?って印象です。平成が不幸に思えるのは戦後の昭和にできた幸福のスタイルが、平成になってルールが変わっちゃったからでしょう。昭和に信じられていた幸せも、平成の新ルールでは通用しなくなりました。多くの年配者は旧ルールの幸せを手にできましたが、若年になるほど昭和的な幸せを手にするのが困難になります。
昭和は戦後のどさくさで集団就職してきた中卒が独立して中小企業の社長のなれる時代でした。そのバカ息子が2代目社長になれたのが昭和の幸せのパターンです。集団就職から立身出世した人は才覚と努力を惜しまなかった人なので全ての人がそうではありません。しかし分相応の努力と勤勉さがあれば成功した人の元でそれなりの幸せになれたのが昭和です。
平成になると全てのルールが変わったので、努力しても勤勉でも中小企業の社長にはなれません。なれるのは新しいルールに適合した人たちです。新ルール下ではバカ社長の会社も潰れて行きます。もう利口な息子でも継ぐ会社が残っていないです。成功者の元で勤勉に労働しても、生涯を保障してくれる人などいません。これは日本の幸福感が壊れたのではなくて、昭和の幸福論が平成に通用しなかっただけです。新元号の令和の時代に昭和のような幸福を求めることはナンセンスですね。
自分は昭和の価値観では不幸なのかもしれませんが平成は結構楽しく過ごせたと思います。責任ある地位でバリバリ働いていい酒といい女、タワマンの上層階で息子も国立大・・・っていう感じではありませんが、いい年して好きなだけマンガを買ったり、サッカー観戦で地方遠征したり・・・昭和だったら「いい年なんだから卒業しろ」って言われたことを全てやってる感じです。昭和のルールではNG だが平成の幸福感でこそ受け入れられたのが、みうらじゅんさんや所ジョージさんでしょう。ZOZOの前澤さんよりも所ジョージさんのほうが羨ましいのが平成の幸福感ではないのかな?所さんも金はスゴく持ってるだろうし・・・
平成を災いの多い元号とするコメントも多いですが、第二次大戦があった昭和の方が沢山の人が亡くなっています。

 平成になって物語のネタが変わったのは冷戦時が終わったことで西側・東側といった勢力関係でストーリーが作れなくなったことです。悪い組織はみんなソビエト風独裁国家にすれば、自由主義対独裁者とか恐怖政治などのストーリーが簡単に組めました。平成ではテロリストがソビエトの代わりに悪役を演じてますが、ソビエトとは国家であり思想だから、ストーリーに意味が存在したんです。しかし、テロリストと戦う場合は彼らの言い分は往々にしてワガママや幼稚な思い込みだから、戦いが害虫駆除っぽくなっちゃいます。宇宙怪物やゾンビと戦う作品も害虫駆除っぽくて真面目に観ようって気にはなりません。物語の基本は人間対人間(殺し合いではない)の関係性だけが重要です。たまに動物を眺めてるだけの作品なども存在しますが、意思や気持ちが通じたり通じなかったりするのがドラマのベースです。
もう一つ変わったのが昭和時代から始まった好景気~平成バブルと、崩壊後の価値基準の変化です。平成生まれは基本的にバブル生活を実感してこなかった世代です。ポケベルからスマホって物理的な変化以外にもキャラのマインドが大きく変わりました。
変わったのは主人公の目指す成功や幸せのカタチとかです。男子キャラは普通に大手商社に勤め、女子キャラのゴールは幸せな結婚でした。就職も結婚も当たり前ではなくなった時代では、昭和時代ののんきな幸福感の作品などは通用しません。不幸なのはバブル以前からマンガ家だった人たちは、平成の価値基準の変化が解ってないことが多いことです。


 本題の『平成最高の少女マンガ』を決めたいのですが、30年の中から1本を選ぶのはちょっと無謀だと思います。あくまでも自分にとっての最高だから勝手に選ぶだけなんですが、世の中の最高とあまりにもかけ離れた結果というのもヘンでえすよね。個人的過ぎるのだったら紺野キタさんの優勝でも満足ですが共感は得られません。「NANA」や「セーラームーン」だったら世間の売り上げ的には最高なんでしょうけど、自分は共感できません。「ちはやふる」だったら内容もセールスも共感も全部クリアできますが、未完の作品は最高かどうかがまだ決まっていないから選外です。(クライマックスがへっぽこな作品も多いので・・・)
作品のタイプで分けてもいいんですが、ザックリと平成の前記・中期・後期で3作品をノミネートしたいと思います。


 前期部門 「おいしい関係」 槇村さとる 著

 中期部門 「のだめカンタービレ」 二ノ宮知子 著 

 後期部門 「海街diary」 吉田秋生 著


平成前期というのが記憶の中で昭和後期とごっちゃになってる方も多いと思います。「スターウォーズはどれから平成作品だっけ?」って感じです。
次点を挙げれば「ハチクロ」とか「ごくせん」とか「潔く柔く」とかキリがありません。おいしい料理を決めるとか歴代最強のベストイレブンを決めるというのも、大体がそんなモンです。
次回はそれぞれの作品について書いていきます。


「ほぉ」って思ったら押してね

キセルもダメな理由 - 2019.03.20 Wed

「りぼん」で連載中の津山ちなみさんの「HIGH SCORE」におけるタバコ描写の禁止について

 集英社が社内規定により少女マンガ誌「りぼん」でのタバコ描写規制により、津山ちなみさん自身のツィート「HIGH SCORE」の作中のキャラにキセルを持たせる事ができなくなったと公表して話題になっています。りぼんは女児向けの少女マンガ入門誌ですが、この「HIGH SCORE」は自身の表現だと「りぼんっ子(りぼんの愛読者)が最初に触れる変なマンガ」という位置づけで、りぼんの看板ギャグマンガだそうです。
喫煙表現が指摘されたっといっても女児を不良に導くダークな表現だったうぇあけでもなく、某海賊マンガに出てくるキャラのようにシンボリックな小道具としてのタバコだったそうです。過去にタバコを吸うのはNG、煙の表現もダメと規制が厳しくなっていったとのこと。だったらキセルを持ってるだけならってことでしたが、集英社はタバコ、キセル等の所持も禁止という結論を出しました。
このツィートに対しては様々な意見が寄せられて、「みんながそんなにりぼんをよんでいるのか」と感心したんですが、現役のりぼんっ子からの意見は皆無のようです。「わたしたちのレイジからキセルを取り上げないで」っていう抗議は少ないようです。レイジとは主人公のお父さんの名前です。作中のキャラへの同情論も今月号を買ってるりぼんっ子じゃなくて、昔読んでいたか読者サイドからのコメントの体で書かれたコメントっぽかったです。
読者のりぼんっ子を飛び越えて、喫煙表現の是非と表現の自由、喫煙権の議論になっちゃいました。

 一般人のタバコに対するスタンスは以下のように分けられます。

タバコを吸う 1 法律で認められてる・納税者・個人の自由は憲法で保障されてる
       2 世間が逆風なのは解る・迷惑をかけないように吸っている・やめる気はない
       3 やめたいのは山々だがやめられない・禁煙は考えてる
       4 以前は吸っていたが禁煙できた・吸う人の気持ちは理解できる
       6 禁煙が完全に成功・今やアンチ喫煙の急先鋒

吸わない   1 自分は吸わないが吸う人はとがめない・吸われても平気・吸う自由を尊重
               2 吸う吸わないを分離、共存を目指すべき
               3 吸う人には苦々しく思う・近親者の喫煙はやめて欲しい
               4 健康被害や社会コストを考える・積極的なルール改正を希望
               5 喫煙者が憎々しい・喫煙者は駆逐するべし

自分は吸わないの3「苦々しい、近親者はやめて欲しい」に入ります。両親がヘビースモーカーだった反動で幼稚園児こ頃からアンチ喫煙論者でした。彼らは死んでもやめないと公言していましたが、晩年入院した時に主治医にタバコをやめなければ死ぬよ」と脅されてピタっとたばこをやめました。ソレを聞いたとき「吸って死ぬのが本望じゃないのかよ?」って言いました。結局は肺で死んだんですけどね。
上記の分類を踏まえて津山ちなみさんの記事へのコメントからりぼんのい編集部の判断の是非を考えてみたいと思います。




津山ちなみさんのツィート記事へのコメント

『 この考えだとりぼんでは昭和50年より前の話を描くのいは難しくなると思う。タバコを出さないでもその時代の話を描くことはできますが、リアリティを重視すると違和感が出ると思います。それともりぼんの毒医者層が小中学生の児童・生徒が多いので、そこまでリアリティを出さなくても大丈夫と考えてるんぼでしょうか?だとしたら読者を舐めてるとしか思えません。
(私自身は低学年時に「キャンディ・キャンディ」を読んでましたが子どもだからと手を抜いて描かれていたら読んでいなかったと思います)』

作中にタバコが出ることえをリアル(自然)と感じる人は意外と多い印象でした。しかし彼らは不自然は喫煙シーンが全くない作品ではなくて、喫煙シーンが規制されたときに「喫煙を描かないのは非自然だろ」って反応するようです。次元は作中タバコ肯定者のシンボルキャラですが、不二子は吸ってほしい世代と吸っちゃダメな世代に分かれそうです。それは「ルパン三世」を観た時代によるんでしょうが、不二子というキャラこそが吸わないことが不自然です。不二子と得意技はマシンガンやバイクよりも高級クラブのホステスのように金持ちにすり寄るワザだから。


『 何でもかんでも良くないものは排除という傾向になっている時代ですね。見せないさせないとしても興味がある人はいろんな手段でてにいれようとするのだから、いい事も悪い事も全て見せて学習させたほうがいいのではないかと思います。』

「排除しない」という寛容な自分に意見に酔ってるパターンです。何でりぼんで悪いことを見せて児童に「タバコを吸うか吸わないかは君達が自分で考えて選択しなさい」って言わなきゃいけないのかっていう当たり前のことが欠落した意見です。


『 性や暴力描写が子ども向けマンガでもどんどん過激になってるのに、違法行為ですらない喫煙がアウトってわけわかんない。』

以前から少女マンガの性描写がジャンプやマガジンのオッパイ描写の比ではないくらい過激なのが問題視されてました。当然、安易に子どもをエロで釣ろうとする出版社もマンガ家も猛省すべきです。しかし違法ですら無い成人の喫煙描写がアウトなことが「わけわかんない」人も多数いました。わけわかんない原因は「法律に触れる描写がはNG」なんて誰も言っていないことを知らないで書き込んでるからです。

『 喫煙を取り締まって子どもが名探偵コナンを娯楽として楽しむのってどうなのって思うね。』

非常に多いのが「名探偵コナン」と大河ドラマ「いだてん」を引き合いに出すコメントです。コナン系は「喫煙=合法 殺人=犯罪」なので犯罪はよくて合法を禁止?何それ、ハハッ・・・っていう人たちです。いだてん系はNHKが受動喫煙撲滅機構という何じゃそりゃな団体からのクレームに謝っちゃったことで、集英社も事なかれ主義で臭いもの(喫煙描写)には蓋をという対応に腹を立ててる人たちです。

『 恐ろしい。検閲じゃないですか、喫煙だから検閲しても良いとか言ってるうちに徐々に検閲の範囲が広がってきますよ。禁煙ファッショの方々は長い目で物事を見る事ができないから気づいてないかもしれませんが・・・
コナンにふれてる方がいますがコナンの世界では地は黒いのですね。どこの惑星なのか存じ上げませんがこういうのも検閲です。憲法違反なのですよ。』

コナン系、いだてん系の行きつく先のコメントです。この検閲ファッショの人が長い目でりぼんを見る事ができないのはあきらかです。自分はファッショという言葉も死語になったと思ってたら久々に文字で見ました。
コナンの血が黒いのは知りませんでしたが検閲が怖いのか宇宙人が怖いのかわかりにくいでね。それくらい検閲が怖いようですが、憲法違反ってすぐに口にする人たちは憲法が大好きですね。憲法を大切にする良き日本人を目指してるんでしょうか?名探偵コナンを観ながら・・・

『 タバコはダメで性描写はいいのか。そっちを規制すれば?最近の少女マンガは低年齢でセックスしていてびっくりする。』

この意見は表現の自由やメディアのあり方、検閲、憲法違反などのハナシではなくて、少女マンガについてのコメントです。そもそも津山ちなみさんがツィートしたのも「作中でキャラのキセルを描けなくなった」旨であって、集英社が体制や大衆におもねって表現を弾圧してきたっていってるワケじゃないです。
考えるべきは少女マンガにおけるダークな表現(タバコや飲酒、薬物、暴力、虐め。虐待、犯罪、反社会的行為・・・)をどう表現するか?もしくは表現しないかです。
コメントの通り低年齢での恋愛=セックスという安易な作品は大問題で、喫煙シーンみたいなダメの一声で解決できない難しい問題があります。ややこしいですが犯罪シーンと喫煙シーンが同等ではないようにセックスシーンと喫煙シーンも同等ではありません。

『 常にパンツ一丁の男子高校生はオッケーなのか?』

元りぼんっ子?からの嬉しいコメントですね。このパンツ一丁は性描写でも犯罪描写でもなくモラルの欠如です。そもそも「HIGH SCORE」はモラルをぶち壊すタイプのギャグマンガなので答えはオッケーです。男子が女の子キャラのパンツでキャッキャ言ってるんだから、女子だって男子高校生のパンツくらい問題ないですよね。
憲法好きの人も「どこの惑星・・・」とかウィットがある自分に酔ってるんでしょうけど、この議論の中にパンツ一丁男を出すユーモアがいいですね。パンツ一丁は集英社が大企業の圧力から守ってくれたキャラで津山ちなみさんも感謝のコメントを出してました。よく知らんけど・・・

『 喫煙描写を自粛するのではなく喫煙を格好悪く描くのが効果的じゃないかと思う。今のの本の喫煙者は幼少期に俳優やマンガの登場人物が喫煙する様を格好よく描かれていた影響で吸い始めた。その逆をやればいい。』

これは「喫煙は反対だけど描写の禁止までは行きすぎ」という立場でしょうか?キャラを格好よく描かないのならいっそのこと描かなくてもいいのではって思います。キャラをおとしめてまで喫煙の有害性や禁煙者をデスる必要もないです。少女マンガが率先して喫煙キャンペーンをするほうが政治的で最悪な事態って感じがします。ただし、憧れの俳優やマンガのキャラの喫煙がタバコの拡販につながっていたのは事実でしょう。当時のイメージですがW浅野のドラマの影響で、女子社員が喫煙を隠さなくなったように思います。ドラマの影響で喫煙者が増えたかどうかはわかりませんけどね。

『 法律で禁止されていない範囲で普通に登場キャラが喫煙する分には、そこをNGにしたりクレームをするというのは過剰反応だと思う。むしろ何十人もの登場キャラがいて喫煙者が一人もいないほうが不自然では?』

ネットでは法律で禁止されているかどうかを善悪の判断基準にしてる人が多いのが興味深いですね。
喫煙者が一人もいないのが不自然だとしたら、何人が喫煙していれば自然な表現なのでしょうか?去年の喫煙率は男性が27.8% 女性が8.7%です。20代男性だと23.3%です。10人に2人は喫煙キャラが必要なバランスですが、10人くらいが集まってみんなで禁煙席っていうのもそんなに不自然なシーンではないのでは?過去の喫煙のピーク時は喫煙率80%を越えていました。その時代だったら喫煙者が出てこないではたしかに不自然と言えますね。それは「いだてん問題」であって「少女マンガのタバコNG問題」とは別の話です。

『 少女マンガ誌でタバコ愛好者禁止、良いと思う。これがビジネスジャンプとか成人向け誌面で禁止になったら行きすぎだと思うけど。
例えば、小学一年生という雑誌があるけど保護者が飲酒や喫煙、パチンコや麻雀、競馬している描写なんてでてこない。それでいいと思う。』

かなりフラットな意見だと思います。少女マンガだから特別視するのか?とか少女マンガだって例外じゃないとかの意見が多い中で、「それでいいと思う」とコメントした人は少なかったです。

『 まぁ相対的に言ってタバコを吸う人はろくでもない人が多いので・・・』

こーいう言いっぱなしのカタルシス発言がネットでの議論を一言で無価値なものにしちゃう例です。相対的にいうならば喫煙者の人口のほうが禁煙者の人口よりも少ないのだから、ろくでもない人の人数は禁煙者のほうが多いの考えるべきでしょう。

『 とりあえず喫煙シーンのあるマンガを見ると喫煙率が高くなるという客観的な証拠を出そうよ?話はそれからだ。
暴力表現もそう。ハーバード大だかの研究をして「いや、結果は特に関係なかったよ?」ってデータがある以上、逆に関連性があったとするデータは「一つも」無し。
あるわけないんだよ。家庭環境以上に人格形成に影響がある二次作品なんてあれいえないだろ?』

いかにも格好いいネット啖呵ですが「データを出そうよ」って言ってる当人の出した「いや、特に関係なかったよ?」っていうタメ口なデータが、ハーバード大なのかオックスフォード大なのか東京福祉大学なのかハッキリさせなきゃ議論になりません。話はそれからだ。

『 マンガに関しては何のためのフィクションなんだろうか。タバコや暴力を描いた上で良くないよまでが教育であり、ただ表現をなくして学ぶ機会を失った無知な子どもを生むだけだがなぁ。』

マンガやフィクションに関する思い込みの問題ですが、タバコや暴力が良くないよと子どもに教えるのはマンガの役目ではありませんし、マンガ家はそういう道徳とはほぼほぼ正反対から出発したメディアです。マンガは有害という教育ママゴンと戦っていた歴史です。
またマンガは学ぶ機会でもありません。




ちょっとエキセントリックな意見ばかりを集めてますが、多かったのは『成人キャラのタバコ禁止はやり過ぎでは?』といった率直な感想でした。元々が津山ちなみさんの書き込みに対するニュースなので集英社がマンガを検閲してることへのマイナスなコメントが多いのは当然です。
自分の意見は概ね集英社の判断に賛同です。少女マンガでの喫煙表現を無くそうということは10年くらい前のマンガSNSでも書いてきました。今のブログでも書いてきたと思います。津山ちなみさん自身もツィートで集英社の方針もりぼんというマンガ誌のことも理解している(キセルを描かないことも納得してる)とのことでした。だったら編集に描いちゃダメって言われたっていう問題提起のようなコメントをするのはどうなんでしょうかね?
作家が表現方法で出版社と対立することは悪いことではないし気持ちも理解できます。集英社やりぼん編集部を批判するのならすればいいし、圧力に屈したんならそう書けばいいです。独立したマンガ家がふざけるなと叫ぶのも圧力怖え~って叫ぶのもアリです。
今回のツィートで書いて欲しかったのは「りぼん編集部はこういう方針で今後のレイジのキセル描写を描かないと決めました。それに対して津山ちなみはこういう考えを編集部に言い、結果として以降のキセル表現は描きませんので読者の皆様もご理解のほどお願いします。」って感じです。
今回のニュースで、あー違うんだよなぁって思ったのは「これは少女マンガの表現のハナシではなくて、エンターテイメントやフィクションにおける喫煙表現の自由への弾圧につながる問題」っていう勘違いな意見になっちゃうことでした。これは行きすぎた禁煙圧力のハナシではなくて少女マンガの表現問題なんですよ。コメントの多くが喫煙表現を無くす事に反対してるけど、コメントしてる人の多くは「りぼん」を誰も読んでいないんですよね。『来月からレイジのキセルがなくなるには寂しい』っていう読者とは集英社も向き合わなければいけません。

 近年の何かとクレームをつけたがる風潮と、企業側のクレームへの忖度には辟易するところがあります。NHKの「いでてん」での謝罪テロップは、面倒な揉め事にはまず謝っちゃう風潮が浮き彫りになった事件でした。「いだてん」後にこのニュースだったので「集英社もクレームされる前に喫煙表現禁止で事なかれ主義なの?」と揶揄しコメントも多数でした。時系列ではりぼんの喫煙NGは最近始まったことではありません。世間に怒られるからではなくてりぼんっ子に対しての編集方針と考えるべきでしょう。
何でりぼんに喫煙シーンを無くすべきかといえば、喫煙は他者の影響以外では始まらないからです。タバコが好きな赤ちゃんや幼児はほぼいないと思います。普通に成長してると誰もがタバコを欲するわけではありません。大体が誰かの入れ知恵です。それがクラスの悪友だったりつき合い始めた彼氏だったり、職場やサークルの先輩だったり、憧れのタレントやキャラだったり・・・20歳になって成人したから喫煙し始める人は少ないでしょう。それはちょっとバカっぽいし。その中のきっかけが少女マンガである必要はないというのが喫煙シーンNGの基本的な考えです。表現の自由とか副流煙の害とかそんな議論はNHKにふっかければいい問題です。
犯罪はOKで喫煙がNGなのが意味わからないという意見も多数です。この意見でみんながコナン君を引き合いに出していました。コナン君もいい迷惑ですね。物語で犯罪を表現するのはOKでもNGでもなく当たり前のことです。成人の喫煙は犯罪ではないのですが健康上の理由でNGです。法務省的にNGなのでは無くて厚生労働省的にNGってことですね。
喫煙するキャラとしないキャラを出して小中学生に喫煙するかどうかを選ぶかを決めさせるのは、オトナとしてあまりにも無責任です。だったらりぼんの中ではその選択をさせないというのは、表現の自由の問題ではありませんよね。
現実の世の中では親から虐待を受けてる児童や性的暴行を受けてる女児、犯罪を強要されてる生徒などいくらでもいます。現実を全て表現する自由が憲法で保障されているからとしても、小学校の先生が女児をレイプする作品をりぼんで掲載してもいいんですか?それを「衝撃の問題作」として描かせちゃう出版社もありそうですが、少なくとも集英社はそうではない見識があると思います。
子どもに何を食べさせるかを考えるのが食育であり、何を見せるのかを考えるのが知育です。子どもが炭水化物を油に浸して塩をかけたフライドポテトを欲しがるけど、それをどう与えるかはオトナの責任でしょう。子どもにはフライドポテトを食べる権利が憲法で保障されているって意見はやっぱりヘンです。集英社はその責任を果たそうとしているんでしょう。

 自分は過去に近親者の喫煙は断固反対する意思を示してましたが、自分と関係が無い人の喫煙まで構うつもりはありません。職場の環境も公共機関の禁煙化も昔に比べたらかなり改善してます。自分のまわりに深いな人がいないのなら、知らない誰かが肺炎になろうが税金を払おうが知ったこっちゃないです。喫煙率80%が30%になるということは廻りに鬱陶しい喫煙者がいなくなるということでした。昔は吸う人の中で吸わない人が逃げなきゃいけなかったのですが、現在では吸う人が吸わない人から逃げなきゃいけない世の中です。横柄に吸う人は全員がとっくに退社しちゃってます。
禁煙者が身近な喫煙者に対して思ってることは健康とか不経済とかではなく「タバコはクサいんだよ」っていうことです。それこそナントカ大の研究データは知りませんが、喫煙者が自分で思ってる以上にクサいです。家族や恋人、同僚や部下など身近に接触している人からタバコがにおうって言われてることでしょう。しかし本当はそれ以上にクサいと思っています。
クサいとウスいは身近な人ほど伝えにくいモンです。気取ったお姉さんでもタバコを吸ってるともの凄くクサいです。喫煙者はクロレッツを食べるとセーフっていう思い込みがありますが、クサい人は何を喰ったってクサいです。憲法に保障された権利でクサくなるのは自由ですが、街や屋内をクサくする自由も憲法に守られてるんでしょうか?通勤時に駅へ向かう雑踏の中で半径20メートル内に一人でも歩きタバコをしているとニオイでわかります。りぼんっ子に限らず喫煙してる女子に健康とか法律など理屈で説得しても聞かないでしょうが「あんたクサいよ」って言い続ければ吸わなくなるようになるんかな・・・?


津山ちなみさんの作品の話ですが、単純にレイジの喫煙シーンを無くすのなら「突然だけどオレ禁煙したんだ。エラい人がから吸っちゃダメって圧力がかかって・・・」ってレイジにセリフで言わせればすむ問題でしょう。そんなに難しい作品論が必要なマンガには思えないですからね・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

影響と才能の関係 - 2019.03.06 Wed

NHKの「SONGS」より、あいみょんさんのアレやコレや・・・(オトナ帝国からの助言)

 先日、NHKの「SONGS」のあいみょんさん出場回を観ました。以前取り上げた西野カナさんに続いて紅白出場歌手のお話です。いうても紅白でのあいみょんさんの出番も観ていませんし、紅白が歌手の評価のバロメーターとも思っていません。今回の記字は紅白ではなく「SONGS」に出ていたあいみょんさんから、興味深かったことについて書きたいと思います。
あいみょんというアジア系な感じの名前は「ドコの国も方?」って感じですが、当然だけどあいみょんは芸名で元々は彼女の友達のあだ名だったそうです。2014年に活動をスタートさせ2016年にメジャーデビュー。今年の3月6日で24歳になります。ついでに中学時代は陸上部で、好きな食べ物はイクラ嫌いな食べ物は魚とキノコ。動物好きで理想の男性像は父親、ドラえもんとラピュタがお気に入りとのことです。これら全部はウィキペディアに載ってる情報で、自分はそれくらいしかあいみょんさんのことを知りませんでした。
アーティストのファンになるということは、その方の発信するメッセージや生き方を支持するということでもあります。それは哲学や信仰に近かったりします。熱心なファンには「知りもしないヤツが何言ってんだよ」とか「知ったかで語ろうとするヤツ、ほんとムカつく~」って思われるでしょう。前回のにしの自分がそうだったからよく理解できます。とくに西野カナさんのファン層に比べて、あいみょんさんのファンの方々はとくに怒りそうな印象なので先に謝っておきます。べつに悪口を書くつもりでもないんですけどね・・・

 あいみょんさんのライブを観たのは今回の「SONGS」が初めてでしたし、フルで歌を聴いたのも今回が初めてでした。知らないにもほどがありますね。西野カナさんの記事のとき以上にあいみょんさんを語る資格はありません。
先入観無しで観たあいみょんさんんの印象は「なるほど、こーいう顔してるんだ」って思いました。ヘンな表現ですがあいみょんらしい顔っていう感じです。同世代の知らない歌手を5人並べて「この中で、どの人があいみょんだと思いますが?」と聞かれても誰があいみょんかを指せるような気がしました。
顔の特徴はユニセックスな表情を無理してやってるような印象。当人は無理してるワケじゃないんでしょうが「コレが私だから」っていう表情が上の世代からは「ガンバってる感」に見えるんです。単純なすみ分けだと西野カナさんのは正反対な顔です。どっちが可愛いとか美人とかでいえばどっちも可愛くて美人ですが、西野カナさんはマジョリティ指向の顔で、あいみょんさんはマイノリティ指向の顔って感じです。
同じような印象の顔を持った歌手で思いだされるのは川本真琴さんです。近年は三角関係でマスコミに名前が出ましたが、デビュー当時は別格の天才ソングライターでした。川本真琴さんは本質がマイノリティ側の人だったんですが、いきなりメジャーセールスになっちゃったので自身の性格とパブリックイメージが合わなくて苦労してる印象でした。
パブリックイメージをマイノリティに寄せることで成功したのがナントカ坂の平手嬢でしょう。どの坂だか判んない人でも平手という名前はイメージできる人も多いです。それまでのAKB商法は同じ味を大量に並べ、どのメンバーも差異なく応援できる環境そのものがウリでした。しかし平手嬢は異質な感じをウリにしているので、努めてマイノリティをアピールしています。
それが平手嬢という存在ありきで始まった企画なのか、もしくは企画に適任な平手嬢がたまたまいたのかもしれません。年配者から見た平手嬢のマイノリティなスタイルは、中学時代の文集を見返すような恥ずかしさでヒェ~ってなります。

 「SONGS」を観る前からあいみょんさんが評価されているというのは耳に入っていました。名前は何となく知っていたけど最近評価されているのは紅白出場したことで「あいみょんっていいよね」という声が音楽ファン以外からも聞こえだしたからでしょう。浦和レッズの森脇ごときですらあいみょんさんのライブに行ってるくらいだから(レッズサポは森脇には敬称略です)
評判の中には「若年層だけではなくミドル、アッパー世代にも共感される」とあります。前出の西野カナさんのファン層は明確に10~20代女子に限定されています。男子で聴いているのは彼女がファンというリア充な人でしょう。あくまでも恋愛現役世代のマイノリティ女子がターゲットですから。
それではあいみょんさんは何で先輩男子にもウケるのか? 調査不足なんですが、あいみょんさんよりも年上の女性にはあんまり受け入れられるタイプの人には思えませんでした。
あいみょんさんは何で先輩男子にウケるのか? そのヒントもウィキペディアに書いてありました。『音楽のルーツはハマショー、拓郎、河島英五、尾崎、オザケン・・・』とのことでした。拓郎はGLAYのTAKUROではなくて吉田のほうです。ハマショーが拓郎より前になってるあたりに若者が歴史を遡った感があります。尾崎も亜美でも紀世彦でもなくて豊です。河島英五さんは「酒と泪と・・・」の人でオザケンに至っては「何でオザケン?どこが渋谷系?」って感じですが、ウィッキペデアに『最初に目指した音楽性はフリッパーズ・ギターのようなモノだった』と書いてありました。
結果的に目指してる音楽の指向はアコースティック指向で往年のフォークソングのような“歌詞にメッセージを乗せるタイプ”のシンガーソングライターです。今さら渋谷系を始めないでよかったねと思います。

 誰の影響を受けたかは楽曲の制作に多大な影響を与えそうなので、そのアーティストへの評価の基準になったりします。簡単に言えば『不平や不満をタレ流してる若者と思われるよりも、拓郎や尾崎のようなメッセージを歌ってる若者』という印象のほうが評価されやすいです。あいみょんさんは絶妙に並べたラインアップが上手ですね。年配者からすれば「いいとこ突いてるなぁ」って思うし、若年層には「聞いたことないけど、名前はなんとなくイメージできるかな?」ってアタリです。尾崎豊をガッツリ聞いていた世代ではなくても、若い世代が「時代に関係なくいいものは残るんだよな」って言えばサマになる感じです。
今年になってフレディーマーキュリーに影響を受けていた人が多数出現しましたが、グラムロックがそんなに日本人に影響を与えたとも思えません。YOSHIKIさんレベルが言うのなら説得力もありますが、ほとんどの人はバンドの影響ではなくて映画からの受け売りなんじゃないかな?
注目するところは「ような」の部分です。立川志らくさんのように談志を受け継ごうとするあまりに談志のコピーになっちゃったら「あの、談志の真似をしてる噺家の人」になっちゃいます。世襲制度ならいいんですが、ミュージシャンは他人を真似して意味がないです。
過去に『 女 尾崎豊 』という称号を持っていたのは橘いずみさんだけです。関係ない歌手が尾崎豊を踏襲することも、その歌手に尾崎を求めることも意味がないことです。尾崎な感じの歌を歌おうとする人は男女合わせて沢山いたんだと思います。歌詞重視のアーティストも多いですが○○尾崎の称号に必要なのは歌詞の内容や歌唱スタイルよりも声の強さです。初めて橘いずみさんを路上に流れていた「失格」という曲は、尾崎と同等以上の強さのある曲でした。
「SONGS」であいみょんさんのライブを観た印象では歌詞の内容や歌唱の雰囲気はなるほどって思いました。しかし、強い歌が歌えてるか?というところはイマイチかな? 過去に「SONGS」で観た初見の歌手の中で「この人の歌は強い」って思えたのは高橋優さんです。彼も「平成の尾崎豊」という称号があったようなんです。自分が思ってたのは風貌から「平成の大江千里」を意識してるのかな?って舐めてたんですが、演奏を聴いたら「なかなか強い曲が歌える若者じゃないか」って会心しました。久々に高橋優さんのCDを買っちゃうくらいなんですが、あいみょんさんの曲にソコまでの強さが感じられたかといえば・・・

 「SONGS」の中であいみょんさんが神保町の古本屋めぐりと岡本太郎記念館(もしくは美術館)に行くロケもやってました。これはあいみょんさんが『何にインスピレーションされて楽曲を作ってるか?』のシーンで使われていました。岡本太郎さんは「モーレツオトナ帝国の逆襲」で太陽の塔を知って岡本太郎さんの人生観に共感したそうです(ウィキペディアより)
古本屋のほうは作詞のインスピレーションに官能小説を買い漁るとのこと。古本屋のシーンでは宇野鴻一朗大先生のエロ小説を、エロシーンを読み上げながらご購入されてました。NHKもご丁寧に字幕までつけて・・・
20代前半の女子がハマショーとか言ってるのも本当はアレ?って観じなんですが、岡本太郎とか言われちゃうとさすがに「ちょっと作りすぎじゃないかい?」って印象です。「岡本太郎好き」なんてオトナの入れ知恵とも思えないから、あいみょんさんのセルフ・プロデュースなんでしょう。
岡本太郎さんの評価はフランスなど海外では前衛芸術家として世界トップの扱いになる。戦後日本では才能を持て余し気味で日本人も扱いに困ってしまう。万博で太陽の塔を作って爆発っぽさが大成功する。グラスに顔が入る。晩年、面白キャラがテレビメディアとマッチしてキワモノ扱いの日々。没後、再評価されキワモノ扱いなんかできないくらいに日本を代表する芸術家と認知される。
ウチにも顔のグラスがあったくらいに岡本太郎は日常に浸透していました。おもにイジってたのは鶴ちゃんだったような気がします。岡本太郎さんのような強烈な個性は生前だと評価しにくいモンなのかもしれません。生きてるころは当人が「ソレは違う!」って必ず言いそうだから、没後のほうが評論家や研究者も都合のいい解釈で評価できるんでしょう。
いずれにしれも過去の人っていうイメージはありますよね。強いて言えば岡本太郎さんの再評価は済んでるから、岡本太郎という人物にイメージがない世代が「過去の再評価を再認識」してるターンになってるのかもしれません。マンガで例えると新人マンガ家が「ボク、手塚治虫に影響されてマンガ家を目指したんです」ってコメントしてる感じでしょうか?大御所や知識人が「手塚先生は偉大だった」と言うのは理解できますが、それを真に受けて若者が言い出すのはヘンな感じですよね。
岡本太郎さんが偉大だったことは間違いない事実ですが、影響されたとか言っちゃうのはハズカシイです。どれくらいハズカシイかというと、爆笑問題の太田氏がNHKとかで言ってそうですよね。あたかも逆張りのつもりで『岡本太郎の偉大さをを理解するオレ』っていうアノ観じです。
「SONGS」のオンエアで一番見過ごせなかったのは古本屋で官能小説を買い漁るくだりで、宇野鴻一朗さんを手に取るシーンでした。エロ本を読むことに偏見のない性的リベラルを気取ってるのか、自身の作詞の糧にしているとか表現が面白いからよく買っているとのこと。それなのに宇野鴻一朗先生をチョイスするセンスは疑問です。川上宗薫先生や団鬼六先生あたりだったら「へぇ、なるほど・・・」って言えなくもないんですけどね。
本気で官能小説からインスピレーションを得てるのなら宇野鴻一朗先生の文体は選ばないハズです。それは先生の本を読んだことがあればわかると思います。この古本屋のシーンは『子どもがオトナにいっちょ前の口をきいてる気恥ずかしさ』が満載でした。NHKのロケスタッフも編集でカットしてあげるのがオトナ帝国の住人としての優しさなのにね・・・

 自分をセルフセールスするためのキャラ作りをするのは芸能活動ではアリです。松田聖子さんの素性がどんな人物かは知りませんが、アイドルの女王として君臨している聖子ちゃんというキャラは自身の努力のたまものです。じゃあ、平手嬢は何年くらいセンターにしがみつくつもりなんでしょう?松田聖子さんは還暦まで聖子ちゃんを続けると思います。尾崎豊さんは20歳でもう尾崎を続けることに破綻し始めていました。デーモン閣下は何歳だかわかりませんが、ずーっと悪魔を続けています。完璧な自己プロデュースと思われた西野カナさんは10年で活動休止になりました。レベッカのノッコとか椎名林檎さんも自分でまいたイメージに苦しんでいた印象です。
歌手人生の評価は、まず「誰もが知ってる曲がある」次に「10年以上活動している」そして「30周年を迎えた」ってことです。音楽性はそれぞれの好みですが歌手という職業を続けるパワーはそれだけで賞賛されるべきです。1曲しかないと「アノ曲を歌った歌手の○○」ですが、10年活動すると「アノ歌手の歌った○○という曲」って記憶になります。漠然とキャラづくりで頑張った人よりもナチュラルなキャラでやってる人のほうが30周年にたどり着ける人が多いと思います。西野カナさんもちょうど10年が分かれ目でした。
売るためこじつけたキャラ設定は10年で必ずといえるほど自分のクビを閉め出します。その時に10年前の自分が岡本太郎とか宇野鴻一朗とか言っていた黒歴史は、活動休止しても消えない過去になっちゃいます。そのきつさは過去に調子こいていたオトナ帝国の我々が経験で話せる唯一のアドバイスです。今回の感想はひとえに『NHKのスタッフはあいみょんさんに教えてやれよ・・・』です。


 元祖『女 尾崎豊』だった橘いずみさんも7枚目のアルバム以降ぱたっと音沙汰がなくなったんですが、現在は榊いずみのいう名前で活動してるそぷです。結婚して橘から榊に変わったんですが、字面が絶妙にヤヤコシイんですよね。自分はミニアルバムの「SUPER SUNNY DAY」まではCDを買ったんですが、その頃はすでに榊さんだったらしいです。アルバムの表記は橘いずみでした。


 アーティストが「私は○○の影響を受けました」というのは普通によく聞く話です。自分は音楽の世界はまったくの不調法者なのですが、最初に影響を受けたレコードは さだまさし さんでした。自分が小学生のころにちょうどオーディオブームがあり、父親がスピーカーを自作したためアンプやプレーヤーを一式揃えました。彼は音楽に精通しているのではなく電気工作がしたかっただけだから、いえには聴くようなレコードがありません。西部劇のサントラ盤やどこぞの演歌歌手のLPがあったんですが、何しろ聴くレコードが不足してました。
そんな親が買ってくれたのがさだまさしさんの「私花集」というソロ3枚目のLPでした。当時、覚えたてのラジオから「雨やどり」が流れていて「この面白ソングのさだまさしって誰だ?」となり、親に買ってもらったLPでした。中身はまったく面白ソングではなくて、百恵ちゃん提供曲の「秋桜」やさだまさしさんの名曲中の名曲「主人公」が入っていました。
それまでは歌謡曲と学校曲の2種類しかなかった音楽に、自分で作って歌う人がいることを初めて認識させられたのがさだまさしさんでした。『歌を作ることでメッセージを伝える』ということがスゴいと思いました。今思うと歌を歌って伝えることじゃなく、自分で歌を作ることがスゴいと思ってたようです。「何しろ上手いこと言うなぁ」って関心してしまい、これは自分も作らねばなるまいとヘンなスイッチが入っちゃいました。しかし、前記の通り不調法者がゆえギターができるわけでもコードが理解できるワケでもなく、作詞作曲がしたいわけでもできるわけでもありませんでした。
小学生時代は漠然とマンガを描かねばなるまいと活動?していましたが、ホンモノの創作を知ったら「こんな幼稚なことをしてる場合では無い」と思っちゃいました。だってさだまさしさんは♪こんな小春日和の穏やかな日は~ですよ。♪自分の人生の中では、誰もがみな主人公・・・ですよ。そーいうちゃんとしたモノを作りたいというか、そーいうモンじゃなきゃだめでしょって思いました。
その後さだまさしさんのレコードを前後買い集めて(親はもう買ってくれない)ラジオも聴くようになりました。ラジオのさだまさしさんはやっぱり面白いお兄ちゃんで、楽曲は日本語がちゃんとした曲でした。自分がマンガを描くとか、文章を書くとか他の何かを作るのか将来のイメージがまったくなかった小中学生のころに、さだまさしのように作りたいと決めたくらい自分は影響を受けた歌手でした。
そんな自分は何も作ってはおらず、さだまさしさんはまさかの未だに制作活動をしていてそんな未来を想像していませんでした。つくづく不調法者を思い知らされる日々です・・・


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エリツィンのこと - 2019.02.11 Mon

稲垣吾郎さんMCの「ゴロウデラックス」の終了についてです。

 先日、アニー賞 長編インディペンデントアニメ部門作品賞に、細田守監督作品の「未来のミライ」が授賞いたしました。アニー賞はアメリカでアカデミー賞にアニメ部門ができる前からある「アニメ版アカデミー賞」という位置づけの賞です。アニメ制作関係者の投票で決まるので現在はアカデミー賞の前哨戦っていう感じになってます。
“インディペンデント”って何?って感じですが、アメリカでは自主制作映画を指す言葉らしいです。
ざっくり「上映時間が70分以上、制作費が20億以下」の作品が該当するようです。ちなみに今年の大賞である長編作品賞は「スパイダーマン」でした。「千と千尋・・・」は2003年にアニー賞の長編作品賞を取っていますが、アカデミー賞 長編アニメ映画賞も取っています。

「未来のミライ」は公開時にこの日記でも取り上げました。自分は劇場でもDVDでも観ていないのですが、観た人の感想だけで「この作品がいかに酷評に値する作品か?」というコトを検証する記事だったと思います。「つまらないと思うのならば観なきゃいいじゃん」という意見も正論です。自分もテレビで無料放送するまで観るつもりはありません。マンガや小説はプライベートに作ることができるメディアなので、つまんないマンガを描くマンガ家に面白い作品を描く責任なんかありません。一度買って読んで、つまんなかったとしても自分の目利きの問題だからです。
しかし劇場公開アニメレベルになると個人的な作品というわけにはいかなくなります。一年で上映公開できる作品数は多くて5~6作品です。長編アニメは多大な予算とマンパワー、興行する劇場などを揃える必要があります。日本のアニメの興行実態は全ての作品がインディペンデントと言えます。長編アニメを作れる貴重なチャンスを手に入れてるアニメ監督には、そのチャンスを活かす責任があります。
細田守さんは実績でアニメ映画を作る権利を得たんですが、年々作品の制作意図が幼稚になってる印象です。だったら違う才能にチャンスを譲って欲しいですね。


 先週あたりでネットニュースに飛び込んできたのが、TBSテレビ系列の「ゴロウデラックス」が今年の春の番組改編で終了するとのこと。これは元 SMAP のメンバーで最後の地上波レギュラーだった稲垣吾郎さんの看板番組が終わるということを意味しているそうです。ジャニーズに対するテレビ局の忖度とも言われ、なんかやーな感じがする話ですよねぇ・・・
このニュースはアンチ・ジャニーズな方々はもちろんですが、純粋に「ゴロウデラックス」を楽しみに観ていた深夜番組ファンをも失望させました。むしろアイドル事務所のお家騒動には興味のないタイプの人こそが「ゴロウデラックス」の優良視聴者だったからでしょう。元 SMAP のレギュラー番組がなくなるって騒いでる人のほとんどが「ゴロウデラックス」を観ていたとは思えません。この番組のファンのホンネは「くだらない理由(芸能プロダクションへの忖度)なんかで、良質な番組を終わらせるな」ということでしょう。それくらい良質な番組です。
「ゴロウデラックス」対談形式の30分番組で、作家、学者、芸能人、スポーツ選手、ジャンルを問わずに、本を書いた作者を呼んで朗読を交えて作者の人となりや作品の紹介をする内容です。新刊の作者に直接インタビューする企画で、読書家にとっては夢のような番組です。自分が観ていてインパクトがあったのは、やっぱり角野栄子さんの容姿の魔女っぽさですね。
この番組で稲垣吾郎さんを SMAP という肩書きで観ていた人は少ないんじゃないでしょうか?たとえ彼がSMAPでなくても彼のパーソナリティーで十分に成立していただろうし、逆にSMAPの他のメンバーがMCだったとしたらこんなに評価される番組にはならなかったでしょう。かりに中居クンがMCだったとしたら、バラエティー番組としての面白さはもっと出たかもしれません。しかし「ナカイデラックス」だったとしたら「せっかくの優良番組を終わらすな」っていう抗議も少ないでしょう・・・

 自分が「ゴロウデラックス」を知ったのはスタートからのアシスタントだった小島慶子さんが降板し、後任に外山恵理さんが決まったからです。当時の小島慶子さんは色々と事情がある人で、この時も何らかしらの事情で降板したんだと思います。そしたら外山さんがアシスタントに決まったというウワサを聞き、「外山さんをテレビで観られるなんていうレアなことはめったに無い」と思って初めて「ゴロウデラックス」を観ました。稲垣吾郎さんは SMAP 時代もどちらかといえばジミ目なキャラでしたが、外山さんはTBSの局アナの中でも隠れキャラです。女子アナに詳しい女子アナ好きを公言してる人ほど「トヤマエリって誰?」って感じでしょう。
今回の「ゴロウデラックス」の打ち切りは稲垣吾郎さんの地上波番組消滅という問題とともに、外山さんの映像媒体からの全撤退という問題でもあります。稲垣吾郎さんは何だかんだいっても数年中にテレ東でどっかの観光地をウロウロする番組とかに出てそうですよね。でも外山さんにとっては最後のテレビになっちゃった可能性が大きいです。TBSはテレビとラジオの両方を持っている放送局なのですが、やっぱり売れっ子の女子アナはテレビで露出してナンボでしょう。外山さんが初めて「ゴロウデラックス」に出演した回で、稲垣吾郎さんから「本当に局アナですか?」とか「観たことないんですけど・・・」とイジられてました。
そんなテレビでは干されっぱなしの外山さんですが、TBSラジオでは永六輔さんを看取った?女子アナとして名を上げてました。晩年のパーキンソン病でろれつのあやしくなった永さんの、通訳兼介護士として活躍しました。往年の永さんのファンは、多分「土曜ワイドラジオTOKYO」の最後のアシスタントになるだろうアナウンサーが“こんな子でで大丈夫か?”と不安だったそうです。しかし結果として外山さんでよかったと誰もが思える人選でした。外山さんの前任が堀井美香さんだったのもどうだったのか?って感じですけどね。堀井さんは「ナレーションは別の顔」でお馴染みの美熟女アナです。ピンとこない人が多いのは彼女もTBSの隠れキャラだからです。

 外山さんで印象的なエピソードはニッポン放送の「ビバリー昼ズ」で高田文夫先生が観劇だかで永六輔さんとばったり会った話をしていました。「すっかりおじいちゃんになっちゃって・・・」とか軽口で笑いをとっていましたが「アノTBSのアナウンサーの子、外山さんはいいよね。あの子エラいよ」って褒めてました。観劇に付き添っていた外山さんを素で褒めていた高田先生の言葉で、あまり表に出なかった永さんと外山さんの関係性をあらわしていました。自分の外山さんへの評価のベースはこのエピソードです。
晩年の永さんのアシスタントには、誰が考えても遠藤泰子さんが適任だと思っていたハズです。でも泰子さんでは永さんに年齢も立場も近過ぎちゃうんでしょう。永年の戦友のようでもあり、夫婦のようでもある関係では、衰えに向き合うのがキツいこともあります。気位が高い人だったら尚更弱みを見せることができなかったりします。その点、外山さんは絶妙に孫くらいの距離感で、当事者意識で背負うモノもないキャラでした。高田先生や泰子さんは永六輔世代なので背負っちゃうんですよね。
この外山さんのキャラが誰かに似てるって思ったら、外山さんのやっていたことって吉田秋生さんの「海街diary」に出てくるシャチ姉の部下のアライさんだったんです。アライさんも作中では隠れキャラ{顔が出ない)でした。
外山さんを生かせるのは相手役のメインMCがアシスタントとしての外山さんを面白がれるかどうかにかかってます。ラジオでは永さん、ピエール瀧さん、浅草キッドのたまさんなどが外山さんの魅力を引き出してくれました。そもそも外山さんは「頭を下げてまで仲良くしてもらおうとは思ってない」っていうクラスに一人はいるオオカミのような面倒なタイプなので、外山さんから自身の魅力をアピールすことは皆無です。だから不特定多数を相手にしているテレビ媒体や女子アナというジャンルが好きな女子アナファンにはまったくウケません。そんな中でテレビ側の人間で外山さんを理解してくれた唯一の人が稲垣吾郎さんだったんです。外山さんの可愛さっていうのはテレビでは映りにくい可愛さなんです。
「ゴロウデラックス」終了後もTBSで稲垣吾郎さんが番組を持つのなら外山さんをまたテレビに引き上げてくれるかもしれません。しかし、番組打ち切りの理由が「元 SMAP 降ろし」だったら共演は永遠に無理です。外山さんは局アナだし独立とか考えてるハズもないですから。
恋愛マンガファンからすれば稲垣吾郎さんが、外山さんをお嫁にもらってくれればめでたいんですけどね。雑で横着な性格の外山さんと几帳面で思慮深い感じの稲垣吾郎さんは、番組中でもお似合いのカップルって言えなくも無いことも無くは無いです【 四重否定 】

 春までまだ放送はありますから外山さんを観るのはまだ間に合います。自分はゲストの作家さんの名前や扱う本のタイトルで観たり観なかったりしていました。まさかこの番組を終了させるって言い出すとは思ってもみなかったから。この番組はネット社会の現代で『昔ながらに本屋をぶらついて知らない本を捜す楽しさ』が味わえる番組です。面白いかどーかも日によって違うんですけど・・・


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絵本の King of Kings - 2019.02.02 Sat

ヨシタケシンスケさんの「おしっこちょっぴりもれたろう」です。

 まず、アングレーム国際漫画フェスティバル2019で、高橋留美子さんがグランプリを受賞いたしました。去年のコミコンインターナショナル(アメリカ)のコミックの殿堂入りにも高橋留美子さんは選ばれていました。アングレームについては言いたいことは過去に書いてきたので、今さらどーこー書くつもりはありません。ただ、高橋留美子さんが授賞したということは『芸術的な作品ではないマンがにも評価が与えられた』という意味で画期的だったと思います。
マンがに芸術性を求めることはマンがの本質から外れることですし、芸術の表現媒体にマンがを使うのも意味があることなのかな?って思っていました。世界では「コミック」という単語に芸術という意味も含まれているのだとしても、高橋留美子さんの作品は商業マンがであって芸術作品ではありません。
そもそも高橋留美子さんはマンがの世界に何一つとして新しい技術や概念、表現方法などを開発していません。80年代前後のスタンダードなマンがの手法をそのまま現代まで描き続けてきた人です。むしろマンガのタイプとしたら古くさい部類に入ります。
しかし受賞理由は『出る杭は打たれる日本社会でアウトサイダーや変わったキャラクターを前面に押し出し、彼らにもチャンスがあることを伝えてきた。コメディーに見えて極めて進歩的』ということらしいです。(伝聞ですが・・・)フランス人の出る杭は打たれる日本・・・というステレオタイプなイメージもどうかと思いますが、芸術に逃げていないホンモノのマンガ家が芸術の国で芸術抜きで授賞できたことには意味があったんでしょうね。


 本題のヨシタケシンスケさんですが、第11回 MOE絵本屋さん大賞に「おしっこちょっぴりもれたろう」という作品が第1位になりました。ヨシタケ・・・誰それ?って方が大半でしょうが子育てママには絶大な有名人らしいです。絵本作家というと繊細(神経質)な人や仙人(じーさま)のような人っていう先入観がありますよね。しかしヨシタケさんはどちらかといえばアスリート体型な大男で、サイン会では子どもの想像のはるか上をいく風貌に泣き出す子どもが多数というキャラの持ち主です。
早くから児童文学を志していたというタイプでもなく、就職してイラストレーターになって、人に奨められて絵本を書き始めたっていう経歴です。ヨシタケさんについての詳細を書いていますが、本当はヨシタケさんのことも作品のこともまったく知りませんでした。たまたま関東ローカルTBSラジオの「伊集院光とラジオと」という番組のゲストでヨシタケシンスケさんがゲスト出演していました。それは営業車の中で聴き流していたんですが、たまたまテレビでMOE絵本屋さん大賞の話題を取り上げていて、書店の方々が「おしっこちょっぴりもれたろう」を推薦していました。「この作家のこと知ってる」と思ったら伊集院さんの番組に出てた人でした。

   JPEGヨシタケシンスケ   


 ラジオで聴いたときに印象的だったのは「元々ホンモノそっくりな絵がかけない。リンゴを見ないで描く。見ないで描けば間違っていても怒られない」という話っでした。題材を見て描くと「何で見た通りに描けない」と叱咤されたことが苦い経験だったそうです。それを聴いて「この人好きだわ」って思いました。
あと「子どものころの自分が読んでいて嫌いだった絵本は書かない」とのこと。伊集院さん曰く「この作者、オレに歯磨きさせようとしてやがんな・・・」っていう感じの教訓的な絵本は子どもにとってはまったく楽しくないんですよね。ベースに「子どもは飽きっぽい」という見識があるから、後半に文字数が増えてくるような絵本はダメ絵本なんでしょう。
「子どもが好きで好きで、子どものための絵本を描きたい」という気持ちは間違っていないけど、実際の子どもの生態を実感していない人が絵本の作ろうとすると、やたら文学的とか写実的とか抽象的とか哲学的とかになりがちなんでしょう。そんなことは子どもの飽きっぽいおつむでは、受け入れられないようです。文学部崩れの女子大生とか児童心理学をかじった教育熱心派の人たちには「そんなこと無い」って声が聞こえます。
しかしヨシタケさんの絵本には文学も精密な描写も出てきません。絵柄から抽象的と捉えそうですが「りんごかもしれない」は具体的にりんごとりんごじゃないものを描き連ねた作品です。おしっこも具体的だし。哲学的は作者当人が「哲学的な意味ですね」って言われると深読みして評価されてラッキーって思ってるようです。当人はそんなモノは絵本に込めていないとラジオで明言してました。

 そんなヨシタケさんの絵本が変わり種なのか?それともそれまでの絵本が根本的に間違っていたのか?そんな答えはどこにもありません。しかし自分は絵本全般が大っ嫌いな幼児でした。幼稚園に置いてあった絵本を、まったく読みませんでした。絵本を読む時間も読んでるフリをしていた記憶が残ってるくらいです。
親も自分に読み聞かせなんてしていなかったと証言してました。どーせ読まないからあんまり買ってもらえませんでした。絵本を読まないと言葉が遅れるとか心配がありそうですが、自分はむしろ言葉や識字が早かったようでした。絵本が嫌いだったのは段ボールのようんばゴツい紙に原色で塗られた桃太郎みたいな絵本のセンスのなさ、薄墨や透明水彩で描かれた“おじいちゃんのような絵”の絵本の陰気さ。展開を追うだけで結論のゆるいストーリーもわざわざ読む意欲が湧き上がりません。
伊集院さんがラジオで言っていた「ボクは図鑑のような絵本が好きでした」というのに同感です。物語を読むことよりも自分で物語を作っちゃうタイプだったので、既存の物語がまどろっこしかったんでしょうね。図鑑や事柄の羅列は想像する物語の資料になるのです。怪獣のストーリーのお話を読むよりも、怪獣の設定(身長、体重や武器、必殺技など)を羅列してくればストーリーや戦いは自分で考えます。むしろ自分でお話を考えることのほうが重要で、本のお話を正確に読解することを幼児に求めるほうが無意味なんでしょう。お受験ではそーも言ってられないんでしょうけど・・・

 自分はまったく字を読まない子どもだったというわけでもなく、小学館の「幼稚園}は毎号買ってもらってました。ここで「ドラえもん」に出会い、コマに書いてた読み順の番号でマンガの読み方を学びました。しかしすぐに「ドラえもん」がつまんなくなり「幼稚園」にも興味が失せて、卒園したら「一年生」を読むんだろうと思ってた親は肩すかしだったようです。当然ながら児童文学にもまったく興味がわかず「本をまったく読まない子」というレッテルがぺったり貼られてました。見かねた?父親が仕事帰りに買ってきたのは赤塚不二夫さんの「天才バカボン」でした。コレが不定期購入でしかも本屋に売ってるのを行き当たりばったりに買ってくるので、13巻の次が25巻でその次が3巻っていう感じでした。1巻目はかなりあとに読んだ記憶です。その頃の「天才バカボン」はアニメ化される前のちょうど少年マガジンが世間を騒がせてる大学生の読み物だった時代のマンガでした。
自分にとってのヨシタケさんは「天才バカボン」だったんでしょう。今、ヨシタケさんの絵本を見ると「ああっコレは現代の天才バカボンなんだなぁ」って・・・ そんなわけねーだろっていうママさんファンの声が聞こえますね。

 そんなヨシタケさんがどれくらい絵本業界で席捲しているのかといえば、MOE絵本屋さん大賞で現在4連覇中とのことです。この賞は絵本を売っている書店員さんによる年間ランキングです。自分は2018年度(去年の12月発表)の大賞がヨシタケさんというニュースを聴いただけでしたが、実際はそれどころじゃないじぇっせきの方でした。

  ヨシタケシンスケさんのMOE絵本屋さん大賞受賞歴

第6回 1位 「りんごかもしれない」 ヨシタケさんのデビュー作

第7回 9位 「ぼくのニセモノをつくるには」 ヨシタケさんの発想絵本第2弾

第8回 1位 「りゆうがあります」 理由があればはなをほじってもいいのか?

第9回 1位 「もう ぬげない」 伊集院さん絶賛の「服がぬげなくなった子どもは諦める」
       
     2位 「このあと どうしちゃおう」 死をテーマにした発想絵本シリーズ第3弾

第10回 1位 「なつみはなんいでもなれる」 女の子主人公で一番可愛い表紙?

     3位 「つまんないつまんない」 つまんないことがいっぱいの話らしい

第11回 1位 「おしっこちょっぴりもれたろう」 MOE絵本屋さん大賞 4連覇作品
     
     2位 「みえるとか みえないとか」 自身2度目のワンツーフィニッシュ

結論から言えばヨシタケ時代が来ているようです。デビュー作から常にランキング上位をキープしています。この賞は子どもに訊いてるのではないから、読者の意見はあんまり反映されていません。パパママ賞という部門も併設されているから、そっちのほうが読者(子ども)の声が反映されてるのかもしれません。
テレビでMOE絵本屋さん大賞のニュースを観たときに、ヨシタケさんの本を押していた店員さんが自分がファンみたいな勢いで取材に答えてました。児童文学を大人のこのみで選んじゃ駄目だろとも思いますが、彼女にとっては現代の「天才バカボン」に匹敵するんでしょう。全然違うけど・・・
ヨシタケさんの本を推薦してる人のブログを見てたら「小さい頃から実践できる哲学」と表現していました。それこそヨシタケさんにとってはシメシメって感じなんでしょう。
「おしっこちょっぴりもれたろう」のタイトルを「おしっこちょっぴり漏れたろう」と人文字だけ変えると高血圧や肥満の本と同じ棚に並んでる本みたいです。お父さんたちにとってはとてもリアルな感じになりますね・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

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