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2019-09

ドラクエの映画 - 2019.08.25 Sun

山崎貴さん総監督、脚本、全責任の「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」です。

 今回取り上げるのは今年の夏休み映画の中でも特に話題になっているフルCGアニメ映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」です。この作品は8月2日に公開されたんですが、自分は8月4日にイオンシネマ浦和美園で観ました。公開3日目というがっついた鑑賞なんですが、じつは公開が待ちきれなかったのではなくて、たまたま埼スタでJリーグのナイターが開催される日だったので、日中の時間つぶしで映画を観ようとなったわけです。
前回は福井クンの「空母いぶき」を観て以来の映画館でした。基本は映画館へ行ってまで映画を観ようとは思わないんですが、今年はもう2回も映画館へ行っちゃいました。「空母いぶき」については6月にこの日記で記事を書きました。「空母いぶき」の前に観た映画は高畑さんの「かぐや姫の物語」までさかのぼりますね・・・
この日もサッカーの観戦前に時間が空いてるから映画で時間を潰そうという、映画ファンには申し訳ない鑑賞でした。一緒に観に行ったFクンは映画の内容についての善し悪しにはかなり無頓着なマインドの持ち主です。鑑賞後にあーだこーだと言わないし作品論や映画論とも無縁な生活の人です。
それゆえに映画のチョイスはかなりテキトーなところがあります。「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を選んだのも「ワイルド・スピード」との2択でした。カーアクションでつまんない場合は最悪だからこっちにしようと選んだのは自分です。荒唐無稽なアクション映画って苦手なんです。
前回の「空母いぶき」の時に予告編で観た「アルキメデスの大戦」も始まっていました。アノ戦艦大和がフルCGで沈没するシーンのやつです。原作の三田紀房さんは自分がもっとも苦手なデータとマーケティング、資料、統計を駆使した作風のマンガ家です。要するに理屈=ストーリーっていうイメージです。「ドラゴン桜」でヒットメーカーになったマンガ家ですね。その原作(連載中で未完)をアノ山崎貴監督が映画化すると聞けば “ 面白くなるワケがない ” でしょう。
普通に考えても未完のストーリーマンガを2時間ちょいの劇場公開したって中途半端になるに決まってるじゃないですか? 完全に「これはムリに決まってる案件」です。東映まんがまつりのノリで映画を撮ってるのかな?

 それでは「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」についてですが、この記事は当然ながらネタバレを含みます。こーいう観てきたよブログとか映画レビューを見ちゃう人に向かって、ネタバレを気にするのもヘンなハナシです。そもそもそーいうサイトに近づかないことでしかネタバレは自衛できません。
実はこの作品はネタバレが大きな意味を持っていて、映画のクライマックスのネタバレが最大の話題になっているんです。ラストに大どんでん返しがあるのは劇場公開作品ではよくあるイン出です。だから誰もがネタバレしないようにして映画館に向かうんです。そもそもこの作品自体が「ドラクエV 天空の花嫁」というドラクエ史上最も人気のあったゲームのアニメ化です。ネタバレと言うのならゲームをやった人全員がネタバレなんですが、この作品はゲーム経験者こそがどんでん返しにやられちゃう仕掛けになっています。
それくらいどんでん返しは作品の評価を左右します。鑑賞済みの人たちには“ラスト10分”と表現してるようです。そのことで“不人気映画”ながら作品の是非論にまで発展するという、今年の夏休み映画でもっとも話題騒然な作品になりました。重要なのはネタバレしないで観るよりも「先にラストを教えてくれたらよかったのに・・・」とか「ネタバレで結果走ってるけど、どうしても我慢できなくて観に行っちゃいました・・・」という人が多数という現象が起きています。
自分は公開3日目に観に行ったので、まったく情報を持たずに素のままで観ることができました。しかし、先にラスト10分を知っていたなら違う見解になっていたかも知れません。

 それでは「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はどういう評価の作品だったのか? この日記での劇場映画の記事でお馴染みの「 映画.COM 」に寄せられたレビューで見てみましょう。


* まずは代表的な意見から・・・

『 心底から胸糞悪い、今まで生きてきて見てきたどんな映画やドラマよりも飛び抜けてつまらない作品でした 』

この意見は決して極端な意見ではなくて、多くの批判的な意見がこれくらいの熱量で怒っています。

『 ドラクエのことは詳しく知らないが、映画を見終えてとても感動した。ラスボスの撃破は、子供のの言い分を聞かずに持論を押しつけるイヤなタイプの親に対して子供が見事に論破してみせるような爽快感があった 』

否定派と同じ部分を肯定派は感動と言っていて、これは議論にならないことを物語っています


* 映画のテーマについて・・・

『 私はドラクエの映画を期待していました。でも、実際観たのは「ドラクエをプレイしているプレイヤーの映画」でした。そんなの求めてなかった 』

『 この映画、酷評されるのは理解できる。ドラクエの映画だと期待してみると確かにマズイ。この映画はあくまでもユアストーリー、つまりドラクエを親しんできたプレイヤーたちが主役の話 』

禅問答のようですがこの意見は否定派と肯定派が同じことを言っています。上の意見は否定派で、下の意見は肯定派です。

『 これは映画なわけで、映画にはメッセージが必ず入っている。それに触れて、賛成だ反対だ言うのは映画を正しく観てると思う。そこを無視して完コピかどうかだけでジャッジする人は、もう一度この映画のメッセージを考えて欲しい 』

『 あっと驚かせる展開にしたかったのかも知れませんが、そういった力量も感じられませんでした。それを本人はナイスアイデアだと思っているであろうインタビューを拝見して愕然としました 』

上と下で監督のメッセージをどう受け止めるかで意見が割れています。実際は圧倒的に愕然としてる人が多いようですけどね。


*  難しいコメントと簡単なコメント・・・

『 お客様気分で安全圏にいる観客に「物理的・客観的な事実」という「幻」を見せ惑わす魔王。突然絶望の淵に立たされた観客は、その事実を見据えた上で「キャラクター達やドラクエの世界は自分の心の中で魂を持って生きる」と知恵と勇気を持って信じ、魔王に打ち勝たなければ、えらばれし「勇者」にはなれません。この構成は、非常にも事にドラクエの勇者観を再現していました。実に王道の勇者物語です 』

『 唯一よかったのは、鳥山明先生の作画ではなかったこと。この話にのらなかったこと 』

上は5回読み返してもどういうことか解りかねました。魔王とはミルドラース(大人になれの人)のことか?総監督の山崎貴さんのことか? 選ばれし勇者とは主人公を指すのか?観客を指すのか?

下は大人の事情があるんでしょうが、鳥山明さんがポスターも描いてくれないあたりに鳥山明さんのすたこらっさっさ感が半端ないです。安彦さんが福井ガンダムから逃げたのを思い出しました。
この作品の監修に堀井雄二さんの名前がクレジットされています。堀井さんの責任問題も重大なんですが、多分彼も名義貸しだけで実質はにげたんでしょう。


* 最後は欽ドン賞です・・・

『 ネタバレ設定のものは読みませんでしたが、いやな予感がしてその場のメンバー4人で観ました。結果、大成功でした!これを独りで観ていたら、山手線を止めていたかも知れません 』

電車、止めないでよかった・・・

 自分が「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を観た感想は否定派と同じでした。そもそもドラクエ・シリーズはPS4のドラクエヒーローズというゲームしかやったことがありません。このゲームはいわゆるRPGではなくてアクションゲームよりに作られた「エセ・ドラクエゲーム」です。タイトルにヒーローズとあるように、お馴染みのキャラやレギュラーモンスターを使って「なんちゃってドラクエ」を楽しむドラクエ番外編のようなゲームです。
今回の映画は「ドラクエV 天空の花嫁」というゲームの世界観で作られています。このドラクエは花嫁というタイトルの通りにビアンカとフローラというダブルヒロインから独りを選んで花嫁にするというイベントがキモになっています。同伴者のFクンは「ドラクエV」をやったんだそうですが、自分はRPG のゲームが嫌いだったので、まったくの無知識で映画版を観ました。ビアンカもフローラも「ドラクエヒーローズ」にメインキャラで出ていたからイメージはわかっていたんですけど、鳥山明先生デザインとはキャラの解釈が違っていたようです。
Fクンに言わせるとドラクエ世代にとっては「ドラクエV」は金字塔のような作品なので、ファンの思い入れが半端ないそうです。映画.COM の批評の中でも実は『 クライマックスよりもそれ以前のドラクエVのシトーリーのはしょり方ややっつけ感が許せないレベル 』という批判が多かったです。ドラクエファンの方々はこのシナリオだとドラクエ未経験の人にはストーリーが理解できないと危惧していました。自分も映画を見終わったあとにイオン内の上島珈琲で「ドラクエV」の本当のストーリーをレクチャーされました。
しかしこの映画版は先入観や予備知識がゼロの人には、ストーリーの不備がそんなに気にならないんです。そもそもRPGやゲームっていきなり世界が何者かに支配されていて、何でこうなるのか?ここはドコで敵は誰なのか?っていうことを説明しないじゃん。そーいうのはステージを進めると判ってくるシステムなんでしょ? っていう感じです。
ストーリーが急ぎすぎなのか、はしょりすぎなのか、バタバタしてるのは感じましたが、冒険モノをダラダラ進めれれるくらいならサクサクしていて良かったという印象でした。むしろ、すっ飛ばし感がテンポが良くって、軽いキャラクターたちに丁度いいと思いました。ストーリーの正誤性をあんまり考えずに観ていたから、真剣なドラクエファンとは意見が違っている部分です。それは肯定派が言う「だから面白かったんだよ」ほど面白いくすぐりがあったわけでもないです。大して美味くなくても、うどんはツルツル食べられるって感じです。もしかしたらゲーム版の「ドラクエビルダーズ」のシナリオの中のくすぐりのほうが面白かったかもしれません。アニメなんだからもっと笑えるシーンやずっこけを入れてもよかったんじゃないかな? せっかくの夏休みなんだしね・・・

 ストーリーについては初めから期待値が30~50くらいだったので、思っていたよりも満足していました。まぁRPGのストーリーなので最後は小ボス戦~大ボス戦になります。順当に大ボス(魔王ミルドラース)との戦いになるっていうタイミングで、レビューで散々悪口を書かれていた“ ラスト10分の大どんでん返し”になります。
判りやすいネタバレをしますと、作中で主人公だと思っていたリュカは実は未来風のゲーセンで「VR(仮想現実)版のドラクエV」をプレイしていたゲーマーの兄ちゃんの使用キャラでした。ラスボスのはずのミルドラースはコンピューターウイルスで、ゲーム中のゲーマー兄ちゃんに「コレはゲームの世界なんだよ、いい歳してゲームに夢中になってんじゃねーよ」って語りかける。そこで今年最大の名ゼリフ「大人になれ」っていう、大人げなくゲームのアニメ版なんかを映画館に観に来てるオトナになり切れない子供オトナたちが怒られるという過去誰も経験したことない仕打ちを受けます。
映画論というか宇多丸さんがよく使う用語でいえば「第四の壁」的な効果です。映画の中から観客に向かって語りかけてくるというアレです。
上映時間 103分のうち 90分間の物語は、全て本当の主人公(ゲーマー兄ちゃん)がプレイしていたゲームの映像でしたっていうオチでした。夢オチの変形なんでしょうが、このオチが容認できる人は映画の見方を間違えています。映画.COM のレビューを借りると・・・

『 サブタイトルの your story と結びつけたかったんでしょうが、完全にいらんこじつけ。意味深なサブタイトルつければ、なんでも「おっ!そんな意味だったのか!すげー!」と喜ぶと思うなよ 』
 
 山崎貴さん自身がRPGが好きではないし「ドラクエV」をプレイしていないので、制作にあたって多くのドラクエファンに話を聞いたそうです。そこから導かれた結論は「この映画を観に来る人はオトナになれない人たち」だったようです。それは「自称・オトナのクリエーター」である山崎貴さんからのありがたいメッセージだったんでしょう。RPG嫌いにドラクエを作らせて、ファンが一番許せない作品を作っちゃいました。それをドラクエファン以外の映画ファンが映画論で汲み取ろうとしても無意味なことです。
自分はドラクエファンでも映画ファンでもないのに、公開3日目というホットタイムでこの作品を観ちゃいました。ドラクエファンには失礼な演出といしか言い様がないですが、自分が映画苦手な原因はこーいうくだらない作品を見せられることが時間の無駄どころかマイナスだからです。映画監督の作品論なんかにはつき合いたくもありませんし・・・
山崎貴さんの作品は「三丁目の夕日」と「キムタク版 ヤマト」をテレビで観たんですが、映画の演出とかシナリオの知識とかの最低限の技術が足りていないように思っていました。「ヤマト」はわややとしても「三丁目の夕日」は映画監督じゃない人が映画を撮ってみました感が丸出しって印象でした。
今回の「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 」が90分間サクサクと観れたのは、総監督以外に二人の監督がいたからだと思います。当人の山崎貴さんは裏番組の「アルキメデスの大戦」に掛かっていたんだろうから、演出は人任せだったんでしょう。でも最後のどんでん返しとかは全責任者の山崎貴さんの指示で行われたハズです。
このアニメを観た感想を一言でまとめるのは難しいけど「もう山崎貴さんは映画を撮らないほうがいいんじゃないかな?」ってことです。同じことを細田守さんにも思ってるんですが、この人達はもっとも大切なことが理解できないんだと思います。しかし、商業ベースだとその大切なことをすっ飛ばしちゃっても商品は作れるんですよね。
今回良かったことはこの作品を観た人の大半が否定的な感想だったということです。映画の解釈や評価は人それぞれですが、怒ってる人がかなりいるということは安心しました。


ダルビッシュ有さんが神龍(シェンロン)にお願いしたように自分も神龍に会えたら「山崎貴さんの映画を全部消して下さい」って言います・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

見たい人にだけで・・・? - 2019.08.19 Mon

日向武史さんの「あひるの空 THE DAY Part 1」第1巻です。

 「あひるの空」は言わずと知れた少年マガジン連載のバスケマンガです。日本でもっとも有名なバスケマンガといえば六田登さんの「ダッシュ勝平」ですね。「ダッシュ勝平」は少年マンガ初の “パンティーとバスケの融合 ” により、多くの中学生をバスケ部に入部させたエポックな作品です。日向武史さん自身も「ボクは勝平ファンだったので「あひるの空」は勝平から影響を受けてます」とコメントしていました。
調べてみたんですが日向武史さんが影響を受けていた作品は「ダッシュ勝平」ではなくて「スラムダンク」らしいです。全国の中学生をバスケ部に入部させたのも「スラムダンク」です。赤江珠緒さんが好きだったアニメが「ダッシュ勝平」だったので記憶が混乱していたみたいです・・・
自分が現在単行本で購読しているスポーツマンガは「あひるの空」をはじめ、新川直司さんの「さよなら私のクラマー」小林まことさんの「女子柔道部物語」ツジトモさんの「GIANT KILLING 」あだち充さんの「MIX ミックス」だけです。いわゆる「ドカベン」のような試合を中継しているだけのスポーツマンガは、そんなに読みたいとは思いません。スポーツマンガや格闘マンガは勝敗が読者を引きつけるキモなんですが、試合の結果とドラマとしての結末は本来正反対のもので、野球は筋書きがないからドラマなんですがドラマは筋書きそのものです。「どっちが勝つのか?」というわくわく感は結局本物のスポーツ観戦にはかないません。

 スポーツを応援するというコトは、贔屓チームが自分の選手の関係者目線で応援することです。単に観戦するんだったら負けてるチームや有名人がいるほうに加勢する感じです。しかし贔屓チームがある人はそれどころじゃありません。スポーツマンガを読むということは主人公チームのファンというよりも、当事者というスタンスで感情移入して読んでいます。
感情移入というのは「映画館を出たらみんなが健さんになってる」とか「自分もアンパンマンだと思ってる」とかじゃありません。一番近い表現だと「その作品に親身になって読んでいる」っていう感じです。スポーツマンガを親身になって読むと主人公チームが勝てば嬉しいし負ければ悔しいです。ならばマンガのスポーツは負けちゃ行けないのか?といえば、そうではありません。むしろライバルチームに負けてドン底から這い上がってリベンジするのが王道のストーリーです。常勝明訓とか山田は通算7割打者というほうが珍しいんです。
スポーツマンガで試合の勝ち負けを決めるのは作者の専権事項ですが、現実のスポーツの勝ち負けを決めることは誰にもできません。勝つと信じていても負けたり、圧倒的な戦力でも足をすくわれたりします。それでも応援し続けるのはそのチームが “自分のチーム” になっているからです。

 そんなこんなで「あひるの空」は通算51巻目です。このあとの文章はネタバレになるんですが、51巻にもなってまだ読んだことない人が1巻から単行本を買い始めると2万5千円くらいかかります。そんなに頑張って読むほどの作品とも思えないので、既刊までの内容はネタバレ上等で進めていきます。リアルタイムに少年マガジンで連載を読んでる人たちが騒然となってるような気配もします。彼らは最新刊の内容の続きを読んじゃっているから、この作品への賛否の行方も知ってるのでしょう。少年マガジン購読派の方々にはピントの合わない文章になると思いますが、あくまでも最新刊時点で思ったことなのでご容赦ねがいます。
最新刊は51巻ではなくてタイトルに「THE DAY」というコトバが付き、ナンバリングは Part1となりました。単行本の袖の部分の作者コメントに『これは空達の“約束の日”であり、漫画としての最後に1日。・・・もしくは始まりの日。』と記載されています。念願のインターハイ地区予選準々決勝・横浜大栄戦からスタートなのでこのまま最終回になりそうです。それはネタバレでも何でもなくて作者自身が最後に一日と明記しているからです。それどころか、本編中に何度もこのストーリーが準々決勝敗退で終わることを示唆するシーンが何度も出てきました。
シナリオのパターンとしては「スラムダンク」がインターハイ2回戦で大会3連覇中の山王戦を、20点差から逆転勝利、この試合をクライマックスにそのまま連載終了という流れを踏襲しています。超ネタバレですが最新刊でイチピリ終了、スコアが4ー25です。「スラムダンク」の山王戦も24点差からの逆転劇だったと思います。日向武史さんが「スラムダンク」をリメイクしてるのか、それともリスペクトしすぎてるのかは疑問です。
しかし、この大栄戦は主人公チームが敗北することが決まっています。作者自身がそう描いちゃっているから・・・ 「スラムダンク」のほうはマンガへの全ての興味は湘北と山王のどっちが勝つのか?に集中して読んでいました。ましてや新キャラや決勝であたりそうな学校も唐突に出てきたんで、第二章はある?って思わせる伏線でした。実際に最終回のクレジットには「第一部 完」となっています。結果的には庵野システム?で投げ出しちゃったイメージですが、山王戦直後に最終回になるとは誰も思っていませんでした。その後、井上雄彦さんがチャンバラを描くとも思わなかったでしょう。

 最終回を示唆するコメントやスポーツマンガで試合結果をバラすというのは、出来レースやチート以上に興ざめしちゃいます。連載中の結末を作者が作中でバラしていいのか?というのはネットでも疑問視されていました。しかし、日向武史さんの中では『大栄戦敗北エンド』ということは決まっちゃっていることのようです。
39巻の表紙カバーの袖で『答えはもう何年も前にネームという形で出していたけど、それはあたかも読者をふるいにかけるような行為で、スポーツ漫画としてやっちゃいけないことのような気もしていた。』とコメントを書いていました。さらに『 でも、なんていうか・・・ ここまであひるの空を好きで追いかけてくれた人達は、すんなり受け入れてくれるんじゃないかという変な安心感もありつつ、迷いのようなものはなかったな。』と続けています。このコメントの中の “好きで追いかけてくれた人達” というのはスポーツ観戦でいうと親身に応援してくれるチームのファンにあたる人たちです。クズ高バスケ部に感情移入して読んでくれていた読者ですね。
それでも、「あひるの空」が好きで追いかけてくれた人(単行本を継続で購入している人)=日向武史さんの制作意図を汲み取ってくれるファンと判断するのはどうなんでしょう? 優勝確実と期待されながらも優勝争いどころか下位グループをうろちょろしてる贔屓チームを、温かく拍手するファンと本気で怒るファンとではどっちが親身になって応援しているのか? 
偶然ながら「はじめの一歩」という伝説のボクシングマンガも同じ少年マガジンの掲載です。一歩はボクシングマンガの歴史を変えるほどにちゃんとしたボクシングマンガだったんですが、現在はネタとしてウォッチしてる人以外は読んでいないんじゃないか?ってくらい落ちぶれちゃっています。何でそーいう展開にしたのかの理由はわかりませんが、読者の応援する気持ちを作者がわざと削ぐようなマンガにしたことが原因なのは間違いないです。

 日向武史さんの構成で特徴的なのは試合中などで選手以外の観客や他校チームなどのサイド・ストーリーがカットバックすることです。カットバックとは二つ以上の違うシーンを交互につなぐ編集技法です。新城戦編でいえば、11巻~12巻あたりの新城戦へお母さんが観戦に来る~体調悪化で病院へ~敗北~病室での最後の会話~鳥が羽ばたく・・・ っていう感じです。
カットバックで代表的なものはサスペンスなどの『犯人・クルマの中→美女・更衣室→犯人・玄関→美女・シャワー中→犯人・更衣室→美女・ギャー・・・』などに使われる演出です。テンポが上がることと複数の情報を同時進行で表現できるメリットがあります。これは映画的な手法なので映像がないと受け手に不要な混乱を与えかねません。映像ではシーンごとに画面が切り替わっても混乱しません。しかし小説などの文章媒体で目まぐるしくシーンが入れ替わると、読者は状況なのかを見失ってしまいます。マンガは映像と文章のハイブリットなので映画よりな作品と小説よりな作品が存在します。
日向武史さんの作品はとてもポエトリーなセリフやナレーションが特徴的なので小説よりにも見えますが、とても映画を意識した画面構成を良しとした作風だと思っています。日向武史さんはマンガ家を志す前に映画業界を目指していたらしいので、間違いなく映画のノウハウをマンガにつぎ込んでると思います。
個人的には新城戦の敗北と母親との死別を最終回のクライマックスにすれば、今日のネット批判なんかもなかったと思ってます。日向武史さんがこだわる敗者の美学と人情劇、少年の成長・・・全部入った納得のクライマックスのチャンスだったと思います。
ざーっと思い返すと1巻から12巻までの間でカットバックを使ったのは空のお母さんのシーンだけでした。回想シーンは映画的な手法ではなくて “マンガ的な回想シーン” の手法なら出てきます。多分ですがストーリーの中で回想するようなシーンもほとんど使っていなかった印象です。
連載当初のネームやコマ割は当時の少年マガジンの主流だったヤンキーマンガっぽかったと思います。編集方針と作者の経験値が合致した結果だったんだと想像できます。今の日向武史さん作品をイメージするような画面構成になったのも新城戦あたりからです。この時にカットバックでたたみ掛ける演出が完成したんでしょう。
11巻の最後は新城戦は最終ピリオドの残り3秒のところでクズ高が2点差でリードだが新城側のフリースロー。新城はそれをわざと外して3Pシュートで逆転を狙う。FTは外れリバウンド勝負になり・・・ というところで病院の集中治療室がカットバックし12巻に続く。12巻冒頭は会場から病院へ向かう車中の空クン~お母さん死去。そして試合結果は体育館に張り出されているトーナメント表に書き足された 104-90 のスコアのみ。
試合のクライマックスの最後のフリースローの顛末を一切描かずに新城が3Pを狙わずに2点入れて延長を選び、クズ高は延長を戦う自力が残っていなかったという試合の流れを 104-90 というスコアだけで読者に理解指せようというのが演出意図です。「あひるの空」を読んでいない人がこの記事を読んで「なるほど、この試合はそーいう決着だったんだ」って把握できる人はいないでしょう。バスケ経験者やバスケマンガに明るくない読者が、ソレで試合はどーなっちゃたんだよ?って思うのも同然です。11巻の最後では試合が続いてるシーンだったのに、12巻冒頭から試合終了後のシーンで始まるんだから。
たしかにこのシーンでは親が危篤ということで部活の大会の結果云々どころではないというストーリーの重さの違いを表現できていました。メインストーリーとサブエピソードがカットバックで入れ替わるという非常にレベルが高いワザが成功したんでしょう。

 この後「あひるの空」では空前のサブストーリーブームになります。日向武史さんは「あひるの空」を登場人物全員の物語だとコメントしてたんじゃないかな。バスケ部員以外の生徒や対戦相手の選手にもそれぞれの物語があるということです。それは名前のあるキャラ全員にサブストーリーを用意出来るってことです。
最初のサブストーリーは空のお母さんの闘病のストーリーです。これは当然ながら連載開始から狙っていた展開です。オープニングからばあちゃんと二人暮らしの空の家庭環境についての設定は “あえて” 言及しないで物語を進めていました。12巻目で落とすためですね。並行してトビ(夏目)の家庭事情もサブストーリーです。レギュラーでもマドカ、千秋や百春、その他のメンバーのストーリーはサブというよりも本編のストーリーです。
これ以降のストーリーでは試合中に相手キャラの内輪話や苦労話が頻繁に出てきます。三井とかメガネ君、丸ゴリなどサブキャラのエピソードを丁寧に描いて評価された「スラムダンク」の影響は第でしょう。主人公以外のキャラにもスポットを当てることで読みごたえのあるマンガになり、老若男女の読者に認められました。日向武史さんも「スラムダンク」のそーいうサブキャラも脇役も意味のないキャラなんかいないっていう感じがやりたかったんでしょうね。
空の成長をベースに全てのキャラにドラマがあるというのは、一見すると大河ドラマになってボリューミーな作品になります。マンガ家にはボリュームにはあふれ出すタイプとすっからかんなタイプがいます。すっからかんがダメなのではなく一つにネタだけを描いちゃうタイプです。この場合は読みごたえを考えて足し算でマンガを描いたほうがいいです。逆にアイデアがあふれちゃう人が素晴らしいとも限りません。こっちは引き算で描かないと読者との乖離が生まれる可能性が高いです。作者が必要だと思ってるボリュームと、読者が求めているボリュームがずれてくるんですよね。
個人的に思っている連載マンガのボリュームは完結したときに全巻をまとめ買いしても 5~6千円で収まるくらいの長さです。「あひるの空」も完結させて「モキチの空」とか「トビの空」とかを描けばいいのにって思ったりします。マンガ離れと読んでいるマンガが終わらない問題は密接に関係して「ウシジマ君」が完結したし話題だからって全巻買って読もうと思う人はいませんよね。マンガ喫茶に行く人やネットで読み放題っていう人はいるだろうが、それは作者の利益ではありません。
ネット配信系のアメリカドラマがブームになっていますが「面白いから観なよ」と言われても「現在は第7期で何百時間分いっきに観れるよ」って言われてみようって思えるほどドラマ好きばっかりじゃありませんよね・・・

 「あひるの空」で一番画期的なのは前期の通りに最新刊から始まった大栄戦でクズ高が負けることを作者自身が作中でバラしてることでしょう。当然ながら今やっている展開は最終回と公言してます。そこら辺でネットがざわざわしてるんじゃないのかな? 作品の中の合い言葉は「インターハイへ行く」というハズでした。そこには神奈川最強の横浜大栄を倒す必要があるというのがマンガの状況です。インターハイへ行くというのは読者が先走ってクズ高を過大評価していたのではなくて、日向武史さんが作品の中で読者にそう応援してもらうように仕向けたからです。それは演出上も作品の構成上も正しい方法です。
しかし、途中から作中にカットバックで大栄戦が終わった後のクズ高バスケ部員たちのシーンが入るようになってきます。(未来のシーンが入るから厳密にいえばカットバックと呼ばないのかも?)
ストーリーについて日向武史さんは「もう、大栄戦は負けるって何度もネームで描いてるじゃん」っていう意図をコメントしてますが、「大栄戦で負けて最終回」と明確な言質は発言していません。
インターハイ敗戦エンドでも勝利にまさる感動エンドを用意出来るという自信なのかもしれません。
27巻の袖のコメントで「最終回は27巻に掲載されてる原稿を描いてるときにネームを切った」とのことです。つまり2010年頃には最終回の内容が決まっていたんです。
それでも作者が連載中の作品の結末をバラす意図が見つかりませんよね。よく「最終回のシーンは初めから決まっています」と言うマンガ家がいます。「進撃の巨人」の人もテレビで言っていました。それは「成り行きではなくてストーリーはちゃんと構成してるんですよ」という宣言だったりします。「あひるの空」の場合は「編集部に永久連載を要求された」もしくは「アニメ化の企画で空がNBAに行くまで連載して欲しい」などで、だったら自分から結末を公表しちゃおうって居直ったのかもしれません。「神奈川大会で敗退する」そして「NBAなんかに行かない」と描いちゃえば展開の変更は不可能です。でもそれは読者には関係ないバックヤードのハナシですよね。

 それでも、自分は「あひるの空」の最終回を読むことを楽しみにしています。自分自身の日向武史さんの評価は現在の少年マンガを描いてるマンガ家の中でトップ5に入ると思っています。日向武史さんの「結末よりも大切なシーンがこの先に待っている」というコメントを信じているひとりです。
「あひるの空」はドラマチックな試合展開と登場人物のキャラ立ての良さ、成長と挫折の使い分け、心の機微、などなど・・・ 十分にマンガとして読み応えがある作品だと思っています。試合描写のスゴさというのはスポーツマンガだったら当然なんですね。自分もスポーツマンガに勝敗以外の部分を求めるタイプなので、試合から離れた時にどれだけ読ませてくれるのかは重視してます。逆に試合しかしないようなマンガは苦手でした。それだったらJリーグ観てたほうがドキドキします。
過去に別のブログでも「あひるの空」のことを取り上げました。9巻~12巻の新城戦と空クンのお母さんとの死別の回を当時全力で褒めてた記憶があります。当時の少年マンガの水準を超えていたと思います。
今回の記事は最新刊の後書きに書いてあった最後の一言が引っかかったから書きました。でも読んだのが4月ごろだったので5ヶ月くらい寝させてたから描いた記事だから支離滅裂です・・・
引っかかった言葉は「・・・あと少しだけゆっくり走って行こうと思ってます」の次のシメの文章の後に「見たい人だけ見てくれれば。」とありました。この一言に今の日向武史さんにたいする「あひるの空」の賛否の比率がわかった気がしました。しかしここまで連載して「見たい人以外は見てくれなくても結構」というニュアンスは送り手のコメントとしては最低なコメントです。
連載当初のヤンキーバスケマンガを辛抱強く見守ってくれていた人たちの半分が、日向武史さんが切り捨てた「見なくて結構」の側の読者です。むしろこの顛末を非と受け止めた人たちのほうが日向武史さんのマンガが好きで読んでくれていた読者なんでしょう。賛否はマンガの面白さよりも表現方法や演出意図による物だと思います。読者にマンガを伝えたいのか作品論(作品のあり方や制作方針)を伝えたいのかを取り違えてる感じはずーっとしていました。これは有名アニメ監督たちが「つまんない」というファンの声に作品論で論破したがる図式にも似ています。アニメ監督の作品論に共鳴するマニアの声は監督にとって心地いいけど、「イヤなら見るな」を言っちゃったらお終いです。
日向武史さんが以前に書いたあとがきのコメントで「単行本を集めてもらえるマンガ家になりたい」というようなことを書いてあったと思います。(記憶が曖昧・・・) 単行本を買い集めてきた人にも「見たくなければもう新刊を買わないで」って言えるんかいな?

 この日記の記事は自分が「あひるの空」が終了する事に反対のような感じになっちゃっていますが、自分はむしろ連載マンガはどんどん終わらせるべきという方針です。また、日向武史さんのマンガに対する意固地な感じはとても好感を持っています。連載当初のヤンキー部活コメディーだったらここまでのめり込んだ記事は書きません。面倒だし・・・
サブストーリーを含めてシナリオの良さや独特なポエトリーは自分の中でも数少ない“読みたい少年マンガ”です。ただ連載終了後のクズ高のメンバーの裏設定物語をそこまで読みたいか?っていうと、そこまで興味はありませんね。そのキャラ達に引っ張られるくらいならガールズバンド・マンがでも連載して欲しいです。
もしも連載終了後に「あひるの空」のスピンオフ作品を描くのだったらマドカと新のカップリングでお願いしたいですね。新はプロ選手で引退を考える時期、マドカは婦長に推薦されている。お互いに岐路に立っていて・・・ っていう感じで。仲の悪い女子ペアって大好物です。掲載誌もマガジンじゃなくモーニングで大人向けに描いて欲しいです。高校時代の思い出なんか抜きで・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

リズと青い鳥の可能性 - 2019.08.09 Fri

京都アニメーションに思うこと・・・


 7月18日の白昼、京都アニメーションの始業後を狙った放火殺人事件により、多大な犠牲者とアニメ資産が消失という事態になりました。
事件の詳細については報道されている通りですし、報道以上の憶測や批判も現時点では意味をなさないと思います。犯人は確保されていますが、当人も重傷で事情聴取に至らない状態です。犯人の動機や生い立ちについては興味のわく問題なんでしょうが、この手の通り魔的な無謀犯の場合は個別に動機や心情を解明する事が類似犯への抑止になるケースは少ないです。
過去の凶悪犯も「何故そんな凶行に及んだのか?」ってバラエティー番組で議論されてきましたが、凶悪犯の凶悪な言い分を聞いたところで納得できる答えがあるハズもありません。遺族や裁判には必要な情報なんですが、犯人の主張を流布することが新たなミスリードを生むこともあります。
犯人の人物像がわかったとして、一般の善良な人たちには何の犯罪抑止にはなりません。逆に犯人の生い立ちに該当するような人のことを差別するきっかけにすらなりえます。犯行手口や被害の詳細を克明に報道することによって、境遇が似ている“凶悪犯予備軍”を模倣犯にしてしまうのなら社会治安上マイナスでしかありません。真実を知る権利を求めてしまいますが、あまりにも詳細な情報は被害者のプライバシーを守る権利に比べたら大した権利ではありません。
事件当初は京都アニメーションの防火対策やらせん階段を問題視するコメントも見られました。消防法は火災を前提にしているのであって、ガソリン等の爆発に耐えられる建築基準までは定めてはいません。それは建築ではなくてシェルターです。
犯人の人物像も明らかになってきました。アニメ制作会社を標的にするクライだからアニメに興味のないとは言えません。しかし、通例のアニメオタク叩き「ほら、だからアニメオタクは・・・」っていう偏見丸出しのコメントはありませんでした。(ネットのまとめ記事は知りません) 等々力の通り魔事件では引き籠もり中年が諸悪という報道でした。今回違ったのは京都アニメーションが“ちゃんとしたアニメ会社”だったことです。京都アニメーションはジブリ以上に日本のアニメ業界を支えている一流企業なので「ほら、アニメファンは・・・」っていう軽口はマスコミ自身のクビを絞めることになりかねません。
文化放送の番組内で有識者?の大谷昭宏氏が京都アニメーション側が被害死亡者の実名報道を控えて欲しいといの要望に意義を申してました。故人の家族や関係者をマスコミ対応や二次風評から守るためという中学生でも理解できそうた話なんですが、有識者?の大谷氏は『凶悪犯、大量殺人への人々の関心が薄れる原因になるから実名報道は必要』との見識でした。大谷氏は過去に「フィギュアやアニメが犯罪の起因になるからこれらのサブカルチャーを規制すべし」と言いはなった人です。アニメに関心が無い人やむしろアニメオタクを毛嫌いしてる人は無理してまでコメントを出さないようにして欲しいですね。
しかし、犯人像が極端なアニメファンであろうことは事実だと思います。本当のアニメファンは京都アニメーションを攻撃しようとは考えませんが・・・ 原作を投稿した~盗作を主張のくだりは、アニメファンだったら色々と思い当たるところでしょう。有識者?たちには「なんでこんなことをするんだ?」って疑問なんでしょうが、アニメマニアや同人系ファンだったら「あ~、アレなタイプのヤツなんだろう・・・」って人物像が想像できます。この事件でのマスコミ報道では本気のアニメファンのコメントは一切出てきてない印象です。それこそ大谷氏が犯罪予備軍だと罵っていたタイプのオタクたちにはマスコミのスポットが当たっていません。これはマスコミが京都アニメーションへ配慮やリスペクトしてるのと「だからアニメオタクは・・・」というステレオタイプの報道にしないためでしょう。
しかし、この犯人が「やっぱりマンガやアニメばっか観てるからこうなっちゃうんだよ」って思わせる部分もありました。多くのアニメ作品で建物にガソリンをまいて火をつけるシーンがでてきます。

 今回報道された犯人もそういうイメージだったので、鉄筋の建物を燃やすんだから40リッターは必要だと思ってたんでしょう。ガソリンは燃えるモノだというイメージですね。昔のガソリンのCM?で4ストのエンジンを「吸入・圧縮・爆発・排気」と表現していました。そのCMでガソリンは爆発なんだと子どもなりに理解してました。クルマに乗っていればガソリン=爆発物って理解してるんでしょうが、ガソリンにかかわらない人にはガソリン=可燃物というイメージなんでしょうね。犯人もクルマ(レンタカー)を使わず炎天下を台車でウロウロしてたくらいだから、クルマに縁がなかったんでしょう。クルマ以外でガソリンが出てくるシーンはアニメの中の方かシーンだけです。最近の実写ドラマではほとんど出てきません。だってアブナイから・・・ ハリウッドクラスならバンバン爆発させてるんでしょうけどね。
もうひとつ、無差別殺人犯が用意するモノでアニメというか作品の影響を感じるのは、今回の犯人がガソリン2ケース以外に包丁を6丁も用意していたことです。これは襲撃犯が6人いたわけではなくて、『日本刀は人をひとり切ると刃こぼれや油脂で切れなくなる』という物語に出てくる豆知識を鵜呑みにしてる感が強いです。そもそも包丁は武器ではありませんが、殺傷能力があることは間違いないです。でも、アクション映画じゃないんだからひとりで6丁を使いこなせるかは考えるまでもないでしょう。過去の通り魔殺人でも多数の武器を使いこなしていたという報道はありません。





 アニメファンには今さらなんですが、京都アニメーションってどういうアニメ会社なのかについてふれておきます。正直いって自分もあんまり知らなかったことばっかりですた。代表作は「ハルヒ・シリーズ」や「らき☆すた」「けんおん!」など・・・ ラノベやゲーム、4コママンガなどの原作のアニメ化を作ってるアニメ会社っていう印象でした。それらはゲームやライトノベルが対象の中高生男子の美少女アニメ系ファン向けのアニメです。自分はアニメに美少女とかラノベ系ストーリーなどを求めてないので、京都アニメーション制作のアニメはほぼ観てきませんでした。知らないで語るというところは大谷氏と大差ないんですけど・・・
ウィキ情報レベルですが京都アニメーションの発端は虫プロ(手塚治虫さんのアニメ制作会社)で仕上げを担当していた八田陽子さんが設立したアニメ会社です。同様に虫プロ倒産後にアニメーターの中村一夫さんが作ったのが中村プロダクションです。旧虫プロのはせいマニメ会社でもサンライズやマッドハウスなどは演出家(アニメ監督)主導の独立というイメージですが、京都アニメーションは仕上げの外注業者という特異なスタートをしています。後に演出から撮影まで自社でこなせる体制にまで拡大し、グロス請け(1話単位で丸々請け負う)でアニメ業界の中心になっていきました。報道でも「けんおん!」以外にも「魔女の宅急便」や「紅の豚」にも携わっていたアニメ会社として説明されていました。ジブリ作品だって宮崎駿さんがひとりで作ってるわけじゃありません。しかし仕事の確かさでは業界内でも定評のあるアニメ会社だったようです。
京都アニメーションの制作作品は美少女ものというキーワードとともに「人を殺し合わない作品」というイメージがありました。アニメには好まれるブームがあります。スポ根とかSFとか学園モノなどですね。その中で現代アニメのブームは「無意味な日常」と「悪意の非日常」です。悪意の非日常は「エヴァ」や「まどか☆マギカ」など。悪意をベースにしたアニメはより作家性が強いので「格好いい作品を観た」っていう気分にはなれます。難しいテーマや残虐シーンにオトナっぽさをかんじるんでしょうね。この手の作品にジャパンアニメの将来を感じられませんでした。
逆に京都アニメーションの代名詞は無意味な日常のアニメでした。大阪芸大の純丘曜章教授が「京アニのような終わりなき “学園物” にうつつを抜かして~人生が上手くいかない~最後は自殺テロ」という論法。「業界全体が夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う」(ほぼ原文の通り)とコラムを発表してました。
今回の放火事件ではもっと熱烈なマニアやサブカルが大っ嫌いな有識者など言いたいことがある人もたくさんいると思います。みんな事件の大きさと悲劇に配慮してるんです。純丘曜彰教授は唯一の言いたいことをぶっちゃけた有識者でしょう。美大の先生が事件後にウィキで「らき☆すた」とか「けんおん!」とかの文字を見て事件の真相を想像しちゃったと思ったら、純丘さんは哲学者でメディア論者という肩書きで大阪芸大の教授だが芸術家でも何でもありませんでした。博士だけどね・・・
しかし京都アニメーションの作品を「学園祭の前日・・・」というのはちょっと言い得てるかなって思います。

  “あの頃” がテーマのアニメだとしても、最近のアニメの中の “学園祭” は自分たちの知ってる “あの頃” とはまったくの別物です。今の中高生の実体験(現実)とも別物なんでしょうが「無意味だけどほのぼのする」とか「進展しないからこそ日常」がウケたのは事実です。異空間や魔宮のお話やハーレム設定を記号化して大量生産してるのも事実でしょう。
記号化した作品は記号を理解できる人には面白いんですが、ストーリーを記号化していない人には受け入れられません。超有名な作品(コナンや海賊少年や猫型ロボットなど)は、一般の人たちにも記号を周知できてるっていう原理でヒットしています。記号化は商業ベースでの大量生産に向いてる発想です。逆にオリジナリティーを追求するのなら作品を記号で表すようなことはダメです。
老害だと思われていた(そんなこと誰も言ってませんが・・・)宮崎駿さんもジブリ・ブランドという記号で作品を作ってました。しかし、宮崎アニメっていうのはジブリ枠でありながら同じテイストの作品を作っていません。それが前作のような作品を期待するファンからガッカリされたりもするんですが、クオリティーの維持がすごいので新たな宮崎アニメになるんでしょう。「ナウシカ」と「ポニョ」はまったく違うタイプの作品ですが、どっちも宮崎アニメです。
自分は後期のジブリ作品のほとんどをあんまり評価していません。その理由はアニメ監督として巨匠になる前の宮さんというアニメ演出家の切るコンテのファンだったからです。この日記の中で“ポスト宮崎駿”は誰なのか?問題を考えていました。宮崎駿さんの2代目を襲名する必要なんかないんですが、誰かがスタジオジブリを引き継がなきゃいけない問題がありました。鈴木氏は簡単にジブリを解散させちゃったけど、このままじゃ版権とミュージアムの管理会社です。ヘンなハナシですが京都アニメーションの事件のおかげでスタジオジブリの財産が何だったのかに気がつきました。
ジブリが優れていたのは「アニメーションを丁寧に作る」ということです。自分に向かない内容や納得できないシナリオはあったとしても、全作品を丁寧に作るということはジブリクオリティーの全てだと思います。アニメ作品の品質は絵の上手さに如実に表れます。しかしシナリオや動画、背景、選出などを丁寧に作ってるかどうかは、アニメマニアが些末な部分をあげつらうよりも、シロウトの一見さんのほうが見抜いちゃうもんです。ダメなところを指摘するのはマニアのほうが敏感ですが、丁寧さはシロウトファンのほうが体感しやすいです。
先日、日テレの映画キャンペーンの一貫で細田守さんの「未来のミライ」を観ました。「未来のミライ」は公開時に未見ながら散々悪口の日記を書いちゃってました。面白くないというのは知っていましたが丁寧さの基準で思い返せば細田守さんの作品は、丁寧に考えるという部分が足りていない感じがします。もっとちゃんと考えて作ればいいのにって感じでした。そもそも「未来のミライ」はシナリオの段階で誰か止めろよ!っていうレベルでした・・・

 京都アニメーションの悲報に対して日本中はもとより全世界から哀悼がよせられ、日本では事実確認が進まないのに海外からの義援金や支援を表明する大物が名乗りを上げています。世界中から支持されてることに世界の評価に弱い日本のマスコミが面食らった感じです。世界中に「らき☆すた」のような美少女アニメのマニアがいるのも事実ですが、アニメーション制作会社としてピクサー以上に評価されてるからこその世界の反応でしょう。全ては仕上げ請負からスタートしたアニメ会社がコツコツと業界の評価を上げていき「京アニにまかせれば大丈夫」という会社にしたことでしょう。
アニメ業界はそれこそお笑い界同様の技能職集団で雇用状況は劣悪な濃いグレー業界と言われています。NHKで放送されていたブリの職場が特別で普通のアニメ会社はまっくろくろすけという中で、京都アニメーションは現状打破できる会社になり得ると思ってました。実情は知らないんですけどね・・・ 「厳しいから雑になる」ということをアニメファンの許容していたところがあります。作画崩壊とか打ち切りとか、しかたない事情をファンも共有しちゃってるからこそのアニメファンだから。しかし動画というのは一コマずつ描かなきゃいけないんだから丁寧に作らなきゃダメなんです。京都アニメーションは丁寧にアニメを作れる会社ということが世界に認知されています。それは会社の創設者がアニメ監督や演出家ではなくて仕上げという丁寧が信条の人だったからでしょう。アニメ監督を志す人は自分の言い分を通そうとするので振る舞いが雑になりがちです(とくに庵野氏とか・・・)

 雇用状況はわかりませんがクオリティーが高いというのは作品を観ればわかります。しかし上記で「京都アニメーション制作のアニメはほぼ観てきませんでした」って書いたくらいだから、そーいう報道やアニメファンのコメントをさも観たつもりになって書いているだけだろうって思われることでしょう。実際にテレビの多くは「京アニ・・・?なにそれ?」っていう政治コメンテーターが「日本の宝だったんですよ・・・」っていっちゃう感じでした。自分はさすがに作品を観ずにそこまでのおべんちゃらを書くつもりはありません。
じつは自分でBlu-rayを買った京都アニメーションの作品があるんです。去年の年末ごろに「リズと青い鳥」というBlu-rayの販促コーナーを見かけて、予告編的なものが流れてるのを観てあまり吟味せずに衝動買いしました。買う時にはそんなに衝動もなかったと思います。ただ絵の描写が好みの感じだったんです。ましてや京都アニメーションというブランドも意識していませんでしたし、「響け!ユーフォニアム」のスピンオフ作品ということも気づきませんでした。ジャケットにもそんなに書いてないし、付属のブックレットで「響け!ユーフォニアム」のスタッフの作品って知ったくらいです。 そもそもユーファニアムというのが楽器の名前だと知ったのも最近です。
女の子ふたりキャストなので百合百合しい作品だと思っていたら、それほど百合しくもありませんでした。「響け!・・・」の本編は本格部活青春小説のアニメ化っていう位置づけですが「リズと青い鳥」は親友や進路へのふわっとした悩みや行き違いをゆるっとしたテンポで書いている小さな作品です。
真剣に部活へ取り組む姿や全国にのし上がるサクセスを求めてる人には「リズと青い鳥」は向かないと思います。逆に「響け!・・・」の劇場版の予告をみたんですが、自分はこの予告編のアニメだったらBlu-rayが売ってても衝動買いしなかったでしょう。
ネタバレというか本編を知ってる人には当然の知識なんですが「リズと青い鳥」は本編で波乱を巻き起こした希美先輩とみぞれ先輩のハナシです。希美先輩とみぞれ先輩のどっちがリズでどっちが青い鳥なのかというハナシだったので、この二人はスピンオフようの新キャラくらいに思っていました。そもそも本編のファンじゃない人が買っちゃいけない作品だったのかも知れません・・・

 このシリーズは京都アニメーションの現在地点を表していると思います。「けいおん!」では萌えアニメという需要に答えるということでニーズに合わせた作品だったんだと思います。女の子キャラは可愛いに超したことはありません。しかし、女の子キャラは可愛い人形やぬいぐるみ、抱き枕というレベルでアニメキャラを考えてるうちはアニメが疲弊していくだけです。萌えキャラを求めてる人にはつごうがいいのですけどね。
実際にサブカル、エンタメの中では 脱・萌え の流れもあるような気がします。京都アニメーションは可愛い女の子のアニメが財産です。だったらその女の子をフル動員させて、なおかつ背骨の通ったストーリー作品を作るというのが「響け!・・・」なんでしょう。
現在のアニメ市場はディズニー・ピクサーを中心にしたCGアニメ全盛です。日本のアニメでも打倒ピクサーな作品からセルタイプCGアニメまで様々です。それらは作画の技法の違いであって、内容についての技法ではありません。京都アニメーションの技法とはリアルな学生たちのストーリーをアニメという表現媒体で丁寧に描けることです。それは男子でも女子でも同じことです。
「リズと青い鳥」ではストーリーは大会どころか練習シーンだけで構成されています。こーいう作品はピクサーが苦手なジャンルです。北欧の絵本作家やフランスのアニメ作家のような人たちには「たったそれだけのストーリーなの?」っていうしょぼいアニメ作品はありました。だけどそれはアニメではなくて芸術だからアニメファンは一様に評価していません。日本人でもアニメに芸術的要素を出した作品を発表しているアニメ作家はいます。そーいうアニメ芸術にウンザリしてるのがアニメファンたちです。彼らに欠けているのはファンにとって観やすい(入りやすい)作品を作ってるのか?という配慮です。自分は作家にはアニメは無理だと思っています。(とくに福井晴敏さんとか・・・)
可愛くないキャラや愛せないキャラをあえて出すことで、脱・萌えアニメを作ってる気分になってるアニメ作家は多いです。当人もその作家の支持者も「オレ達ってカッケー」と思ってるんだからほっといきましょう。それよりも萌えアニメ特有の雑さを改善するだけで日本の誇るジャパンアニメを世界に発信できるんでしょう。
萌えアニメの雑さとはなんでしょう? それは「オレの妹」とか「百合設定」とか「ハーレム」とか「未来人」とか「パラレル」などの様々なお約束アイテムです。それらで萌えアニメを構成すればアホでも観れる作品が作れますが、アホにしか観てもらえなくなっちゃいます。新海誠さんも丁寧にアニメを作ろうということを表明してる監督なんでしょうが、どうしても雑味が多い(考え足らず?)ので期待はできません。

 「リズと青い鳥」の丁寧さは感情を目線や手先の動きで表現するような丁寧さです。多分本編ではストーリーに起伏がありすぎて勢い重視の作画になってるところを、あえてゆっくりとした時間をアニメで表現したかったのでしょう。Blu-rayの特典映像に監督の山田尚子さんのインタビューでそんな風なことを語っていました。
今後の京都アニメーションがどういうかたちで復活するのかはまだわかりません。援助で再建するのか大手の傘下や出版社に併合されるのか様々な可能性を模索することでしょう。ただ気をつけて欲しいのは京都アニメーションを版権の価値だけで売り買いしないでほしいんです。京都アニメーションの財産は助かったメンバーの技能はもとより、助からなかったメンバーたちがアニメへの丁寧に向き合ってきた姿勢です。逆に、この機会を逃さずに他のアニメ会社も丁寧な仕事で打倒・京都アニメーションに名乗りを上げて欲しいです。


 先日、今回の事件での犠牲者が公表され「リズと青い鳥」の監督、山田尚子さんの無事が確認されました。無事が確認できたので今回の記事を書いた次第です。
いちアニメファン・マンガファンとして被害に遭われた京都アニメーションのスタッフ、ご家族、関係者にお悔やみ申します。
そして、今後の京都アニメーション、日本のアニメの未来に期待して・・・



「ほぉ」って思ったら押してね

めがねを変えました - 2019.07.18 Thu

ヤマシタトモコさんの「違国日記」です。

 マンガファンには知られている話なのですが、ヤマシタトモコさんは過去にアレをしちゃってコアなマンガファンから総スカンになりました。元々が同人誌作家ですが某大手出版社のマンガ賞で入賞してメジャーデビューって時に、その入選作が某大御所マンガ家の作品をアレしちゃった疑惑がネットで拡散。ヤマシタトモコさん自身が謝罪したため入選は取り消し、消えたマンガ家になるパターンでした。
しかし、その後もBL方面で名を上げて一般誌へ復帰し、アレのあった某出版社でも作品を発表するほど復活したマンガ家さんです。したがってマンガファンの中でも完全否定(拒絶)の人と作品を支持する人で、作品の評価が両極端なマンガ家さんです。
自分の見解ではマンガそのものの技術向上には模倣と研究がつきものだから、ある程度のズルをしちゃう気持ちは理解出来ます。しかしズルしてプロになっても商業レベルでは法律上ヤバいって誰でも知ってます。ヤマシタトモコさんのケースでは同人作家を商業デビューさせる編集部が、出版リテラシーを教育していなかったことが重大なミスでしょう。読者は軽いリスペクト(模倣)くらいなら大目に見てあげて欲しいんですけどね・・・
過去に某メジャー少女誌で活躍していながら大手を振ってアレをやったことが大々的にバレて、単行本回収&絶版になった少女マンガ家もいます。しかし、カルタのマンガ家さんなど、今では最も売れてるマンガ家になってアニメ化、実写映画化と某出版社の稼ぎ頭になっています。
自分の基準では実力があって面白いマンガが描けるのなら過去の経歴は気にしません。カルタのマンガも愛読しています。(メディア化は観ていないけど)

 やらかした系のマンガ家が再評価されるのは歓迎なんですが、ヤマシタトモコさんの場合は「このマンガがすごい2011」のオンナ部門1位の「HER」2位に「ドントクライガール」のワンツーフィニッシュでした。「ドント・・・」は同年度の「マンガ大賞」の11位にもランクしています。
自分がヤマシタトモコさんの作品を最後に読んだのが「HER」あたりでしたが『作者の中で完結してる女性の辛辣さやホンネ』にあんまり共感できませんでした。まさかなんとか大賞を受賞するほど持ち上げられることに違和感がありました。
ヤマシタトモコさんの作風は『他人と共感できないタイプを自負してる主人公のワタシ語り』です。世間と共感できない立ち位置で頑張ってる読者には共感できるんでしょうけど、ヤマシタトモコさんがいう「ワタシが共感できない他人という名の普通のヤツら」である他人たちには共感されることはないでしょう。
マンガを読む時に「感情移入」と「共感」の二種類の読み方があります。感情移入は読者が主人公に成りきって読むスタイルで、共感は読者が客観的に理解できるスタイルです。オトナは自分が主人公に同期しにくいので、大体が共感を求めてマンガを読んでいます。読者の期待を裏切ることにだけ情熱を注いでいるマンガ家や、裏切られることを深いマンガと誤解してるマンガファンもいます。それはそれで別の話になっちゃいますので省略します。
絵がヘタとかコマ割が稚拙というのはキャリアを重ねれば、ほとんどのマンガ家はなんとかなっちゃうモンです。上手にならなくても「その作家の味」となれば、味なりに読みやすくなります。マンガ家におけるマンガが上手さとは「読みやすいマンガが描けるか?」ということです。読みやすさの基準は絵の精度とストーリーへの共感度になります。絵が嫌いでもストーリーが好きならば読めますが、絵が絵師クラスでもストーリーがヘンテコだったら読んでもらえません。画集のつもりだったらいいのかも知れませんが・・・ 
「解ってくれる人に向けて描いてるんだから、解らない人にまで読んでもらう気はない」というのがヤマシタトモコさんのファンの意見だったんでしょう。作者当人も自身の理解者に向けて描いてるから、「設定や前提条件がヘン?」とか「キャラがヒステリック?」という一般読者には飲み込みにくいマンガをわざと描いてた印象でした。このマンガがすごいとみんなが言ったんだから、一定数の人々がヤマシタトモコさんの作品に共感したんでしょう。でも、自分はヤマシタトモコさんのその後の作品は読まなくなっちゃいました・・・

 表題の「違国日記」ですが、最初は違国ではなくて建国だと勘違いしてました。あんまり違国というコトバと日記の熟語をイメージできなかったからでしょう。建国日記でもイメージできないんですけどね。タイトルの“違国”という文字で見聞録やファンタジーの世界の国々の冒険というイメージが思いつくかもしれません。表紙のイラストは主人公らしき女性と女に子のたちポーズで、異国感も冒険感もゼロの現代劇仕様です。タイトル名では買わないだろうけど帯のキャッチが『女の子を引き取って云々・・・』って感じだったので、現代劇だろうと想像してジャケ買いした記憶です。この時にヤマシタトモコという名前はまったく覚えていませんでした。自分にとっては「もう読まないマンガ家さん」のフォルダーに入れちゃったマンガ家だったんです。この作者があのヤマシタトモコさんだと気がついたのは1巻を読み終えたあとに後付にある作者の既刊本の宣伝を見て「あっ、ヤマシタトモコだったんだ」って感じです。
ストーリーをかいつまむと『中3の少女 田汲 朝は突然、両親を事故で亡くし親類にたらい回しにされる。少女小説家で叔母(朝の母親の妹)にあたる高代槙生が、勢いで引き取ることになり共同生活が始まる・・・』という感じです。
「孤児・引き取りモノ」といえば前回紹介した吉田秋生さんの「海街diary」や宇仁田ゆみさんの「うさぎドロップ」が有名です。親が死んだ未成年を親類が“うっかり”引き取っちゃって・・・っていうストーリーですね。「海街diary」はホームドラマ、「うさぎドロップ」は育メン男子の奮闘ものです。同シチュエーションの作品ではくずしろさんの「兄の嫁と暮らしています。」が先にありました。こっちは叔母ではなくて義姉です。くずしろさんは恋愛抜きの百合コメディーが得意なので、そーいうドタバタを狙ってるのかな?って感じの読み始めだったのですが、百合よりも死んだ兄を挟んで身内と他人の距離感の難しさがテーマです。

「違国日記」も最近ハヤりの「百合シチュエーション・マンガ」だと思って買ったんですが、むしろ他者へ愛情をかけるのが苦手なコミュ障が主人公のマンガでした。それはそれで、ヤマシタトモコさんの過去作のイメージとも合致して「独りよがり的な主人公の孤独」マンガっぽかったです。主人公が「日記はほんとうのことを書く必要もない」っていう感じの決めゼリフも“らしい”って感じでした。4話目から登場する「槙生の古くからの理解者」的な旧友の奈々、5話目から登場する槙生の元恋人という「都合のよく正論を言う役目」的なキャラも安易な印象でした。
それでも以前に読んだイメージとは比べものにならないくらい“読みやすかった”ので2巻以降も継続で読んでいます。作品おのテーマとしては『違国の住人として設定された主人公の槙生ちゃんを「へんな人」という括りでキャラ化』したかったようです。しかし回を重ねるごとに「この主人公はそんなにへんな人じゃない」ってわかってくると、作者の意図とは関係なく作品に共感できるようになってきます。作者の最初の方針は『世間からはみ出したヘンな主人公が子育てのまね事をする』っていうマンガっぽいハナシだったんでしょう。愛せなかった実姉のコドモと向き合う生活・・・という捻った’(捻くれた?)ストーリーで、1巻目はまだどっちに転ぶかわかんない状態でした。
転機になったのは朝(孤児になった女の子)の友達のえみりとその母親、槙生の旧来の友達たち、3巻目からは後継監督人の塔野弁護士など・・・ 彼らは主人公の理解者でも敵対者でもありません。ヤマシタトモコさん系のマンガのキャラは主人公を理解するキャラと理解してくれないキャラしか出てこないイメージでした。この作品中では理解者役として旧友の醍醐奈々、元カノの笠町信吾、理解しない役として実姉の実里が出てきます。彼らだけだと主人公に都合よくストーリーが進むんですが、実際の世の中は自分の理解者と敵対者ばかりではありません。
この作品のような孤児を引き取るという民事や生活、教育、死別による心的ダメージ・・・など、主人公のキャラ作りだけでは解決しない諸問題をテーマにしています。過去のヤマシタトモコさんの作品のイメージでは、諸問題と向き合う覚悟が感じられませんでした。結局は主人公の気分を読むタイプのマンガなので、キャラに感情移入出来ない以上は読んでいて面白いと思えないから読まなくなっちゃったんですね。

 過去に「このシナリオの考え方は飲み込めない」と思ったマンガ家さんの作品が、その後見違えるように面白くなったというケースはあんまりありませんでした。新人時代に作風が定まらず、後にヒット作を発表したっていうケースではありません。ある程度の評価(人気)もあるけど自分にとっては面白くない作品を描くマンガ家さんの場合です。マンガを読むことは仕事でも義務でもないんだから、つまんないと思った作品は結構バッサリ切ります。そのマンガ家の次回作が面白いってことはめったにありません。例えで出すのもどーかという感じですが、このブログでもよく取り上げた佐原ミズさんはマンガのスキルがすべてパーフェクトなんだけどシナリオが飲み込めません。佐原ミズさんはすでにキャリアを重ねてるんですが、シナリオの根本的な部分が一向に納得いきません。「絵は絵師レベルなのに・・・」の典型的なマンガ家さんです。
面白くないどころか作者のことも忘れちゃうほど期待してなかったと思っていたマンガ家が、次巻を楽しみにするほどのマンガを描くようになるとは思ってもみませんでした。それは、明らかに自分のメガネ違いだし、固定観念に縛られていたことも大いに反省ですね。
自分がヤマシタトモコさんの作品を読んでいた頃の作品は、主人公の考えていることや感情の起伏を全てト書き(ナレーションみたいなアレ)で書いていました。その上“心のフキダシ”でも心情を書き込んでいるから、主人公の怒りや悲しみ、不平や不満、驕り、ダークサイドが溢れてるマンガって印象でした。これらは自分語りマンガに見られる手法ですが、一時期日本中がホンネブームでホンネが書かれてる作品が流行っていました。「主人公のホンネはわかったけど、それでストーリーは・・・?」っていう作品が多いです。
マンガ限らず、創作はフィクションなので作者のホンネは重要ではありません。特に道徳観と恋愛観は作者の考えがキャラの考えに反映されやすいです。雑な恋愛を描く作者の恋愛感には期待できないから、そーいう感じのいマンガ家の次回作には期待しないでいました。たとえ雑な行動のキャラでもその作品のストーリーがしっかりしていれば、そのキャラも「作為的に雑な恋愛感のキャラ」なので作者を否定するものではありません。これらは少女マンガ以上に雑に人(モンスターやゾンビ)を殺す少年マンガのほうに顕著なイメージです。
こーいう雑さがクールだと思う読者も一定数いますし、その人たち向けにわざと雑な心理描写を描かせてる編集者もいます。作画もストーリーも上手い下手はどっちでもいいのですが、雑か丁寧かで比べたら丁寧のほうがいいに決まっています。未熟な作家でも熟成すれば言い作品を作れますが、雑な人が丁寧になるのは難しいです。誰か(編集者)に「絵を丁寧に描け」と言われてもストーリーは作者の心の中の問題だから、同人誌などで“一定の評価を受けてきちゃったアマチュア”な人ほど変われない印象です。
じゃあヤマシタトモコさんはなんで変わったのかを考えてみます。キャリアの途中を読んでいないくせにって感じですが、「違国日記」の1巻ではそんなに変わっていないので、たぶん連載中に変わってきたんだと思います。
この作品は作者自身が「本気で描きたいテーマ」なんでしょう。だから雑に描き流したくないし、自身のファン以外の人にも評価されたい。ならばストーリー対して真摯に向き合わなきゃいけない。「違国日記」を絵空事の作り話にしたくないっていう思いから、ストーリーもキャラクターも丁寧に描くしかなかったんでしょう。結果としてマンガ大賞に祭り上げられた頃よりも正答な評価を読者にされているんだと思います。それは本屋の平積み率の高さでもわかります。

 結局、自分のメガネ違いだったと言えばそれまでです。ストーリーも変われるというのも発見でした。反省して久しぶりに新しいメガネを作りに行ったんですが、メガネのフレームがバネになっていて掛けやすくてキツキツ感もないのを買いました。とても気に入っています・・・


「ほぉ」って思ったら押してね

福井晴敏の空母いぶき - 2019.06.23 Sun

劇場映画版 「空母いぶき」です。

 自分は映画館へはほとんど観に行きません。10~20代前半は洋画中心に夢中で通ったんですが、あるときから映画館に行くのが苦痛になって映画館へは行かなくなっちゃいました。そもそもはマンガのシナリオの勉強という意味合いが、映画館通いを正当化する自己暗示だったのです。しかしマンガのシナリオはマンガを読めば解ることなので、映画そのものにはマンガに参考になる要素はほとんどありませんでした。マンガはマンガで勉強するのが一番だし、ボクシングだったらニワトリを捕まえるよりスパーリングしろってことです。
映画を娯楽として観ればいいんですが、そもそも色めがねで観るクセがあるせいか「ココが気になる」とか「腑に落ちない」などの突っ込みどころが気になっちゃいます。誰でも映画を観たあとに茶店などで感想戦をすると思いますが、自分は観た作品を全てにケチをつけていました・・・
一概に公開映画と言っても玉石混交なので玉と石を選り分けられればいいんですが、宇多丸さんが絶賛している玉な映画でも自分基準では石だったりします。自分は映画が好き過ぎて評価基準を高くしてるんだと思っていたのですが、どう考えても映画が嫌いなだけだろうと結論になりました。
一緒に観に行った人が満足してる場合は、自分の感想がその人を不快にすることにもなるので「コレは今年一番の駄作・・・」という言葉を飲み込んだ経験も多々ありました。
映画から離れるとレンタルビデオやテレビで映画を観るということもほぼ無くなりました。だから映画代の問題ではなくて本当に観て「ココが・・・」とか考えることが面倒くさくなったようです。
それまで映画を観ると「こうすればいいのに」とか「何でそうしちゃうんだろ」っていちいち思っていました。しかしそれは映画監督をリスペクトしてないんでしょう。ならば観ないことが最大のリスペクトってことなので映画から離れちゃいました。同様にテレビドラマもちょっと苦手です。
それでもたま~に映画館へ行くことがあります。どちらかといえば受動的に映画を観なくなっただけなので、観に行こうと誘われたら断る理由も映画を否定する論拠もありません。むしろデートだったらご機嫌取りでひょこひょこ観に行っちゃいます。
過去一番悲劇的な映画デートは「インディペンデンス・デイ」を観に行かされた時です。「流行ってるから観たい」というリクエストだったんですが、当然ながらSFスキルがゼロなので劇場を出たあとに「昔、宇宙戦争って映画があってね・・・」と説明させられた経験があります。何が悲しゅうてあんなヘンテコ作品をフォローしなきゃあかんのか?って感じですが、観た直後に駄作認定しちゃうとデートそのものが崩壊しちゃいます。そのコは劇場版「エヴァンゲリオン」も流行ってるから観たいとか言ってましたが、自分は大の庵野嫌いなのでそれは断りました。

 先日、サッカーJリーグの浦和レッズ対サガン鳥栖の試合をFクンと観戦したんですが、彼が「試合前にイオンで映画観ようぜ」と唐突に誘ってきました。試合はナイターだから日中がヒマなのですが、チョイスした作品が「空母いぶき」でした。
「空母いぶき」についての知識は、かわぐちかいじさんのマンガの実写化である。いぶきは現実の海上自衛隊の護衛艦いずもである。総理大臣役の佐藤浩市さんがうんこ総理発言?で炎上。そもそもマンガの実写化は「ドカベン」の実写版で痛い目にあってから絶対ムリって思っていました。前回取り上げた「海街diary」の実写映画も評判は高いようですが、あえて絶対に観ないでしょう。それは「櫻の園」の映画版で懲りてますしね。
Fクンはマンガや映画オタクとはほど遠いし、かわぐちかいじさんのファンでもありません。右や左の佐藤浩市さんの炎上にも興味はない(むしろ知らなかったレベル)ようでした。実はFクンとは広島の呉にある大和ミュージアムに行った仲なんです。これもサンフレッチェ広島とのアウェー戦に行った時に観光したものでした。大和ミュージアムの隣に「てつのくじら館」という施設があり、本命はこっちだったんですが、道路脇にゆうしお型潜水艦 “あきしお”が置いてあります。鉄のくじらとしか言いよいうのないその姿に圧倒され、戦艦大和のディスプレイ模型で喜んでる場合じゃないです。
ようするにFクンは単純に護衛艦いずも(映画上は空母いぶき)が観たかっただけです。自分としてもどうせ試合開始時間まではヒマなんだし、お話はともかく戦艦を眺めてるだけでも・・・ってノリで観ました。護衛艦いずもにもイデオロギー的な批判や意見がありますが、ストーリー好きにとってはそんなことは気にしていません。


 この後の文章は大きくネタバレと映画批判(批評ではない)が含まれています。これから映画館へ行こうとしてる人やDVDや配信等で観る予定の人、日本映画ファンや原作ファン、福井晴敏氏の支持者や西村秀俊さんのファンに対してなんおフォローもできません。
今後「空母いぶき」の鑑賞を楽しみにしている方にはオススメできない内容だと思われます。自分がこの映画を観たイオンシネマ・浦和美園では6月27日(木)で上映終了と発表されてました。
観る予定の人はお早めに・・・


 それでは観た率直な感想ですが、想像していたよりも楽しめました。どちらかといえばお金を払った分の満足感はありました。Fクンも誘った手前クソ映画だったらヤバいかな?って思っていたようなんですが、そこそこ楽しめて安心したようです。
原作はそもそも中国の尖閣諸島の領海侵犯事件寝たいする脊髄反射的に始まった連載です。当然ながら自衛隊が戦う相手は明確に中国なんですが、映画版では尖閣諸島が初島に、侵攻する国は中国から東亜連邦にと微妙に変更されています。
福井晴敏氏に対中国で映画を撮る勇気があるとも思えませんが、架空のお話にするというコトは原作の尖閣問題と護衛艦いずもの空母化問題をネタにするという制作意図を踏みにじることになります。何故ならかわぐちかいじさんはわざわざこのヤバめのマンガを描いてるんだから。福井晴敏氏は過去にも「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」といった大ネタを先人の制作意図を踏みにじってきたので、当人にとってはへっちゃらなんでしょうけどね。
上映時間は134分で2時間越えの大作?ですが、『初島に上陸された~解決した・・・』のクリスマスの24時間のストーリーです。大半が飛んでくるハープーンや魚雷を迎撃したりしています。制作サイドは人間模様も描いてるつもりなんでしょうが、戦闘シーンばっかりです。「NHK特集」やBSなどの海外ドキュメンタリー番組の自衛隊や米軍密着モノを観ている感覚です。「自衛隊が交戦する事態になったらどうなるのか?」というイフのストーリーとして楽しめました。「実際の自衛隊の運用はあんな作り話とは違う・・・」という専門家気取りな意見も多いようですが、そこは娯楽映画という雰囲気モノなので気にしたら負けなんでしょう。自分やFクンは軍事オタクや国際政治ウオッチャーではなくて、純粋にメカメカしいものが大好きな機械好き男子です。きっと庵野版の「シン・ゴジラ」がヒットした理由も自衛隊等のメカメカしいシナリオや「撃て(てぇーぃ)」というシーンを眺めてるだけで満足な人が支持したんでしょうんね。「金かけたNHK特集だなぁ」っていうのが大まかな映画の感想でした。

 本編のシナリオがクリスマスの1日に起こった出来事だけで、回想シーンなどの時系列が逆行するような演出もありませんでした。重厚なストーリーが好きと自負してるマニアの方々は過去と現在が混在するシナリオに満足感があるようです。しかし回想シーンというのは全てが説明シーンであり言い訳シーンです。現実に生きてる人の時系列では回想シーンなど見る事はできません。
登場人物ひとりひとりの過去のアナザーストーリーを入れ込まずに、24時間モノに徹したことがまず評価できるところです。逆に原作の国際紛争の大河ドラマが1日で完結する作品になってるということは、原作をしっかり読んでる人は観ないほうが賢明でしょう。100% 腹立つから・・・
シナリオは西村秀俊艦長、佐々木蔵之介副長の海自パートと斉藤由貴上司、本田翼記者、小倉久寛記者の同行取材パートと中井貴一店長、深川麻衣店員のコンビニコントの三つのシーンで構成されています。サスペンスのシナリオの定石である乗員の無事を祈る家族のシーンは省かれてるが、緊張を弛緩させる目的で斉藤由貴さんや中井貴一さんが笑かしを担当してました。
緊張をほぐす必要があるほどの緊迫した映画にも見えなかったし、国際紛争という重さと対比指せるほど重い作品でもありませんでした。中井貴一さんと斉藤由貴さんのベテランの演技がドキュメンタリー感ゼロなので、「これは架空だけど本当の日本が突きつけられてる現実です」というメッセージがあるなら、その現実感を喪失させるほどリアリティーがないキャスティングだったと思います。
「人類滅亡の瞬間だけど人々は普通に晩ご飯の心配をしている」という演出をリアルだと思い込んでいる監督やマニアなファンが多い印象ですが、それはちょっとみっともない演出って感じがします。

 批判が炎上に発展してこの映画で唯一の話題を振りまいた佐藤浩市内閣総理大臣ですが、本編中は本当にウンコを我慢してる演技が冴え渡っていました。中盤で個室から出てきて手洗いのシーンは、脚本がワザと狙ってるンだろっていうレベルでした。
閣僚パートでもう一つ気になったのは、中村育二外務大臣です。彼は「防衛出動!防衛出動!」って騒いでお腹が緩んだ総理大臣をこまらせていたんですが、中村育二さんの顔が鳩山由紀夫を思い出してしまってイライラしちゃいました。なまじ中村育二さんという俳優を存じ上げなかったので、「この外務大臣、腹立つ政治家顔だな」って印象です。中村育二さんは役者としてなにも悪くなかったンですけどね・・・
この作品への批判の半分は戦闘シーンの特撮の是非で半分は閣僚パートの政治力の描ききれなさでしょう。自分は6割が福井クンのアニメドリーム。2割が中井貴一店長。1割が斉藤由貴パートと小倉&本田の潜入記者パート。残りが官邸の密室対応です。
原作を読んでいないんだけど、かわぐちかいじさんの作品だったら海戦3割、内閣7割くらいなのは想像つきます。原作ファンが怒っているのも当然だと思います。いっそのこと名作「Uボート」のように全編を潜水艦のみのシーンで作ったほうが、評価が上がったのかも知れませんね。本気で「防衛出動!」と叫ぶ映画を作るのなら海戦シーンに2時間かけて、政治家シーンにも「小説吉田学校」ばりの重厚感で合計5時間大作にすれば原作ファンも納得でしょう。
自衛隊が敵国と交戦中なのに何もしない内閣をリアリティーと取るかシナリオの無策と取るかによります。結局、お腹が痛いだけの総理と関係なく国連軍のおかげで有事を回避できたクライマックスにどう盛り上がればよいのかを見失うエンディングでした。政治手腕を発揮しないことがリアルな政治家を描いてるというのなら、それは福井晴敏氏がアニメの観すぎでしょう。自衛隊や内閣は宇宙世紀ではないので、彼の得意なヒロイズムでは「小説吉田学校」は作れませんから・・・

 ストーリーのベースになっている「専守防衛」か「防衛出動」かという議論をクドクドとしてたり、従軍記者のふたりは自衛隊広報の「この部屋にいて下さい」という言いつけを本気で守ってたりしています。映画全体の印象が“行動しない、判断しない”というコトが日本人の立場というスタンスなので、盛り上がるか?と言えばそんなに盛り上がるシーンの少ない映画でした。
上司の斉藤由貴さんがガンガン攻めのジャーナリズムだったら、もっとイケイケなストーリーになったんだろうけど、斉藤さんは本田翼さんの連絡待ちだし、その本田翼記者は机にうずくまっちゃってるし・・・ 彼女の仕事は戦争の現実の映像をネットで配信する事じゃなくて自衛隊初の防衛出動のプロセスを取材することでしょう。ユーチューバーじゃないんだから。
斉藤さんも送られてきた戦場の映像を、正義づらで世界に映像を公開するんじゃなくて、極秘映像を立てに益岡徹官房長官と取引して革新の情報を掴むくらいのアクションを起こして欲しかったです。何もしないネットニュース社とクリスマス・ブーツを作り続けるコンビニ店長が、何も起きない映画のストーリーをより何も起きない映画にしていました。斉藤由貴さんと片桐仁さんのコンビが従軍記者として乗船していたら、もっとアクションな映画になっていたかも知れません。可愛い枠の本田翼さんはコンビニ店員Bにすればいいんだし・・・
そもそも初島が占拠され日本人が拉致されているために空母いぶきが向かっているのに、初島に着く前に事件が解決しちゃうストーリーが「何も起こらない映画」なんですよね。何か起こっちゃったら2時間映画じゃ収まらないから最悪の事態が回避されるストーリーに逃げたようです。結局はいぶきも何もしなかったことで自衛隊の矜恃を保てたんでしょうが、何もしないことで映画が盛り上がるというのは舐めたハナシです。

 ささいなディテールで気になった部分はたくさんあります。
最初にハープーンの攻撃を迎撃するときに、都合よく1発だけ撃ち漏らしてしまい空母いぶきの艦載機用のエレベーターリフトに直撃してしまいます。これはいぶきが艦載機を使えなくするシナリオ上のことなんですが、セリフで西村秀俊艦長が「20時間で直せ」というアニメではお決まりのセリフが出てきます。こーいうのって誰が直すんだろう?石川島播磨の社員が常駐してるのかな?福井晴敏氏の大好きなヤマトでは真田工場長が直しちゃうんですけどね。
いずもの艦載機が一機やれれちゃうんですが、ステルス戦闘機なのに追尾ミサイルにロックオンされるんだって思いました。実際のところはどーなのか知りません。
「沈黙の艦隊」や「特攻の島」では魚雷発射管の魚雷口が開く音に非すれリックなほど過敏になっていました。この映画では魚雷とか撃ち放題なので、船特有の沈むことへのリスクと恐怖がまったく感じられませんでした。
鳩山由紀夫似の外務大臣の顔にイラつくと書きましたが、外務大臣やお腹を壊した総理大臣以上に観ていてイライラさせられたのが西村秀俊艦長の顔です。なんだかニヤニヤした口元と死んだ目の迫真の演技がいっそイラつきます。船乗りとかパイロットとかの演技プラン以前に、人として不気味な人が主人公というのは受け付けませんでした。無性に腹が立つのは店長もです。161番艦(艦名がわからん)の大阪弁で主砲をぶっ放してた船長はこの作品で唯一人間味があるキャストでした。
佐々木蔵之介さんと西村秀俊さんのツーショットは福井晴敏氏がいけないんじゃなくて、かわぐちかいじさんの無味無臭な好青年像にマッチしてるんでしょう。むしろ最近流行りの大企業の不正を暴く映画の同期社員ってイメージでした。
クライマックスのネタばれの多国籍軍の潜水艦が動じに浮上してくるオチは、福井晴敏氏が「沈黙の艦隊」へのオマージュだったんでしょう。福井晴敏氏は制作活動の大半がオマージュでできているのですが、「この人はヤマトもガンダムも、ちゃんと観てきたんだろうか?」て思わせるほど同じ作品を観てきたとは思えないほどもオモージュっぷりです。そもそも、その作品を愛する人はそのネタで自作をつくろうとは考えないし・・・

 結論をまとめますと、「空母いぶき」は観る人を選ぶ作品だということです。

ミリタリーのドキュメンタリー映像好き ○ 軍艦好きなら○ 戦闘機好きは△

軍事オタク ○~△ 所詮は模型やCG特撮なのでリアル指向なら△

ナショナリスト 右派 △~× 国際紛争を扱えるほどのシナリオではない

原作ファン × 原作は忘れて娯楽映画のつもりで観るなら△

本田翼ファン △ たいした見せ場もなく船室でうずくまってるシーンばっかりうです

福井晴敏氏のファン ○ 何が良いのか解らないがファンにとっては許容範囲なんでしょう

時間が2時間ちょっと余った人 ○ 観終わっても深く考える事も無いので次に予定に影響しない

 この作品に限っては監督の若松節朗氏の責任よりも企画の福井晴敏氏の責任だと思っています。それは、企画ありきの作品だから、監督がやりたくてやった仕事なのかは不明だからです。中井貴一さんと斉藤由貴さんを入れたのは福井氏と若松氏のどっちか?ということが審議されるべきですが・・・
「空母いぶき」が「宇宙空母IBUKI」として艦載機がモビルスーツだったら良かったのかもしれません。それくらい映画に登場する自衛艦がアニメっぽい印象というか、アニメ畑な感じの人が作った映画っぽい印象でした。いっそ海上自衛隊の持つ秘密兵器のローレライを使えばよかったのに・・・
 
 だいたい映画を観るとこーいう不満が鑑賞中に湧いてきて、精神衛生上よくないからあんまり映画を観ないようにしてます。終わるまで不満を言えないし、言ったところで一緒に観に行ったひとに不満をぶちまけるのも不幸を増やすだけだから。映画を観る度に泣き寝入りしてる感じがします。
今回の「空母いぶき」では艦内の映像のみがもどころでしたが、正直いって2月にBS日テレで放送した「こくりゅう潜航せよ」のほうが観ごたえがありました。それはやっぱりホンモノだからか・・・?
この作品は余計なシナリオがないことが良かったのか、悪かったのかで評価が二分されたんだと思います。シナリオを考え無かった人は辛うじて及第点だろうし、シナリオ抜きの映画を楽しめない人にとっては2時間が意味不明でした。自分はそんなモンだと思いながら観ていたんで腹も立たずに観ましたが、その日の本番のJリーグで浦和が鳥栖に劇的逆転勝ちをしたことで「何でも許せる気分」だったのかも知れません。
きっとFクンはもう映画の内容を覚えていないでしょう。自分ももうじき忘れちゃいそうです・・・


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