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2019-11

いつまで書くつもり? - 2019.11.09 Sat

「らいかの日記」のアクセス数が20万回を超えました。

 2012年の1月4日にスタートしたブログ「らいかの日記」ですが、いつの間にか閲覧数が20万回を超えていました。日々訪問していただきました皆様や、ぶらっと訪問してくれた一見さんも合わせて感謝いたします。10万回が2015年の4月だったのでだいたい3年半で10万ヒットのペースですね。
20万回の閲覧というのは売れっ子ユーチューバーが一日で集める集客数です。世界的なスターだったら数分で再生される回数でしょう。そもそもテキストのブログと動画のYouTubeでは勝負の土俵の大きさが段違いです。
「ブログの閲覧数って何に近いかな?」って考えたら、同人誌の発行部数が近いんじゃないかな? 同人マンガ家の方はプロ志望・営利目的とアマチュア・同好会に二極化しています。以前はブロガーかライターという道や、広告収入で儲けるタイプが多かったようです。自分は7年で20万ですが人気ブロガー方々は1日の閲覧数が5桁って人もざらにいます。どーいうカラクリなのかはわからないが、わからないからこそカラクリなんでしょうね。ブログ全盛期にはブログアクセス数を上げるカラクリ(正攻法のノウハウ)を指南するサイトがいっぱいありませた。今、ブログ アクセス数 で検索しても最新のサイトでも3~5年前の記事しか出てきません。ブロガーっていう言葉自体が死語になってるんですよね。

 もともとのSNSという言葉の中にはブログも含まれていたような気がします。SNSとブログの違いはSNSは情報の発信、速報性、共有、拡散など。コミュニケーションでは投稿、コメント、フォロー、など。日常の暇つぶしから仕事上の実務の連絡まで幅広い用途で活躍してますね。
それに引き換えブログときたら・・・って感じですが、ブログにもメリットがないわけではありません。SNSが共有サイトという性格を前面に出してるぶん、サイトに登録してる感が強い印象です。ブログは逆に自分の部屋っていう感じが強くもてます。SNSのサイトがユーザーに求めてるのは書き込みの内容ではなくて交信回数です。たくさん通信して多くのユーザーがサイトに加入してもらい、たくさんのスポンサーを集めることで世の中が循環していきます。
自分は一切のSNS系なものを使などで有名人のSNSの書き込みを読むと、そんなに面白いことが書かれてるようにも思えません。うまいこと言った感はありますが、日本中が書き込みで「うまいこと言ってやろう」という思いで書き込んでる感じはします。ニュースなどの批判で盛り上がってるコメントでは「自己責任だ」とか「行政は責任を取れ」など一言で全てのジャッジを下す人たちの意見が溢れてます。そこに乗っかって「あいつが謝るべき」って書き込むんでしょうけど、その書き込みをした人がどれだけ“あいつ”に注目していたのかは窺えません。

 ブログ全盛期は脊髄反射で批判するようなコメントは少なかったんですが、長文で理路整然と議論を持ちかけられるということは日常でした。批判の内容や主観の相違はあるけどとにかく長文には理論が伴う必要があるので、批判的意見も含めてのブログの色になっていたと思います。記事を書くほうは体力がいりますが批判するほうにも体力が必要だったんですね。
そんなブログへ追い打ちをかけるニュースがありました。Yahoo!ブログ サービス終了のお知らせです。もうすでに記事の書き込みやコメントはできなくなっており、12月15日で閲覧も含めた全サービスが終了します。自分も過去にお絵描きSNSサイトで現在のブログ的なものを書いていました。そのサービスも終了してしまい、ブログ難民になっちゃったのでFC2に流れてきました。それまでのログはみごとに消失しちゃいました。ネットに流出したことは永久に消えないって多くの人が思っていますが、案外あっさり消えちゃうもんです。
簡単にメッセージを公開できるタイプのSNSのサービスの方が手間の掛かるブログよりもビジネスになるんでしょう。インスタグラムに至っては文章ですらないのでよりサクサクと楽しめます。ブログの王道は「写真+記事」なんですが、そーいうタイプのブログはほとんどSNSへ流れちゃいました。
ネットで公開する情報が画像や動画になっている現状ではテキストデータというのはローカルなジャンルなんでしょう。配信する内容がどんどんナマモノになっていき、コンテンツは鮮度が命になっているような印象です。同時性はインターネットの得意とするもので、逆に月刊誌は30日というタイムラグが情報媒体としてネットに勝てるハズもありません。

 自分が「らいかの日記」を書いている理由は、自分が思ってることが自分と関係のない他者にも伝わるかどうかという興味です。ネットは承認欲求を満たすためのメディアになっていますが、このブログの閲覧数では承認されてるとは言いがたいです。7年間というのは十分に惰性で続けてる感も強いんですが、惰性で続けるには手間がかかるんですよね。
このブログは長めの記事だと字数は6500文字くらいです。400字詰め原稿用紙でだいたい15~16枚くらいになります。長文を読まされる方々への迷惑は重々承知で書いています。自分には140文字で言いたいことをまとめる文才もありません。思いつきで書いている記事ですが自分の事実誤認もあるので、裏取りとか下調べなんかも結構かかります。お蔵入りしちゃうと更新がぽっかり空いちゃうこともよくあります。以前だったらすぐに差し替えの記事が書けたんですが最近はなかなかキビシイですね・・・
 
 自分のイメージですが、このブログがますますの発展とかは考えにくいです。せめてFC2のサービスが終了しないことを願うばかりですが、あやしいサイトの裁判が多い印象でブログサイトとしても落ち目感が気になります。
それでも読んでくれる人がいるのならその人のためにちゃんと書くことが正しいのでしょう。一番ダメなのはちゃんと書かないことなので、それだけは頑張って続けたいと思っています。


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英語、免許皆伝 - 2019.11.04 Mon

学校教育における英語の授業について考えてみる・・・

 ニュースレベルでの情報ですが、大学入試のための英語民間試験の実施が延期になったそうです。時分は受験しませんし受験する配偶者や知人もいないから聞き流していたニュースではあります。コンセプトは日本人が中高6年間英語の授業を受けていてもほとんどの人が英語をしゃべれない現実です。
萩生田文科相が「身の丈に合わせて・・・」って言ったことでこの新制度がワイドショーにもバレてしまい、スタート直前で延期という事態になりました。憲法26条とか教育基本法4条とか持ち出して批判してるマスコミもありましたが、萩生田さんも受験生ではなかったので、この受験改革については興味がなかったんでしょう。だって9月に文科相になったばっかりだからね。そりゃ他人事でしょ。
朝の通勤電車で立ちながら入試テキストを読んでいる高校生を見かけます。スゲー難しいだろう問題を解いてる姿は、コドモって勉強してるんだなぁって漠然と思います。駅の階段に答えを隠す赤いシートのアレが落っこちてるのを見ると、受験ガンバレって思ったりしますよね・・・ 
英語の勉強をしていないから英語が喋れないというには、彼らは十分過ぎるほど勉強してるって気がします。それなのに、何で日本人は勉強しても英語が喋れないのでしょう?

 日本人が経験する英語の授業や試験がなにを目指しているのか? そこを考えれば答えが見えてくると思いました。例えば有名どころでいうとECC や駅前留学NOVA などは、英会話ができるようになるための外国語教室です。このタイプは英語だけではなく、訪日外国人向けの日本語教室なども同じ形態でしょう。今、文科省が悩んでいるのは英語教育では英語が喋れないということですよね? それだったら英語の授業をECC に委託すれば解決しそうです。国立大や有名私立を受験する人で予備校に通ってない人はいないでしょう。でも受験用にNOVA へ通ってる高校生がいるとも思えません。高校3年間 NOVA に通っていたら入試前に英語が話せるようになるかもしれないのに。
このパラドックスは大学が求めてることが英語が話せることではなくて英語の学力を求めてるから発生します。ボブやスティーブと英語でバカ話ができても、答案用紙に答えが書けなければ大学に入れません。それは英会話教室の範疇ではないと思ったんですが、調べてみたらECC にもNOVA にも中高生向け受験コースがありました。企業はとっくに新受験制度に対応してるんですね。駅前留学というのはサラリーマンが無駄なあがきをするための教室です。そこにアスリートのような現役受験生が来るのはどうなんでしょう? 
せっかくの英会話教室も受験生用のカリキュラムにしちゃうと、やっぱりほとんどの人が大学合格後には喋れなくなると予想できます。

 英語が喋れない人たちにとっては中高の英語に授業が全く無駄だったのか?といえば、そんなのとは絶対にないと思います。大国人たちも日常的に英語外来語や和製英語、英語のフレーズ、カタカナ英語など、日本人くらい喋れもしない言語を日常会話に取り入れている国は珍しいでしょう。ちなみに片言のウズベキスタン語とか和製テュルク諸語を話してる日本人に会ったことがありません。もしかしたら森薫さんは話してるかもしれませんけどね。何でウズベク語を日本人が使わないのかといえば、中高でウズベク語の授業がないからでしょう。大学でフランス語を専攻したボンクラ学生の卒業後のフランス語力もヒドいもんですけどね。
英語が話せるようになることと英語が喋れるようになることは違います。英語を話すというのは英語で会話をするという意味です。基本的に文法と発音、ヒヤリングの全てを駆使してできることで、学校の英語教育はココを目指してるんでしょう。英語を喋るというのは「イノベーション」とか「アグリー」とかの英語は、英会話ではなくて単語を言いたいだけです。「not release the boll」は英会話っぽい感じですが、「ノット リリース ザ ボール」という覚え立てのラグビールールを言いたいだけです。
普通の日本人にとっては外国人と話せることよりも、「ノット リリース ザ ボール」がボールを離さない反則なんだとイメージが湧くことが需要です。フェンシングで「ポワント アン アンリニュ」と言われても「ああっ pointe en ligne だね」っていう日本人は少ないです。それはほとんどの学校にフランス語の授業がないからです。
会話もできない英語教育を否定する教育関係者も多いですが、日本人の無駄な英語の読解力は無意味だった英語の授業のたまものです。英語の看板でも「SHOP」とか「RESTAURANT」とか見ただけで結構わかるじゃないですか? 日本人ができないのは英語での発音と相手の英語を理解し頭の中で英文を組み立てることです。それを一般に英語が話せないというんですけどね・・・

 現在の英語教育はモータースポーツのライセンスに似ていると思います。クルマを運転するのに必要なのはクルマでも車庫でもなくて自動車運転免許証です。コレがあれば自分のクルマでも他人の車でも運転できます。この自動車運転免許証とは別にサーキットなどでレースに出る場合はJAF 公認のモータースポーツライセンスが必要です。
自動車運転免許証がなくても8歳からカートのライセンスは取得できます。カートの大会で成績が優秀な場合は上位カテゴリーへステップアップできます。スゴく優秀な成績をたたき出せた人は16歳からA級ライセンスの取得が許されます。つまり16歳でもクルマ(レーシングカー)に乗る資格が得られるということです。当然レーシングカーなので公道は走れません。
じゃあ「クルマに乗りたいんだったら8歳からカートに乗って競技大会に出れば、16歳からクルマに乗れるじゃん」っていうことになるか?っていえばそんな人はほとんどいません。カートからレーシングカーのライセンスを取る人たちは将来 F1を目指すという野望があるコドモとその父親です。普通の人がクルマに乗る目的は、仕事に使うとか買い物に行くなどの日常生活に沿った用途です。よって自動車運転免許証も普通の使用方法にそった試験を行います。大型2種や特殊な重機はそれなりの技能試験や学科試験が必要です。
中高の英語の授業はモータースポーツのライセンス試験を撮るための勉強になっちゃってるんじゃないでしょうか? クルマの場合はレーサーを目指す人のみがモータースポーツライセンスを取るのですが、普通にクルマにのるためには自動車運転免許証を自動車学校で取ればいいんです。だったら英語を話せるようになるには英語の専門的?な知識や文法よりも自動車学校のような誰でも英語が話せるための授業をすればいいんでしょう。
自動車学校へ通えば誰だって免許証はもらえます。実は猫だってもらえるくらいクルマの運転は簡単です。しかし自動車運転免許証ではサーキットを走れません。でもほとんどの人が人生で一度もサーキットで走る必要性を感じることはありません。同じように自動車学校のような授業では大学に入れませんし、大学や一流企業が大好きな英語検定のTOEIC で点数を取れません。だけど誰も英会話ができないまま卒業するくらいなら、高校卒業時点で外人とお喋りができるくらいの英語力や度胸が身につく授業をしたほうがいいんだと思います。それじゃ国際競争力はどーするんだよ?ってことになりますが、そーいう英語力が必要な人生を進む人は自力で予備校でもTOEICでも頑張ればいいんです。
そもそも外資系や国家公務員を狙う若者は学校の授業なんかの英語力じゃムリです。教室に40人座らせてひとりの先生が授業をしている英会話教室なんかありません。構造上教室の授業では英語に授業は不可能です。方法は簡単です。英語を一切の入試から外せばいいだけです。このアイデアは萩生田さんのアイデアと違って受験者への負担はゼロになります。

 クルマ離れの昨今ですが、運転免許証を取らない人が年々増えてるイメージです。クルマを所有することの不経済性や公共交通機関の利便性を主張する若者は多いようです。都会ではクルマがなくったって不自由しないどこるか、クルマのないライフスタイルが確立してます。
英会話ができなくったってさんまさんが宣伝してる翻訳機やスマホのソフトでも外人とのコミュニケーションをとるテクノロジーは日々進化しています。クルマの免許証をいらないっていうように英語の点数もいらない社会になりつつあります。それじゃ機械が話すから人間が英語を勉強しなくてもいいのか?といえばそれもNOです。海外から来たラグビーファンに「ジャッカル」とか「ノックオン」とか言いたいじゃないですか! それには英語でおしゃべりできるくらいには授業で習うべきです。
体育の授業でサッカーをやるにしても「両サイドハーフが戻ってプレスをかける」とかやりませんよね。だいたいのサッカーという競技を日本中の生徒が経験できればそれで十分に価値のある授業なんです。それくらいの教科で十分なんじゃないのかな?

 ネットでTOEICのことを調べていて疑問に感じたことがあります。時分はTOEICをトイックだと思っていました。でもトーイックが正式な発音のような感じでした。テレビヤラジオでTOECIについて発言する人はそれなりのコメンテーターだと思います。全然アカデミックではないキャラの人はあんまり英語検定とか言わなそうです。時分もまったくアカデミックと無縁な生活ですから、コメンテーターの多くがトイックと発音していたんじゃないかと思われます。それとも時生分にはトーイックがトイックに聞こえるっくらいヒヤリング力がないのかも・・・?


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にゃんこの公共性 - 2019.11.02 Sat

さだまさしさんの「にゃんぱく宣言」です。

 にゃんぱく宣言って何だよ・・・?ってことですが、ACジャパンの広告です。ACジャパンとは日本で一番怖い映像のクリエーター集団で、♪エ~シィ~っていう呪いの曲でお馴染みのアレです。ACジャパンの得意技はトラウマ・ストーリーや脳内リフレインです。
ACジャパンの最新作が「にゃんぱく宣言」ですが、覆面歌手のSさんが歌っています。と、思ったらしっかり「作詞・作曲 さだまさし」とクレジットされていました。さだまさしって誰?な若者には「昔、タモリさんに嫌われていた歌手」っていえばピンとくるでしょう。オールドファンには「鶴瓶ちゃんとお笑いコンビを組んでた人」でお馴染みですね・・・

 「にゃんぱく宣言」は猫の飼い方の心得を節にのせた軽妙な曲です。とてもACジャパンとは思えないキャッチでポップなCMソングなんですが、猫の適正飼育を訴える動物愛護な内容の歌です。以前のさだまさしさんの曲についての記事を書いた時に、JASRACからFC2へ直々に差し止めの抗議文がきて、記事を凍結された思い出があります。CMソングですが歌詞のアップはリスクが高いので歌詞は割愛させていただきます。どっかで聴けると思いますので、知らない人は頑張って探して下さい。
歌詞の内容は『♪~オレの体を管理しろ~』とか『♪~飼えない数を飼ってはいけない にゃ~・・・』というメッセージなんです。その中で2番?の歌詞が引っかかりました。『♪~外に出してはいけない』っていう歌詞でした。
自分は猫や犬を飼ったことがなく、猫の知識はにゃんこマンガ家さんのにゃんこ自慢マンガやにゃんこブログくらいの情報量です。自分と一番接点があった猫は小学生の頃に本家(おじいちゃんち)で飼っていたタマという和風な猫でした。夏休みにコドモだけで疎開?するのが慣習だったのですが、コイツはいつもどこに居るのかわからない猫でした。夏休みなので軒下とか納戸とかヤツなりの避暑地を知っていたんだろうけど、大概は外にいたようです。正月はこたつにいるから触れたんですけどね。それこそ本家は農家で敷地は庭以外も全部おじいちゃんちだったから、さだまさしさんがうたう外ではないんでしょう。この曲が都会のペット事情を歌っているのはわかります。

 この曲は猫が飼い主に飼い方のモラルを宣言する歌です。ACジャパンは公共広告機構だから「飼い主は猫の体調を管理しろ」とか「多頭飼育はいけない」というのは公共のモラルなんでしょう。では「猫を外に出さない」というのも公共のルールなのか?それとも猫を守るためのルールなのか? という疑問があります。
「外が危険だから猫は家の中にいるべき」という意味なのか? それとも「猫が外を歩いていると近隣が迷惑になるから」なのか? 犬の場合だと以前の日本では犬は全て庭につながれているものでした。犬小屋で寝るのが当たりませなので、マンションと一軒家の違いは犬を飼えるかどうかだったと思います。その頃でも海外ドラマでは渡辺多恵子さんの「ファミリー」に出てくるアダムのような医務が家族のように振る舞っていました。そーいうのは何処かのブルジョアな世界だったのですが、現在は犬が家の中を歩いてるシーンにブルジョア感はありません。
ヘンなハナシですが座敷犬という言葉は事後になったのかも知れません。それは座敷犬が居なくなったのではなくて、全ての犬が座敷犬になっちゃったからでしょう。でも犬が鎖でつながれていたのはそんなに昔話ではありません。「めぞん一刻」に出てくる惣一郎さんが番犬扱いでした。ちなみに響子さんは嫉妬や勘違いで怒ってる前半よりも、ラストの五代クンと結ばれて安心したころのほうが可愛いです。そーいう描き分けができる高橋留美子先生はスゴいんです。

 猫に戻ると社会問題になっているのはやっぱりノラ猫と飼育放棄なんでしょう。この件に関しては斉藤 倫さんの「ノーにゃんこノーライフ」など一連の作品に熱心に描かれています。自分が一難信用している猫マンガ家さんです。
「猫を外に出す」ということのリスクとして考えられるのは、他人の所有地への不法侵入、排泄、それをな人が処理しているのいう問題、与えてる餌以外のモノ(有害なモノも)食べちゃう、ふとどき者による虐待やいたずら・・・ 屋内猫は野外猫に比べて感染症(病原体・寄生虫)になるリスクが3倍になるとのことです。飼い主さんにとってはぞっとする不安ばっかりですね。
ACジャパンが訴えているのは誤食や猫誘拐ではなくて、近所への迷惑行為(排泄)のことを言ってるんでしょう。何で外に出すなが引っかかったかといえば、体調管理と多頭飼育、飼育放棄は猫ファーストな意見です。でも外に出さないというのは人間ファーストな印象だったからです。さだまさしさんじゃなくねこまたぎさんが作詞したのなら「♪~部屋に閉じ込めてはいけない にゃ~」ってなるのかもしれませんよね。
ニュースサイトで拾った記事なんですがBBCニュースとイギリスの大学生が共同で「10匹の飼い猫にGPSを装着して24時間の行動を観察する」というレポートを出していました。これは選ばれた飼い猫が飼い主の見ていない時間にドコを歩いてるのか?を調査したレポートです。
専門家によると猫の移動距離は80m暗いなのですが、調査した猫は200mという広範囲もいれば40mという活動範囲の狭い猫もいました。その他にそれぞれが一定の出没するエリアを持っていて、飼い猫ながら地域にナワバリが存在するようです。猫が待ちで鉢合わせするとバトルが始まるから、猫同士がなるべく出会わないようにエリアを棲み分けてるそうです。
これって猫の世界にも公共があるってことですかね? 斉藤 倫さんのマンガで学んだ地域猫ですが、外を歩いてる猫がノラ猫なのか飼い猫なのかの区別が自分にはつきません。首輪で見分けられるのいかも知れませんが、迷い猫や飼育放棄された猫の可能性もあります。飼い主さんが知らない日中に猫が何処行ってるのかといえば、ウチの庭でひなたぼっこしています。ウチに来る猫は柄や品種も様々なのでナワバリ外のフリースペースなのかも知れません。夜中にウチの庭で大騒ぎしてるので集会場になってるのは間違いないんだけどね・・・

 榛野なな恵さんの「Papa told me」のエピソードで『 ジョゼフィーヌというデブのネコが行方不明になって飼い主が探してる。知世ちゃんが偶然見つけるがジョゼフィーヌは「こー見えても本当はヤマネコなんだ」と言い張って家出する 』っていうお話がありました。知世ちゃんはデブすぎて野性の生き方は無理だから飼い主に知らせるべきだけど、野性を思い出したというジョゼフィーヌの個人の意見も尊重したい・・・ ジョゼフィーヌはデブ過ぎてクルマに轢かれそうにになってしまい、説得して飼い主の元に帰ることにしました。
飼い主の家から出て行く猫の主張と、猫を外に出しちゃアブナイという葛藤のマンガでした。飼い主の愛情でぶくぶく太っちゃうのも幸せな猫だし、野性を目指して生きていくのも幸せでしょう。一概に猫を外に出しちゃいけないと言っても、猫には猫の公共があるんだと思います。その一つはウチの庭の草むらなんでしょう。 エ~シィ・・・


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みんな宮本だった - 2019.10.27 Sun

新井英樹さんの「宮本から君へ」です。

 10月現在、実写映画版の「宮本から君へ」はまだ公開中です。この日記を書こうとした頃は絶賛上映中だったのですが・・・ 公開前に映画版の主演の池松壮亮さんやヒロインの蒼井優さんが、伊集院さんのラジオ朝番組のゲスト出演したのを聴きました。だいたいどんな仕上がりになってるかは想像できますので、今回は 映画.COM のレビューはナシです。町山さんの映画評では「蒼井優のお尻が観れる」とのこと。自分はこーいう日本映画の頂点のような映画は大の苦手なので、観るつもりがまったくないから批評する権利すらありません。ふわっとしたイメージなんですが、日本映画が頑張って映画を作る時「より本気で殴ってる。汚さがホンモノ、どうかしちゃってる・・・」を前面に出さなきゃ評価されない感じがします。自分は町山さんのレビューも出演者や監督のインタビューも聴いた上で「そんなに観たい映画じゃないかな?」って思いました。
映画評の中で「常軌を逸した迫真の演技」とか「怪演」とか映画ならではの褒め言葉があります。自分はこの映画の役者の迫真の演技が苦手なので「宮本と靖子がマンガそのままに迫真の演技」って言われちゃうと、迫真の役者を2時間観続けるパワーが自分にはありません。大竹しのぶさんとか樹木希林さん何かはチョー苦手です。役になりきってる大泉洋さんもちょっと嫌かな?したがって今回は映画の評価に興味がなかったから、映画.COM のレビューもナシです。
聞こえてくる評価はいずれも「今年の邦画ナンバーワン」とか「完璧に宮本(褒めてるらしい)」など、いい響きの評価が多いようです。原作が非常に熱量の高い作品で、忠実に映画化したとすれば賛否はまっぷたつになるハズです。プロ映画マニアやアマチュア映画評論家に惑わされることなく、観た人が判断してほしいです。観客にはいい映画を選ぶ権利があります。その権利を使ってください・・・
そんなわけで今回はマンガ版の「宮本から君へ」についてです。映画が賛否分かれる以上に連載時から好き嫌いがはっきりした作品でした。自分の連載中の印象は「新井英樹さんは青年マンガの歴史を変える」という最大級のリスペクトだったと思います。実際に青年マンガが変わったのかどーかはベット書きたいです。
映画から来た人たちのイメージだと池松壮亮さんと蒼井優さんの演技の熱量をそのままマンガに期待するでしょうが、あの熱量は「宮本から君へ」の全編でいえば1割~3割くらいです。ストーリー前半は「うだつの上がらない宮本のいじけたストーリー」です。このうだつの上がらない宮本のパートがテレ東系の深夜ドラマで放送されていました。そのスタッフによる後半パートが映画版「宮本から君へ」です。「伝説巨人イデオン」の発動編みたいなものでしょう。靖子の登場から区切るんだったら大東製薬編の後あたりから始まるストーリーでしょう。

「宮本から君へ」は30年前の青春マンガで講談社の「モーニング」で連載していました。「モーニング」は「クッキングパパ」が連載しているマンガ誌です。当時の青年誌でNo.1サラリーマンは島耕作でした。今は経営サイドの人間ですが、当時は彼も大手企業のぺーペーからスタートしていました。宮本は当時の中小企業文具メーカーの営業です。両方が「モーニング」で掲載されていたことに当時のマンガ青年誌の健全さが感じられます。
宮本と島を比べてもしょーもないのですが、宮本はダメリーマンの全てを抱えた新人営業マンです。正直いって30年前に読んだっきりの作品がリバイバルするとは思ってもみなかったことです。さすがに手元に原本がないから記事の正誤が取れないのですが、映画の報道やレビューでかなり思い出しました。
映画版のレビューでも「好き嫌いがハッキリ分かれる」とか「自分にはムリだった」とか「人生最高の作品になりました」という感じですが、マンガ版でも連載当時から意見は分かれていました。まず原作者の新井英樹さんのマンガのタッチに好き嫌いが分かれます。完全に劇画タッチで汚い描写も克明に描き込むから嫌悪感も増幅される画風です。弘兼憲史さんは大企業のオフィスを清潔に描きますが、新井英樹さんは中小企業の事務所を雑然と描くのが上手です。このタッチのマンガが読めないと話しは先に進みません。
次に宮本弘という主人公が好きになれるかどーかで分かれます。強敵にガンガンぶつかっていく根性の塊のような宮本は映画の中のハナシです。マンガでも最後はガンガンいくんだけど、大半は根性なし野郎が主役のマンガです。
ストーリーの大まかな展開はトヨサン自動車の受付嬢へ片思い~玉砕、神保の引き継ぎ~大東製薬案件~回転土下座~失注、靖子とエチエチ~元カレと対峙、靖子レイプ~ラグビー部長とラグビー息子と対決~勝利、靖子妊娠~互いの家族と顔合わせ~出産・・・っていう感じのストーリーです。
そのほか同級生の葬式で喧嘩するとか知らないサラリーマンにいいパンチを貰うとか、陰キャラ設定の女の子とホテルで何もしないとか、断片的に思い出すんですが、なにしろ30年前のマンガなのでぼんやりとした記憶のかなたです。
それでも新井英樹さんの次作の「愛しのアイリーン」は主人公の名前すら思い出せませんし、「ザ・ワールド・イズ・マイン」に至っては多分最終巻を読んでいないと思います。ストーリーに興味を失せたんだと思われます。正直それ以降の新井英樹作品は読んでいないので、自分は「アンチ新井英樹」なんでしょう。ここまで書いておいてそれか?って感じですね。

 映画版は後半のラグビー親子編を中心にしてるんだと思われます。宮本のキャライメージを「ザ・ワールド・イズ・マイン」でいえば前半がトシのようなうだつの上がらない人物で、後半はモンのような破天荒なオレ様な人物です。人物像が変わっていく過程で、宮本のキャラ像の「融通がきかない、思い込みが強い、やせ我慢が得意」という資質が効いています。これらがネガなストーリーだと鬱陶しい面倒なキャラになります。同じ人物でも強敵に立ち向かわせると根性の塊のようなキャラになります。
好き嫌いで分かれる作品と描きましたが、自分は前半のうだつの上がらない宮本が結構好きでした。自分のまわりでも宮本は絶大な人気で、「宮本から君へ」の単行本は当時勤めていた会社の寮の人が買っていたのをまわし読みしていたんです。記憶が曖昧なのもそのせいかもしれません。是権の評価は知りませんが、社員寮の中では大ヒットマンガでした。
大人気だった理由は全員が宮本そのものだったからです。宮本の仕事はメーカー営業ですが、自分は問屋セールスをしてました。作中でいえばハタダのようなメーカーから見て一次店です。問屋のぺーぺー営業マンだから、宮本の苦悩は全部自分たちの苦悩です。大した業績も上げられないから苦労してるんじゃなくて苦悩してるだけでした。宮本のストーリーでいえば大東製薬の案件でコクヨンと競合やラグビー部長へ売り込むのは仕事の苦労のストーリーです。そこに行くまでの失恋編の頃の宮本は苦悩してるだけです。一番象徴していたのは宮本の客先で笑えないということ。みんな「自分は宮本ほどヒドくない」と信じていたんですが、小田課長から見れば宮本もお前らも変わんないって言うでしょう。
それまでのサラリーマンマンガは弘兼憲史さんのような大企業か本宮ひろ志さんのような破天荒っていう感じでした。業界マンガだと業種にこだわった作品もありましたがそれはサラリーマンのマンガではなくて業界のマンガです。本気で営業先の仕入れ担当に説教されるサラリーマンを描いたマンガは初めてだったと思います。
マンガでのサラリーマンは大体がプロジェクトを成功させるか会議で企画を提案するかでした。何のプロジェクトなのか?何の企画なのかは描かれていません。何故ならばほとんどのマンガ家が企業に就職したことがないからです。それぞれ後日知った情報なんですが、初芝電気産業を描いた弘兼憲史さんは松下電器から脱サラして島耕作を描きました。新井英樹さんも某文具メーカーを脱サラして宮本を描いたんです。このふたりが描くさらりーまんはホンモノのサラリーマンです。さいとうたかおさんは元スナイパーというわけではありませんが、デューク東郷はホンモノの暗殺者ですけどね。

 映画の評判によってマンガ版への関心も高まることでしょう。連載時のコミックスは当然絶版になっているだろうし、復刻版もかなり前なので入手不可だと思います。映画がらみの原作マンガだからこの期に何らかしらの動きがアルン土楼と思います。(調べてないけど)電子コミック系では買えるんじゃないかな?
問題は今の新人サラリーマンに宮本の苦悩が受け入れられるのか?という疑問です。あの頃は誰もが宮本でありお調子者の田島であり、明日にでも辞めてやるって叫びながら今日も営業に出かける日々でした。トヨサンの受付嬢みたいな女性も夢物語じゃなく存在したし、蒼井優さんはいないだろうけどマンガ版の靖子みたいな女性は何処にでも実在しました。不毛な合コンも結構あったし、ラッキーエッチも全て架空のハナシではありません。しかも宮本に描かれてる日本はバブル全盛だけどバブル自慢の思い出補正マンガでもありません。当時の若者の記録として残るべき作品です。
このマンガを映画版は西暦何年の設定で撮ったのかは知りませんが、令和の秘本に置き換えるんだったら宮本という人間に違和感があると思います。当時の宮本を読んでいた読者は役者が怪演している宮本と靖子を見ていたんではなくて、どこにでもいる宮本と靖子をみていたんでsっよね。だから宮本を嫌いな人も一定数しるし、その人は現実の宮本が嫌いなんだからしょうがないんです。自分も現実の宮本が同僚だったら嫌だけど、そんな自分たちが宮本とどっこいどっこいだからしょうがないんです。
自分は転職したけど今でも違う業種の問屋でルートセールスをしてります。あの頃のルートセールスと今のルートセールスでは人間関係や取引先との関係も全然違っちゃっています。正直いって今の新入社員の仕事内容や生活基盤と宮本の苦悩はかけ離れてる印象です。みんな不毛な合コンなんかしないでしょうし、ラッキーエッチまアニメの中のハナシだと思ってるようです。
復刻版が読めるのなら今さらながら読み返してみたい気持ちはあります。自分が当時思っていた宮本への感想と、宮本じゃなくなった今の自分の読む宮本への感想がどう違うのかには興味があります。
だからってペーぺーだった寮生活が長束しかといえばそんなことはありません。あのクソみたいな日々に戻りたいとは思いません。そう「宮本から君へ」というのはクソみたいな日々を克明にマンガ化した作品です。


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吾妻ひでおさん死去 - 2019.10.22 Tue

10月13日、吾妻ひでおさんが食道がんで亡くなりました。享年69歳。

 自分は吾妻ひでおさんが食道がんを公表していたことすら知らなかったので、読売新聞にマンガ家の訃報記事としては大きく取り上げられていたのを読んでビックリしました。食道がんというのもビックリですが、69歳だったということのほうもビックリです。
吾妻ひでおさんは人気ギャグマンガ家~ノイローゼ、落ち目エロマンガ家、アルコール中毒、失踪、浮浪者、入院・・・ 長生きできる人生には思えないんですが、この生き様にしては69歳は頑張ったほうだと言えなくもないでしょう。

 吾妻ひでおさんを有名にしたのは「不条理日記」と「失踪日記」です。自分が吾妻ひでおさんを知ったのは、たまーに入手できた週刊チャンピオンに掲載されていた「ふたりと5人」でした。こども心に「あんまり面白くないマンガ」だと思っていた記憶があります。ただ、現在の萌えストーリーのひな形のようなモノがこのマンガで完成していたのかも知れません。女の子をいっぱい出す、ストーリーは気にしないなど・・・ この後、サブカル界にロリコンブームがきて、吾妻ひでおさんはその中心人物になっていきました。
当時のロリコンは今のファッショナブルなロリータや萌えアニメのような幼稚なジャンルではなくて、公安にマークされるくらいガチな変態の一ジャンルです。SM、同性愛、フェチなどと同類のアングラでした。SMとかゲイなどは変態としてのプロ化が進んだジャンルなのに対し、ロリコンは若年層にも参加しやすいヘンタイだったのでサブカル界では一気にブームになりました。SFも世間からみれば十分にヘンタイのジャンルに入っていたので、SF大会(日本中のヘンタイの集まるイベント)で吾妻ひでおさんの「不条理日記」がSF大賞を取ったのは、漢字の変態がカタカナの変態に変わったチュン感でした。
その後、ギャグマンガ家からすっかりロリコンマンガ家に変貌した吾妻ひでおさんは、皮肉なことにロリコンマンガが美少女マンガ~萌えブームとジャンルが成熟するにつれて忘れ去られていきました。だって世間的には江口寿史さんおほうが可愛いしメディア的にも健全だから・・・

 吾妻ひでおさんを語る上で読書家(活字中毒)や映画やSFなぢの見聞の広さを上げる人がたくさん出てくると思われます。「失踪日記」はその内容のスゴさ(浮浪者の実態)や自身のキャラの面白さもありますが、ナレーションやセリフ等のセンスの良さが読者に評価されてるんだと思います。「ふたりと5人」やそれ以降のギャグマンガでもそうなんですが、ギャグの構造が面白いのではなくて作者やキャラがつぶやくツッコミが面白いんです。不条理系の作品も登場キャラが言ってるセリフじゃなくて、吾妻ひでおさんの声はマンガ化されてるから面白く思えるんでしょう。だから作品の評価も「吾妻ひでおさんという人物像ありき」ということになります。この人物像の形成に一番貢献したのがライバルのいしかわじゅんさんです。当時のサブカル界では両者とも重鎮の位置にいましたが、自分はいしかわじゅんさんのマンガも面白とは思ったことがなかったです。

 今の基準の美少女絵では吾妻ひでおさんの作風は、時代遅れで古くさい美少女だと思われます。中高生が好きそうな萌え絵はCG絵がベースなので、手描きの美少女には違和感もあるでしょう。それが過去の美少女を加工して改良してたどり着いたとしたら、吾妻ひでおさんの絵はオリジナルの美少女です。むしろ過去の美少女マンガ家たちが吾妻ひでおさんの本をバイブルにして改良を加えていったのが現在に生きてるんでしょう。
作画の特徴でいえばコマをキッチリ3段や4段に切って、一コマずつに頭身全部と背景を描き込むこと。キャラはあっさり描かれてるけど背景はキッチリ描き込んだりします。作風の不条理感はセリフよりも背景に依存してることが多いです。この特徴も「失踪日記」のようなルポルタージュ作品?でいかされてました。実在する施設や環境を一コマの中の背景でキッチリ説明できるから情報量が異常に高いマンガになっています。
それから最大の功績はアルコール中毒から生還したことを作品にしたことでしょう。普通のアル中の人はわけわからんちんになっちゃうから当人のコメントが取れません。福祉関係のジャーナリストが熱心に取材したところでわからんちんバイアスと社会の落伍者を取材してるバイアスがかかっちゃうので、社会問題としては伝わるけどアル中の個人としてのリアルはなんにも伝わってきませんでした。一つにアル中や依存症になる人たちが知識人ではないから、発信するすべも伝える気もないからです。もう一つは普通のちゃんとした知識人はアル中にならないからです。たまたま知識人というかマンガという表現方法がある吾妻ひでおさんがアル中になって、しかも生還できたということが「失踪日記」につながったんでしょう。

 最近吾妻ひでおさんの個展とか再評価ムックとかを見かけたのは「ああっそういことだったのか」って合点がいきました。自分自身の思い出は「陽射し」という超豪華エロマンガを神保町まで買いに行ったことです。「これは地元で買っちやダメなヤツ」とか「こんな巨大なエロマンガを何処に隠すか?とか思いながら買った記憶です。そもそもコドモが買っていいのか?という漢字でしたが、当時のサブカル系エロは意外と検閲がゆるゆるだったのかな?いい時代だったんでしょう・・・

ご冥福をお祈りいたします。


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