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2018-08

ついにポスト宮崎駿? - 2018.08.14 Tue

石田祐康さん監督の劇場公開アニメ「ペンギン・ハイウェイ」です。

 前回紹介した細田守さんの「未来のミライ」はもう映画館で観ましたか?「まだ観ていないのなら無理してまで観なくても大丈夫だよ」というのが前回の記事の内容でした。それからポスト宮崎駿問題にもふれました。細田守さんたちは作品の指向が違うんだから、宮崎駿名義を継ぐ必要もないのは当然ですよね。しかし、細田守さんや神山健治さん、米林宏昌さんたちは、劇場アニメを作ろうとすれば出資してくれる企業があります。
志しがあれば長編アニメが作れるほど、アニメを取り巻く環境は優しくも単純でもありません。「君の名は。」が新海誠さんの指向よりもカドカワのユーザーの嗜好にそった作品になっちゃったことを否定できません。しかしチャンスを掴めない有望な若手アニメーターのためにも、長編アニメを作る権利を持ってる方々が作品の正当な評価でアニメ市場を拡大させる義務があると思います。
一番最初にポスト宮崎駿と思われた押井守さんは早々に土俵から降りちゃいました。庵野秀明さんも理由をつけて逃げ回ってる感じです。ポスト宮崎駿とは作品論をぶつけ合うことではありません。
宮崎駿さん自身が思想や環境問題、家族、因習、平和、ロリコンなど、いろんな“ナントカ論”の塊のようなアニメーターです。ソレに対抗して作品論をぶつけていくのは簡単ですが、宮崎駿さんに対抗することや越えていくことがポスト宮崎駿ではありません。空位になっているジブリアニメ枠に、安定したアニメ作品を供給できるアニメ監督を探しているんです。観客の性別、年齢、国籍、嗜好に関係なく楽しめるアニメを作れる人が、ポスト宮崎駿を襲名できるんでしょう。

 自分がふだん観るテレビはサッカー中継、ブラタモリ、プレバト!!、新日、それから日テレの朝番組のZIPくらいです。思えばほとんどフジテレビをつけないんで、フジテレビが押している新作アニメがあることも知りませんでした。たまたま同居人がそのアニメの番宣特番を録画していて昨日みたんですが、その作品が「ペンギン・ハイウェイ」でした。日テレのZIPを観てるとフジ押しのアニメは話題に取り上げないんですよね。逆にフジのめざましテレビを観てる人には「未来のミライ」なんかがピンとこないのかな?
「ペンギン・ハイウェイ」は8月17日から全国ロードショーされる劇場公開アニメです。タイトルからもわかるようにペンギンがいっぱい出てくるアニメです。そもそも夏休み公開を意識してか主人公は小学4年生の男も子。ヒロインは歯医者に勤めるお姉さん。大量のペンギンとお姉さんの謎を解く青春ファンタジーとのことです。
原作は「夜は短し歩けよ乙女」の森見登美彦さんの同名小説。脚本は「四畳半神話大系」と「夜は短し…」の森見登美彦さんの原作の脚本でお馴染み?の上田誠さん。このメンツが揃うとマニア向けの面倒くさいアニメって感じがプンプンします。「夜は短し…」は「四畳半…」のスタッフがそのまま繰り上がって制作されました。しかも主人公が密かに嫌大っ嫌いな星野源さんなので、ほとんど関心がありませんでした。
この作品はどちらも「劇場版クレオンしんちゃん」の黒幕的存在な湯浅政明さんが監督です。「夜は短し…」はディープなアニメファンというよりも、サブカルファンを狙ったような作品です。サブカル好きが最低限で、原作のファンじゃないと馴染めないテイストのようです。
湯浅政明さんの年齢だったら間違いなく子供時代にサブカルの絶頂期を見てきたハズです。一番メジャーなサブカルキャラは「うる星やつら」のメガネです。高橋留美子さんのキャラにはあーいうタイプはいませんが、千葉繁さんと押井守さんがメガネというキャラをねつ造したんです。その手のサブカル向けなアニメっていうのは、それ以降も一定数は存在してました。だから「夜は短し…」が新しいサブカルアニメを作ってるようには思えないんですよね。むしろ、まだこんなのを作ってるんだっていうのが正直な印象です。同じく西尾維新さんの「化物語」なんかも直視できないんですよね。まだこんなことを得意になってやってるの?っていう感じが小っ恥ずかしくって…

  ブログ画像 ペンギンハイウェイ JPEG

 ところが…! 新作の「ペンギン・ハイウェイ」は監督が湯浅政明さんではなく、まったく聞いたことがない石田祐康という方でした。聞いたことはなかったんですが、何かのアニメコンテストで階段を駆け下りる自主制作アニメが賞を取った作品を観たような… それは何となくおぼえていたんですが、その映像を観たらアノ人だって記憶がよみがえりました。
その作品が2009年に大学のアニメ学部時代に発表した「フミコの告白」でした。それからCMのアニメーションなどで評価され、今回は初監督作品になったとのことでした。アニメに詳しい方なら同然知っている逸材なんでしょうが、なにしろ全国公開の1週間前の作品のことも、耳に入っていないほどアニメに疎いもので…
石田祐康さんが秀でているのは現在30歳でとにかく若い監督さんです。前回の記事で登場した細田守さんは50歳です。細田守さんが認知された「サマーウォーズ」の公開時で41歳です。押井守さんが現在67歳ですが「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」の公開時がちょうど30歳でした。ちなみに宮崎駿さんがたぶん初監督作品の「カリオストロの城」が38歳。「ナウシカ」のときが43歳「もののけ姫」が56歳で、現在は77歳ながら現役続行中です。
しかし本質は若いことがエラいのではなくて、ポスト宮崎駿と言われていた方々が、全盛期の宮崎駿さんと同世代になっちゃってることが問題なんでしょう。彼らはもう自分の中の作品が固まっちゃってるから、この先、現在のクオリティー以上になるとは思えません。新海誠さんは「君の名は。」で方向性を変えた印象ですが、それでもポスト宮崎駿と呼ばれなかったです。
みんな後期高齢者時代の宮崎駿さんが語るアニメ作品論みたいなインタビューと戦っちゃってる感じですね。宮崎駿さんの作品論に対して、自己の作品論を主張すればするほど同列になっちゃいます。宮崎駿さんと同列なら評価としては十分なんでしょうけど、同じ土俵で横に並んでちゃポスト宮崎駿にならないんです。

 ポスト宮崎駿とは何の土俵で越えればいいのでしょうか?それは「もののけ姫」や「千と千尋」のようなテーマをアニメにのせるこのなのか?「トトロ」や「ポニョ」のように子供向け作品が作れることか?家族や平和をテーマにするのか?生や死に対するサジェスチョンがあることか?
一つの結論は興行成績が安定してドル箱になることでしょう。配給会社はそれだけでポスト宮崎駿と言ってくれるかもしれません。でもそれは土俵とは言えませんよね。
誰もが宮崎駿さんのアニメで感動したのは「絵が生き生きと動いている」ということです。これは絵が実写のようだとかCGを駆使しているという意味ではありません。動画が観ていて楽しいということがアニメを見る動機の全てのハズです。演出の方針で紙芝居のように動かさなかったり、描きたいシーンじゃないモブのキャラクターが人形のようだったり。普通に歩くシーンが変だったり。最近のアニメ全般にある傾向ですが聖地巡礼のい乗っかりすぎて、実際の地名を正確に背景にする事をスゴい作画とミスリードしてる感じがします。本物通りの渋谷のシーンがスゴいアニメじゃあるまいし…
宮崎駿という監督はシナリオのつじつまや片寄ったテーマやクライマックスとか、納得できない部分もけっこう多いです。自分は正直いって宮崎駿作品の中では、好きな作品より嫌いな作品のほうが多いです。でも宮崎駿さんの動画を描く事への探求心は別格だと思っています。動画の精度とその動画の演出上の効果(楽しさ)こそが宮崎駿の土俵です。きっと作品のテーマやメッセージなどは全てあとづけで、動画を作りたい一心でアニメがやめられないんじゃないのかな?

 そんな土俵で勝負してきたのが「ペンギン・ハイウェイ」の石田祐康さんです。彼は動画が描きたくてしょうがなかったのがアリアリです。この作品も予告編ではとにかくペンギンがいっぱい動いています。主人公の子どもたちも動画っていう感じです。謎のお姉さんもおっぱいが大きいので、いかにも夏休み公開作品って感じでいいです。
テレビの特番で石田祐康さんの人となりが見れましたが、言葉でメッセージを伝えるよりも動画を見て欲しくてたまらない感じの人でした。新海誠さんもインディーズ出身ですが、作品で伝わらない部分を説明しちゃう感じのタイプです。このタイプは平気で難解って言われる作品を作っちゃいます。
もし「ペンギン・ハイウェイ」を観た人が「カリオストロ」のフィアット「ナウシカ」のメーヴェやガンシップ「魔女の宅急便」の飛行シーンのようにワクワクしたのなら、ポスト宮崎駿さんの称号を与えてもいいんじゃないかなって思ってます。まだ公開前なんですけど… 


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未来のミライの評判 - 2018.08.11 Sat

細田守監督作品、劇場アニメ「未来のミライ」です。

 今回は観客動員数が130万人を突破した“大ヒット御礼中”のアニメーション映画「未来のミライ」についてです。自分は当然のようにこの130万人に含まれていません。公開時の初動では前作の「バケモの子」などに比べてイマイチというネットニュースが多かったのですが、日本テレビが得意になって「大ヒット上映中」と言っているんだからヒットしてるんでしょうね。ウチは朝のテレビが日テレなので比較的「未来のミライ」の情報が入ってきますが、他局では公開してるコト自体が黙殺されてるんでしょう。
すでに130万人が観ている作品ですが、お盆休みが始まるとさらに動員数は増えることでしょう。しかし130万人が満足したかというと、ちょっと疑問に思えます。作品論でよく聞くフレーズに「売れた作品がよい作品」というのがあります。これは内容の善し悪しよりもセールスのポイントが成功か否かを決めるという考え方です。コレだとAKBグループが日本を代表する音楽になっちゃいます。
今回取り上げる「未来のミライ」は観にいった人の悪評がやたらと聞こえてくる作品として話題になっています。自分は観ていないけど観にいった人たちの意見から、不評の原因を考えてみましょう。

 以前の記事で細田守さんの「おおかみこどもの雨と雪」について取り上げました。やっぱり劇場へは行かず、観た人たちのレビューの描き込みを読むことで作品の是非を考える記事でした。結果としてテレビでオンエアされた本編を観た感想も、この記事を書いた時の印象に大きく外さない感じでした。自分は「かなり否定派」の意見に一票でしたね。

「おおかみこどもの評判」→ http://likea777.blog33.fc2.com/blog-entry-71.html

今回も映画.COM ほか各種レビューサイトなどの“映画館で観た人たちの感想”を読んだ上で「未来のミライ」という作品を考えてみましょう。

  ブログ画像 未来のミライ JPEG

 細田守さんの「未来のミライ」を制作する意図のようなものがチラシの裏に描いてありました。
『家一軒と庭ひとつ。どこにでもあるたったひとつの家族を通して、生命の大きな循環。人の生が織り成す巨大なループを書き出したい。最小のもチーフを用いて、最大のテーマを語りきりたい。エンターテインメントの作法を用いて、新しい家族を拓きたい。一見穏やかに見えて、実は、大いなる野心を秘めた作品です』(公開用チラシの裏面の文章より)

各種レビューサイトを読んでみると「未来のミライ」のネットでの評価は「つまらなかった」と「つまらなかったって聞いていたが、自分は楽しめた」の二択でした。批判的な意見が集中したのはシナリオが意味不明、つまらない。4歳児の声優が違和感。育児マンガとして共感出来ないなど・・・
反対に擁護派の意見で代表的なものは『子育てを経験したかどうかで評価が分かれる作品ですね。ボクは子供いませんが・・・』っていう感じでした。「子供ってあーいう感じだよね」って共感する人と「あーいう感じだけどだからなんなの?」って人に分かれるようです。共感する育児経験者も多いのですが、一番酷評しているのがホンモノの4歳児の母親なのは前作の「おおかみこども・・・」と同じ反応でした。
「おおかみこども・・・」で育児表現を賞賛していた層は、細田守さんのエア育児アニメと同レベルの未婚男子のエア育児論者でした。興味深いのは4歳児の親でも「これって育児アルアルだよな」って共感してるのは父親っていう傾向です。
楽しめた人の意見で作品の感想の枕詞に書かれているのが「ネットで酷評されていますが、観に行ったら私は楽しめました・・・」っていう一文です。言うほど悪くはなかったというのが面白かった派の人たちの感想で、「観る人を選ぶ内容なので、つまらないっていう人もいる作品ですね」っていう締め方も定番です。擁護したくてもアニメ作品としてモヤモヤする部分が多いのはアニメファンだったら明白な事実のようです。むしろ、つまらない派に意見に擁護派が上手い切り返しが思いつかないほど「理路整然とつまらない作品」なんでしょう。

今回のレビューで欽ドン賞はコチラ・・・
『あえて「くんちゃんやミライたちが世界を救う」ていうお決まりのアニメ冒険もの”を期待した観客に肩すかしを喰らわせるための作品っていう感じでしょう。言葉を選んで穏便な表現を探すとしたら、細田守さんはもう劇場公開作品を作るのはやめたほうがいいんじゃないでしょうか?』

 そもそもこの作品の根源には「おおかみこども・・・」を公開したときに「育児経験も無いオタクアニメーターが育児を描く厚顔無恥さを馬鹿にされた」ことにあると思います。当人は厚顔無恥な売れっ子アニメ監督だからあんなに批判されるとは思っていなかったんでしょう。「未来のミライ」では私生活で二児の父親になったことから「もうエア育児じゃない」として「おおかみこども・・・」を否定したアニメファンにリベンジしたかったんでしょう。作品の制作テーマというのが『世界初の4歳児の視点のアニメ』世界初かどうかはわかりませんが、4歳児をアニメっぽい妥協せずリアルに描くことがテーマのようです。
前作の失敗は「おおかみこども・・・」のように物事に無関心な人が作った作品は、関心がある人が見ると腹立たしく思うというところです。育児や成長に関心が無いくせに親子の成長のドラマっていう格好良さをポスターに書いちゃったことが間違いだったんですが、今回は細田守さん自身が父親になったゆえに「この父親はちゃんと育児に関心があるのか?」という不信感が増大してる感じです。
「スタートレック」や「スターウォーズ」に出てくる宇宙描写に正しいとか間違ってるとか言う映画ファンはいませんよね。しかし「ゼロ・グラビティ」だとココが違う、コレは噓など宇宙の物理に詳しいファンからの辛辣な指摘が出てきます。ケモノ・ファンタジーだったら作者は想像上の子育てが描きたかったと擁護できますが、タイアップした建築メーカーに家の図面を引かせるくらいリアルな家庭を描こうとしたら前作以上にアラ探しされるのは当然です。

 アニメ界での関心事はポスト宮崎駿は誰か?ということです。細田守さんもポスト宮崎駿の候補者の一人です。あとはジブリ直系の米林宏昌さん「君の名は」で実績を作った新海誠さんなど。宮崎駿さんの引退は鈴木敏夫さんの仕掛けた引退商法なんだし、宮崎駿を襲名する必要もないとは思うのですが業界では気になるようです。
米林宏昌さんはジブリを継がずスタジオポノックというアニメ会社を設立。「メアリと魔女の花」のアレです。内容の是非は観ていないから解りませんが、子ども向けアニメを作るという覚悟は感じられました。彼が狙っているのはポスト宮崎駿ではなくて、ポストスタジオジブリだと思います。今年の夏休みは「ポノック短編劇場」を公開するようです。
新海誠さんは「君の名は。」で数字を作れる監督として認知されました。しかし数字が取れるすアニメの手法が新海誠さんの固定ファンを裏切る結果になるような気がします。
片淵須直さんは「この世界の片隅に」で名を上げましたが、経歴でいえば米林さんと同じジブリ系分派といえなくもないです。すっかり反戦アニメーターな印象ですが、根は飛行機マニアで「この世界の片隅に」もゼロ戦が描きたかっただけじゃないかと邪推しています。今後、片渕須直さんが電通の言いなりになるというイメージがわかないのでポスト宮崎駿は遠のいたと思いますが、マニアックなベースは一番宮崎駿さんに近いんだと思います。
今年も新作を公開した神山健治さんもポスト宮崎駿候補だったと思います。しかし、その作品のタイトルを覚えている人が、どれくらいいるんでしょうか?作家性を出すアニメーターとしては細田守さん以上に期待が持てそうでしたが、ちょっとマイナーに沈んでいった印象です。

 今回のレビューで予想外だったのは細田守信者的なファンがもっと擁護してると思っていました。実質、擁護してるのはZIPファミリーとライムスター宇多丸さんだけって感じです。某ラジオでの宇多丸さんの映画批評は知識や造詣の深さで一目置いているというか、彼が映画を解説してくれるので映画を観る手間が省けて助かっています。個人的には映画は一本も観ない方針なので・・・
しかし彼の映画批評でずーっと気になっていたのがメタファーとオマージュへの違和感です。映画ファンの批評で多いのが「コノ作品はアノ作品の・・・」っていう、ほかの映画と比較したり重ねたりするやり方です。宇多丸さんが用いるフレーズだと「未来のミライ」の家族の描き方は「万引き家族」の家族に比べて・・・みたいな感じですね。それと「このシーンはメタファー、このシーンはあの監督へのオマージュ」って言われたら、それに気づかないと映画に楽しめないっていう論法です。
「未来のミライ」の場合は仕掛けが多そうな予告編に対して本編ではメタファーが何もないことが評価を下げた要因みたいです。映画評論とは「メタファーへの推理と答え合わせ」で成り立ってるのでソレがない作品は映画ファンからしたらスッカスカに思えるんでしょうね。作品のテーマや意味、監督の意図やメッセージをそぎ落とすと、その作品が面白いかどうかだけが評価になります。メッセージなんか無くても面白ければ文句ないんですが、逆につまんない場合はメッセージがないと擁護しにくいです。そもそも、つまんない作品を擁護するっていうのもヘンなんです。

 批判の中で「サマーウォーズ」は傑作だが、今回は駄作だったっていう細田守ファンが多いです。自分はそもそも「サマーウォーズ」の段階であんまり面白いとは思わなかったんですが、その原因は細田守さんの考える「アニメの面白さ」と自分の「アニメの面白さ」が違うって思ったからです。それは、ほぼキャラの置き方によるものでしょう。細田守さんはキャラも場面設定も他人に発注してる感じがするんです。宮崎駿さんや永井豪さん、松本零士さんたちが同じようなキャラばっかり出てくるのは、そのキャラが作者の心の中に住んでいるキャラだからです。極論をいえばくんちゃんは4歳児をスケッチしただけって印象です。それだと観客からすれば「そうそう4歳児ってこうだよね」という感想以上のモノがでてきません。宇多丸さんは「このリアルな4歳児の描写がスゴい」って大喜びしそうです。しかし、同じ4歳児の設定だけど「となりのトトロ」のメイは作者の心の中から生まれたキャラって感じがしますよね。どっちが可愛いか比べたら一目瞭然でしょう。その中でメイが一カ所でも4歳児特有のリアルな行動を取ると子供の描写がリアルな作品って思われます。サツキの子供らしさは我慢できなくて泣き出すシーンだけで表現できています。

 くんちゃん以上にイラつくのはお父さん役の星野源さんです。今回に限らず声優を使わないアニメ作品はますます増えてきそうです。ひとえに大人の事情でしょう。そんな中でも星野源さんいは違和感しかありません。その理由は自分が星野源さんが嫌いだからでしょう。星野源さんがかもし出そうとしている雰囲気や、ピントが合わない感じの歌詞がう~ん・・・って感じになるんです。そんな星野源さんに当て書きしたようなお父さんのキャラは中の人同様にイライラします。ソレが作品のシナリオの都合で苛つかせるのか、演者に苛つくのかがわかんないくらいイライラします。「未来のミライ」は順当ならば来年の今ごろには日テレ系で放送されるでしょう。でも自分は星野源さんが出てるから観ないかもしれません。以前の恋ダンスもイライラしてました。みんなイライラしないのかな?
今回のレビューを読んでみて一番評価が高かったのが回想?に出てくる福山雅治さんが演じるイケメン曾祖父でした。この役はオーディションでもキャスティングが決まらず難航していたとのこと。福山雅治さんに会ったときテーマや何やらが一致したと公表されています。本当は電通が福山雅治さんをごり押しで連れてきたのでしょう。細田守さんがあわてて配役を増やしたようなひいじいさんが、一番評価が高いっていう感じがアニメファンにはトホホなんでしょうね・・・


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クリスタの習作 - 2018.07.30 Mon

たまにはクリスタを使ってみました。

 このサイトは「マンガを読んだり描いたりのブログ」として運営しているハズです。油断をするとサッカーとかモータースポーツとかの話題に逃げちゃいそうになるので、なるべくマンガ的な何かをテーマにしたいと思ってます。そんなにキッチリとしたテーマで書いているわけじゃないのですが、政治や社会問題を提議したところで「何言ってんだか・・・」って感じになるのがオチでしょう。
「マンガを読んだり・・・」のほうは放っといてもネタは貯まってきますが、本来の目的のハズだった「描いたり・・・」のほうがお留守になっちゃっています。元々このブログの前身はマンガを描こうという人たちとの交流のためのブログでした。

 そもそもマンガを描くためにマンガを考えるブログです。したがって読んだマンガが「面白い」とか「感動した」といった感想文ブログではありません。むしろマンガの描き方として「どうなの?」っていう部分を、人(プロ)の振り見て我が振り直そうという目的です。
マンガっていうモノは感動でも爆笑でもほっこりでも、大作でも些細なモノでも全てOKです。面白いマンガというのはそれなに何か一つでも読み手に引っかかるモノがあるばいいのです。したがってマンガなんてモノは、何か一つでも二つでも引っかかることを描けばいいんです。以前の「マンガを描こうブログ」で知り合った上手く描けない人の多くが「マンガの面白い」ということを間違えてる感じでした。これはフラットな読者なら面白いマンガと詰まんないマンガを簡単に取捨できます。だってつまんなかったら読まなきゃいいんだから。しかしマンガを描くということは「他人が面白いかどうかを自分が決めなきゃいけない」のでややこしくなります。そこに思い込みや勘違いが入るので「自分が描いたマンガが面白くないことに気づかない」現象が起こります。しかも「面白くないことに当人も気づいてるのに、頑張ってマンガを描いてる」という不幸に直結しています。作画は描く量に比例して上達しますが、面白い作品はつまんない作品を描かないことで上達します。逆に理屈をこねて手を動かさないと絵は上達しませんが、つまんない作品を描き続けても安定したつまんないマンガになるだけです。そこでプロの作品の善し悪しをピックアップしてマンガの文法を理解しようという目的のブログでした。

 自分がお絵描きに使っている環境はオールデジタルで、ソフトはマンガソフトの最大手のクリスタです。クリスタは世界最大手のPhotoshopより全然安価です。しかもマンガとイラストに特化してるので、お絵描きにはもってこいですね。しかし自分はクリスタですら4~5%くらいしか使いこなせていません。マンガソフトなんですがイラストソフトと統合したおかげで、絵師サマたちにも人気のお絵描きソフトです。でも自分はクリスタで彩色したことがほとんどありません。彩色の知識がゼロなのと絵師はフィールドが違うと認識してるからです。使いこなせる人はクラウドから画像データを引っぱったりできるようですが、自分はレイヤー管理でつまずいてるのが現状です。そもそもクリスタで出来ることが、どれくらいあるのかすら見えないソフトです。使い方は有志の方々がだいたいネットに上げているんですが、自分自身が何が疑問なのかもわからないので調べようがないんです。
夏休みを前にして「クリスタから学び直そう」を目標に教則本を買いました。クリスタ虎の巻は色々出ていますが、黄色い表紙の「クリスタ道場」を選びました。イラストはそこそこでマンガ原稿に絞った構成で、これがなんだかボリュームと見やすさがちょうどいい感じでした。

 教則本を買ったけどこれを読書してもピンと来ません。やっぱりマンガを描きながら読むのがベストな使い方でしょう。したがって適当にマンガを描きながら読むことにしました。適当にっていっても一からマンガを描くのも大変なので、既存のマンガを習作にしてみました。
下記の作品は有名な志村貴子さんの有名な「青い花」の3巻のオマケマンガ?の「若草物語」の模写です。セリフや構図はまったく変えず、2ページなのもオリジナルのままです。パクリや盗作というのじゃなくて、絵画でいう習作というかバンドがビートルズをコピーするイメージです。世にいうトレース疑惑云々ですが、描くことのトレーニングなので写しても意味がありません。自分はたまにマンガを模写していたんですが、マンガを描く練習ではこの方法は最も効果的だと思います。でも模写ということが前提なのでpixiv用でアマチュアの方の作品に手をつけちゃいけません。なるべく有名なマンガ家でパクっても怒らなそうな作品を選びましょう。イヤ、パクっちゃダメなんですけどね・・・

   若草物語

   若草物語 

 そもそも原作が連作なので内容はピンとこないかも知れません。2ページの作品が見当たらなかったのでコレにしました。元ネタと比べるのは不可(笑)


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挫折・夢・コミケ ? - 2018.07.21 Sat

石田敦子さんの「ざせつ男とまんが少女」です。

 石田敦子さんは元アニメーターですが現在はほぼマンガ家さんです。元アニメーターっていうと動画マンで食べていけなかった人と、人気原画マンがマンガ家やイラストレーターに脱サラするケースがあります。石田敦子さんの場合はアニメに挫折したんじゃなくて、有名アニメーターからマンガ家に転身したっていう感じです。自分はアニメーターの石田敦子さんをまったく知りませんでした。初めての石田敦子さんは「アニメがお仕事!」というマンガで、そのマンガに描かれていた経歴でアニメーターなんだと知りました。
アニメの経歴では90年代のサンライズ・ロボットアニメ「勇者ダ・ガーン」の作画監督で頭角を現したそうです。勇者シリーズ自体を知らなかったのですが、バンダイのオフィシャル映像のアーカイブスで観ると、ガンダムの1話のアムロとフラウをノリノリの90年ラブコメのノリでやってました。カウンタックのパトカーが、喋る巨大ロボットに変身するお話です。後のサンライズアニメでやってるロボットの基礎が詰まってる感じでした。思わず1話まるごと観ちゃいました・・・
勇者シリーズの後 CLANP さんの「魔法騎士レイアース」のアニメ化に際して石田敦子さんが逆指名されてキャラデザインと作画監督に襲名されます。当時のCLANP さんたちは人気絶頂でしたが、個人的に王子サマ頭身の作風が苦手だったのであんまり興味がありませんでした。美少女キャラの作品が多い傾向ですが、彼女らが描きたいのは間違いなく王子サマ系の同人二次作品だったんでしょう。
石田敦子さんの原画監督キャリアは90年代アニメの「絵を動かすからアニメーション」ということを代表してる印象です。最近のアニメは止め絵で考えてるファンが多いように思います。動画よりもポスター絵の可愛さのほうでキャラを評価してるんじゃないかな?アニメーターも動かすことへの執着が感じない作品ばっかりです。90年代は新しい動き(アクション)を貪欲に作中にぶち込んでいる作画監督が多かった気がします。

  ブログ画像 レイアース JPEG

しかし、「レイアース」も名前は知っていましたが一度も観たことがありませんでした。魔女っ子アニメに興味が無かったのも原因ですが。80年代アニメから90年代アニメになり、美少女のスタンダードや作品の嗜好が急速に変化していきました。世代を切るとすれば「パトイレイバー」が最後の80年代アニメじゃないのかな?アニメの歴史では90年代がアニメ元禄って感じです。以前アニメファンだったという人たちのアニメは90年代アニメを指す人も多いです。その後、00年代にこげとんぼさんの「デ・ジ・キャラット」が萌えキャラのシンボルになり、アニメは動かなくても可愛い蹴れば成立するようになりました。これ以降は本格アニメを指向するアニメファンと萌えアニメを嗜好するアニメファンに分かれでしまい、アニメファンの「ちょっとアブナイお兄さんたち」っていう世間のレッテルを自らはっちゃった感じです。80年代まではアニメの市民権を獲得するために、ファンも頑張って理論武装していたんだけどなぁ・・・

 アニメーターからマンガ家へ転身した人では「アリオン」や「ガンダム・オリジン」の安彦良和さんでしょう。あと垣野内成成美さんや間宮騎亜さんなど、アニメっぽさを色濃く残しているマンガ家さんなどが思い浮かびます。マンガを描く上でアニメ経験がアドバンテージになるのか?といえば、あんまり関係ないように思えます。でもアニメ出身の人の作画は、それだけで一線以上をクリアしてる感じです。サイバーコネクトツーの社長曰く、アニメーターのように『頭の中で絵が作れる人』は即戦力になるそうです。
実際には多くのアニメ出身のマンガ家がいると思いますが、マンガとしての魅力が出せないのならアニメの作画力も意味がないので名を残すのは大変なようです。作業としての作画をこなす量が多ければ多いほど、マンガ創作で描く作画の見せ方とのギャップを感じちゃいます。アニメ出身ではないのにアニメの作画を意識しすぎたmアン画家のほうがたくさんいます。それこそ両者は見せ方が違うのに「マンガよりもアニメのほうが絵が上手い」という固定観念なのかマンガ紙面でアニメーションを描こうとするマンガ家さんです。このタイプでメジャーになったマンガ家さんは少ない気がします。

 自分が最初に石田敦子さんのマンガ作品「アニメがお仕事」を読んだときは、マンガとしての違和感はまったくありませんでした。キャラの立体感とかさすに手慣れた人だなぁって印象。このマンガはアニメーターになりたい人へ向けたハウツーものではなくて、アニメ業界のリアルな現実を当事者目線で暴露した作品でした。業界の因習や雇用問題、才能への妬みや恨み言の数々がストーリーマンガで描かれています。エッセイ形式だったらネタっぽく読めるんですが、駆け出しアニメーターの主人公兄妹の青春マンガなのであんまり笑える内容じゃありません。どちらかといえば「安易にアニメーターになりたいんです」って夢見る子羊たちに「業界のドロドロした現実を教えてやる」っていう感じでした。アニメーターを目指す人がこのマンガを読めば心が折れること請け合いです。動画マンはコーヒー農園に売られてきた子どものような扱いに描かれています。人権も意思も賃金も不当な扱いをうけ、しかも同業の中で足を引っ張り合うストーリーです。男の方の主人公の正確も含めてイヤな正確のヤツしか出てこなかった印象です。石田敦子さんの描くイヤなヤツっていうのが、マジクソみたいなイヤなヤツなんですよ。財力に物を言わせるボスとかジャイアンのような粗暴キャラといった作り話な悪役キャラではなくて、同僚だから殴りたいけど殴れないイライラする感じのイヤなヤツばっか出てきます。マンガを読んでいてこのタイプが多く出てくるマンガはあんまり面白いとは思えません。だって読んでいてイヤになるから・・・ 石田敦子さんのキャリアの中でアニメ業界にイヤなヤツしかいなかったのかも知れません。このマンガを連載中にアニメの仕事からは徐々にフェードアウトしてったようです。まさに最後っ屁のような暴露マンガなのかな?
現在、元アニメーターの描くアニメ事情暴露マンガは花村ヤソさんの「アニメタ!」があります。自分はこっちを読んでいないのですが、良心的なアニメーター志望ハウツーマンガらしいです。ジャンプのバックヤードを良心的に描いた「バクマン。」のアニメ版って感じみたいです。

 石田敦子さんの作品は「マンガがお仕事」以外は読んでいませんでした。上記も通りあんまり楽しいマンガではなかったのと、広島カープ・ラブのマンガばっかりだったためです。石田敦子さんはズーム・ズームで始球式をするほどの広島ファンで、広島ファンを主人公にしたマンガを描いてましたが、横浜ファンには読む理由がまったくないのでスルーしていました。
今回取り上げた「ざせつ男とまんが少女」は「マンガがお仕事」以来の単行本購入でした。この作品は『福山の高校生のまんが少女とアニメーター崩れの高校教師が同志になってコミケを目指す』というストーリーです。キーワードは夢をクラッシュさせる(無謀な夢は早期に諦めさせる)ことと描けないという挫折。石田敦子さんの作風で本気で上を目指す人が目指さない凡人を見下すことでマウントを取るタイプのロジックになりがちです。マンガを描かないマンガ研究会のメンバーと私(主人公)は違うんだっていう差別意識、描く道を選んだことの優越感などは、マンガを描くということとはまったく関係ないと思います。本気でマンガを描くこととコミケでマンガを売ることは同義ではありません。

 ちょっと批判的ですがコミケを目指す人へのアドバイスで申し込みや製本、搬入についての文章はよく見かけます。しかし『コミケで同人誌を売りたいのなら面白いマンガを描きなさい』というアドバイスを見たことがありません。同人誌ってマンガ家の真似事がしたいのか出版社ごっこがしたいのかイマイチよくわかりません。
リアル指向の石田敦子なので主人公が「絵だけはうかぶけどストーリーにならない」と悩みます。これは大半の人に当てはまる『作品を発表したいのではなく、コミケに参加している自分に憧れる』という症例です。自分は「マンガを描いたり・・・」のブログを書いていながらなんですが、コミケに参加することがマンガを上手に描くことと直結していないように思っています。それは絵師を目指す方々がpixivで名を上げようとしているが、閲覧数の多さがが画力アップにつながるわけじゃないのと一緒です。
「ざせつ男と・・・」の主人公も、描けないって悩んでいたのに結局はコミケに委託販売で参加します。委託とはコミケの他人のスペースに置いてもらう方法です。コミケの記述までにマンガが仕上がりそうになくて泣き言を吐いてた主人公ですが、「やっぱり描けん。ネームやらコンテやらわからんまま描いてきたツケが・・・途中までしか仕上がらんかった。最後「つづく」でいいよね?あとはラクガキ集みたいにして一冊にしちゃえば・・・」っていう状態でした。何でマンガが描けないのにマンガを売ろうとしてるのかが、イマイチ理解できないですよね?
石田敦子さんはアニメ業界もマンガ業界もプロなので、この主人公のコピー本はコミケで売られている同人誌の実情なんだと思います。この主人公は未完成品と自認しているはずなんですが、コミケで一冊も売れなくて挫折しちゃうんですよね逆に未完成マンガやラクガキ集がどうして売れると思えたんでしょう?
最後は夢を捨てないとか描きたい気持ちとかで再びコミケを目指すんですが、今度は何故か売れちゃうんですよ。頑張って夢を捨てなかったから報われたっていう展開なんですが、どうして売れるマンガが描けたのかは説明されていません。

 別に面白いマンガなんか描かなくても、個人が楽しく製本するんだったらそれは何よりです。文化祭よろしくワイワイと活動するのが同人サークルのよさでしょう。そこに夢は毒とか後悔とか挫折とか夢を壊せとか・・・ネガティブな呪いばっかりなのは「アニメがお仕事」からなーんも変わっていませんでした。石田敦子さんの作品が苦手なのは他の青春マンガよりも挫折とか後悔とかに囚われているキャラに真実味があるんですよ。この真実味というのは主人公も脇役も悪役もみんな落ち込むと愚痴や謗り、妬みを言い出すんですよね。そのキャラたちがウザすぎて読む意欲が薄れるんです。以前によく取り上げていた佐原ミズさんの描くキャラがイライラするのに似ています。
しかもネガティブだった主人公がポジティブ指向に変わったことで、面白いマンガが描けるわけではありません。マンガが努力や諦めない心で描かれているんじゃないことを、一番知っているのが成功者の石田敦子さん自身のはずです。マンガ家志望のキャラがでてくるときのテンプレートな感じにずーっと違和感がありました。しかし、その違和感の正体がマンガ家を目指してコミケに参加してる人たちが本当にテンプレな感じだったとしたらちょっとガッカリです。
面白いマンガを描くこととコミケで同人誌を売るといことは、目指す意味合いがまったく違うんだと思いますよ。


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読書感想文の季節 - 2018.07.14 Sat

貝田桃子さん著 さくらももこさん絵の「ちびまる子ちゃんの読書感想文教室」です。

 今回は夏休み直前スペシャル『どうやって読書感想文を乗り切るか』がテーマです。夏休みというものは朝寝坊、夜更かし、ゲーム、かき氷といった自由と、ラジオ体操、計算ドリル、部活の合宿、そして読書感想文といった責任によって成り立っています。中でも負担が大きいのは読書感想文でしょう。
正直、夏休みの宿題なんてものは量が面倒くさいだけであんまり頭を使う必要がありません。したがって作業を友達同士で分散すれば効率よく片付けられます。
夏休みの宿題をコツコツやって2学期から成績を上げた子を見た記憶がありません。2学期から成績を上げたいんだったら、夏期講習に出るなり効率的な勉強をするべきでしょう。ラジオ体操の判子も欠損した日の分は「田舎に行ってたんだよ」ってウソをつくとポンポン押して貰えたりします。何故ならその子の出欠なんか、ラジオ体操のお兄さんにとってはどーでもいいことだからです。
夏休みのノルマでどーにもならないのが夏合宿と読書感想文です。合宿をサボると秋からのスタメン落ちはともかく、なんかスゴい楽しいことに乗り遅れちゃいます。下手するとチームメイトが大人の階段を一段上っちゃってる可能性もあります。もう一つは読書感想文です、コレばかりはみんなで写すようなズルが利きません。自由研究だったら5~6人で共同研究すれば負担を少なくすみます。しかも「共同研究」という学校の先生が喜びそうなフレーズが好評価されそうな感じですね。本当は几帳面な子に観察等を押しつけてみんなで写すんだろうけどね・・・

 そんな夏休みの永遠の悩みの種の読書感想文の書き方を“ダブルももこ”が解決しようというのが「ちびまる子ちゃんの読書感想文教室」です。著者の貝田桃子さんは秋田の高校の国語の先生なんですが、ダブルももこの組み合わせ以外に文法の本や現代文や論文の書き方の著書が多数です。ちびまる子ちゃん抜きで感想文画家期待人はそれなりのレベルの著書があるようです。
さくらももこさんとの共著の ~ 教室シリーズも「まる子の文法教室」や「作文教室」や「ことば教室」など多数出ています。今ブームになっている新井紀子先生の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」に書かれている子どもたちって、結局は助詞を読まない(理解できない)から教科書が読めないって感じです。
子どもにとっては子どもなりに日本語がしゃべれているという自負があるので、日本語の文法を学ぶということにワクワクできません。低学年だった頃に算数の足し算の授業がくだらない時間に思えたように・・・自分はずーと国語の授業ってくだらないなぁって思っていました。教科書の文章を順番に音読して主人公の気持ちを見んなで考えるというのはカウンセラーの時間です。初等教育の国語の時間で文法教室、作文教室、ことば教室をやっていないことが問題なんでしょう。結果として理系の先生に教科書が読めていないと指摘されちゃうのは国語の先生の敗北です。何よりも多くの先生が信じて疑わない読書感想文という宿題が、全ての子どもに受け入れられていない段階で敗北でしょう。
個人的には読書感想文というのは書評家や読書好きブログ、本屋のポップ担当など、感想を伝える目的のある人が書くものであって、感想文を書くために読書をするというのは本末転倒です。そもそも真の読書とは作者と読書の葛藤であって、それを文章化できるくらいだったらその子は小説家になれるでしょう。例えば国語の先生に絵画を見せて「絵画感想文を提出しなさい」って宿題を出したら、ちゃんと書けるかな?原理は同じはずなんですが「僕はこの青が美しいと思った」的なペラペラな文章になるのかもしれません。絵を理解するチカラは感性じゃなくて美術に対する知識と経験です。文章を理解するチカラも同じく日本語の知識と経験です。なのに子どもに本を読んだ感想(感性)を作文にまとめろというのは無理ゲーでしょう。

 しかしどんな無理ゲーでも読書感想文が宿題なんだからイヤイヤでも書かなきゃいけません。本当は夏休みの宿題なんかどーにでもなるんですが子どもは建前でも宿題はやるほうがいいでしょう。
では、いかにして読書感想文を乗り切るのかという
作文の提出で問題になるのは原稿用紙何枚以上というレギュレーションです。実社会では何枚以内というほうが多いんですが、作文嫌いがほとんどの国語の授業では最低枚数が問題になります。読書感想文の本質は「この本を読んだ感想は感動した」です。ならば「感動した」をいかに原稿用紙3枚にするかを考えればいいのでしょう。400字詰原稿用紙は3枚で1200文字あります。しかし感動しただけでは4文字なので残りの1196文字をどうするかが問題です。1行目はお決まりの「○○を読んで」というタイトル、2行目はクラス・名前で40文字は消化できます。そのほかに改行を繰り返す、段落ごとに1行空けるなどで見た目以上に文字数を減らせます。小学生が誰でも思いつくのは文の始まりにいちいち ボクは・・・とつけることでしょう。正直いって感想文は全てボクの感想なんだからボクと書く必要はないんですよね。しかも「ボクは」で3文字なのに対して「吾輩は猫であるという本は」で12文字も消化できます。その後も「夏目漱石の本は」とか「大正時代の文学は」など主語にバラエティーを付けつつも字数を稼ぐのがよいでしょう。その他、同意語は極力文字数の多い言葉に置き換えるなど。奥の手としては「感動した」を「ボクハ・・・トォォテェェェモオォ・・・カンドウーシタァァァァ・・・」ってラノベ感満載で書くと、あっという間に1冊の本が書けます。100%書き直しさせられますけどね。
このような方法で原稿用紙3枚を埋めたとしても「書いていて楽しいか?」といえば楽しいわけがありません。感想文を提出された先生のほうも読んでいて苦痛でしょう。苦手な読書感想文を苦手なままやり過ごすのだったら、いかにマスを埋めるかだけでいいんです。でもそれでは先生も生徒もお互いに不幸になります。もう少し前向きな読書感想文の攻略法も考えてみましょう。
前向きといいながら感想文には感動した感想文と、感動してない感想文があります。夏休みの宿題の対策なんだから、いちいち読書で感動してから感想文を書かなきゃいけないのは非効率です。だって感動する本に出会うまで本を読み続けなきゃいけないんだから。せっかくの夏休みを読書にだけ費やすのはもったいないです。そもそもみんなが勘違いしているのは読書感想文は読書感動文ではないっということです。ましてや小説ごときで生き方が左右されるほど悩んでもいません。全ての本が感動や学びを与えてくれるわけではありません。
感動してないから「感動しませんでした」という感想文と、感動してないのに「感動しました」と書く感想文は、どっちが正しいのでしょう? 答えはどっちも正解です。強いて言えば先生にとっては「ウソでも感動した」っていうほうが嬉しいんじゃないのかな?

 自分は小学2年生からマンガとおぼしきコマ割をしていました。大体が読み始めたジャンプなどの影響で見よう見まねなんですが、ストーリーマンガ的な何かを描いていたんでしょう。スポーツで自己表現することが得意な子や歌で表現できる子、それこそ勉強ができる子など学校には様々なタイプの子がいます。自分は描くことや書くことに嫌悪感がなかったので、どちらかといえば作文は向いていました。でも授業で書かされる作文や感想文に納得はしていませんでした。
低学年の頃は知恵がないので無理矢理決められたテーマで作文を書くことが苦痛でした。当然ながら文字数を稼ぐための時間稼ぎのような作文でした。しかし、高学年にもなると知恵がまわり始め、感想を書かない感想文を考えるようになりました。
一般に読書感想文に求められることは、まず「その本を読んだきっかけ」次に「簡単なあらすじ」そして「感銘を受けたところ」最後に「読後どう影響を受けたか?」っていう感じです。これだけを押さえれば読書感想文の体裁は整います。しかもこれらの4点は有名な作品になれば、何となく知ってるストーリーで、どうやら悲しいお話で、多くの人が感銘を受けてるらしい本に、『偶然にも二つ年上のいとことお盆にお爺さんの家に泊まりに行った時にその作家の話になり、とてもこの本は影響を受けたのだと言わてボクも興味を持ちました。彼の本を貸して貰えたので海に行く約束も反故にして一気に読んじゃいました・・・』というごっつい本との出会いを書けば掴みだけで乗り切れます。当然ながらその本なんか読んでいません。貴重な夏休みに読書なんかしてる場合じゃないでしょう。「その本」の部分に当てはめるの作品は男子だったら宮沢賢治、女子だったらモモなんかがそれっぽくて無難ですね。
 
 全ての文章は読者のために書かれています。読書感想文だったら読者は先生だけです。自分は読書感想文というくだらない課題に対抗するために物心ついたころから一度も読書して読書感想文を書いた記憶がありません。小学校の時代は後ろめたくも読書感想文をやり過ごすだけでしたが、中学生では先生に挑戦するように偽読書感想文を書いていました。吉田秋生さんのマンガを読んだマンガ感想文をマンガと書かずに(小説とも書かない)つらつらと書いてました。やってることは今と変わらないです。さらに谷山浩子さんのLPを短編ファンタジー小説のごとく、レコード感想文なんかも書きました。
吉田秋生さんも谷山浩子さんもそんなにメジャーな感じではなかった頃です。浩子さんのほうは「まるで音楽のようなリズムの作品」てな感じのテキトーな作文でしたが、現国の先生も普通につまらない読書感想文よりは、ダイナミックな偽読書感想文のほうが読みがいがあるでしょう。感想文なんか書いたって自分のためなんかにはならないんだから、せめて読者である先生を楽しませるほうが作文力が上がるという気がします。
ずーっとインチキな読書感想文の話をしてきましたが、一番インチキな方法はネットで読書感想文のテンプレや模範文例集を転用することです。しかしコレはお薦めいたしません。ダブルももこさんの「ちびまる子ちゃんの読書感想文教室」は読書感想文のノウハウやルールが書いてある本です。これはコピペ集ではなく、子どもたちがこの本を読んで感想文を書くということの苦手意識を解消するためのテキストです。

 最悪なのはまったく考えずに例文を引用してしまうことです。なぜならば、一度でも文章をコピペしちゃうと、その人はもう自分で文章が書けなくなってしまうからです。そもそも定型文というのは定型書式のためにあるので、定型書式には善し悪しなんかありません。しかし作文とか論文とか報告文とかオリジナルな文章をコピペに頼ってしまうと、自分で考えた文章が正しいかどうかの判断するチカラが失われてしまします。一度文章を他人の書式に任せちゃうと、次に自分で考えて文章を書く時に自分の思考する文章に自信が持てなくなります。同じようなケースでネットの情報ばかりを鵜呑みにしていると、自分の考えよりもネットのトレンドのほうが正しい気になっちゃいます。そうなると自分で考えるチカラを失ってネットの多練度が自分の考えに思えてきちゃいます。
読書感想文のテンプレサイトではコピペの正当性をうたっていますが、コピペしちゃうと次の作文も自身の文章があってるか間違ってるかが解らず「標準的な正解」と思われる文章テンプレを探しちゃうことになります。現在、表面化しているのは大学生が論文をコピペしている問題です。効率を考えれば現代っ子なら当然のことでしょう。きっと彼らは「文章なんかコピペで作れる」と考えてるのでしょう。しかし、「文章はコピペで作れる」と「文章はコピペしないと作れない」は同じことをいっています。新井紀子先生的にいうならばコピペで文章を作ることはAIがもっとも得意とするジャンルです。人間の尊厳とはコピペしないで文章が書けることです。極論、コピペで感想文を提出した子は将来AIに取って代わられる可能性大です。
結論は、だからダブルももこさんの「ちびまる子ちゃんの読書感想文教室」を読んで自力で感想文を書こうということです。今回の記事も当然ながら自分は読んでいません。読んでなくてもブログが書けなきゃダメなんですよ!


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