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2018-12

勝谷誠彦さんに捧ぐ - 2018.12.11 Tue

11月28日、コラムニストの勝谷誠彦さんが肝不全にて他界いたしました。

 訃報はニュースで聴いたんですが、驚くというよりも久々に名前を聞いたなっていう感想でした。重症アルコール性肝炎が、いかにも勝谷誠彦さん的に納得のいく最後だったと思います。訃報に寄せた関係者のコメントは「やっぱり、お酒か・・・」という人ばっかりでした。
自分のまわりの人の印象だと、酒飲みを自慢する人や毎晩飲んでると豪語する人は、多かれ少なかれアルコール依存だと思っています。同じく毎日チョコを食べなきゃ気が済まない人は、チョコ依存といえるでしょう。依存症とは医者が診断するのではなくて、ある物に頼ることをやめられない状態はは全て依存症です。
10年くらい前に会社の先輩が、外回り中に山手線の駅で吐血し緊急入院しました。当人と会社が協議した上で退職になったんですが、彼は病院から戻ってくることなく1ヶ月で帰らぬ人になりました。この手の人の「オレは酒と生きてる」とか「覚悟が違う」とかいう強がりは、根性なしの嘘っぱちに過ぎません。勝谷誠彦さんも盟友たちのコメントからは、強気なスタンスも含めてウソと虚勢をくり返しビビりながら最後を向かえたんだと想像つきます。コレを機に酒飲みに対して酒豪とかをポジティブに表記する文化を控えたほうがいいんでは?って思います。それくらい劇症肝炎で亡くなる人の隣人はやってらんない気分になります。ましてや、親族の無念さはいかほどでしょう。

 彼の没後の彼自身の盟友たちがバラしている勝谷誠彦の真実を読むとスポンサー企業や放送局、政治団体に配慮してコメントを曲げない姿勢は、自らが課した勝谷誠彦像を守るためだったように思えます。本当に周囲から干されることや敵を作ることなどへっちゃらな人だったら、あんな晩年を迎えなかったでしょう。他人を切ることは自身にも相当のストレスになったようです。うつ病でアル中なんて全然平気な人の晩年ではありません。
勝谷さんはボクシングに傾倒していて自身も試合にも出ている話をよくしていました。ボクシングのプロとアマの関係がよくわかんなかったんですが、ボクシングというストイックな感じも勝谷さんを構成するのに必要な要素だったんでしょう。三島由紀夫的に思想家が身体を鍛えるっていうベクトルに向かうのは、うーんって思います。宮台真司さんの空手自慢もそうですが、筋トレでドーパミンを出したりアルコールで酔っ払うのは、思想家の思想に物理な影響を与える気がします。

 輝かしい勝谷誠彦さんのジャーナリストとしての経歴はネットニュースなどで語られています。世間のイメージは『最も番組を降板させられたコメンテーター』ではないでしょうか?
自分が初めて勝谷さんを知ったのは2001年から始まったTBSラジオの「ストリーム」のコラムの花道というコーナーでした。このコーナーは日替わりのコラムニストがそれぞれの得意ジャンルをラジオコラムという体で語り下ろすというコーナーでした。プロインタビューアーの吉田 豪さんや映画評論家の町山智浩さんなど、今ではメジャーなサブカルの大御所を知るきっかけになった番組です。それまで認識がなかったのはテレビのバラエティー番組をまったく観ていなかったからで、自分が知っている勝谷さんは100%ラジオ出演の勝谷誠彦です。
そのころの勝谷さんの印章はズバズバと切り込む辛口なコラムニストでした。政治や制度批判、社会事件などがテーマのことも多かったのですが、サブカルやアングラの情報やゴシップ、雑学などにも造詣が深かったです。テレビや文章では政治評論家のイメージでしょうけど、自分にとっての勝谷さんはコラムニストでした。だって出演していたコーナーが「コラムの花道」だったから・・・

 TBSラジオではこのほかにも宮台真司さんや山田五郎さん、山藤章二先生なども良質なラジオコラムを聴かせてもらってました。コラムというのは“コラムニストの思ったことを発信する”ことです。ソレは政治批判や評論とは違います。思想や信条が自分とは多少違うかな?って思っても、そう思う人もいるんだなって流せるのがコラムのいいところです。極端なハナシですがコラムに正しいも間違ってるもありません。事実誤認が多少あったとしても「この人は事実誤認してるなぁ」ってくらいのモンです。希代のコラムニストのみうらじゅんさんは「激しい事実誤認と間違った性癖」が持ち味の人です。誰もが「みうらじゅんは間違ってる」と思うことがウリです。
この「自分とはちょっと違うかな?」ってとこも含めて勝谷さんのラジオコラムは一級品でした。この「コラムの花道」を聴くことは外回りで営業車に乗っていた自分の日々の楽しみでした。自分と大きく意見が違ったのは彼が40歳にしてサザンオールスターズのファンになったこと。ももクロのほうは自分の中に評価基準がまったくないからどーでもいいんですが、「今さらサザン?」って感じが違和感でした。彼の世代だったら10代か20代前半でデビューしてるハズです。自分はとっくにサザンを見切ってたのに、2000年になって突然「桑田佳祐の素晴らしさ」を語られてもって思ってました。高校生がYouTubeで見つけて興奮してるならまだしも、勝谷さんが語ってることは「20年前から日本中の人が知ってたことですよ」って感じです。

 あと中学時代に少女マンガに出会ってから早稲田大学で少女マンガ研究会を作った逸話。実際に竹宮恵子さんとの親交もあるそうで、勝谷さんの著書のカバー絵とかも竹宮恵子さんが描いたそうです。自分も同じように少女マンガに引っ張られました。しかし、世代的に勝谷さんは「風と木の詩」や「ポーの一族」とか、耽美系大河ドラマの時代だそうです。当時の少女マンガのトップの作家性は、少年マンガのトップのマンガ家たちの作家性を上わまっていました。自分は耽美派の後のラブコメ時代の少女マンガなので、勝谷さんほど大御所への郷愁はありませんでした。15歳で「風と木の詩」だと大学時代はニューウエーブのころだと思います。当時、語っていたい「軽井沢シンドローム」好きも時代が合致します。
このころはサブカル界では空前のマンガブームでした。マンガが売れていたというよりも、売れていないマニアックな作品を評論することが格好いいって感じでした。「ぱふ」とか「ふゅーじゅんぷろだくと」とかの時代です。マンガの批評がブームになると、マンガを語る人に描き手と読み手以外の第三者が登場しました。それはマンガ批評家という人たちで、NHK BS の「マンガ夜話}に出てくる人たちのような方々です。それはそれで見識だからいいんですが、そーいう活動を得意になってしていた大学生像が勝谷さんの早稲田大学少女マンガ研究会だったんでしょう。自分が同世代で勝谷さんとこのサークルで会ったとしても、意見は合わないだろうし仲良くもならなかったでしょう。ディベートでは勝てないでしょうけど、マンガ論という訳のわからん議論なら負ける気がしません。マンガの技術論は存在しますが、技術論と作品の感想文をごっちゃにしたマンガ論ばっかでした。そのマンガ論に作者の思想や作品の意味や価値を付け加えちゃうと「何それ?」ってなっちゃいます。自分は大学のマン研というのを人一倍に否定していたのを覚えています。

 7年半続いた「ストリーム」も勝谷さんの「コラムの花道」での不適切な何かによって人気絶頂のまま打ち切りというカタチで番組は終了してしまいます。打ち切り理由は色々あったようなんですが、大きなチカラによって終了ということはリスナーにも伝わってました。TBSラジオを出禁になった勝谷さんはニッポン放送の「ザ・ボイス」で再び聴くことになりました。しかし「ザ・ボイス」での役割はニュース解説者なので「コラムの花道」的なテイストは薄まってました。近年はどのニュース・バラエティも二項対立を煽る構造になってしまいました。この「悪い方は袈裟まで悪い」という罵り合いや罵倒のニュース解説に嫌気が指していました。
テレビでは明らかに下品なコメンテーターが得意になって「○○党が嘘つきの集まり」とか「○○団体が悪の巣窟」とまくし立てて「対立する方が正義、悪の言い分は一切報道しません」というスタンスです。これに対してTBSラジオの「デイキャッチ」に山藤先生が出てたころや、「ザ・ボイス」の初期のころは、フラットに聞く耳を持ったニュース番組という印象でした。しかし、ラジオのニュース番組も以前のように「ニュースの裏側は提供するから是非はリスナーが考えて・・・」という構成ではなくなっちゃっています。そう思うきっかけになったのも勝谷さんが「ザ・ボイス」を何かのチカラによって降板させられたあたりから。相変わらず降板させられてる勝谷さんですが、メインパーソナリティーの飯田浩司さんがよく回から勝谷さんなんかいなかったことにして番組を進行したことに不審感を持ちました。勝谷さんのキャラだったら「チクショーこっちから辞めてやるよ」くらいの小芝居につき合ってあげるのだと思ってました。だって勝谷さんと飯田さんは絶妙なキャッチボールができていたから。

 正直いってテレビの報道バラエティーとかニースワイドショーとかはまったく観ていないです。新聞は取っていますが、なるべく読み込まないようにしています。新聞は見出しだけを追うと日常の報道の流れは掴めます。でも、主語や目的語が必ずしも正しいとは限りません。これらのニュースはすでに一次情報とは思えなくなっています。TBSラジオの「デイキャッチ」やニッポン放送の「ザ・ボイス」などは、テレビのニュース番組よりもフラットな媒体だと思っていました。しかし、ここ数年ではこの2番組もすっかり悪口メディアに成り下がった印象です。この2番組を聴かなくなったのはニッポン放送で勝谷さんが降板されたころからです。
正しいことが言いたい人と悪口が言いたい人がいます。正しいことが言いたい人が正しくない人を語るとソレは悪口になりますが、悪口を言いたい人に悪口を言われたとしても言われた人が正しくないとはいえません。
勝谷さんはまだニュース番組が人の悪口を言っちゃいけない時代から、悪口を言っていたんだと思います。辛口コメンテーターの先駆者なんでしょう。今では芸人がしたり顔で暴言を吐き、俳優とか元スポーツ選手でさえバンバン世相を斬っています。そーいう人たちは大きなチカラにしたがって従順に暴言を吐いてるんでしょう。でもソコに従順になる覚悟もプライドを捨てる勇気も無かった勝谷さんは、自暴自棄な生き方しかできなかったんじゃないのでしょうか?

 勝谷さんの仕事の中で特質なのは『勝谷誠彦のXXな日々。』という有料ブログサイトです。ブログの黎明期からいち早くネット配信で文章を公開する手法を取り入れ、当時もピンとこなかった有料サイトも先駆けだったと思います。とにかく1日も休まないというのがウリだとよくラジオで自慢していました。少女マンガやサザン懐古、もももクロ押しなど、ことごとく意見が合わなかった勝谷さんでしたが、このブログに関しては金言がありました。

 『日記を毎日書くのは大事だよ。毎日書けば、必ず文章は上達す』

ああっ毎日書くことは重要なんですね。わかってんですけど、なかなか・・・


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情熱大陸の諫山創さん - 2018.12.04 Tue

情熱大陸の「進撃の巨人 作者 諫山 創」です。

 11月19日 TBS系のドキュメンタリー番組 情熱大陸にて「進撃の巨人」の作者の諫山 創さんが特集されていました。最終回の構想?、最後のひとコマ?というアオリに惹かれて、マンガを読んでもいないのに観ちゃいましたね。連載当初から「進撃の巨人」は結構早い段階で話題になっていました。自分はどうせ出オチマンガだと見くびってました。
連載開始は9年前の始まったころの画力は「大型新人マンガ家デビュー」ってアオリ文句の雑さと勢いだけって印象でした。別冊少年マガジンの創刊号から看板作家に押し出す戦略でした。集英社が門前払いした持ち込みマンガ家に新規マンガ誌の命運を賭けるんだから、講談社の懐のデカさなんでしょう。このときに持ち込んだ投稿作品も映っていました。「今、ソレを出すか?」ってくらいのレベルでしたが、諫山 創さんは誰にも相談(アドバイス)を受けずに自分の信念だけでマンガを描いてた人なんだと思いました。才能がある人ほど信念を曲げない(聴く耳をもたない)傾向にあります。集英社の編集者の方は突き返すんじゃなくて教えてあげればよかったんでしょう。
自分自身も当初「最近、進撃の巨人ってマンガがキテるらしいよ」ってマンガ業界?話題になったころに、アニメ化やハリウッド実写版とかになるワケないだろってナーメテーターでした。だって世間に通用するような絵には思えなかったし・・・
そういう印象ばっかりだった諫山 創さんですが、情熱大陸で現在の諫山 創さんのタッチの美しさにビックリしました。絵がウマい人がマンガ家になるんじゃなくて、描き続けた人だけが絵が上手なマンガ家になるんですね。どこら辺から作画が変わったのかは判りませんが、アニメ化で自分の絵が他人(アニメーター)によって清書されることで、原作者もタッチに影響されたのかも知れません。自身の作画をプロ・アニメーターが描くことによって、プロの描き方を再度自身でパクることでキャラの描き方が進化する感じでしょうか?作品を読んでないから調査不足ですけどね。
連載開始時から現在の画力だったら読んでいたかといえば、コテコテの少年マンガ絵は敬遠しちゃいます。仮に「鋼の錬金術師」の荒川 弘さんが作画だとしても、巨人と戦う少年マンガは読まないでしょう。「ハガレン」のほうも読んでいないんだし・・・

 そもそもこの作品が『意味なく現れる巨人と戦ってボス巨人を倒してハッピーエンド』っていう活劇だったら、もうちょっと興味が湧いたかも知れません。もし現在の画力で「進撃の巨人」が連載スタートだったら読みたいかといえば、そうでもないです。やっぱり巨人が人肉を貪るマンガにはあんまり興味が湧かないです。
日本中の人が「進撃の巨人」の内容はだいたい知ってると思いますが、城壁の中で暮らしてる人類が外の世界に住んでいる巨人と戦うお話です。巨人が人肉を貪って「スゲぇ」とか「エグぃ」とかで話題になりました。しかし、どう考えてもこの作品は出オチなんですよね。「巨人がガオー」で始めたマンガなのに「何故世界は巨人に制圧されてるのか?」とか「巨人は何故存在するのか?」なんてどーでもいいハズです。桃太郎の話で「何故桃から生まれるのか?」とか「鬼ヶ島に鬼が生息してる理由は?」なんていうのはナンセンスですよね。
ストーリーの大原則は時系列通りに物語が進むことです。難しく考え無くても、起承転結を順番に並べると普通に時系列通りになります。

 桃太郎の起承転結
 起=川から流れてきた桃を割ると桃太郎が誕生する(発端)
 承=鬼が島へ鬼退治を決意しイヌ、サル、キジを家来にする(展開)
 転=鬼ヶ島決戦(クライマックス)
 結=鬼から奪い取った財宝でジジババと幸せに暮らしました(エンディング)

 進撃の巨人の起承転結に置き換えると・・・
 起=壁の外に巨人がいる
 承=主人公が調査兵団に入って巨人に立ち向かう
 転=巨人討伐
 結=人類は巨人に勝利 もしくは敗北


桃太郎は起承転結の例として一般的なストーリーで、時系列にそったストーリー展開の基本です。起承転結とは漢詩の中の絶句の構成『起句 承句 転句 結句』が由来です。ストーリーの構成の仕方の人湯の方法ですが、ストーリーの基本ということではありません。長編ストーリーでは起承転結がグダグダになって当然です。日本人が起承転結にこだわる理由は学校の授業で習うからでしょう。さらにマンガ学校の先生がシナリオの書き方の授業で起承転結を教えるから、コレが基本だって思い込む人がでてきちゃったんでしょう。起承転結はあくまでも漢詩の絶句の基本に過ぎません。
しかし、アクション活劇は桃太郎の形式を取ったほうが判りやすく痛快になるのは事実です。それは桃太郎が勧善懲悪だからということっではありません。勧善懲悪はテーマのことであって、構成のことではないからです。

 普通の桃太郎のストーリーの時系列の流れ
 起(誕生)→ 承(吉備団子)→ 転(鬼ヶ島)→ 結(財宝)

※誕生から成長して鬼退治までの流れのベクトルが時系列と同じなのでストーリーを追いやすい。

 深いストーリーの桃太郎の時系列の流れ
 起(誕生)→ 承(吉備団子)→ 鬼とは何者か?→ 吉備団子の本当の意味→ 転(鬼ヶ島)→
  キジの裏切り→ 庵戸宮のナゾと卑弥呼編→ 鬼ヶ島の秘密→ キジの最後→ 新たな鬼の登場 →
  消された記憶→ 桃太郎が桃から生まれた理由(伏線回収)→ ついに明かされた財宝の正体・・・  

※ナゾや事実が追加され過ぎて読者が本編を見失いやすい。作者もエンディングを見失ってしまう。


活劇としては「巨人を倒せるの倒せないの?」とか「桃太郎は鬼をたおせるの?」とか「ジョーは力石にかてるの?」とか結局はそれがクライマックスでしょう。ジョーが泪橋に流れ着いたのも力石が少年院にいたことも時系列通りにストーリーは進んでいます。
実際の「進撃の巨人」のストーリーは人類が巨人に勝てるのかどうかが焦点ありません。連載当初の諫山 創さんの「ナゾが解明されたときが最終回」というニュアンスのコメントがあったと思います。この作品は「いかに巨人を倒すのか?」よりも「何故、塀の外に巨人がいるのか?」が主題のようですね。そうすると最終回は全てのナゾが明かされる回になるんでしょう。
ここでいうナゾとは登場人物たちが「自分たちはどういう設定でこのストーリーに参加しているのか?」というナゾです。大抵は自分たちの世界が本当はどういうものなのかが判らないとか、何かのチカラによって支配されてるとかです。エヴァでいえば使徒とかセカンドインパクトとか・・・ 
エヴァ型のストーリーでは使徒をいくら倒しても最終回が作れません。エヴァの主題が人類が使徒に勝つことではなくて「エヴァンゲリオンって作品は結局何だったのか?」になっちゃってました。原作者の庵野さんはとっくに飽きちゃったんですが「今さらエヴァとは○○なんだ・・・」っていったところで誰も納得しません。
「進撃に巨人」のテレビアニメ版の第1話だけフルで観たんですが、これはエヴァタイプの作品だと思いました。巨人についての細かい設定を解明していくアニメなんだろうけど、ソコに興味がない人にとっては、あんまり興味が湧くアニメではありませんでした。だって1話目にして人類が最終的に巨人を倒すシナリオじゃないことが決定してるんだから。もし「そりゃ違うって思って作品を読んでいる人や、巨人を撲滅するクライマックスに期待してる人には申し訳ないです。
マンガファンも最近は伏線回収とか(伏線)投げっぱなしジャーマンとかを作品の評価にしていますが、伏線とフラッグをごっちゃにしてるケースも多いです。伏線は伏せてなきゃ意味がないんです。後の展開で「なるほど・・・」って感じられるのが伏線で、ほのめかすくらいが正しい用法でしょう。
当然ながらナゾの答え合わせを用いたり過去編を使わなくても傑作は作れます。時系列をそのままでSFサスペンスを描いた有名な作品に「寄生獣」があります。ネタの出落ち感からいったらミギーも巨人も似たり寄ったりでした。作者の岩明 均さんは前作の「風子のいる店」を買っていたので、岩明さんの次回作くらいの気持ちで読み始めました。この作品は第1話から後藤と戦うまで時系列通りにストーリーが進行します。パラサイトのナゾに関してはパラサイト当人たちもよくわかってないままです。パラサイトがどーいうモノなのかといおう設定はたくさん出てきますが、そもそもパラサイトは何故 存在するのか?といったことを解明するタイプの作品ではありません。当然ながらヒット作なのでそういう考察がたくさん出たんですけどね。
諫山 創さんが評価されているのは緻密なストーリーと巧みな伏線回収です。緻密なストーリーは理解しにくい展開がそう思わせてるようです。読んでいる人が「何故?」って疑問に思うストーリーがよいストーリーというのが最近の傾向だと思います。でも、それはなぞなぞで答えを教えてもらう子どものような楽しみじゃないのかな?
注射で巨人になるという設定は「そうだったのかぁ!」って思える種明かしには思えないし・・・

 情熱大陸に戻ると、諫山 創さんの人となりを初めて知りました。どれくらい知らなかったのかといえば、創って名前がハジメって読むことを初めて知ったくらいです。年齢も25くらいだと思っていたら32歳になるんです。もっと岡田斗司夫さんを大学生に戻したようなSF論をぶちまけるようないけ好かないタイプかと思ってました。テレビで観た諫山 創さんの印象は、一言でいうと朴訥なオタク青年って感じでした。売れっ子マンガ家になって浮かれポンチキな江川達也氏とは大違いです。
テレビの怖いところは諫山 創さんが実家に帰省して両親に居酒屋でフグ刺しを振る舞われるシーン。自慢のベストセラー作家の息子に浮かれる親族と、心底 参ったなぁ・・・っていう諫山 創さんの表情が味わい深かったですね。そんな諫山 創さんに好感がもてました。いいやつじゃん・・・
情熱大陸を観た人は全員が思ったでしょうけど、帰省先の大分県日田市は周囲を山に囲まれた小さな町でした。俯瞰でこの景色を見ると「進撃の巨人」の舞台や発想の原点はこの景色なんだと納得できました。
この番組の最大の山場は「進撃の巨人」の最後のページが公開されるということでした。少年マンガに限らず、ヒットマンがはその出版社の油田であり資産です。ヒット作の連載終了というのは出版社の経営基盤を失うことです。多くのヒット作が作者の想定通りのエンディングになっていません。講談社では諫山 創さんへの連載引き延ばしの指示(圧力)はしていないとのことです。
自分はうっすらと「進撃の巨人」は講談社やアニメスタジオのプロジェクトチームがストーリーや設定を考えてるんじゃないかな?って勘ぐってました。その方がメディアミックスには都合がいいからです。実際は諫山 創さん自身が最終回に向けて「どう終わらすか」を深刻に悩んでたり、テレビゲームに逃避したりしてました。ある程度の編集の都合はあるでしょうが、最終回を作者のアイデアに任せてるのは本当のようです。
気になったのは最後のコマに思いを込めてる感じでしたが、マンガ的にはソコは重要じゃないんだと思います。最後の一コマで10年の連載を全て言い尽くすのは無理ですし、そこにへんな啓示を乗っけると“格好よくなる”けどナゾを並べるのが格好いいと思ってる中学生的なラストシーンになっちゃいます。20歳で考えたストーリーを32歳の10年経った現在はどういう落とし前をつけるのか興味があります。10年前に考えたというよりも20歳の自分が考えていたオチが、32歳の今ではもう使えないことは諫山 創さん自身が一番判ってるハズです。

 自分はストーリーマンガで10年の連載は長すぎるという考えです。単行本で10巻程度が読み応えとのバランスがいい長さです。作者の作家生命のためにも「進撃の巨人」もさっさと決戦にして終わらせたほうがよかったんじゃないかな? メディアミックスは権利ビジネスだからアニメ監督やハリウッドの実写監督に自由な解釈で作ってもらえばお金はいっぱい入ってきます。「攻殻機動隊」の原作者はそーいう感じですよね。せっかくの画力向上なんだから、「進撃の巨人」の設定やナゾを新連載に取っておけばよかったのに。
情熱大陸のインタビューアーが「次回作、描きたいモノがあるのか?」と聞いたら、ちょっと言いよどんで「・・・あります。でも描くかどうかは,まぁ描くんでしょうね・・・」って答えてました。諫山 創さんが最終回以上に恐れているのは次回作をどうするかなんだと思います。「あります」はウソではないんでしょうけど、ホントとも言い切れません。
ファンの間では最終回の憶測が飛び交ってるようです。ソレも含めてファンは作品を楽しんでいるんでしょう。でも、そーいう憶測はどれか一つが当たっちゃうと「やっぱり」とか「予想の範囲内」とか言いたい放題になっちゃいます。マンガを読むコツはなるべく展開を想像しないようにぼーっと読むと最後まで楽しめます。
どうせ、もうじき最終回になれば答え合わせができるようです。ここから最終章といい出し3~4年くらい連載が長びくことも考えられます。
自分の答え合わせは諫山 創さんがどんな次回作を描くか、もしくは描かないかです。「進撃の巨人」は20歳の時に描きたかった作品です。では、今描きたいモノがあると答えたその答え合わせはしてみたいです。ソレを読むかどうかは別として・・・


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ネットマンガの近況 - 2018.11.21 Wed

うるひこさんの「ゆみとくるみ」です。

 この作品は先日、本屋さんパトロールをしていて見つけたマンガです。ホントに先日だったのでネタバレ等の問題で記事に取り上げるのは躊躇してました。しかし、マイナー作品に限らず最近の本屋さんはあっという間に返本されちゃうので、一月後に取り上げた作品が本屋から消えてることもザラです。
正直いってうるひこさんという名前も初めて知りました。「ゆみとくるみ」がデビュー作なのかな?って思ってたら「ぱりぴほ!」というストーリー4コママンガを描いていました。
「ぱりぴぽ!」のほうはありがちなキュンキュン系のアルアル・シチュエーションマンガって感じでした。(読んでないけど)「ゆみとくるみ」は表紙が「メタモルフォーゼの縁側」の人が描いたマンガと錯覚するくらいな印象ですが、中身の作画はちょっと前に主流だった少年マンガのような画風です。作者名がうるひこという名前なので、読んでいて作者は男性かな?って思ってました。しかし「ぱりぴぽ!」の作画を見ると明らかに今風のWEBマンガの手法だったので、どっちが素のうるひこさんか混乱しました。pixivで「ONE PIECE」の2次作品を描いてたので女性なんだろうなぁって思ってます。
本屋さんパトロールはジャケ買いメインなので「ゆみとくるみ」は「メタモル・・・」のようなタッチのマンガだと想像して買いました。実際はGペンタッチの筆圧の高いマンガでしたが、表情をアイコンで逃げずに、悲しいや嬉しい表情を都度描き込む姿勢は好感が持てました。作画で気になったのは作者自身もあとがきで書いてましたが、ふっくらした主人公のふっくら加減が安定しないことや、憧れの店長とヒロインのゆみさんが兄妹にしか見えないところなど・・・
好き嫌いは分かれますがこの作品も「ぱりぴぽ!」やpixivに上げてるイラストのタッチで描いたほうがウケがよかったと思います。でも、Gペンでガシガシ描いたのはうるひこさんが絵師からマンガ家へ変わりたかったのかなって勝手に想像してます。少なくとも「ぱりぴぽ!」の作風だったら自分には引っかかんなかったです。

 作画は表紙詐欺と言えなくもないですが、お話はそれなりに読み切れるモンでした。うるひこさんはタグに『伝説の絵師』とつくくらいに有名な方のようです。したがってネットでうるひこさんが馴染みの人ほど、この作品を読むとアレ?って思うのかもしれません。
ストーリーは28歳一人暮らしのジミOLのゆみが会社での疎外感から会社辞めたい病になるが、自分が心を開いたら幸せのラインが始まるって感じです。偶然拾ったぬいぐるみのくるみが幸せを運ぶぬいぐるみという設定で、動いたりしゃべったりするところがマンガ的要素なんですね。そーいうマンガ的設定の名作は岩岡ヒサエさんの「幸せのマチ」という作品があります。こーいう微妙な設定を使いこなすのは岩岡ヒサエさんの真骨頂です。憧れの人が手芸店の店主とか、ぬいぐるみの主人公を思う気持ちとか丸被りだったのが気になりますね。マンガのアイデアは先に発表したほうが勝ちなので被ったら後追いって思われちゃいます。逆に被ってると思われないのなら先人のアイデアをいくらパクろうと大した問題ではありません。今回は比べる相手が岩岡ヒサエさんなので作品のクオリティーがハッキリしちゃった感じがもったいなかったです。
うるひこさん曰く『ぬいぐるみが動くという不思議な設定だったので、ゆみさんのキャラはひたすら普通にこだわりました』とあとがきにありました。この普通にこだわる姿勢がこの作品の魅力の全てで、会社でいじけてるOLが不当に扱われてるようでいて実際はそうでもないという実社会の微妙なリアルが描かれています。男性が描くとどうしても不当な扱いを不当に描き過ぎて主人公OLに正義があるようになっちゃいます。女性が描くパターンでは主人公に都合よく助け船が出てきて結果オーライになります。今回のぬいぐるみ設定も都合いいアイテムっぽかったんですが、あんまり役に立たないまま主人公は明るさを取り戻します。ぬいぐるみはゆみさんと店長を結ぶ架け橋になりますが、ぬいぐるみが喋らなくてもその役は十分にこなせたでしょう。
そもそもゆみさんが明るさを取り戻すのではなく、入社してから一貫して暗いOLだった主人公が自分を変えれば明るいOLになれるって話です。化粧ばっかして遊んでる風の設定の同僚OLも、実際は主人公が化粧もしないで会社に行くから悪目立ちしてるだけで、ちゃんと化粧するOLの方が生き生きしてるのは当たり前ってストーリーです。
自分は会社でこーいうOLのグダグダした悩みや不平不満を聞く係(そんな部署は無かったけど)をやっていました。大体が「ズルい」と「ムカつく」と「あの上司に野郎が・・・」です。OLの人間関係での不満はたいがいがサボる、ミスる、手伝わないです。仕事のできるOLはたとえ一人で昼食を取っても、男子社員に色目を使っても問題になりません。やることをやってる社会人は卑下する理由がありません。ちゃんと仕事量をこなしてるゆみさんは本来なら職場で人気者のハズです。「みんながわたしのことを嫌ってる」って思い込んでる人も、むしろ自分のほうがみんなを嫌ってたってことが大半です。
マンガの中の職場関係に学校のイジメ的なモンを持ち込むのは、作品が幼稚になっちゃう原因だと思います。現実にそーいうイジメもあるんだろうけど創作の中の会社を幼稚にしても面白い作品にはならないです。元気に会社に行くことが解決策という流れは、作者がこだわった“普通のOL”は十分に表現できていると思います。

 「ゆみとくるみ」は一迅社からA5判で出版されているマンガです。普通の少年マンガや少女マンガの単行本は新書版といいます。だいたいの値段は400円台くらいです。その上がB6判で青年誌の単行本で多い大きさです。ちょっと高くて600円台以上です。ソレよりも大きいサイズがA5判(ワイド版)です。値段は800円~1000円以上まで・・・
新書版やB6判はだいたいマンガ誌のレーベルとして出版されています。祥伝社などはワイド版もフィール・ヤングのレーベルで出していますが、レーベルのハッキリしない作品も多いです。前々回の記事では集英社の女性マンガ誌「月刊 YOU」が休刊したことを描きました。マンガ誌がなくなるということはマンガのレーベルがなくなるということです。
昨今はテレビ離れが進みドラマも動画サイトで見れるしニュースも新聞を取らなくてもネットで読めるじゃんという風潮です。テレビや新聞はオワコンと切り捨てて観たいモノだけをチョイスできる時代ですが、最初にドラマを作るのはテレビ局だし事件を取材するのも新聞記者です。出版不況の現状ではマンガ誌の衰退は避けられないと思います。縮小するシェアをマンガ家たちが取り合うと面白い作品だけが勝ち残るイメージですが、そんな進化論のようにはなりません。たくさんの作品の中にちょっとだけ傑作が紛れ込むくらいの比率なので、分母が減ると傑作も減っちゃいます。
昨今、マンガを描くというコトが誰にでも手軽にできるようになりました。コミスタというマンガ作成ソフトが2001年ころいですが、まだアマチュアがマンガを発表する環境はできていませんでした。コミスタがクリスタになってさらに普及し、デジタルでマンガを描くことが当たり前になったのはほんの数年前からです。

 それまで、マンガを描くことで一番のハードルは製本するという部分でした。マンガだから絵が描けなきゃとかストーリーを創らなきゃとかは、あんまり重要なことではありません。絵の下手なのにマンガを描いてる人は50万人はいますし、ストーリーが思いつかない人は200万人くらいいます。プロのマンガ家にもたくさんいます。
そもそもマンガというのは本なのであって、マンガ原稿を描いても本にしなきゃ読んでもらえませんでした。マンガ家が出版社に頭を押さえられているのは製本する側と主従関係にあるからです。アマチュアマンガといえばコミケなど同人誌ですが、こっちも製本しなきゃスタートラインにすら立てません。素人マンガが普及したのはデジタル作画の支援ソフトの普及もありますが、モバイルの進化によって紙媒体ではないマンガの読み方が確立しつつあるからです。描き手のためのテクノロジーよりも、読み手のためのテクノロジーの進化が必要だったんですね。
従来の新人マンガ家は雑誌主催のマンガ賞の佳作以上の人を何年も育ててきました。野球のドラフト並みに狭き門でドラ1でも連載ができるとは限らない現実がありました。コミケで一本釣りもあるでしょうけど持ち込みも含めて大抵はマンガ賞入選の賞金が契約金のような扱いですね。よく聞く新人賞の賞金目当てで投稿しても、マンガ家になる意欲がない人は面白くても入選しません。コンテストじゃなくて就職試験なんだから当然ですよね。マンガ誌が減ることは新人をくみ上げるマンガ賞も袖テル編集者も減るということです。もし、出版不況に乗じて日本にマンガ誌がひとつしだけになったとしたら、マンガ家は15人もいればことが足りてしまいます。

 今回、取り上げた「ゆみいとくるみ」は出版元が一迅社ですが作者のうるひこさんはpixivで活躍している絵師サマです。pixivというのは日本最大のお絵描きサイトで、絵師とはイラストを上手に描けるけど職業とまでは認知されていない人たちです。引っくるめてpixivやニコ動でイラストを発表している上手な人のことです。自分もこの記事を書きながらpixivのアカウントを持っていたことを思い出しました。
お絵描きが趣味の人の中でも大きく分けて“キメ絵”が好きな人と、“マンガ絵”がすきなタイプに分かれます。キメ絵はアニメのポスターやラノベの表紙イラストのような絵のことです。クールな絵もありますが、おおよそ萌えっぽい女の子の絵が人気でしょう。マンガ絵のほうはキメ絵のような一枚の絵で勝負してるのではなくて、マンガのシーンのような一コマを切り取った感じの絵です。キメ絵の評価基準が萌えならば、マンガ絵の評価基準は胸キュンです。萌え絵を描く女性絵師は少ないけどマンガ絵は女性が優勢かもしれません。何しろ少女マンガもボーイズもの基本がキュンキュンだから。
自分がpixivを知ったころはネットにマンガを上げるということが新しいマンガのカタチって言われ始めたころです。正直いって自分もそのことに期待してたんですが、当初は素人さんのマンガがあまりにもなクオリティーなのでpixiv自体に失望していました。ソレでほったらかしだったんですけどね。
マンガを描くというくくりではpixivの中でも群を抜いて低レベルな戦いになっちゃっていました。中には傑作もあるだろうが、pixivの検索では膨大な投稿量に対して玉石を見分けるのは困難です。
萌え絵の方々は一枚の絵の完成度がスゴいのですが、マンガには不向きな能力といって過言はありません。マンガ絵のほうは萌え絵に比べたらレイヤーの数でも勝負にならないんですが、キャラの人間関係からくるシチュエーションの可愛さは後のネットマンガブームに合点がいくものでした。可愛いキュンキュンいらすとを四つ並べると4コママンガになるんですよね。

 ネットの読者がマンガに求めているのは読み応えよりも眺めやすさでした。そもそも一番向いてるのはブログなどでの日々の出来事をコママンガで描くこと。キュンキュンの4コマやショートマンガもそうだし、ワンパンマンのような一発ネタは読み流しやすいです。逆にネットでは敬遠されがちな作品のタイプはスラムダンクやONE PIECE、海猿、島耕作など。何というよりも普通の長編マンガ的なもの全般です。問題は1話が長い作品をは面倒だからスクロールしてくれないことです。
既存のプロマンガの作品が「ネットで読み放題」というやつは別のハナシです。あれは紙媒体のレーベルで出したマンガが、ネットでお得に読めるという目的ですから。それはネットマンガがレーベルになることとは別のハナシです。自分はネットマンガの基本ベースが定額で読み放題をアピールしてることが飲み込めなかったんですよね。「タダだから読む」ではジャンルにならないです。
ネットでマンガを発表することの最大にして唯一のメリットは製本する必要がないことです。このことはpixivの絵師や同人作家個人ブロガーを集英社やカドカワと対等にしました。誰もがネットに上げることは自由だから。マンガ描きにとっては本にすることがネックでしたから、製本が必要なければ出版社はいらないんです。出版社は当初既存の紙媒体のマンガがネットで不正流出することにアレルギーがあったので、ネットマンガを否定するところから始めちゃいました。
今年のネットマンガの最大のトピックスは漫画村の閉鎖です。これは従来通りの紙媒体のマンガがネットの海賊版サイトで流通するのを刑事告発~サイト閉鎖にした事件でした。この海賊版サイトの存在は許しがたいのですが、マンガ業界の脆弱さが普通の人たちにもバレちゃった印象です。今のマンガ業界が斜陽なのは海賊サイトのせいだけではないでしょう。

 マンガ誌が休刊になっていく出版不況の現状では、コストのかかる新人マンガ家の育成ができなくなっていくでしょう。そんな中でpixivの絵師たちの中には出版社の育てた新人マンガ家の数倍は上手な方々がゴロゴロしています。投稿してくるマンガ志望者ってマンガが上手に描ける人たちってイメージかも知れません。しかし、実態はマンガ家になりたい人が集まるんであって、マンガの描ける人が集まってくるとは限らないんですね。
逆に、pixivは絵が描ける人も描けないけど描きたい人もごっちゃに集まっています。上記で玉石混淆と書きましたが、ネットサイトなので玉だけをピッキングするのは簡単な作業です。彼ら彼女らは現代っ子なので「マンガ家を目指しふるさとを捨てて片道切符で東京に来た」っていうテンションではありません。マンガは描きたいモノを描きたいように描くから楽しいっていうのが同人やアマチュアの醍醐味です。これらを集めても「ネットの素人マンガレーベル」というそれ面白いの?って感じのレーベルになっちゃいます。pixivの絵師はマンガのノウハウよりもセンスで描いちゃうから、面白くても素人っぽい作品が多い感じです。
まとめると出版社はマンガの才能がある新人が欲しい。絵師はマンガを描くノウハウが欲しい。この二つをマッチングさせれば上手くいくんじゃないのか?そう考えたのが一迅社の comic POOLです。
これはpixivのプラットホームの電子雑誌サービスです。pixivの絵師に一迅社の編集担当が付いて、pixivのサイト上でアップする。pixivが玉を提供して一迅社がノウハウを提供することで、趣味レベルのマンガ愛好家がプロマンガ家になれる道筋を作れるかもしれません。このcomicPOOLで最近成功した作品はしろまんたさんの「先輩がうざい後輩の話」でしょう。本屋さんにいっぱい平積みされてました。「ゆみとくるみ」も買ってからコレもcomicPOOLなんだと気がつきました。
うるひこさんの場合、本来の作風は前作の「ぱりぴほ!」やpixivに投稿していたイラストのような、胸キュン系の女子向けイラストだったんでしょう。しかしこの胸キュン・イラストは掛ける人が多いのが実情です。「ネットで話題のマンガが単行本になりました」っていう触れ込みの作品の特徴はだいたいキュンキュンでした。それは山手線を待ってる時間にちょこっと見るにはちょうどイイ軽さですが、さあ、マンガを読もうと思えるほどの内容ではありません。
一般にpixivに投稿してる人の心情は「自分が描きたいイラストやマンガを自由に投稿する」という媒体です。ソコに投稿者や閲覧者が求めているのは可愛いとかイチャイチャとかアルアルとかです。間違っても「ゆみとくるみ」の主人公のような太っちょでさえないOLとか、陰口をささやく同僚、おとなしい子に仕事を押しつける上司ではありません。今回の単行本は明らかにpixivの投稿テイストとはかけ離れた画風とテーマでした。

 出版社のマンガ賞に応募した新人のほとんどが投稿した作品のテイストを捨てて、ある意味担当編集者の支持で作風を返させられてます。コレは作者が描きたいモノを描かせて貰えていないともとれますが、新人が描きたいモノが読者に通用しない場合もあります。ピッチャーでドラフト1位なんだけど外野手にコンバートされるような感じです。うるひこさんの場合も「本格的なマンガを描くんだったら、太っちょのOLが成長する話を描いてみないか」と言ってくれる編集者が付いたんでしょう。
「ゆみとくるみ」はキャラの不安定さや構図、人形が活躍するエピソードの安易さなど、気になる部分も多かったです。むしろぬ値キュンのほうが楽に見栄えのいいマンガが描けるんだろうと思います。でも、ネットマンガでもこーいう作品を描くという姿勢を見せられたのはネットマンガの前進だと思います。
自分はcomicPOOLが始まった時にpixiv作家と出版社の融合というのが、素人マンガの無料閲覧サイトくらいに思ってました。ネットでマンガを読む習慣もないですし・・・しかし、「ゆみとくるみ」のような作品をリリースするのならcomicPOOLは十分にネットマンガの新しいレーベルになっていると思います。マンガはネット化、デジタル化、データ化していくのいうのは業界もファンも一致した見解です。でも、出版社の現状でのデジタル化のイメージは、紙雑誌がデジタルメディアで閲覧できるようになるという感じでした。有名マンガをデジタル配信するというパターンですね。本当のデジタル化というのは紙マンガのデジタル変換ではなくて、初めからデジタルの手法のマンガ家が生まれることなんでしょう。comicPOOLはそーいう取り組みなんだと思います。


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祭のあとの寂しさは - 2018.11.04 Sun

渋谷 ハロウィン問題について。

 今年のハロウィンは渋谷にて一部の暴徒化した市民がクルマを横転させたり、町が燃えるなどの衝撃映像が世界中に配信されました。映像には本質や言語を越えたチカラがあるので、世界中が「思っていた日本と違う」って衝撃を受けたようです。日本人にとっても思ってたハロウィンと違うことにマスコミ騒然でした。何でこんなことに・・・っていうけど、騒いでる現象はサッカーのスクランブル交差点とまったく同じです。今回も DJ ポリスが出たそうですが、アノお巡りさんは暴徒化した若者へ迎合を打ってるだけって気がします。
「そもそもハロウィンというのは死者が蘇る・・・」とか「本来は子どもが家を廻って・・・」とか、ここ数年で毎年聞かされてます。「アメリカでは・・・」とか「もともとケルト人の祭で・・・」など日本中のマスコミ関係者が毎年同じことを言って、他の出演者も同じことに「へぇ~」って相づちを打ってるようです。「ほとんどの人は本当は関心が無いんですよ・・・」も毎年言われているセリフでしょう。
本来のハロウィンとはなんていうレギュレーションなんてどーでもイイ話です。日本は仮装行列に特化したイベントに成り下がってるけど、本来のお菓子をもらいに子どもが知らない家をノックするなんて犯罪のニオイしかしません。
数年前は「秋になるとハロウィンって書いたオレンジのポップがお店に飾られるけど、アレってなんなの?」っていうのが一般の反応でした。七五三とかハロウィンは当事者(子ども)のいない人にとっては「何日なの?」っていうイベントです。歳時記に疎い人は「酉の市も何日なの?」ですね。
今年のハロウィンは例年に比べてお店のポップがおとなしい印象でした。ある程度ハロウィンという言葉が浸透したので企業サイドのピークは過ぎちゃったのかも知れません。渋谷で騒いでた人たちは企業が考えるユーザーではないです。彼らがハロウィンのランドマークになることを、オトナは良しとしません。
 
 渋谷に集まる仮装者を社会学者や教育、心理学、芸人、評論家などが、かなり思いつきで語っていました。多くの意見の中で欽ドン賞は「東京には祭がないから・・・」でした。もっともらしく聞こえる意見ですが、集まってる人たちはむしろ東京に住んでない(渋谷エリアに近づきにくい)人たちじゃないのかな? この祭が無い論の上手いこと言ってやった感が半端ないですね。
自分はサッカー日本代表戦のハイタッチ族が近いという意見に一票ですね。自分は浦和サポなので代表戦は「まぁ頑張ってくださいよ」くらいのスタンスを心がけています。逆に代表は応援するけどJリーグには関心無いっていう人も多いです。海外サッカー以外はサッカーじゃないっていう方も含めて、どんなスタンスだろうと自由なのがサッカーのいいところです。
では、渋谷に集まるハイタッチ族はどういうサッカーファンなんでしょう? 彼らはオフサイドも判らない「ホンダ・カガワ・オオサコ」なニワカ・サッカーファンだと思います。本当の熱狂的なサポーターはスタジアムで観戦してるし、チケットが買えなかった&私用があるファンも試合時間は中継が観られる自宅やそれなりの場所に向かいます。試合開始から交差点に立ってる人たちは、ゲーム自体にはあんまり興味がないんでしょう。彼らはサッカーが好きなんじゃなくて♪ウェイウェイ~したいだけだから・・・

 サッカーに興味が無いけどハイタッチはしたいという不思議な人種と似ているのが、お菓子は集めないけど仮装してウェイウェイしたい人種です。渋谷に集まる習性は良しとしても、集まってなにをするのかが決まってないことに問題があるようです。イベント的な催しがあるとか、コンテストやパレードがあるわけでもないんです。渋谷区の「来年は有料にすれば・・・」って言うコメントもネットニュースにありましたが、街を歩くだけの人たちからどういう名義で金をとるんですかね?
今年ほどハロウィンが悪意で報道されたことは無かったと思います。それで気がついたのは渦中の渋谷の映像を観ても、仮装してる人ってあんまりいないんですよね。善意で報道しているニュース映像では仮装してる人を引っ張ってきて雑なインタビューやウェ~イを流してました。それでもコミケのコスプレには遠く及ばない、段ボールをくり抜いて被ってるだけとかドンキで1980円ってレベルが多かった印象です。想像ですが池袋に集まった仮装の人たちのほうがクオリティーが高かったんじゃないでしょうか?
そもそも仮装とかパーティーを組むとかは文化系の得意分野なので、リア充を自称するようなウェイウェイたちが勝てるわけがないんです。仮装するコンセプトも考えずに「みんながやってるからゾンビ」っていう安直さがニュース映像の後ろのほうに映り込んじゃってました。
どうせなら、よさこい祭りや浅草リオのカーニバルのように観光になるくらいのレベルじゃないと渋谷を歩かせないくらいにすればいいんです。観光になれば1日くらい明治通りを閉鎖して原宿から渋谷までパレードさせればいいじゃん。そうするとリア充はホンモノのレイヤーに絶対勝てません。

 多くの評論家が渋谷が人を集めてる動機付けは現代人の承認欲求のためと分析しています。承認欲求は自己責任と並ぶ流行語ですが、ようするにインスタで上げていいねを稼ぐことが目的の人たちですね。それと、自分では行動しないけど渋谷で楽しいことがおきてるらしいから来た人たち。こっちは浦安に行けば業者の仕切りで楽しい世界があるんですが、リーズナブルにハロウィン気分だけでも味わいたい人向けでしょう。それと、渋谷で軽トラがひっくり返されたニュースを観て「オレもオレも」ってつどった輩ども。
渋谷に楽しいことがあるっていう空気は80年代にもありました。でも街が楽しいという幻想はあんまり長く続きません。もう文化は街という空間に存在しなくなったからでしょう。ウェイウェイしてる人はD J ポリスどころか機動隊でも使って検挙しろっていうのが渋谷区民のホンネか?
承認欲求というのは学術的にはいろいろありますが、押し並べてインスタ映え的なモンみたいです。いいねを稼ぐためにハロウィンするっていうことですが、インスタに上がってる写真を見ても大して羨ましくないことはやってる当人も気づいてると思います。ネットの記事で読んだんですが、みんながSNSでやってるのは承認欲求というよりも“幸せの可視化”という意見です。
みんなが自分の仮装を認めて欲しくてインスタに上げるんだったら承認欲求でしょう。それはレイヤーたちがやっています。じゃあ、仮装もせずに渋谷に集まった人たちは何を承認したいのか?っていうナゾがありました。幸せの可視化というのは楽しいことや嬉しいこと、得意なことなどを可視化したいという欲求です。では、可視化って何なの?ていえば、それは自分の幸せなことの証拠です。誰もアタナの幸せに疑問も持ったりしないだろうし、アナタが食べたランチが美味しくなかったんじゃないかって疑う人もいません。女子会の写真をアップして「どうだリア充だろう」って自慢してるんじゃなく「自分はリア充ですから、これが証拠の現場写真です」っていう感じに思えます。みんな必死で証拠写真を集めてるんですね。他人のインスタをチェックして偽造だとか作為があるとか、右京さんのように「妙ですねぇ・・・」って人も現れてます。幸せの青い鳥を写したくて右往左往してるんですが、何が青い鳥なのかも見失ったまま渋谷に飛んでてるかなって集まってくるのが今回の現象でしょう。「今、ハロウィンで仮装がナウいぜ」って聞いたチルチルが渋谷に出かけていった感じです。当然ながらチルチルミチルのコスプレなんかしてる人はいません。
インスタ映えは中高生の専売特許のようですが、別に若者が発明した機械ではありません。得意になって使いこなしてるけどシステムを作ったのはオトナたちです。実はSNSの利用者人口は10代よりも40代が多いらしいです。延べ人数の違いもあると思いますが、幸せを報告したり可視化するのは子どもよりもオトナのほうが圧倒的に有利です。幸せの証拠が必要なのは若者よりも老い先の短い年配の方々なんだと思います。

 10月31日にウォーリーを7人見つけました。ハロウィンとウォーリーはまったく関係ありません。彼はお化けじゃないし・・・ 4人はアキバでプラプラしてたんですが、3人は朝のお散歩中の保育園児を引率している保母さんたちでした。魔女の帽子(おそらく手作り)を被せてもらってる園児とか、正しい仮装のあり方がここにありました。どうもウォーリーの衣装は安く出回ってるようで、しましまの服だから権利問題が発生しないんでしょうね。
昔はハロウィンと表記していましたが、いつの間にかハロウィーンになってました。それはウェ~イな人たちの寄せたのか?本当のはつをンがウィーンなんだったらトマトもトメィトォ~だろ・・・


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YOU ついに休刊へ - 2018.10.24 Wed

集英社の女性マンガ誌「月刊 YOU」が今月号(11月号)をもって休刊になりました。

 前回の記事の差別支持の某雑誌のような不祥事での廃刊ではなくて、月刊YOUの休刊は単純に業績不振からの休刊です。あっちも業績は惨憺たるモンでしたけどね。現行の連載作はそれぞれに移籍するなり、急遽完結するなりのようです。
今年の比較的メジャーな女性マンガ誌の発行部数のデータを拾ってみました。

集英社 YOU 68,000部、offceYOU 55,000部、クッキー 36,000部、ココハナ 55,000部
講談社 BE・LOVE 87,000部、kISS 73,000部、デザート 46,000部
小学館 プチコミック 75,000部、フラワーズ 33,000部
祥文社 FEEL YOUNG 12,000部
白泉社 MELODY 37,000部

前回の新潮45の炎上記事が発行部数20,000部に満たなかったのが原因とのこと。女性マンガ誌の現状は似たり寄ったりです。集英社は4誌の合算で214,000部のボリュームです。講談社が3誌の合算で206,000部なのでこの2社が2強って感じですね。祥文社はちょっとピンチです。集英社のココハナや白泉社のMELODYは、女性マンガ誌というよりもオトナ向け少女マンガ誌っていうイメージのほうが強いかな?
マンガ雑誌の市場ピークはジャンプの700万部のころですが、女性マンガ誌に限らず紙媒体のマンガ誌の限界が見えてきてる感じです。しかしマンガ市場がネットに移行してるという指摘ほど、ネットでマンガを見るボリュームが増えてるようにも思えません。衰弱してるのは製本というメデイアではなくてマンガそのものなんでしょうね。

 月刊YOUの休刊を惜しむ声は想像よりも多かったみたいです。1980年創刊で38年の歴史がある大看板だったから当然でしょう。しかし、この記事でYOUなんてマンガ誌があったのを初めて知った人も多いのが現実です。逆に今年の5月に休刊になった白泉社の別冊花とゆめの反響が大きかったことが意外な感じでした。こっちは老舗の花とゆめが休刊したんじゃなく別冊のほうです。「ガラスの仮面」がいつのまにか別冊花とゆめの掲載だったから、「あのっガラスの仮面の・・・」って妙な話題性がついたんでしょう。ガラスの仮面はとっくに別冊花とゆめに移行していました。でも休載だったからどーでもいいって感じなんですが、当人(美内先生)は完結まで描くとの声明を出してます。さらにどうでもいいニュースですね・・・
女性マンガ誌というのは微妙なマンガのジャンル分けです。少年ジャンプをサラリーマンが読んでも少年マンガだし、ビックコミックを女性が読んでいても青年誌です。女性向けだからっていうと何歳までが少女誌で、何歳からは女性誌という決まりも漠然としてます。レディスコミックやヤンレディースなんかも雑誌の売り口上以上のものではありません。実際にYOUも最初はレディースコミックとうたってました。しかし、レディコミが完全にポルノ雑誌化してしまうと、女性マンガ誌という感じに表現を変えてった感じです。
休刊の報道記事に書かれている『月刊セブンティーンの特別編集としてスタートしたYOUは・・・』という記述はイメージしにくいですね。月刊セブンティーンとは現在も続いている少女向けファッション誌の「Seventeen」の前身です。月刊セブンティーンもマーガレット(女児向け)から派生した17歳(中高生の自称お姉さん向け)ファッション+マンガ誌でした。それがファッション誌とマンガ誌に分離し、それぞれYOUとSeventeenになったようです。

 YOUにはヤングユーとかオフィスユーとかその他もろもろのナントカYOUが存在してました。ザックリと女子大生向けヤングユー、新人OL 向けオフィスユー、専業主婦向けYOUって感じでした。自分はマンガ誌を購入するよりも単行本で読んでいたので、YOUコミックスというレーベルでチェックしていました。どのYOUでもだいたい同じテイストというブランド力がありました。
ソレまでのマンガ家というのは子ども向けが大前提でした。大人向けのマンガ家になりたいといっても、発表の場も少なくて取りあえずジャンプやりぼんの新人賞からスタートって感じでした。読者が少女ならマンガ家も少女です。しかし、読者だって10年も経てばハンサムな転校生にときめくマンガばっかじゃキツくなります。実生活で転校生に会う事のないオトナになった読者にも、その先のマンガが必要になってきました。それ以上にもう転校生にときめきたくないオトナになった少女マンガ家も、その先を描く場が必要になっていました。そんな描き手と読者のニーズが一致したのがレディスコミックだったんでしょう。
レディスコミックはすぐにセックスの無法地帯になります。セックスは描きたい(読みたい?)けどフリーセックスははしたない。あくまでも受動的にセックスしなきゃいけないから、強引にセックスに持ち込む展開が多くなる。もうされはマンガ家が描きたいマンガなのか、編集部が描かせたいマンガなのか疑うほどの低レベルになりかけました。
集英社の判断はマンガ家が描きたい女性マンガ誌を作るっていう方向でした。判りやすくいえば津雲むつみさんと槇村さとるさんのどっちを取るか?ってことかな。メジャー出版社系のレディスコミックも性描写に特化した作風を敬遠し出します。当時の女児むけ少女マンガの児童ポルノ化がバレだして社会問題になってました。少女マンガの究極のゴールは初体験なんですが、オトナの恋愛ではセックスしただけじゃストーリーは終われません。就職や結婚、出産・・・女の人生は続くんですよね。描き手がオトナになるというコトは、その先が具体的に描けるということです。

 とくに少女マンガからYOUに移行して正解だったのは槇村さとるさんです。槇村さんは少女マンガのころの印象はインテリな大人の女性なのに、少女マンガという枠を小馬鹿にしてる(役不足に思ってる)わりに内容がこんがらがってる印象でした。たとえば、小島慶子さんのようなヤヤコシイ人がマンガを描いてるのかな?って思ってました。槇村さんは無理して少女向けマンガを描くことにバランスを崩してる印象でした。「おいしい関係」を読んで槇村さんは女性マンガ誌で描くべき人だったんだと納得しました。
自分が大いに影響を受けたマンガ家では、市川ジュンさんの歴史モノや洋食シリーズ、深見じゅんさんの「ぽっかぽか」と「悪女」を集英社と講談社で描き分けるスゴさ、島津郷子さんの「ナース・ステーション」のちゃんとしたオトナ向けマンガなど・・・
前回、記事で紹介した鴨居まさねさんや「Papa told me」の榛野なな恵さん、面白いマンガを描く能力がベスト10に入る森本梢子さんなど、YOUコミックスで知った自分の中のレジェンドが名を連ねていました。最後の王道?少女マンガ家のい花田祐実さんもヤングユー出身です。

 マンガに何を求めるのかは読者によってそれぞれです。ヒーローが活躍するのもアリだし、美少女の際どいお色気もアリです。社会性や歴史、哲学など小難しいモノから全ページがアクションなマンガなど様々です。自分はどんなジャンルでもアリだとは思うんですが、最低限は人間の生活に密着できるマンガが好みです。平凡な日常が・・・っていうことではなく、当たり前の生活の中にあるドラマの悲喜劇こそがマンガの醍醐味です。謎のウイルスとか殺人事件の犯人とかの展開にはあんまり興味がわかないので、主人公が勝手に探してろって感じですね。
純粋な少女マンガは学校を卒業すると読むのがキツいんですが、YOUのようなオトナ向け少女マンガというのが自分にしっくりきました。雑誌では購読していなかったんですがYOUコミックスというレーベルでチェックしていました。
マンガ誌はスポーツも海賊もSFもラブコメも、幕の内弁当のように作るのが基本です。マンガのストーリーにも好き嫌いがあるから、何かしら引っかかる作品があれば購読につながるからです。
しかし、雑誌には大まかなジャンルとか対象年齢や性別が存在します。恋愛モノ・オンリーのマンガ誌でも純愛甘々か不倫ドロドロかで選ぶ読者が違います。正規雇用か非正規かにこだわる作品と勇者か神官かにこだわる作品は大勝の読者層が違います。女性マンガ誌のレーベルにはそういった区分けのようなモノが存在してました。YOUらしい作品とか、FEEL YOUNGらしい作品というのがマンガのブランドだったんです。

 自分は雑誌での購入がほぼゼロなので、レーベルとしてマンガ誌が残っていれば問題ありませんでした。しかし、休刊というのは作品の発表機会を減らすことになります。90年代をピークに一般の書籍も含めてマンガ誌の部数減少が問題視されはじめました。まだネットで新作マンガが晒される前からです。紙媒体がここまでダメージを喰うとは思っていませんでしたが増えすぎたマンガ誌の統廃合は進むだろうとは感じてました。
当時から『何でマンガのコミックスは雑誌掲載された作品を単行本化するのか?』って不思議に思ってました。ある程度名の知れたマンガ家の新作はいきなり書き下ろしでいいんじゃないかな?って思ってました。だって単行本で買う意思がある人は絶対にマンガ誌を買わないからです。逆にマンガ誌で読んだ作品を単行本で揃えるというのは、マンガ読者というよりもマンガコレクターって意味合いが強いです。この実存する本を手にするという出版のスタイルが、ネットの中のデータを買うというバーチャルに勝てなかったんです。
通常マンガの単行本の流れは新作雑誌掲載→単行本ですが、ネットマンガだとネット掲載→ダウンロードなので書き下ろしのようなもんになっています。読者はダウンロード(もしくはネット閲覧)が作品を入手した手応えなので、ネットマンガ家たちはほぼ書き下ろしです。この構造にビジネスモデルが移っていくことがマンガ誌休刊の原因なので、マンガ誌をペーパーレスにすればマンガ誌が生き残れるというもんでは無いと思います。全てのマンガ誌をネットに移行したら、マンガ家が出版社と作家契約する意味が失われます。
出版社ができることはレーベルを作ることです。ネットビジネスの住人が作ったマンガサイトは玉石混交どころか石だか何だか判らないモノばっかりという印象です。実はまだマンガという作品にかんしては、出版社や旧態依然としたアナログ・マンガ家のノウハウが必要な状態です。マンガサイトを運営してる人がマンガに詳しいとか作品に入れ込んでるとは限らないからです。
もし、出版社がマンガを手放したらもうヒットマンがは生まれないでしょう。ピコ太郎のような突然世界中の話題になる作品は発生するかも知れません。しかし多くの作品は再生回数が何百万件というユーチューバーと同じ扱いになるでしょう。それはそれでマンガ家が子どもたちの憧れの職業になるかも知れません。でも自分は現在のユーチューバーの名前を知りません。例えがピコ太郎っていうのが自分の限界ですね。

 YOUが休刊する理由を集英社は明確にしていませんが、YOUの読者の中では「まさか」よりも「とうとう・・・」と声が多い感じです。YOUにはYOU らしい作品というのがあったと書きましたが、逆に晩年のYOUでは「おそ松さん」という、およそYOUの主流の妙齢なお姉様方の関心を引かないだろうコンテンツや、「群青にサイレン」の桃栗みかんさんのような、おおよそショタ狙いなど長年のYOU読者に不審感があったようです。「ダメ恋」の中原アヤさんもせっかくの?YOU掲載でしたが、いかにも少女マンガのまんまだったので女性マンガ誌って感じではなかったですね。めでたく新作でココハナに移籍が決まってるようです。「まんまるパタジェ」のあいざわ遙さんもザ マーガレットに戻っちゃった感じです。今後、マーガレット グループとココハナをどういうレーベルに育てるかが重要なんですが、全ては発行部数頼みっていうのが何だかなぁ・・・


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管理人のらいかです

マンガを描くという事を目標にして
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